つれづれ


2003/10/01-2003/12/31

2003/12/31 水

 昨日は餅つきということで、寮に寄ってみた。餅を食ってたらふくになり、夜には酒を飲んでへべれけになった。他に来てた上の人たちを等閑にしてたような気もするけどまぁいいか。
 これからインターネットのない奥地へ分け入ることになる。


2003/12/28 日

 正直言って参った。
 仕事納めと言うことで飲みに連れて行かれると、女の子とくっつけさせようという罠が。しかし、二十歳前の子はないだろ、ということでのらりくらりとかわすことに終始。おまけにどういう子がタイプだと責められるし、正直疲れた。
 ありがたいんですけどね。
 おかげさまで、徹夜明けの状態で、この部屋をある程度片づけて、洗濯もして、頼まれていた絵をかくことをこなすことになる。そして、今日中に出発して、明日の十時には岐阜に着いているようにしなければならない。最後までつきあった自分が悪いのですが。


2003/12/26 金

 まぁ、社長しめあげても詮無いことで、スキもなかったので、締めなかった。

 古いノートにWindows98を入れたらキビキビと動作の速いこと。誰か寮生に売り飛ばすつもりで、いろいろ仕込んでいるけれど、これならカナリ使えるので、高いレートを付けることにする。

 ついに geocity のメアドが死にました。inudaisho@geocities.co.jp に送っても送り返されます。用事のある人は inudaisho@co2.jp へどうぞ。

 京都へ帰るのに経路を調べてみた。29日。
 予約できるようなモノは全部埋まってるので、普通にJRの在来線で普通に帰るのが良さそうだ。てか、よくよく考えると、もう18切符のシーズンだ。あぁ。在来線でコソコソ帰るか。どうせ本読んでたらあっという間だ。


2003/12/25 木

 痛快痛快。
 サーバの設定をいじったあげく、サーバにアクセスできないようにしてしまいました。
 んで、そっちの処置はそっちで済まし、とりあえず糞ルータでなんとかするからこんな事になるんだと思って、もう少しいいルータを買いに行くことに勝手に決定。社長を除く社内各方面に連絡すると、社長が直電かけてきた。
 電話越しに社長がぐだぐだと理屈にもならない愚図をこねていたので、「勝手にしますから勝手にさせといてください」と逆ギレ。
 ただちに秋葉原へ行き、自腹でルータを買ってきてとりかえたところ、これが、何の苦もなく最初の案に近い形でうまくいく。うほほ。
 ということで、明日は、たった一万をケチったせいでどれだけの被害が出、どれだけの時間が浪費されたか、と言う点について、社長をいじめるつもりです。

 しかし、亜空間Y寮から抜け出るにはちょうどいいぬるま湯だったのかも知れません。
 まぁ、これからは、仕事は殺伐としていきたいですな。

 30日にミヤサカが餅つきをするというので、それにあわせてとりあえず京都まで帰るつもりだが、どんな手段があるだろうか。なんか混んでそうな予感。


2003/12/24 水

 FreeS/WANの設定の仕方はだいたいわかった。次はこの糞ルータ様に読んでもらうようにするにはどうすればよいか探らないとイケナイ。それができると次はルーティング。このなかで何が一番手間取るかと言えばもちろん糞ルータだ。Linuxのほうはドキュメントが整備されているから、適当に上から下まで読んでいけば何とか設定できるくらいにはなる。英語だからといって尻込みする年でもなし。しかし、この糞ルータは。まともなマニュアルすらないと来た。
 中にlinux積んでいるらしいということで候補に挙げてしまったけれど、どうも実装が違うような感触。まぁ、2ch情報だし。それを検討できずに候補に挙げた方も挙げた方だし(反省)。

 しかし、構造的なhtmlってあんまりよくないなぁ。
 とおもったが、DTDとか正字にこだわっている人たちがだらだら愚痴のような駄文を書き並べてその情報の扱い方自体にはそれほど頓着していない様子を見れば、硬い枠組みがあってもその枠組みの中には腐ったモノでも詰めれることがわかるから、いい。


2003/12/23 火

 総括
 某仕事のコンタクトがあった時、散々その意図をうたがった文章を日記に書いて、その後削除したけれど、結局あの見方は大筋としては間違っていなかった。つまり、インターネットをつかって手っ取り早く仕事を済ませてしまおうという「安直」な態度。自分はアホなことに、その後散々舞い上がって他の人を巻き込んだけれど、みなさんに手間をかけさせてしまったのはよくなかったのかもしれない。
 しかし、その態度を逆手にとって、出版社をつかって同人誌を出す、というふうにもっていった意図はある程度成功している。だが、編集の大権は最終的に編集者がにぎっていたから、さすがの大哥の辣腕も残り半分には手が及ばず、その辺でも中途半端ではあった。
 そして、金の支払いもダラダラ延びてしまい、終わりよければすべてよし、ということにもならず、なんとも微妙。
 まぁ、そもそも仕事に余裕があればこっちに仕事が回ってくることはなかったとおもわれるので、仕事の発生自体が時空のスキマからひょっこり顔を出した鬼っ子のようなモノだったのかも知れない。そういう悪条件から考えれば、まぁ、健闘した方なのでしょうか。
 たぶん、イベントとしては良かったんでしょう(なぐさめ)。


2003/12/22 月

 はじめての忘年会でした。(客先の)
 これであさってから社員扱いっすよ、とは社員の弁

 まぁ、もうすこしいろんな仕事をしてきてココにたどりつくなら、居心地良さそうなぬるさだが、今の自分にはよろしからず、だ。

 サーバのIPSec化。すごく簡単にできた。で、問題はconf書きになる。ただ、英語のドキュメントがこれまたよくできてる。読むべし読むべし。


2003/12/21 日

 今日は気分が悪く、寝ていた。
 とはいいながらも、午後に面接があったので、そこは無理に起きて行ってきた。社長面接。今の仕事が終わる二月から、ということで話がまとまった。
 設立四年目をむかえるのでいままでの仕事のやり方を見直したい。ついてはその刺激となるような人材がほしい。ということでその可能性をみこまれてのことである。ただし、まぁ素人同然だろうが、この年であるから、二三ヶ月で出る結果がほしいと。えぇ。がんばりますとも。がんばらいでか。
 まぁ、気分が悪くて体内エネルギーが欠乏気味だったが、すこしは元気が出てきた。

 なにやら大変そうな電話もあったが、面接の間にそれはひとまずおちついたようでもあるし、自分の体調を優先してかえって寝た。

 例の安物ノート(三万円)を買ってきてから、メインマシンのうるささが苦痛になってきている。どうしてくれようか。

 例の仕事の報酬がどうもおかしいということですが、おかしいという以前にうちには振り込まれておりません。あぅあぅ。


2003/12/20 土

 あの山を目指して
 結局安物ルータは所期の機能を十分に持っていないことがわかった。まぁ、まともな判断力のない社長に、その安物をまぜたリストを提示したのが悪かった。どうせ対価でしか判断していないから、すこし謳い文句がよければそれを選ぶに決まってる。そういうことは見越してそれをふまえた提示をするべきだった。自分が楽に仕事をするために。そして、そんな判断ミスのツケを今、即金ではらっている。
 たがいの扉は見えている。しかし、扉が安物であるため、開いてくれない。そんな状態。普通に経路設定すると、途中で迷子になり、扉までたどりつかない。専用道路をひいてみたが、扉の問題のために扉の前で立ち往生。
 対策は二つ。扉をいいのに取っ替える。直通はあきらめて、融通の利く途中の場所を経由する。どちらも険しい道のりじゃよ。
 まぁ、いつもの調子でヒィヒィ泣き言を言いながらなんとかこなしてしまう気がするが、最近なんか体が重くなってきた。


2003/12/19 金

 「ぼかぁ酔ってるんだ・・自分という酒に酔ってるんだ・・・」

 なるほど。なるほど。
 客先の女社長はさすがだ。一回もまともに挨拶してない間柄なのに、冗談めかしてそこまで的確に表現できるのか、と感心する。

 パケット通信によって組み上げられるネットワーク。その各層は互いのことを知らずに自分のすることだけをしている。と言うのを読んで、カースト制度を連想した。職能集団によって社会の各部分が分断されているが、たがいに関連して全体が動いている社会。


2003/12/18 木

 フレッツグループアクセスをつかって簡単に拠点間接続をする実験。・・・。ルータの選定についても、安いのがいいとしかおもえない社長の判断にはとても腹が立つ。そして、それを認めない点にはもっと腹が立つ。社長とやりとりすると、仕事以外のことならどうということないが、仕事に関してはなんというか、とても腹の立つことばかりなので、やりとりがあるたびにやめたくなるが、それでは仕事に関わった身として、情けないことなのでまだやめずにいる。ここの現場のことを考えれば、あと一ヶ月くらいは辛抱しないといけない・・・・。


2003/12/17 水

 サダムはナザレのイエスになるか?

 正月は一般人らしく田舎にでも帰ってみるつもりですが。そのころ帰るヒマあるのかなぁー?


