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国民党と共産党とは、長いこと、自分のほうこそ「革命」で相手は「反動」だと言い合ってきた。中国人の言う「反動」というのは「悪党」というほどの意味にすぎないが、ほんとうの意味でどっちが反動かといえば、それは共産党のほうである。共和国のほうへぼちぼち歩みはじめていた中国を「帝国」に逆戻りさせてしまったのだから。
わたしはかねがね共産党の中国のことを「アトモドリ帝国」と言っている。
「帝国」と言うのは、一切の権力を手に集めた独裁君主が統治している、というだけではない。
まず第一に、国民の自由がまるっきり剥奪されている。自由といったって、言論の自由とか出版の自由とかいう高次元の話じゃない。いやそういう高級な自由がないことはもちろんだが、もっと低次元の、この町内はイヤだから別の町内に引越したいとか、今の仕事は性分に合わないから別の仕事をしたいとかいった、「自由」というのもおこがましいほどのあたりまえのことさえできない。すべての人はいずれかの「単位」に所属し、各単位には共産党組織があって、人々の生活をガッチリおさえている。
いったい中国人は、てんでばらばらが好きな人たちである。絵の好きな者は絵に没頭し、商売の好きな者は金もうけに熱中する。豚飼いは豚をふとらせることばかり考え、天文学者は夜中に起きて空ばかり眺めている。そうすると中国人は俄然能力を発揮するのである。
日本人が中国へ行くと、よく聞かされるたとえ話がある。「十人の中国人と十人の日本人がケンカするとする。一対一では俄然こっちが強い。十人が組になってのケンカなら到底おまえたちにかなわない。」それを残念がるというよりも、徒党を組むのが得意な小ざかしい日本人め、とでも言いたげな口調でそう言うのである。全き統制の下に行動するのは、彼らは苦手だし、嫌いなのだ。
そういう意味では、中国人は天性の自由の民である。その中国人の自由を縛ってしまったことは、個々の中国人にとって不幸であるのみならず、国の力が伸びないから国全体にとっても不幸である。
そして実は、中国人がかくも完全に自由を奪われたことはかつてない。以前ある中国留学生に「今の中国はアトモドリ国家だと思う」と言ったら「アトモドリしてそのままずっと先まで行ってますよ」と笑っていたが、その通りである。
もう一つ、マルクス主義という国家哲学を強制して、国民のものを考える能力を奪ってしまったということがある。これは漢から清にいたる王朝が儒学(あるいは儒教)を国家哲学としたのに相当するが、その程度はずっときびしい。
そもそも中国には、マルクス主義は全然合っていなかったのだ、という意見が、文化大革命の失敗以後、中国の若い人や海外の中国人からよく聞かれるようになった。
しかしはたしてそうだろうか。「全然合っていない」ものが受け入れられるということがあるだろうか。
わたしは、やはり中国自体にマルクス主義を受け入れる素地があったのだと思う。それは「経典」の必要である。
「経典」とは、時と所とをこえて、この世のありとあらゆる事物、人間が遭遇するありとあらゆる現象に、正しい解釈を与え、さらに指針を与えてくれる、永遠の真理の書である。
中国では、実に二千年以上にわたって、『易』『書』『詩』『礼』『春秋』の「五経」に代表される儒家の経典がそれであった。これらの経典は、孔子が直接手がけて整理した書(今日の研究ではそうでないものもあるが、かつての中国人はそれを疑わなかった)、孔子直系の人が作り、孔子の思想を正しく伝える書(『論語』『孟子』など)、およびその注釈(『左伝』『公羊伝』など)より成る。いかに新しい事態や現象に出くわしても、その問題意識を持って経典を読みかえせば正しい解釈を指針が得られる、という絶対万能の書が経典である。十九世紀後半の危機の時期ににわかに「公羊学」が盛行したのなどはよい例である。
二十世紀になって「打倒孔家店」が叫ばれ儒教が権威を失うと、中国人の心に空白が生じた。その空白を埋めたのがマルクス主義である。つまり、儒教そのものは否定されたが、真理をしるした書物というよりどころをもとめる習性は、急にはなくならなかったわけである。
こんにち中国ではマルクス主義の書物は「革命経典」と呼ばれる。
マルクス主義がほかの西洋の学問とちがうのは、一つには、全面的であること、すなわちあらゆる学問、あらゆる方面にまたがっているか、もしくは応用が利くことである。もう一つは、絶対に正しいことである。この点で、他の学問は儒教の代りにはなれなかった。
あるいは「本来のマルクス主義はそんなものではない」という人があるかもしれない。しかしその抗弁は無力である。中国人がそのようなものとして受けとり、現にあつかっているのはたしかなのだから。
これは書物の分類のしかたを見ればわかる。
中国における書物の分類は二千年も前から始まっているが、西洋式分類とは考えかたがちがい、書物のランクづけである。より正しい、より尊い本から順に並べてゆく。
伝統的分類法では一番は「経部」であって『易』に始まる儒家の経典が並ぶ。
現代の分類法では一番は「マルクスレーニン主義毛沢東思想」であって、マルクスの著作にはじまる革命経典が並ぶ。これらは不磨の大典であって侵すべからざるものである。
しからばかつての儒家の経典とこんにちの革命経典のあつかいは何から何まで同じなのかというと、そうではない。
儒家の経典は解釈の自由を許した。だからこそ二千何百年も前の本がその後の時代の応用に耐えたのであって、学者は時にはずいぶん無理な、あるいは無茶な受けとりようをして、しかし自分ではそれが「聖人の本意」と信じて、結果的にはある程度柔軟な思想を展開したわけである。
革命経典は一般人が任意に解釈することを許さない。解釈権を有するのは党のみである。その解釈は党の必要に応じて変わり得る。しかし一般の学者が革命経典を自由に解釈する形で自己の考えを展開する余地はない。
中国の学者の論文を読んでいると、革命経典が論断の証拠として用いられていることがしばしばある。「それが証拠にマルクスがこう言っている」という形である。これは昔の人の「聖人もかく言へり」と同じであって、習性というものは強固なものだと感じ入る。
共産党は中国人のこの習性を助長し、利用しているのである。しかしまた、利用されるような素地が中国人にあるのも事実なのである。
引越しや転職を許さぬことから革命経典まで、中国人の行動や思考はいわばがんじがらめなのであるが、それら一切の束縛から、それどころか憲法をはじめとするすべての法律や規則からも完全に自由なのがたった一人の帝王である。
そういう体制をわたしは「帝国」と呼ぶのである。