2013/09
2013/09/30 月 ウラジオストク

 ウラジオストク要塞博物館
 入場料150ルーブル

 ウラジオストクの湾の外側で町のすぐ側にある要塞で現代では不要となったところを博物館にしたもの。今でも使える要塞のところはやっぱり近づけないっぽい。
 要塞のトーチカの内部を展示室にしているのだが、歴史順に並べてあるのにその逆の方向から中に入れさせられたのでなんか変な塩梅だった。外に対空砲などが並べてあり、かなり多くが旋回させたり砲の角度を調整したりできるので、ただの大砲の角度の調整技術がどんどん進化していくのをモノをさわりながら確かめることができる。ただこれも歴史順にはならべてない。

 要塞内部の歴史展示は金国のあたりから始まり、要塞の発達なんかもさらりとならべながらロシアの沿海州進出からはじめていたので、最初はニコラエフスク・ナ・アムーレの海軍基地だった。そこからウラジオストクの開発と要塞の基礎に始まり、日露戦争までと日露戦争、ロシア革命までとロシア革命後、第二次世界大戦とその後みたいな感じに部屋がつかわれている。ちなみに主要な説明には英語がついていた。ただ歴史の逆順とはいいながら、最初に入った部屋には第一次革命のことなんかがあってそのあたりは前後している。

 この地図にあるように要塞のメインの部分は半島の付け根の方にシフトしていて、博物館のある町の近くのあたりは無意味になっていたようだ。こんな感じで模型がいっぱい並べてあってロシア語がよくわからなくてもだいたいわかるようになっていた。まぁ陳腐化した技術だからなんぼ紹介しても問題ないということだろう。
 ちなみに最初の方の写真の高射砲に座っている人は連れとかではなく、自分がその高射砲に座ってキュルキュルとあちこちまわしていじっていると、この人がロンプラを持ちながら要塞の上を歩いてうろちょろしていたので手招きしていじらせたものである。だからこの人は自分で自分の写真を撮っている。

 要塞博物館のあと、定年退職のおっさんといっしょに北朝鮮料理屋の「ピョンヤン」に行ってきた。

 写真のとおり、冷麺くってきた。14時くらいに着いたのだが、冷麺は15時からとか言ってたので15時にまたくるとか言いだしたら座って待ってろと言いだしたのでビールのみながら待っていたらでてきた。ビールを先にのんだ方がいい感じだった。その後おっさんが乗るフェリーが港に入ってきているのをたしかめて帰った。

 さて普段酒をのまないのになぜビールをのんでいるかというとこの定年退職のおっさんがビール好きで自分で買ってこっちにも飲ませるからで相伴してるわけだ。このおっさんよほど酒好きらしく、帰ってからも夜に1.5リットルのビールを出してきてのませるのでガブガブ飲んでしまいだいぶ酔ってしまった。そういうわけで今日も日記を翌日早朝に書いている。
 ちなみにおっさんは今年70歳だとか言ってた。

 中国の国慶節が近いということで国境があちこち閉まっているらしい。ということでそもそもこの時期に中露国境をうろちょろしようと計画していたこと自体が無駄な企みだったことになる。あわてて入っていたらウラジオストクまで出てこれないところだった。あぶなかった。


2013/09/29 日 (ブラゴヴェシチェンスク) → ウラジオストク

 シベリア鉄道二泊三日座席の旅はとくにいうこともなし。

 途中見た沿線の寒村がまさしく寒村としか言いようのない感じだった。最後の写真はビキン川。ついつい一気にウラジオまで来てしまったが、ウスリー川沿いの町で途中下車しつつ来てもよかった。虎頭の対岸の、イマン川のあるところとか結構大きな町で、ハバロフスクでいっぱい乗ってきていた人も一気に減った。

 ウラジオ駅はかなりきれいにしてあった。駅前のあたりが中心でAPECでキレイにしたというだけあって他の極東ロシアの町よりもヨーロッパの町っぽい感じがただよう。

 それでも駅前広場にレーニンがいたな。

 ビザがダブルエントリーなので中国に未練があり、朝のあいだにバスターミナルまで行ってみた。ط綏芬河のロシア側の町までバスがあり、400ルーブル程度で行けること(朝8:50と夕17:l0)と、牡丹江までのバスは1900ルーブル余りだということだけ調べて退散。中国行きのバスは時間がまちまちらしく、受付で聞かないといけなかった。
 で、市内にもどって駅近くの安宿のOptimum。700ルーブル。そのときは中国に行くつもりだったのでとりあえず一泊。ドミのとなりのベッドの定年退職のおっさんがいてすこし話をした。なんか語学留学みたいなことをするらしく一ヶ月くらい11月から来るらしい。その際の宿の下見をしにいくのでいっしょにいきませんかということだったので後で行くことにした。

 アルセーニエフ記念沿海州総合博物館
 100ルーブル。写真代なし。長い名前だが要するに州立博物館。歴史展示はおそらく去年から相当変化しているものとおもわれる。歴史展示が考古学(過去の民族)→民俗学(現住先住民族)→ロシア人の探検→開拓までは他の極東ロシアとおんなじだが、その後が違った。生活展示を美術館風にアレンジしたようなイメージ主体のものになり、曖昧になる。地球の歩き方によると日本人居留区の展示があるとかいうことだったがそんなものなかった。三階で企画展として、ハルビンや上海の亡命ロシア人社会をあつかっていたが、そういう感じの企画展で日本人を扱かったものを去年やっていたのかもしれない。

 満州国治下のハルビンでロシア人の文化が栄えていた、みたいなことまで今のロシアではやるようになっているようだ。ハルビンのロシア社会のことは他の博物館でも扱っていたがここは企画展示ということもあって桁がちがっていた。しかしロシアに期待していたのはハルビンなんぞ満州国とともに踏みつぶしてやったわスターリン万歳イポーニツは死ねみたいな頭のおかしい展示なのだが、ロシア人も年々マトモになっているようにみえる。しかしロシアで企画展示とはいえ満州国時代のものが堂々と展示されているのを見るとはおもわなかった。

 考古学のところなんかは英語が併記してあったのでヨーロッパの他の博物館みたいに英語併記が増えるんだろう。二階の奥の部屋は閉めてあったんだが、たぶんそのあたりに古い展示物が押しこめてあるんだろうな。

 大真国 - Wikipedia
 これが East Xia として紹介されていた。東夏国か。いやいやそんなの知りませんから。

 宿に帰っておっさんの留学の宿の下見についていったが、その前に飯屋で飯をくうとこのおっさん、定年退職してからあちこちフラフラしているが、そのなかでもキルギスのオシュに一年いたらしい。ということでキルギスとか中央アジアの話でもりあがった。
 あさって大学にいって日本語教師と会って日本語学科の生徒と話するということで行くならどうぞということだった。たしかにそういう機会は滅多にない。それで無理にダブルエントリーを使うためだけに中国に行くのはやめてここにいることにした。

 この日は「トラの日」だったらしくイベントがおこなわれていた。そうとはしらず何事かとおもった。

 おっさんと話したり他の人と話したりで日記を書くヒマがなく結局早朝書いてる。このノートパソコンの電波感度は相当鈍いのでベッドでパソコンいじれないのはちょっとこまる。


2013/09/27 金 ブラゴヴェシチェンスク → (ウラジオストク)

 ロシア鉄道のサイトで切符の残席を検索すると、チタ方面行きはいっぱいいっぱいでオブシが空いてない。前もって予約とかすればいいのだろうが、オブシは残席がいっぱいある状態で乗るのが望ましいので直前でも買えるくらいがよい。とりあえずこれで満洲里から入る案は潰れた。黒河に渡るのもなんか高いので素直にウラジオにいくことにする。あと一週間あるがウラジオまでの移動で2日かかるんだな。ウラジオに時間をかけよう。
 ただここ発ウラジオ行きはなぜかオブシがなく座席になるらしい。本当の座席に二泊はつらいなー。

 17400ルーブルおろして5000弱あまっているから消費がだいたい12000ルーブル。10日で4万弱だから一日平均4000円程度で旅行できていることになる。宿代が抑えられているのが大きい。この調子でいくとちょっと足りないことになるがたぶん一万円程度引きだせばいけるな。よかった。

 昼に宿をでてウラジオ行きの切符を買いにいく。31時間か。座席の車両は一両だけだが、そこに対して残席45。こりゃ寝放題だな。かなりいい。
 夜の21時出発なので時間はたっぷりある。しょうがないのでまた川ぞいまで歩いて対岸の黒河を眺めたあと、博物館でもらった帝政期の建物の地図をみて建物をみながら時間をつぶしてみた。ただその地図自体が古いものなのでどうみても改装されて新しくなっているものもあった。KGBが入っていると書いていた建物にはその後身がそのまま入っていたが、外装だけみるとどうみても新しい。こうしてざっとみると古そうな建物と帝政期からの建物は一致していない。やっぱりソ連になってから建築物の程度がおちてその後のものの方がボロかったということなんだろうか。

 あとどうでもいいがスーパーに鉄道二泊分の食糧を書いこみに行ったが、「武士道」というブランドのコーヒーがあった。裏の産地をみるとスイスとか書いてあってあやしさいっぱい。日本語で泊をつける手法がロシアにまで進出したのか。

