てきとー日記


2000/11/03~2001/03/10
旅先からの記録



2001/3/10 Shang-hai

 3/15niki ni kaerimasu.
 tukareru to roku na HANDAN wo sinai.SEIAN wo dete, 2ka hodo mutya na IDO wo sita sei de, 3/15 kikoku to ai nari masita. mou sukosi ite mo yokatta kana
 ima Fukutan DAIGAKU tikaku no internet-ya de yatteru. sugoku hayai. HON-ya wo sagasite kokomade kita noda. Shang-hai niha "Shang-hai SHOJOU" to iu HON-ya ga aru kedo, DAIGAKU no tikaku niha huruhon-ya ga arudarou to omoi konnde kita wakeda. demo yoku wakaranai.mu-nn.
 nazeka kokodeha SUIKO-DEN no VCD ga takai. imamade no mati deha takakutemo 260yuan datta noga, 1000yuan mo suru. nannda! sono NEDAN SETTEI ha! ...to iu wake de, yasui tokoro wo sagasite urotuki mawatte imasu.
 maa, sonnnakannjidesuwa.haihai.


2001/3/5 明日西安出ます

 今日、新古本屋の娘を随え、郵便局までいってまいりました。40キロ以上あったので、一冊あまりました。今かついでます。むむむ。これからさき、ずーっと元史をかついでいかないといけないのか?
 (注;中国の国際小包は20キロ以下という規定あり。)
 本屋でぶらぶら見てると、百ノウ本二十四史の縮刷版があった。しかもこれ、一ページに十六開もつめてる。正気か?しかも、たったの四百五十元。だいじょうぶか?ついでにいうと、清史稿もはいってるので、二十五史。それで十巻だった。むーん。買わない。
 それから、内藤湖南・青木正児・吉川幸次郎の中国旅行記の翻訳ってのがあった。過去を見直そうってわけだ。湖南ですよ。湖南が入ってますよ。あーた。
 『漫説水滸』ってうすっぺらい本があった。たったの七元(百円)。パラパラと読んでみると、まえ、地方志をみてて発見したことを中国人も発見しててしかもむこうはきちんと論文にしてるらしく少しがっかりした。
 水滸伝といえば、『水滸伝之謎』というのもあった。「施耐庵は水滸伝を書いてどうなったか」という項目があって、どうなったの、とおもいながらよんでみると、謎の小説がかいてある。カスだ。
 『水滸大観』というのもあった。ふたつあって、ひとつは『水滸伝中之懸案』をかいたひと、もうひとつは中央電視台の製作者がいろんな学者の書いたものをあつめてこしらえたもの。両方きちんとしてるので、買いました。『水滸伝中之懸案』についてボロクソにけなしてたけど、あれ、単純にちゃんとよんでなかったからですわ。すんません。もちっとまともです。
 とまぁそんな感じで今日は一日ダラダラしてたわけですね。ああ。こんな調子で無事上海にたどりつけるのだろうか。むーん。


2001/3/3 ゆえあってまだ西安

 むーん。いままで、中国書籍のネット通販のページをみてた。たかい。ここで買って郵送しても元とれる。
 中国の本のやすさは何によるものなのか、よくわかんないんですが、とにかくやすい。(なにかできいたはなしでは、あれは紙の値段でしかないとか。)中国刊本がやすいのはいいとして、欧米の、絵や写真がたっぷりの本を、体裁はそのままで中国訳したものもやすい。読みやすいけど難点は全部漢字だということ。固有名詞はカタカナで表示してほしいモンデスナ。

 あーなんだっけ。なんか書こうとしてここまできたんやけどおもいだせん。

 これからさき行けるところといえば、西安から開封まで黄河沿いにくだり、そこから{耳卯}城(東昌府)までいき、京杭運河沿いに梁山泊とかをみながら杭州までいき、上海から出国というルートくらいしかない。と、おもってたけど、あと半月くらいでビザがきれちゃうので、それもきちんと見てまわれるかどうか。ビザ延長かー。むーん。それもなー。
 ちなみに、ビザがきれるのは三月十六日、船のスケジュールを勘定に入れると、蘇州号で三月十三日出国十五日大阪着が現実的。チケットとれるかわかんないし、そもそもあと十日というのは短すぎる。むーん。

