鉄道遊撃隊 (铁道游击队)

鉄道游撃隊

おもに連環画を翻訳して紹介します。連環画の欄に各巻の拙訳へのリンクがあります。

1945 劉知侠「鐵道隊」
1952-1953 「鐵道游擊隊」(水滸伝を参考にして長編にしたてなおす)
1954 単行本 (上海文芸出版社)
1955-1960 連環画 (最初のシリーズ) (上海人民美術出版社)
1956 映画 (上海電影制片廠)
文革中 作品中に劉少奇がでてくるので批判対象になる
1978 連環画(再版) (上海人民美術出版社)
1985 テレビドラマ
1995 映画 飛虎隊
2005 テレビドラマ 山東電視台等

 何度も大衆向けに作りなおされ、今も共産党の八路軍の抗日戦争での英雄ぶりを宣伝している。鉄道隊の劉洪・王強・彭亮などは劉備曹操宋江李逵にならぶみんなおなじみの英雄となり、中国人の歴史観の一部を形成している。
 そのわりには日本人にあんまり知られていない。


連環画


第二冊「飛車奪槍」より
 1955年に出版され、文革後の再版もあわせて3652万冊刷られた、空前絶後の大ヒット連環画。
 1955年5月、最初に出版されたのは第一冊「飛車搞機槍」、第二冊「打洋行」の二冊。第一冊は文章と画者ともにちがっていた。第二冊の圧倒的な画力のせいか、以後は第二冊のコンビで作っていく。
 最初の本は山東の風俗を知らずに描いていたが、その後山東に取材旅行し、三冊から十冊までを描いたという。その後一二冊を描き直したので、最後にできた第二冊がよくできている。描きなおした一二冊が1961年に出たので、前後7年かけて作られたというふうに表現されることがおおい。話の内容としては、第一冊相当の内容と第二冊の「打洋行」(第一次洋行襲撃)をあわせて第一冊「血染洋行」とし、第二冊は共産党の指導があって第二次洋行襲撃を成功したようにしたてなおした。
 文革時には、小説映画などと同様に、批判対象とされた。文革の最初の攻撃対象は劉少奇だったが、鉄道遊撃隊には某首長の鉄道横断というエピソードで劉少奇がでてくるからだ。
 文革後の再版時には、三四冊の描き直しが多かったが、それは「英雄性」を突出させる作業だったようだ。しかし、まだ微妙な時期だったらしく、劉少奇関係のエピソードは削除されている。
 ここに紹介するのは文革後に刷られた再版。(ネットに普通に転がっているものです)
 最初に出版されたときはタイトルがちがっていたのでそれも記載する。以下国会図書館関西館にあった本が典拠。1964年8月の版が文革前の完成版のようでタイトルが四文字に統一されたのもそのときのようだ。(2012/11/16)

最初の第一冊(画者がちがう)
1955/51「飛車搞機槍」 文:王景樾 画:李新
1955/52「打洋行」 文:董子畏 画:韓和平 丁斌曾
1955/93「夜襲臨城」
1955/124「打開微山湖」
1956/65「飞虎队打冈村」(飛虎隊打岡村)(ここから簡体字化)
1957/86「苗庄血战](苗荘血戦)
1958/77「二烈士」
1958/108「湖上神兵」
1960/49「三路出击」(三路出撃)
1960/410「胜利路」(勝利路)
1961/91「血染洋行」
(2「飛車奪槍」は国会図書館関西館になし)

地図


地図は1958米軍作成(1933-34の航空写真をもとに作成)の1/25万図を利用

映画(1956)の挿入曲

「弹起我心爱的土琵琶」弹起我心爱的土琵琶 - Google動画検索
もともと数字譜をむりやりテキスト化してのせてましたがLilypondというのが便利だったので五線譜にしました。


映画「飛虎隊」(1995)

 上海にいたとき早朝テレビでやっていたのをちょっとみたが、2000年代の抗日ドラマにでてくる役者がいっぱいでていてその点でもおもしろかった。たとえば「亮剣」の主人公がここではニセ遊撃隊の隊長である。昔の中国の小汚さがよく再現されているのもよい。(というか90年代ならあれで普通だったのかもしれないが...)映画の冒頭に洋行襲撃の襲撃シーンをもってきている。要するに刀を振りまわしてぶっ殺しているシーンからである。なかなかどぎつい始まり方だ。
 それにストーリーの改変もすごい。前半の敵である岡村君との戦いはそのままだが、松尾君がものすごいやり手に変貌し、遊撃隊から裏切りまで出して全滅寸前まで追いつめるのである。それで最後の生き残りも特攻して松尾君を殺すという救いのない感じで終わる。まぁ斜めに見ていたので違うところもあるかもしれんけど。
 原作では最後の見せ場の受降までダラダラと続くが、そこまで行かずに終わらせている。80年代の空気を吸った人間に抗日映画を作れという方が酷だったのかもしれない。

