2016/01-2016/03
2016/03/31 木 山奥

 昨日佐川がpriori3持ってきたが、箱には29日配達指定と書いてある。指定日があるのに関西中継センターとかいうとこはわざわざゆっくり送ったようだ。何がどうなってそんなことになっているのか。

 priori3にぷららSIM差してみたらLTE接続になったが夜は激遅。3Gのアクセスポイントに変えてみようとするとつなげられない。LTE機種はつなげられないのか。うーむ。
 肝心のLTEだが、やはりうちは電波がよわいようで、3Gになることもある。微妙。
 カメラの画質はザラザラ。そのわりによく写っているので、回路設計がわるいんだろう。電波発信してる機器なのにノイズ対策がおざなりとかそんなとこか。中国で設計してるんじゃないか。ここはもったいない点。
 wifiテザリングはできるがBluetoothテザリングがうまくできない。よくわからん。
 おもってたより薄っぺらい。P-01Dは頑丈だったがこれは壊れるかもな。壊れたらP-01Dにもどるか。今のところそんな感じ。

 Windows で Ubuntu バイナリ(bash)が動作することの概略 - 蒼の王座・裏口
 Windows のシェルで bash が動くと便利は便利だが結局 cp932 の呪縛から逃れられないんじゃなかろうか。中国語とかのファイル名が文字化けしたりするのはなんとかしてほしい。まぁ普通のIT屋には関係ないことですね。はい。
 しかし bash シェルから /mnt/c/ みたいな感じでwindowsにアクセスするというのは今 vmware の上で Debian 動かしてるのと同じということで、Debian環境捨てれるかも。Windows10 のIMEの手書き入力が使えるととても便利だ。

 ぷららモバイルLTEのLTE用APNは遅い。ちょっとアプリのアップデートなどをダウンロードすると明らかに3G用APNの方が早い。ただ1ページ開いたりするときの体感はLTEの方がよい。やはりというか、priori3 から 3G の APN につなげられない。それさえできれば問題ないのに。
 だいたいわかったのが、ダウンロードは詰まっている。アップロードは空いてるので無茶苦茶速いということ。うーむ使えるかも。

 まぁ、priori3は売らずに使いつづける方向で考える。

 Windows 10から「OneDrive」を完全にアンインストールする方法 | ライフハッカー[日本版]
 スパイウェアのOneDriveを殺す方法があった。


2016/03/30 水 山奥

 さすがにゴミ取り程度のことでこんなに時間をかけるのが苦痛になってきて、徹夜でopencvでゴミ取りスクリプトを書いた。完全には取れないがいい感じに減るので作業量が減る。もう寝る。

 うーむ。二時間くらいしか寝てないが午前中さらに改良していい具合になるようにした。そもそも openCV つかうなら切り抜きとか回転とかもこれでやった方がいいんじゃないかとおもわないでもない。そういうわけで夕方までにゴミ取り終了。もっと早くこういうのやってたらよかったか。


2016/03/29 火 山奥

 ズボンの尻のところが弱くなって破れていることに気付く。まぁ股が何回も破れてその都度繕ってるからもう寿命か。
 このズボンいつ買ったのか日記で検索してみたがよくわからん。そんなことまで書いてないようだ。pro-actと尻のポケットにあるからコーナンで買ったものか。とりあえず奈良で買ったのをはくがこれも尻のところ裂けかけている。新しいのを買わねば。

 画像処理1/3くらいまで来た。このペースだとあと4日かかる。

 Keen Pain in Pakistan Over Lives ‘Shattered Into Pieces’ - The New York Times
 ラホールの自爆テロ、パンジャブ大学の近くの模様。イースターとホーリーを祝日にしたことが過激派の癪にさわったらしい。

 昨日の早朝ポチったpriori3はイートレンドでポチったのだが、佐川の送り状をみているとなぜか本体が須磨営業所、おまけのモバイルバッテリーが柏営業所で集荷されている。そして須磨から亀岡へいく途中で本体はとまったまま。一方で柏からはるばる亀岡へきたおまけがもう配達にまわっている。どういうことか。
 そもそも本体が須磨営業所で集配されているのがよくわからん。イートレンドの倉庫が神戸にあるということか。謎。とにかく本体は今日とどかなそうだ。
 モバイルバッテリーは昼に届いた。本体は関西中継センターから亀岡の営業所にとどくのが遅く、電話して聞いてみると明日の配達。ネットで探すと佐川を常用しているとおぼしき人が関西中継センターを通すと遅れるみたいなことを書いているのをみつける。佐川の関西中継センターとやらの機能が腐ってるんだろう。

 夜になっても「お荷物問い合わせサービス」の画面がかわらん。亀岡の営業所に電話したら遅い便で届くとか届いたとか言ってたが、まだ届いてないということだろうか。どっちにせよ山奥なのですぐには回れない。こんな山奥まで宅配便するの大変だな。まぁそれと大阪にある関西中継センターから亀岡営業所まで一日以上かかっていることは問題が別だが。

 画像処理全然進まない。gimpで手抜きできるか調べたが、実用的でないレベルなら手抜きできることがわかった。やはり手で地道にやるしかないのか。
 opencvで楽できるかとおもってとりあえず拡大→縮小のフィルタかけてみたらダメだった。


2016/03/28 月 山奥

 昨日、自動化できない画像処理を延々として終わらず、今朝の早朝に至っても終わらなかったせいか、ついつい priori3 をポチってしまった。安いとはいっても一万するものを勢いで買ってしまうのだから近い将来金が尽きるのは目にみえている。priori3はデュアルSIMなので今三台持ってるのをタブレット(SH-08E)+データ端末(priori3)二台に減らせると期待しているのだが、やはり無理があるかもしれぬ。素直にdocomoのSIMのFOMA契約からXi契約に変えてSH-08Eを電話にするのが一番早い気もする。しかし現状のLTE的に問題なく使えるbandの対応していて小型で安いのは他にない。3G接続よりすこしは早くなることを期待する。

 あかん画像修正つらすぎる。まだ終わらん。その一方でpriori3はもう佐川の手に渡ったらしい。明日着きそうな勢い。着くまでに終わるか。今日はもう寝る。


2016/03/27 日 山奥

とにかく猛然と「俺様正しい他は全部ダメ」と怒りたいだけの人が、歴代、中東・イスラーム研究には入ってくるからなあ。中東とか「イスラーム」を振りかざすと、とりあえず欧米とか日本とか全否定できるから。中東に関係する本の読者もそういう人たちなので、怒りたい人が怒りたい人向けに本を書いて売れる、というサイクルが成立してしまっている。