 まぁ、そんなことをかんがえながら、インターネット屋であっちやこっちのページをつまみ食いしつつ、一時間三元はやすいから四時間ぐらいやっても平気だ、とおもったり、天気がよくてあついなぁ、とおもったり、両隣のねーちゃんが俺ごしにどきどき「ぇぃ、ファンファン」とかいって話しだしたりしてるのはなんかイヤだなぁ、とおもったり。全然関係ないけど、アイヤーじゃなくてェィヨゥなんですね。むーん。


2001/3/1 西安

 長安城の跡地にやってまいりました。今ある城壁は明初のものだそうだ。
 ここのうりといえば兵馬ヨウやけどまだ見に行ってへん。碑林はおもしろかったです。
 碑林の石碑の一つに漢代の曹全という人の墓碑があった。で、そのうらに、人名がたくさん彫ってある。こんな感じ。「縣三老商(量)伯(禾+?)五百、卿三老司馬集仲裳五百、・・・」。五百とか千とかゆうのはなんやろか、石碑作るのに出した金やろか。まぁ、それよりも、「劉備玄徳」式のよびかたは目くじらたてて非難するもんでもないなぁ、とおもった。もともとそんなことどうでもいいほうやけど。(完全に誤読。司馬集仲が裳500だしたという意味だろう。)
 南宋の劉処士というひとの墓碑があり、わざわざ説明の板をくわえてあった。そのうらにまわってみれば、元の至元年間に、碑林を含む府学にたいしてあたえられた公の証明書が刻んである。これをほったらかしにしてるのはいいとして、なんでそんな墓碑にそんな重要なものをきざんだ?
 建物の外に放置してある石碑のなかに三階教の坊主関係のものがあった。石碑の上部しか残っておらず、しかも字のある面は人目に付かない方をむいている。なぜ?
 大徳年間とか至元年間に勅命をもらってたてられた碑はなぜ雨ざらしにしてあるのか?そのまえには木が植わってたり、清代に立てられた石碑のための建物がたってたりして、めだたないようになってる。なぜ移地しないのか。むーん。
 李自成の「天命ゲットだぜ」碑はおもしろかった。字はふにゃふにゃ、絵もしょぼしょぼ。おおきさもちいさいし。これほんものか?とおもうくらい。それから、米脂に李自成の行宮があるらしい。西安地図のうらにのってた。これも、ほんものか?

 ここにかぎらず、文物は人民の宝だから大切にしないといけない、旧封建社会や外人のためにいろいろ破壊されたが、人民中国はちゃんとやってる、ということが書いてあったけど、人民こそこういう物を必要とせず平気で壊したりする張本じゃないのか。むーん。

 トルファンにある交河古城に行ったとき、あちこちに「文物の破壊は一人一人に責任がある」というような標語がかいてあるコンクリートのいたがおいてあったけど、なぜか、そういうのだけ、上部が壊されたり、たおされてたりしてた。たおしたうえに、うち欠いたコンクリート片で標語を隠したものもあった。ほかにおおかったのは立ち入り禁止の標示。

 あいかわらず中国語まともにはなせない。アカンたれやなぁ。

 中華書局版二十四史の縮印判を新古本屋でみつけた。ハードカバーで大きさは四六版くらい?、全二十冊。うーん。千八百元の八八折。むーん。大きいけど、全体で見れば場所を取らない・・・。問題はここで買うと日本までどうやって運ぶかに困るということだ。郵送?うーん。担いでいきたいなぁ(無理)。  