2003/12/16 火

 なんかネットワーク屋のようなことをしています。なんででしょー。

 フセイン捕獲の検討・・・。とかやる気が起こらない。
 とりあえず、テレビをチラッと見たら、記者会見の席で二三人のイラク人?がやたらサダムがどうこうと、発表にあわせて騒いでいたが、そのテレビカメラは少し引いた位置からうつしていたので、その二三人だけなのが余計目立っていた。
 あれかなぁ。コメディでよくある笑い声みたいなもんかなぁ。
 まぁ、フセインは敵もいっぱいいたから喜ぶ奴が居て当然なんですが。


2003/12/13 土

 歯医者に行って銀歯装着された後、ノートパソコンが欲しくなって、秋葉原まで行って価格調査してきた。当然中古がターゲットですが。結果。

 うーん。新品買った方が良さそうだなぁ、と思った次第でした。
 もしくは、欠品とか不良で著しく商品価値を落としているモノ、のなかで手に負えそうなモノをさがすか。
 となると、IBMのThinkPadがグッと株を上げる。IBM自身で修理したモノが流れてきているモノがある点。商品自体についての情報がかなり公開されていて、いじりやすい点。これは伝聞情報でしかないが、分解組み立てしやすい設計になっている点。
 ということで、某所で売っていた、三万のHDD無し、音声にムリ有り、でも液晶15インチで500MHzのモノを何とかして使えるようにしてみたいです。例によって、値段調査したあげく、何も買ってきてませんが。

2003/12/12 金

 Gurdian "Taliban spies keep strong grip on south" 20031211
 そのアメリカ兵はつぶやいた。「昼間でだって、誰が敵なのか区別がつかないのさ」

 google で"miserable failure"を検索すると。 関連記事

 この土日は絶対仕事はしない。しないったらしない。歯医者には行くけど、仕事関係のことは一切しない。


2003/12/11 木

 あれですよ。仕事をボチボチ探しておりますが、全然引っかかりません。そらそうだわなぁ。三十目前でプログラム歴あさいのにプログラム屋を探しているのだから。はぁ。こっそり二つ面接を受けてみたが、ひとつは返事が無く、ひとつは試験を受けさせられたあげく、すぐ「ダメです」と言う返事が来たし。まぁ、考慮する間もなく選外というところなんでしょうな。今の会社くらいマヌケでないと取らないと言うことですか。うむ。
 そしてこっちでするべき仕事、今のシステムで足りない大枠をみつける、というところがそろそろ終わりそうになっている。うーむ。
 まぁいいか。ダメならダメなだけだ。


2003/12/09 火

 クイックソートってプログラムの基本か。そうだったのか。うーむ。


2003/12/07 日

 うーん。仕事から離れられない。

 今の仕事が終わったら辞めますということを社長に伝えた。
 この会社に入って、大きくわけて二つの仕事に関わってきた。一つは社長が途中まで中途半端に関わって抱えきれなくなって丸投げしてきたモノ。一つは営業兼上流行程設計者が初めからきちんと設計していたはずが、社長の無定見な仕事分配によって納期が延び延びになり、さらに設計者が納期の直前になって(鬱になって)逃げてしまい、しかもそれが結局、設計段階の業務に対する見方の違いから、実務で使えないモノであったりしたような仕事で、ほかに誰もひきつがないし、その客先に常駐してしまっているから、パソコンの使い方教えて、というような雑用から、業務の流れを追ってその項目の裏の意味を探ってみるような大きな事まで一挙にやっている(つもりになっている)。
 はっきりいって、オレなんかまともに仕事できてる部類に入らないとおもうが、そういう小さいミスもかすむようなどうしようもない状態ばかり。東京に戻ったときに辞めるべきだったのかなぁとはおもうが、今更言ってもしかたがない。かかわった客先はこっちがおさめるはずのシステムをあてにして、それまでのどうしようもないAccessのデータベースをなんとかつかってやっていたけど、それももう限界にちかづいている。ということで、この仕事ダメです、と潰してしまうこともならず、何とかその場をしのげるような道を考えるような始末。
 とりあえず、辞めてしまう前に、この状況が八方丸く収まるようにうごいておきたい。すくなくとも一番の被害者である今の客先によいように。そして、次に今いる会社にいいように。ということで、いろいろと策動したが、どうも動きすぎたようだ。イカン。イカンなぁ。ついつい、動きすぎてしまう。
 まぁ、自分が道化になる覚悟がまだ足りないというか。もっと己をむなしうしないといけないようだ。
 みんな共倒れはイカンよね、と言える元気のあるウチに何とかしときたい。

 今度仕事に就けるなら、はじめっから尻ぬぐいするような仕事はしたくないなぁ。尻ぬぐいするのはまぁいいけど、もうすこしまともに仕事ができるようになってからのほうがいい。


2003/12/06 土

 あぅあぅ。ムダなことをした予感。


2003/12/03 水

 今回ほど大雑把な認識の仕方が実用の役に立っているのはないとおもう。
 もうすこし詳細まで降りる能力がついたらもっと役に立つ人間になれるとおもう。精進だ。

 火曜日。
 岐阜行きの夜行バスを名古屋で降り、地下鉄に乗って名鉄小牧線に乗り換え。一路小牧へ。七時過ぎに着いちゃったよ。早すぎ。
 名古屋から北へ向かう名鉄には三本ある。一本は岐阜へ向かう線。一本はそこからわかれて犬山へ向かう線。そして、犬山から小牧を経て名古屋の郊外で終わる線。
 長良川の付け根に当たる岐阜、木曽川の付け根に当たる犬山、ともに重要なポイントだということである。では、小牧は?
 小牧には小牧山という小さな丘がある。登ってみれば、濃尾平野の北東方面、犬山-岐阜方面を一望できる。つまり、軍事的な要衝になるということである。戦国末期には、織田信長、徳川家康といった錚々たる面々によって要塞化され、家康vs秀吉というようなたたかいもここで行われた。

 うーん。つかれたしあとは簡単に。小牧の客先は結局、問題ないことがわかり、しかし、違うことを頼まれて、その調査で無駄に時間を潰したり。余計に時間を費やしたので、昼過ぎの二時から本社で話をすることになったが、十時発の夜行バスに間に合うほどには時間が足らず、ぎりぎりまで話して、だいたいのことを決めて東京へ。今の仕事先へ行く前にこっちへ来る人と打ち合わせとかするはずが、歯医者に行ったり、今の仕事先からPC関係のトラブルで呼び出されたりしてばたばたして、来た人をいきなり連れて行ってしまったり。一応、詰めの話をしに行ったけど、まぁ、いま納入しようとしているものはセキュリティ対策があんまり考えられていない、ということを言うと、やっぱりガッカリされたり。そして、帰りに、来た人と飯を食ったが、あることを言うと、「奇遇ですな(ニヤリ)」となったり。
 まぁ、みんな、思うことは同じと言うことで。


2003/12/01 月

 いやー。こってりしぼられました。うまくうごかなかったし。大変ですな。

 ということで、話をキッチリさせるため、夜行バスで岐阜に行くのです。しかも、そのついでに、違う案件もこなすため。あぁ。オレって働いてるなぁ。時給900円のワリに。んで、とんぼがえりなわけです。大変だ。大丈夫かな。まぁ死にやせんだろ。

 実際の所、こっちでするべき事をしてないことが結構あり、通常ならこの間抜けと怒られそうな所だが、それをも隠すほどの全体のおかしさ。まぁしかたないね。
 てか、さわって二日目のPDAにIMEの辞書をインストールしようとしている時点でまちがっているのかも。まぁそこそここなそうとしましたが、半徹状態で他にも色々がんばりましたが、ダメでした。えぃ。

 くせぇくせぇ。靴下がくせぇ。これが大人のニオイってやつか?


2003/11/30 日

 大家さんが倒れたらしい。
 忙しかったので金も払わずにいたらそんなことに。

 さて、今いる現場については、だれも全体を把握している人間がいない、と言う恐ろしい事態の中、明日試運転を迎える。
 てか、そんなのなのに誰も心配しないと言うのがおかしいので、仕方なく、全体の仕事の流れをきめる打ち合わせの段取りをしたり。
 どこまで仕事をするかの明確な取り決めがないまま納期を三ヶ月越えてそろそろ最小限のものができあがる、というのも変な話だ。
 大変勉強になる現場ですよ・・・・・(涙

 今次戦役イラク戦線での最初の日本人死者の書いた記録
 当然ながら、アメリカのイラク戦争にもろ手を挙げて賛成した日本の外務省、そこに所属している役人が死んだのだから、戦死者とおもってかまわない。

 土曜日に左上奥の親知らずを抜かれたが、聞く所によればその先生の得意は歯の形成で、抜くのは得意でないという。相当ひどかったようです。
 あいかわらず麻酔効きまくりで全然痛くなかった。というか、神経が麻痺していてるのだろうか。


2003/11/28 金

 この社長は、その場しのぎしかできないが、まぁしかたないだろう、と思った。
 今回の案件については、いろいろ問題点も見えたが、逆に、できてる部分もハッキリ見え、何とかなりそうでしゅ。

 てかどうしようかね。その、求人の反応。今みたいな雑用係よりはいいんですがね。雑用もかるがるとこなさないとね。


2003/11/27 木

 うはは。
 この現場に放り込んだ人が「抑鬱」とかで処方箋をもらい二週間出社しないとか。そして、そのままやめてしまう可能性大だとか。てか、この、12月1日納期の仕事はどうするんですか。そして現地に投入されてるこの私の立場は?
 詳細情報よこせゴルァ!
 まぁどうでもいいっす。なるように「する」しかないっす。

 とか言ってる裏で、やっと一件、履歴書の反応が来たり。ニヤニヤ。

 この現場へ明日社長が来るそうだから、そのときの反応でどうするか、決めよう。
 というか、どういう用件で来るのかは、内部情報でカナリハッキリわかっているのだが。
 いやー。居づらくなりますよ。その内部情報通りだと。


2003/11/26 水

 イヤー。なんか納入先に、間に合わないから一週間延ばしてください、ついでに、私、業務についてはなーんもわかっておりません、ということをいうと、ダメと言われた上にガッカリされたが、なんかスッキリした。
 てか、しかたない。ここに放り込んだ人が必要な説明を与えないから。知るもんか。説明無ければできることからするしかない。
 というか、コミニュケーション能力やっぱりそんなに高くないから、新しい場所で適正位置を得るのに一波乱ないといけない、こんなオレにがっかりしたり。まぁいいんだが。

 足下をしつこくかためていくのは高く踊るためか?

