ノートパソコンの一角が割れているが、そこに天水で買った麻の種が一粒はさまっていた。税関でみつかって因縁つけられたりしたくないので食べたがまだ紅軍包のすきまにはさまっているかもしれない。まぁ食べても種の味がするだけでなんもないのだが。
もう一泊しようとおもったがもう予約がつまっていて部屋がいっぱいらしい。ということだが、相部屋のオーストラリア人に hostelbookers.com というのをおしえてもらった。ここは手数料がタダであるらしい。hostelworld.com に対抗しているとトップページの広告に書いてある。人民元での料金表示には対応していないらしいのでドルで表示させてみたがピンとこない。宿の数もまだまだだが、その状態でこれだけ加入しているのがすごい。どこから収入を得ているのか不思議だがたぶん宿代からキックバックされるんだろう。
急に冷えこんで霧がかかるようになった。まぁ今まですこし暑かったしこれくらいのほうがいいか。
ビザ延長のことをしらべたら北京では銀行の残高証明が30万くらい必要だとわかった。うーん。残高証明をとるのが無理だな。かといって上海まで行くのもなぁ。上海までいったら満洲が遠くなる。モンゴルにしばらく行くという手がありそれもおもしろそうだがパスポートの有効期限が一ヶ月半程度なのでそもそも入国できないだろう。うむむ。
北京発上海行きの普快1461次は硬座158元で硬卧でも285-306元らしい。鉄道部のサイトで余票を検索すると、明日はなぜかチケットがあまっているらしい。うーむ。どうしようかなぁ。
T31とかT109になると硬座が179元になり寝台が306-327元と20元ほど高くなる。とにかく硬座は余っているものらしい。1461次は約20時間で、Tがつくと14時間前後になる。これが動車組だと8-11時間前後になり、高速鉄道だと5時間前後になる。そのかわり値段もぐんとあがる。
上海発にしてもう一都市どっか行くなら鄭州になる。河南博物院があるけど行ってない。ただ鄭州まで行くと最低気温が氷点下ですらないので今の装備では暑すぎることになる。まぁそれでいくと日本の東京や京都なんかもそうなんだが。
ついでなのでゆうちょの具合をみてみたが、この1月2月はあんまり金を使わなかった。まぁ移動あんまりしていないとそうなるんだろう。
アメリカの航空会社のデルタエアーの北京成田便は燕京号よりすこし安い。1618元だとか。
体を洗う風習は暑くて湿気たところなら一日に何度も水浴びするのが普通だからそんなに珍しいものでもないとおもう。まぁヨーロッパみたいに寒いとこなら普通じゃないだろうけどな。
やる夫で分かる、最近の世界経済情勢(2012年2月下旬):キニ速
わかりやすすぎる。
中東TODAY: NO・2232「カダフィの深謀遠慮と言っては褒めすぎか」
国家博物館、やっと歴史部分をおえて革命部分へ突入した。といいつつも携帯の電池が切れたので残りを適当にザっとみたのだが、共産党誕生からの展開がなんか速い。辛亥革命の前のネチっこさにくらべると実にあっさりしたものだった。旅順大虐殺とかいう油絵が掲げてあった。2009年にかかれたものなので国家博物館の展示でつかうために特につかったんだろう。百団大戦の地図がちゃんと八路軍作成としてあり、八路軍太行紀念館のように日本軍から鹵獲したとか書いてなかった。まぁそれがあたりまえか。
国家博物館の展示はメイン文化→周辺民族→中外関係みたいな感じに各時代の配置がされている。時代は隋唐五代みたいに大雑把。時代が遡るほどおもしろい。まぁ時代が近いのは故宮の方にいってるんだろう。
まぁでもやっぱり博物館はローカルなものか専題のところのほうがおもしろさが増すとおもった。
李白って中央アジア系で、安史の乱の反動のソグド人狩りで間違って殺されたんじゃなかろうか。
翻訳の品質管理/インド・ムンバイ市(在籍出向) : ハローワーク
仕事をさがしてみるとボラバイトが魅力的だな。
今日は中関村の電脳街と書店にいってきた。
タブレット端末だが、小さいのをさわってきたがさすがに800x600は画面がせまい。PDFとか一応見れるが縦書きの本とか読みづらい。しかしそれなりに読書用にはつかえそう。もう一段広いのになると値段がはねあがる。うーむ。
漢王というところが白黒の画面でそういうのをつくっていたが、その系列ではiRiverの方がよかったり。しかしたぶん白黒の画面のものって受けないんだろうなぁ。タブレット端末で読書以外のことする気もないので読書マシンの作成がんばってほしい。そのかわり安くで。
ちょうど東芝から似たようなタブレット端末の電子ブックリーダーがでたようだが、pdfと専門の電子書籍ストアのものしか読めないらしい。djvuとtxtが読めないなら意味がない。値段は2万円くらいで、中国で売っている類似品と似たような価格帯。
日本語の名前の漢字は基本的に当て字なので、たとえば「さとし」の「し」に志をあてても史をあててもさらにいえば抜いてしまってもかわらない。「まさひろ」なら日本語的な意味の単位は二個あるが、「さとし」なら一つなのでは?といいつつ自分も「まさひろ(昌宏)」の意味を問われた場合、漢字の昌の意味をもってきて prosper と答えている。実のところ「まさひろ」に記号以上の意味なんかないような気がする。
獨協医大・永井伸一名誉教授「子供をダメにする」親の研究 | 現代ビジネス [講談社]
今日も国家博物館に行ってきたが基本展示の隋唐五代部分で終わってしまった。ちゃんと充電をいっぱいにしたつもりだが午後3時半頃切れた。まぁしかたない。
成都あたりで出土した画像磚に井塩のくみあげ場面とおもわれるものがのっているので後漢のころには四川で井塩が生産されていたことになる。なーんだ。自貢の製塩の博物館には東晋とかなんとか書いてあったがあれはただの伝説なのか。
広州出土の漢代の船の模型があったがよくよくみると丸木舟の準構造船だった。まだ大木がのこっていたということか。
今のビザ内で帰るとして、純粋に安さを追求するなら、やはり春秋航空ということになるようだ。ただし、その場合茨城空港になる。しかしこの茨城行き、たとえば今からでも火曜日発のものが6500円(+5680円)で買える。飛ばしすぎなのか。
国家博物館行ってきたが携帯の電池が切れたので帰ってきた。なんかもう一回行く元気がない。わざわざ歩いていける距離にしたのになぁ。
飯屋探しにいったが安そうなところがない。しかし市場をみつけたので包子とか買えた。なんとか生きていけそうな気がする。
王府井百貨の地下二階には職員食堂があって一般人も食べれるようになっているがカード式で、最低30元からいれないといけない。しばらくいるのならよさそうではある。
国家博物館は結局午後も行ったが4時半で追いだすとあってあんまりいれなかった。秦漢までいかなかった。普通に月曜休館なので明日どこまで行けるだろうか。革命展示もあるのに困る。
地方の博物館の目玉レベルのものを集めてきてあるので飽きない反面、中華史観に関係のあるものが中心で各地方についての掘り下げや紹介が足りないが国家博物館だからそれはしかたない。猪と豚の違いが河姆渡文化の豚の粘土人形のところに図示してあったが下半身と上半身の割合が違うらしい。知らんかった。そしてこの豚の粘土人形は原始家畜段階だとか。陶器の説明が「世界でも比較的早く発明された地域の一つ」と微妙な書き方がしてあった。展示してあったもので古いものは「約一万年前」の江西省の陶器で、しかも「復元できる陶器の中では比較的早い」とかこれまた微妙な書き方がしてあった。「日本なんかより全然古い」とかホラを吹いてるほうが中国らしいのだが、さすがにそこまでできない何かがあったということなんだろうか。
王府井書店に台湾書籍コーナーがあったのでやばい本ないかなぁとおもったらそれらしいのが三冊ほどあった。ただ内容的には全然やばそうではない。よくよくみるとまともな刊記がなく、繁体字版とか書いてあるので、大陸のものを繁体字にしたものを北京にもってきて売っているだけだった。台湾の人が書いたものは汪兆銘をあつかったものがあったくらいか。
霊丘 → 北京西 硬座
朝目がさめたので4時過ぎに駅にいってみると北京行きは売り切れ。どうしたものかと思っていると、後から来た人がやはり切符がないといわれたのにそのまま待合の方にいった。後をついていき検査の駅員に聞いてみると、とりあえず乗って切符を買えばいい(補票)といわれたのでそうした。乗ったのが韓城発北京西行きの人民列車で、乗車率130%くらい。しかもあとからどんどん乗ってくる。ただこの路線には北京にたどりつくまで大都市がないので死ぬほどつまることはなかった。通路に人がいっぱい並ぶ程度。乗車率200%くらいかな。
景色もなかなかよかったのだが立ちっぱなしだったのでひたすら本を読んで疲れをとばしたため景色はそんなに眺めていない。まぁでもそれくらいがいいんだろう。
北京西駅の対面にあるビルの中の大娘餃子で飲み物のんでパソコンだして hostelworld.com で宿の確保。当日の宿って前は取れなかったような気がするが午前中だからだろうか。いちおう取れた。今回の目当ては国家博物館なので故宮近くの物価が高そうな一角にあるドミトリーにした。30元。物価は高いんだろうが至便ではある。さてどうだろう。
故宮や天安門広場や王府井から近くて便利だ。相部屋の人も外人だがおっさんだからいい。
松下の北京営業所に行ったら、ここは販売店だからノートパソコンのネジみたいな部品の事なんかしらんと受付嬢に追いかえされた。中国だ。
日本大使館に行ってみたら対応がよくて意外だった。新しいパスポートをつくった場合、通例として、前のビザが切れるまで有効であるらしい。ただビザをとりなおす場合、居住許可がどうこうとかなんか面倒くさいことを言われたが結局そのあたりは日本の関知するところではないのでなんともいえないらしいがその一方で日本人ならたいてい大丈夫ではあるらしい。指摘されて気付いたが、今のパスポートのままで中国でビザを買ってもう一ヶ月いるという手がある。その場合パスポート代がかからない。うーむ。もう一ヶ月で満洲行くのもいいな。パスポート代だが10年で1230元らしい。日本でやるのとあんまり変わらない。
今レートをみたら一月末がピークでグングン下がってるのな。一万円が800元を切っているのをひさしぶりに見た。米ドルに連動しているわけか。
太原 → 平型関(平型关) 硬座 12元?
平型関(平型关) → 霊丘(灵丘) バス 10元
太原から平型関へ行く列車は朝8時34分とかいう時間になる。朝切符だけを買いにいってみたら人が多い。そういうと太原は前回も切符を買うのに時間がかかり駅に入るのでも時間がかかりで大変な目にあったのをおもいだした。悠長に切符を買っている場合ではないとおもい宿にもどって荷物をまとめ、切符を買いにいった。おそらく買えないので代県行きにするつもりになって並んでいたら、あっさり買えた。行列が長そうにみえたのは遠目にそう見えただけだった。しかし代県行きを買ってしまったのでとりあえず駅に入る。こっちもそんなに時間がかからない。結局目当ての列車に手前の代県行きの切符で乗れてしまった。しかたないのでそのまま平型関にいく。
結局途中での検札もなく駅での検札もなかった。太原からの風景は高原状のハゲ山がつづいていた。まぁ草原地形とみてよかろう。平型関のところで長いトンネルになり、駅に到着。柵もない駅で、降りて紀念館はどっちかきいてもあっちとしかおしえてくれない。とりあえずテクテクあるきつづけてなんとかたどりつく。丘の上にあるのが見えているのにそこに遠まわりするしかなかった。ここに列車で来た人はどうやって行っているんだろうか。
平型関大捷紀念館
正面入口は閉まっている。裏にある建物に人がいるのでたのんで開けてもらう。気付かずに帰ろうとして駅に近道しようとおもい紀念館から降りたところを左に上がっていったら裏にたどりついてわかった。しかもそのときは人がおらず、しばらく休憩していたら車でたくさん人が来たので開いた。
平型関のことだけに焦点をあてている。いちおう平型関正面の閻錫山のこともあつかっているがおまけ程度。八路軍が大勝利したのにこいつらが撤退して台無しにしたみたいな記述はなかった。日本軍はあちこちで虐殺をするくらいヒマであるらしい。さんざんつっこまれたからか、退治した日本軍の数が千強に、二十一旅団の主力ではなく後続部隊及び輜重車隊とだいぶ実態に近づいていた。その代わり、板垣師団の主力数万を撃滅したと宣伝したことは隠してある。
この紀念館はもともと林彪が毛沢東の後継者の地位を確立したときに建てられ、権力闘争に破れてモンゴルで墜落死したあと廃止されたらしい。その後80年代になって115師の副師長だった聂荣臻が復活させたらしい。
紀念館への入口の三叉路の右側に老爺廟がありそこでバスのことをおしえてくれるというので行ってみたらバスは一時間半くらいあとの5時すぎに来るという。寒くてそれまで待てない。降りたらもっとあるかも、ということなので降りることにした。この老爺廟の老爺とは関羽のことのようだ。八路軍との戦闘でこのあたりが激戦地になったらしい。しかしもともと話が大きかったときに激戦地を設定した名残ではないかとおもう。丘の取り合いがあるような規模の戦闘だったのかどうか。
歩いて下っていくと、その主戦闘があった谷が右側に見える。折角なのでそこに降りてみた。まわりに木がないので伏兵が可能だったように見えないんだが、その谷の入口が急に切りたっているので隠れるのは可能だったんだろう。ここでの戦闘が八路軍にとっての大きな経験になったのは事実だろう。
ずっと下の三叉路まで歩いたが、途中の村がなかなか雰囲気よかった。三叉路で30分くらい待ってバスをつかまえたら霊丘まで10元とられた。すこし高いがしかたない。寒かったのであんまり待ってられない。霊丘のバスターミナルからしばらく歩くと駅がある。そのあたりの安宿に20元でとまる。その後北京方面行きを調べたら、どうも深夜から早朝にしか走っていないらしい。うーむ。窓口も開いていなかったので切符はかわず帰ってきた。
ホーロー麺、陝北みたいなのは陝北にしかないんだろうか。他のところだと押しだした丸い麺に醤油系のスープでそぼろみたいなのをかけるのが多い。霊丘の駅前で食べたのはやはりそういう麺に味卵、油揚、硬い豆腐がのっているもので、なかなかおもしろかった。大蒜くれと言ったらそれをくれたあとから茹で汁がでてきたが、すくうプラスチックの杓のままででてきた。そのまま飲むものらしい。
ビザが切れるまであと10日くらい。もう天津からフェリーで帰ろうかなぁ。その場合来週の金曜のフェリーになる。いっそパスポートを買って、そのパスポートのための中国ビザを買うという手順でもう一ヶ月いるというのもいいような気もしてきた。
山西博物院
昔行ったのにまた行った。山西南部は中華民族の根みたいなことが書いてあるが、甘粛南部にルーツのある彩陶なんかは説明なしでそのまま置いてあったりする。臨汾に華国鋒による「華夏之源」という石碑があったが、もうそのころから、堯が歴史時代の最初という位置付けがされていたんだろう。尚書が堯典から始まるからだとおもうが。
180万年前の石器とかいうものが平気でおいてあったりする。
ゾロアスター教系のレリーフがある墓の墓誌をみてみると、出身国の国名のところが二箇所とも彫り直してある。魚国出身ということでどこなのか不明なわけだが、削って彫り直してあるから本来別の字があったんだろう。ちなみに展示してあるのは写真を貼りつけた四角い箱なので、本物はどこか別のところで展示されているんだろう。精品は北京の国家博物館にあったりするんだろうか。
写真とりすぎてつかれた。その後閉館間際の石炭博物館にいったがだれもおらず勝手に入ってザっとみたが、本来60元するところらしい。科学系の博物館らしい展示のしかただった。
太原くらい人口があると、USB棒も混雑して接続しづらいらしい。
武郷には石勒の像がある。
お経は頭から音で読んでひっくりかえったりしない。昔は般若心経を暗記していた(今は途中でつまる)ことを考えると、頭から音読みでいちいち読み下したりしないのはお経の読み方の応用だったんだろう。
スマホが拓く世界市場 和製「LINE」ヒットの裏側 :日本経済新聞
カオスちゃんねる : 志茂田景樹人生達観しててワロタ
武郷 → 榆次 新空調硬座 21元