2001/2/19 Ulumuqi,China

 Yaa. TYUUGOKU dayo. TYUUGOKU ha sasuga ni susunn de masu. sugoi desu.
 honnya ni ittara GAKUSHUU SANNKOU SHO ga kanari no BUBUNN wo SENNRYOU site masita. omowazu buatui honn wo katta node, tuide ni nimotu wo NIHONN ni okuri masita. kabann sukasuka.
 CD ga yasui. VCD ni soft. ITIRITU 5yuan.(100JPY=7yuan). sore ni sitemo koko made DAIKIBI ni ooppira ni sonnna mono wo utteru noha KUNI no atoosi ga aru kara ni tigai nai. InterNet Cafe mo GAKUSEI 4yuan. sore mo NIHONN no NTT ni ataru, ChinaTelecom ga yatteru. tinami ni matinaka no InternetYA ha yasui kedo TYUUGOKU no naka sika ikenai.
 demo TYUUGOKU ha TYUUGOKU desu. konaida naguttari keraretari simasita. JIBUN kara butukatte kite INNNENN wo tukeru yatu. "otosita VideoTape ga kowareta" toka "te wo KEGA sita" toka itte INNNENN tukeru kedo, soredake de naku, dotuitari kettari suru. soko de "HUTUU no TYUUGOKU-JIN ha sou iu toki ni ikinari naguttari sinai" koto wo omoidasitara yokatta kedo, isoideta si, aite ga hutari datta ri site soko made ki ga mawara nakatta. konndake RYOKOU sitoitemo souiu ohitoyosi na tokoro wa kawarann monn desu na. maa,demo, sono DAGEKI ga HE mitai de taisite itaku mo nakatta nomo aru.
 JITU ha Kyrgyz demo nitayouna me ni atteru. sosite dotti mo, "akarui tokoro he hikiduridasita"ra TAIDO ga kawatte DASSHUTU suru koto ga dekita.
 YONAKA ni aruki mawaru yatu ga warui nn desuga.

---
 "--- to omou" no ITIBAN matomo na tukai kata ha, "---- to ieba, DOKUSHA no minasann nimo wakatte moraeru to omou" dato omou. tumari, "JIBUN ha wakatteru kedo, hito ha wakatte inai koto" wo SETUMEI suru toki ni, "kou ittara wakarunn ja naika" to iu KANJI de tukau. JIBUN no koto ja nai kara "omou" to sika ii you ga nai.


2001/2/10 Bishkek.Kyrgyz snow

 sunnmasenn.HIMA nann desu.
 KYOU saigo no T/C wo kuzusi ni ittara Commission wo 5% mo torareta.100USD ga 95USD ni. sikamo soko ha USD ga tari nai."80USD" to "15USD SOUTOU no Kyrgyz som" wo uketotta. demo sugu tikaku no RYOUGAEya de 10USD katta node 5USD BUNN no Kyrgyza som ga temoto ni nokotta.mumumu.
Nani kaitennda. aa. kane ga amatte, zeitaku na kimoti ni natta noka.mumumu.
u--n. 12 gatu ni Istanbul kara Bankok ni itte reba, 3kagetu mo TYUUGOKU ni ireta nn danaa.
sikatanai.sikatanai.


2001/2/9 Bishkek, Kyrgyz

 Nantoka narisou. koko de Visa toresou. haa. MONDAI ha kane da.kanekanekane.kiritumete SEIKATU suru nomi.


2001/1/29 タシュケント、ウズベキスタン

 大変なことになった。ここから中国に行けない。ビザが取れないことがやっとわかった。ウズベキのビザはあと三日。二月一日にきれる。そして金が無い。ドルキャッシュが無い。あるのは円TCばかり。中国にさえはいれればなんとかなった。でもここでは中国ビザが取れない。バンコクに逃げようと思ったが、金が足りない。
 しかたないのでキルギスにかける。このまわりの国でビザが簡単に取れそうなのはキルギスだけ。60ドルくらい。そしてキルギスタンからイスタンブールへのフライトは150ドルくらいだという。それならなんとかなる。なったらいいな。(希望的観測)
 こんなことになるかもしれないとはおもってたけど、なんとかなる、とおもて来たのが失敗だった。ばかだ。12月にイスタンブールからバンコクに行って楽しく中国に行ったらよかった。
 とはいえまだなんとかなるとおもってるのも事実。おれは心底あまえてるんだ。状況を最大限利用しようとして結局ふりまわされてるだけのうんこたれなんだ。あーうー。


2001/1/24 Tashkent,Uzbekistan

 samui.yuki ga hutteru. asa ha Samarkand ni ita.Tashkent ha Russia no mati no you da. Moscow toka. anna kannji.
Japan embassy ni ittekita. Tashkent saidai no mimono to iwareru tokoro da. sou iwareru hodo toshositu no hon ha sugokatta.
koko de BUJI, TYUUGOKU Visa toreru no darouka. mumumu.