「俺様正しい他は全部ダメ」な“中東”論でいいのか –池内恵 - アゴラ

 藤田西湖、wikipediaには1966/1/4没とあるので新聞記事で検索したらそのとおりだった。訃報がのっていた。著作権切れていない。終了。国会図書館のミス。

 最先端に乗り遅れるな、サラリーマンのバイブル「島耕作」 : 市況かぶ全力2階建

 どうもやる気がでてこない... つまりインドまで行った成果をまとめる気にならないのでとりあえず飯の種である電子書籍づくりでもやろうとしている。これやってると時間の無駄に思えてくるのでまとめる気にもなるだろう。まぁそれに、生きてる意義がないように感じたりするヒマがあるのはよろしくない。


2016/03/26 土 山奥

 けさはさむかった。つららをみた。

 がぞうへんかんのこまんどわすれた。

 西湖は雅号なんだから「さいこ」じゃないのかな。

 Long s - Wikipedia

 V713がまた30分程度しか電池がもたないようになった。もう復活することはないのか。

 なんかこたつに座っているとときどこどこからともなく変なにおいがただよってくるのだが、どっかで小動物でも死んでいてその死臭かもしれん。案外床下だったりして。


2016/03/25 金 山奥 ←→ 京都

 今日は府立総合資料館の電源乞食の中に混じることにした。やる気でてきた。そもそも本当にやる気ないときはやる気ないとか書かず淡々とリンクをはりづづけているだろう。
 総合資料館は電源乞食室もあるし勉強部屋もあるのでちょうどよい。まぁ難点は遅く開いて早く閉まることだが。

 そういうとこないだ来た除染のときの同僚が、福島にいたときは花粉症だったが、静岡あたりまできたら症状が消えたと話していた。なんか花粉の種類が違うんだろうか。実際自分も福島にいたとき、一時花粉症のような症状になって、これが花粉症かと思い知ったことがある。今東京に行けば花粉症みたいになるんだろうか。

 総合資料館の閉館後、北方の電源乞食の聖地である平野神社近くのマクドナルドに行ってみたら、長時間使用お断りとの掲示がでていた。特に昼やめてほしいらしい。まぁとりあえず入ってみたら Kyoto-wifi が死んでた。ログインページが500を返すという形で。そりゃこれだけ長居しやすいところで無料wifiまで完備してたら自分のような電源乞食に居座られるだけだろうしな。

デジタル一眼レフカメラの基礎知識 - 露出 | ニコン
 自分の好みとしてはとにかく被写界深度が深い方がいい。しかしスマホのカメラは手ぶれが激しいので、絞りを開いて(絞り値を小さくして)シャッタースピードを早くした方が結果的にブレない写真が撮れる、ということか。スマホのカメラの絞り値が小さくなるのは自然の流れか。

 SIMサービス | 株式会社ワイヤレスゲート
 ワイヤレスゲートがそれなりの速さの使い放題プランを出してきた。安いな。


2016/03/24 木 山奥 ←→ 京都

 親のCF-MX3でプリンタつかえないというのだが、ドライバはウィンドウズアップデート経由らしい。ネットにつないでみると、Windows10のアップデートが途中で止まっている。これは固定回線のあるところでないとできないということで京都に降りて区役所でダウンロードした。

 山奥に帰ってきた。どうもやる気がでない。スマホのことばかり調べてるのはただの逃避だ。


2016/03/23 水 山奥

 午前中、除染のときの同僚がやってきたのでちょっとこの辺を案内した。泊まらずにそのまま岡山まで行くらしい。間に合うんかな。

 年金払ってきた。なんで月収数万の人間から年金1万5千円とろうとするんだろう。そんな低収入の人間が長生きするわけないだろ。どうかんがえても目先の金の方が大事じゃないか。わからん。

 z1fの電池不良のジャンク品が一万円台で出てるな...
 Xperia Z1 f SO-02F |ムスビー

 最近のスマホのカメラはF値がどんどん小さくなっているようだ。N-08Dは2.6でSH-08Dは2.4だが、最近のスマホのは2.0が多い。F値が小さいと明るくなるという話だが、ピントのあう範囲も狭くなり、背景などがボケてくる。うーむ。よくない。こちらとしては隅々までクッキリとれている方がありがたいのだが、需要的にはそういうのはすくないんだろう。やはりスマホのカメラで間に合わせようというのはよくないのかもしれん。カメラはカメラで買うべきなのか。


2016/03/22 火 京都 → 山奥

 アイヤール - Wikipedia
 Ayyār - Wikipedia
 日本語の方には時代が書いてないが、英語の方には9-12世紀とある。サッファール朝は事実上アイヤールによる王朝らしい。

 こないだ四条に行ったときいつもつかってる100円の駐輪場のちかくに京一というパチンコ屋があるのに気付いたのだが、その三階が駐輪場となっていた。今度とめてみよう。
 その近くには1時間無料の駐輪場もあるが一時間でセカセカするのがいやなのであんまりつかわなくなった。
 かなりどうでもいいがマクドナルドで安いからといって100円コーヒーのむと夜寝れなくなる。→ ますます夜型になる

 食い物もちょうどよい具合になくなりそうなので今晩山奥に帰るか。

 切りカス198円がフレスコで売っててつい買ってしまうのでフレスコはとっととあの商品を撤去してほしい。
 もともとスポンジケーキも好きで、よくあるショートケーキなんかはクリームが邪魔と考えるタイプなので安いカステラがどんなものであろうと食える自信がある。

 docomoで作らされたクレジットカードで海外キャッシングしたわけだが、今サイトで明細を確認すると、普通に海外ATM利用手数料とられてた。ぐぬぬ。

 除染のときの同年代の人が除染をあがって関西に来るとは言ってたが今晩になって急に来る様子なのでとりあえず山奥に帰る。車なので山奥の方がよかろう。つーか来るのかな。
 → やっぱり今日は来ないらしい。

 私たちのDNAは、ウイルスで出来ている!? 最新研究が塗り替えた驚きの「生命」イメージ  | 現代ビジネス [講談社]

 日本人が意外と知らない!?  「トヨタ」が最強であり続ける本当の理由  | 現代ビジネス [講談社]

 どうもzenfone 2 laserもいいなとおもってとりあえずそのへんのいらない紙で zenfone 2 laser(幅71.5mm) の型紙をつくってみたが、意外と小さくみえる。そこでまた Xperia コンパクト系(幅65mm)の型紙を作ってみたが、やはり7cm超とそれでは、その5mm程度の差のところに手におさまるかおさまらないかの壁がある。7cm超は手から落ちやすそう。