榆次 → 太原 市バス 3元
榆次に「老城」(旧市街)というのがあったので気になって行ってみた。しかし武郷からの列車が3時間くらいおくれたので午前中ずっと駅にいた。行きのときよりは霞み具合が少なかったので景色もよく見えた。
榆次の旧市街は結論から言うと行かなくてもいいかも。地図に城壁が書いてあったので残っているのかとおもったが全然残っていない。しかも旧市街のあったところは居住区ではなくなっている。どうも住民を全部追い出したようだ。そして値打ちのあるものを残して残りは全部ぶっこわし、商店街みたいなのをつくったがそこにはお化け屋敷などが入っている。つまりテーマパーク的な利用しかされていない。民俗博物館みたいなのがあってそこは見甲斐がありそうだったが60元するということで入らなかった。まぁ60元払えば県衙門も寺も入れたわけで.... まぁいい。
老城から太原駅行きの市バスがでていたのでそれで太原に行った。駅の西北あたりに安宿街があった。適当にさがして20元。
国立国会図書館関西館所蔵中国連環画書名一覧: アジア情報室通報 第9巻第4号 | 国立国会図書館
昔太原に来たときの日記をみたらなかなかおもしろい事が書いてある。うーむ。
Vivek Express - Wikipedia
中国はインド方面以外の四方が出入口になっているのでたとえば上海ウルムチ間の列車はそれはそれで移動の意味があるが、インドはそうではないのでアッサムからカニャクマリまでとかあんま使えなさそう。
ここ一年トマトジュース毎日900ml一本飲んでるけど質問アル? - まめ速
うまいよトマト。中国でよく食うのがトマト卵炒め。はずれなし。麺でもトマト卵麺とかよくある。栄養高いのに肉が入ったのよりも一段安い。
榆次 → 武郷 硬座 10元
朝駅にいって切符を買うと、事前に調べていた中で一番遅いやつがあたる。それもいいかとおもっていたのでそれにする。昨日まで珍しく天気がよかったが今日からまた霞みだした。この路線は高いところを通るのだが、遠くまでみえないのが残念。まぁしかし意外と見晴しのよい地形ではなかった。
武郷につくとバスターミナル行きの市バスが目のまえにあったがそれに乗らずあるいて降りていくと八路軍太行紀念館まで2.5kmとある。ならすぐだ。ということでしばらく歩いたら着いた。しかも月曜なのに開いていた。さすが山西省、まともな博物館は共産党関係だけか。
八路軍太行紀念館
どうでもいいが記念館と日本語で書くところを紀念館と書く。訳してしまうかしまわないかこの日記でも統一していない。
国共合作による八路軍の成立から日本の敗戦までをあつかう中共様自画自賛の展示。左権がいつのまにか死んでいたが、実は日本軍の小部隊が八路軍の司令部まで潜入して殺したとかそういう都合の悪いことは扱われない。だいたい百団大戦の戦利品として展示してあるものが百団大戦の作戦図だったりするから杜撰にしてもいいかげんすぎる。まぁ中国人相手だしそれで十分なんだろう。宣伝ビラの実物とか置いてあっておもしろかった。発行していた雑誌や冊子がズラーっと展示してあったが、時間がなかったので写真をとらなかった。展示してあるパネル写真を撮るかそういう実物を撮るかすこし悩む。パネル写真はだいたい値打ちがないものが多いが展示の意図がわかる。実物はえっとおもうようなことが書いてあったりする。実物を撮るべきなんだろうなぁ。
展示されている武器の質感がなかなかよかった。日本軍の武器がみたかったら中国に来たらいいんだろうなぁ。あと、日本軍からぶんどったという品のなかにエンジンの部品なんかが結構あるのは冗談のつもりなんだろうか。
閉館時間をちょっとすぎるところまで居たが、出ていけとか言われなかった。たまたま閉館間際に説明嬢に金を払った人がいてギリギリまで居てくれたのが幸いしたのだろう。それでもすぐ出ていけとか言わなかったし、前で写真をすこしとってから敷地を出たらすぐゲートが自動で閉まりだした。他のところだったらすぐ出てけとかなんとか言うところだ。やっぱり田舎は人がいい。
町の中の宿に泊まる。20元。バスターミナルの横は見掛けのわりに設備がよかったが近くに飯食うところがないのでやめた。
西安のユースからなぜかLinkedInの招待がきた。うーむ。これ以上SNSが増えてもなぁとおもいつつとりあえず登録するが謎すぎる。面倒くさいからあんまりやらんとおもう。
そういうと、太行紀念館に国民党側に寝返りをうながす宣伝ビラがあったがその中に八路軍との比較として国民党側はヒモでつながれたように行列をつくらないといけないが八路はそんなことはないみたいなことが書いてあった。写真にとったがよく読めない。こういうときいいカメラだとよく見えるんだろうなぁ。
我が国の資源調達の現状、というか現場(メモ): やまもといちろう
孝義 → 介休 マイクロバス 10元
介休 → 榆次 硬座 8元
孝義の博物館に行ってみたら閉まっていた。もう山西の博物館には期待しないことにして、介休までさっさと行く。介休で武郷まで行くバスをさがしたがない。迂回することになるのでそれなら鉄道で安くゆっくりいっても変わらない。ということでとりあえず楡次までの切符を買うが満席つづきで午後の3時発になる。まぁ一番安い列車にあたったからいいのだが。
ついでなので介休の博物館にも行ってみた。住所と現実を比較すると、どうも后土廟が博物館のことらしい。そしてなにやら改装中ということで閉まっていた。大型開発をするようだ。スーパーで本を買ってその後延々読む。古典の豆本みたいなのはすぐ手に入る。
楡次についたら駅前は寂しい。たぶん宿などはバスターミナルにあるんだろうがどこにあるのかよくわからん。駅前をぐるぐるまわると結構高い。すこし離れたところにあった線路沿いの宿が一泊25元だったのでそこにする。ここはシャワーがあったのでひさしぶりに体を洗う。うーむ。まぁ昨日の宿は5元足したらシャワーつかえたののだがケチって入らなかった。
九時くらいに漢画像石博物館に行ってみたが開いていない。ぐるっとまわってみると立派な建物の半分はホテルになっている。ホテルを建てるダシに博物館をつかったのかなんなのか。横に文物局の入口があったので入ってそこにいた人に博物館がいつひらくのか聞いてみるとニヤニヤしながら下をむいて今日は休みで月曜開くとかほざく。絶対ウソついているなこいつ。博物館前の掲示には日曜休館と書いてあるのに。まぁこんなところをアテにしていた自分がバカだった。宿に戻って荷物をとり、USB棒を回収するために石楼にむかう。
離石 → 石楼 バス 30元
石楼 → 交口 マイクロバス 15元
交口 → 孝義 マイクロバス 28元
昨日来た道をもどるのもなんかなぁ。しかも半分寝ていた。石楼で宿にいって「これくらいの大きさで白いものを忘れたのだがなかったか」みたいなことを聞いたらすぐでてきた。よかった。田舎で失くして。すぐバスターミナルにもどって今度は孝義行きをあたってみる。交口のりかえということでとりあえず乗る。途中高い峠をとおったがなかなか見晴しがよかった。昨日は夜だったので見えなかったのが残念。交口から孝義まではひたすら降下。一回小さな峠を越えただけでずーっと下りだった。しかもバスの乗客のかなりが太原行きにしていた。60元ということで孝義までの値段を考えるとかなり安い。あのまま行くんだろうか。
孝義についたら5時前だったので適当に前をあたって、最初に聞いてみたところが15元だったのでそこにする。そしてUSB棒のチェックだ。
近くに博物館があったので行ってみたがなんか違う気がする。うーむ。
2月末の春秋航空の高松行きがむちゃくちゃあがっている。茨城行きにするか、フェリーで帰るか...
中国から国会図書館のpdfがダウンロードできなくなっていたが、どうもこの2月から国会図書館のpdfダウンロードの仕様がかわったらしい。ダウンロードスクリプトの利用者から連絡があってわかった。まぁしかしあれ使っている人いるんだな。といっても作りなおしても公開するかどうか。なんか商売する奴とか使ってそうな気がするな。公開していたって誰からも反応がなく、使えなくなってはじめて連絡があるのだから、公開していたってしかたない。だれでもやる気になれば作れるが用途は限られているので作ろうとする人が少ない。しかしサーバの資源は限られているので公開すれば競合者が増えてサーバに負担がかかりダウンロード速度が減る。中には無茶をしてやたらたくさんダウンロードする奴もいるかもしれないし商売用途で全部ダウンロードしたりするやつもいるかもしれない。そういうのがファイルを融通してくれるならいいが見込み客に対してそこまで親切じゃないだろう。やはり隠しておくべきか。
紅軍東征紀念館
石楼の町の東の高台にあるのですぐわかる。といいつつバスターミナルから2kmくらい離れていると事前にわかっていなかったら道に迷っているところだった。ネット上の地図サービスではgoogle地図だけが場所を表示していた。
ここは午前と午後の一時間づつしか開かないらしく、起きるのが遅くて急いでいったが全然あわてることなかった。午前は10時から11時。
1936年の2月後半に東への遠征を開始し、3月末にコミンテルンの決定をうけて方針を変更したがそれから撤退完了まで一ヶ月あまりかかっている。もともとの陝北の主の劉志丹は方針の変更後になぜか東征に出発し、黄河を渡ってからまもなく戦死している。戦死の詳しい状況を紹介した文章が展示してあったが、なぜか流れ玉が左胸に当たって死んだらしい。いろいろと邪魔だから殺されたんじゃないのとおもわないでもない。
記念館の人によると武郷にある八路軍太行記念館の方が充実していてよいとか。まぁ行くつもりだったが確実に行くことにする。
石楼 → 柳林 バス 22元
バスターミナルに行ってバスを聞いたら離石行きも柳林行きもおなじく12時半にでるという。ついでなので柳林に行ってみた。
農業学大寨のときに山を極限まで切りひらいて棚田をつくったのを、今度は退耕植林とか言って植林している。もっと普通にできんのかとおもうんだが。
柳林はビルが林立するところだった。黄土高原から降りてくると落差がなんともいえない。適当にバスをおりて柳林の中心に行ってみると昔の町並みを明清街という名前でのこしていたので意外とおもしろかった。元宵のころに街中の各町で移動神社みたいなものを出していたらしく、出しっぱなしにしてあったりビニールで包んであったりした。日本の神社も昔は移動式の祠だったらしいんだが、こういうのをみると関連性を考えてしまう。まぁ本来の山岳信仰と祠信仰は別物だからあとから入ってきたものだと言えばそれでしまいだが。
柳林 → 離石 中型バス 10元
街中にあった地図をみると鉄道の駅があったようだが、どうもそれは人間が乗るところではないらしくみつけられなかった。近くにバスターミナルがあったので離石行きを買ったら中陽行きというのにのることになる。道路地図をみると離石に着く前に南にまがるようだったのでどうするのか見ていたら、バスをのるかえるだけだった。ただ、運転手が離石に行くバスをつかまえられず、市バスをつかまえていた。
市バスでどこで降りたらいいのかわからなかったが、長距離バスターミナルらしきところでは降りず、賑やかな広場で降りた。するとそこが中心もしくは中心の端だったらしく、すぐ近くに新華書店があった。入って地図をみるが鉄道の駅がどこにあるかわからない。漢画像石博物館というあんまり興味をひかない博物館の位置はわかった。とりあえずそっちの方に歩いてみると、途中のバス停の表示でその博物館が市の博物館であったことを知る。たぶん画像石が目玉だからそれに名前を変えたんだろう。そんならまぁいいかも。行ってみたら大きかったのでここで泊まって明日行ってみることにした。
ということで博物館を起点にして宿をさがし、20元のところをみつけて泊まる。
飯を食いにいったら炒悪というのがあったので食べてみたらコンニャクの炒め物みたいなものがでてきた。土豆粉とか言ってたので原材料はジャガイモらしいんだが。なかなかうまかった。
新西遊記で牛魔王の息子の手下が火車子に乗って出るとか言ったので車輪にのってでてくるのかとおもったら、ガンダムのドダイみたいなのにのってでてきていた。
USB棒がみあたらないのでネットに接続できない。石楼に忘れたか。飯をくったときにすこしノートを取りだして書いたりしていたのでそこに置きわすれたか。まぁしかたない。
そういうと臨汾の町は運城とか侯馬よりも町が新しく見え発達している感じがする。
しかしこれからどこ行くか検討していると、カシュガルからこっちダラダラしていたのがものすごく無駄に感じる。時間が足りない。まぁやる気がなかったからしかたない。実際これから余っているのは20日を切っている。まぁ行けるだけ行くか。
臨汾博物館に行ってみた。湖の横ということだが、人民公園のはずだったところは大学のキャンパスになっていた。その横の高台になかなかカッコいい塔があり、そこかとおもっていってみたら博物館があった。しかしあったのは塔だけだった。寺はただの入れ物になっていて、毛沢東の像があったり建物が試験会場になったりしていた。おそらく師範大学の建物として使われていて今でもその名残りで使われているんだろう。博物館はこれからか。昔は本堂だったとおもわれる建物の前に元代の地方官を称える石碑が無造作に転がっていた。もうちょっとまともな扱いした方がいいとおもう。
しかしこのあたり文化財に対するあつかいがぞんざいな気がする。侯馬の晋国古都博物館の敷地内には石碑が集められていたが、どれもこれもヒビが入っていた。そのかわりというか大きな骨董市場があったりする。うーむ。
堯都区の博物館があるらしいが場所がよくわからない。新華書店で地図をみていたらどうも堯廟のことではないかとおもい行ってみた。堯廟もそれなりの額だったので入らなかったが、よこに华门(華門)というでかい門があった。堯廟周辺では華国鋒による「華夏之源」という字くらいが見物か。「中華民族」の聖地にしようというのだろう。文革終了直後にもうこんなことをしているわけだ。
あと、巨大な骨董市場があった。
臨汾 → 石楼 バス 62元
帰りに長距離バスターミナルに寄ってみると、どうやって行こうかとおもっていた石楼県に行くバスがちょうどある。4:20出発らしいので荷物を宿から回収して乗った。62元と結構高い。
黄土高原に突入すると峠は寒くバスの窓が凍る。蒲城県とか通ったが予想通り石楼に着く前に日がくれて何もみえなくなった。石楼の近くはわりとおもしろそうな風景だったようにもおもうがまぁよく見えなかったのでなんともいえない。たぶん変りばえのしない風景が続いていただけだとおもう。着いたら真っ暗だったが適当に宿をさがした。30元。寒いし暗いのであんまり頑張らなかった。
ロクシャンなのか。そんならそういうことだわな。
赵城金藏_百度百科
この冒頭にある物語は共産党が日本の魔手からお経を守ったという抗日ストーリーにしたててある。どこかの紹介文をコピペしたものであろう。
その下の方にある収集の詳細では有名になったとたん散逸が始まっているうえに、共産党の管理下のときになくなった物まである。
《赵城金藏》传奇_:腾讯网
こちらに書いてある経緯からすると、共産党がひきとったが保存状態が劣悪だったためにひどい状態になったというふうに読みとれる。だいたいすぐそこに本拠地を置いていた日本軍が本当に奪いに来たのかどうか。共産党の管理が不行届だったことを隠蔽するために抗日ストーリーにしたてているのではなかろうか。
昨日からなんか寒いなぁとおもっていたら、ここから北の山地は氷点下の世界が広がっているらしい。このへんは最高気温が1度くらいまで上がる。うーむ。まぁ防寒着のおかげで外にいてもそんなに寒くないのだが。
rsyncでファイルを上げるとして、差分をどうやって比較しているんだろう。差分比較のために交換する情報量が多ければ、流量削減にはならなくなる。とおもってパケットキャプチャで観察したがたしかにそんなに大量には流れていない。うーむ。どうしているのか。
運城 → 侯馬 新空調硬座 11元
運城駅は人が多く、すぐに切符が買えず9時半のには乗れなかった。ということで侯馬に昼過ぎ到着。博物館に行くが開いていない。警備のところにだれもいないので飯を食いにいってまた戻ると、おっさんが来て博物館を開けたが、自分のスクータを中にとめると閉めてさっさとどっかに行った。駐車場か...