 そういうと駅も古い建物っぽいんだが、博物館の地図にはのってなかったな。1900年より後の建物はのってないというだけのことなんだろうか。

 1900年の市域から街区はひろがっているが、駅の近くは村に近い感じになってくる。まぁ昔のロシアの町はこんな感じで散居していたのかもしれんが。建物も木造のものばかりになってなかなかよい。

 その木造の家には窓に外からフタをするしくみがあるので注意して写真とってみた。鉄の棒をさしこむだけ。うーむ。冬向けなのか?どういう意味があるんだろう。

 出発直前になっても残席40くらいだった。座席は新幹線というか飛行機のエコノミークラスというか結構いい感じ。二人掛けなので横になっても頭がでるのが不満なくらいか。そういう感じでなんとか寝れた。


2013/09/26 木 (ビロビジャン) → ベロゴルスク → ブラゴヴェシチェンスク

 暗いうちにベロゴルスクに着く。駅前に市バスのターミナルがあって、バスターミナルへいく市バスらしいのがとまってたのでそれにのる。なんかおばはんが料金おしえてくれたりバスターミナルに案内してくれた。よくわからんがそのおばはんはバスターミナルの切符売り場まで案内してくれたあと乗り場の方の出口からでていって消えてしまった。ただの親切な人なのか。謎だ。
 ベロゴルスクからブラゴヴェシチェンスクまでのバスは320ルーブル余りだった。おばはんによるとバスターミナルの前のタクシーも350ルーブル程度だったので大差ないが、バスは定刻にでるのでバスの方がいい。だいたいバスはすぐでた。

 このバスは二時間程度でついたが、途中ゼヤ川にちかづいたあたりで洪水の余波が目につく。

 昨日はここに泊まる気だったがなんか泊まる気がしなかったので宿さがしせずにバスターミナルから川に歩いていった。ちなみにここの安宿のグリーンホステルはバスターミナルの近くだった。
 川にいってレーニン像とか対岸の黒河をみてからフェリーターミナルにいってみた。直訳すると「川の駅」なんだが。黒河へは片道で1550ルーブルするらしい。要するに5000円くらい。うーむ。高いな。

 ブラゴヴェシチェンスク地域博物館
 入場料120ルーブル 写真100ルーブル
 ここも展示物がいっぱいあった。しかもいちいち写真とってたら監視員のおばちゃんが明かりつけてくれたりいろいろ話しかけてきたりしてなかなか歓迎ムードだった。しかし適当にロシア語話してそれがある程度通じるとやたら話しかけてきてわからずちょっと困った。

 ここもそうだが日露戦争関係の展示は少ない。内戦はやたらくわしくて、石光真清の手記にでてくる登場人物の写真なんかもあった。まぁこの辺の歴史で複雑なのはあのあたりだけなんだから当然か。アレキセーエフスキーなんかもハルビンに逃げて余生をくらしたらしい。ハバロフスクの博物館でもハルビンを特別に扱ってたところもあるので、満洲を巡るように位置する極東ロシアの各都市の中心にあるハルビンは重要なところだったんだろう。

 巨大な双頭の鷲があったがボードの後ろになっててよくみえない。そういうと1913年はロマノフ朝300周年でお祝いだったらしく、ハバロフスクの博物館にあった博覧会のポスターもそのためのものだった。翌年から第一次世界大戦がはじまって4年後にはロシア革命で滅ぶわけでなんともいえないものがある。
 内戦後はすぐ戦争に飛んでしまう。なにげにドイツ関係が多かったし戦争を指導したスターリンは特別な存在なんだろう。

 何気なく展示してあったがこのソ連兵が満洲人に音楽を聞かせてやってる像は1968年で中ソ国境紛争で一番空気がわるかった時期に作られたものだった。

 博物館を入るころからN-08Dの調子がわるかった。調べてみればメモリの空きがなぜか少ない。こりずに写真をとっていたが出るころには写真がとれない状態になってしまった。写真を全部ノートパソコンに移したりいろいろしたが全然なおらない。帝政期の建物を記した地図を買って川の辺をブラブラしたりして回復するのを待ったがダメなので再起動させたら直った。写真を全部移した時点で再起動させておけばよかった。
 凱旋門とかあるが復元のようだった。もうこの日のうちに移動しようかとおもったが、ここは一つ泊まって寝てから考えた方がよいとおもいグリーンホステルに行ってみた。一番安い部屋が6人ドミで500ルーブル、4人ドミが600ルーブル、2段ベッドだけの部屋が700ルーブル。人がすくなくて4人ドミもガラガラだったので事実上個室であるとおもい4人ドミにした。

 そこでわかったがバスターミナルもすぐ近くだったし、バスターミナルの近くには市場があった。晩飯を買いにその辺ぶらぶらしたら市場は中国人商人でいっぱいだった。その度合いはハバロフスク以上だった。


2013/09/25 水 ハバロフスク → ビロビジャン → (ベロゴルスク)

 コロナホステルを朝のうちに出て近郊電車にのる。9時過ぎだったので十分間にあった。

 昼前には到着。2時間半くらいか。すこしブラブラとするがあんまりユダヤっぽくない。たしかにユダヤ人っぽい人は散見するが。
 博物館に行ったらこれから飯だから昼飯休憩といわれ、こっちも昼飯をくいにいき、中央市場をみつける。そのへんで食ったのがシャワルマだったのがユダヤぽいか。
 博物館にいくが入場料100ルーブルで写真代200ルーブルといわれて躊躇してしまいとりあえず物をみてみる。下に自然がすこしあり、歴史展示になっていくのは他のところとおなじ。一階はしょぼかったが、二階がわりとローカル色の強い展示だったので写真をとっていこうとおもって一通りみてから下にいったら下はもう電気を消していた。客がいないので電気の節約をしているらしい。なんかもうみせてくれないっぽいのであきらめてそのまま出た。

 そんでまた中央市場にいってアイスなんかをくったりしたが、にらんで金をくれとかいうやつがでてきた。ハァ? よくみると絵に書いた失業者っぽいのやキチガイがうろちょろしている。うーむ。ここは金まわりのわるい地方ということか。

 ブラゴヴェシチェンスクと日本語で書くとシチェの間を切って発音してしまうがシチェは Щ なのでブラゴヴェシェンスクと言ってる方が通じる。それはいいとして、朝聞いたときはブラゴヴェ行きは高いのしかないと言われてひっこんだのだが、時間があまったので駅の端末で調べてみると、隔日である列車の一方がそういう高い料金設定になっているようだった。うーむ。明日なら安い列車があるということだがここで一泊するのは時間の無駄だ。
 調べてみると、ブラゴヴェシチェンスクはシベリア鉄道の支線上にあって、幹線からは離れている。幹線から分岐する駅はベロゴルスクというところで、そことブラゴヴェの間は頻繁にバスが走っているという。
 そんならというのでベロゴルスク行きの4等(オブシ)で検索するとちゃんと席があった。500ルーブルくらい。ビロビジャンからベロゴルスクへいくのは何台もあったがオブシがあるのは夜行の一本しかないので切符買うときに説明しなくてもいい。ということで買って夜まで待って乗った。なんか難しいやつがいて寝ずらかったがその人が次の駅くらいですぐ降りたのでとっとと寝た。今ごろわかったがオブシってベッド二台のところに三人分席をわりあてるのな。まぁいれかわりたちかわりだし、全然混んでいないので上なら余裕で寝れる。混んでる時でも一番上の荷物棚で寝たらいけそうだ。


2013/09/24 火 ハバロフスク

 Twitter / hidesys: 中露国境攻めの記録です(二個目の☓以降は今後の希望)
 同時期に反対側で似たようなことしてる人がいた。

 国务院批准双鸭山市饶河口岸开展外国人口岸签证业务-签证-东北网黑龙江
 うーむ。まだ上のゴーがでただけで、外人(第三国人)向けの国境業務が始まったわけではなさそう。

 あと日記を一ヶ月単位に分割した。写真を貼るようになって重くなった。ローカルでみても重いんだからネット越しにみてる人は相当だろう。写真貼るのよくないな。

 考古学博物館
 外人料金があっておどろいた。外人220ルーブル。写真110ルーブル。随分高いなとおもったが、地球の歩き方にもそう書いてあって納得した。写真を撮ったがN-08Dは暗いところが弱いので焦点が合わない。
 旧石器のあたりの説明で「日本列島に渡った」みたいなことが書いてあるのはわかったが、よくわからん。最後の部屋に渤海とか金とかの展示があるのはわかった。

 外にペトログラフが庭石みたいにして置いてあった。あと漢軍八旗の妻の貞節碑なるものもあった。その場で読めばよかったのだが写真で撮ってから読んだらよく読めない。それに女の石碑だけあってどこで何したみたいなことがほとんどなく、地名がわからんかった。

