1999/02/07~1999/07/13



99/7/13 夕方 くもり

↓なんてえらそうな文章だ!こんなヤツの相手するな!
 こんなとこに来たってなんの得もないぞ!

99/7/13 あさ くもり

 またおしゃべりの虫がさわぎだした・・・

 ルーミー語録、借りてきた。買うより読んでしまえ。
 冒頭の話はこうだ。

 『預言者(ムハンマド)は次のように言われたと伝えられている。曰く、「およそ学者のなかで最も悪い者は王侯のもとを訪れる人。およそ王侯のなかで最も良い者は学者のもとを訪れる人。貧者(この世の富と栄華を求めぬ「心貧しい」学者)の門辺に佇む王侯のなんと祝福されていることか。王侯の門辺に佇む貧者のなんと哀れにも惨めなことか。」と。』

 で、まず一般的な解釈をみせる。

 『世間一般の人たちはこの言葉のうわつらだけを見て次のような意味に取る。すなわち、学者たるもの、王侯を訪ねたりしてはいけない、そんなことをすると最悪の学者の仲間入りをしてしまうから、と。』

 その次にルーミーの解釈にはいる。

 『この言葉の意味をそんなふうに考えるのは間違いだ。ほんとうの意味は次の通りである。学者のなかで最も悪質なのは、王侯の支持を求め、己が身の福祉と己れの義理の立つところとを王侯に頼ることによって、いや実は王侯を恐れることによって作り出そうとする手合いのことだ。始めからこういう連中は、「こうすればきっと御主君様が褒美を下さるだろう、尊敬もして下さろう、なにかいい地位につけても下さろう」などと考えて、そういう動機から学問に励む。そうしてみると結局こういう人はもともと王侯の故に向上の道に踏み込んだのであり、王侯の故に勉強して無知の状態から知の状態に転入したわけである。だからこんな人は一応学者になりおおせたとしても、王侯がこわくて、王侯の指図通りに学問を修めたというわけで、好むと好まざるにかかわらず決まりきった道を辿って行くにすぎない。』

 逆の例の敷衍がまだつづくけどこれくらいにしとく。
 こんなふうに裏をみてとって何をいわんとしているのかを抽象していくわけだ。
 このレベルはつかみであって、またちがう話がふたつつづく。引用されているコーランの文句を引用してみる。

 『まことに、信仰なきやからのみが神の御慈悲を諦める。』
 『お慕いいたしております、と口に言うのはいと容易い。いかんせん、恋の証拠がまだ見えぬ。』

 書いてあるとおりだし、書いてあるとおりではない。こうゆう、一見ことば遊びみたいなんは、おそろしく内向きで、人には無意味に見えるかもしれない。
 いや、まったく、わかんない人はわかんなくていい。無用なたのしみやし


99/7/11 真夜中一時半くらい。チョットつめたい空気がながれこむ
 今日は日記かかんとことおもとったけど、書かずにおれん。
 ちゅうのは、中公の世界の歴史2「中華文明の誕生」というのを図書館で借りてきて第一部をよんだ。
 すごい。ここ書いた人はすごい。最近の考古学の成果もすごいけど、この人はすごい。春秋戦国時代の記録はゴチャゴチャしとって、同一事項に年代がいくつもあるという奇妙なことがおこっとったんやけど、この人はそれをすべてスッキリさせやはった。
 この人は暦を研究して、戦国中期に諸侯が王を称しだしたときに正統を主張するひとつの手段として、暦がつくられ、歴史をとらえなおしたこと、それ以降各国が別の暦で歴史を残したこと、その変化の知識が秦漢の際に失われ、史記などが編纂されるときに混乱の元になったこと、などを明らかにし、それらの暦を復元して、編年をつくりなおした。
 要するに今まで手垢のつきまくってた時代の今までの研究の土台をひっくりかえして、あたらしいのにつくりなおした。すごい。とにかくすごい。

 最近の歴史学の進展はすごい。何読んでもおもしろい。おもしろいのをよりだしてよんでるにせよ、おもしろいモンの量自体が増えてる。

 アカン。本来の目的を見失ってる。チョットさかのぼりすぎ。

関係ないけど、スイカがやすうでうっとるしこうてきた。おいしいな。ちっちゃいの二個で350円。それから、表紙のカウンターをひさしぶりに見たら6000こえとった。もう、はやいんかおそいんか、どれくらいまわってんのかぜんぜんわからへん。

99/7/10 あさ。なんか横で工事してるぞ
 世の中わからないことだらけだ。
 インドとパキスタンのカシミール紛争はパキスタンの民兵の侵入に始まった。やってることは停戦線上の山奥の陣地のうばいあいなんやけど、おもしろいのはパキスタン政府が民兵集団をコントロールできない、ということだ。パキスタン政府自体はこれ以上事がこじれるのを望んでいないらしい。中国があいだに立った交渉でも「はよやめたいなぁ」ちゅうことで意見が一致した。G8の声明「きみら、はよやめなさい」もパキスタンは合意した。今回、クリントンとパキスタンのシャリフ首相との会談で、パキスタンは民兵撤退に向けて努力する、とはっきり言った。でも言い方がおもしろくて、シャリフ首相の人脈を最大に活かして、民兵を説得する、という感じ。
 インドの方はパキスタン政府が民兵集団の後ろにたっているとにらんでいる。というか、民兵集団の形を借りてパキスタンの正規軍が来てる、と思ってる。パキスタン政府の方は、道義的、外交的、政治的な援助(moral, diplomatic and political support)しかしてない、といってる。
 パキスタンはイスラムの国だ。イスラムになるのは簡単で、五行五信を守っていればそれでイスラムだ。自分がおもしろく思うのは共同体としてのイスラム。徹底したその平等性。なにしろ、信仰の上では神と自分しかない。神以外の権威を認めない。彼らにとっての国というのも自分にとっては謎だ。今回の件はその「イスラムの謎なところ」が見え隠れする。(オレ的には日本における国、世界の国家、というのものもよくわかんないんですが。)
 ちなみに民兵集団は五ついるのだが、そのウチのひとつ、Lashkar-e-Taibaは、アフガンのタリバーンが主要メンバーといわれている。アフガンゲリラとカシュミーリーが民兵のメインだと見られている。
 よくわからないのは、
1民兵と日本の新聞は解釈しているmilitant groupってなに?なんでなりたってんの?何がしたいん?
2パキスタンとmilitant groupの関係は?どこまでサポートしてるん?
3イスラム共同体的にはカナリ濃い関係があるはずなんやけど、そのへんどうなってんの?
4パキスタンという国家の成り立ち。どういう集団を基盤にしているのか。
 まぁ、そんなとこ。
 こうゆうニュースソースとしてBBCはおすすめ。

 全然関係ないけど、図書館で井筒訳の「ルーミー語録」を読んでみたらおそろしくおもしろかった。買おうと思ったくらい。西洋人の哲学は理屈が勝ちすぎて、もうハナからうけつけんけど、こうゆう宗教がかったんはおもしろい。チョット古本屋巡りでもするかのう。