 DOS窓で作業するためにvimをいれてみたりなにしてみたり。こんなものをきたえるよりはcygwinきたえた方がよいのではないかとおもったり。

 ある本にvoid main() はダメ、と書いてあったが、それを真に受けて実験してみると、ボーランド社のタダコンパイラに早速怒られた。・・・おまえか?おまえか?


2003/11/25 火

 うーむ。少し前に常駐するかも知れないと言っていたところへ、今行っているところで必要な申込書を持って行くと、なんかきいていたのとは違い、いつ来てもオッケーという感じだった。インド人もいつ来るんですか?とかきいてきたし。今いるところの次がここかーとおもうと、なんかもう少しいてもいいかなぁという気になる。


2003/11/24 月

 しばらく前に水戸黄門を見て感じたことがあった。
 いつからこういうメンバーになったのかは知らない。でも、メンバーの中でご老公が一番強そうだった。


2003/11/23 日

 ロシアのそろばんのことを書いた本におもしろい観察がのっていた。
 ソ連時代にソ連に入国した日本人であるから、そんなに見聞が広いわけではない。
 ロシア人は行列が好きで、新しいモノがあるととりあえず行列してみるのだという。だから行列ができる、と。なるほど。冷戦時代、行列はソ連の管理体制と物不足の象徴としてあつかわれていたが。
 道端で体重計を置き、体重をはかる商売をしているのを見て、ロシア人女性も体重を気にするというのと関連づけていたが、これはうがちすぎで、体重計商売は中東では普通にある。

 また履歴書書いちゃった。

 お金が余ってきたので、最近歯医者に通っているが、土曜日に行ったら、口腔状態がわるいので一番奥の親知らずを両方抜きます、と宣言された。左上の親知らずの前二枚が悪くてこないだいきなり神経を抜かれたところだが、そこにかぶせるものをかぶせても、奥が悪いからまた悪くなると言うことで、こんどは抜いてしまうらしい。うーむ。実際奥歯のそれはカナリ状態が悪く、左上最奥の親知らずなどは一度大きく欠けたことがあり、痛かったので、むりやりそのままくっつけたら今はそのままくっついているが、やっぱり見ればわかるようだ。
 こんなふうにどんどん抜いていくのが、そのような医療風習なのか、それとも医療点数を稼ぐためなのか、よくわからない。その二本の歯の神経を抜いたときも、なんか、やっちゃえという感じだったし。とにかく、歯の状態が尋常でなく悪いのはたしかだが、しかし、歯をぬかれる(しかも二本も)ときくと、ちょっと怖じ気づいてしまう今日この頃。皆さん歯を大切にしてますか? 私はおろそかにしています。


2003/11/22 土

 いまの客先に入ってからいろいろで、実のところちょっと不満だったが、三日を過ぎれば慣れてきて、なんか落ち着いてきたところ。
 まぁ、やっぱり、営業っぽいことを今やるよりはもう少し地力をつけたいなぁとは思う。
 自分の身の丈にあったことがきちんとできる人間になりたいですな。
 基本的に「知ったか」で「甘えた」なのでろくでもない人間の範疇に入るんでしょうが。てか、両方とも改善しようと努力してるのですが。なかなか身に染みついた癖は抜けてくれません。

 うーむ。まぁそれとは別の話。Accessに関してはまったくの素人なのに、知ったかぶりをしなければいけないこの苦しさよ。そう、知ったかぶりはつらいことなのだ。
 まぁしかし。なんとか VB のスクリプトが書いてあるところまで降りてこれた。ここまで潜れば、足下を見透かされることもあるめぇ。
 要はどこでSQL文を発行しているかわかれば今のとこはそれでいいし。

 はてなアンテナのおとなりページ。こんなとこにのってるのも意外だが、しかし、内容が似通っているとされるページが四隅に遠ざかっているというのはなんだ?
 ためしに、こういうとこにのりそうな日記のアドレスを直接指定しておとなりページを見てみると、その日記のラベルの周りを関連性のあるとされる日記のラベルが円状に漂い、「あぁ。確実に時流の中にあるんだなぁ」と実感できる。

 金曜の夜に友達んちに行って、徹夜状態で仕事してるそのうしろでダラダラしながら、仕事の愚痴を垂れて本読んできたんですが。
 なんで「ぼじょれーぬーぼー」が置いてあったのかいまごろわかった。解禁日か。そんなもんあるとはしらんかった。
 ついでに、その友達がBGVとしてながしていたレンタルDVDの「ライフイズビューティフル」が、政治的象徴にあふれた教育的宣伝映画に見えたのは、わたくし、心がにごっているのでしょうか。
 「いきのこったら」「戦車がもらえる」んやで。


2003/11/21 金

 Access
 逐次更新。DBとインターフェイスの融合。別の言い方をすれば、出口と入り口があちこちにあってまぎらわしい。


2003/11/20 木

 タリバンのリーダーが交代したとか。アメリカがアフガンから撤退するのと引き替えにオマル師が降りた?
 何らかの交渉が裏で行われているのは確かだ。それはアメリカがタリバンの「穏健派」をアフガン政府にとりこんで安定化させようとするこころみなのか、はじめに書いたようなことなのかその他なのかはわからないが。


2003/11/19 水

 なんかもうイヤになってきた。
 コツコツ作ってる方が楽しいよう。

 いまごろアメリカのやり方に云々するのもどうかなぁとは思う。目の前で起こってるときに言うべきではないか。

 「その話が何の役に立つんだ?この異教徒が」 グアンタナモから解放された人の記事


2003/11/18 火

 シフト立ち上げをおしえてもらった。
 またひとつアクセスの経験値がアップした。


2003/11/17 月

 普通の人はコンピュータのことがわからない、ということがどういうことかを実感してきた。

 Access ダメぽ。
 一つのファイルにデータベースとそれを操作するもの、出力するモノがあり、一人で使う分には便利だが、ネットワーク上で共有するのにその仕様はいかがなモノか。


2003/11/16 日

 『工芸の世紀』感想
 工芸の世紀と言うより、工芸の明治とか、工芸の戦前日本とか、そんな感じだった。
 もっと正確に言うと、東京美術学校として発足し、戦後改組して東京芸大になったその足跡をたどる展示だった。時代が下るとつまらなくなっていくのを見越して、展示を見物する時間も案配してちょうどよかった。戦後のモノなんか五分で十分だ。
 木下さんは能マンなので、その文脈の話がおもしろかった。
 まぁそういうものだったので、すごかったけど、範囲としては期待したほどでもなかった。国立博物館の日本館の方が工芸品の種類は多いと思う。

 だいたい、日本の「アート」とか言うやつは、自己満足というか我が強いというか、底の浅い抽象的な思いつきを具体的にモノであらわしただけの場合がおおいから、あんまりよくない。

 おれは時給900円の「名刺だけはシステムエンジニア」な人。明日からは客先に常駐してアクセスを解析する係だ。うぇーん。つまんねー。

 Accessいやーんとか言ってたらホントに何にもおぼえないまま、月曜の朝を迎えそうだ。大丈夫ですか?

 言葉には思考の場所から思考を切り出してきて形にするはたらきと、思考の場所に働きかけて思考を操作するはたらきの二方向があると思う。
 言葉の働きとして、「分節化」とか「切断」というのがよく挙げられているが、分節したり切断したりするものはやはり、いろんな入力から得られる「世界の写像」だろう。そしてそれらを切り取るだけではなく、抽象して統合してある概念なんかを生成する。その概念の生成によって、言語レベルでの「世界の写像」の数は少なくなり、見通しが良くなると。(その結果によって、「世界の写像」には、現実には存在していないモノも存在するようになる。)
 そして、同様の働きを各入出力のレベルで行っているのではないか。つまり、その「世界の写像」をつくりだしたり抽象化して減らしたり、といったことをそれぞれのレベルでしている。目や耳や鼻、皮膚感覚・・といった五感などの入出力は、言語がひらうまえに、それぞれのレベルでの「思考」をおこなっているのではないか。

 と言う風に仮定の上の仮定を重ねていくと、最初の仮定はこのように修正した方がいいのかも知れない。脳は外界を認知するための「世界の写像」がある場所である。言葉にはその写像を切り出してくる働きと、写像を操作して新しい写像を作り出す働きがある。同様の働きは五感など人間の入出力にはすべてそなわっている。
 そして、おそらくは、その「世界の写像」の操作性という点で、言語は飛び抜けているのだろう。

 ただし、操作性が高いために、あり得ない写像をたくさん作ることにもなる。ある言語表現が「リアル」であるかないか、というのはそれが表現している写像が体感覚由来かどうか、と言うところに還元できるのではないか。

 リアルかどうかは余計な話か。


2003/11/14 金

 Accessいやーん。
 ボタン押したり窓をいじったりすることをおぼえるのが苦痛だ。
 文法おぼえるほうが気持ちいいー。
 とゆうことで全然進まなかったけどなんとかなるだろ。
 


2003/11/13 木

 はじめて亀有に行ってきた。
 北千住から二駅という近さにありながら、一回も足を踏み入れたことのないところ。まぁしかし、これからお世話になるところの最寄り駅なので、これから何回行くことになるやら。
 ということで、医療系に挨拶に行ってきた。Access かぁ。Access でやってたものを PHP のシステムに入れ替えるという話だが、自分に課せられた任務は、その Access のデータを新システムにうつすというモノ。それまであったものに色々手を加えているので、なにやらヘンなことになっているらしく、それを解読し、新システムに移せるようにするのが一つ。さらに、業務を理解して漏れてるデータをデータベースに載せるようにするのが一つ。あと、新システム移行時におこるいろいろのことの対応が一つ。
 オレにできるのか?という感じだが、まぁできなくもないだろう。たぶん。Accessもこれから勉強して、来週のあたまには、何でも知ってますという顔くらいできるだろう。たぶん。