博物館の敷地内の正面の建物の壁にローラースケート場みたいな看板がたっていてガンガン音楽をかけている。中にはいってみると、一段低いところに広くて暗い部屋があり、宮殿みたいに太い柱がならんでいるがその間を若いのがたのしそうにローラースケートしている。まぁ古い建築物の新しい使い方みたいなもんなんだろう。
晋国古都博物館
まぁ上述した通りすぐに入れなかったが、2時すぎに開くとの情報を得、ひまわりの種を買って石碑を眺めてひたすら種を割って食うが一向に開かない。2時半くらいになって警備のところにいくと若いのがボーっとテレビをみていた。言われてはじめて面倒くさそうに博物館を開けた。彼らは本当にやる気がなさそうだった。なぜあんな若くて博物館に縁がなさそうなのが博物館の守りなんかしているんだろうか。
一階は晋の歴史がまとめてあってなかなかおもしろかった。というか晋が一度分裂していたとか知らんかった。春秋時代って簡単に言うと晋によって定義される時代だったのか。二階には製銅施設から出土した青銅器の型なんかがあった。
侯馬 → 臨汾 新空調硬座
運城駅も侯馬駅も検査がやたらきびしくなっていて、両方ともカバンの中にナイフが入っているとかいわれて調べられた。十徳ナイフをとりあげられそうになったが中国語わからないフリをしてなんとか切りぬけた。しかしこの調子だとこの十徳ナイフ、北京に着くまでに無くなりそうだな...
こっちの列車はムチャムチャ混んでいてなかなか大変だった。風景もよくみえなかったが、黄土高原に入ったのはとりあえずわかった。
臨汾ではとりあえず南の方にあった30元のところに泊まったが、西の方に長距離バスターミナルがありそっちの方に安宿が並んでいた。選択をあやまった。昨日よく寝れてないので写真を整理している最中に寝てしまい、夜中隣の部屋のやつの大声の電話で目がさめてとりあえず日記だけ書く。
もう全然落ちてこなくなったが昨日おとした分だけで10G程度あるからスレで報告している人は何かまちがえているんだろう。しかしのこり8Gもあるのか?
さぁ元宵節も過ぎたぞ。これで博物館開くかね。
行ってみたらあんまりにひどかった。待って損した。河東博物館の中は書画展しかなく、その上展示室は開いてなかった。墓誌も並べてあったが明清ばかりで読んでみてもおもしろいことは書いてない。結局門くらいしか見るところなかったので中に入る必要なかった。
「ライバルは隣の客」 回転牛丼に業界が注目
大停電への懸念 - 新小児科医のつぶやき
いつになったら懲りるのか、またも提携交渉に走るエルピーダ : 湯之上隆
東方雑誌のダウンロードが再開できた。さっさと出発しようかとおもったけどもう一日いてこれのダウンロード完成させるか。
昨日ファイルが落ちてこなくなったのは、単純に鯖がおちたせいかもしれない。
全部で16Gだった。
一応博物館をチェックにしにいったが当然のごとく閉まっていた。広場で元宵のみせものをやっていた。
アイドルブログのコメント欄から見る、「君と僕の関係」 - インターネットもぐもぐ
北欧の「100円ショップ」が関西上陸へ - MSN産経west
東方雑誌を愛如生からダウンロード中。国学数典によると全部で18Gあるそうだが愛如生の当該スレには全部で10G程度しかないと書いている人がいる。どうなんだろう。
三門峡にあった三味奇といううまいパン屋の支店があるのをみつけた。袋の支店一覧によるとほとんど三門峡市内だが他に運城と鄭州にも支店を出しているらしい。うまいパン屋というのはなかなかないもんだが、中国の、しかもあんな微妙なところでみつけるとはおもわなかった。
新浪共享にあるちょっとやばめの古い本は消されていく傾向にあるようなのでみつけ次第落としたほうがいいんだろう。
東方雑誌をおとしすぎたせいか、愛如生から落ちてこなくなった。さすがに9G弱も吸いだしたからか。
sshトンネルが細くなる一方で、twitterとかfacebookとかgmailとかみづらいどころか見れなくなってきた。
この宿は暖房何もないが布団が二枚あるので、ずらしてかぶれば頭まですっぽりかぶれる。そうすると自分を熱源としたコタツ状態になるので、ノートパソコンをいじっても手がかじかまない状態となる。
侯馬 → 運城 硬座 11元
さて日和って運城にもどってきた。しかも前回とおなじ宿だ。駅に割とちかいところの20元にしようかともおもったが道路沿いでうるさそうだったのでやめた。実はこの宿一人部屋は15元じゃないかという気もする。
sshトンネルがなんか遅くなってる。大量にファイルを読みこむ必要がある twitter がなかなか表示されない。Gmail のチャット欄がまともに表示されなくなった。ううーむ。さすがに使いすぎで目立ってきているのだろうか。
トンネルの太さが制限されているようで、数Mのファイルを見るだけでもかなり時間がかかる。大量にファイルを読みこむタイプのページは同時に二つ開けない。うむむ。
公安調査庁「内外情勢の回顧と展望」(平成24年版)
これによると
【911】NAZENビラできました! | NAZEN ~すべての原発いますぐなくそう!全国会議~
は中核派らしい。
夢。靴の中にラブレターがへばりついているのに気付く。長い間靴の中で踏まれすぎていて全部は読みとれなかったが、何度も靴の中にいれたが返事がなかったけど最後にまた入れたと書いてある。夢の中の設定では中学校の同級生(夢だけに名前もはっきりしない)がくれたようだが、田舎から離れて都会の男子校に行った事と今日本から離れて中国にいることの境目が曖昧になっていた。夢だけに。無駄な詮索をあれこれしているうちに目が覚める。
いつ切れるかわからないのでパケットをケチらねばならぬ。
今まで日記ファイルをいちいち全部 scp していたが、rsync したらパケットをケチれることに今ごろ気付いてvimスクリプトを書きなおした。こりゃいい。
firefoxで画像を表示させない設定にしてみた。画面がわかりづらいがパケットをケチるには一番いい方法だろう。w3mつかえばいいという話もあるがw3mはサーバの反応がないと固まるので中国だといろいろ困る。画像をみたいときのために Show Selected Images というアドオンをいれた。
→ むちゃくちゃ速くなった。
晋国の城跡をみにいったがなにもなかった。発掘したが埋め戻したと書いてある石碑があった。侯馬でわりといいスーパーをみつける。
アゴの骨が溶けた話:ハムスター速報
こんな状態になってるかもなぁ...
レッツノートのモニタ部と本体部を接続する部分のネジが片方なくなってしまった。今日電気屋にいってみたが、そんな大きさのネジはないと言われるのみ。うーむ。
まぁ北京か上海にいけば松下の関連会社があってネジくらいなんとでもなるとおもう。
山西南部はどこにいってもどうせ来週になるまで博物館系は開かないんだろうという読みのもと、ジっとしているのだが、それならなぜ北京にいかないかというと、もうすでに北京行きは一週間先までいっぱいになっていて立ち席ですら取れないからだ。すこしづつ移動をしても山西を行くかぎり見れる博物館はほとんどないだろう。なら河南の博物館は開いていたんだから南にいけばよいではないかという話になるがあと数日なのでもう動くのも、ということで動かなかったり。
晋国博物館というのがあると宿のおやじにいわれたので曲村というところまで行ってみたが、ひらいていなかった。行きのバスの中で隣のおっさんが、「在建(建設中)」「没建好(まだ完成してない)」とか言っていたのでダメかもとおもいながら行ったらおっさんの言うとおりだった。そのおっさんがたまたま曲村まで行く人だったのでバスから村への車ののりかえも簡単にできた。
侯馬→曲沃 市バス2元、曲沃→曲村 乗合ワゴン5元。曲村から晋国博物館まではそんなに遠くないので歩ける。帰り曲村発のバスがすぐこなかったので5kmほど歩いた。バス4元。
帰ってから中国聯通にUSBモデム棒を持っていったら金がないせいだとおきまりの返事。とりあえず青海で買った80元のカードをつかって金を入れてみたら使えるようになった。わかったこと。
テレビでアメリカの中国系兵士が自殺したことをやっているがその写真をみると、なんとも精彩のない顔をしている。家族写真でも表情が死んでいるので一人だけ浮いている。自殺したのはそもそも軍隊に向いていないのに議員の親が無理に入れさせたからじゃなかろうか。
そういうとすこし前には日本に帰って農業のボラバイトでもやるとか書いてたな。まぁそれでもいいか。
侯馬のテレビ局が侯馬ローカルの春節番組をやっている。この規模の都市(人口23万)でもそんなのつくれるんだな。これだけローカルだとさすがに顔の傾向がでてくる。
ネットの状況がよいと不急のものをダウンロードしてしまい肝心の地方誌を読まないという罠。何してもダメな気がしてきた。
朝から河東博物館に行ってみたが、まず循環市バスの中で本を読んでいる間に博物館の前を通りすぎ、一周してまたバスを乗りかえたりした。着いてみたら博物館の扉が閉まっている。今度はまわりで聞いてまわってみたところ、博物館が開くのは十五からだとか。正月十五のことだろうから来週月曜からということになる。その辺の掃除のおっさんによれば横の土産物屋が鍵をもっている人の電話番号を知っていて開けてくれるとかいう話だが、最初にそこに行ったときには「中になんもない」とか「正月休み」とか言われたのでそこには期待せず、宿にもどってきた。
塾の仕事に一応応募してみた。
運城 → 侯馬 バス 21元
鉄道とは違うルートを通るかとおもったら鉄道の脇に道があってすこしがっかりした。しかもバスが着いたのも西バスターミナルで前侯馬に来たときとおなじ。おなじ市バスで駅の前に来て今度は怪しい安宿街をあたったが、日本人だから泊めたら罰金とられるということで泊めてくれない。さらに裏の方に行って10元のところをあたったら泊めてくれた。しかし寒い。ちなみに40元のところも泊めてくれると言ってくれたし部屋はやたらよかったがさすがに40元は高いとおもってやめた。しかし暖房利いていたっぽいので30元の部屋があったら泊まったかもしれない。
ということで暖房のない10元の宿にいるがやっぱり寒い。ちなみにここの博物館も閉まていた。一応中庭で写真展みたいなのを開いていた分運城よりよかったがどっちにしても常設展示がみれないのでいっしょだ。ここも十五からとか言っていたので来週月曜か火曜ということなんだろう。山西省は全部そうなのかもしれないとおもってきた。ううむ。とりあえず今日はこの寒い宿に泊まるが寒いので明日運城にもどるかもしれない。ネットもついてくるし。夜になって公安がやってきて追いだされる可能性もあるがそのときはそのまま運城に行くまでのことだ。
うぅむ。USB棒がネットにつながらん。リモートコンピュータに繋がらないとかいうエラーメッセージ。尋常ではないな。2/1の三門峡では朝のあいだ使えていたが、2月だからというのがなにかあるのかもしれない。単純に金額不足とか言われそうな気もする。月単位って一月二月の月単位だったのか? とにかくネットがまったくできないとなるとかなり不便だ。とにかく運城に戻るか。
三門峡市志を読むつもりだったのに、またpdfをいじりたおして結果を出せず時間を浪費して寝てしまった。なんと無駄な人生を送っていることか。どうせこんな時間の使い方しかできないんだからなんか仕事をして金をかせいでいる方がいいんだろう。
pdfの実体はテキストファイルの中に画像などのバイナリが埋めこんであるもので、「ここからバイナリ」「ここまでバイナリ」のようなサインが書きこんであるためpdfからファイルを抽出するのは簡単にできる。exeに埋まっているものの場合はそういう書式がどうなっているのかわからないので難しい。jpgなどメジャーな画像形式は先頭と終端が決まっているが、それでも圧縮されていたりするとその記号がみえなくなることがあるので簡単な処理ではとりだせなくなる。
ダメ元で7zipなんかで解凍してみたりするとなんとかなることもある。とりあえずよくわからない形式のときはよく試す。
ちなみになぜpdfに苦闘しているかというと、新浪共享で落とした夏河県文史資料第一輯とかいうのの全ページに謎の貿易文書の書式がつけてあって、背景となっている画像データの文章が読みにくく、その事を思いだすたびになんとかしようとしてるがまだなんともならない。その書式のデータを削除すればいいのだが、全ページを一発でできるような手順がないと面倒くさくてやってられない。ということで余計に時間を費してしまう。
三門峡駅 → 黄河大橋 9路 1元
黄河大橋南 → 平陸市内 市バス 3元
平陸 → 運城 マイクロバス 16元
三門峡の駅前のバスターミナルから運城へ直接行くバスがあるが22元する。まぁいいんだがとりあえず橋を渡ってみたらどうなるかやってみたところ、結局平陸から運城までは高速を使った。しかも中国ではめずらしく、エンジントラブルで立ち往生してバスののりかえに時間がかかる。そのため、運城についたのは11時前だった。博物館の前を通ったら開いてたが、もう午前の時間がおわる時間だったのでとりあえず宿に行って鍵を返した。反応が素気なかったので泊まらずに博物館に行くともう閉まっていた。そこで宿さがしをせずに門前でじっと待ってみたのだが、午後になって開く時間になっても開かない。一時間待っても開かない。ひょっとしたらそもそも午後はやっていなかったのかもしれない。まぁしかしどうしようもないのであきらめて、今度はバスターミナルの前の安宿街の方にいく。
安宿街で前チェックした奥の方のあんまりはやってなさそうなところに行こうとしたら、その手間で声をかけられる。20元でネットがあるというのでとりあえずそこにした。飯をくったあと、ubuntuの更新をしようとしたのだが、ダウンロードさせたまま洗濯とかして部屋にもどったらネットが切れている。どうもこの宿、他の部屋でもネットをつかっていてそれで文句がでたらしい。とりあえずいろいろ弁解してもう一度つなげてもらったのだが、また切られる。また他のコンピュータがどうのこうのと言っていたが、もうどうでもいいやとおもってとりあえずこの宿を出ることにした。そして受付でその状態を再現させたいといってパケットキャプチャを立ちあげたままルータに直接つなげてみたが、特に問題がおこらない。要するに面倒な日本人にネットをつかわせたくないらしいということを確認して、前チェックしたあんまり人の来なさそうな宿に来た。今のところ問題ない。最初っから客引きなんか無視してここに来たらよかった。
昨日の夜はPDFに埋めこんであるものをそのまま抜き出すものをつくったがうまく復元できず困ったまま寝てしまった。
三門峡市志にはダムの計画が失敗したとは書いてなく、「旧ソ連との関係が変化し、国民経済がしばらく困難だったため」計画が変更したと書いてある。
ダムの建設のために陝州から人を移動させつくったのがこの市だが、その陝州は風景区として残してあるらしい。ダムが満水になったら水につかるということなんだろうか。どっちにしても博物館がそこにあるらしいので今日行って見てくる。
三門峡博物館
旧城内は公園になっていてその中にある。横に北上市との関係でつくった公園がある。小沢関係だろうか。
まぁさすが中国の中とか書いちゃうだけのことはあって、どまんなからしい編年になっている。青銅器のレベルが高い。漢代の副葬品もおもしろいもんがある。そのかわり文物館になっている。まぁ文物が豊富だとそうなってしまうんだろう。足りないところが歴史の紹介に熱をいれると。
夏商周とか書いているわりに夏相当の文物がなかった。文物の他になぜか辛亥革命をメインにした孫文の展示があった。
公園内には他に塔や埠頭などがあった。
次に虢国博物館に行ってみたが、40元だったのでやめて三門峡市内をぶらぶらした。
黄河大橋行きの市バスにのってみたら、終点では対岸の平陸の市バスが接続していて、そのまま平陸のバスターミナルへ行けるようだった。明日はあれで運城まで乗り継いでみるかな。
対岸の平陸が虞国らしい。晋が虞に道を借りて虢を滅ぼし、帰りに虞もついでに滅ぼしたという話は晋が交通の要衝を押さえたということになるんだろう。
日系学習塾専任講師 ※面接地:上海、広州、東京
こういうのもあるな。純粋に金だけでいうとこっちの方がいいのか。
うーむ。日本に帰らずなんとかするという手もなくはないな..