99/7/9 真夜中一時
 今日は郡県制・州県制についてしらべた。自分の勘違いがはっきりした。ある大きな都市があり、その都市に州の衙門(役所)がおかれているとする。そしてその近くには小さな町があって、県衙門がある。行政レベルでは朝廷(中央政府)→州→県であり、県が民政にあたるのであるが、州の町の民政は州衙門がやるもんだと思ってた。そうではなく、州衙門がある町には別に県衙門があって、直接の民政はそこでやる。
 そういう場合に○○州の領域を○○州というし、同時に○○州の衙門がある町のことを○○州とよぶ。郡県制の時代は州のところに郡がはいる。
 こんな基本もわかってなくてはずかしー

 郡県制は秦の始皇帝にはじまり、州県制は隋の文帝にはじまる。唐になっても郡の名は残るが、各州に郡名がつけられるので、意味がなくなった。唐では郡県制時代の州のかわりに道という広域行政区画ができる。後に節度使がおかれ、藩鎮の根拠となった。宋・元では路が広域監察区画。行政はしない。元代、派遣軍内におかれた中央政府の出張事務所がそのまま制度として定着したのが行中書省である。かなり広域な区画を取り扱う。これが明代になって、省になり、現在までつづいている。
 日本に東海道とかの道制があったのは唐制の影響だろう。なんで丹波国・山城国なのかは知らない。

99/7/7 ひる
 建徳県志を書庫でゲット。民国八年刊。建徳県は厳州のこと。十万分の一地図がついてる。水滸伝の方臘戦烏龍嶺攻略あたりを書いた人が想定した間道ルートは結局確定できない。しかし、おそらくこのへんを想定したのではないか、というのを地形図から読みとることはできる。ちなみに百二十回本で、東管にいたるルートとして、小牛嶺というのがでてくるけど、原本が牛と半をまちがえたらしい。岩波の訳では、峠のなかばという意味にとってた。百二十回本の漢字ミスはほかにもたくさんあって、一番致命的なのが第71回の石碣の天書。扈三娘の地慧星を地急星にするというような、大丈夫?というような誤りもある。どーでもええんやろなきっと。
 東管はおそらく、厳州の東にある東館。館と管は同音。厳州は南の金華方面と西の徽州方面からながれてくる川の合流地点に発達したまちで、その東の港に駅がおかれていた。地方志の記述を鵜呑みにすると、方臘の乱にあって以後しばらく廃されていたが、また検税所がつくられ、東館と呼ばれた。明代、ここには富春駅がおかれたが、あいかわらずその地は東館と呼ばれつづけた。民国でも依然そうだったので、現在もそういう小地名が残っていると思われる。確かめてへんけど。
 ちなみに、元末明初、張士誠と朱元璋の攻防となんか関係あるんちゃうけとおもたけど、ないみたい。朱元璋がわの厳州の大将は李文忠。張士誠が厳州をとろうとして三回ほど攻めてきたんやけど、そのうちの一回が厳州の東門外での戦いで、自分が正面で戦ってるあいだに別軍を北小門からだし、間道をつかって挟み撃ちにして破ったというもの。張士誠側の進入ルートがわかんないんですが、李文忠側のつかった間道は水滸伝のとはちがう間道です。
 こうゆう事がわかったとこでなんの役にもたたへんにゃけど、まぁ、いいもんですな。

99/7/4 
 今日は一日腐ってた。ちゅうか、メールかくのつかれる。きのうはLANがおかしくなって、一日調べてた。おかしいのは一番はじめに実験的に敷設してそのまま幹線につかってた区間。地べたを転がしたままあまざらしにしてたせいで漏電したのかとか、その日増設した16ポートのハブに変な機能がついてるのかとか、いろいろ考えたけど、結局、一番大元のルータについてるハブのポートがひとつこわれてた。ひきなおしにならへんでよかった。その区間、五十メートルやで。
 おとといは・・・手紙書いてた。とにかく文章書くの時間かかってつかれる。毎日大量に日記かく人おるけどどうやったらあんなに書けるのかわからん。・・・・おしえてほしくもないけど。

99/7/1 ひる。くもり。
 リンク衆から相互リンクの表示を撤廃。媚びた表現をけずる。今までやりたくてもちょっとやりづらかった。
 やっぱりまっすぐが一番だ。

99/6/30 あさ。
 厳州府志を借りてきて、いろいろ点検する。水滸伝の方臘討伐の最後の戦場、烏龍嶺から清渓県にかけてがこのあたり。厳州は水滸伝で言うところの睦州。水滸伝のなかで特に詳細な記述のあるのが烏龍嶺と睦州で、この地方志にもいろいろ豊富な記述がある。おもしろい。チョット目下の目的からははずれとるけど。次は民国時代につくられた地図を見に行こう。町と町のあいだの関係がわからん。烏龍嶺戦のポイントの東管ってどこ?ちゅう話なんやけど。ある程度目星はついてる。あと、烏龍嶺の位置。どうも睦州の西にあるみたいなんやけど、そしたら大江のそばで水寨がある、ちゅう設定とどうもあわない。
 にしても地名対考ちゅうのは有効な手段やな。

99/6/29 おひる。雨。 りんく衆の整理。
99/6/29 真夜中一時 やっぱりよけいなおせっかいやったかな。

99/6/27 夜の11時すぎ。
 今日は一日文章つくってた。種まいた以上、面倒見とかな、なぁ。でも、やる気人間なので、やる気がなくなったときが一番こわい。

99/6/27 もうずいぶんあかるい。まだ雨。
 雨が降ってサンダルがすべるので、はだしであるいた。びちょびちょ。
 メモリの接点の謎の斑点をとってから調子がいい。例外0Eが発生しない。こんなもんなんやな。
 資料として、「中国文化大革命博物館」ちゅう本を借りてきた。ぎょうさんオッサンの写真がのっとるさけ借りてったんやけど、文革てすごいな。ムチャクチャやで。ホンマに何がやりたかったんやろな。
 そのむかし、生意気にも「京都」の高校に行っとったんやけど、地元の高校に行った人と頻繁に自転車を介して文書のやりとりをしとった。内容はそんとき思ったこととか考えたことを適当に書いたモンなんやけど、なぜか自分の書いたモノは若干の人に読まれていたらしい。で、その若干の人で知らん人と会う機会があったんやけど、そんときちょうだいした言葉「もっとつめたい人かとおもとったけど人間的やん。」
 文章つめたいけ?

99/6/24 よる。二十四時前。あめ。
 コンピュータの中身をあけて、メモリをとってみたら接点に謎の斑点が浮かんでた。クレ556をぶっかけてすこし爪でこすってさしなおしたら今のところ全然故障ない。なおった?
 なんか急にヒマになった。ということでいろいろ活動開始。今日はとりあえず図書館にもぐった。なにもわからなかった。見に行ってコピーしようかどうかまよっとっただけやもんな。あ、そうそう。あるリストをつくってあるところへ送りました。それから某仕事は某11月12日にでるそうです。まだこれからせんなんことあるんやけどなー

 にしても、やっぱり日記書きすぎ。

99/6/24 あさ
 最近コンピュータの調子が悪くておなじ場所で「例外0E」がおこる。たぶんメモリがおかしいんやとおもう。さっきもきのうの講義で見せてもろた地図のことをうれしそうに書いてたらイキナリ画面が真っ黒になって、とまってしもた。もうかかへん。