2016/03/21 月 京都

 むーん。いかん。最近夜型になっている。朝10時前くらいにならないと起きれない。昨日の夜はpriori3をポチろうかどうか迷って結局寝てしまった。たかが一万の金であるが、カメラ機能がどうも微妙な気がしてならない。ネット上にころがっているpriori3でとった生写真(もしくはそれに近いもの)を十枚程度あつめた。悪くはない、しかしなんか甘いところがあるというのがまたSH-08Eのカメラに似たところがある。Xperia Z1f/A2 だとカメラについては問題ないが中古市場の値段があまり落ちてないという問題がある。まぁでも探せば2万切るのはあるようだ。これからしばらくあんまり旅行しないとおもえばいいのかもしれないが。
 店頭で触った感じではタッチスクリーンがなんか変な反応だったのだが、それは店頭端末がおかしいのではなくそういう仕様らしい。マルチタッチではなく、二枚はりあわせて疑似マルチタッチにしてるそうで所詮安物だからということになる。工場は中国で日本人が製品管理してるから日本製ということらしい。一度は中国のバックドアをしかけられたものを販売してしまったこともあるらしいので今でもあやしいものだが。

 ネットで生写真探しておもったが、どいつもこいつも提灯記事ばっかりで役にたたない。

 カメラで後悔しそうな空気があるのでやめる。あきらめる。


2016/03/20 日 京都

 ノールーズ

 Kyoto-wifi02は消滅したっぽい。案内から消えている。Debian8を入れてみようとして区役所に来たが、しかたないので素のKyotowifiにつなげたらこれも結構速い。インフラひきついだのかもしれん。
 DebianのDesktopの選択面倒くさい。素直に今の環境をアップグレードした方がいいか。やりかた知らんかったので調べたら /etc/apt/sources.list のバージョンの名前を書きかえるだけだった。ぷらら回線でやるとまた寝れなくなるがかといって区役所に持っていっても30分くらいしか電池がもたないのでよろしくない。回線が太くて電源のあるところといえば結局四条になるのかな。

 ライフで買ってきた安い袋ラーメンのパックを食ってるのだが、こういうのはもっとボソボソしてたとおもうが今や普通にツルツルのものが食えてる。進歩してるんだな。もっともこれ作ってるのは明星っぽい。進歩したというよりは安くなってしまってスーパーの販売力にすがるしかなくなってきたのか。

 ひたすら納豆菌を腹に送りこむ作業をしていたおかげか日本の環境のおかげか単純に食い物が違うからか、便通がよくなってきた。とにかく京都にいたのは腹の具合がやばい場合田舎に変な菌をもちこむのはやばいというどうでもいい理由だったがもうそっちは大丈夫だな。

 V713上のVMplayerの中のDevianが8になった。なんか重い。


2016/03/19 土 京都

 うーむ。この京都の部屋で17日の夜布団の中で寝ころがりながら、ネットでどうでもいいことを調べてるのに熱中してしまい、夜の2時ちかくになろうというころ、あえぎ声が聞こえてきた。いやいや。このマンションの和室だけは構造のせいか杜撰建築なのかなぜか他の部屋の音が響くのだが、これははじめてだ。ということで壁耳してしまった。
 昨日の夜もあるのかとおもってワクワクして待っていたがうんともすんとも聞こえなかった。幼児の泣き声は聞こえるので、聞こえるところでやってないということか。とはいいつつも、向うの音が響くなら、こっちの音も響いている可能性もある。あるいは人の存在をさとられたのかもしれない。ジャマしてスマンのー

 さて、四条のジョーシン・寺町と、中古スマホの物価をみてきたが、xperia z1f系列が安くなってない。前とおなじだ。こりゃ下がらんな。
 京都でSIMフリースマホの品揃えがいいのは京都駅前のビックカメラだがそこはまだ見に行ってないけどまぁpriori3が1万3千円程度で買えるのでそれでいいようにおもう。中華スマホは中国対応してるのが魅力だがこれから中国もあんま行かないような気もするのでいい。

 その後京都駅方面も行ったが安物のなかでは priori3 がよいという結論に。しかしまぁXperiaのコンパクト系列も捨てがたい。まぁ金をかけずにP-01Dを使いつづけようか。
 ヨドバシなんか行ったせいで東芝の新しい書くものに興味をそそられてしまった。どうせ書かないんだからレッツノートでいいのに。V713が壊れるまで使いつづけよう。


2016/03/18 金 京都

 確定申告終了。除染の源泉徴収分を取り返した。めでたしめでたし。今回は入力を係員がやってたので控除がどこまであるのかわからず。さて一度帰ろうかなとおもったが昨日買った飯の材料があるのでまだいるか。

 今回はろくに旅行してないような気がしていたが、日記をみかえすとそれなりに旅行してるようにみえるから不思議だ。


2016/03/17 木 京都

 昨日の夕方洗濯したのが昼前ようやく乾いたので、年金とかの書類をみてたが、とりあえず収入だけ揃えて確定申告しにいったら、雑に計算した場合一万円くらいは納付しないといけなくなる模様。あせる。国保・年金の控除で納税額を減らすべく、また山奥に戻って書類をそろえた。確定申告することはわかっていたのだからそもそも昨日京都に降りてきたときにそれだけは持ってくるべきだった。そんな間抜けのせいで今日も日が暮れて何も達成なし。インドでも達成がなかったんだからいいか。明日やろう。

 京都のインド料理屋のミールスの値段をみると千数百円する。しばらく前までインドにいてケチケチしていた身からするととても食えない。

 安田純平氏のtwitterをみると最後のころはアジア記者クラブ通信とかいうサヨっぽい組織に対する文句がつづいていて、わりとまともな人だとおもった。
 そもそもサヨっぽい組織はロシア系の情報を鵜呑みにする傾向があるよな。

 最近はSIMフリーでたくさん端末がでてるんだな。何がいいのかわからんくらいある。わざわざ中古のXperia z1fを追わずともいいものがある、といいたいところだが、どうも中途半端にデカいのばかりでよろしくない。デカいのは7インチの機械が二台もあるので十分だ。P01Dの代替になるのが欲しいだけなのだ。P01Dで幅55mm。XperiaのZ1fに始まるコンパクト系列が幅65mm。65mmでもちょっとでかい。70mm越えたら手から落ちそうになるが今はそれが主流だ。なんでかわからんがデカいのがいいならみんな7インチ程度のを買えばいいのになぜ買わないのかわからん。まぁそう割り切れないからなんだろうが。
 N-08Dは軽いし手触りもよかったが液晶が普通なのでがんばってPDFを読むと電池が一日持たなかった。SH-08Eは一日以上持つのでその優位をもってメイン端末の地位を交代したわけだが、もちろんできればもっと世代の新しいSH-06FとかSH-05Gとかの方がいいのだがそれを手にいれるにはドコモに毎月高い金を払わなければならない。といっても今ドコモとぷららのかけもちで月に5000円程度払ってるのでそれほど差ないだろといえばないかもしれないがその差が許容できない収入規模なのでしかたない。