2000/12/19 いすたんぶる

 今天ウズベキヴィザ受け取り。おりよく中央アジアをぬけてきた人たちが宿にきた。情報ゲット。これで明日気分よく出れるぞ。

 とりあえずしばらくまた更新も連絡もできないでしょう。とりあえず次はいきなりタブリーズへ。さむいかな。さむいわな。


2000/12/18 まだイスタンブール

 文字というのは規格化されているものだ。規格化というのは少ない部品で組み立てれるようにすることで、例えばラテンアルファベットは縦直線、斜め直線、横直線に円もしくはその一部の曲線で構成されている。アラビア文字はあれでも規格化が相当に進んでいて、親しんでいない人間にはかえって読みづらい。
 規格化はおおくの人間がつかうために必要なことだ。古代エジプトの神聖文字から筆記体の神官文字、民衆文字が生まれたのも、つかう人間がふえた結果だろう。中国の漢字も、現代通行字体の楷書ができるまでにいろんな段階を経てきた。漢字はあれでもやっぱり規格化されている。直線だけで書いてみてもそんなに違和感がないのがその証拠だ。
 それで気になるのがひらがなだ。何だこりゃ。かなり自由曲線があるし、そのまがりぐあいとか、割合まで、ひらがなの基準にふくまれている。自由曲線とその結び目、だけではなく、結び目からの長さや、自由曲線の配置、まがりぐあいにもある程度しばりがあるのだ。それをはずれればはずれるほど「へたくそ」になる。
 表音文字のくせに、絵なのだ。ひらがなは。カタカナはひらがなより規格化されているように見えるが、二とンとソとリの区別があるという時点でおかしいだろう。規格化されている文字なら「字のよみづらい人」はいても「へたな人」はいない。ようするに日本語の表記は統一された絵文字でできている。だから字のへたな人がたくさんいるのである。ちなみに自分はそれほどへたではない。
 つかう人間がふえたら単純化されるものなのに、されないというのはまた別のことを連想させるが、それをまともに書いたら安易な日本人優越論になりそうで、まともに推敲するヒマのない今は書かない。中国における漢字がああだったのは、漢字は「漢字がわかる一握りの知識人」のものだったからだ。
 ちなみに、日本人・・・・まぁいいや。時間を気にしながらだらだら思い付きをならべてみるのは今日はここまで。

そうそう。そろそろ、イスタンブールを離れます。さむーい国へ。大丈夫かな。


2000/12/15 イスタンブール

 はぁ。「今朝ウズベキからインビテーションがきた、ついてはヴィザの申請をしてやるので、パスポートと写真を持ってこい」と旅行会社から電話がきた。半分腐って相当寝ぼけながら、あわてて新市街まで歩く。着くと、「おそすぎた、また月曜こい」といわれる。がっくりした。

むーん。何をウンコのような日記を書いているのか。

そやけど、ここで中央アジアとイランを捨てて、バンコクへ飛び、ラオスから中国へ入ると、中国三ヶ月が保証される。むーん。

あかん。頭つかってない。くさってる。かんがえよう。


2000/12/6 イスタンブール

 金はいくらでもあるぞ!・・・とばかりに飛行機に乗ってイスタンブールにやってまいりました。だいたい170ドル。そしてさっそくイランとウズベキスタンのビザを申請。ただしこれらの取得には約二週間かかります。こまったね。
もっと困ったことに、いまから中央アジアにいくと極寒だ。わかってたことやけど、よくよく考えたら氷点下の世界に耐えれるのだろうか。お金も心配。無事中国まで到達できるのだろうか。到達したころの中国は春節のころ、中国人が大移動を始め、運賃がのきなみ二割り増しになるという。ぁぁ。おもしろそうでいいのか。そうか。
とりあえず、ラマダンのイラン、極寒の中央アジア、春節の中国、ともりだくさんだ。ワーイ。