99/6/23 真夜中三時くらい
 これまで適当なことを書き散らしてきたけど、こんなところをわざわざ見に来る人に関係ふかいことをかいたのは初めてだ。というわけで、99/6/22の文章を読んで、思うところあったらなんでもいいのでおしえてください。自分の目があまいのかどうか知りたいデース。自分は自分をはかることがデキマセーン。
 学校から帰ってすぐねむってしまい、研究室に行く好機を逃す。今から行ってもだれもおらへんさけ入れへんにゃろなぁ。工具書さえつかえたらええんやけどな。

99/6/22 蚊に目を覚まされたので、下の続き。
 この際漫研についてはっきりさせておく。この大学に入ってからずーっと腐れ縁がつづいとったわけやけど、この四月にあったどうでもいい些細な一件をきっかけにしてほとんど行かなくなった。結論だけ先に言うと、もう漫研という組織には参加しない。
 漫研についての違和感はだいぶん前からあったわけで、もーヤメよーかなー、とおもたこともなんべんもあったし、人に漏らしたこともあったけど、「DC」氏がいたしほかにもおもしろい人がいたので、いた。インドから帰ってきたときがひとつの潮時やったけど、たまたま帰ってきてすぐ会誌の締め切りがあって、別に描く気もなかったけど、描け描けとすすめられ、また、それですぐにかけてしまう小器用さもあったので、描いてしまってすぐつながりが復帰した。次の潮時は「DC」氏が就職していなくなったときで、実際だんだん縁が切れるようにあまり行かないようにしてたけど、精神がカナリ軟弱な方なので、ずるずると出ていくようになった。この四月の一件はちょうどよい具合におこったので、利用させてもらったと言った方が正しいかもしれん。
 漫研についての違和感というのを説明すると、マンガというのは人に見てもらってナンボのモンなんやけど、漫研には「友達づきあいのツールとしてのマンガ」という性格が強かったとおもう。サークルなので、そういう面があるのは当然なんやけど、「友達づきあいのツール」という面が強すぎると、「人に見てもらってナンボ」を至上におもう自分などから見るとむなしいことがいろいろおこなわれる。会誌をつくってつくりっぱなしにするとか、とりあえず描いてるだけとか身内が痛くない内輪ネタの横行とか。内輪ネタというのは人物の描写に深みが出て、下手に頭のなかでこねくり回したキャラクターよりも、よほどおもしろいモンができるんやけど、身内が痛くない、というのは全然描写が深刻でない、ということで、つまらないものが多くなる。
 (以下本筋からずれる。)無意味にブ厚さを誇る風潮があるけど、「人に見てもらってナンボ」観点からすればどうでもいいことで、どちらかといえば薄めの方がのぞましい、というくらいだ。厚くなるのは活動が活発な証拠で、別にわるいことではないけど、薄くなると、今年は薄くてなげかわしい、という論調がでてくる。自分は対抗して、薄いほうがいい、と事毎に言ってたけど、別にふかい根拠があってのことでない。

 ・・・・うー、ねてしもた。もーいいや。
といいつつまだすこしつづける。
 日常の活動がマンガから遠いとか、マンガをあんまり描かないようになったとかは、まあ、ここで文句ゆうことでもなかろ。サークルとしてのあり方もいろいろやし。ノートに書いてたリレーマンガも最近はめっきり下火になったけど、有用と言うほどのものとも思えず、ただ、マンガであぞぶひとつのやり方というくらいのものだ。毎月部内誌をつくれるだけでたいしたもんだ。わりとリレーマンガを描いてた人間から言わしてもらうと、リレーマンガに熱を注ぐよりは原稿描いてた方がなんぼかましとおもう。リレーマンガは、自分の思いつかないような情況からつづけなければならない、という点で有益やけど、反面、話の流れの終始について自分で管理できないというような点で害がある。
 マンガ欲がだいぶ薄くなった、というのもある。でも、自分のなかでは娯楽としてのマンガの地位は低くても、表現手段としては依然カナリ高い位置にある。漫研のなかでやることのむなしさがマンガ欲を薄くしたんだとおもう。
 ほかは組織としてのありかたとか人間としての成熟度とかになって、マンガから離れるので、ここでは取り上げないし、そもそも解決できないし、問題でもない。
 とにかく、自分にとって、ゲームや麻雀はどうでもいい範疇にあるので、例会にいづらかったのは事実だ。それなのにでていたのは結局人にあうためなわけで。そうとはいっても居続ける限りは人との縁はきれないわけで。いつかは踏ん切らないと足はあらえないわけネ。
 そういうことで、四月からの挙に踏み切ったのでした。

99/6/21 23:50冷蔵庫のうなる声
 昨日の筆ペンの絵のせいで、視力悪化。いやあ、目に来るなあとはおもたけどこれほどとは・・・・。
 今期最後の講義がいくつかあったけど、「え、今日で最後?」と驚いてる先生がいた。はい、次会うのはたぶん九月末です。
 来来週に四回生の卒論の中間発表があって、見物に行っていいという。三教授そろいぶみだそうなので、隅の方で見てよう。

 日本語には一般名詞がすくない。特殊な状況で通用する特殊な用語がおおい。いいかえると隠語がおおい。ある言葉のもってる機能だけでなく、雰囲気も大事にするからなんだろう。雰囲気をなるだけおとして機能・概念にしぼったものが一般名詞らしい。そういう粗暴なおこないはきらわれるんやろな。そういう皮がおおい言葉をつことったら、皮だけでしかものを考えられへんようになって、中身まで目がいかへんようになるんやろな。
 こんなふうにゆうててもやっぱり頭のなかには皮がぎょうさんあるらしくて、たまにおおきな空洞を感じるときがある。そこに足がかりをつくれたらもっと見晴らし良うなるんやろけど、やっぱりそこも皮なんやろな。
 そうゆうたらタマネギの皮を一生懸命むいていってもあとになんものこらへん、ちゅうことをおもいだした。

99/6/20 23:30
 身内の成親があるというのでかえってた。
 蔵のなかの漢籍が役に立ったらもってかえろうとおもとったけど、どうもつかえんのがおおい。しゃあないなぁ。明治の人のモンやし、だいたい経書仏書詩の本がおおい。
 今日はひさしぶりに筆ペンで絵をかいた。たのしかった。最大の特徴の質感が衰えていなかったので一安心。気分転換にはもってこい。でも目が疲れるのが難点。

99/6/16 0時40分くらい
 いま研究室から帰ってきたとこ。ねむい。ねむかったらなんもできひん。
 元典章、おっつかへんなぁ。まいどまいど。ラシードのせいか?
 うーん。空気がぬくい。・・・その程度の感想ですむんやさけだいぶ元気があまっとんにゃろなぁ。

99/6/14 よる。
 ちょっとだけりんく衆をいじる。
 英語もやってみたらおもしろいモンやな。なんか、今年一年おわったらホンマに英語がすらすらよめてそう。あーありがたいなぁ。
 オウムの活動が活発ですな。連中は七月になったらなんかがおこるとか思ってんにゃろな。そらこまる。七月は「なんとか仕事をおわらす月間」にしたいし、なにもないのがいい。ってそれは希望か。

99/6/14 あさ。今日も早起きだ
 昨日は散髪した。自分ではじめて、となりの人に仕上げてもらった。ここまでみじかくしたのはひさしぶりで気持ちいい。そのうちバリカンを買おう。
 コンピュータのいまのつかいかた。英和辞典。百科事典。ネットで検索。中国文献データペースで用例検索。メール。mp3。
 おぉ。情報端末。

99/6/12 ひる
 昨日のよる、「今日は暑かった」といわれた。確かに若干ぬくいなぁとはおもとったけど、いわれるまでそんなに暑いて気ィつかへんだ。タダ単ににぶいんやろか。にぶいんやろなぁ。
 杉山先生の本はおもしろいですねぇ。こんなすごい人がここにいて、講義をうけれるとは露ほどもおもってませんでした。無知とはこわいもんですねぇ(何がどうこわいんですか?)。なにしろ最初にイキナリ英語読まされてそのうえ「アホか」と言われましたからねぇ。まぁどうでもイイですかそんなことは。
 某所からのリンクを切ってもらう。うひょひょ!オレは自由だー!