2016/03/16 水 京都 → 山奥 → 京都

 昨日は関空到着後、ものすごい速さでイミグレ通過。パスポートにハンコを押すのは日本人ぶっ通しのようだ。荷物検査は荷物が少ないのでほとんど目視のみ。まぁ上海経由なので怪しまれる要素が少ないのかも。インド直行便とかならもうすこし時間かかったかもしれないがそれでも荷物自体が少ないのでたいした時間ではあるまい。
 おかげで無事京都アクセス切符を買って西院に着いたのが12時ちょうど。しかし京都の部屋に着くと父親が寝ている。しかも手前の和室。ぐぬぬ。インドの垢をおとしづらいではないか。しょーがないのでそのままの格好でリビングで寝てた。インドと変わらん...。

 その後、山奥まで一度帰ったあと、また京都にでてきて洗濯からやりなおしている。ぷららSIMを京都の部屋に置いといてくれなかったので取りに行ったのだ。インドの垢は下界でおとしてから山奥に帰りたかったのだが。
 ところでそのぷららSIMは差したら使えた。

 日本への移動中日本語の論文とか読んでた。いわゆる遊牧ウズベクのシャイバーニー朝って北の方からドバーっと襲ってきたのかとおもったけどそもそもシャイバーニー自体がバーブルみたいに故国を失なって新天地で新王国をつくった人間だったとは知らなんだ。あとバーブルも傍系の領国の王子で、本家がコケたから奪いに行こうとしたけどそれに失敗してカーブルの方まで落ちてきたという大観がわかってなかった。
 それからハリーファがダルガー関係の基本用語だとは知らなんだ。それくらい読んどけって話ですが。


2016/03/15 火 ニューデリー → 上海 → 関空 → 京都

 昨日は大変だった。空港に夜の19時ごろついたが6時間前でないと空港に入れないので空港の隅の待合で待ってると急に気分が悪くなった。下痢かとおもってトイレに行こうとするが途中で倒れてしばらく寝るありさま。頭から脂汗がだらだらでる。で、トイレになんとかたどりついて下から水のようなものを大量に出すとなかなか気分が軽くなったがとりあえずまた横になって寝た。
 6時間以内になって空港の中に移動しようとするが、やはりまだ動けない。脂汗をかきながら入るがもうトイレに直行。すると下からだけではなく上からも大量に吐いた。
 という感じで吐いたり出したりしながら寝ていたが、もう出ないというころになってチェックインできるようになっていた。寝てたせいで長蛇の列。しょうがないので座りながら並んでると、まわりの西洋人が心配して整列係のインド人を呼ぶ。ちょっとまってそこまでしてくれなくてもいいんですけど。ここインドなんですけど!
 案の定インド人がいろいろ言うので大丈夫大丈夫と言いながら座ってたら列から出された。ちょっと休んでからチェックインしろとかなんとか。ここまで我慢したのが無駄になるだろ!
 まぁしかたないのでしばらく座ってたが、全部出したので随分楽になった。列にいた日本人のおっさんも似たように体調がわるかったらしく同情してくれたが、どうもウイルス性の病気がはやってるらしい。ロタウイルスとかノロウイルスとかか。しょうがない。

 ちなみにライターとかナイフとかカウンターに出したらなんかものすごく迷惑そうな顔していろいろ言ってた。おまえら託送とか知らんのか。そういうときに使える袋とか用意してないのか。そもそも想定してないようだ。ということでインドからはそういうものを持ち出せず。ダイソーで買った十徳ナイフは検査の係員のものになった。

 まぁしかし空港に着いてからがつらいピークで、一時はこのままのれるのか危ぶんだけど空港で全部に出したのでなんとかなった。飛行機では機内食を食わず、ひたすら飲み物を飲んでいた。というか機内食だしてくれなかった。まぁこの激しい下痢で全部出たならそれでよし。

 上海空港のwifiは自動で番号を発行してくれる機械があった。でかい液晶の装置があって、パスポートを読みこませ、それで番号とパスワードを発行する方式。
 ssh通るね。つーことは串として使えるね。


2016/03/14 月 ニューデリー

 さて空港に行く日であるが1000ルピーくらい余っている。
 この金、人民元にできると都合がいい。明日上海で半日待機しないといけない。

03/15
ニューデリー 03:30 → 11:20 上海 18:35 → 21:30 大阪
 そら安いわな。しかし余裕だらけなので遅延には強い。

 昼、コンノートプレースの南インド料理屋の Saravanaa Bhavan に行ってきた。ミールス。税金込みで249Rs。しかし、Puri with rise or Only rice と聞いてくるのでプリーと答えれば、本当にプリーだけでもってきやがった。最後まで人を小馬鹿にした店だった。まぁインドだからしかたない。

 後は夕方まで寝る。ナブランで18時くらいに出るから金いくら払ったらいいと聞けば800払ってるからいらないと言ってた。100くらい取ればいいのに商売っ気ないな。

 バナナ - Wikipedia
 バナナは東南アジア方面で栽培化されて広がったとある。アフリカまではマレー系がもたらしたと。ほー


2016/03/13 日 ニューデリー

 今朝小便に行ったら不意に尻から下痢便がでた。ぐぬぬ。治ってなかったのか。いやまぁ昨日観光に行った合間にバス停近くのキオスクで紙コップに入れる方式のジュースを飲んだのだがそれだろうか。もしくはまだ全部出てなかったのか。

 インド(隔離)
 この隔離体験記を読むと、日本で隔離されたとしても結局抗生物質の投与で直すらしい。そんなら今から抗生物質のみ続けて直したとしてもいっしょだな。まぁもっとも発熱とかないので大丈夫かもしれんが。

 金があまるので国立博物館に行ってきた。650Rs。高すぎる。しかもオーディオガイド込みの値段。使う気はないけど意地でも借りる。
 最初まちがえてブロンズのところに入ってしまったが、なんか宝物的な展示のしかただった。ブロンズの展示は最近作りなおしたようで新しい。古い展示の方は時代順にならんでいてよいが、部屋が時代順というだけで、中の順番はかなりいれこになっている。時代順に並べる意義とかわかってないんだろうな。展示室の外にも相当数展示されていたがこれは宝物館的展示。

 仏舎利展示は信仰の対象になっているようで巡礼者のツアーが絶えない。仏舎利室でもつくってそこだけ特別料金とればいいのに。
 高い金を外人からむしるくせに閉室が多かった。やたら多い展示の中からしぼったうち、中央アジア展示と写本展示室が入れなかった。もっともそのあたりにいくころには疲労困憊していてそれどころではなかった。コイン室が実のところ展示の内容が充実していたが、疲れてパンジャブ関係のごく一部しか写真に撮っていない。


 細密画が充実していた。この時代の有名人の画像はこういう細密画からとってるのも多いようで、みたことある絵もまじっていた。この三枚の最後の細密画は1815年のもので、このころサンサールチャンドに西洋式の兵がいることがわかるという点で重要。まぁ対グルカ戦で手勢が一度消滅したので導入しやすかったのかもしれんが、サンサールチャンドでこうだからランジートシンはなおさらだなという話だ。