今日は三門峡の方へ逆戻りする。運城まで戻って鍵を返さねば。
駅で切符を買うと午後3時前の列車だったので、ちょっと龍門石窟をみにいった。といっても入場料120元だったので入口の前まで行ってひきかえし、橋から洞穴の入口を眺めて帰ってきた。
洛陽 → 三門峡 新空調硬座 20元
洛陽から西は平原ではなくなだらかな山地になっているので乾いた大地の丘などを眺めながら三門峡についた。三門峡駅はすぐちかくにバスターミナルがある。そこで運城行きがほぼ20分置きにでていることを確かめたあと宿さがし。といっても駅の横にある招待所が電光掲示板で20元からとか書いているので相当安いところがあるはず。という見込みで駅の前の奥の方にいったら、その先の崖下にヤオトン(窑洞)の宿があるのをみつけた。10元。10元だから布団とかそれなりだがテレビもあるし水も出るので上出来だ。コンセントの位置もよく、布団にもぐってテレビをながめながらノートパソコンをいじれる位置にある。なんかここに長居してもいいような気がしてきたがまぁ運城の宿に鍵を返しにいかねばならないからそれはいいか。
ヤオトンだが本当に外気よりも暖かい。洛陽の宿よりも暖かいのはたしかだ。
三門峡ダムと黄河の水力資源開発
そういえば日本も中国各地にダムを設置して治水発電に供する計画を立てていたけどそれとの関連はあるんだろうか。
三门峡水利枢纽工程 - 维基百科,自由的百科全书
日本も三門峡にダムをつくる計画があったしその前にも国民政府が立てた計画があったらしい。
アマゾンのギフト券って期限が来たら消えるのか。
洛陽古代芸術博物館
これは古墓博物館といっていたのをこういう名前に変更したらしい。古墓だとあんまり人がこないんだろう。行ってみたらカップルばかりだった。デートスポットであるらしい。
北魏の景陵の横に墓をたくさんあつめて公開してあり、博物館なんかに展示してあるものが本来どういうふうに置いてあったものかわかる。宋の墓室が木造建築風にしてあるのがおもしろかった。景陵自体は中をいじっているらしく入れなかった。
帰りに八路軍弁事処を見にいったが閉まっていた。
『ジャンボフェリー』公式サイト|神戸/大阪~高松/小豆島/うどん県/四国フェリー&高速バス
うどん県と書いてあるのを見て目をうたがった。
高松空港 → 高松港 連絡バス 600円
高松港 → 三宮港 フェリー 1800円
やはり春秋航空で高松行きに乗った方が安いな。問題は春秋航空を安くで買うには前もって買っておかないとダメだということか。
日本へ帰るのに茨木空港行きで東京方面に直接行くという手もあるが、その場合住所なんかが不定のままになるので、一度京都に帰ってその辺の手続きをしてから東京方面に行くという手順になる。まぁ東京方面に行かずに京都周辺でなんとかするという手もなくはないが。パスポートを北京で更新するという裏技もあるがどっちにしても金が尽きそうなので、まだ若干余裕があるうちに帰った方がいいだろう。日本に帰ればどうせすぐなくなるのだから。まぁこっちで仕事をさがすという手もなくはないが自分のような道楽者を雇うような会社はなかなかみつからないだろうからそれにも期待しない方がいい。
常勤日本語教師
こんなんもあるが月給9万程度か... まぁそもそも雇ってくれないだろうしなぁ。
昨日みつけた石碑に「我最高領袖 xxx」みたいな表現があったのだが、『汪主席蒞漢紀念錄』という本でも汪兆銘に対してそういう言葉づかいがしてあったので、当時普通の表現だったんだろう。石碑のその文句の下は削ってあったが、この本の例にならえば、蒋主席とつづいていたと予想される。
【2ch】歴史的大敗 : 【文化】世界遺産候補の「古墳」、ただの「塚」だった
漢魏の洛陽城の跡を見にいった。白馬寺行きのバスが1.5元と安い。白馬寺に着いてとりあえず白馬寺の入場料をみてみると50元とか書いてあるので無視。適当にその辺から南下して線路をくぐり歩いていったが延々と畑だった。城壁らしきものはあった。
石碑のようなものが煉瓦で積んだ低い構築物の蓋になっていたので登って何が書いてあるか読んでみると、民国29(1940)年5月31日の日付のあるもので、「抗戰陣亡將士榮誉公墓」と真ん中に大きく刻んである。その両側には細かい字でいろいろ書いてあるがよく読めなくなっている。こういうものを粗末にあつかう神経がよくわからんのだがまぁ中国人だからしかたない。
とにかく何もない。なぜかこんなところに砂利or砂取り場があったのだがあれは洛河の氾濫でこの一帯にそういうものが堆積したということなんだろうか。塀で囲ったところに何かの基壇のようなものがあったがあれは寺の遺構であったようだ。北の方にいくと宮殿跡や門の跡があるらしいがそちらも塀で囲ってあった。どうも観光資源として開発するつもりなんだろう。
バスで旧市街の方に行った。なかなかよい。昔のメインの通りが残してあって、倣古街風の再開発がなされているが、たぶん昔やったんだろう、かなりススけている。というかそのすぐ北に大通りが通してあってそっちが今の繁華街となっており、メインの通りだった方は裏通り化していて並んでいる店も葬式関係が多かったりする。しかしボロさ具合がなかなかよい。こっちに宿を取ったほうがおもしろかったかもしれない。
周公廟というのも見たがあんまりおもしろいものでもなかった。
USBモデム棒でネットに接続するとその度にIPアドレスがかわる。当たり前だが気付かなかった。
洛陽博物館ののこりをみて帰ったら山東衛視で水滸伝(新)の童貫高俅の梁山泊討伐のあたりをやっていた。なかなかおもしろい。
裸の水軍が弓もって水面に現れて矢を放って官軍総崩れとか話盛りすぎだろ。抗日ドラマじゃあるまいし。
除染バイトだが、20000円で募集しているところをみつけた。25000円のところもあるというので探してみる。
【瓦礫】他県から東北に行ったやつ 6日目【除染】
どうもあやしいなぁ...いそいで帰って無駄だった協力隊の二の舞になりそうだ。こんなのに期待しないことにしよう。
まだ開始していないものの募集がはじまっているというのは、どれくらいまで安く設定できるのかを確かめる意味もありそうだ。
職安サイトで今度はフリーワードというのをつかって検索してみたところ、もっと確実なものをみつけた。探すなら帰ってから探したほうがよさそうだ。
米国のシェールガス大増産、ドル高・円安要因との見方 | Reuters
これは... 日本が原発やめてガス発電に転向して買いささえるという構図かな。
洛陽博物館だが、基本展示はなぜか宋で終りだった。流出文物なんかの一覧表があったり客家なんかの言及があるのになぜ金以降がないのか。北魏の展示なんかも力がはいっていて、中共お得意の「民族大融合」とか説明があるくらいなのに金元についての展示がないのは謎だ。
宿でコンピュータいじったりしていたので出発が遅れた。洛陽博物館の場所を古い地図で確認したら歩いていけそうだったので、宿さがしのついでに歩いていったらそこは民衆芸術博物館とかいうのになっていた。要するに市民文化会館のようなものになったらしい。77路のバスでいけるということだったが歩いていくうちに目の前をバスが行ってしまい、結局博物館まで荷物をかついだまま歩いてしまった。到着は昼ごろ。着いたら荷物預けるところがなく早速後悔した。
洛陽博物館
昼過ぎに着いて午後一杯見て閉館時間でおいだされてしまったが、後悔した。後悔というのは運城なんかでダラダラせずにさっさと洛陽に来ていればよかった。夏の都があったと平気で書いてあるのはまぁ話半分で見ておくとして、この辺りが一番繁華な地域だったのはまちがいないだろう。隋の煬帝が大運河をつくって江南と河南をむすんだのがその地位からの転落の契機となったんだろう。
河東の方に行って知ったのは、あのあたりで黄河が黄土高原から盆地に流れでて、しばらく盆地の中を通り、また三門峡なんかのある峡谷をくだるという具合になっていた。その盆地の中では黄河は砂を大量にもたらして黄河は砂浜の中をながれている。禹なんかの治水伝説はこの盆地を舞台にしたのはまちがいなく、夏みたいな政権があったとしてそれは河東の方ではなかろうか。
そういうと天水博物館でオーパーツみたいな感じの謎の青銅に玉をはめこんだ楯のようなものがあったがそれはここでも出土していた。
また明日のこりを見に行く。
帰りのバスで町の中にカルフールをみつけたのでそこで降りて宿をさがしながら駅の方に歩いていったがなかなか安いところがみつからず、結構駅の近くになって15元と電光掲示板で流れているところをみつけそこにした。15元のところは窓がなかったので20元の部屋にした。それでもシーツもきれいだし昨日の宿とは大違いだ。あとになってその宿の駅側から奥に入っていく小道の奥の方に安宿が密集しているのもみつけた。まぁこの宿でいいとおもう。ここはパスポートを出すと登記しなかった。
この宿で鍵をもらったときに、運城の宿の鍵を返していないのに気付いた。運城に行く用事ができてしまった。
unoconv よりも wvText の方が速いがみづらい。
Linuxでうっかりrm -rfしちゃったけど復活出来たよー\(^o^)/ - y-kawazの日記
extundelete
洛陽行きの切符を買ってきた。14:54出発で時刻表検索サイトによると21:55分洛陽到着の慢車。河東地方は結局博物館行ってないし歴史古い土地なのでまた来るかもしれない。洛陽から三門峡→運城→侯馬とあがっていってそのまま太行山に突入保定のあたりにでて北京とかでいいかな。あと一ヶ月くらいだから今のペースでチンタラチンタラしていたらそれくらいすぐたちそう。
iPadの解像度を知るべく仕様をみていたらそれとは関係なしに高度3000mまでとか書いてあった。中国ならすぐ5000mくらいのところまでいけるのになんで実験しないんだろう。
iPad2は1028x768とこのノートパソコンと同じレベル、そろそろ出てくるiPad3は2048x1536らしい。なるほどiPad3くらいになればかなりいい。
価格コムで調べるとこういうタブレット系は安くても3万程度するようだ。うーむ。人民元でいうと2-3000元というところか。高いな。
防寒着を買ったせいで服がすこし余ってしまい、リュックが再びパンパンになって担きづらくなった。縫ったところもホツれてきているのでまた傷口が開くとおもう。全部着る、もしくは捨てればいいんだろうが。
運城 → 洛陽 硬座 27元
黄河を途中わたったが、冬のせいか水量がすくなかった。途中何度も停車したわりには時間どおりについた。停車も時刻表通りだったんだろうか。
洛陽には22時すぎに着く。適当な宿20元。しかしこの宿はひどすぎるので明日移動する。
もういっそ洛陽まで真っ直ぐ行こうかともおもったが、受付のおばちゃんが「続費?」とか聞いてきたのでそのまま払ってしまった。
No.21557 外国人ばかり雇う企業の行く末 - コピペ運動会
ここ数日ダウンロードしているが、ネットが速いのは中国国内で中国鯖から中国企業が春節休みのときにダウンロードしているからなんだろうな。こういう環境でMegaupload死亡とかの影響はあるんだろうか。
しかし宿代20元のところもあることを考えると、ノートパソコンさえあれば、ネットカフェのかわりに宿に宿泊とかできそうだ。昨日の夜近くの店でおやつを買ったら、「ネットしにいくのか」と聞かれたが似たようなものだとおもった。
次は北朝鮮に触手?:日経ビジネスオンライン
中東TODAY: NO・2205「弁護士:ムバーラク大統領は無罪だ」
カダフィ派、拠点の町奪還か=国民評議会派と衝突 時事通信
除染作業(復旧のため) - 求人情報詳細 - ハローワーク
職安サイトでも福島時給2000とかで検索すれば簡単にみつかるな。これは特にいい。まず発注元が地元の京都で、作業は除洗つまり洗うだけ。しかも検索できる原発関連仕事のなかでは一番額がいい。かつ浪江町だ。地震後自転車で行っているから状況を比較できる。あと仕事を出している会社のあやしさもいい。震災関係で降ってくる仕事でピンハネしてもうけるために作ったにおいがプンプンする。ただ連絡できないからこれのためにあわてて帰ったりしたらもったいないな。
1930年代から40年代にかけての中国の本を落としすぎて収拾つかない。
面条之路だが、韓国KBS製作であるらしい。こうしてみると韓国マトモだな。なぜか日本がやたらでてくる。
そらそうだわな。中国人が製作したら、雑穀でつくった麺の方が古いとか言いだすはずだ。
初一ということで宿にも人気がない。もともとなくて放置気味なのがいいところなんだが。
下にいって今日の金を払ったら紅包なのか、おかしをもらった。箱には煮餅と書いてあるが、まぁ胡麻のまぶしてある団子だな。
7000円を切る7型タブレットが登場 - Tech-On!