99/6/10 あさ。
 ●漢字は中国人の呪文だ。
 ●だから漢字の辞書は形でひけるようになってるので、ひいてみて無いからといってあきらめなさんな。
 ●昔からは想像できんくらいにルーズリーフをつかってるぞ
 ●どうゆうところが、というと、昔ならもったいなくて滅多につかわんとこうとしとったけど、今はほんのメモ程度のことでもじゃんじゃんつかう。
 ●もったいないといって心にブレーキかける方がもったいない。

99/6/7 よる。くらいなぁ。
 つかれた。つかれてる。つかれがとれない。
 学校にバリバリいって固定した姿勢でずっといて目を酷使しているというのもある。それでもかんがえてみると一番おおきいのは先週の鴨川レースかもしれん。アレはヘトヘトになった。まぁ、でも、背中の中心がこわばりつつあるので、それだけではなかろ。目もいたいし。体が案外頑丈なので、こんな状態でずーっとおれるんかもしれん。タダ単にいままでなまけてたから人並みにつかれてだるいと思っているだけかもしれん。
 とにかく、たのしいはずのGW以来の先日のアレがモーしんどくてやる気がでなくて半分寝てた、というのは異常だ。
 まぁ、でも、ここしばらく、つかれを持続させるか増幅させるようなことばかりしていたかもしれない。
 まぁいいや。ぐだぐだゆうてもはじまらん。ねよねよ。

 オマケ:「たのしくやりましょうね、たのしく。」「私の授業わかりやすいですか?」砺波先生風に。

99/6/5 あさ。なんかくもってきたぞ。
 きのうのはなし。
 空は高かった。あたまのうえにひろがっていた。中くらいの高さにくろい雲がうすくひろがっていた。大気のながれにそってかたちがかわっていった。おおきい木がしげっていた。枝が左右にひろがって空間をつかんでいた。ひざがかくれるくらいのたかさで雑草がひろがっている。土手にそって自転車にふみかためられたひとすじの道がむこうまでみえている。
 日がしずんであたりがくらくなってくると、木はくろいかたまりになっていった。空のいろはすこしづつあおく、くらくなっていった。

 ひさしぶりにこういう感覚にひたれてうれしかった。まちは窮屈で不自然でいかん。ちかくのものがありすぎて、とおくのものがみえなくなってしまう。

99/6/4 朝。空気清冽。あの、かぼそい鳥のさえずりは子供がぴーぴー言ってるのか?
 Arabicや漢字がならんでる文を読みたいけど、よめへん。なんでかというと、語学のせいで英語の文章をかかなアカンし。でも、方針がきちんとたってへんし、全然すすまへん。要するに気が乗らん。
 さてゴールデンウィークにひきつづき、次の日曜日にまたなにかあるわけだが(夫馬先生風)、最安ルート確定。このことを言ったら歯ぎしりして悔しがるだろうと思うので、それにいくみんなには教えないことにする。そのルートなら、勉強しながらダラダラ行ける。とにかくしらべもんする時間がほしいので、ヒッチハイクはやらない。

99/6/3 早朝四時。
 知りあいに苦言を呈した。聴講にきてて、毎日一緒に行動することになってる人に、「この学科むいてへんのちゃうけ」などといったことだ。そのあと一時間ばかり道端ではなしこんだ。あとからおもったのは、ただ、彼の言葉があまりに無秩序で、それに毎日つきあわされるのがイヤだったからあんなこといったのかもしれん。「オレの楽しみのジャマをするな」といった心情か。そのあたりから発しているけど、直(チョク)にそういわなかったのはまあ、上出来だ。
 自分にとってはこれが今現在の最大の娯楽なので、いいけれど、別段たのしくもないのにこうゆう「趣味のモノ」をやりつづけるのは、人生のムダだ。

99/5/30 よる。
 腰が痛い。というのも吉田寮祭恒例の鴨川レースに出たからだ。単純に川の中を走ってのぼるだけ。今年は三条大橋出発、出町のデルタにゴールというものだった。いつもとちがって倍ほど長い。とにかくしんどかった。ぶかぶかのズボンに地下足袋といういでだちやったけど、このズボンが水をかいて異様におもい。このままではデルタにつく前にへたってしまう、と思たし、途中で脱いで、首に巻いて走っていった。そのせいで、自転車の鍵をなくした。
 ゴールに着いたらだれもおらへんだ。三着。最初からズボンを脱いでたら二着にはなれたと思う。さて、先頭グループ四人のつぎは、とみるとはるか彼方。しかたないので、橋ひとつ分くだって、迎撃した。とりあえず、きたヤツは片端からとっくみあいしてビショビショにした。もしくはされた。しかし、その次の第三グループはまたこれもはるか彼方。どうしようもないので、またデルタにひっかえした。そのころにはお迎え部隊がいた。またうだうだしていると、やっとこさ最後尾集団が見えてきたので、迎撃にいった。ビチョビチョになった。イヤー疲れた。三着のご褒美は90%のウオッカだった。一着二着も酒だった。そんなモノもらってもうれしくないし、その場で消費しろとの意向なので(段取り悪いクセにそういうとこだけ一丁前)、とりあえずふたを開けて、人に飲んでもらった。(もしくは口に押しあてて飲ませた)
 さてそのとき指摘されたのが、参加者の中で在寮歴の一番長いのがオレということだ。アチャー。

99/5/29 ひる。そらがしろいぞ。
 水滸志伝評林。方針を変えてやり直すこと決定。ついでに王慶のダイジェストを載せる。
 マンゴーがたりん!

99/5/27 よる。しんしん。
 今日は英語がなかったので、書庫に潜っていた。うーん。いいなぁ。コピーしたれ。
 水滸志伝評林よりよさげな文簡本「水滸忠義志伝」を発見。うーん。志伝評林の翻訳はやめて、これにのりかえようかな。こっちの方が記述が細かい。
 パリ本の残巻の前半部(冒頭から田虎まで)が見つかってるてはじめて知った。
 にしても、古本小説叢刊と古本小説集成は一緒にしといてほしいなぁ。
 おそらく二刻英雄譜は集成の方にあるんやろなぁ。なんで集成の購入、別にしたんかなぁ。
 地方志をブラブラ見にいった。漢字を読むのは面倒なので、巻頭に付いてる地図ばかり見てた。それなりに収穫があった。

99/5/27 あさ。土砂降りの雨。
 人の生き方についてどうこういうのは結局自分の不安の投影なわけで、かなりはずかしいことをしていたなぁと反省する。
 もう五月も終わりかぁ・・・。はやいなあ。文学部、前期の講義あと一ヶ月しかないで。みじかいなあ。吸収できるだけ吸収したいなぁ。マジメに予習しとこ。なかなかおっつかへんなぁ。