 ハバロフスク地域博物館
 地球の歩き方に郷土博物館とあるところ。旧館と新館がある。ここは部屋がとにかく多かった。民俗展示で前史はおきかえてあり、ロシア時代は18世紀くらいから展示してあった。しかしロシア語ばっかりではっきりわからん。日露戦争の扱いが軽いのはわかる。ロシア革命後の内戦の展示とかあるが、たぶんこれはロシア革命の部屋を改装したんだろう。ハバロフスクの転変をあっさりと紹介しているのでコルチャークなんかも普通に写真で紹介されている。尼港事件も紹介されていることはわかるがえらくあっさり書いてあるような...
 内戦部屋の上に360度パノラマの戦場ジオラマがあった。中国にあるああいうのはソ連発か。その後のソ連部屋は二層あった。

 このソ連大写しの額がソ連愛を感じさせる。新館は一階に自然展示。旧館と重なるような気がするんだが全部あっちに移すんだろう。二階にはローカル色の強い芸術展示があってそんだけだった。旧館に歴史展示を集中させるんだろうとおもう。

 上の最後のはノモンハンの写真。日本では満州事変の影に隠れて誰も知らないようになっている1929年の中東路事件の写真もあった。日本では全然知られていないので事件の名前も定まっていない。
 その時代時代の生活の様子を断面的にみせる展示が所々に挟まっていたのはよかった。

 さらにそのあと赤軍博物館に行ってみたけど閉まっていた。正確には開いていて切符売り場におばちゃんまで座っているけどなぜかそこに閉館の掲示があり、切符を売ってくれなかった。公には閉まっている事にしたいんだろう。しかたない。

 ということでまた中央市場にいってラグマンをはしごして帰ってきた。結構高かった。いつもどおりスーパーでヨーグルト買って食ってた方がよかったな。


2013/09/23 月 (コムソモリスク) → ハバロフスク

 ハバロフスク。

 ハバロフスクには月曜に来たくなかった。博物館が全部閉まっているから。しかしコムソモルスクに長居してもしかたないのでとっとと来てみた。駅からレーニン広場に歩いていく途中中央市場をみつける。よしよし。レーニンをおがんでからアムール川の方へ。アムール川に近い方に古い建物もあるが、同時に古めかしくする改装工事が進行中らしく、あんまり古くないそれっぽい建物が結構あった。
 博物館が閉まっているのを確認してからムラビョフの銅像をながめる。船付場にいくが切符売り場がない。どうも切符はその辺の小さい建物で営業している旅行代理店にたのむらしい。撫遠にいく船についてしらべてみたが、アムール川大洪水の影響のせいか、2500ルーブルだとかなんとかいう。しかし致命的だったのが、撫遠に行くなら中国ビザがないと切符を売ってくれないということだ。ぐぬぬ。

 もう今日の列車で西のブラゴヴェシチェンスクに行ってしまおうかとおもったが、列車は夜なのでどっちにしても時間がある。それに撫遠行きが選択肢から離れるとなるとハバロフスクにもう一度来る値打ちが減ってくる。それなら博物館を見てここにもう来ないようにしてからの方がいい。ちょっと空港の無料wifiで安宿をさがしてみよう、ということで中央市場で昼飯くったあと、空港まで行ってhostelworldで検索したらコロナホステルというのがあった。20ドル。20ドル? 600ルーブル余りか... 安い!
 そういうわけでコロナホステルに来て日記を書いているわけです。ついつい2泊分の金をはらってしまった。ちなみにルーブルで650ルーブルだった。

 それはいいとして、コムソモルスクからこっちに来る間に頭をなにかに噛まれたらしく、後頭部と首筋にコブができた。カシミールの宿でも似たような感じになったので蚊かなんかだろう。写真でとってみたらコブとしか言いようのないものができていた。


2013/09/22 日 (ワニノ) → コムソモルスク・ナ・アムーレ → (ハバロフスク)

 コムソモルスクに着くとすこし寒い。内陸に入ってきて緯度も高くなったからか。

 しかしこの町それほどみるものもない。ロンプラ様の地図に従ってあるいたがまぁあたたかくなる前にアムール川岸までたどりついてだいたい見てしまった。中にはもう見れなくなっていたものもあった。肝心の博物館は開いていなかった。新しいのができたらしいがどこにあるのかわからない。通りすがりのおっさんが「キーロフ広場だ」とか言ってたので行ってみたが、その交差点の一隅に何の表示もない古そうな建物があり、文化施設にしようとしているような気配があるが入れる様子がない。どこまで本当かわからんようになってきた。しかも去年の情報からの変化だとするとその辺の人に聞いても知らないだろう。実際近くの公園の中に英語つかいの物乞いするおっさんがいたのでついでに聞いてみたが知らなかった。ちなみにその程度の事でもロシア語で意思疎通できる自信がない。確実にあるものなら聞けるのだが。

 あと、ここからバスでハバロフスクに行けるらしいので、昼前にバスターミナルで待っていたが、掲示されている時間になっても来ない。掲示している時刻を二つほど過ぎてからもう駅にいってまた夜行の4等を買った。4等なら安いからいい。

 洪水の影響はかなりあった。フェリーターミナルはまだ浸水していて稼動していなかった。ここからアムール川河口のニコラエフスクに行く計画はこれでおじゃん。まぁ船が高いらしいのでそれでちょっと躊躇していたのだが。

 また川に近いところが冠水した跡があった他、今でも水をくみあげて川に排水している。たぶん地下部は浸水したり逆流したりしたところがあり、いまだにアムール川の水位が高いのでポンプで排水しないといけないんだろう。

 駅で待って本をよんでいてもヒマヒマだったのでトラムに適当に乗ってみたら市場があったので降りた。しかし町の規模相応に小さいところだった。帰りトラムにのろうとしたが乗り場がわからない。乗り場をさがして歩いたらそのうち駅に戻ってしまった。

 駅で本を読みすぎたのでN-08Dの電池の減りが激しい。まぁしかしそれは読書マシンとしてつかわなければかなり持つということだ。


2013/09/21 土 ワニノ → (コムソモルスク・ナ・アムーレ)

 さて朝の7時になりチェックインから12時間たったので簡易宿泊所を出て朝飯を買ったりしながら切符売り場が開くのを待つ。見たことある連中が再集合して切符売り場にたかっていた。無事席にありついた後、ワニノの小さい小さい町を歩いたりしてヒマをつぶした。船で同室だったブリヤート人につかまってごちそうになったがそれはどうも荷物の番をしていてくれということだったようだ。午後は本をよみながら番をしていた。

 ワニノからコムソモルスクまでは沿海州の山の中を通っていくがまぁ寂しいところだった。

 フェリーで金を払ったのに懲りたので、これからさき列車は4等でいくつもりだったが、正解だった。まず安い。出費が抑えられる。それに四等でも基本的に寝台。人が増えたらどんどん入ってきてコミコミになるらしいが、上なら寝てれる。それにロシア人予想以上に礼儀正しい。なってないやつが少数派だった。


2013/09/20 金 (ホルムスク) → ワニノ


 ワニノまでは18時間というとおり、夕方の6時についた。船内で朝にアナウンスがあり、一日一本のウラジオ行きの列車が17:30ということだったのでそれにも遅れたことになる。
 とりあえず駅についている簡易宿泊所に行ってみたら明日の朝まで380ルーブルという。実は列車の出発までなら580ルーブルでそれでもよかったのだが、駅に表示されている列車の時間が10時台だったのでやめた。しかしそこで重大なことを忘れていたのだが、駅に掲示してある列車の時刻はモスクワ時間だったのだ。だから船内でアナウンスのあった17:30というのは通常の列車のことになる。
 フェリーが微妙に遅れて一日無駄に待つことになったがしかたない。

 簡易宿泊所には結局フェリーの中でいっしょだった人らが来るのでだんだん顔見知りになっていく。みんなはさらにここからハバロフスクくらいまでは行くわけでまぁなかなか楽しいもんだ。
 となりのおっさんが英語つかえる人なので無駄にしゃべってしまった。気にもしていなかったが、ロシア語が使えず満足に会話できないのが自分でもストレスになっていたようだ。


2013/09/19 木 ホルムスク → (ワニノ)

 朝レーニン広場の切符売り場に行って切符を買う。4人部屋1955ルーブル。8人部屋と100ルーブル程度しか変わらないのでそうした。座席は500ルーブル程度安いが5月から10月までとあるのでもう今は寒いだろうからやめておいた。
 しかし夜の夜の21時40分にフェリーが着くので、22時40分に切符売り場からのバスにのって乗船だとか。とりあえず宿にもどって日記書いたら昼になったので宿をでた。
 切符を買う前にスーパーのATMをつかってみたら40000ルーブルまでおろせる機械だった。9900ルーブルおろしてみたら、普通に1000単位で出してくれた。なんだ。ハバロフスクの空港が融通効かないだけかもしれん。

 地球の歩き方に博物館があると書いてあるところにいってみるがなんか献花する人があつまっている。しかもそのへんの人に聞くと違う場所にあるという。そのへんをぐるぐるまわってから中に入ってみたがそれらしいのがなかったのであきらめた。ただ一階になんかの部隊の歴史展示みたいなのがあったので、今日はなにかの記念日だったのかもしれない。

 その後すこし高台にのぼったりして疲れたので切符売り場の待合室にいって寝たが時間が減らない。元気になったので夕日がみえるという広場まで歩いてそのへんで夕方までいた。肝心の夕日だが、空気がきれいなせいかあんまり赤くならず、西の方に雲があって雲に沈んでしまいそうだったので撤収した。