 武器室にラクダにのせる旋回砲もあったが、ここの展示の人はどうもわかってないっぽい。といいつつも武器室に行くころには疲れていて何と書いてあったのかちゃんとメモしていないし写真もボケてみえない。武器室にはなぜか1856年のブーシェフル攻撃のジオラマがある。
Anglo-Persian War - Wikipedia
 そーか。チェックしてなかった。というかカージャール朝のヘラート攻撃がこの戦争のトリガーなのか。しかしヘラートについての雑な記述からみてもわかるようにこのへんの歴史をちょっとかじっただけで書くのは無理があるんだろうな。グレートゲームと書いておけばわかった気になれるところがまた。

 今回写真を撮ってみて、SH-08Eは暗いところや近いところでは焦点があいづらいことがわかった。風景とか食べ物をとるにはいいけど博物館向きではない。まぁ国立博物館の照明がひどいのもあるが説明の字がよく写っていないのが多い。もっともこれは N-08D で撮ってもダメだったかもしれない。

 疲れたので15時くらいで切りあげた。宿に帰ってしばらく、清水さんに連絡とってみたらちょうど同じく帰ってきたころらしく、チャイでも飲みながら話をした。その流れで清水さんのもつサーランギをみせてもらった。おもってたよりもでかい。振動部の弦長をはかってみたら38cmくらいだった。ヴィオラか。まぁしばらく日本に帰るということでいろいろ忙しいらしく、今日の夕方がたまたま空いてる時間でちょうどよかった。
 あと、歳が一個違うだけということもわかった。なんだ。それで話が合うのか。

 げっぷから特徴のあるにおいがするようになった。インドとかで腹の具合がわるくなったときにするものだ。今まではなんとかしていたような気がするが、今回はじめてググってみたらどうもインド旅行にはつきものの「たまごげっぷ」なるものが近いっぽい。水下痢が伴なうというのでまさにそれだろう。これは寄生虫のジアルジア症というありふれた病気らしい。寄生虫か... 抗生物質なんか飲んでもしかたなかった。で、これも薬をのんだら殺せるらしいので更にググって、Metronidazole を含む薬を買ってきた。薬価400mg15錠で13Rs。安い。問題はどれだけ服用するべきなのかだが、日本の薬の標準の処方では500mgを一日三回から四回、また違う情報では2g相当を一日一回三日のむという。日本の_処方でも結局一日になおせば1.5gから2gだし、買った薬も15錠なので2gを三日とみれば丁度だ。ということでとりあえず一度に5錠のんだ。さぁどうなるか。

 今さらだが、たまごげっぷ病は一日二日絶食したら治るという記述もみつけた。そういえば昔もそうして直したような気もする。まぁ薬買ってきたし帰国直前だからしかたないか。


2016/03/12 土 ニューデリー

 昨日大量にDLIからダウンロードしてみたらついに無制限3GBパックの限界に到達して64kbpsに落ちた。使い切ったのはいいが、遅い。


 フマーユーン廟。250Rs。金が余ってるなら、ちょっと高いので躊躇してた観光名所に使おうということで行ってきた。ラホールのジャハーンギール廟は渋いとおもっていたが、フマーユーン廟と比べると、ジャハーンギール廟の方が細部が凝っていた。建築物としてはこっちの方がでかいし広いし上部構造物もあるけれどもやはり時代が古いとそれだけ素朴になるんだろう。バーブル廟と伝わるものもあった。まぁバーブルの墓はカーブルにあるのだがこれはいったい誰のものか説明はなかった。
 イーサー・ハーンの墓もすぐ近くにあるのだがこの人はシェールシャーの下で活躍した人らしい。ということでシェールシャー廟にも似たところがある。シェールシャー廟もここ並みに修復したらこれくらいのキレイさにはなるんだろうな。

 ぐるぐる回ったら昼になったので近くのニザムッディンの聖者廟のまわりでチャイ屋にはいって適当にダル食ったらこれがうまかった。油がうまい感じ。しかもロティーがルメリで薄い。まわりの人はみんなチャイしか飲んでないようなところで、ダルかサブジかしか聞いてこなかったから失敗したかとおもったが意外だった。しかし量は少なかった。


 その後プラーナーキラー。これもシェールシャーがらみの城。城内はだだっぴろい公園になっていて今日は土曜のせいか、カップルがあちこちでいちゃいちゃしていて非常にジャマだった。門のちかくに博物館があったが写真禁止。プラーナーキラーが古のインドラプラスタだとするヒンドゥー教徒の伝承があって、実際に掘ってみたらそこまで行かないまでもそれなりに古いものがでてきたらしい。もっとも都市遺構っぽいのはもっと後のイスラム征服前後くらいらしいが。それで丘になってたのを再利用してつくった城のようだ。
 この六面の塔の二層目からフマーユーンが落ちて死んだということになっているが、ほんとかね。
 まわりが壕になっていたので城壁を撮りに降りてみたら、その辺に生えてたのは大麻草だった。うーむ。まぁどこにでも生えてるからどうでもいいか。

 その後、コンノートプレースにある南インド料理屋に行ってみたらものすごい行列だった。並ばないといけないと勘違いして、名前を書いてもらって待っていたが、一人だと下で食えるらしい。そのリストを管理してる女性が慣れてないかわざとイジワルしたかのどちらかで一時間くらい待ってしまった。それでミールスを食える時間を逸っしてしまったのでせっかく席に座ったがそのまま帰った。まぁ次は待たずにとっとと中に入って食うこととしよう。
 まぁしかしこういう格が高いところは何しに来たおまえみたいな空気を感じるのでイヤだったりする。

 帰ったらナブランの下の飯屋にうすぐろい日本人みたいなのがいたので話しかけてみたら中国人で、しばらく中国語で話をしたがそのうち英語まじりになった。まぁしかたない。深夜特急が好きでもう4年くらい海外旅行しててそのうち二年半くらいはアフリカにいたとか。しかし延々と話をしたわりに何者なのかよくわからんかった。そんなにずっと旅行つづけれるのに金持ちじゃないなら何なんだ。まぁそれをいえばこっちも何者なのだということだろうが。

 64kbpsでも普通に画像アップロードできる模様。

 ナブランのいいところは外からの防音がいいところで、つまり普通にしてればものすごく静かなので、だから部屋の中に怪しい絵を書いてしまうような人が続出するんだろう。問題は中庭形式になっていて音がよく響くことで、その昔バックパッカーがこぞってとまってたらしいころとはちがって今は外人もそんなにこないからインド人も泊めているようだが、その結果として夜でもうるさいわけだ。おまえら中庭に響くような大声で話すなよ。夜中の一時過ぎに部屋で熱弁してるやつがいたときにはさすがにうるさいと言いにいった。なんであんなによく通る大声で話すのかわからん。
 ちなみにどうもチベット人らしいのが泊まってるのだが、インド人が戸を開けて大声を出しだしてしばらくするとチベット音楽らしいものを鳴らしだすからおもしろい。外が静かになると止まる。彼らなりの意思表示か。