99/5/25 よる
 水滸伝雑文に一編追加。だいぶ内容が濃くなったはず。
 「仙境」ではチョコレートをたくさん食べました。
 今日は出町の商店街でマンゴーをゲット。しあわせです。
 さあ、これから研究室に行ってお勉強しましょうね。

99/5/21 やっぱり朝。あーいい天気。
 水滸伝袋ひさしぶりにコッソリ更新。だれも見に来るめえ。
 今日から月曜くらいまで俗塵を離れて仙境に遊びます。うそです。でも、月曜はたのしい専門が目白押しなので学校に行けないかもしれないのはけっこう悲しいです。
 そうそう、語学がなんか、楽勝揃いな気がしてきた。

99/5/20 わりと気持ちのいい朝(ねむくさえなければ。)
 きのう調子にのってかいた読みと訳はかなりテキトウです。戒めのために残しとく。
 寮生のノートパソコンにWindowsをいれなおすハメになったけど、全然うまいこといかん。きのうは7時間くらいやってた。学校から帰ってすぐ。あーうー。もう人のパソコンのことなんかには絶対顔をつっこまない。あんなことにこんなに時間を食われるのはイヤだ。全然おもしろくない。講義の調べモノしてるほうがおもしろい。ちゅうか、したい。させろ!
 でも、ひとがlinuxいれたのを見にいったときはたのしかったデス。はい。

99/5/19 ドンヨリした早朝
va dar chande saal az nou'ye hekaayaat ettefaaq oftaade, va diigar baare haqq tamaalii be nosrat va ta'yiid ,chiinggiiz khaan raa qavii haal garnaaniid va aqvaame uu raa jam'iiyatii peidaa shode.
(数年のあいだにいろいろな出来事が起こったが、気高き神の助けと支持によって、チンギスハーンは強くなり、彼の部族はおおきくなった。)
 たったこれだけの文章を解読するのにどれだけの時間を費やしたことか。でも、文自体は簡単やさけ、あっという間に済むんやろなぁ。

99/5/17 よる。遠くで吹奏楽器がなっている。
 目がいたい。講義中あまりのいたさに目をつむっていたらしばらく寝てしまった。
 時間がほしい。本を読む時間が。眠らずに疲れをとる方法はないものか。
 かなり疲れてるはずなのに体調がいい。目が痛いとかそういうところにつかれがでてるのに背筋を伸ばしておれる時間が長くなってきている。背筋はやる気満々だ。どういうこと?つかれてるんではなくてタダ単にメシくってないせいか?

99/5/16 ひるさがり。曇天。停電。チュンチュン。
 さっきまで停電してた。しずかやった。あさ、寮中の電気が切れたとき静かすぎてびっくりした。電気製品はつねふだん、謎の音を出しとるんやろか。たしかに謎の低音がうなってる。うーんまあアレはとなりの冷蔵庫なんやろなぁ。ひょっとすると夜吉田山で野宿するといつも以上に静かなのかもしれん、と発想を飛躍させて、そのうち吉田山で寝てみよう。今晩は湿気とるしまた雨降るかもしれんさけイヤ。

99/5/12朝七時頃。 鳥がチュンチュンさえっずっとる。
 今日は学科の遠足で天理図書館に行ける。そして、そのあと、新歓コンパがあるらしいが、まあ、それはどうでもいいか。とにかく、そういうわけでウキウキしてはやく目が覚めた・・ワケではなく、昨日とにかくねむかったので、バタンきゅーと寝ていま目が覚めたわけ。
 時間がない。なんかしたらそれに対応してかなりの時間ボーっとしてる人間なので、ボーっとする時間を勘定に入れると何もする時間がない。生活態度をあらためてムダにボーっとする時間を減らせばいいが、とりあえずいま現在はその、ムダにボーっとする時間もまぜて、時間がない。いままではほとんどの時間をムダにボーっとしてつぶしていたけど、どうもそこまではムダにボーっとできないようだ。こんなこと書いたらだれかさんに「ヒマはつくるもんです」といって怒られそう。時間を按配することを覚えようか。ここに書くのが息抜きみたいになったら、とりあえず覚えたといってよかろう。
 アカンアカン。文言で書いとるやんけ。ちゅうか、最近文言ばっかりや。なんもむづかしいこと書いとるわけちゃうのに文言がでるんはなんでやろ。余裕がないんやろか。なんかテキトーなこと書いてお茶をにごしとるんやろか。文言には套語がおおい。套語は心にもないのがおおい。心にもない文章かくのは自分の方針に反する。

99/5/11 夜中二時に目が覚めたので更新
 最近シツコク書いてますが、学校にマジメ?に行ってます。能力不足と老化を感じさせられることもあるけど、(そりゃいままでブラブラしてたんだからマトモにできなくて当然か)それ以上に自分の知りたいことをいろいろ教えられておそろしく有益。先生が「こんなバカ相手にするのイヤだ」とかいって講義を放棄しないか、そっちの方が心配。
 それはいいとして、学校の講義というのは、だいたい、ある本の内容をその本を書いた人が懇切丁寧に解説してくれる様なモノなので、講義がおもしろいといっても、聴くだけの講義なら、ねっころがって本読んでおもしろいおもしろいといってるのとあまり大差ない。

 ああ。そうゆーたら、カウンタしらん間に五千こえてた。ふだんから画像表示切ってるんで、気がつかへんだ。ごっつぁんです。

99/5/6 あさ。みんなが通勤通学するころ。いい天気なので気分がよろしい。
 GW中はチョット東京にいって、ある大会にでてきた。会場そばの公園の石橋のしたで野宿したらわりと快適やった。寝返りうてへんだけど。左手親指つけねをかるくつきゆびした。いきかえりは車で、けっこうしんどかった。ついでに秋葉原と神保町によってLANカードと現代ペルシア語辞典をこうてきた。古典語彙が必要なのに「現代」なんてついてるの買ってどうするという気もする。
 かえってきたら例のディスプレイが死んでいた。まっくろ。なんもうつらへん。つけっぱなしにしとったんがわるかったんやろか。15インチのにかえたらちいさくてせまくてボケてる。800x600にしとこうかな。
 LANカードも中古はfreeBSDで認識して、箱でこうてきたのが認識しーひんちゅうオソマツな結果になった。なんでドライバないの?ノベルのNE2000と互換ちゃうの?全部中古こうたらよかった。ルータ計画頓挫。
 昨日はモチを電子レンジでとかしてくってみた。一袋(十個)まるまるくったら気分わるくなってそのまま寝た。

99/4/30 うしみつどき。すみわたった空。適度にしめったつめたい空気。つよい風。消防車。
 月曜から水曜まで五限きっちりでた。今日が休みでよかった。GWすぎたらどうなることやら。
 しんどかったけどたのしかった。こんなにたのしくていいのかと思うくらいたのしかった。
 しんどかったのはおもに時間のつかいかたがわかんなかったからだ。いままでワガママ気ままにくらしてたので、こうゆうふうにかなり規則的に活動するのはしんどい。あと、ジーッとイスにすわっていたのでそれもしんどい。八時から六時まで占有されるのもしんどい。
 たのしかったのはまだ講義がはじまったばかりで、これからどうゆうことをやっていくか、という話しかしてないからだ。実際に作業にはいりだしたら苦しいかもしれない。実際、『集史』のペルシア語の写本のコピーを何種類かわたされて、「次から読んでいくからねー、だれもでてこなくなっても別にかまわないよー」と宣告されたのもあった。