 BBC.co.ukのトップニュースが「日本、イラク派兵を延期」だった。
 アメリカも損害に耐えかねて、一度は蹴った早期権力委譲をやる方向になっているらしい。
 そして、アメリカがかき集めた烏合の衆に政権が渡され、イラクは四分五裂すると。
 うーん。当初予想では、1アメリカ寄りの軍事専制政権 2統一が取れず北部・中部・南部に分裂 で、民主政権ができるなんてこれーーっぽっちも思ってなかったのですが、今の様子だと、2コースに陥るようですな。


2003/11/12 水

 常駐するとかしないとかいう話、また転がりそうな勢いだったが、どうやら11月中は医療系で落ち着きそうだ。そして、Accessをおぼえなきゃいけないようだ。それも速急に。
 「Access?言語は何ですか?」「マクロとクエリ」「マクロ?ということは、VBAとかですか?」「ボタンを押していくだけだよ」
 マジですか。うーむ。とゆうことで、サンプルをもらったけど、ボタンを押すってのはマクロで組んだものの操作の事じゃないんですか?まぁ。いいけど。


2003/11/10 月

 詐欺

 今日ははじめて名刺をもらい、配ってみた。
 どうも、池袋の方の会社に常駐の話はながれたらしい。というよりも、イロイロとこじれているところへあまり緊急性のない常駐をつっこむのが無理だったらしい。今日一日、顧客、下請けとぐるぐる引き回されて、最終的に顧客がそう判断した模様。しかし、経験の少ない人間を、あたかもPHPのプロであるかのように紹介されるのがちょっと怖かった。あとで社長にそのことをいうと、「営業トークだよ」と笑っていた。うーむ。
 ということでおねーちゃんがいっぱいいる医療系のところに行くらしい。まぁきょうの事を考えると、実現するのかどうかよくわからんが。イヤー今から楽しみだな。

 岐阜本社にいたときに、社長が「イヤー君も優秀なPHPプログラマだよー」と言うので、「PHP人口はそんなに層が薄いんですか」と聞けば、「JAVAなら仕事の単価が高いから、みんなJAVAをやるんだよ」と言う話だった。

 焼津でもらった高麗人参チョコレート、ニオイがキツイ。人参のニオイが強いと言うよりは、「大陸性チョコレート」のニオイがする。大陸性チョコレートはユーラシア各地に分布し、新しい間はまだよいが、ふるくなればなるほど、そのニオイがきつくなる。たぶん脂が良くないんだろう。
 とか言いながらもう半分くらい食べた。チョコレートはおいしいね。

 そうそう。それから、十月末に固定電話からIP電話への着信が可能になったので、うちに電話をかけてもらった。はじめてこの電話が音をならすところを聞いた。なんか間違い電話とか営業電話とかかかってこないものか。


2003/11/09 日

 強行軍
 自分の旅行の仕方は選択肢を数個用意して、場当たり的かつ適当かつ強引にやるところに特徴がある。誰も道連れがいないからこそできる芸当だ。今回は特にそうだった。
 ・・・ということで、長々と日記を書いてみたが、なんかアホらしくなって消してしまった。とりあえず、昨日の夜九時から歩き出し、満月の下で山道をあるき、24キロ六時間のペースで秋葉山の秋葉神社上社に到着、山頂で二時間ほど野宿し、よく眠れず明るくなるのを待って、下山。山道をくだり、下社を見、バスで森町へ移動、その後焼津まで行って、げんこつハンバーグを食った。徒歩三十キロか。
 はじめて「疲れすぎて吐き気を催す」体験をした。寝不足あーんど徹夜徒歩は良くないね。

 グラッドストンとディズレーリが競い合った時代が二大政党制の理想なら、忘れられている重要なファクターがある。それは「女王様」だ。

 あかん。眠い。疲れた。寝る。


2003/11/04 火

 下の日記見たらまた記述の重複がある。つかれてるのか?
 というか、今やってるのが続々と仕様変更でなかなか終わらせれない。あぃーん。
 そして、そっちはきれいに終わらせれないまま東京の三つの現場を持たされることになる。あぃーん。そのうちのひとつがまた、困った現場らしい。
 まぁいいけど。なんか段階的に勉強してる感はあるし。典型的なダメ現場であっても、所詮はスクリプト言語、修正にかかる手間はまだすくない、ということをかんがえれば、自分の手の中からこぼれきらない程度の負荷だともいえる。その辺は八月の選択がある程度は正しかったといえるし、社長がいい加減なのも自由にやれることの裏返しだからよいともいえる。
 ということで今日も午前様よ。

 しかし、いろいろ仕込んである入力欄を5列から32列にしろというのは何かの嫌がらせだとおもっていいのだろうか。
 意地なので自由に数値を入れて99列まで増やせるようにした。


2003/11/03 月

 日曜の午前中は結局関に行ってきた。土曜に行ったとき訪れた鍛冶伝承館で日曜に刀鍛冶の実演が見れると聞いたからだ。あと、眠かった。午前中にそれをみることを考え、眠いことも入れると、観光は朝夕が一番(朝は人が少なく空気清冽、夕方は閑散として夕日がよい)とはいえ、郡上八幡にまで足を伸ばせない。
 そこでトンチンカンの実物を見た。
 親方が焼けた鉄のかたまり部分を台の上におく。打つ人が三人並び、順番に打っていく。親方はかなづちを台の上にそえ、槌の音で合図を送る。簡単なもので、一回打てば「はい次」、二回打てば「終わり」。
 というのだが、打ち手がへたくそなため、親方の持つ鉄が引っ張られる。そして打点がずれる。ということで、何回か台の上にない部分を打ち、ひん曲げられていた。そのたびに親方が直していた。
 日本刀は鉄を熱して打って伸ばし、それを折り曲げてまたのばすのを何回も繰り返す。この実演も一日に三回やるそうだが、午前中の一回目では伸ばして曲げるだけ。またあとで何回もやるのだそうだ。
 実演の後、三人のうち、トンチンカンでないのがトンチンカン二人に打つ練習をさせていた。トンチンカンは打つときにしゃくってしまい、引っ張られる。また、打点がずれる。打った後他人の槌に当てる。などとんでもない。
 まぁ、トンチンカンを見ればわかるが、全身に力が入りすぎているのである。ほかにその槌の持つ木をかんなで削っている職人がいたが、無駄なところに力が入っていない。シャーシャーと気持ちよくけずっていく。そしてその音で削れ具合がわかる。
 まぁ、いい物を見たということで。

 あとはせっかく仕事しに岐阜まで来たので仕事した。今もしている。また仕様がすこし変わりよったし。ハァ。


2003/11/01 土

 えぇーーーーー!またか!
 これで大枠は終わりのはずだったのに、また根本的な部分で食い違いが発覚した。向こうにしてみれば説明しなくてもわかるようなことかも知れんけど、こっちはしらんからなぁ・・・。てゆうか、社長は何を聞いていたんだ? まぁいいや。今週で岐阜も終わりだから、全精力を傾けてこれを片付ける・・はずだったけど、こういう状況だと片付かないかもなぁ。困ったね。
 反省点:いくらそういう状況に腹が立っても、客の前で「腹が立ちますねぇ」とか言わない様にしよう。その状況を招いたのは、その状況に突っ込んでいったのは、自分にも責任がある。まぁコレが初めてまともにやる仕事で、しかも、矛盾した仕様で構成されたシステムの糸を解いてここまでこぎつけたんだから、そのような一言でぶち壊しにするようなことは避けたほうがいい。

 約束で、二日の昼まで会社の車をつかっていいことになってるから、眠い目をこすりつつドライブだ。犬山→各務原→木曽川→関。
 一応このあとは→翌早朝に高賀神社→郡上八幡というコースを考えていたが、一度帰ることにして、誰もいない会社でこうして日記をつけている。

 【犬山】
 犬山城は木曽川が山から濃尾平野に出てくるところにある。長良川に対する岐阜城のような位置だ。そのような目で濃尾平野を見ると、残る三大河川のひとつ揖斐川には、そこまでの根拠地がない。揖斐川のそれは揖斐川町であり、支流の根尾川のそれは本巣町である。揖斐川町には複数の城があるがどれもパッとしない。本巣町には本巣山口城がある。梶原景時が美濃の国主になった時につくったとか言うような話もあり、古田織部が城主だったという話もあり、名前だけではそこそこのものであるが、個人の名前が有名なだけで、戦争で取り合いになったりはしていない。
 この差は何にもとづくものか。犬山・岐阜ともに城を作りやすい孤立丘があった。揖斐川にもそれはある。本巣は孤立丘ではなく、飛騨の山の終わりにある山城である。
 まぁ、城を作りやすい地形かどうか、というのも関係するが、それよりも、それぞれの川の上流を見ればわかる。木曽川の上流は高山方面・信州方面と連絡する。長良川の上流も高山方面・福井の大野方面と連絡する。ところが揖斐川の上流にはそれに相当するものがない。根尾川は大野方面と連絡しやすそうだが、大野方面から見れば根尾川に出るよりは、長良川に出るほうが低いところを通る。揖斐川などは山ひとつ越えれば日本海側に出られるのだが、その山が高い。まだ通りやすいのが滋賀県の木の本方面だが、ここはすでに北陸と湖西を結ぶ要路であり、わざわざこんな山を越さずとも関が原を通って濃尾平野に出れる。つまり揖斐川を押さえてもおいしくはないのである。
 違う言い方をすれば、長良川・木曽川は国道だったが、揖斐川は県道だったということだ。
 美濃一国での争いであれば、西美濃を押さえるひとつの拠点とはなりうるが、争いの地勢的な規模が大きくなればなるほど揖斐川の重要度は低くなるわけだ。