テレビドラマ「鉄道遊撃隊」(2005)

 これについては最近のものでもあり、他に紹介している人もいるのでここではあんまりふれない。おもしろい点としては飛虎隊と役が被っている人がいることだろうか。
 劇的なチャイナ: 『鉄道遊撃隊』(TVドラマ版) テレビドラマ版を詳細に紹介しているブログ
 全然関係ないけどこのブログの人って何かの活動家なのかね。ただの腐女ではないようだ。八路軍の研究とかしてそうだなぁ。

文革での批判

小説の罪状
「組織も規律もない無産者の闘争を描いたものであるのみならず、毛沢東の"遊撃戦"戦略の原則を守っていない」
「打倒された叛徒・内奸・工賊である劉少奇のために伝を樹てた」
 劉少奇がすこし顔を出すのが一番の罪状なのであろう。

映画の罪状

「主席の示した遊撃戦戦略の戦術原則を描いていない。描かれているのは主席が批判した遊撃主義である。遊撃隊は大衆に由っておらず、みんな神兵だ。ただ芳林嫂のみが大衆である。政治委員がいるが政治工作の痕跡もみあたらず、高度に組織され規律のある無産階級の遊撃隊のようにみえない。農民と小資産階級のあつまりのようだ。党の指導がなく、八路軍が指導しているようにみえない。単純に人をおどろかすような絶技をみせ、個人英雄主義を宣伝している。映画の挿入曲も不健康」

映画の挿入曲の罪状

「低俗な歌曲を用いて偉大な領袖毛主席を悪辣に攻撃した」
当時毛沢東は昇る太陽に形容されていたので、“西边的太阳快要落山了”(西日が山に落ちようとしている)が「悪辣な攻撃」になる。

背景

井上隆一『毛主席の袖』明治書院,1974
唐山の炭鉱経営にみる日本人のやりかたとイギリス人のやりかたの違いについて書いた項目内にこうある。
「ここで採られた石炭は、塘沽へ数十キロ、鉄道で運ばれていた。英国人経営の時代には、例えば、十頓貨車なら、この十頓貨車に石炭を山盛りに積んで運搬していた。この山盛りの貨車が出発すると、途中、沿線の子供たちが蟻のごとく、貨車に飛び乗り、手にした麻袋に石炭を詰め込んで投げ下ろすのであった。彼らは、これを家庭の燃料にし、また唐山や天津で売りさばくのである。石炭山盛りで出発した貨車は、塘沽の港に着いたときには、平らにならされていることになる。もともと、十頓の貨車であるから、平らにして十頓である。量に間違いはないので、船積みは予定通り行われることになる。この鉄道沿線の住民からみれば、石炭列車は、一大福祉列車であった。ために住民たちはこの列車の無事を願うのであった。
 炭鉱が日本人の経営になり、この鉄道を運営するようになると、日本軍は石炭列車に飛び乗ってくる者を、石炭泥棒とみなした。列車には警備兵を乗務させ、石炭泥棒を警戒し、ある場合には発砲したりした。そのため死亡した子供が出たりした。沿線の民衆は、鉄道を恨むようになり、遂には遊撃隊と共に、鉄道の破壊を企て、貨車を転覆させたりした。」
華北の鉄道網は華北交通が運営していた。華北交通 - Wikipedia
華北交通アーカイブ | 人文学オープンデータ共同利用センター

歴史

 「山」は抱犢崮、山にいる八路軍の正規軍は115師。(もっとも最初からいたわけではないらしい)
 鲁南第一个抗日民主政权的建立

参考になるもの

《永远的红色经典——红色经典创作影响史话》_凤凰网 (一冊の本の内容をまるまるテキスト化している。)
《铁道游击队》的版本演变 | 连环画E书
中野徹「英雄の読まれ方」(pdf)

1970年代に井上隆一による小説の翻訳がでている。井上氏は日中戦争中、山東省北部の坊子というところで華北交通の鉄道警備隊の区間長をやっていたことがあり、小説の鉄道遊撃隊を読んではじめて、そのゲリラたちの背後にあったものが了解できたという。自叙伝の経験を読むと、当時の事情がよくわかっておもしろいので、鉄道遊撃隊に興味をもちもっと調べたい人はまず読むべき本だろう。ただ、この人は敗戦まで日本が負けることが予感できなかった平凡でマジメな人であったようで、この人が直接関知しないこと、たとえば日中戦争の戦況についてはあまり知らないらしく、自分で目にした遊撃隊の話以外は、共産党が宣伝していた平型関や百団大戦のことしか書いていない。直接見聞した局所的なことはとてもくわしく記述も公平で、日本軍(や日本人)が文化摩擦に鈍感だったことがよくわかる。

戦時中の体験記 華北交通社員のページ
臨城事件 - Wikipedia
日本鉄道建設業協会 中国の鉄道史(2)中華民国の鉄道史

抗日の鉄道遊撃隊に2人の日本人隊員が在籍_中国網


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