 英語も運良く、出てたらなんとかなりそうなのをそろえれた。これだけ英語をやったらだいぶ能力向上につながるだろう。タルイのは出なくてもいいや。学部で用意されてるのもあわせて六つもでるんやし(アホらし・・・)。問題は中国語で、マスの授業をそろえてしまった。中国語に関してはバリバリの独学なので、やるからにはなんとか発音技術アップにつながるようにしたい。そういうのはなるだけ一対一に近い状態でやんないと意味ない。CALLの中国語もあるそうで、それとりたかったなぁ・・まあ、英語が緊急事態なので、しゃあない。


 選挙にかかわった。町会議員選挙。ボクは京都市民でなくて、依然として、京北町民なのだ。京北町の選挙は血縁、地縁、人縁である。せまい世界なので、ほとんど顔がわかっている。逆にいうと、わかっている範囲だけで、入れる入れないを判断する。選挙民五千人くらいが16人を選ぶ。今回、19人出た。3人落ちる。ボーダーは200人くらい。いかにせまいかわかる。
 京北町の選挙は陣取り合戦だ。候補のでる部落はみんなで寄ってその候補をおしたてる。そして、候補のでていない部落の「票」をとりにいく。具体的にいうと、知りあいに声をかけるのである。戸別訪問もする。してはいけないことになっているが、そこはなんとかして、する。具体的には、家のそとに知りあいがよびだして、あいさつする。ポイントは「知りあい」で、知らん人にまでそういう運動はおよばんのである。だから、候補が基盤としてる部落のおおきさによって強いか弱いかがだいたい決まってくる。部落を超越しているのは創価学会と共産党である。連中は組織選挙で、票をわりふる。
 あとできるのはスピーカをつけた街宣車でがなり立てることである。これは、うるさいものであるが、そうかと言っていかないと、無視されたと思って投票してくれないかもしれない。だからくまなくまわる。特に知りあいのいるところに重点的にまわる。演説会はその部落が一致団結するためにおこなうものである。だから内容はどうでもいい。みんながんばってます、ということを確認できればいいのだ。
 その候補の人柄、人格、能力もポイントのひとつではあるが、部落のなかではみんな顔見知りで、どんなヤツかみんなおたがいに知っている。だから、問題がありすぎたり、能力が欠けたりするのはでてこれない。
 なかには名声がある人もいる。こういうひとはかえってギリギリの選挙戦をしいられる。なぜなら、あの人は大丈夫だろう、というのでよそに票がながれるからだ。だから、ウソでも必死にしていないとホンマに危ない。
 今回落ちた三人の一人はいつも落ちている人である。部落選挙を否定して、何のうしろだてもなくでている佐々木一政という人だ。名前をだしたのはそのむなしい努力に敬意を表してのことである。
 もう一人は、往生際がわるかったので失敗した人だ。そのひとは部落の人たちにもうやめると言っておきながら直前になっていきなりでると言い出した。それでは部落も十分にうしろだてになってくれない。
 もう一人が落ちたのはうしろだての部落がちいさかったからだといわれている。
 前評判では佐々木さんとその往生際わるかった人と共産党のおばはん、というくみあわせだった。共産党は合計三人でていたがそのおばはんはほとんどのひとがしらなかった。だれも知らん人が通るあたりが共産党なのだろうし、そのあたりに存在価値があるのだろう。
 こういう選挙だから、当選すれば当然打ち上げがある。運動会とかをやればそのあと打ち上げをしたくなるのとおなじだ。ただ、選挙法の改正で、そういうので飲み会やってはいけないことになったのだが、またここでも知恵をこらして飲み会をやっていた。ウチの部落では公民館の外で開票速報と当選の万歳をやったあと、公民館にはいって飲み会やった。それとこれは別、という理屈だ。よその部落では、常会を開いた、という名目で飲み会をやったとこもある。

●このあといろいろかいたけど、とりあえずけずってかかない。
99/4/23 3限がはじまるころ。春の嵐っぽい風
 今朝、ひさしぶりに顔をあらおうとしたら、頬がこけててびっくりした。滋養をつけにゃならん、とおもって葛湯をのんだ。
 きのう、苦行のような英語と、何の役にも立たないけどたのしい文学部の講義に出た。語学の抽選に落ち続けて(なにしろいままでのツケと転部のペナルティで七つもとらなあかん)かなり悲愴感ただよってたけど、今日、CALL(コンピュータ利用の語学)の英語が通って、これがたのしそうなのでズイブンしあわせになれた。昼からの英語は通るやろか。

99/4/22 まっぴるま
 そのほか>PC拡張記>「FreeBSD2.2.8をPC9821Bsにいれてみる」追加。
 ここ一週間、友達とあそんでいた三日間をのぞいてずーっとFreeBSDをいじってた。だいたい、コンビニか生協にいってチョコレートを買う以外は備蓄の野菜と麺類で生活してた。腹がへった。でもげんきだ。

99/4/19 草木も眠る二時半のくせに夜空が赤い都会はおかしい
 金曜からしばらく就職してたともだちがきてた。というわけでこの三日間ずーっとあそんでた。ひさしぶりにああいうB105的バカをしてたのしかった。
 ゴミ98にFreeBSD2.2.8をいれてうごかした。まえは皆目見当つかへんだけど、いろいろいじったせいで、動いているイメージがつかめてきた。たぶんいまはいろいろわかりかけで何やってもおもしろいとおもう。難点はドキュメントの英文を読んでると眠たくなって寝てしまうくらいか。(寝っころがりながらやるのがわるい。)

99/4/14 午前一時半くらい
 13日は専攻のガイダンスがあった。共同研究室というところにあつまった。工具書がたくさんあっていいところだ。もっとはやくきてたらよかった。ガイダンスでは「何をやってもイイ」といわれた。ますます気に入った。
 そのあと、図書館の書庫をめぐった。ふるい本とかつかえそうな本があっていいところだ。最後に人文研東方部図書館の書庫にはいった。ここは閉架式なので、ふだんは研究者でもはいれない。グルグル案内されたけど、結構本を手にとれた。三層目の片隅に古典小説がかたまっているところがあった。水滸伝の容與堂本があった。また、楊定見の百二十回本があった。二刻英雄譜があった。ちょっとうれしかった。
 物見櫓のような所までのぼってしばらくあたりを眺めたあと、解散した。
 近くのセイバーズにいって500g百円のスパゲティを三キロ買ったあと、寮にもどってそのスパゲティをすこしくった。くったらねむくなって寝た。おきたら夕方だった。

 今日は作文調だ。このまま続ける。小学校のころ作文はだいきらいだった。人にきいてもらいたいことなんかないのに書かされるからだ。

 「三国志つづき書け」といわれた。水滸志伝評林のことだ。おもしろいといわれた。ちょっとうれしかったので、更新しようかなとおもったけど、ほかにすることがあってそっちに気をとられて、やる気がなくなった。まあ、そのうちやる。

 日記ばっかり更新してる。たぶんいままでと急に環境がかわってうれしくなってるんだとおもう。それとこないだの一件でひさしぶりに頭が活性化されたからだとおもう。そのうちもとにもどるのではなかろうか。ただし、この四月はめずらしく予定がいっぱいなので、刺激がつづくかもしれない。