2016/03/11 金 ニューデリー

 昨日ナブランに引っ越しした他は一日寝ていたので水下痢もよくなったとおもう。よくなってもらわないとルピーを使い切りに出かけられない。絶食だが結局半日で腹減ったので飯を食ってしまった。空腹感がでてきたら大丈夫だとおもっているが水下痢には大丈夫だろうか。

 うーむ。完全には直ってない模様。
コレラ菌・赤痢菌・腸炎ビブリオ・ペスト菌・ピロリ菌
 このへん全部グラム陰性か。抗生物質がまだ二種類のこっていて、グラム陰性に効くのが二錠と微妙な余りかたをしてるんよな。しかし抗生物質のみすぎるのも問題だとおもうのでどうしたもんか。
 → とりあえず飲んだ。

 いじめが起こったときの対処法は色々ある。私が高校の教員時代にやっていたのは、1,いじめの前段階のいじりの時に厳しく注意する。些細ないじりでも、「そういうの、全然面白くない」としつこくばっさり斬りまくる。2,いじめの状態に陥っている生徒がいる時は休み時間もずっと教室にいて仕事をする。いじめを受けている生徒を前の席にする。その子が1人の状態を作らない。子の性格にもよるが、休み時間は積極的に話して笑わせたり、静かに趣味の話を聞いたり、他の生徒と私が世間話をしているのに耳を傾けてもらえる状態を作ったりする。3.教室移動などは強くて賢い子と組ませる。4.休み時間も勉強をさせる。こんな感じで過ごしていれば、遅くても3ヶ月くらいで状況は変わる。
 逆に絶対にしないことは、いじめられている子にどんな風にいじめられているか具体的に聞くこと、それをいじめている子に確認する事、両者を合わせて謝らせる事。こんなので解決すると本気で思っている教員がいるから先生が信用されない。

 いじめを無くすのは意外とできる。負の感情をクラスの中で出させないように仕向ければいい。誰だって多かれ少なかれ負の感情は持っている。そして正の感情も持っている。クラス内では正の感情しか出させないように力尽くで持って行けばいい。いい顔をしていたい気持ちにさせればいい。嫌な思いや言葉をクラスメイトにぶつけさせない、クラス内ではホッとして笑っていられるような環境を作る。イライラした負の感情を持ち込ませない。いいんだよ、教員なんて基本、学校生活内で問題を起こさせなければいいんだから、その場の雰囲気を良くすればいいんだよ。がんばろうよ。もう。
ひつじこ日記 2016/03/04
 学校の先生もある程度政治的能力が必要なんだな。高校でこれだから中学とか大変そうだ。

 昨日清水さんから聞いたうちにリゾートバイトで温泉旅館が結構よかったという話があったが、仙台の近くなんよな。またあっちか。うーむ。まぁしかし中年のおっさんでもいけるらしい。

 Maler Kotla だが、アムリトサルで切符買ったときは「メールコトラ」と訂正されたが、マレルコトラに行くとマレルコトラとしか聞かなかった。なんでだろう。

 もう11日か。15日早朝3時の飛行機なので、あと三日しかない。ぐぬぬ。

 なんかチャポチャポする音がするなとおもったら雨だった。accuweatherで天気をみるとこれからしばらく雨が降りやすい天気らしい。なん...だと... しかも15日から晴になるらしい。せっかく抗生物質のんだのに。

 ぷららモバイルLTEのSIMはもう発送されて園部の配達店に到着したらしい。京都まで帰ったらすぐネットできるようになりそう。

 15日関空到着は21:30だが阪急経由の最終が22:41なので間に合うかどうか微妙。その場合関空で寝ればよいか。


2016/03/10 木 ニューデリー

 昨日の夜から本格的に下痢ってきた。結局今回、本格的な急性の下痢ってデリーでしかやってないような気がする。
 パヤルのドミは従業員が随意に仮眠所とか夜寝るのにつかってるのがわかった。まぁ建物の構造上の問題もあるがキレイにしただけでは意識もかわらんということだろう。とりあえず一泊といいながら二泊してしまったが、今日はどっかに引越す。

 あちこち探してみたけどなかなか安いのがみつからなかったので、またナブランに行ってみたらシングル250Rsだと。何。そして4泊することを言うと200Rsにすると。何。そんなら12月の時点で言ってくれよ〜。シングルというのは5階ビルの一階のことで、前ドミトリーとして入ってたところとおなじ。なんだ。最初は難のある部屋に案内されたが、もうすこしマシな部屋に案内された。うーむ。1月のデリー滞在がここだったらもうすこしマシだったのでは。

 水下痢がとまらないので、うかつに遠くに行けない。水下痢について調べると、体の防御機構が菌などを体外に速やかに排出しようとしているのだという。そして絶食して水など飲んでればよいらしい。まぁ今朝はその原因の可能性のあるヨーグルトをコリずにまた食べたのだが、一日食わずにいることにする。ということでまず洗濯した。屋上に干してあとは寝て待つ。いままでなかなかズボンの洗濯ができなかった。

 ところでナブランに入って値段決めて出てきたら、清水さんがチャイを飲んでいたのでしばらく話をした。しかしなぜあこのチャイ屋を清水さんは好むのか謎だ。斜め前に便所があるからとかそういう理由でない事を願う。


2016/03/09 水 ニューデリー

 昨日ニューデリーまでの約8時間の乗車で、せっかく鉄道を利用したにもかかわらず、二等の激混で座ったまま身動きできなかったのだが、終盤になって足がむくんできていた。除染をクビになったとき、しばらく東北をグルグル車でまわっていたら足が変な具合になったのとおなじだ。どうも今までとはちがう。エコノミークラス症候群になりやすい体になったのではなかろうか。放射線を毎日多めに浴びると血管が固くなったりするんだろうか。

 金あまりそうなので博物館に行こうとおもったが650Rsもするのか。うーむ。

 とりあえずぷららモバイルLTEを申しこんでおいた。帰るころにはSIMも着いてるだろう。

 うーむ。パヤルのドミは下働きの奴がやっぱり寝床に使ってるな。昼飯食いにいったら急に眠くなったので寝てたら、パヤルの従業員の昼飯の作業がおわったあと下働きの奴が横のベッドで寝てた。なるほどこいつが随意にこの入口の方のベッド二つを使って寝てるのでこの入口のベッド二つだけ奥の部屋よりシーツが汚いのか。せっかくキレイにしてもこれだったらまた前の状態に逆戻りだな。

 どうもこやつ12月のことは覚えてないらしい。まぁそらそうだろうなぁ。

 午後ちょっと出て帰ってきたら他の奴がまた違うベッドで寝転がって携帯で話していた。まぁインドの安宿だからしょうがないのか。
 今日は韓国人と二人だがまぁとっとと寝よう。昼間あれだけ寝たのに疲れがとれない。気候の変化に体が対応してるだけな気もする。日本に帰ったらまた同じような切り替えをしないといけないのでつらそうだ。