2000/12/3 カイロ、エジプト

 ウアァァー!せっかく二日も待ったのにーっ!
金曜土曜は日本文化センター休館日なので、待ちに待って今日行ってみたらなんと、日本語の検定試験とやらではいれない。しかも明日も試験だ。はぁぁぁぁっぁー。

 しかたないので、城に行ってきた。カイロの城はサラディンがつくらせたもの。地図で見るとかなり大きい。中には軍事博物館などがあるという。日本文化センターからムスーっとしたまま歩いていった。
街に面して城門がある。しかしここは閉まっていてはいれない。ガイドブックのとおりだ。裏口から入るらしいが、英語のガイドブックのいうところではタクシーでないといけない、という。そんなワケないので城壁にそってこぎたない家集のあいだをぬけ、なんもない岩棚をこえると駐車場が見えた。観光バスが停まってる。入り口だ。
モハンマド・アリーモスクというのが城内最高所のめだつところにたっている。ながめもいい。でもこのモスク、せっかくエジプトにあるのにオスマントルコ型なので、いまいち。エジプトのモスクは尖塔に工夫があって面白いのに、このモスクはオスマントルコ式の鉛筆ミナレットだ。内装はバタくさい。イスタンブールのモスクみたいな清潔さがない。
つぎは軍事博物館だ。ここは北朝鮮との合弁事業で作られたという。おもてに英語とハングルとアラビア語でのべてある。入ったところがホールになっていて、人民の像みたいなのとか、革命に成功して人民に迎えられるナセルとその軍隊のでっかい絵とかがおいてある。うーーん。雲行き怪しいぞ。アラブの大征服の時代、十字軍の時代、マムルーク朝期、ムハンマドアリーの時代、の騎兵の姿を人形にしてならべたものはよい。
順路にしたがって、すぐ横の建物へ移ると、なんと、廊下しか歩けない。廊下にも展示があるが、その両脇にある各展示室には入れないようになっている。はぁ。
この博物館はあんまり歴史の説明に重きを置いていない。だいたい、おもてにかかげてある「ファラオの時代」「イスラムの時代」「ムハンマドアリーの時代」「現代」ってのはなんだ。「19世紀のイギリスの大砲」ってゆう説明は何だ。おおざっぱすぎる。
投石機、攻城兵器などの模型はいろんなタイプがならべてあっておもしろいけど、まともな説明がない。どうせなにかに基づいて復元した模型なんだから、その資料をあげるとか、これはいつ頃の時代だ、とかかいといてもいいとおもうのに、「ancient なんとか」ですますのはおおざっぱとかいう以前に歴史を扱ってる意識がないんだろう。
「革命の将軍達」とか「十月戦争の勝利」とか、そうゆう疲れる展示ばかりで、がっかりした。あいかわらず、それぞれの部屋には入れないし。
ああ。うう。この城の中には他に「馬車」「警察」「盗品」の博物館がある。「警察」は見に行かなかった。「馬車」はしょぼかった。型がほとんど似ているのは購入した年代の幅が狭いんだろう。「盗品」はおもしろかった。ここ二十年くらいのエジプトの考古文物の盗品が収めてある。棺とかミイラとか。盗まれるだけあってそこそこ。
そんなかんじでした。

 で、今日はもうすることなく、所在無く真っ昼間からインターネット屋にきているわけです。ヨルダンに居たころは「ここに一日いると中国に居れる期間が一日減る」とか思ってゴリゴリ動いてたのに。そろそろトルコに行こう。


2000/12/1 カイロ、エジプト

まだカイロにいます。すんません。

ラマダンだー!このやろー!断食月だー!
まぁ断食する人が断食してるだけならいいんやけど、コシャリ屋が閉まってしまっているのが痛い。
コシャリというのはエジプトの安飯のひとつで、米、ちいさいマカロニ、よくわからん小さくて黒い豆を別々に煮たものに揚げたスライスにんにくをそえ、肉のないミートソースをかけて食べるもの。これが安くてうまい。とゆうことで、エジプト到着後毎日食べてたのに、ラマダンに入ってからそういう飯屋が閉まってしまった。こうゆう飯屋は薄利多売なので、ほとんどの常連が日中断食してこなくなってしまうラマダン中は閉まってしまうのだろう。宿からかなり離れた人通りのむちゃくちゃ多いところでなら、営業中のコシャリ屋を発見した。あと、新市街のど真ん中、外人観光客を相手にしてるちょっと高いレストランなら高いコシャリが食える。
むーん。でも、まちのなかにどこでもあって好きな時に好きなとこで食えるような状態が良かったので、めんどくさい。それに断食してる人たちの前でむしゃむしゃ買い食いというのも気が引ける。
しかたなくファラフェルで我慢してる次第です。