 とりあえず、その犬山で、前に一度のぼった犬山城に登り、一度眺めた景色を再確認した後、歴史史料館というのに行ってみた。すると、たまたま、からくり人形の実演に出会った。九代目とかいう人が復元した矢を射る人形で、その人直々に操作して見せてくれた。
 その史料館のメインはからくり人形である。その九代目とかいう人の作業場兼陳列館がハス向かいにある。つまり史料館の目玉はその人である。
 犬山城を見れば、これは唯一個人所有の城である。江戸時代に領主だった家の子孫が、一度国有となった犬山城を明治の濃尾震災後、修理するという条件で国から払い下げてもらったそうだ。天守閣の望楼にその成瀬家関係のものがならべてある。その中に大正のころに城から眺めて描いた絵がある。さほどうまくない写生画だ。それに丁寧に木曽川、犬山大橋などと紙が張ってある。たぶんそのころ、成瀬家の子供がその絵を描いたというだけのものなのだろう。そのまずい絵のむこうに、この絵が描けるのはうちだけ、という殿様一家の得意な姿が透けて見えるようである。
 九代目とか二十三代目が幅をきかせているこの町は、ほかにも無形の古いものが結構残っていそうだ。(偏見)。
 小型飛行機で空から宣伝するというやりかたがまだ残っているし。

 岐阜は水運が衰えた後、東海道線という別の交通路にのっかった。しかし犬山は、水運が衰えた後の鉄道時代にも、岐阜から高山に伸びる枝線の一駅が対岸にあるにすぎない。交通路からはずれ、そのはずれたころのモノがいまだにのこっている町、とも言えるか。

 各務原の航空自衛隊の基地の横にあるかがみはら航空宇宙博物館にも行ってきた。うーん。シュミレータが結構面白い。ヘリコプターの操縦の仕方を簡単に習ってきた。

 「シュミレーション」は正しくなく、「シミュレーション」が正しい、とする向きがある。googleで検索してみても「シュミレータ」が約17600件、「シミュレータ」が133000件となる。しかし、知り合いが昔書いてたのによれば、「シミュレーション」も発音的には近くなく、「スィミュレーション」の方がより近く、しかも発音しやすいという。確かにそうだ。
 それに、シュ・シ・スィを比べれば、なんと言ってもシは sh 音が耳につく。まだ sh 音が口の中にくぐもったシュのほうがよいかも知れぬ。どっちにしても通じないとは思うが。
 そうであれば、simulation を無理して「シミュレーション」と発音しにくいように発音するよりは「シュミレーション」と日本人の口にやさしい表記でもかまわない。どうせ R と L の区別がないんだから。
 と、ここまで書いたけど、「シミュレーション」派の利点は表記が平準化されるんだな。なんせ書いたとおりローマ字読みしてるだけだから。
 発音体系と表記法の違いがあらわれるのには「ゲーテ」・「ギョエテ」、「ヘボン」・「ヘップバーン」などいろんな例がある。人名は翻訳できないからそこで困るが、シュミレーションのような一般名詞は困ることが少ない。こんなのでガタガタ言うのは外国の言葉を咀嚼せずにそのまま飲みこもうとするからだ。
 とまぁここまで書いて再び気づいたのが、自分は漢字の読みも慣用音派なわけだ。イヤー。そうゆう、穴だらけのくせに融通をきかせようとするところが根本的に学者に向いてないと思います。

 うーん。もう眠い。明日に備えて出発しとこう。

 断片
 奈良時代・平安時代、まだ竪穴式住居に住む人がおおかったのは、現代で言えば、コンクリートでできた箱に住んでいる人がいる一方で木造の建物に住んでいるひとがいるようなものか。今日本の木造住居は50万程度しか残っていないが、それは米軍に焼き払われたためで、もしそういうことがなければ、奈良平安のような状態だったのかもしれぬ。
 アフガニスタンにはソ連時代につくられた鉄筋コンクリのマンションがある一方で、昔ながらの土の家があるのにも似ているか。

 ガリレオが「それでも地球は回っている」とか言ったのは宗教裁判の席だったが、地球が自転しているとかいうのは当時の先進国であるイスラム圏の学者の間では普通のことだった。学者仲間でまわってきた学説と、宗教勢力の対立。
 現在のアフガニスタンで宗教規範と地域の規範が社会を支配し、軍閥が割拠して互いにあらそっているような状況が当時のヨーロッパだったのか。

 あー。そろそろ一時か。道もすいてるだろうなぁ。出発するか。


2003/10/31 金

 今月は227時間でした。
 しかも今晩二時から客と話してきます。
 労働時間としてはどうなんでしょうか。
 まぁいいけど。時給900円のバイトだし。


2003/10/29 水

 ここ連日23時台まで働くことで、岐阜行き直前にほとんど働いていなかったにもかかわらず今月も200時間労働達成(自己申告)です。ありがとうございます。

 江戸時代、飛騨美濃でもっとも人口の大きかった町は高山。


2003/10/25 土

 岐阜サイコー。

 岐阜城にのぼってきた。地図で適当な登り道を確認してそこからのぼる。旧岐阜城の大手道らしく、緩やかな傾斜で難なくのぼれた。
 岐阜城はまぁコンクリのこじんまりしたものだが、何より眺めがよい。濃尾平野の北端にぽっくり飛び出た金華山、まわりにさえぎるものはなく、西は関ヶ原、南は名古屋、北は霞がかかってなければ白い山々が見えるらしい。この日は天気がよく、風もないよい日だったが、ふつうに霞んでいた。
 ちいさな資料館が併設されているのだが、ここにすごい物があった。小型大砲です小型大砲。なんか信長軍が使ったとか書いてあるが、残念なことにどういう経路でここに納められるようになったのか書いてなかった。
 また、井戸があった。岩をくりぬいた井戸。井戸というよりは水槽か。緑によどんでいたが。

 岐阜歴史博物館。ものは少ないが、卑近なものが多く、また説明がよい。  ここで、岐阜の市街地の繁華なポイントが北から南へ移動していったという基礎知識を得た。

 長良川にかかっている橋の方へ行くと、鵜飼いがどうこうという建物などがあったが、この橋のたもとが少し広場になっていて、なにやら古い雰囲気が漂っている。降りていって見れば、古い町並みが残っていた。これは江戸末?などとおもいながら南へくだっていくと、だんだん建物が新しくなっていく。そういうのはたとえば、材木がだんだん細くなっていったり、建築材料の種類が増えていったり、という点でわかる。

 現在繁華なところまでいくと最近立てられたデザインの物が建っている。ところが少し違う通りにはずれると、路面電車の走るすこしふるい商店街が残っていたりする。岐阜はすごい。なんか江戸末から現在までが通りごとにある程度集まった形で残っている。南に行くほどその混在具合が増してくるが、近代~現代の都市景観の歴史がよく保存されているおもしろいところだと思う。

 しかも、駅周辺まで下ると、北側には戦後の闇市から発展した繊維問屋街があり、南には、戦後に発達した風俗街金津園がある。
 ということで、カネもないのに金津園をひやかしていると、おばはんが今日は天神さんの建て替えのお祭りだからブラブラしてずに見に行きなさい、と教えてくれた(追い払われた?)ので、見に行った。

 ちょうどその隊列にぶつかったが、櫓に車のついたひっぱる山車があり、その上でからくり人形が踊っている。そのへんの腕章をつけた元気な年寄りに尋ねてみると、あんな山車初めて見た、とのことだ。ほほー。いいところに出会ったものだ。
 稚児行列とやらで、衣装を着た子供の行列があり、やたら子供と若夫婦がいる。適当に写真など取りながら天満さんまで行ってきた。

 ・・・・

 岐阜県立図書館に行ってみたら、なんと県外の人間でも貸し出しカードがつくれるとか。作ってみた。うーむ。「世界文化村岐阜」らしいからそうなんだろうか。作ったうえで、借りてみた。

 岐阜
 長良川が山から濃尾平野へ出てくるところに位置。金華山が長良川の出口の南岸にあり、その西に岐阜がある。濃尾平野は長良川・木曽川などの氾濫原となるところがおおく、住めるところが少なかった。岐阜は金華山を背にし、扇状地のてっぺんにあたるため、水害が少なく、長良川交通の要衝として発達。また、濃尾平野の対面には大垣・関が原があり、その交通の要害を押さえる重要拠点でもある。
 戦国時代には斉藤道三・織田信長の根拠地となる。しかし、関が原の戦いのとき、西軍についた岐阜城はその前哨戦で陥落。以後、城は建てられずに放置される。家康は岐阜の南に中仙道加納宿をおき、その加納藩に関ヶ原で活躍した武将を置いたうえ、岐阜は美濃奉行の直轄地として分割、大勢力ができないようにした。
 岐阜は金華山のふもとの狭い範囲に限られていたが、明治になり、東海道線が開通して、水運が衰えると、町は南に伸びてゆく。まず官庁街が旧市街の南側に形成され、東海道線開通にしたがって南に商業地区が発達。大正になると県外の大資本による生糸工場が岐阜の好条件に目をつけ相次いで進出、市街地はにぎわった。戦後には問屋街に象徴されるような衣服産業のまちとしてにぎわっていたが、岐阜産は安いというイメージがあり、近年の安価な海外生産品の流入による価格破壊の影響をモロに受けている。繊維関係のほかには、製造業がメインであり、最近は「IT」に力を入れているらしい。
 岐阜湊から岐阜駅への天地がひっくり返るような交通ポイントの移動や、明治の濃尾震災・昭和の戦災などのような街がごっそりきえるような事件が結構あるために中心の移動が速やかに行われたという面もある。

 ぎふの産業遺産


2003/10/24 金

 ある岐阜の喫茶店のモーニング。小倉トースト。みたらし団子。茶碗蒸し。あと、飲み物。

 やっぱりNHKはいいなぁ。

 なんか書こうと思うことはあるけど書く気力がわかん。


2003/10/23 木

 四角い部屋。白い壁。高い天井。ロフト。こんな部屋に住む日が来るとは思わなかったが、とりあえず住んでいる。ウィークリーマンションだ。水光熱費込みで、ユニットバス・水洗便所・電気式の調理場・洗濯機・冷蔵庫・電子レンジ・テレビがついている。いやー。感心した。