 アーナンドプル・サヒーブからまた山奥へ入っていってマナリで温泉三昧しておけばよかったんじゃないかという気がしないでもない。天気も結局それほど悪くなってないようだし。もういい。

 そろそろマンゴーが出てきたようだが、高いのだけだった。二箇所でみかけたが、キロ120Rs、150Rsと強気の値段だった。相場がわからん。20年前にマンゴーを食いまくったときの記憶しかない。

 もう18切符使える季節か。その一方でガソリン代は100円前後になっている。燃費20km/Lならたとえば京都から東京まで500kmまっすぐ走って2500円となる。うーむ。


2016/03/08 火 マレルコトラ → ニューデリー

 むかつく〜。今日は朝のヒサール行きからキャンセルだ。明るいうちに出るのは全部キャンセルになった。ということでハンシ方面行くのはやめる。


 午前中ついでにまたマレルコトラをまわってみたが、やっぱりちょっと地方の小都市すぎる気がする。奈良の田原本とか五條とか桜井とかの昭和40〜50年代とかはこんな感じか。

 マレルコトラを昼に出発する列車の二等でニューデリーにやって来た。とりあえず座れたがギュウギュウなのでそれ以上うごけずなかなか窮屈な思いをした。とりあえずパヤルのドミにきてみたら、12月とはうってかわって綺麗になっているしドミに住人もいる。しかし例の調理人はやはり居るな。帰りの飛行機まで6泊分ある。まぁ様子見するか。どっちにせよ夜から部屋さがししたってろくなことはない。

 実のところマレルコトラで4000ルピーもおろしてしまったので、パヤルのドミで生活すると金があまってしまう。余裕をもって旅行する用意をしたらこれだからなんと間の悪いことか。


2016/03/07 月 Maler Kotla (マレルコトラ)

 とりあえず朝日記を書くと列車の時間が迫っている。荷物をまとめて駅に行ってみたがあわてることはなかった。なぜなら今日も列車はキャンセルされていた。うーむ。実は常態なのか?
 せっかくなので洗濯をし、昼頃生乾きの服をきて ATM へいって金をおろしてきた。4000ルピー。あと一週間くらいしかいないのでちょっと多いかもしれないが、デリーに二三日は居るつもりなのでビビらないよう金を用意したつもりだ。

 市場の屋台で昼飯にダル食ってみたらロティ二枚食ったのに20Rsしか請求されなかった。たしかに小皿だったが安い。
 チキンカレー屋も朝飯も昼飯もマレルコトラのロティは黄色いのがでてきたのだが、なにかコクがあってうまかった。それだけで食べても数枚はおやつにいけそうな感じ。小麦粉以外のなにかがまじっているんだろうか。トウモロコシ粉とか。

 マレルコトラに満足しつつも、明日早朝の列車でヒサール方面に行くことにした。さて明日は無事行けるかどうか。

 その日のうちに日記をまとめないとやっぱり雑になるな。アーナンドプルサヒーブのあるところはヒマラヤ山脈の地峡になっていてちょうど北側に山脈からちょっと飛び出た山がある、とか車内販売のチャイが5Rsになるみたいなことを書いてない。


2016/03/06 日 Dhuri (ドゥリ) → Maler Kotla (マレルコトラ) → Ludhiana (ルディアナ) → Maler Kotla (マレルコトラ)

 Ambala Cant. → Maler Kotla 二等 55Rs(通しで買って鈍行で乗り継ぎ)
 Maler Kotla → Ludhiana バス 45Rs
 Ludhiana → Maler Kotla 二等 10Rs

 早朝マレルコトラの駅に移動。明るくなったら町に行く。雨のおかげか朝から気持ちいい。
 シーシュマハルという邸宅跡があるらしいのでとりあえずそれを見てきてその後適当に町をぶらぶらした。

 旧市街の北の端のあたりまで行ってから、聖者廟がそのへんにあるのに気付き、行ってみたらその前で変なおっさんにつかまった。どうもマレルコトラのラジャの遠い親戚で、この聖者廟にまつられている聖者の子孫らしい。案内してやるといわれたのでついていった。

 この聖者廟のまわりを囲む壁がなかなか古そうでよかった。石を積んであるだけなのがなかなか素朴な味わいを出していてよい。そのおっさんにパンジャブのラジャ列伝みたいなもののマレルコトラの系図をみせたら、ここからうちは分岐しているとかなんとか言ってた。聖者廟の守りをしてるのがその家で、ラジャの家は別とかなんとか。聖俗で別の支配をしていたらしい。そしてラジャの家は印パ分離のときパキスタンに行き、聖者廟の守りの家は残ったと。ちなみに役目の名前はハリーファらしい。


 さて南の方へいく列車の時間もちかづいたので、南へ戻る途中バススタンドなんかをみてから駅にいくと、南に行く列車は午後までないという。うーむ。erailで確認すると cancel になっている。他の列車なんかを調べてみると2時間遅延とかまだ出発してないとかもある。昨日の雨のせいか。昼のあいだは鉄道でここから移動できない。しかしバスならどこでもいけるのでバススタンドにいって鉄道幹線の通っているルディアナに行くことにした。一度来たときになんかよい感じにおもったところだ。

 しかしバススタンドから駅まで歩いている最中に、スクーターにのった二人組に遭遇し、バスがプロブレムでモバイルがどうこととか言ってくる。電話を貸してくれと言っているようだがあきらかに怪しいので断わった。あぁここも都会なんだと気付いた。

 ルディアナで今度は東に行く列車なんかを確認するがやはり雨の影響でダイヤがみだれていてよろしくない。あとあたりまえだが窓口が混んでいる。なんかどうでもよくなってきてルディアナでの宿さがしに出発した。
 宿探しは町歩きも兼ねているが、ジャマーマスジッドをみつけたのでそこそこ歩けたとおもう。炭酸水が町で売っててなかなかうまかった。しかしどんなにボロいところでも350Rsより安いところをみつけられない。バススタンドの前でも駅前でもそのちょっと離れた街中でもみつけられなかったのであきらめることにした。

 マレルコトラでも一応宿探しはしたのだが、見付けられず最後駅からバススタンドに行くとき、駅前によく見ると「モサフェルハネ」があるのに気付いてちょっとのぞくと明らかに250Rsと書いてあった。それをおもいだしてまたマレルコトラに行くことにする。
 19時くらいについたが普通に250Rsで泊まれた。全然言葉が通じないが案外いい。あと、この宿を持ってるのは、どうも聖者廟の一族と関係あるようなことを言ってた。ほとんど通じてないのに飯屋に案内してくれたがその飯がとにかくうまかった。マレルコトラいいとこだな。
 しかし非常に疲れていたので帰ったらすぐに寝てしまう。