 バスがくるまで待合室がひらいていたので、昨日は船が出たあとだったことがわかる。しかしそのバスが来るのがおそく1時間くらい遅れてやってきた。うぅむ。

 船内に入ってわかったが、四人部屋といってもこんなのだった。コンセントもない。座席の部分は狭かったが、一応内部だったので座席にしておけばよかった。


2013/09/18 水 ハバロフスク → ユジノサハリンスク → コルサコフ → ユジノサハリンスク → ホルムスク

 変換プラグをもらったおかげで空港で充電三昧。しかも電源が並んでいたところのすぐ横に人口芝がうえてあるところがあったのでそこで寝てた。空港で寝ながらパソコンできた。
 ハバロフスクとかユジノサハリンスクは日本とほとんど経度かわらないのに二時間時差がある。つまり日本で6時のところ8時となる。まぁ緯度が高い分夏は太陽の出ている時間が長くなるのでそれでいいということだろうか。

 腹が減ったのではやく飛行機来てほしい。

 京都市:国道162号(京都市中心部と京北地域を結ぶ道路)の通行止めの解除について
 どうせ夫婦橋のへんだろうとおもったら御経坂だった。なんと。
 朝の飛行機に問題なく乗る。極東はやはりまだ一面雲で雨の中らしく、下はずっと見えなかった。樺太島も雲がちでユジノサハリンスクに着いたときも雨が降ったあとがあった。

 預託荷物がないのですぐに外に出、15ルーブルのミニバスにのって市内へ。駅近くでおりてまず駅にいってみる。駅近くの安い宿にいってみると受付嬢がいないのでとりあえず四角い町をあるいて州立博物館へ。

 サハリン州立博物館。入場料100ルーブル。写真70ルーブル。戦前の日本の博物館の建物をそのままつかってる。
 
 普通に説明は全部ロシア語でよくわからんがしっかりした展示だった。特別展示で琥珀かなんかの中に虫が封入されたものをやっていたが、興味ないので見なかった。一階に自然展示があった。剥製がたくさんならべてあるベタな展示だが、インドなんかでグズグズの剥製をみたあとだったのでやたらいいものにみえた。
 歴史展示だが石器時代からアイヌなんかがいたころまでの分が考古学で一階、日本とロシアがとりあってたころ以降は二階にあった。

 樺太探検先人として最上徳内とかも紹介されている。帝政ロシア時代の樺太は流刑地で囚人による開発がなされていたらしく、そういう写真もあった。

 昭和21年の写真がおもしろかった。

 博物館を出てガガーリン公園にいきヨーグルトで昼飯にしたあと、駅の方に向かうがN-08Dの調子がわるくなって写真がとれない。しかも駅前の安宿、一軒たずねてみると1400ルーブルだったのでその値段にビビってその向いにいくとすげなく断られ、戻ってみるとさっき聞いたねーちゃんは受付てくれそうだったが横に座ってたさっきいなかったねーちゃんが直ぐに断ってきた。うーむ。なんだろう。

 しかたないのでとりあえず駅前のバスターミナルからコルサコフに行く。バス120ルーブル。

 コルサコフについて町の中まで歩いていき、とりあえず博物館にいく。小さいのですぐ見終った。30ルーブル。手作りな感じだった。

 海の方にいき、ほんのすこしあった日本時代の遺物をみながら、フェリーターミナルまで歩いてみたあと、市バスでユジノサハリンスク行きのバスのりばまで戻る。ミニバスというか10人乗りくらいのワゴンが客引きしててそれが120ルーブルと同額だったので乗ったがここまでの疲れが出て帰りはずっと寝ていた。

 ホルムスクに着いたらもう8時すぎで真っ暗。とりあえずフェリーターミナルにおろしてもらうが様子がおかしい。開いてないのはいいとして、なんか工事中のような感じだったが、中におばちゃんがいたのでガラスを叩いて聞いてみる。当然だがロシア語でわからんが、チケットは違うところで買うらしい。港に直接行ってみると駅にいけといわれる。うーむ。地球の歩き方のホルムスクの地図にあるホルムスク南駅の方に行ってみるがどうもホームだけしかないようにみえる。その北が丘陵地になっていて上にまたレーニン広場がある。行ってみたがそれらしいのがみあたらない。そのへんの人に聞いてみたら、やはりフェリーターミナルに行けという。さっきは様子がわからず遠まわりしたが今度は近道してフェリーターミナルにいってみる。今度は端の方に開いているドアがあり詰所っぽいが人がいたのでそっちにいってみるとレーニン広場に切符売り場があるらしく、地図まで書いてもらった。再度広場にいってみるとそれらしきものを発見。閉まっていた。
 ということでレーニン広場近くの地球の歩き方にのってた宿にいってみたら一人部屋1000だが、一ベッド750というのがあってそれにありつけた。ありがたい。たぶんハイシーズン過ぎたからだろう。あとここは外からみても宿とわからない。宿で切符のことを聞いたら結局フェリーターミナルは改装中でレーニン広場に切符売り場が移ったということだった。なんだ。スーパーで晩飯買って食って体洗ってとっとと寝た。


2013/09/17 火 東京 → ハバロフスク

 朝梅田邸出発。昨日の夜のうちにアエロフロートのチケット買った。

9/17東京→ハバロフスク 1130→1625
9/18 ハバロフスク → ユジノサハリンスク 0850→1015
10/4 ウラジオストク→東京 2000 → 2010
 ということで、10月4日に帰ってくる予定。成田空港に来てわかったが、ハバロフスク → ユジノサハリンスクは別のフライトになるので、ハバロフスクで改めてチェックインしないといけないらしい。うーむ。時間的にはアムール川みにいって帰ってくるくらいか。
 とにかく東京に着くまでN-08Dの電池の減りが激しくてビビった。梅田んちである程度充電したが、成田空港に着くころには数パーセントになってた。まぁLTEのせいだろう。またインドにいたころみたいに機内モードにしてSIMも抜くのでロシアに着けばマシになるとおもう。

 変換プラグ忘れたとかいう最悪の展開...

 ハバロフスク行きの飛行機は普通に出発。アエロフロート(ウラジオストク航空)だがあたらしい機体なので何も問題なかった。

 機内食は軽食。こんなもんか。これなら飛行機乗る前にヨーグルト一箱食って最低限の栄養とっとけばよかったなぁ..

 日本海を渡ると沿海州はずっと雲に覆われていてあいかわらず天気がわるいようだった。ハバロフスクに近づいて飛行機がおりていくと、雲の間を抜けて降りていくという感じでなかなかよかった。アムール川の上をぐるりとまわって降りていったので増水の様子がよくみえたが、まだまだ増水で水につかっているところは多い。これでもひきはじめてはいるようだった。まぁそもそも氾濫原がひろがっていたはずのところだが。

 たまたま後ろに座っていた人にハバロフスクならどこで変換プラグを買えるかという話をしてみたら、その人はハバロフスクで乗りかえてウラジオストクに行くのだが、最終的に空港で飯をおごってくれた上、どうせ土曜までの出張だからというので変換プラグをくれた。いいホテルに泊まれば変換プラグくらい貸してくれるのでなんとかなるらしい。ありがたや。
 国内線ターミナルにいるが、電源は一箇所いっぱい並べてあるところがあるのでそこでなんとかできる。無線LANがあるがレッツノートのアンテナ感度では電波受信がよくない。
 国際線ターミナルの方のATMで金をだしてみたら7500ルーブルまでしかだせないという。それでやってみたら5000 + 1000 x 2 + 500 x 1 とかいう面子。うーむ。安い物が買えない。変換プラグくれた人は国内線ターミナルのATMで10000ルーブルおろしていたが、5000 x 2 とかいうひどい出しかただった。ロシアのATMは出せるところでも10000ルーブルが最高額らしい。チマチマ出しながら行く旅になりそう。

 というわけで日もくれてきたので空港から一歩も出ずに明日の朝のユジノサハリンスク行きを待つ。


2013/09/16 月 奈良 → 東京

 台風の風がすごい。特別警報がでたらしいが、昨日の夜みたのよりも台風の予報円が早く東に進んでいる。移動速度があがっているようだ。飛行機的には問題なさそう。
 そもそも今日この台風の中でロシア領事館やってんのか?