2003/10/22 水

 会社にしかネット環境がないから面倒この上ない。

 ワシントンポストのサアド=ビン=ラディンの記事について。
 まぁヨーロッパ筋はこれをかなり疑わしい記事だと見ていると。いうことで。

 先週やる気がなくなった余勢がまだ残っていて日記を書く気力がおこらない。どうも、ああゆう状態を鬱というらしい。体が重くなってやる気がでないというか。なるほど。まぁ今は転地療法(本社勤務)中で原因がなくなったから快方に向かっているのでどうでもよいですが。


2003/10/19 土

 メアド変更。inudaisho@co2.jp
 いままでのメアドは今月末に消滅します。

 岐阜行きの準備。といいつつ酒を飲んだのでする時間がないね。うーむ。
 明日出発。


2003/10/17 金

 しばらく前のワシントンポストにでてた記事だが、イランでオサマ=ビン=ラディンの長男サアド=ビン=ラディンがあたらしくアル=カイダをとりまとめている、という。彼らはイランの保守派にまもられ、中央政府のコントロールがきいていない、と。まぁ、しかし、90年代中頃の古いデータを例に出して、ほら、こんなにイランがくさい、という言い方はどうかと思う。どうもサウジが情報源のようである。まぁ、イランはアメリカの仇敵であり、イランとサウジはペルシャ語圏とアラビア語圏の地域大国として常に対立関係にあり、サウジがテロ関係で「痛い腹」をさぐられる前にイランを敵役に仕立てておく必要があり、というところなのだろうか。
 以下ある面を捨象した妄想モード。イラクとの戦いは、イスラエルの脅威を取り除く、というほかに、サウジの脅威を取り除く、という面もある。象徴的な言い方をすれば、アメリカはエルサレムの主とメッカの主のために働いている、というわけだ。そして無宗教近代改革派のフセインをつぶし、次は強敵ペルシア人の料理にとりかからせるところ、というところか。

 そんなもん叩かんとき。

 下らんことで悩んでいたが、あれだ。どっちにしても、現在やっているシステムについて、客と話をして、なにが重要なのかを決めてきて、仕上げてくるなんてことは今までやったことがない。そんな機会をのがすのはもったいない。あ~。下らんことで悩んでいたワイ。
 まぁそれを片付けてから、辞めるかどうかは考えよう。
 とゆーことで日曜から岐阜だ岐阜だ。いぇーい。

 そろそろ放置していた歯がやばくなってきた。やばいというのはそんじょそこらのやばさでなく、詰め物が抜けて大きな穴が空いているのをそのまま放置していたり、その上で、残っていた部分が折れて歯肉より上に出ている部分が無くなっていたり、寝ていたらピシッという音とともに神経が歯の割れ目に挟まったような痛みがはしってしばらく苦しんだり、と言うような箇所が三つもあって、今日の昼飯についていた肉を食おうとしたら歯列の片側が痛くてもっぱら片方の大穴が空いている方で噛んでいた、というくらいひどい。手遅れ感もあるが、金がないので放置していた。この状態で歯医者に行くと、どんなおそろしい目にあうのやら。
 しかし、某人によると、歯医者には美人の歯科技工士がいて、歯磨きの仕方を教えてくれたりいろいろしてくれるという。まぁそういうところなら行ってもいいな。
 というか、岐阜に行くと歯医者いきがまた伸びてしまう。そもそも、歯医者に行くために国保にはいったのに。


2003/10/16 木

 やはり毒を吐くとスッキリするようで、判断停止状態。ダメだ。

 なるほど、人にいいことは言っておくものだ。知恵というのはこのようにして再分配されあるいは消えあるいは残っていくんだな。

 メモ。『酔いどれ列車、モスクワ発ピトゥシキ行』。

 川喜多次郎『発想法』。生のデータが生きるようにあつかって全体の構造を組み立てるやり方を説いている。
 ここでいうKJ法がつかえるものかどうかは別として、耳の痛いことが書いてあった。

 ただし日本人は体験を総合化するという直感力にすぐれているために、かえってその武器に初めから終わりまでぶら下がろうとする。・・・(略)・・・ところが、いくら日本人が直感的総合力、状況判断の洞察力にすぐれているといっても、それは現実が比較的単純な場合にだけ可能であるにすぎない。現実が複雑になってきた場合には、直感だけで一挙に総合化することは、何人といえども不可能なのである。それにもかかわらず、日本人は一時的な直感体験から一挙に総合化して、ある問題解決の道を見いだすヒントをつかもうとあせるのである。・・・(略)・・・そのために、そのような方法では、ついに不可能な複雑な事態にぶつかると、とたんにこんどはあきらめてしまう。そして情報のまとめのために「どこかに頼るべき手本はないか。モデルはないか」という模倣の姿勢に一挙に転ずるのである。息の短い直感的総合力と、それに伴う息の短い創造性。それでものごとが処理できないかと、たちまちにして模倣に転ずる。
 うむむむむ。いたたたたたた。

2003/10/15 水

 バイト代振込みだ。いぇーい。
 時給九百円で計算すると微妙に少ない気がするがまぁよかろ。

 やめよっかなぁということを相談してみると、「なんだかんだ言って要は飽きたんだろ」という指摘を受けた。むむむ。

 金ができたから、安心して部屋に帰ることとしよう。
 晩飯に「てんや」の丼モノをはじめて食べてみたが、なにやら消化が悪い。ということで、帰りは途中下車して歩いて帰ってきた。まぁ5キロくらい歩くのが気持ちいいんだろな。
 しかしいまも胃が焼ける。ちょっと高いモノは体に合わないらしい。


2003/10/14 火

 はぁ~(ため息)
 またかいな。なんやねんこれ。
 こうゆうことがつづくと、岐阜に行ってもギスギスしそうだ。うぅ。

 うむ。今朝のガッカリはまぁ他に原因があった。ふぅ。あぶないあぶない。

 岐阜行きがきまっているというのにこの萎えよう。ここで辞めてしまって次を探すということを考えることしばし。う~む。辞めるなら岐阜に行ってしまう前の今なわけだ。
 さて、こんなど素人がまがりなりにもコツコツシステム組んでいってPHPやSQLをすこしはおぼえたのも、社長がいいかげんで丸投げ方式の人だったからだが、はいったときにはこんないいかげんなところだとは思っていなかった。なにかいろいろ無理難題っぽいものをふっかけられているのも、なにか試されてるのかと思っていたが、どうも、そういうことではなく、深く考えていないからだということがわかってきた。自分にこういう仕事を回すようなハメになったのも仕事の按配に失敗した結果であるらしい。社内ではもう飽和状態なので、やる気を見せていた&遠方で面倒を見れない自分がその仕事をかぶることになったというわけだ。
 フォローもいいかげんで困ったものだったが、無知でやる気しかない自分はゴリゴリとひとりで既存のものを参考にしてやっていったというわけだ。しかし、ゴリゴリとやるにも限界がある。客との交渉もいいかげんだったため、詰めが甘すぎて仕事が進まないのだ。砂漠に水をやるようなむなしさに、やる気を失っていってなんかよくない。実際、時間を無駄にあそんで過ごしてしまっている。まだ技術的に未熟なのだから、研鑽する方向で荷重がかかってほしいのだが。
 うーむ。岐阜。岐阜。どうしようか。決まったのに悩むのは悪い癖だが。
 こんな風に悩むのも、三十になるまで(あと五ヶ月)にはある程度の技術を身につけておきたいからだ。このようにいいかげんであると、本社の高も知れたものかもしれないというおそれをいだいてしまう。
 なにより、今やっているシステムの詰めの甘さに衝撃を受けた。どうも顧客もわかっていないらしい。それは仕方のないことだ。しかし、それを形にしてハッキリさせるのがこっちの仕事なのではないのか? 入力データと出力データの一覧がない、という事実が全てを物語っている。最初はこちらのレベルに合わせて情報を小出しにしてるのかと思ってたが、本当になかった。
 さて、自分はどう身を振るのが正しいのだろうか。お金をもらってドロンするのがいいのだろうか。岐阜には新しい地平があることを信じて突っ込んでいくのがいいのだろうか。とりあえずこの程度のことにめげていてはイカンぞということなのだろうか。
 まー、すくなくとも東京支社で一人でございと言ってるのは全然ダメで、とりあえずはその状態はなくなる。そして、今やっている仕事に区切りをつけずにドロンするのもダメで、辞めるといっても、とりあえず向こうに行って客とサシで話して、細部をきっちり詰めて、ある程度まで形にして投げるくらいにしておかないと、自分がダメになる。

 うーむ。といいながら今日も会社に泊まるのだった。まぁ、要は「むこうでどれだけ経験をつめるか」だ。


2003/10/13 月

 今日も会社に来てみたが、なんか嫌気が差してきたのと、疲れがどっと出たのでやる気がでない。とりあえず午前中は来て寝ていた。床の上で寝ていると、起き上がる気力がでない。
 プログラム未経験の人間が、不完全で不十分な仕様をわたされ、放置され、ときどきせかされるという、「嫌がらせ状態」。スクリプトを組むことよりも仕様の不明に頭を悩ませる日々。
 ということで、午前中は寝ていたが、昼からはまた、もらったものを適当にまとめる事務作業を進めよう。
 実際にスクリプトを組んで、これはどうして実現しよう、と頭を悩ませるほうが楽だ。わからないのは自分のせいだし、実現できる可能性は見えているし。