 ※(99/4/23追記)あとで本を読んだら水滸伝の容與堂本は天理図書館にあるけど、ウチの大学にはないと書いてある。ありゃなんだ?時間がなくて舞い上がってたせいでみまちがえたか?調べてなんとかする。
99/4/13 あさ
 メディアセンタの新方針のせいで、夜の一番こむ時間はつかえへんようになった。電話がつながらへんし。まあ、夜更かししーひんようになるさけええやろ。

 さる筋から水滸伝中的懸案というのがまわってきた。わりとおもしろい。三国志中的懸案という本もあるらしく、水滸伝・・をまわしてくれたひとはそれをみたかったらしい。でもその本は日本語に訳されていて、訳したヒトがもっていったので、その訳された本がまわってきたという。しかし、訳されたモノよりは原書の方がいいにきまってる。というわけでそのひとは読んでないそうな。
 これはいわゆる謎本で、たとえば冒頭の一章は「水滸伝書名之謎」。簡単に内容を紹介すると、

『水滸とは水のほとりである。詩経にも「綿綿葛藤、在河之滸」とある。
 なんで水滸なのか。諸説を紹介しよう。まず最初に、「農民革命を鼓吹する」説。(これ、共産党の旗持ち説で、以後も最初に共産党の旗持ち説が紹介されてほとんど無視される。)「姜太公釣魚」説。(袁無涯刻本説。姜太公つまり太公望が水辺で魚を釣るふりをして、周の文王に見いだされるのをまってたように、宋江たちは梁山の水辺で見いだされるのをまっているのだ)「荒遠に寇を棄てる」説。(金聖嘆説。わるいヤツらを水辺へとおざける)「睡虎関」説。(東平府には睡虎関があり、土地の人はなまって水滸関といった。そこから水滸の名がとられたという。)「虚其詞」説。(汪遠本の「水滸拾遺」中の説。特にさすところはない。ただの水のほとりだ)
 で、「虚其詞」説が妥当だろう。「農民革命を鼓吹する」説はこじつけだ。宣伝小説が元明にできるわけがない。水滸の名はすでに元の雑劇からある。金聖嘆の「荒遠に寇を棄てる」説は水滸の名にひきよせて持論を語っただけだ。袁無涯の「姜太公釣魚」説はただの連想ゲームだ。「睡虎関」説はそもそも東平府にそんな地名はない。
 水滸伝が本になるとき、とりうる名が「宋江伝」「梁山伝」「水滸伝」のみっつくらいしかなかったので、一番かっこいい水滸伝にしたのはあきらかだ。ふかよみしてあれこれ考えるようでは「水滸」の意味を真に理解できない。』

 こんなかんじ。中国の諸説が紹介されておもしろい。ただ、中国では問題になるようなことでもオレにはどうでもいいことがおおくて、なかなか読みすすめない。

99/4/12 ひる
 昨日は花見をして楽しかった。
 そのあとの一件は腹のすわりがわるい。
 事柄自体は別にどうということもない。流儀のはなしだ。もしくは戦略のはなしだ。あれがオレなら、「ああ、ここはこうゆうヤツのあつまりだった」とおもいだしておとなしくしたがっただろう。オレじゃないから腹のすわりがわるい。
 納得しているかどうかが問題なのだ。心にとどく言葉で語ったかどうかが問題なのだ。ああしてみんなわかったつもりになってるのはたいした優等生だが、ホンマにあれでええんか?
 退役寸前のジジイにそんなにつよい言葉がはけるわけがない。通達しにいくのと納得させにいくのはちがうだろう。
 傍観者たるオレに今回ひさしぶりに後悔した。

99/4/10 ひるさがり
 なんやらいろいろせんなん事がある。息抜きに更新。

 文学部は語学に難がある以外は予想以上に天国だということがわかった。

 クリスマスあたりにおジイちゃんが死んでついこないだ百日やった。おジイちゃん家は天理教で、十日、二十日、と十日おきに五十日までまつりがあり、百日で一段落つく。十日おきなんが気をひいて、こないだ、なんでそうなんか、天理教のオッサンにきいてみた。こういうのはヒトが死んだらこうなる、というスジがあって、それにそう形で祭りをおこなうのが多いはずなんで、そのスジ書きがあるならそれをきかしてもろたらそれだけで良かったんやけど、きく場所がわるかったんか、まわりのオッサンにチャチャいれられてしまいやった。
 とりあえず、オッサンらは、死んだらしばらく家のまわりをグルグルまわってて、四十九日すぎたらホトケになると思ってるらしかった。
 ヒトが死んだらどうなる、というのは宗教のミソなので、天理教くらいおおきくなると、簡単に調べれるはず。それをあえてきいてみたのは調べるほど知りたかったわけでないのと、とりあえずはなすネタがなかった、というところ。
 あ、そうそう、あと、ちょっと考えてることとして、幕末に発生した天理教とかの神道系の宗教は、江戸時代に混乱した日本の宗教界を革新しようとしたモノではないか、と。で、天皇をかついだ明治維新は一面ではその宗教革新運動の一番成功したヤツではないか、と思ってるんですが。
 日本人が無宗教といわれるのは本当に何にも信じてないからではなく、ほかの国でひとびとが宗教におっかぶせてる役割を国家がはたしてるんではなかろうか。
 あー中止中止。このへんになると考えまとまってないので弁士中止!

99/4/7 午前一時頃
 メディアセンタに行って面談したらなんとかなった。事情がわかってもらえるのとわかってないのとで全然ちがう。この件で学生部とかいろいろまわったけど、事務屋の印象はよくない。わるいひとではないんやろけど。自分に決定権ないと生気なくなるモンなんやなあ。とりあえず、あんな仕事はしたくない。(ぉ。そもそも仕事する気あんの?
 文学部に行って敵情視察してたところ、ドクターになった同級生(高校)に発見さる。オレは新三回生。そうそう、そうゆう年頃なんですな。
 今日のメシ。昼にぶどうパン。夜にさつまいもと牛乳。400円弱。投資効率わるし。野菜こうてきてジャスコラーメン食ってる方がナンボかマシ。
 うーん。ここしばらく日記しか更新してへんなあ。

99/4/4 よる
 表紙に書いたとおり、メディアセンタが内線接続者に意地悪してて大変こまってる。一応文句のメール送ったけど、なんもならんのなら、みんなでおしかけるしかない。
 にしてもこんだけブチブチきられたらmp3のアップロードできん。せっかくサイトつくったのになあ。
 中国に旅行しに行ったヤツに工業化学の教科書ひとそろえと交換で「漢語大詞典」縮印本をこうてきてもろた!なんでかボロボロ。でもうれしい。

99/3/31 よる
 「そのほか」>「PC拡張記」に「ゴミ大将ふたたび」を追加。水滸伝リンクに一件追加。ついでに最近の変化に追いつく窮余の策として、ひとんちのリンク集にリンクを貼る。
 mp3サイトが開設二日でカウンタ900突破!すごいぞmp3。