中国国内で80ドル程度で売りだしているということは、500元程度で買えるということか。どれくらい電池もつのか。
详细信息 - 艾诺产品 - 艾诺电子
これによると、音楽プレーヤー状態で25時間、ビデオで8時間とある。ということは pdf等を読むだけなら10時間くらいはもつだろうか。しかし画面は800x480と狭い。他のnovo7には1020x600のものもあり、novo8シリーズで一番広いものは1280x768と、このノートパソコンを横に長くしたサイズのものがある。まぁそれくらいあったら縦にして読めばそれなりに読めるか。これだとビデオで5時間とある。うーむ。しかし小売価格はだいたい1000元弱であるようだ。うーむ。
昨日は愛如生論壇で民国期の雑誌など落としていたが、今日は新浪共享で文物と考古を落としていた。ネット速い。
面条之路という番組をCCTV1でやっている。最後のエンドロールにハングルがでてくるので韓国が噛んでいるようにみえる。中国にしては珍しくバランスがとれた内容で中国万歳みたいになっていない。まぁ新疆での考古的発見、つまり物的証拠があるのは大きいが。
夜はCCTV1の春節番組をみていたが、(ケーブルテレビの信号の具合がわるくてそれくらいしかみれなかった)各民族がでてきて歌ったり踊ったりするところでみな自分たちの言葉をつかって歌っていた。珍しい。さらにいうと、南曲みたいなのもやってた。珍しい。
しかしこの面条之路、徹夜で流すんだろうか。おもしろくて目がはなせんぞ。
結構重要な役で日本人がでてくるな... 新疆出土小麦の判定、製麺法の再現とか
【115网盘】四库全书存目丛书,pdf - 学乐酷
こんなもんみつけた → パスワードが必要なのか。無理だ。
fliiby.comに結構中国の書籍ファイルがあるが、ググるときは Videos のとこで検索すると結構でてくる。
「Megaupload」閉鎖&FBIが運営者を逮捕 - GIGAZINE
ビジョンがなく場当たり的で実行力のない政治家の方がいいことも - fromdusktildawnの雑記帳
中国データのディレクトリ名をどうつけるかが悩ましい。「SiKuQuanShu」「sbck」「siku_cunmu」みたいな方式を今まで試してきたがやはり漢字をまぜた方がまとまるのではないか。
敦煌宝藏 - 爱如生论坛
140冊... これで全部か?
ニュー速クオリティ: 三宅雪子氏、電気料金値下げ副隊長に就任 隊長は川内博史氏
そうでしたっけ。ウフフ
四川大学のどっかの機関とかいうのは儒蔵論壇のことだな。ちょっと真に受けてしまった。
東大など、数十年来の脳の謎を解明 - 脳回路が精密な配線であることを発見 | マイナビニュース
【先が見えないニート必見】福島原発のアルバイトクソワロタwwwwwwww:キニ速
日本に帰ったらまずこれで金を稼ぐのもいいな。
解州の関羽廟まで行ってみたが入場料が閑散期料金で60元もしたので外から眺めて帰ってきた。
続修四庫全書の第1713冊以降がネット上にころがっていないのは四川大学のどっかの機関が金だしてスキャンしたものだかららしい。
108:名無しさん@涙目です。(太平山三吉神社):2011/12/23(金) 23:39:11.09 ID:siFFtSRL0
ダウンロード板でWinMXで逮捕者が続出してどうすんだーって時に
じゃあ俺が作るわって出てきたのがWinnyでしょ
どう考えても用途は違法DLでそれを支援した形だがな
119:名無しさん@涙目です。(住吉大社):2011/12/23(金) 23:43:16.29 ID:U7/xZd5P0
>>108
しーっ
130:名無しさん@涙目です。(玉祖神社):2011/12/23(金) 23:49:30.77 ID:4xMPEP390
>>108
黙ってろよてめえ
Winny裁判で無罪を勝ち取った弁護士「逮捕されるくらいスゴいものを作ってみろ」 : 2ろぐちゃんねる
昆布からバイオ燃料…日本人研究者が方法開発 : 読売新聞
フーリエ変換を10倍速くする新アルゴリズムをMITの研究者たちが開発 jpTechCrunch
さてHDDとネットに余裕ができたので愛如生論壇から落としてなかったのを落としてる。四庫存目叢書とか。
おとした第160冊をのぞいてみるとなぜか「高麗史」が入ってた。第160冊は世家巻第三十八恭愍王一からはじまっている。知ってはいたけどこの時代「蒙古諱」なんて持ってたのな... しかも「伯顔帖木兒」って。
福島原発のバイトだが、たぶん肉体労働としては割がいいんだろうが、プログラマの仕事でもらえる額からするとそんなによいわけでもない。
今日はしばらくお世話になった上着の洗濯をした。
1TのHDD、ext4でフォーマットしなおしてコピーを一からやりなおしてみたところかなり早くコピーできている。たぶん朝までには全部コピーできているだろう。
ext4でフォーマットすると人にあげづらくなるがどうせそんな頻繁にやりとりするわけでないからいいだろう。
バスターミナルの方に行ってみたらその前に安宿街があった。20元でLANケーブルのついている部屋もあった。うーむ。
その後、河東博物館に行ったが当然のように閉まっていた。うーむ。今日はネットをダラダラみながらテレビをながして無駄に時間をすごす日か...
apt-get update したらGPGエラーがでる。中国だけにこわいのでそれ以上進めない。
まぁしかし1TもHDDいらんのよな。中国がダウンロードし放題でなければこんなにファイル作れない。
日立のハードディスクは保障期間内であれば交換してもらえるRMAという仕組みがある。しかも保障期間はそのハードディスクのシリアルナンバーで決まり、どこで買ったかは関係ない。知らんかった。とりあえずこれは捨てずに日本まで持って帰ることにする。
さて新しく買った1TのHDD、放置しておいてもしかたないのでファイルをコピーしようとしたところ、500GのHDDの内容を書きこむのに360G程度で12時間かかった。ちょっと時間かかりすぎなので途中でやめた。しかし1時間30G、2分で1Gとおもえばそんなもんかもしれない。フォーマットの形式が工場出荷状態のNTFSなのでそのせいかもしれない。もう一度フォーマットしなおすかどうか。しかしそういう作業をやりたくなる部屋とやりたくない部屋とかあるので、それ次第か。ここはどっちにしても今日出るので別の部屋で作業続行となる。
しかし中国は春節前で、日本の地方での大晦日前とおなじ状態になっており、博物館とか行っても閉まっているかもしれない。春節を迎えるために停留するのも手か。
朝日新聞:琵琶湖底で堆積物が噴出 地殻変動で圧力高まった可能性
この神戸-新潟線というのはひょっとしてうちの田舎のあたりを通っているのではなかろうか。能勢から京北を通る地震帯というのがあり、京都府のわりには地震の多いところに住んでいた。
侯馬 → 運城 新空調硬座 13元
侯馬で博物館に行くも休み。とりあえず宿を出て駅にいき、運城行きを買う。運城まで一時間半程度。二階建ての硬座にはじめて乗った。眺めはもちろんこっちのほうがよい。ただ、大雑把に行って盆地の縁を走っているのでそんなに風景は変らなかった。
運城につくと駅前の怪しい安宿街がみあたらない。そのかわり駅前にずらりとならんでいるホテルが最低値30元からやっている。しかもチェーンになっているのか、同じ名前のホテルが第6店みたいなかたちでならんでいる。その系列でないホテルもそのホテルに倣い横に流れる一列の電光掲示板で値段やサービスをアピールしている。しばらく先まで歩いてあやしい安宿街みたいなのをみつけたが、30元であってネットもできる?のなら一応聞いてみるかと、すこしもどって系列ではないところできいてみたら、部屋のなかにLANケーブルがあるという。30元のくせに。そしてこの通りネットがつかえる。
運城に来たのは解池をみるためだけに来た。とりあえず湖の方向へいくと、池神廟をみつける。すこし先に湖もみえる。池神廟は共産党関係の施設としてつかわれていたようで、廟の中の神像などはあたりまえながらなくなっていた。一応博物館ということだが、ささやかな展示があった。古代から塩生産の重要な拠点だったわけだが、この解池のまわりに壁が築かれていたらしい。
解池に降りてそのあたりに析出している塩をなめてみたけどあんまり味がなかった。もっと塩辛いものだとおもっていたので意外だった。解池は近づくだけで異様な匂いがした。実験室のような、そういう無機質のイオンかなんかの匂い。場所がわるかっただけでちゃんと辛いんだろうか。
帰りにスーパーに行っていろんな種類の豆の餡でつくった饅頭を買った。饅頭といっても日本のしっとりしたものとちがい、ゴワゴワの皮にボロボロの餡がはいったものだ。豆によっては風味が残っていておいしい。ただ日本でも食べたことがあって好きだったエンドウ豆の餡がよかった。単純にあの味だとわかったからだが。
侯馬で列車待ちの間にちょっと露店をぶらぶらして50元の防寒着を買った。それを着て運城までくるととにかくあたたかい。はじめは気温が高いのだとおもったが、池神廟で手がかじかんできて、そうでもないとわかった。これでもうすこし寒い地方に行っても大丈夫だな。
明清时期越南飞地京族三岛(现为中国领土)3.jpg_新浪爱问共享资料
こんなもんあったんか。
大量の中国の筆記のdocファイルをtxtにしたい。そしたらgrepだけで検索できる。それなりにtxtはもっているが、もっていないファイルを含んでいるシリーズをみつけた。xdoc2txt というのをためしたが、JISの範囲内でしか漢字を扱えないらしく簡体字のところが文字化けする。
まぁそもそもなんでpdfにせずにdocにしたのか、というのが謎なのだがdocで結構ファイルがでまわっているのでしかたない。あんな編集しやすい形式で... pdf なら pdf2text で一発だ。
unoconv
wv
一応できそうなものをみつけたけど、apt-get の情報がおかしくてインストールできない。
10元の宿は惜しいながら先にいきたくなったので竜門方面にいくことにした。
韓城 → 下峪口 マイクロバス 5元
下峪口 → 大橋 マイクロバス 4元(少し歩いたので3.5元)
客運站の方にいって大橋行きのバスをさがすがたくさんでているはずなのにみつからない。下峪口で乗りかえたらいいとか言われたのでそうした。
下峪口で降りたら一応大橋行きがあったが丁度一台出発したところだった。待っているのがいやになったのですこし歩いて違うバスがくるのを期待したら、しばらくして同じバスがやってきた。しかしそれなりの時間あるいたので5角安くなった。
大橋の手前でバスをおり、橋を渡る。この黄河にかかっている橋は古い釣り橋のままで、大きな車は通れない。まぁしかし黄河が谷からでてくるところなので、景色はいい。いいはずだが、西安にきてからこっちずーっと霞みがちで遠くはよくみえない。まぁ全然見えないかもしれないとおもっていたのでそれよりはましだった。
橋の山西側には大禹廟のあとらしきものがあるが、そんなに古いものではなさそうなのでそんなに興味もわかない。それよりはそこから河津行きの市バスがでていたのだが、その廟のあとらしき碑の写真をとっていたら出発してしまった。待つのはいやなのであるく。歩くのだが、市バスがまた通るとおもっていたところ全然こない。どうも路線バスは内側の道をとおっているようだ。困ったとおもいつつ龍門村というところまで歩き、そこで中にはいり飯をくってバスをようやくみつける。
龍門村 → 河津 市バス 3元
河津 → 侯馬 バス 16元
侯馬西バスターミナル → 侯馬駅 市バス3路 1元
まぁそんなかんじで侯馬に到着。駅にとりあえず行ってみると予想外の繁華街になっていて驚く。駅前が繁華街になっているのは宿さがしをしようとすると客引きにつかまる。30元だったが勢いに負けてそこに決めてしまう。あとで窓が閉まらないことに気付く。しかももうすこし歩けば怪しい安宿街があった。ガッカリしたがしかたない。
とはいいつつもこの宿の夫婦はやたら話好きでおもしろかった。しかしこんな狭いとこでも服務員雇ってたらしい。今週になって春節で帰ったそうだ。
韓城は旧市街と新市街がきれいにわかれている。旧市街が丘の上にあるとおもったら全然ちがい、旧市街が丘の下にあった。うーむこれで守れたんだろうか。駅からまっすぐいくと旧市街のメインの通りに入るようになっているが、途中丘をくだるところが烈士陵園になっていた。旧市街のメインの通りをみるとはじめのあたりは雰囲気があるとおもったが、そのうち倣古街じゃないかという気がしてきた。わりと古びているが、統一感がある。そういうふうにしたのがわりと前なので古びてみえるだけではなかろうか。
博物館にいったら閉まっていた。春節前の休みで初一(1/23)からひらくという。春節に博物館をあけるのはいいが一週間もやすむのか。闖王行宮がここにもあるというのでさがしてみたが、みあたらなかった。公開していないのかも。北営宮というなにかの寺廟っぽいものがあったが、文物置き場になっていた。毛沢東選集の本の模型がまじっていたので、もともとそういう教育施設として再利用していたのを、観光用に再度寺廟風にしたてなおしているんだとおもう。
ということでもう昼前にはもどってきてしまった。司馬遷の廟とか行ってもしかたないし。党家村という古建築の村があるというがどうしようかな。
宿で聞くと党家村まで3元でいけるというので行ってきた。客運站の方にいって下峪口とかいうところに行くバスにのり、党家村という看板がでているところでおりる。そこから1.5kmほど歩く。途中の村には望楼みたいなのがある。党家村に着くと駐車場があるが、そこに入っていかず村の方へまっすぐ行き適当なところで曲がるとちょうど下へ降りる道がある。そこから党家村の保存地区みたいなところへ入れる。
党家村は上下二層になっており、下と上をつなぐトンネルがある。上には城壁のようなものがあったので昔は囲まれていたんだろう。下は黄土平原の谷だから険しく切りたった谷の底にある。たぶん谷の方にも城壁があったんだろう。韓城の町もおなじような構造だったんじゃなかろうか。党家村自体は古い建物がのこっているが壁に書いてあったスローガンなんかは消してある。まぁそれは韓城もおなじか。
わりと静かでよかったが、四合院の中とか普通に入っていいものかわからず入らなかった。意味なかったかもしれない。清代に掘られた井戸とかあった。手巻き式の釣瓶がついていた。
帰りは西側から帰った。大橋から帰ってくるバスで、乗ってみたら2.5元だった。
韓城の町のなかで道をふさいで演芸場が設置してあるところがあったが、それは葬式のために父に捧げるみたいなものだった。楽器屋一家が喪主だった。経歴みたいなのが書いて貼りだしてあったので読んでみたら、なんと黄埔学校の卒業生で、国共内戦のときに寝返ったがその後朝鮮戦争に送られたりした生き残りで、その後は役所関係の仕事をしていた人らしい。
帰ってからスーパーで手袋を皮のものだと誤解して買ったが、布の一部に皮がはってあるものだった。手の甲とてのひらの部分に皮革部がありその間を布で繋げてある。つまり風が通るがものをつかむところは皮革的につるつるという悪いところを二つ足したような手袋だった。うーむ。手を出して写真をとっているとすぐに手が冷えるので手袋がほしいとおもったのだが、これだとあんまり意味がない。11元で売っていたのでとびついてしまった。安物買いの銭失いか。
the Kidarite powerbase moved in 460 from southern "Red" Balkh to western "White" Khiva,東が青で北が黒なら完璧なんだが。
英語のこれ、魏書が頻繁に引用されてるな...