 雨だ。あたたかったのはそのせいか。雨とともに冷気が入ってくる。いい気分だ。

 モバイル環境を実現して、新宿御苑とかの有料公園のあずまやでピコピコ仕事できたらいいだろうなぁ、と、おもう。雨の日は雨をたのしみ、晴れの日は風をたのしみ。いいなぁ。
 あ、ついつい現実逃避してしまった。
 しかし、この調子だと、また東京に戻ってきたら、イヤになるのではなかろうか。

 タリバン41人がカンダハルの牢獄を脱走したそうだが、数カ月がかりでトンネルを掘って逃げたそうだ。奇妙なのは、かれらは「今月」つかまった人たちだということ。どうやって「数ヶ月」がかりでトンネルをほれるんだろう。アフガンでのタリバンの脈動とは別にパキスタンの部族地域での取締りが激しくなってきた。パキスタンもこの機会に長年立ち入れなかった北西部族地域の支配を確立し、アフガンとの国境問題にそなえようということだろうか?
 うーむ。しかし、この調子だと、アメリカの対外強硬策の熱が冷めて、アフガンへの肩入れがすくなくなったとき、気づけばアフガンは90年代の軍閥対立の混乱に逆戻り、ということになりそうだな。

 ひまわり・・・。というより163億円どこにいった。

 マウスがボタンの上にあるときだけボタンの色が変わる。
 これをしらべると、とりあえずDHTMLで色を指定してやればよいらしいと。え?一個一個?めんどくさ。いや、やるのは置換で一瞬やけど、ソースがみづらいやんけ。スタイルシートみたいにまとめて替えることできひんのか?
 という初歩的なことを探っていて、IE5.5以上にはTIMEという・・・HTMLの独自拡張みたいなもの?がはいっているらしいということをはじめて知った。マイクロソフトてあちこちに戦略商品を埋め込んでんにゃな。


2003/10/12 日

 はぁ(ため息)。休みだ。図書館で本を調達してよむよむ。一週間後からしばらく東京を離れるのでついつい軟らかい本ばかり借りてきてしまった。

 竹ペンを調達する必要がある。竹ペン。竹。その辺に生えていないのか?
 大家にきいてみたら見たことないと言ううえに、田舎じゃないんだからその辺のモノはみんな他人のものなのよ、だから取ったら泥棒と間違えられるよ、と教えられた。てか、田舎に生えてるモノもみんなだれかのモノなんですが。田舎に生えているものは所有権のない天与のモノとでも思っているのだろうか。
 この気のいいおばあさんにそんなこと言ってもはじまらないので、とりあえず目に付くところには生えていないと言う情報を得、それなら、ということで河原に行ってみた。
 河原に行くと、葦が茂っているのが目に付く。葦ペンか。たしかそういうのもあるな。ちかづいてみれば竹状に節もある。と言うことで、かたそうなのを一本むしってきた。作ってみれば結構行ける。まぁこれでよかろう。

 うーむ。何を書いてもいまいちだ。うまくかけん。会社生活でダメになったか?

 給料日まであとすこしの我慢だ!!

 「ウィークリーマンションは大規模経営の素泊まり宿」説

 今日は久しぶりに自炊した。何週間か前に買って放置していた南瓜のわるくなったところをきりおとし、冷凍かしわといっしょに水道水と塩とニンニクで煮こんだだけだが、死ぬほどうまい。なんで店の出すモノはあんなに味がないのか。
 ということで、南瓜をたらふく食えて大満足であった。冷凍かしわはニオイが抜けて冷蔵庫のニオイが染みついた上に筋っぽくなっていてこまったもんだが。


2003/10/11 土

 昨日の日記を読み返すと、手先の技術の話が途中から変わって脳内構造の話になるのに驚く。いや、書き出しの問題からいうと当然の帰着だが、中が抜けてるだろ。まー、つまり大きな見通しと小さな小手先しかないということか。その抜けている中が整理整頓層か?まー。そうゆうことなんだろな。

 小泉はオポチュニストオポチュニストと得体の知れない言葉が飛び交っていて何が語源なんだろうとろくに調べもせずに思っていたが、やっとそれらしいものを見つけた。

オポルチュニスト 第三共和制の初期をリードしたジュール・フェリー、シャルル・フレシネら穏健共和派の政治家たちへの蔑称。左右の急進派を「日和見しながら」政策決定したことをさした揶揄だが、彼ら自身は普選と議会主義を重んじ共和政の基本政策を「時宜にかなった」かたちで導入する立場と自負していた。」(谷川稔『国民国家とナショナリズム』世界史リブレット35山川出版社 p31の頭注)
 んで、世界大百科事典第二版(ソフト)では、日和見主義(オポチュニズム)の項に、
「一定の原理や原則よりもむしろ変化する状況に応じて行動すること。19世紀フランスの政治家 L. ガンベッタが共和主義的政策をより現実的な形で実施するために共和主義の原則の一部を犠牲にしようとしたのを当時の世論がオポチュニスムと呼んだことが,この言葉の起源といわれる。また革命運動において,状況の不利を理由に革命への態度を後退させることが〈右翼日和見主義〉と呼ばれる場合がある。」
 そういうことであれば、簡単にいえば、理想主義者が現実主義者をけなすための言葉とも言えるし、裏を返せば、実際に仕事をしている人に対する最大のほめ言葉だとも言える。
 まぁ、民主党ずれが「小泉は言うだけだ、わしらにやらせればもっとやれる」といい、小泉が「十分やってる、成果はこれからだ」といっている状況にはとてもよく合うとおもう。
 しかし、不勉強なため、彼らが具体的に何を言っているのかトンとわからない。政策の意味もわからないし、経済の仕組みもよくわからない。とりあえず、今払っている国民年金は捨て金になるだろうということはわかる。
 わかんないと思ったときにしらべるのが一番なんでしょうが。

 ハ ラ シ ョ ー !
 岐阜研修に行くことになった。一ヶ月弱。
 ウィークリーマンションですよ旦那。しかも意外と安いし。


2003/10/10 金

 人を泊めるとしても、今の部屋では 1寒いのに 2布団が一人分しかない の二重苦で泊めることなどできない。ということで、京都から客が来たから会社に泊めてみた。会社には二人分の寝る場所があり、風呂も付いており、コンクリだから密閉されて寒くはないし、交通至便でとにかく便利・・といいことだらけ。ふむ。そもそもここは東京出張のための宿がわりの部屋だからな。

 アーミテージがアフガン訪問した際にタリバン穏健派と接触したとかしないとか。
 タリバンを攻めつつ、一方でタリバンを取り込もうという試みがなされている模様で、別組織をつくらせてみたり、穏健派と目される人物を釈放してみたり。でもやっぱりタリバンはオマル師がいないと求心力としてものたりないようだ。
 いつまでたっても軍閥は軍閥で地方を侵占し、カルザイはそれに対抗する力もない。まさに外国しか頼るものがない。最近などはカルザイ外遊の間に軍閥が寄り集まってこそこそ談合している。ということでカルザイとしては支持基盤を増やすためにタリバンをとりこもうとしてるようだが。ニヤニヤ。
 当のパシュトゥン地域ではヘクマティヤルが「外国勢力追い出し」を掲げ、地元とは争わないという方針で人気があがっているとか。うーむ。

 「トルコ軍のイラク派兵がクルド人に及ぼす影響」「パキスタンの一部勢力がアフガンにおいてなおタリバンを支援している状況」
と「アメリカが目先の帳尻合わせのためにトルコ軍(でもなんでもいい)のイラク派兵を歓迎」「アメリカがパキスタン軍のイラク派兵のためにタリバン関係のことをとりあえず閑却」
 まぁ、いっか。

 日本は「国際社会の一員として・・・」とか言って、アメリカの促すままに金を出すが、それがアメリカの国連離れをもたらす皮肉

 いやしかし。自分のわずかな間の仕事っぷりをふりかえってみて、物覚えと整理の悪さにはほとほとあきれる。まぁそれを力技(しつこい小手先と大雑把な把握)で何とかしている状況があるのだが、これをまず何とかしたほうがいい。そうするともっと楽チンに偏りなく仕事が進むはずだ。
 ということを考えると、これは単純に、整理する技術の問題になる。自分の認識の仕方には整理がないのか?ない。整理という概念がない。田舎の家は広かった。うちの親も整理のできない人だったが、その親にも全て使い切れないくらい広かった。空間が余っていた。そして、昔の家なので、壁が少なく、ふすまと障子で区切られており、収納家具が相対的に少なかった。したがって(かどうかしらんが)、自分の物事の整理のしかたは目の前に全部広げとく方式だった。物理的に生活空間が広いのに加えて、物理的に視野も広い。目がそういう風についている。視力が片方極端にわるいため、本来なら免許証にメガネが必要なところ、視野が広いためメガネなしで問題ない。まぁ、広げて一覧するのが性に合うということだ。
 ということで、自分の認識は平面である。三次元空間の中の平面である。そこには引き出しも押入れもない。寮にいたときも押入れを平面として使っていた。押入れの段の面にものを並べるのである。ダンボールなどに入れると金輪際日の目を見ない。したがって使うモノは目に付くところに並べておくのである。今もそうだ。だからうちの部屋は乱雑である。
 これが仕事にどう反映されるか。まず、記録が時系列にベターーっとならぶ。自分が把握できるのは、その時系列のある面、目に付く面だけである。それを補うために、しつこく見返す。これは手間がかかり、その動作にエネルギーが食われてしまってその後の動作に気力が残らない。
 整理の能力が1片付け方2引き出し方 に分類されるとすると、その両方ともがかなり未熟なやり方でされているのだ。
 まぁしかし、このやり方をもっとおしすすめるという手も考えられる。超一覧を目指すと。つまり現状は今までの路線に対して視野が狭まっているために限界を感じているわけで、そこを突破するためには視野をもっと広くして、たくさんの情報を一覧検索するようにすればよい、と。まぁしかし、物覚えもわるいから、この路線は目がないと考えてよかろう。
 では、整理の技術はどうすればよいか。ちょっとした工夫とルーチンでかなりの改善が見られると予想しているが。うーむ。うーむと言ってなにかわかったら何も問題ないか。
 ここまで書いて、やっと整理整頓で検索してみた。
 あるある大事典の過去放送分とやらによると、「優先順位をつける」。「いらんものをほかし、置き場所を決め、入れ方を決め、使ったら戻す」と。
 こんなのもあった。うむ。うむむ。
 SSで整理整頓なのか。5Sは「整理整頓清掃清潔しつけ」なのか。ふむ。
 「優先順位をつける」と「今使うモノは未整理箱」というようなところだろうか。たしかに自分にとっての優先順位をつけれていないな。
 運用はまぁそれでいいとして、次は脳内構造だ。モノをしまう場所が必要だ。うーーむ。
 まぁそういう構造化モデルとしては密教の曼荼羅とか、ユダヤ教のカバラとかがいいんだろうな。あれはつまり特殊な関連性と属性を持った引き出しのあつまりだから。
 もしくは、タンスモデルか。せまい家モデルか。地図モデルか。いっそのこと人体モデルがよいか。自分の体の一部と記憶を結び付けてみるとか。
 あるいは平面を縮めて球面とし、そのある部分がまたある記憶球面に結びつくというようなサボテンモデルとか。これは現在の記憶平面の縮尺を変化させて構造化するというようなイメージになるが。
 うーん。てか何を語っているのやら。寝よ寝よ