99/3/29 あさ
 ちょっとmp3サイトをつくってみた。それ用にメールアドレスを手配したりいろいろしたので、案外手間がかかった。

99/3/28 ひる
 リンク追加。情報「歴史リンク。」それにしても、知りあいと水滸伝関係以外で、はじめてリンク申し込みされた。それもリンク集サイト。ほかにもええ水滸伝サイトあんのになんでウチなんやろな。こらちょっと、調べたこととか公開して箔つけたほうがええんかな。見に行ったら、中国文学の水滸伝に分類されてた。
 そうそう。水滸伝サイトもばんばん増えてんさけまたつくりなおさなアカンなあ。
 合い言葉はまっかっか!うっひょっひょっひょ!
 またゴミあさりしてみた。ええモン見つけた。そのうちまとめて書こう。

99/3/22 明日になる直前
 もうこんな日やんけ。中身何も更新してないです。月日のたつのははやいもので・・
 昨日今日と電話回線がおそろしく不安定でかなわん。
 IE5入れてみた。おもたい。西アジア言語対応になってよろしい。あと、IE4でダメだったところがいくつか直ってた。でもやっぱり重たいし普段使いはネスケにする。
 某月某日某大学某西部構内の某ゴミ捨て場で雀卓を見つけた。さるひとが友達と快適に麻雀をするために雀卓がほしいとかゆうたはったのをおもいだして、手紙を出したところ、今日返事がかえってきた。(19日付やったし、実は二十日についてたのかも)それによると、すでに十万だして雀卓買うたので、確保するに及ばぬ、とのこと。ちなみに「まだ一ぺんも使ってない。四人そろわんから。」との由。
 
99/3/14 日付がかわったころ
 水滸志伝評林更新。おそなったのは訳に自信がなかったせい。肉穿てなんや?ホンマに内ポケットでええんやろか。
 さあやるぞ!と思った尻から友達んちに居続け。しかも寝てばかりいたような・・・だらしないな。反省してきちんとやります。バイトもいかずに専念します。おもいたったが吉日、いまからやるぞ!

99/3/7夜
 明日から三日間神戸でゴミの調査のバイト。旅館でメシ食い放題だ。朝はやいので、はやく寝る。
99/3/7昼
 ちょっと削除。
 最近夜明けに寝て昼ごろに起きる生活・・・

99/3/4
 文学部から「てめえの転部を認めてやる」という文書が届いた。ヤッホー!ラリホー!教授に面通ししてへんし、なんも連絡ないしもうアカンかとおもとった。
 というわけで、記念に「繍像水滸銘々伝三編」の全ページをアップ。おもたいでぇ。あと水滸伝リンクに一件追加。酔虎塞。
 友達がJリーグの予想大会をはじめてます。ブラウザでできるので、興味のある人はどうぞ。http://www1.plala.or.jp/kissan/j.html
99/2/28
 あちこちちょっとづついじった。
99/2/27
 木曜の晩から友達んちに居続け。チョロッと絵をかいてチョロッと絵のてつだいして二晩いつづけた。ああ、あとLightwaveがどうこうということをやった気がするな。・・・とほほ。

99/2/25早朝
 儒林外史なんとか読了。どうも実家に帰るとどんな本でも読めるらしい。
 浅田次郎「きんぴか」読了。実家に帰らなくても読めるほどおもしろかった。マンガみたいやったけど。
 さて今日は大学の入試ということで、入寮案内を配る所存である。
 あ、それから、ウィンチップ2搭載。98でMMX化完了。もう、この98君に投資する必要はない。
 衲襖の肉穿って何ざんしょ。内ポケットかな。わたいれのわたかな。
 水滸伝リンクちょっといじる。

99/2/16
 なんか、50メガほどワレズってた。さるリンク集をみつけたせいだ。ということでそのリンク集を「りんく衆」に追加しとく。とかいう尻からまたダウンロードはじめた。
 「儒林外史」を52回くらいまで読んだ。終わりになるほど読むのがつらい。というのもずーっと出てくる主人公がおらず、いろんな人がかわりばんこにでてくる。そして痛快な話は少ないので話を読みすすませる興味の糸の力が弱い。
 一度に読もうとするさけか。

99/2/13
 11日は親戚の方で法事だった。天理教式。14日も法事。禅寺式。
 本来ならしばらく実家の方にいるところ、昨日今日と寮にもどってる。
 高校の時に買ってそのままにしてた「儒林外史」を半分読んだ。匡超人が都会の毒にあてられていく様がこわかった。おもしろいのでもっとはやく読んでたらよかった。

99/2/9
 ちょっとリンク集をいじって名前をかえた。

99/2/7
 HD店にもっていったら「初期不良」で交換してくれた。いい調子で動いてる。HPを更新しなかったのはやる気がなかったから。
 水滸志伝評林更新。さて王慶の前にあらわれたのはいったい誰か?以下次号。

 こないだ大雪がふった。これが山国(犬大将生地)やったらふつうやけど、京都やさけ大雪。その雪もすぐにとけてしまいそうやったさけ、その日のうちに京都の庭園をみてまわることにした。だれか連れを、と思って、漫研人脈のひとりに電話したけどやっぱりバイトらしい。ほかにも声をかけようかなとちょっと考えたけど大勢になりそうな気がしたので中止。団体行動は好まぬところ、ちょっとさみしいけどひとりで悠々といくことにした。

 さて、南禅寺か銀閣か詩仙堂か。いまからおもたら平安神宮もよかったな。とりあえずそのときは「歩きで銀閣・詩仙堂」コースを選択。長靴をはいてトボトボあるいてゆく。道の雪は踏みにじられてカナリとけてて興趣半減。おもしろくないのでなるだけ雪をふんでゆく。
 銀閣寺の門前道は雪がふみかためられていた。それを土産店のひとがスコップできばってどけてた。昼をちょっとまわったころやったけど人出はいつもとかわらず。ぞろぞろあるいてる。もっとはよきたらよかった。

 雪でマッチロなのもいい感じであります。日本庭園のいいところは池があって水路がつくってあってチョロチョロ水のながれているところであります。まっしろなあいだからまっくろな地面や草がちょっとあらわれているなどは自分のこのむものであります。ここの目玉の銀閣はふるいのがいいのであります。色がはげかけのままにしてあるところなどおもしろいのであります。

 こういう庭園ちゅうのは自然を写した小天地なんやろ、とおもて、銀閣寺裏山の大文字までのぼってみた。やっぱりちゃうな。そのへんの山と庭園とは。小天地ゆうても自分のすきなようにそろえた箱庭か、とひとりで合点。

 大文字の大の字の交差しとるとこらへんにお堂があるんやけど、そこでわかいのが雪だるまつくっとった。のぼる途中でけっこうの数のじいさんばあさんをおいこしたけど、あの連中はそのお堂をめざしている。平日の真っ昼間からヒマなんはじいさんばあさんと学生ということがわかる。
 大の字からの眺めは、かるく吹雪いててようなかった。安住できないのでさっさとおりる。もう、かなりうごいてどうでもよくなってきたので、さっさとかえった。かえる駄賃に焼き芋をくいながら吉田山の真如堂を通ってみた。真如堂は庭園があるわけでないので、そんなにおもしろなかった。居並ぶ墓のあいだあいだから雪が見え、その照り返しで墓石がうっすら明るくなり、その様が何とも・・・・なんともおもわなかった。

 ちょっとひとのまねをして、ある日にしたこととか思ったことをくどくど書いてみたけど、たいしておもしろくもないのでこんなことはやめる。