 ロシア領事館は普通にやっていたが台風でグズグズしているうちに出発が遅れたので到着も遅れた。
 受けとったあと大阪空港にいってみたらもう満席。そもそもANAはネットでは全便欠航と表示している。しょうがないので新大阪にいってみたら新幹線も在来線もとまっている。ぐぬぬ。新幹線は静岡が不通で、在来線は滋賀県が不通であるらしい。しかも亀岡の奥も不通。ぐぬぬ。どうしてくれよう。
 今日のアエロフロート買ってなくてよかった。飛行機は雲の上とんでくるし到着時刻は台風の過ぎたあとだから普通に飛んできて帰っていくだろう。しかしロシア向けに靴なんか履いたりしているので暑い。なんとかしてくれ。

 新幹線の切符買って東京に行ってアエロフロートに乗る事にしたが、新大阪にいくと人がいっぱい待っている。金券屋で指定席券買って乗ったが中にはいってみたらのぞみがむちゃくちゃつまっている。うーむ。この場合自由席買った方がよかったか?。たしかに静岡のあたりでスピードだせないわけだから結局ひかり並の速度かもしれない。うむむ。
 よくよく考えると新幹線に乗って成田に行く金で稚内まで行けるわけで、フェリーにしてもよかったか。アエロフロートの切符まだ買ってないのに焦ったか。

 9時半乗車(一時間遅れ)。よくよくかんがえるとわざわざ決まった列車にのらずとも出たやつに適当にのったらそんだけ早く東京に着けたわけだ。もう電車がなくなるかどうかの瀬戸際だから焦ったらよかった。うーむ。
 せっかく電源のある車両にのれたのにまたN-08Dが電池切れした。一回切れると復活するまで時間がかかる。電池切れしそうなときにするべきなのは電波オフだった。あまりに考えがないので困る。

 梅田に連絡ついたので梅田んちに泊めてもらお〜。こんな遅い時間に頼れるのは梅田ん家だけだな。夜中に仕事してるし。

 上桂川漁業協同組合
 周山の一部は水につかったらしい。まぁ京北で水害があるときはまっさきに水につかるところだが。なにせ二つの川の合流地点なので水があふれやすい。


2013/09/15 日 奈良

 明日にはビザがもらえるということでどうするか決めねばならぬ。
 しかし16日発でチケットを買っても台風で運休とかいう最悪の事態が考えられる。どうなんだ?そこんとこ。フェリーは運休するところがチラホラ。

 雨が来て気温が下がったせいか昨日酒のんだせいか気持ち良く寝れた。

 今からdocomoで7インチタブレット買うなら N-08D じゃなくて SH-08E だろうな。まだ触ってないけど au の端末は触ってみて動作もよかった。

 アエロフロートのウラジオ便は11月からなくなるらしい。安くで売ってるのはそういうキャンペーン価格か。ふーむ。

 明日の台風の影響で飛行機のキャンセルがでて伊丹発成田行きとか空席でてますなー。成田まで行く足代考えると十分選択肢に入ってきますなー。
 それ以前にアエロフロートの便が欠航しそうでまだ買ってないのだが...。

 東京ウラジオ 月金日
 東京ハバロフスク 火木日


2013/09/14 土 奈良

 天気予報をみていると、この三連休が天気わるいらしいが、そのあと涼しくなるようだ。シベリアに行くと同時に涼しくなるのか...

 なんか隣の部屋、一日中だれかいるようなんだが、それはいいとして朝っぱらからなにかをゴロゴロ運動している音がする。うーん。前鳥と猫などを飼っていた人がいたがそれとおなじ人なんだろうか。よくわからんがときどきベランダをあけて鳥の糞っぽいくさいにおいを周囲にまきちらしているので前のなごりはありそうだ。

 しかし極東ロシア片道3万とか考えるとインド往復6万弱は安かったな。
 アエロフロートとかでも往復で買うと安い。ユジノサハリンスクインウラジオアウトとかでも435.30USDとからしい。日を選ばないと安くならないが...
 というか格安航空券売ってるところから買えば安いんじゃないか。とおもったが土日休みじゃないか。がーん。なんでこういつも手がおそいんだ。

 萩原栄幸の情報セキュリティ相談室:ノマドワーカーに告げられた契約解除、歩き回って判明した原因
 ノマドww

 先史人類が着た衣服、服装の起源を探る - ナショナルジオグラフィック

 アエロフロートで帰国日を9/30にしてウラジオ→成田をえらぶとウラジオ発夜の8時で430.40USDとかいういい感じの便になる。それにすっかな。いや一応日程を組んでそれで足りるか確かめてみよう。→ ザバイカル方面行くにはちと足りないような..
 極東ロシア向けは人気ないっぽくて直前の飛行機でも残席表示すらない。なんでかね。
 Asia | Aeroflot
 今特別キャンペーン中でハバロフスク東京往復とか安いがこれで安くなっているわけではなく、もともと安いっぽい。
 アエロフロートで帰途変更する場合可能だが15000円とられるらしい。

 科学者が放射能騒動に関わらなかった理由 - ブログ版ききみみずきん
 放射脳恐るべし

 お遍路さん:白装束は戦後に定着 バス巡礼で主流に- 毎日jp

 図書館に本を返しにいったついでに極楽湯にいって、闇金うしじまくんと進撃の巨人と弱虫ペダルの最近出た分を読んできた。

 最近なんかもう暑くて水分とりすぎているせいか気持ち悪い汗がでていやだったのだが、今日の帰りにおもいついて缶チューハイ買ってきて飲んでみたらいい感じにほてって汗がでない。いいことだ。これで気持ち良く寝れたらいい。
 ぐぬぬ。酔いが醒めてくるにつれ不快な汗がでてくるように...
 あれか?みんな酒が好きなのは普段から常に水分をいっぱい取っているからか?

 雨降ってきた。


2013/09/13 金 奈良

 日本に帰ったころはいい感じに涼しくて蚊もいなかったが、天気がよくなって暑くなると蚊もでてきて痒い。しかしすぐにロシアへ行くという頭があり、蚊取り線香を買う気にならない。インドで買ったのを人にやらずに持って帰っていればよかった。しかし暑い。まだお盆頃の気分だ。シベリアに逃げなくては。

 プログラマも業界が広くなっていろんな人がいるから一口でプログラマといってもその指している内容は違う。Java屋とJavaScript屋だと字面からは想像もできないような世界の差があったりする。まぁ簿記3級で四苦八苦してるようなのと会計学の学者の両方をおなじ簿記屋とかいって一括りにしているようなもんだ。なぜかプログラマはその広大な領域をプログラマとして一括りにしてしまって気にしない。気にしないどころかいっしょくたにして議論するのが普通になっている。もちろんこれはプログラムの技術自体の歴史が浅いために起こっている現象で、GoFとかなんとか言ってるような人たちはそのうちローレベルのプログラマから分離してなにか名前を与えられて別の存在になるだろう。会計学が簿記から発展してできたように。
 学者的な人がそんなんじゃ会計学やってれんぞチミーみたいなことを言うのと、簿記では足し算引き算をまちがえないようにチェックしましょう電卓の選択が重要ですとか言ってるのを同列に並べて議論する事自体がまちがっているので偉いJava屋様の言うことは気にせずやりたいことをやればよろしい。
 パソコンが普及しだした1990年代、インターネットが普及した2000年代、この20年間でプログラマの裾野はものすごく広がってこの先どうなるのか想像もつかない。いろんな本があった方がいいよ。

 よーし写真撮りおえた。国会図書館いくぞ。でも暑いのなんとかならんかなぁ。

 石光真清
 諜報記 1942 → 一部が 曠野の花1958
 城下の人 1943 → 一部が 城下の人1958
 曠野の花 1958
 城下の人 1958
 望郷の歌 1958
 誰のために 1959
 石光真清の手記といいつつも、石光真人の手がはいっているので元のものそのままではないのな。

 ライブラリ/ドキュメント

 国会図書館関西館の間に歯医者に行ったら、一日で穴を埋めていた。すごいことだ。その代わり盛大に麻酔をかけているのでもし痛かったら明日また来てねということだ。

 帰ってきたら部屋がむちゃくちゃ暑い。外気との差がありすぎる。はやくシベリア行きたい
 風がないので自然対流まかせの熱交換でなかなか熱がでていかない。

 やっぱり Last-modified されてないな… 手で書いてるならそんなのよくあるミスで全然気にならないが、自動的にやってるならなぜそこが更新されないのか気になる。端的に言ってバグだろ?


2013/09/12 木 奈良

 さらに飛行機の検討
 サハリン航空 9/17 ソウル→ユジノサハリンスク 1200-1645 12954ルーブル
 サハリン航空 9/18 札幌→ユジノサハリンスク 1310-1630 16510ルーブル (21日なら11995ルーブルの席がのこっている)
 アシアナ航空で韓国経由便を使うとき、ユジノサハリンスク行きは朝しかないので、ソウルで一泊する必要がある。そんならシベリア航空でウラジオで一泊した方がよいではないか。あと直接アシアナ航空から買うと高い。

 観測記録をみると、昨夜は22度だったらしいが、感覚的にはもっと暑かった。そして今朝の温度の上りかたをみるとまた暑くなりそう。

 もう一回アエロフロートのサイトで検索したら実は案外悪くないぞ。うーむ。東京からハバロフスクないしウラジオ経由でユジノサハリンスクで300ドル弱。しかも16日の夜でて17日に日付がかわったころにウラジオについて翌朝ユジノサハリンスクに着くのがある。これいいぞ。飛行機に間にあうように東京まで行くのに工夫がいるが。
 アエロフロートの価格構成は謎で、東京発ウラジオ経由ユジノサハリンスク行きも東京発ウラジオ行きも同じ額らしい。どうなってんだ? ロシア国内乗り継ぎはタダなのか?最初それにまどわされてアエロフロートは高いのかとおもってしまった。アエロフロートといっても中身はウラジオストク航空だが。
 16日は連休の最終日なので大阪東京間はコミコミ。飛行機とか無理。ビザの受取時間とアエロフロートの時間(21:05)を考えるとバスとか在来線の利用もギリギリ無理。ぷらっとこだまは満席かとおもったが昼過ぎまで空いてるのでいけるっぽい。午前中に受けとってその足でぷらっとこだまにのって東京にいきいそいで成田に行けば間にあいそう。