2003/10/09 木

 うむ。移民の子は大統領になれないか。
 やっぱりただの妄想か。


2003/10/08 水

 うむ。一時間ほど電話で話したらだいぶ見えてきた。しかし一時間か。

 以下妄想です。
 イラク占領がうまくいかないのを見てブッシュ政権の行き詰まりを感じた共和党の一部勢力が次の次の大統領選の布石のひとつとして、シュワルツェネガーを選択。なぜなら、次の次の大統領選には民主党からヒラリーが出てくると予想され、ヒラリーに対抗できるような候補を今から育てておく必要がある。シュワルツェネガーはケネディ筋の嫁を持ち、民主党の票をひっぱってくる可能性がある。イメージがアメリカ的によい。
 ということで、レーガンの二番煎じかと思ってみてたわけですが、やっぱりそれは妄想しすぎかなぁと思ってた。でも、選挙に勝ったから、妄想しすぎでもないか、と考え直してこのとおり、書いておく。

 今日は帰って洗濯でもするか。

 反省:はぁ。まぁ得々と人の非をあげつらうまえに自分を見よ。


2003/10/07 火

 うーむ。顧客からメール。やっぱり直接聞くのがはやいし確実だ。
 しかしひどいもんだ。よくわからんから、逐一これは何?これは何?と言うメールを送ったら、やっとなんとか使えそうな資料を送ってくる。最初からこれ送ってほしい。(こちらですでにとりとめない資料からぬきだして似たようなものをつくっていた。)しかしこれでも不明点がある。そもそも、仕様がもっと明確で詳細まで詰めてあったら、今頃は完成に近づいて、PDF出力って煩雑だねとか言いながら細部をいじっているはずなのだ。まぁ、こういう企業内のやりかたを人にわかるように説明するのはなかなか難しいかもしれんが。あーー。はがゆい。お客も遠方、本社も遠方。本社とお客は直接会って話できるがこっちはできん。それなのに、こっちから詳細をつめなければならない。うーーーーむ。やっぱりこうゆう構造的な問題はどうしようもないなぁ。まぁ乗りかかった船だからこれは最後まできちんとやって見せるが、そのあとはどうするか。少し考えたほうがよいようだ。
 この会社が仕事いっぱいでアップアップなのも、意外とこういうところで手を抜いているのが原因なのかもしれん。すこしまえにNTT発注の仕様書なんてのを見せてもらったことがあるけど、あれはほとんど本なみのものだった。あれはあれでやりすぎかもしれんが。

 今日も会社に泊まって交通費を浮かせよう。
 時間を区切って有効活用するよりものこる十日ほどを持ちこたえさせるほうを優先させる。ということでこつこつ仕事だ。・・ちょっと今やってるやり方は非効率かもなぁ。
 国民年金ってどうせもらえたとしても、ロシアの年金並みに価値が落ちてるんだろうなぁ。


2003/10/06 月

 今月でgeocitiesのメアドがついになくなるらしい。順当に、今あるヤフーのメアドにしとくか。どうするか。

 ようわからへんさけ仕事ならへんやんけ。ええかげんなもん作ってお茶にごしといてもええちゅうことか?
 やっぱり、遠く離れた会社に一人というのは「初心者にはおすすめできない」。

 ADHDか。しらべればしらべるほど自分もそういうカテゴリに入るような気がしてくるが、だからといって、それがどうした。人付き合いが円滑でないからといってそれがどうした。心の奥底で他人にビクビクしていて踏み込めないところがあったってそれがどうした。地を這う虫けらに病気もくそもあるもんか。

 うーん。家に帰らずに会社でダラダラ検索してたらいろいろ面白いものが引っかかった。
 自分の了見の狭さを思い知らされるようなものばかり出てきた。二十年後にこれくらいの了見をもつことができるだろうか。というところに目標を置いてがんばってみようか。

 げ。パキの過激派の人が殺された。これはどう解釈したらいいのか。うむむ。


2003/10/05 日

 土曜日、図書館で恒例の本の交換(返却借出)をしたあと、おもいついて品川の病院までお見舞いに行った。必要以上にダラダラしていたので、品川を発つ頃には日が暮れていた。品川のあたりに旧東海道の跡があった。まぁ人と一緒に行ったのと時間がなかったのでじっくり見れなかったが、なにやらそこもよさげな感じだった。ここも江戸四宿の一だから今度じっくりみてみよう。

 その後、会社で仕事をしようとしたが、金曜夜の遠足と睡眠不足がたたって仕事にならず、とりあえずこれからするべき事をまとめて、一泊しただけだった。

 日曜日、少し前に行った「古代オリエント博物館」に「ペルシア書道」のコースがあるというので、申し込んでいたが、とりあえず行ってみた。
 しかし、池袋のそれがある方面にはすごい人手である。駅を降りてから一向に人の減る気配がない。やがて、あることに気付いた。
 ケバい人間がほとんど見あたらない。頭が黒いのが多い。
 全体に善良そうで貧弱で地味な人間が多い。
 うーむ。そういうと、古代オリエント博物館のあるところには他にいろんな娯楽施設があり、こういう休日にいって遊ぶのに良さそうだが、しかし、そういうところに行くにしても、人口構成がかたよっている。わかい男が多すぎる。てか、この人種はもしや。
 と気付いたときには、その複合施設の入り口あたりで、「サークル参加はこちらです」としきっている人がいた。ふむ。同人誌即売会か。そのせいでこんなに人がいるのか。

 ペルシア書道は快感だった。たまらん。あの黒い字があらわれるのがこらもう。ぶるぶるモノです。
 書き方教えてもらえるというのがありがたい。そして、なぜあんな読みにくい字になるのか、また、パキとかの看板の字がなぜあんなのになるのか、ようやくすこしわかった。まぁ、これから隔週であるらしいので、とりあえず行く。

 そのあと、また会社に行って続きをしようとしたが、やっぱり眠くて進まん。ということで昼間はほとんど寝て、夕方から少しやった。作れと言われてないけど、結局必要だろうな、と言う物を作った。あー。なんかむなしいな。


2003/10/03 金

 新宿から北千住まで二時間あまり。歩いてみた。歩行欲はそこそこ満たされました。とゆうことで二時前に帰宅。バカです。

 ふむ。なるほど。謎の原因がすこし見えた気がする。なるほど。なるほど。

 ビール一杯でかなり酔った。どうも、肝臓がカナリへたっている気がする。


2003/10/02 木

 うがぁぁぁぁぁぁぁ!!!
 こんなデータが入るのならそうと言ってくれ!!
 何かおかしいところは他にもあるぞ
 うぁぁぁ

 とまぁ、設計のいい加減さに憤慨しつつも、何とかするのは楽しいことだ。
 一歩一歩カイゼンね。

 うーん。九月は二百時間か。時給九百円でも結構なもんだなぁ。
 あんまりお金をもらいすぎてもしかたないしなぁ。

 うーん。歩きたい。歩きたい。ここしばらく歩いていない。地下鉄の乗り継ぎ?あの程度の階段は踏み足りない。もっと地面を踏みつけたい。
 とはいってもなぁ。地下鉄で新宿まで230円という恐ろしい価格で行けるからこまる。上野まで歩いて70円の得だ。歩くコストにみあわなさすぎる。
 160円の区間
  新宿三丁目~神保町もしくは飯田橋。
  北千住~上野もしくは千駄木
 190円の区間
  新宿三丁目~上野もしくは根津
  北千住~後楽園・神保町・日比谷
 う~む。
 JRだと不思議なことに北千住~秋葉原が160円だ。とりあえず新宿から秋葉原まで靖国通り沿いに歩いてみるか。五キロくらい?ぼちぼちですな。
 


2003/10/01 水

 「三日がんばれば慣れる」
 日頃ブラブラしていて急に神尾バイトに呼ばれたとき、体が慣れるにはだいたい三日かかった。慣れるとは、筋肉が痛くなくなって快活に動けるようになることをさす。その局所的な事実を敷衍して、大抵のことは三日間集中したら慣れるだろう、という観念を持っている。
 五六時間程度の睡眠では足りないとおもっていたのに、今では慣れてしまって六時すぎには目が覚める。今までは寝過ぎたりダラダラするのに慣れていただけなのだろうか?

 はぁ。もう十月か。まだ十月か?
 まぁ。そろそろ仕事以外の習い事をしよう。


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