日本文化センターというところに図書館があり、そこに学者の講演集みたいのがおいてある。ぅおー!かたい本だー!ラマダンのせいで十時から一時までの三時間しかあかないので、通ってすこしづつよんでます。ちなみにラマダンのせいでいろんなところが早く閉まってい、日本文化センターに行ったら他の事は一日何もできません。英語の本買ってすこしづつ読んでるけど、これがわざと難しい言葉をつかう嫌な本で、読み続けるべきかどうか考え中。それともこれくらいの単語は知っとかなあかんのかなぁ・・・。


2000/11/22 Cairo,Egypt

 These days,I feel very tired so much, I don't know why.Yesterday, I have been Port Said about 4.5 hour (from 23:00 to 4:30, yes, I have not seen daytime Port Said), warked around the city and checked something at immigration, then come back to Cairo about 11:00 today. Some part of my fatigue is due to my-un-normal-deed like this, but it is not enough to explain the fatigue. u---n.

Now I know that we can not go to Turkey or every port of Europe except Cypros (Greece side) from Egypt in this winter season.(I have checked it at Alekisandoria and Port Said.)
PLOBLEM.Air is Expensive.185USD.Land is cheaper option,but I don't want to take same way back.uu-nn....Israel? There are passenger ship from Israel to Greece, however it is occasionaly happened to deny entrance into Iran with Israel stamp.u---nn....

....Yet I have not seen Pyramid very near from Cairo. hahaha.


2000/11/13 またもやヨルダンのアンマン

 ちょっとエルサレムいってきた。
イスラエル博物館はすごかった。説明が。モノ自体はそこそこ、という程度やけど、その整理のしかた、ならべかた、説明のつけかた、など、とにかくわかりやすく網羅的だった。すごい。アメリカとかイギリスもあんなんなんやろか。
時間かけすぎて全部まわれんかった。アホなことした。

歯がすごいことになってる。もう痛くなくなった。

 『リング』よんだ。まぁそこそこおもしろかったけど、あの本のどこがそんなにこわいのかわからん。

とゆうわけでそろそろ時間。なーんもかいてないな。


2000/11/5 ヨルダン アンマン 夜 気候はちょうどいいくらい

やったー。ついに日本語。更新してやる。この。この。

この旅行中いちおう日記をつけてる。でも、どこでどんなものをいくらで食べたかとかそんなどこまで細かくつけてない。ただ、何を見たか、どう思ったか、だけは記録しとくことにした。
ダマスカスについたころ、三冊めが終わった。その機会に、いままでの行程を一覧にして簡単な統計を取ってみた。すると、それまでの177日のうち、観光した日、移動に費やした日、何もしてない日、そのほか、が96、33、38、10となった。
うーん。なさけない。何もしてない日はインド・パキスタンに集中している。それ以外ではロシアでどうしようもなくなったときくらいしかない。うむ、まぁそれ以降は毎日なんかしてるからいいか。

文体がおかしい。なんか書きたいことがあったと思うけど、今おもいだせない。時間がかかると金もかかるしここまで。


2000/11/03 Jordan Amman
aa.uu.NIHON GO NYUURYOKU dekiru to omottara dekinakatta. Windows98+IE5.5 demo Arabic version ha 2bite GENNGO wo uketukenai rasii. mu-n. koko made yatta noni. (dareka ga ireta GlobalIME, munasiku migisumi ni HYOUJI sareru nomi)

Russia de KUROU site kara hige ha hasami de karu you ni sita.

U-n. ro-ma JI ha yomidurai node koko made.

IJOU.