 16日発 成田→ウラジオ 2105→0125 ウラジオ→ユジノサハリンスク 1000→1150 297.40USD (8時間半待ち)
 17日発 成田→ハバロフスク 1130→1620 ハバロフスク→ユジノサハリンスク 0850→1015 297.40USD (18時間半待ち)
 17日発にして16日悠々と東京に行ってもいいんだがハバロフスク一泊が気になる。いずれにしても16日関西発東京行きはコミコミなので余裕がない。買うなら今のうち。
 えりteacher、旅に出る。 ハバロフスク空港缶詰
 ハバロフスクの空港は本当にちっちゃいの! | 旅とカメラとxxx
 ハバロフスク空港で一泊するのも問題なさそうだ。

 これだけ極東ロシアへ行く選択肢があるならわざわざビザを17日からに指定しなければよかった。9日申請して12日受けとりシングル8000円13日スタートでよかった。デリーでダラダラしている間にもっと真面目に調べるべきだった。まぁそもそも手数料がわからんのにダブルにしてみたおっちょこちょいなところがどうしようもないのだが。それがなければ今ごろはフェリーにのって小樽めざしていたはず。

 アムール川の水位上昇、一昼夜でさらに130戸が浸水 : The Voice of Russia
 ハバロフスクでは8mに迫っていた水位が7m台の半ばまで下りつつあり、洪水の中心はさらに下流へ移動しているようだ。

 アエロフロートのクレジットカード入力画面で入力するかどうするか悩んでる

 悩んだからとりあえず閉じたが、フェリーをいまいち選ぶ気になれない理由がまず高いということの他に、稚内に行くために夜行バスにのったらかなり疲れるということだな。17日のフェリーにのる場合、飛行機で稚内まで一気に行く手段以外だと夜行バスになる。18日peachとかいうのも夜行バス前提だ。辛いなぁ。その疲れを癒すフェリーに乗れる時間が5時間。一時間あたり5000円だ。高いなぁ。飛行機の台頭で存続があやぶまれるとはいっても足元みてる額だよなー。そしてチンタラチンタラ行ったら日本国内での宿泊代がかかってしまう。ロシアに入れば似たような額の宿泊費がとんでいくのでおなじといえばおなじだが、行ったことあるところを通過するためだけにそれだけの額を支払うのは惜しい。
 ウラジオ行きがもうすこし遅かったらJRの昼の高速バスでも間にあうんだけどなー。まぁ午前大阪でビザうけとって夜成田から飛行機にのるというのがまちがっているといえばまちがっているんだが。結局そこんとこは調査不足がもたらしたコストになるのか。

 今回の旅行のルート案

 樺太はじまりなのでハバロフスクまではほぼ決まったようなもんだが、その後ザバイカルと沿海州の二方面があるのでそれをどうめぐるかでいろいろ案もある。そのへんはダブルエントリーにしてよかったか。まぁもっともダブルエントリーでなければザバイカル方面は行かなければいいだけの話でもっと単純になる。もっとも樺太を捨てるとまた違う可能性がでてくる。

 青島→下関 オリエントフェリー 月木 1100元+150元
 北京→成田 デルタ航空 エコノミー 1611元
 丹東→仁川 フェリー ECO 1100元?1010元?
 丹東→青島の鉄道なんかないだろうとおもったらあった。硬座201元硬臥上343元

 東京いくついでにひらしょー家にいって第二子を見物しにいくというのも手ではある。でも行程的に無理かな。

 暇人\(^o^)/速報 : ニートだけどスッポン釣りだけで生計をたててはや半年が過ぎた

 中国発の攻撃準備とみられるアクセス増加、DNSサーバー管理者は設定再確認を -INTERNET Watch

 ネットの進化とともに増加する”繊細チンピラ”とは? - トゥギャッチ


2013/09/11 水 奈良

 「どこの国でもいいから助けてくれ!」シリア国民の悲痛な叫びを聞いてほしい

 今日は暑かった。暑いなぁとウダウダしつつ何もしてない。本もすこししか読めてない。とっとと写真とって返却した方がいいな。国会図書館関西館にいってしたいことがあるので今週中にいかないと。

 ロシアからの帰りだが、ウラジオストクから船で帰るとすれば、週一便なので、ロシアに二週間くらいいるとすると、10月2日発の船となる。片道22500円(+2300円)往復37000円(+4600円)らしい。この値段は円高のとき決められたものだから改訂されると上がるだろう。うーむ。あれだな。大陸だけ行くならフェリーでウラジオ往復するのも手なわけだ。というか樺太は捨ててしまえばウラジオストクを出入口にしてもいいわけだな。北樺太からアムール川河口方面に渡る手段がないということで樺太行くなら樺太をメインに回った方がよいらしく、なんか樺太に渡る気がうせてきたんだが。まぁ行ける間に行っといた方がいいのか。

 ロンドンからパリってユーロスターで2時間半でいけるのか。日帰りでパリ往復できそうだな。

 s7という航空会社で検索したら東京発ユジノサハリンスク行きが片道諸税込で10881ルーブル...日本円換算するとおおざっぱに3倍して32643円程度。これは... 安いね。しかし安いのもそのはずで、まずウラジオストクに到着して翌日ユジノサハリンスクに行くらしい。そらつらいわ。しかもそれは18日だけで16日とか20日はハバロフスク経由なので若干高い。
 でも帰りはウラジオ→東京とかつかえば3万弱程度で帰れるようだ。ハバロフスク→東京も4万弱。これいいな。

極東ロシアの航空会社
S7 Airlines S7航空(シベリア航空)
SAT Airlines SAT航空(サハリン航空)
Аэрофлот アエロフロート
Авиакомпания Якутия ヤクーチア航空
 SATは日本国内は札幌発しかなく、ユジノサハリンスクまで最安で3万程度。S7は安くていい。ヤクーチア航空は日本への定期便がないっぽい。

 ウラジオストク空港だが新空港の2Fは24時間開いているという情報がある。そんなら大丈夫だな。


2013/09/10 火 奈良

 今日はいい天気で暑くなりそう。昨日の夜リキいれて調べすぎて眠い。

 札幌も今最低気温が16度とかなのでまだ野宿できそう。

 アシアナ航空をつかってユジノサハリンスク(イン) - ウラジオストック(アウト)のオープンジョーで組んでも6万弱なんだな...安さでいうとそれが一番安いのか。
 稚内ーコルサコフがやたら高いのでそっちの方がいいような気がしてきた。
 ただそれにすると、帰りに中国入って丹東から北朝鮮に行ってみるとか、韓国から対馬壱岐を通って帰ってみるとかできんのよな。あと帰りが固定される。うーん。むしろフラフラしないからそっちの方がいいのかも。

 中国で二年ほどブラブラしていたおかげで胴回りが太くなり、今はいてるズボンもその胴回りにあわせて買ったのだが、インドの下痢ダイエットで胴回りが細くなってしまった。まぁおかげでたぶんスーツ類は問題なく着れるようになったとおもうが、ズボンがズレそうになるのは問題だな。


2013/09/09 月 奈良

 不思議なことに下痢ってきた。うーむ。インド前に買った半額のマルタイ棒ラーメンのせいか?トライアルの安物は腹にやさしくないのか?わからん。

 レギストラーツィヤ不要なのか?
 不要ではなくて、一週間程度の短期間なら不要になってきているらしい。


 ロシア領事館に行ってきた。
 最寄りの駅は大阪モノレールの少路駅なのだが、そのルートで行ってもそんなに安いわけでもないし、阪急バスで西緑丘でおりた方が近いのでそうした。

 さすがロシア領事館というべきか、こんなとこでも警察の警戒が厳重すぎる。不審尋問されたwww
 ロシア領事館は午前も午後も開いているらしい。大使館のサイトでは午後の開館しか情報がなく、領事館の掲示では午前の開館しか書いてない。警察の方も大使館に申し入れしているそうだがなかなか直してくれないらしい。まぁ来るなということかもしれん。申請自体はものすごくスムーズだった。空バウチャーなかなかやるな。警察の話では、人によってはものすごく時間がかかるそうで、やりなおしする人もいるらしいんだが、どこをまちがえるんだろう。
 ダブルエントリーにできるのでついついダブルにしてしまったが、ダブルだとやはり手数料が多めだった。そんなに何回も入る用事ないのだからシングルにしといたらよかった。一週間後だと17日のフェリーに間にあわないので3-4日後にしたかったのだが、その場合シングルなら8000円のところ、ダブルは12800円とられるらしい。5営業日後(一週間後)だとシングル4000円ダブル6400円。さらに10営業日後(二週間後)だとタダなのだが、そこまで待ちたくなかったので一週間後ということにした。まぁフェリーが17日から19日になっただけのことだ。