大月氏国,都卢监氏城,在弗敌沙西,去代一万四千五百里。北与蠕蠕接,数为所侵,遂西徙都薄罗城,去弗敌沙二千一百里。其王寄多罗勇武,遂兴师越大山,南侵北天竺,自乾陀罗以北五国尽役属之。世祖时,其国人商贩京师,自云能铸石为五色璢璃,于是采矿山中,于京师铸之。既成,光泽乃美于西方来者。乃诏为行殿,容百余人,光色映彻,观者见之,莫不惊骇,以为神明所作。自此中国璢璃遂贱,人不复珍之。寄多羅なのか。
小月氏国,都富楼沙城。其王本大月氏王寄多罗子也。寄多罗为匈奴所逐,西徙后令其子守此城,因号小月氏焉。在波路西南,去代一万六千六百里。先居西平、张掖之间,被服颇与羌同。其俗以金银钱为货。随畜牧移徙,亦类匈奴。其城东十里有佛塔,周三百五十步,高八十丈。自佛塔初建,计至武定八年,八百四十二年,所谓“百丈佛图”也。
『魏書』txt
十九祖鸠摩罗多尊者十九祖鸠摩罗多尊者,大月氏国婆罗门之子也。むむむ。大月氏国の婆羅門。
『五灯会元』txt
バラモンを名前にしちゃったり、バラモン種というだけで優遇されたりするほど「バラモン」に値打ちがあったということでは。あと李誕、北魏にきたときにはティーンエイジャーだし。
さてこれから出発するけど乗れるのかどうか。切符買うのにどれだけかかるのかもわからん。
西安 → 韓城 硬座18元
春節一週間前にもかかわらず二時間前に座席が買えた。予想外。飯くって列車にのると普通の人民列車のこみぐあい。
風景はそれほどおもしろいものでもなかった。西安から韓城は盆地から盆地の縁にいくだけなので風景もさほど変らない。
韓城についたらまっくらだった。駅を出て左側にあやしい通りがあったので入っていったら宿がいっぱいならんでいる。最初おっさんにつれていかれたところは相当でかい部屋にベッドがふたつで30元。これはもっと安いのがあるとおもって他をあたろうとしたらおばはんがよびかけてきて狭い部屋で10元という。テレビ無しだがとりあえずこれにしておいた。そしてUSB棒でネット
今日出ずに明日出ることにする。
エフタルが人名起源ということなら吐谷渾が始祖の名前を国号にしたのとおなじ考えか。
洛陽伽藍記の巻五に敦煌人宋雲の家があるという記述がありそこから宋雲と恵生が西域に行った記録がダラダラと書いてある。エフタルは519年頃訪問し、普通に遊牧民が支配階級であるような記述しかみえないし特に固有名詞もでてこないが「四夷之中、最為強大。不信仏法、多事外神」とある。
嵩岳寺塔 - Wikipedia
しかしこれ世界遺産に指定されてるので入場料が必要なのか。うーむ。
長安区の博物館を見にいったが、場所がわからない。道のまわりは延々塀で囲ってある。たぶん開発予定なんだろう。区役所があったので行ってみたが閉まっている。あきらめてそのへんブラブラして帰ってきた。
そして帰りに電気屋の集まっているビルにいって1TBの東芝のHDDを買った。699元。
東芝 canvio basics3.0 1TB そもそもUSB3.0なんてものを買ってもしかたないのだが買ってしまった。
ミャンマーの首都って移転してたのか。
明日韓城に行こうとおもうのだが、西安発韓城って真夜中のをのぞけば昼出て夜の八時に着くやつしかないのか....
まぁうまく乗れなかったら駅前で泊まるか。
婆羅門種はインド系のことだろ。名前がバクトリア語にあるといってもそもそもサンスクリット起源であればなんともいえない。息子はこっちでつくっているのだから長安のソグド人社会の中で名付けられたものかもしれない。
新唐書にある象郡は広西にある象州のことで、チャンパあたりにあった日南郡とは全然違うようだ。
象州镇_百度百科
これによると町の対岸にある山に雨がふった後、雲が象みたいな形をするとかで象山とよばれるようになり、さらにその象山から象州と名付けられたという。しかしこの説明はくどすぎる。
广西象州象山_翼王坪 - 石达开纪念堂_石达开相册@Netor.com
石達開が象州に来たとき、「象州象山山像象」という対聯の上半分をつくったとかなんとか。たしかにここにある写真をみれば象といえなくもない。
洛阳地情网
洛陽の地方誌ってネットで公開されてるのか。
帰りの便をさがしてみた。フェリーは基本的に20000円くらいする。往復で買えば30000円とかになる。それにくらべて上海発の春秋航空は高松でも茨城でも10000円あまりで行ける。そら飛行機にするわな。上海だったら地下鉄で空港まで行けてそんなに高くない。
上海発長崎行きというおもしろそうな船があるが、上海発で3月3日かららしい。しかもそんなに安いわけでもない。
と日本に帰ることを考えてみたが、日本に帰ると途端に生活費がはねあがるのですぐに金の算段をしないといけない。うーむ。2月27日にビザが切れるのでまだまだ先のことではあるが。
侯月铁路_百度百科
侯月線というのがあるのでこれで山西南部から洛陽におりれるとおもったが、今は拡張工事のため運行していないらしい。
夏県に温泉があるらしい。
午後から臨潼博物館まで足をのばしてみた。西安駅の前の東側から始皇帝陵方面に行くバスがいっぱいでていて、どれでも7元。臨潼博物館は驪山の麓にある。のだが、行くほどのものでもなかった。やはり始皇帝陵なんかの方にまともな博物館機能はうつっているんだろう。唐の墓はともかく、明の墓なんかがそこに移してあったが。石碑系もそれなりにあった。
驪山の方に「兵諫亭」があるというので行ってみたが、驪山の景区の中になっていてタダではないので入らなかった。西安事件のとき蒋介石が逃げこんだ穴があるだけなんだが。
その後臨潼の町をぶらぶらしたがいい感じに小さい町でよかった。昔は始皇帝陵とか驪山観光の足場になってたんだろうな。駅まで歩いてみたが、駅の周辺は昔の規模のまま維持されている感じだった。瓦葺きでなかなか雰囲気があってよい。しかもこの駅今は停まらないのかとおもっていたら、なにかの列車がとまって乗ったりできるらしい。車掌から直接買ったりするんだろうか。
西安駅のちかくの雑貨屋で靴を買った。合成皮の靴。ここしばらく毎日のように行ってみていたものだ。前は45元とか言ってたのに今日買ったら40元でくれた。しかも靴の中敷までタダでつけてくれた。
宿に帰ってからその靴でしばらく歩いてみたところ、体があたたかい。足から逃げる熱量が相当あったということだろう。まぁこれ夏だと足蒸れそうだな。
眠すぎて臨潼博物館以後のことは翌朝書いた。
布鞋の底は一文字に裂けているが、今度は小指の当たるあたりが破れてきた。さすがにもう捨てるしかない。
李誕墓志 (写真,jpg,236K,西安博物院)
北魏の正光年間(520-525)にカシミールからやってきたこと、北周の保定四年(564年)に59歳で死んだことから北魏にながれてきたときは10代後半であることがわかる。しかしちょっとみづらいかな。「正光」の手前のあたり、なにか重要な情報が書いてありそうなところがよくよめないというのがなんとも。でもどっかに全文あるとおもう。
さて帰ってきたが写真の整理をするべきか5元の麺をくって腹いっぱいになるか迷うところだ。→ 5元の麺屋は店じまいしていたので他の店で食ってきたけど麺がものたりない。
楊虎城記念館
楊虎城の別荘が共和国成立後ホテルとしてつかわれていたのを記念館にしたてなおしたもの。西安事件の立役者のひとりでなおかつ蒋介石に殺されたということで共和国成立直後から称揚された人物だが、実体としては当時の地方軍閥の一人なだけにそういう小さな存在が正面からとりあげてもらっているのは珍しいのではなかろうか。
しかし1930年から陝西をにぎったみたいなことが書いてあるが、それから張学良が来るまでのあいだ、陝西の山奥にできていた共産党の辺区や長征でそこまで逃げのびてきた共産党軍に対してどうしたのかとかそういうことは書いてない。中国だからあたりまえか。
西安事件後張学良みたいに軟禁状態におかれたわけではなく、しばらくヨーロッパ旅行に追いだされていたのか。そしてわざわざ帰ってきて軟禁されたと。
八路軍西安弁事処記念館
西安におかれた八路軍のための連絡所だが、西安事件の前から共産党の秘密連絡所がつくられていてそれが公になっただけらしい。八路軍のためのものではなく、共産党の拠点であったことが大っぴらに書いてある。それで反動派に狙われてどうのこうのと書いてあるけどやってることやってるから当然じゃないの。
ここを経由して外人や若者が延安へ行っていたので、外人の展示がある。白求恩とかスノーとか。スノーについてはスノー専門の展示室まであった。
奥のほうに西安の共産党の歴史と、各地の八路軍弁事処の展示があっておもしろかった。桂林なんかにも弁事処があり、さりげなく救亡室主任として胡志明(ホーチミン)の写真もまぜてある。この各地の八路軍弁事処も共産党の活動拠点としてつかわれ、日本軍の進軍や「国民党反動派」の迫害などの原因で閉鎖されたという。
張学良公館の方の展示にも、周恩来が特務(スパイ)にあてた手紙とか展示してあったな...
そういうと張学良公館の方の建物の外壁にナチスの鉤十字らしきものが各所に飾ってあったうえにそのままにしてあった。中国って意外なところに無頓着だとおもう。
行くあてもなくさらに三日延長したが切りあげて春節の里帰りの人の波の中にとびこんでもよかったかもしれん。
張学良公館(西安事変記念館)
張学良の公館がのこしてある。共産党にとっては起死回生の恩人だから当然だわな。展示は西安事件と張学良の二つ。やっぱり近代の展示は展示してある資料が多いからおもしろい。まぁ当然のように田中上奏書が史実として展示してあるが中国だからしかたないよな。
張学良公館から宿までは電脳街とかカルフールとかあったので歩いて帰った。城壁を出てしばらくしたところに中国聯通があったので、入ってみてUSB棒のことを聞いてみたら、この番号のロックは解除できない、新しいSIMカードをつくれとのこと。その値段がたったの100元だったのでそんならいいかと思ってつくることにした。たったの、というのは20元上積みするだけで上海まで行かなくてすむという意味。一ヶ月全国1G100元と陝西3G100元の二つあるらしい。まぁ全国だな。そして使えなくなったら80元でまた一ヶ月つかえるとのことで、青海で先走って買ってしまった料金カードも使えることになる。
カルフールで買った鶏の丸焼きをたべながら電脳街をひやかしたら、1Tの東芝のUSBHDDが売っていた。USB2.0のものが690元でUSB3.0対応のものが740-80元といったところ。うーむ十分安いじゃないか。中国でHDDを買うのはありえないと言っておきながら買いたくなってきた。これを買って中国データを全部うつしたらこれが中国HDDになるなぁとおもったり。SDカードは最大32M。200元以上する。
USB棒使用終了後、前ならショートメッセージでどれくらいつかったか教えてくれたのだが、今回はそれが来なかった。余額を知るためのショートメッセージをおくってみると返事がかえってくるのだが、100元から使った分が減るという方式になっている。これはわかりやすい。あと二ヶ月で有効に使えそうだ。
不眠ストレス緊張撃退 1日15分!脳の簡単トレ : ためしてガッテン
「とおもった」というのはおもしろいとおもった。
山道に置き去りの女性死亡 遺棄容疑で息子を逮捕 - 47NEWS
リアル姨捨山。うるわしき日本の伝統。
日本の「失われた20年」は「10年×2」だった? | 池田信夫
中国はなんでも露骨な国なので、日本からみたら極端にみえることでも普通だったりする。だから旅行するとおもしろい。
西安市博物院
内容的には陝西歴史博物館とかなり被っている。陝西歴史博物館は西安周辺のことを中心にしつつ、ときどき地方のものをそれとわからないような形で交ぜているが、こっちは西安周辺に限定されていている。
北魏のころカシミールからやってきたバラモンの墓なるものが展示してあった。陝西歴史博物館にもソグド人とされる人の墓が展示してあったがいかんせん遠くて写真うつりもよくなくよくわからない。こっちはなんぼでも近づけるのだが、バラモンの墓はたいした飾りもないしショボイ線刻がしてあるだけでおもしろそうなものでもなかった。それよりは史君墓の方がおもしろかった。こっちもソグド人ということらしい。
しかしこの墓のソグド文字、だれかちゃんと読んだ人いるんだろうか。説明でもおざなりにされている。
他に仏像特集、ハンコ特集をやっていた。
西安市博物院は小雁塔を含む地区を含む広大な地域が敷地になっている。小雁塔の前に小雁塔に関する小さな展示があったが、それの最後に、戦争でこの寺は破壊されたみたいなことが書いてあったが、詳しくみると、胡宗南がここを拠点としていたらしい。胡宗南は国民党の最精鋭部隊をひきいて共産党を圧迫するためにいたわけだから、その拠点が破壊されたとなるとまぁだれがやったかわかろうというものだ。
その後鐘楼とか革命公園とか行ったらいい時間になったので帰っていつもたべている麺屋で大をたべた。この麺屋の大は顔がはいりそうなどんぶりに麺がいっぱいはいってくる。その場で製麺しているが、麺を打っているのではなく、簡単な機械でトコロテン式におしだして鍋にそのまま落とすやりかた。まぁうまいんだが味の素がいっぱいで舌がビリビリする。ここは机の上ににんにくが無造作にいれてあるドンブリがあって、たべ放題だ。にんにくを生のままかじるのはそのままだと痛いだけだが、こんなふうに結構大味ですぐ飽きそうな場合はにんにくをかじるとなかなかいい。もっともここの麺はかなりいけるのでにんにくがないと困ることもないが貧乏症なのでたべてしまう。あとどんぶりいっぱいのゆで汁がついてくる。最近特にトイレの回数が増えているのは寒いせいだけではなく、ここでゆで汁をどんぶりいっぱい飲んでいるせいだとおもう。
昔西安に来たときに乾陵に行って蕃臣像だけみて帰ったおぼえがあるんだがいつのことだろう。まぁ、2000年に来たとき以外に考えられないのだがそのとき行ったような気がしない。
しかし中華書店の二十四史の縮印本を買ってそのまま郵便局に担いでいって日本に郵送したのもまた西安のはずだが、感覚的にはそういうことをやったような気がしない。
陝西歴史博物館
朝一にいったらチケット配布所に人が並んでいた。朝のうちはこんでいたが、午後はそんなにこんでいなかった。今日は写真とりすぎてついに電池がなくなった。1000枚行かずに切れたので電池もヘタってきたのかもしれん。
周秦漢唐と遺物もりだくさんの展示。しかし今写真みかえしてるけどよくも飽きずにこんなにたくさん撮れたものだ。だいぶ神経が鈍麻してきているのかもしれん。一日いておいて特に書きたいこともないくらいだから。まぁあんまりメジャーすぎるものばかりなので、意外におもうものがないということかもしれない。ひたすら西安周辺のことばかりあつかっていて地方のことはあんまりよくわからなかったというのはあるが、首都が長くあるとそうなるのもしかたない。
そういうと漢代の龙币(龍幣)というのが展示してあったが、その英訳は Lead Disc with Foreign Alphabets とあった。文字らしきものはみあたらあなかった。西の諸国の貨幣といっしょにならべてあるものなので文字を隠す理由もみあたらない。なんだろう。
独孤信の多面体ハンコというのがあったが、あれはどうみても使うとき手が汚れるとおもわれるがどうしていたんだろう。
獬豸という名前で展示してあった塑像が一角獣で、にたようなものをどっかでみたような気がするがおもいだせない。
唐の鬼瓦がなかなか自由闊達でよかった。
そういうと何家村唐代窖藏というところから実にいろんなものがでてきているんだが、これは何なんだろう。和同開珎とかまででているから並大抵のものではない。
何家村窖蔵【かかそんこうぞう】 考古用語辞典
何家村出土遺物【かかそんしゅつどいぶつ】 考古用語辞典
何家村唐代窖藏 - 维基百科
何家村唐代窖藏_百度百科
斉東方の説によると、徳宗の時代の租庸使の劉震が、その職の一環として宮廷の財宝もあずかっていたが、涇原の兵変のとき城外に逃げきれず叛乱軍に仕えたため、その後唐軍が都を回復したときに劉震夫婦は斬られ、隠していた財宝がだれにも知られず今まで残されたのだとのこと。
呂大防ら四人兄弟の墓を発掘したら磁器がいっぱいでたというのでそれも展示してあった。
ウランバートルのウランも「赤」で社会主義政権ができてから改名されたのか...
サーバのディスクの話 - Togetter
この本ほしいなぁ。中国で手にはいらんかな。→ 改訂 ハード・ディスク装置の構造と応用
新浪共享にも落ちてないようだ。こういう地味な技術書は中国では受けないのかもしれん。
痛いニュース(ノ∀`) : 彗星、太陽からまさかの脱出…専門家「マジで度肝を抜かれた」
インドで 「巨人の星」リメーク 競技はクリケットに 働くモノニュース
中東TODAY: NO・2187「エルサレム一枚の写真の意味」
35歳過ぎると結婚はほぼ不可能 できたのは「男性で3% 女性で2%」 : J-CASTニュース
35歳を越えたら、一刻も早く動き出すことが結婚への近道のようだ。越えたら、ではなくて、なる前に、だろ?
朝日新聞:千葉県、初の人口減少 東京圏1都3県も人口減時代に
今日はどうせ博物館休みなので、宿の移動だけしてあとはネット三昧かな。
ということで漢文武徳に来た。30元。新しくユースホステルのカードをつくるというのも手だが、これから二ヶ月の間でどれだけユースホステルを使う機会などそんなに多くないので元もとれないだろう。
天水で買った麻の実だが食べ方がわからん。殻が硬すぎて口の中に刺さるので、一粒一粒殻を割って食べている。
「麻の実の殻の取り方を教えてください」 - Yahoo!レシピ
うーむ。米の脱穀のしかたとおなじか...
漢文武徳は大雁塔の側にあり、おもてからみると高そうな店やホテルの間にあって生活のにおいが全然しないが、裏の方にいくと、安宿や安飯屋がいっぱいのこっており、もともとはそういう小汚い区画を観光のために表だけ整備して裏はのこしてあるというところのようだ。10元以下で満腹になるのでかなりよい。
相部屋になったヤツに日本の生活でのストレスみたいなのを説明するのに、「日本人はなんでも真面目にこなしてそれを他人にも要求する」みたいなことを言ったらなんとなく納得していた。中国人にとっての「圧力(ストレス)」というのは家の価格が高い(家を買わないと嫁もらえない)とかその程度のことらしい。まぁしかしそういう圧力(ストレス)のことは話題にあがるがこういう説明をしたのははじめてなので書いておく。
朝のニュースでも今日から春節の大移動が始まるというので駅での準備の様子がうつされている。これから40日間が春運の期間とみこまれているという。6週間もつづくのか。まぁ中国的には正月と夏休みがいっしょに来ている状態なのでしかたないのか。
知らんまにアメリカのディズニーっぽい人魚のアニメを流していたが、冒頭海賊が商船を襲っている場面があった。あれスペイン商船をイギリス人の海賊が襲っているところだとおもうとなかなかおもしろいものがある。
天水の宿にもうすこしいてもいいかなとはおもったが、とりあえず駅のある麦積区に移動して麦積区の博物館をみる。図書館のある建物の一番上の一室をそれにあてている。小さいので展示できる数が少なく、しぼっているのでわかりやすいともいえる。
天水 → 宝鶏 新空調硬座 24元
切符を買うのに一時間くらい、乗るまでに一時間くらい、合わせて二時間くらい待ち時間につかった。それを考えるとバスもわるくないが、鉄道だと渭河の峡谷をみれるのでそのために鉄道にのった。
ところどころ狭いところもあるものの、道がなくもない状態なので、この峡谷も交通路としてつかわれてたんじゃないかとおもわなくもないがよくわからん。
宝鶏についたのは4時すぎだった。今日は博物館は無理、明日は休館日、ということで宝鶏に泊るのも無駄におもえて西安にすぐ移動した。
宝鶏 → 西安 新空調硬座 22元
宝鶏から西安にいく短距離列車だったが、乗った車両は寝台車両を硬座として使っていた。実は朝テレビで春運対策としてそういう車両を用意しているのを見たのだが、それにこんなところで当たるとはおもわなかった。
西安について、15元のドミトリーがあるというユースホステルに行ってみたが、それは1ベッドだけだという。普通のは40元。それじゃいいやということで、事前に調べていたところへ行ってみたが、そこも40元(非会員価格)だった。そう、ユースホステルの会員証は切れてしまっているのだ。これなら天水の宿にもうしばらくいて新亮剣を見ていたらよかったなぁと後悔しつつこれを書いている。無線LANのためにここに来ているわけだがなんか無駄なことをしているような気もする。
apvlvって窓分割できるのか。今はじめて知った。便利すぎる。.....しかしつかいこなすにはノートパソコンの画面が狭すぎる。
xterm で efont が表示できない問題がやっと解決できた。夜中気になって朝の4時くらいまでドキュメントを参考にしていじっていたらなんとかなった。これでコンソールで中国語が表示できる。
「新亮剣」という抗日ドラマやってる。数年前のドラマをリメイクするのか...
天水市博物館
伏羲廟の裏にある。天水は東西に細長い町だが、それは旧城に新市街が付属したものだとおもっていた。伏羲廟のあたりは郊外だとおもっていたら全然違っていて、そもそも東西に細長く城が展開した結果らしく、5つの城で構成されていたらしい。さて普通の博物館ならどの部分が古いとかなんとかそういう考察があるはずだがそういうのはなかった。この辺の博物館ではおなじみの彩陶や、秦三国関係とか仏像を普通に並べてあるだけで、キレイではあるが少しものたりない。秦の移動は天水周辺から張家川を経由して宝鶏という感じらしいんだが、東西貿易路線図でも宝鶏から天水へは渭水ぞいに上らず、張家川の方を経由していた。帰ってからソ連軍事地図をみると、たしかに張家川のあたりには峠があり、通りやすそうな地形をしている。渭水沿いは険しいんだろうか。もっとも地図をよくよくみると張家川から天水までの道は尾根沿いにはしっている。
近代になると全然展示がない。革命人士がどうこうとか書いておいて具体的な展示がないということは、ここでは共産党が展開できず、展示できるような事実がなかったんだろう。
磁器や青銅器専門の展示室があり、歴史博物館というよりは文物展示館的な性質があるところだった。
天水市民俗博物館
一度は共産党様が召しあげて人民に分け与えていた区画を再度とりあげてキレイにして古民家を復元したというもの。家具とか寝台とかなかなかいいものがおいてある。これにかぎらず、天水の市内は古いものが結構のこっていた。紀信廟というのが中心にあったがここには清代の奉納額なんかが置いてあってなかなかみごたえがあった。
宿の裏の一帯も古い建物が壊されずにのこっている。のこっているといっても、共産党様が召しあげて人民に分配したまま人民が生活しているだけだが。昔は城の中心の一等地だったが今となっては半分スラムのような貧困地区になってしまっている。金持ちが私邸を維持しているだけなら古い建物もそのうち新しく作りなおしたり人手にわたって違う土地利用されたりするのだが、人民に分配してしまったので古いままで新しくならない。それが中国全土で古い市街地を全部壊して新しく作りなおしている理由の一つなんだろう。
麻の種を炒ったものを売っていたので買ってきたが、殻が意外と固くて食べにくい。これどうやって食べるもんなんだろうか。普通にムシャムシャいくと殻がのこるので吐くか飲むかしないといけない。
テレビをみていると明日から春節の大移動がはじまり鉄道が大変なことになるらしい。まぁ天水から宝鶏に行くくらいは大丈夫だろう。駅のある麦積区に行って切符が買えなかったら泊まるだけのことだ。まぁ麦積区にも博物館があるらしいんだが。
リュックのねずションのにおいが気になってしかたないので朝ちょっと湯をかけて出発。隴西の町の方にいってみたら、鼓楼なるものがのこっていた。臨洮は町の破壊は終了したような感じだったがここはまだ結構のこっていてまだ見れた。グルグルまわってからバスターミナルの方にいって駅の方に行くバスをつかまえようとするがつかまらない。警察に聞いたら1路でいけるとのこと。あとでわかったが文峰と書いてあるものはみな駅の前に止まるようだったのでバスターミナルまで戻らなくてもよかった。1路で2元。
駅の窓口に並ぶがすぐに窓口の人がいなくなる。隴西駅の切符売り場には三つしか窓口がない。しばらくまっていても戻ってこないので三つめに並ぶと、列の真ん中くらいまでハケたところでいなくなった窓口の人がもどってくる。列が消化されるのにそれくらい時間がかかっていた。さて悪い予感はあたるもので、列の1/4くらいまで行ったところで並んでいる窓口の人が消えた。明らかに昼休みだ。しかたないので最初並んでいた列に並びなおす。この列は少くとも昼休みで中断されることはない。
二時間くらい並んでいたとおもったが、携帯の写真の時間で確認すると一時間半くらいだったようだ。
隴西 → 天水 新空調硬座 24元
隴西から天水は渭河ぞいに下るだけでしかも幹線だから何回か通っている。
天水も市の中心と駅が離れている。6路の市バスが駅から市の中心の秦州の方にいくみたいなので乗った。3元。途中長距離バスターミナルがあり、近くに狭くて人がたくさんいそうな通りがあったがそこでおりるのを我慢して最後の秦州公交站(市バスバスターミナル)までのってみた。市の中心広場の南にあり、それはそれは賑やかなところだったが、道の向かい側に狭い路地がありその奥に安そうな宿が密集しているのがみえる。そこにのりこんで適当にさがしたら25元の宿があったのでそこにする。屋上の六階にあり、見晴らしがよくテレビと暖房があって壁がコンクリートだったのでそこにした。ほかにも25元のところはあったが壁がベニヤ板だったりした。この一帯の相場的には個室30-40元らしい。テレビなしで20元というのがあったが、テレビがあった方がいいのでそこは見もしなかった。
まず最初にねずション対策でリュックの中を全て出し、洗濯した。かなり落ちたがまだかすかにのこっている地帯がある。ただ肩掛けのところのにおいは落ちたので担いでいるときににおってくる事はないだろう。
隴西の町のなかで上着というかジャンパーというか外套というか、そういう防寒具をさがしてみたが、おっさんがよく来ている黒くて地味なもので襟に毛っぽいものがついているものをさがすと130とか180とか言われる。内蒙古製とか書いてあるのがしっかりつくってあった。まぁ2000円前後とおもえば安いのかもしれないが、日本でまともに服の買い物をしたことがないので安いのか高いのかよくわからない。そういうと、緑の布団みたいな例の長大衣だが、内側に毛皮とかしこんでなければ100元以下で買える。それを買うとコスプレすぎるので買わなかった。地味で黒いとは言っているけどしっかりしたものはやはり200元をこえる。うぅーむ。
外套以外に急を告げているところとして鞋がある。中央アジアで浸水してヌレヌレとか言っていたが、中国に入ると本格的に寒くなり、地面の水が凍りついているおかげで浸水することがなくなった。底の割れ目はそれはそれは立派に成長して横一文字に裂けているが、まぁ寒いところを移動しているあいだは大丈夫だろう。
しかしパスポートの更新とかしなければ、2月中に日本に戻ることになるので、日本もそれなりに寒い。鞋は必ず買うにしても、防寒具も買っておいて邪魔にはならないかもしれない。
西安の気温が0度を挟んで上4度下4度前後の幅で推移しているので華北の中ではあたたかい。古代中国の中では辺境だろうとおもっていたけど、四川あたりからの暖気のおかげでわりと温暖な気候におさまっていたので、周とかなんとかが栄えるだけの事はあったということか。
宿に荷物を置いてとりあえず西バスターミナルにいってみる。西バスターミナルは州博物館と大拱北の近くにある。蘭州の他、アバとか河南なんかまで行くバスがでているようだった。
あたりをふらふらしてようやく州博物館のある紅園というところをみつける。紅園広場の北に大拱北があり、西に州博物館があるという格好。州博物館は一つだけ展示庁がひらいていたが、彩陶だけ置いてあった。まぁもう散々見たのでじっくりも見ずにおわり。その後大拱北にいってみたら、命日だったようでたくさんの人がおまいりしていた。線香もって中に入っていくのをみると、白い帽子さえなければ、どっかの寺か道観かという景色だった。
その後馬来遅がまつってあるフフィー派の華寺拱北をさがしにいくが、なかなかうまくたどりつけない。北にある通りから見えるが、そちらから入ることができず、南側の道からしか入れない。それがわかるまで人にたずねながら散々狭い道を歩きまわった。このあたり、宅地造成したような感じの住宅地になっているうえブロック毎に壁があってわかりづらい。なんとか入りこんだが閑散としつつも中に人がいてなにかしている。そういうところにズカズカはいりこむような度胸はないので普通に写真だけとってひきあげた。
臨夏 → 臨洮 バス 20元
宿を出て南バスターミナルに行くと臨洮に行くバスがあった。合作から定西にいくもので、昼飯をここで食べていくようだった。時間がすこしあったので昼飯をたべにいったらその客でいっぱいだったのでわかった。
しかし臨夏から臨洮は高速を通っていったので早かった。一時間あまりでついた。
北バスターミナルに入ってそこで降り、とりあえず隴西行きがあるという南バスターミナルまで市バスでいくが、町のなかに古そうなものはのこってなさそう。一つ古い石碑があるのがみえた。南バスターミナルで隴西行きを聞くと朝六時から午後三時のあいだ出ているということだったので、その時は翌日でいいかとおもいながら町のなかにもどっていった。石碑は唐代のもので、哥舒翰をたたえたものだったが、ほとんど字がのこっていない。その横にあった石碑は書道関係の人がたてたものらしく、書体が貴重とかなんとか書いてあった。今となっては墓誌なんかの出土品がいっぱいあるので、地表に残存している昔の書体の保存物としては殆ど使命を終えているだろうが、まぁそういう歴史を背負っていたから解説石碑をわざわざたてたんだろう。
中心の近くにいったら文化センターみたいなところで素人演芸会みたいなのをしていたが人がグルリを囲っていてよくみえなかった。まぁおばちゃん連中が踊っていただけなんだが。
あと、ここにきたらなぜか美人が急に増えた気がした。単純に若い子がいっぱいうろちょろしていたせいかもしれんが。
臨洮 → 隴西 バス 27元