 16日にビザを受け取って17日の午前に稚内に着くことは可能だろうか。飛行機で札幌まで行けばあとは夜行の高速バスにのれば可能。しかし飛行機に乗る時点でかなり金がかかる。うーむ。
 舞鶴→小樽のフェリーは深夜0時ごろ発で夜の9時前に着くのでその足で札幌にいって夜行の高速バスにのれば翌朝には稚内に着いているという読みだったが、小樽から札幌の移動に一時間半くらいかかるのでフェリーターミナルから鉄道までの移動があやういことを考えると夜行の高速バスの23時に間にあわせるのはかなりあやうい。飛行機の方が確実か。

 LCCすごいな。日を選べばフェリーより安いぞ。
 関西発にこだわらず東京をカマせば選択肢も増えるな。ANAの株主優待券が死蔵されそうになっているので使いたいが金額的にみて微妙に使えない。宮崎みたいなところのために取っておくか。

1 ANA株主優待価格 伊丹→羽田(一時間に一本毎正時発) 11420 羽田→稚内 1315-1505 21620
  合計3万ちょい。領事館でビザを受け取ったその足でその日のうちに稚内。稚内宿泊。
  かなりあやういが2で札幌を飛ばすよりは可能性が高い。
  ちなみに関空→千歳 20650 なので16日札幌で夜行バス 6000 で2万8千程度でも行けるのだが空席が少ない
2 JR で舞鶴まで 2000円強
 フェリー 舞鶴→小樽0020-2045 9300
 小樽-(JR)→札幌 一時間半くらい 1000円弱
 高速バス 札幌→稚内 夜行 2300-0530 6000
  合計2万程度、最大船中,札幌,稚内の三個所で宿泊札幌での宿泊は不可避か
3 LCCのpeachにたまたま18日一万弱のフライトがのこっているのでそれをつかうと、18日に出発して夜行バスにのって19日の朝稚内に着くことが可能。合計2万弱
  peachの16日のフライトは2万越えなのでANAの株主優待券で乗った方が安い
4 東京まで夜行バス。3000-4000円。東京から東日本&北海道パス。10000円。16日でて17日朝東京。17日の間に新青森。18日朝に特急で函館。だがそこから先はさらに6000円くらいはらって特急に乗らないと19日朝までに着かない。したがって2万強かかる。

 17日の船に乗るなら1、19日なら2か3。全部地べたを這っていくロマンをとるなら2。効率を求めるなら3。
 こうしてケチケチと金の計算をすると稚内→コルサコフのフェリーの高さ(25000円)が目につくな...

 Sakhalin Shipping Company - SASCO - Passenger Carriages
 ホルムスク→ワニノの鉄道連絡船のページ(英語)
 まぁ6000円くらいということで、稚内→コルサコフに比べると相当安い。料金の注意書きをみるとメシ付きだそうだ。今は繁忙期なのか一日二便程度ある。チケットを買えるかどうかだな..


2013/09/08 日 奈良

視点・論点 「緊迫するシリア情勢」 | 視点・論点 | 解説委員室:NHK

 目がさめたら11時だ〜

 え!東京にオリンピック?なんと無駄な...

 曇天だがズボンが臭いので洗濯した。昨日図書館で本借りたからそれでも読む。

 結局寝てすごした一日だった。とりあえずロシアビザ関係の作業はやったので明日領事館に行く。

 あぁそういうとインドで寝てPDF読んでたときにだいたいわかったが、大谷光瑞はカシミールに来るといつもハウスボートに滞在していたらしい。ラーワルピンディーから峠を越えてバラムラにつくと、ハウスボートにのってスリナガルまで移動していたらしい。今はパキスタンになってしまってその峠は使えないが、イギリス時代はバラムラのあたりがカシミールの玄関だったわけだから、二週間も居た間に一回くらいバラムラに行っておけばよかったな。

 ロシア領事館は豊中にある。最寄りはモノレールの少路。奈良からだと微妙なエリアだな。


2013/09/07 土 奈良

 寝るとか言いながら寝てないのだが、V713の東芝直販、値下げしてる。直販モデルの方がいい。

 前評判が死ぬほど高かった haswell、実際はまだまだこれからの技術で期待を裏切る所があったので2chの関連スレはお葬式状態とか書いてあるな...

 昨日上海の空港でうすうす気付いたが、今、日本円一万円に対して人民元616元とかそんなんなのな... ロシアに行ったあと中国に入る気がうせてきた...
 ロシアビザだがダブルエントリーも取れるらしい。いつのまにこんなに自由になってるんだ。となるとたとえば、ハバロフスク方面から同江方面に入ったあと黒河からブラゴヴェシチェンスク方面に抜けてまたハバロフスクからウスリー川経由でウラジオストックとかいうルートもできるわけだ。うーむ。でも中国元が前より高いのは...
 あたりまえの話しだが人民元も韓国ウォンも台湾ドルも高くなっている。うーん。今は日本で金を作る時期だということかな。中国に入ったり北朝鮮に行ってみたり韓国横断したりするのはやめて素直にウラジオから帰ってくるか。

 図書情報館。
 ロシアであぶないのはATMか...

 防共回廊構想 - 林銑十郎と松室孝良

 音羽玄哲

 結局図書館に閉館ちょっと前までいてトライアルで適当にエサを買って帰ってきた。1000円が670Rsだからインドは安かったなぁ。でも安いからといってまた行きたい感じでもないのはなんでだろう。暑かったからか。

 デリーのホテルパヤルだが、淫風吹くところだった。下の方の個室では何をやっているかわからんあやしい場所だ。というかろくに観光もせず昼間っからドミトリーのベッドで寝てときどきマンゴージュースを飲みにいったりしていると、個室のドアがちょっとひらいていたりして中がちょっと見えたりするんだが、なんだな。あのパヤルで昼間っからブラブラしてる若いのがいてろくに仕事してないように見えるが、白人女子の欲求不満の相手をしていたりするのかねぇ。こればっかりは直接みたわけではないからわからん。毎朝6時すぎにヨーグルト買いにいったりしていたが、そのときも暑いせいかドアがすこし開いていて、かさなった手足がみえてたりしたことがあった。これも普通に客かもしれんからわからんが、一方はインド人っぽい手足だったなぁ。
 宿を出るときも、空港までいくのにタクシーを売りつけようとしてエアポートメトロが300Rsになったとかウソついてたなぁ。そのブラブラしてる若いのが。まぁイヤな人はイヤだろう。ああいうの。
 だから次は泊まらないって?たぶん次行ったときも泊まるとおもう。安いし。あとおれも下衆な人間なのでそういうのキライじゃなかったりする。

 そういうと肝心なこと書きわすれたが、今日図書館にいく途中で平城京資料館に寄ってみたら出土品のなかの動物を展示していた。結構みる犬の人形みたいなのはあれ馬らしい。土馬の簡単になったものがああいう形になるらしい。


2013/09/06 金 (デリー) → 上海 → 関空 → 奈良

 上海に昼前着いたが、寝すごして朝の機内食を食い損ねた。なんかだいたいは時間通り運行してるのでわざわざ6時間も間隔をあけることなかった。午後3時のを選んだらよかったか。
 もっとも上海 → 日本の便は結構バタバタしているみたいで若干遅延するのは普通のようであるらしい。なおさら午後3時のにしとけばよかったか。まぁ電車に間にあわない時間についたら関空で寝るだけなので問題はない。

 デリーでまともに観光らしいことをしたのは結局9/1だけか。まぁそれを言えばそもそも今回全然観光していない。

 関空での通関はかなり速く済んだので税関申告書を待ちながら書いていたのに間にあわず、荷物検査をうけながら書いていたくらいだ。インド帰りだからか一応ザッと荷物の中身を確認していたが、たいして入っていないのですぐに済んだ。荷物が多ければ全部チェックしていたのかもしれん。
 ということで無事奈良の部屋まで帰りつくことができた。部屋も出発するまでとあまりかわらず、電気水道の請求書もすぐ払えば問題なさそう。
 しかしもう深夜だが結構涼しいな。関空に着いたときはムワっとしてガッカリしたが雨でも降ってたんだろうか。


2013/09/05 木 デリー → (上海)

 デリーの空港の最寄りの市バスのバス停はMahipalPur crossingであるらしい。
Delhi Travel Help :::: DTC Bus Routes
 うーむ。まぁでもバス停から結構な距離歩く。エアポートメトロを逆から乗るのが一番マシだな。

 宿でゴロゴロして正午に出たあと、それほどブラブラもせずメトロの駅にいってしまい、エアポートメトロに反対側からのるべくDwarka Section21 にいった。行ったら何もなかったのでそのあたりをブラブラすることもなく空港。ちなみに反対側からだと35Rsだった。
 空港についたが中には入れるのは飛行機の時間の6時間前かららしく、Visiterエリアという中の一画を区切った狭いところに通される。そこで6時間くらい我慢したがとにかく眠かった。
 空港の荷物検査では精密ドライバーを召しあげられた。インドって... その他は順調に済んだ。ということで日記だけ書いてる。まぁ日付も変わってすごく眠い。ルピーは14Rs残った。