南バスターミナルにいくと三時をすぎていたが、バスは三時半まであったので乗れた。臨洮から隴西にいく道は黄河の上流の支流域から、黄河中流の支流域への分水嶺を越える。洮水から渭水に渡るわけだ。秦なんかの時代に桂林みたいな南の奥地に長江の支流と広州に流れる河をつないだ運河をつくるくらいだから、その本拠地のちかくのここにも運河をつくる計画くらいはあったんじゃないかとおもったんだが、来てみてわかったのはまず水量が少ないうえに冬は凍っているのでまず無理だった。
しかもその分水嶺をこえると急に寒くなる。ただ日が暮れてきたせいもあるかもしれない。この路線はいっぱいバスがでているわりに通して乘る人間はすくなく、途中で乗って降りる人間がおおかった。地域の路線バス的な扱いなんだろう。道もわるくガタガタだった。たぶん貧困地域なんだとおもう。
隴西につくとまっくらだった。隴西ではみんな鉄道の駅にいくのが普通であるらしく、ここまで来た少ない人間のほとんどがみなバスにのりかえて駅へ向かっていた。バスターミナルも閉まっていた。とりあえずしばらく歩いて奥まったところにあった旅社に泊まる。15元。最初はドミトリー12元だったが、その部屋で麻雀やっていたおばはんがたった3元足すだけで40元の部屋を15元でとまれるからそっちにいけとか言ったのでそうした。たぶんおかみさんなんだろう。ここは旅社であるにもかかわらず、パスポートみせても怯まなかった。しかもこちらから言いだすまでもなく、コンピュータでの登記もたのまれた。慣れた感じだったのでパスポートもった奴が来て同じようにしたことがあるんだろう。あるいは台湾人か。
同仁の8元の宿は、夜中ベッドの下で鼠がかけまわるところだったが、リュックにその鼠の小便がかけられたらしく鼠の小便臭がすごい。鼠の小便のにおいは日がたつほどキツくなる。どこかで洗わないといけないが、冬なのでそんな大量の水が手にはいりにくい。こまったものだ。西安にさっさと行くべきか。
ここは本当に寒い。朝外に出たら出ただけで鼻毛が凍る。
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どうしようかな。ユースをでてタラゲストハウスとかいうところにいくか、さっさと臨夏まで降りるか。どっちにしても寒すぎるので昼前までここでヌクヌクする。
夏河 → 臨夏 バス 20元
夏河から北に下っていくとわりとすぐにモスクのある村があり、そんなとこまで回族が進出しているのかとおもったが、そこからしばらくはチベット人の村がつづく。ずっと谷がつづいて谷が急に広くなったところからモスクがある村があちこちに見えるようになる。その急に広くなったところが関所だったようで、土門関と書いてあった。
夏河のあたりは川が凍っていたが、下るにつれときどき水がみえるようになり、川が凍っているといっても表面が凍っているだけで中の水は流れていることがわかる。臨夏まできたらそんなに寒くなくなった。
南バスターミナル近くの宿を適当にまわって25元のところに入る。それから博物館をさがしにいったがみつからない。州と市の二つあるはずだが、住所がわかっても正確な場所がわからない。適当にあるいたが市の中心らしいところにうまくたどりつき、本屋にはいって甘粛省の地図をみつけ、なんとか携帯で臨夏の地図の写真をとる。
そのとき地図をよくみておけば博物館の位置がわかったのであるが、写真をとっただけで満足して、だいたいの目星をつけて適当にさがしたので結局みつからなかった。帰ってピーナツをボリボリくってから飯にいこうとすると、登記するとか言いだす。日本人とバレたが、その場は登記しないことですんだが、飯くって帰ると、金を返すから他をさがせとの言葉。
そのときすでに19時をまわっていて暗くなっていたのだが。しかたなしに他をあたるがどこもかしこも日本人おことわり。しかたなく大通りにでてしらみつぶしにあたっていくことになった。最終的に臨夏飯店というこの町の最高級のところまでいったがやっぱり高すぎる。220元とか... 臨夏の町を荷物をかついでもう一度あるきまわるということになってしまった。最終的にはまた南バスターミナルの近くで登記しないところをみつけた。35元。なぜか三人部屋。たぶん一人15元で三人なら45元のところ一人でつかって35元というところではなかろうか。最初はちょっと高いのはその時点で断わっていたのだが、今からおもうと断わらずに入ってたらよかった。
そして写真をじっくりみて博物館の正確な位置を知る。まぁ明日の朝まわればいいか。
宿は8元ですんだ。なんと商売っ気のない。
同仁(レゴン) → 夏河(ラブラン) バス 26元
同仁から夏河は高原をこえていく。途中林がのこっているところがあった。循化のサラール族は木の伐採で生計をたてていたとかいう話だが、今ももうすこし南の方にいくと林がのこっていて材木生産基地になっているらしい(昨日寝ながら見た黄南州自治州概況による)。昨日の夕方同仁で雪が流れていたけど、それはこの高原で降っていたものらしく、一面の雪だった。しかしあんまり寒いせいか、窓ガラスがすぐに凍りついて眺めもあんまりよくなく、道中必死でガラスをこすっていた。
夏河はバスターミナルからラブラン寺のあるところまでしばらく歩かないといけない。途中みつけた中国聯通でUSB棒のロック解除をしようとしたところ、衝撃の事実をつたえられた。これは上海で登録したものだから、上海の中国聯通でないとできないというのだ。うーむ。これから先安宿でダラダラネットをするとかできなくなるということだ。困った。とりあえず上海に行くという手もなくはないがそれだけのために上海くんだりまで行く事がありえない。うーむ。
とりあえずそれはさておき、夏河では定番であるらしいタラゲストハウスには行かず、ユースホステルに行ってみた。ドミトリー30元。だれもいない。会員証が12月で終了していることはすぐバレたがまぁ12月だしみのがしてもらった。というか冬にこんなとこまで来る人あんまりいないんだろう。
ここの唯一の見物であろうとおもわれるラブラン寺に行ってきた。行ってきたといっても、中には入らず、まわりをコルラしているチベット人といっしょにコルラしてきただけのことだ。昨日も同仁でおなじ事をしたけどまぁいいだろう。初詣のはしごだ。
一周に一時間もかからず終了。さて寺の中にはいらないとなると見るものはもうない。ということでユースホステルに帰って日記書いたりしている。まだ15時前...
拱北だが、循化では拱拝とか書いてあるところがあった。
例のチベット仏教と回族の崇拝が重なっているところは地名として供伯とか貢拝とかいっていた。そもそもチベット語でも僧院のことをゴンパと言い、寺とかお堂もラカンと言うべきところをゴンパと混同して言うこともあるらしいので、それとも重なっている可能性がある。
『極東に躍るブリュッヘル・毛沢東とはどんな男か』という本のブリュッヘルはドイツのブリュッヘルのことではなく、ソ連の「極東独立赤色軍指令官」のことであるらしい。というかガロン将軍というのが偽名で、本名ブリュッヘルだと始めて知った。つまりこの本はブリュッヘルと毛沢東の二人を紹介したものだった。
いやおもしろい。因縁話としてもおもしろい。ガロン将軍というのは蒋介石の北伐の裏の立役者だからだ。『蒋介石与莫斯科的怨怨恩恩』ではガロンが北伐の指揮を全部取ったと書いてあった。知らんことばっかりだなぁ。
ヴァシーリー・ブリュヘル - Wikipedia
これによると張鼓峰事件がブリュッヘルの息の根を止めたらしい。なんとまぁ。
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循化 → 同仁 マイクロバス 16元
循化からゆるやかな谷をのぼっていくと、それまでモスクなんかがあったりしたところから、急に仏塔がある地帯に変わる。そこから先がチベット人の住む地域ということだろう。運転手はチベット人からは乗ったときすぐに金を回収していた。まぁわからないというのもあるんだろう。ちなみに順化のバスターミナルではバスのチケットを売らず、直接運転手に金をはらう方式だった。チベット人地区に入ってから、パンツェンラマ生家というのがあった。
峠のあたりは川の水もガチガチにこおっていた。まぁずーっとなだらかな感じで越えていった。同仁についてバスの時間をみると、夏河行きは朝の八時しかない。ここで一泊決定。町の中の市場通りみたいなところの二階がずーっと宿になっていたのでひとつひとつ聞いてみるとどれもこれも30元。ほかに候補なかったら美人のねーちゃんがいたところにしようとおもっていたが、その中心からはずれたところにある一階だてのボロいところが1ベット8元で一部屋16元だったのでそこにした。
とりあえず寺をぐるっとまわってみた。ここの建物は文革のときに壊されていないのか、なんか雰囲気があった。その後博物館に行ってみたら閉まっていた。うーむ。もうすることがなくなったぞ。
その後はヒマつぶしにブラブラしたが、歩けば歩くほど寒いだけ。しかも宿は夕方まで電気がこない。ネットでもできたらいいかとおもってUSB棒に金をいれるため、中国聯通にいって80元相当のカードを買ってきたが、ネット越しに金をいれてみようとすると、「对不起,你当前处于锁定期,请先到营业厅解锁并于解锁当日充值。」というショートメッセージが返ってきた。やばい。锁定期ってなんだ。ロックされているというだけならいいのだが、一年の期間がすぎたからもう一回一年の期間を契約しろということだったら面倒くさいことになる。遅いとはおもいつつもう一回中国聯通に行ってみたが、5時をまわっていたのでやっぱり閉まっていた。うむむ。
宿だが、台地の縁にあるので普通のところより寒いはず。しかも二重窓などの防寒設備もない。テレビもない。布団は臭い。トイレは台地の縁に吹き曝しの状態のうえ、錠がかけてあって一々鍵をかりないと使えない。一応電気毛布はあるのでこれだけがたよりになる。うーむ。ケチらず普通に30元のところで泊まればよかったか。
高台状になっているところに寺などあり、チベット人がおおい。その下にも町があるが、そっちは新しく作ったような感じで店も全然入っておらず、しかも回族っぽい人がおおい。移民マンションと称するものが建っている。一応城壁というか角楼のある土塀みたいなのがすこしのこっており、その町の入口にあたるところに新しい城門がつくってあるので、昔の駐屯地のあとかもしれない。もっともそこは高台の下になるのであんまり役にたたない気もする。
うーむ。寒い。循化から臨夏におりて、行きたかったら夏河にいくことにした方がよかったような気がしてきた。もう遅いけど。
このあたり土族がいるということだが、青海黄南藏族自治州概況というのをみると、青海省互助のあたりにいる土族とちがうのはわかっているが、このあたりにいるチベット人、サラール族、漢人とわけるためにとりあえず土族に分類したと書いてある。なんとまぁ。
今日は循化に移動する予定。路面の上にある水なんかはガチガチに凍っていたりするんだがあんまり実感がない。これでも最低気温-15度とからしい。でも移動したらユースホステルの暖かい空気から出ることになるので寒いんだろうなぁ。
改元、原発、政権交代… プレイバック2012年
NEWSポストセブン|村西とおるの反原発活動観 山本太郎に「反モチ運動」を提案
Osaka Kyoiku University Repository: サラール族史研究序説
似たようなこと考える人はいるもんだが残念なことにpdfが公開されていない。
西寧 → 循化 バス 31元
循化まできた。冬で氷点下だからしかたないが、ずっと不毛っぽい丘がつづく。黄河のある谷に循化はあるのだがそこへおりていくところはなかなかけわしい谷だった。途中の民家は四角く塀で囲ってあり、その中の建物は見えないことが多い。集落の中に寺みたいな建物があってその天辺に団子の串みたいなのがたっているとムスリムの集落だとわかる。家の門のところに山羊の角とかあの緑赤黄青なんかのお経を書いた布があったりするとチベット人だとわかる。
宿はバスターミナルから適当に歩いて最初にみつけた招待所が25元だったのでそこにした。その後循化の町をひとまわりしたけどあんまりサラール族みたいな感じがわからなかった。明日は同仁にいってそのまま夏河にいけたらいく。
「精武風雲之陳真」という映画をテレビでやっていた。葉問やってた人がやってるので相当最近の映画だ。全然説明もなく八路軍みたいな服装の人達がでてきて囚われの陳真をたすけるために日本軍の「本部」とかいうところに突入している。香港映画も共産党の道具となったんだなぁ。
ちなみにバスの中でもおなじ俳優が主役の錦衣衛というのをやってた。
明実録清実録からサラール族関係の記事を抜きだしたとかいう本をみてたけど明実録の記述って本当にすくなく、あっというまに乾隆年間の蘇四十三の叛乱の記事になる。しかし明代からサラ族みたいな名前で通っていたのはやっぱり周囲からは浮いてたんだろう。
循化撒拉族自治县概况(県志がないかわりにこれがあったので落としていた)というのをみていたら、街子というところがサラール族の集住地のひとつでわりと文化が保存されているという。街子は循化の手前にあり、西寧、同仁への道が分岐するところで、バスから見るかぎりでは結構にぎやかだった。この循化の中心の積石鎮には漢族回族が多いらしい。見たとおりだったか。ちなみにこの本は三面紅旗とか書いてあるような時代のもので人民公社のことにかなりページを割いていたりする。
サラール族は黄河沿岸に多いらしいのでもうすこし暖かければ沿岸部をブラブラするのもよいかもしれんが寒いので無理だ。とにかく装備が貧弱すぎるがこの場におよんでも服を買う気がしない。ちなみにバスの中で一応サラール族らしい人たちはみたのでもういいかなとおもったりもする。
招待所の下の飯屋のお茶が薄いバター茶っぽかった。塩味がして油がういていた。このお茶だが、撒拉族語言文化という本の後半の文化部門のところに、このあたりでは"麦茶"なるものを飲むと書いてあった。麦を炒ったものでお茶をつくり、塩などをまぜるらしい。たしかにそういう味だったかもしれない。
この本によると、そもそも県城が設置されたのが雍正8年で、それ以後城のまわりに漢族や回族が移住してきたらしい。
サラール族はこの辺の木を切ってイカダにしたて河州や蘭州で売って生計をたてていたらしい。ということは乱伐で木がなくなったんだろうか。
青海省に烏蘭という地名があるが、モンゴル語で「赤」という意味で、大躍進のころにつけられた地名らしい。モンゴル語だからのこってるんだろうなぁ...