2013/09/04 水 デリー

 朝のヨーグルトを食べたあと所持金チェックをするとちょうど666Rsだった。今日明日の予算がこれなわけで、少なくもなく多すぎでもなく理想的。

 となりの部屋のおっさん、かわいらしい英語をつかうので韓国人だと勘違いしていたが、なんとアメリカ人だった。

 "agar agar powder" を使った成果がこれ。

 結構固い。少量でかなり効果的に固まることがわかったので、そのうちこの日本食屋にメニューが増えるかもしれないし増えないかもしれない。
 しかしこの日本食屋、明日宿を正午までにチェックアウトしたあと飛行機の時間待ちに使おうとおもっていたが明日は定休日だった。ぐぬぬ。

 明後日の飛行機の予定

9/6
デリー 02:45-11:00 上海
上海 18:25-21:30 関空
 という予定となっている。
 関空からの足だが、関空発大和西大寺行きの最終電車(指定券の必要な特急とか使わない)はhyperdiaによると
22:41 関西空港- 南海空港急行-難波 23:24 890円
23:40 大阪難波-近鉄-大和西大寺 00:09 430円
 となるようだ。間にあうかどうか微妙なところ。間にあわないならわざわざ難波まで出るよりも空港で寝て翌朝出た方がよい。
 もっとも託送荷物もないし、帰国の入国だし、荷物検査があったとしてもそもそも少ないのですぐ出れるかもしれない。それなら問題ない。
2013/09/03 火 デリー

 屋上で寝ると背中が痛いので半分くらいしか屋上に行かなかったが、そのスキにベッドの横の、布団が積んであるあたりに猫が小便してくさい。

 ジュース水類控えめで下痢→軟便になった。まぁ狂ったようにジュース飲んでたからなぁ。

 語られ始めた「日本の失われた20年はウソ」という真実 :日経

 ドミのとなりの部屋にすんでる韓国人のおっさんは夜の二時の飛行機の時間を昼の二時だとまちがえて乗りすごしてしまい、カードもなぜか使えないので嫁さんに送金してもらってチケットを買い直したらしい。

 猫ション臭いのはだいぶ薄まってきたがベッドを移動した。
 移動したはいいが、ファンから遠くなって余計に暑いかも。

 INAマーケットに行ってきた。

 他の市場でも撮れるようなしょうもない写真しか撮ってないが、ここは輸入品を主に扱うところで、駐在員の人なんかがよく物を買いにくるところらしい。ここで寒天類似の"agar agar powder"を買った。結構高く150ルピーもしたがまぁおもちゃなのでいいだろう。午後それを日本食屋に持っていってダベってきた。明日それでいろいろ実験してみようという話。

 最近日記に変なtypoが多い。ちゃんと見直さないと。

 2コマしかないアニメgifをつくった。車が来るとこまで我慢して撮ったらよかったか。

 中国政府が上海自由貿易区を27日に設置 香港紙報道 - MSN産経
 上海経済日記 : 上海自由貿易区

 ドミに今朝までいた女性が中国人だと知ってびっくりした。しかも詳しく話を聞いてみると海南島の出身ということで二度びっくりした。久しぶりに中国語使った。


2013/09/02 月 デリー

 昨日あんまり暑いので屋上で寝た。よく眠れた。

 :: INA Market ::
 INAという市場があるらしいので行こうかとおもったが月曜休みだった。

 今日の奈良の毎時観測記録をみると、気温がほとんど23度台から上がっていない。日照時間が0.0で降水量があり風が強く湿度が98%とかなので雨か。雨降ると涼しいのはいいな。デリー暑い。

 カタカナの起源は朝鮮半島にあったか NHKニュース
 え? 新羅の角筆がカタカナの起源の可能性があるとかいう話って昔からあるのになんで今さら新発見みたいに書いてんの?しかも専門家ならなおさら知ってるはずなのに。そのうちパスパ文字がハングルの起源の可能性があるとかいうニュースでも流すんだろうか。

 今日はドミのベッドで寝てマンゴージュースも一杯で我慢した。水の飲み過ぎは明らかだ。

 ネットで見付けたロシア語の音声教材、今回ロシア入りまでに全部やってみてどれくらい使えるのかためしてみる。今日は二時間分やってみた。といっても本来30分一課を一日づつやっていくものなので速成できるのかどうかわからん。

 空港の近くに鉄道のローカル駅があるが、ここに行くのはデリーサライ駅とかオールドデリー駅からでてるローカル線っぽい。
 SMDP/Shahabad Mohammadpur

 まぁしかし路上の一杯2ルピーの水なんかも平気で飲んでるしインドの生ジュースなんかはコップの洗浄がいいかげんなので、その辺で腹をくだした可能性もある。水くらいちゃんと買えばよいだけなんだが。しかしそれなりに高い飯屋とかでも給仕が目の前でスプーンを指で拭ってキレイにしたりするので貧乏旅行者が接触する程度のインドはどこも信用できないとおもってよい。

 屋上で寝ようとおもったが結構人が上がってくるので日付が変わってから登ることにした。眠いが暑い。


2013/09/01 日 デリー

 朝飯はヨーグルト。はかり売りのやつを500g買ったら28ルピーでちょっと高かったが濃厚でうまかった。温度がいいんだろうか。

 国立博物館は入館料300Rsで写真料300Rsかつ写真機での撮影のみ許可らしい。モバイルで写真をとるのは不可と。うーむ。やっぱりやめとくか。

 下痢ってきたがあきらかにジュース飲みすぎが原因だ。


 カシミール門に行ってきた。地下鉄の駅を降りた目の前にあるが、最初気付かず、ずっと違う方向に行って戻ってきてしまった。カシミール門はセポイの乱(インド大反乱)のとき、占拠されたデリーをイギリス軍がこの門から破って攻略したということで、それを記念するため、イギリス時代は破壊されたままのこしてあったらしい。今はなんというか中途半端に修復してある。行ってみたら日曜だから閉まっているということだったが警備員が小遣いかせぎで開けてくれた。最後に100Rsとかふざけたことをいうので20Rsと言ったがなかなか下げない。しかし無理になんとかするわけでもないのでこっちが下げて10Rsと言いつづけたら向こうが折れて20Rsと言いだしたが、10Rsと言いつづけて10Rs払ってきた。まぁたしかに鍵あけてくれたんだからそれくらいの謝礼は払った方がいいのかもしれない。1876年の死傷者の名前を刻んだ石碑ももとの場所に置いてある。これはしばらくひどいあつかいをうけていたらしく、表面に同心円状の傷がついているが人名ははっきり読める。しかし並んでいるのは11人だけなので一部かある連隊単独で設置したかなんかだろう。半分くらいはインド人の名前っぽい。
 1913年の関露香『本派本願寺大谷光瑞伯印度探検』というのがあるがこれは大谷光瑞の三度目の印度入りについていった新聞記者の旅行記で、大谷光瑞から聞いた話なんかも入っているが基本的には新聞記者自身の見聞が書いてある。それにデリーのカシミール門を訪ねた部分がある。

 印度政府は當時の激戰を記憶せしめんが爲めに砲彈銃丸に依て破壞された此のカシミア門の惨憺たる光景をば些の修理も行はないで、今日も尚其儘に衞兵を附して保存せしめて居る。
 国立国会図書館デジタル化資料 - 本派本願寺法主大谷光瑞伯印度探検
 その戦闘を指揮し戦死したのがニコルソンという人(John Nicholson (East India Company officer) - Wikipedia)だが、その名前を冠した通りが不思議なことにまだ残っていた。

 ニコルソンの墓もまだ残っていたようで、ちゃんと調べてから行ったらよかった。→ ニコルソンの墓の画像 一応墓地は破壊されてはいるようだ。google地図でみると墓地は地下鉄の駅の北側にあるようだ。(201512再訪して実在を確認)

 その後、オールドデリー駅を通り抜けてイギリス時代の公園の跡を通ってチャンドニーチョークにいく。昔来た記憶では観光客向けに象が歩いていたのだが、いなかった。グルドワラの前をとおるとタダ飯配ってたので並んで食う。写真撮ってたらシクのおっさんが中に案内してくれたが、どうも中に入るときのお菓子代を払ってもらいたかったらしく二人分払わされた。あと写真もとってほしかったようで、送ってくれといっていた。おっさんだからメールアドレスくれるわけはなく、普通に住所を書いていた。うーむ。

 ちなみにこのグルドワーラーは第9代グルが殺された場所にたてられたそうだ。

 ラールキラーの前にチャンドラボースの看板があった。

 メトロ乗り放題涼み放題をやってみようとおもったが、なかなか座れないので疲れる。素直に帰って午後は寝た。昨日の日本食屋におやつを食いに行ったら現地の日本人OLがいて適当に話ししたらおもしろかったが夜になったのでとっとと帰って洗濯した。ドミもあいかわらず男ばっかりだろうとおもってパンツ一丁で涼んでいたら女性が帰ってきてビックリした。
Sholay - Wikipedia
 日本食屋の人が現地のOLの人にSholayという映画のDVDかなんかを貸していたが、1975年のヒット作でセリフなんかもよく知られているらしく、インド人とのコミュニケーションに役立つらしい。

 公園で昼寝するインド人でもみてなごもう。


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