2016/03/05 土 Patiala (パティアラ) → Anandpur Sahib(アーナンドプル・サヒーブ) → Dhuri (ドゥリ)

 うーむ。雨降ってる。この部屋が臭くなければもう一日いてもいいのだが。

 Pathiara → Rajapura bus 35Rs
 Rajapura → AnandpurSahib 二等 25Rs
 AnandpurSahib → Ambala Cant. 二等 30Rs


 アーナンドプル・サヒーブ。天気は気にせずとりあえず行ってみたが雨にはあわなかった。巡礼宿は下にあるのがドミトリーなんだろうが入れてくれず個室のある上の方のは一部屋500Rsということでやめる。まぁ泊まらずともとりあえず博物館だけは見ておこうとおもって行ってみたら、博物館というよりは博覧会の会場にあるようなテーマパビリオンの豪華なものという感じだった。博物館と勘違いして入ってしまったではないか。

 まぁ見る分にはきれいでいいのだが。Khalsa 成立までの歴史をこういう感じで紹介してるだけで、その後がない。


 その後近くの城跡にあるグルドワラもみた。まぁ本来この城跡がメインであるところか。ただし城の本体は塗りこめてあってどっからみても模造物にしかみえない。
 さんざん歩いたのでアーナンドプル・サヒーブにある中心のグルドワラにもどってよくわからん待機所のようなところでサドゥーみたいな人らまじって横になったら寝てしまった。疲れていたようだ。


 昼寝してから天気もよくなってきたが、もう見るものは見たような感じなので去ることにした。とりあえずどこにでも通じてるアンバラまで行くことにする。

 その二等の鈍行にのっていると激しい雨が降ってきた。これはつらい。駅で野宿することを考えていたのだが、この雨だとたいていのところで野宿できない。アンバラ カントンメント駅についたら屋根のあるところには人がぎっしり。座るなり立つなりして雨宿りしている。とりあえず駅の中の食堂に行ってみたらターリーが42Rsと安かったので食った。

 サハランプルは近すぎるしリシケシは行くことを検討してはいるがなんか気がすすまない。昨日飛ばしたマレルコトラに行きそこからハンシに行くというルートにして、ローカル線の交差しているドゥリ(Dhuri)で夜を過ごすことにした。23時45分発で1時かそこらにつくといい感じに人が少ないし鉄道が交差しているところなのでホームも二つある。ということでとりあえずマレルコトラに行く列車が通るまでそこで寝た。


2016/03/04 金 Bathinda(バティンダ) → Sangrur(サングルー) → Patiala(パティアラ)


 バティンダ。朝とりあえず城へ。ここの城はシク教のグルドワラがあるのでタダで普通に入ることができる。なかなか立派な城壁だ。中にほとんど何も建っていないが雨がそんなに降るわけでもないこの地方だと行軍で使うテントで十分なのかもしれん。
 Gazetteerによるとこの城とよく似たのが Bhatner,Abohar,Sirsa にあり、それぞれ等間隔で三角形をなしているので同じ統治者によってつくられたものだろうと推測している。
 ここは見たらおわりなので、とっとと荷物をまとめてサングルーに行く。Sangrur。ついサングルールと言ってしまう。しかしバスをつかってみたら100Rsした。しかも道路を高規格化するための工事中のため道路が狭くなったりガタガタになったりしており、なかなかハラハラする運転で時間もかかって昼ごろ着いた。


 サングルーにはシクのJindの藩王の屋敷があったらしい。それが博物館になっているということだったが、行ってみたら閉まっていた。
 近くにいた兵隊か警察かよくわからんのに聞いてみたら夕方開くとかいうことだった。まぁ昼休みなんだろうか。歩いてるだけで汗がでてくるくらい暑かったのでもうどうでもよくなってきた。マレルコトラには行くアテもないので暑い中アテもなく歩きまわるのはやめにして、もうパティアラに行くことにした。
 パティアラまでバスで60Rs。バティンダからサングルー・パティアラをとおってチャンディガーまで行くバスの路線があるようで、結局その路線を使ったことになる。サングルーはバススタンドが新しいところに移ってそこが遠いので駅の近くの交差点でつかまえるのが普通になっているようだ。


 パティアラの城。ここは内城の中に入れない。内城といっても一番内側のことでそのまわりにも城壁があり、その中には入れる。都市の回りの城壁は既に破壊されている模様。ところではじめての都市についてスラスラと観光名所に行けてるのは vodafone と google 地図のおかげだったりする。だから目的地がはっきりしている場合はかなり迷わずに行ける反面、勘で適当にブラブラ歩いて何かにいきあたりづらい。まぁ道具は何でも使い様ではあるが。
 城の中には博物館がある。写真はとれない。武器がメインで他に絵画とか自動車なんかもあった。サファビー朝のアッバースの剣なんてのもあったがなぜこんなところにあるのかわからない。ドゥッラーニー朝から授与されたりしたんだろうか。ちなみにパティアラのシクが属するミスルは、シクの天敵であるはずのドゥッラーニー朝に目をかけてもらったりしてるので12ミスルから外されていることがある。
 ラクダに載せる旋回砲もあった。まぁそれだけ当時ありふれた武器だったんだろう。ここはシク関係の博物館では一番武器の実物がそろっているところではなかろうか。ランジートシンの国から早くに切り離されて英領の中の藩王として生き長らえたのが大きいんだろう。
 敷地内はいろいろ修理中でこんなのも放置してあった。直すんだろうか。

 ちょっと旧市街をぶらぶらしたあと、バスターミナルまで戻ってここからアーナンドプル・サヒーブに行ってもよかったが、せっかくなので宿さがししてみた。とりあえず最初に250Rsの宿を引きあてる。で、また次を数軒あたってみたが、バティンダでも最初に底値のところを探していたことを考えると、最初に相当安いところをみつけているのに無駄に時間をかけても疲れるだけだとおもい、最初のところに戻って泊まることにした。部屋に行ってみると布団は臭いし階段の下だし昼間はものすごく暑いっぽいのだが、まぁ安いからいい。ということで飯なども余裕で食ってなんとか日記をかくところまで行けたところ。今日はよく寝るぞ。


 そういうとこんなのみつけた。ちょっと話をしたが、夏はダラムサラにいて、涼しくなったら降りてきてここで商売するらしい。その人によるとパティアラの安宿には泥棒宿みたいなのがあるから気をつけろということだった。


2016/03/03 木 アムリトサル → ジャランダル → バティンダ


 さてもっとゴールデンテンプルの宿にいてもよかったが、早朝に来て空くのを待ってる人がいたのでとっとと出ることにした。
 行先としてはバティンダ(Bathinda)を予定していたが、朝マレルコトラの領主がアフガン系だったことをおもいだして、鉄道の時間を検索するとちょうど朝出て昼につくのがある。さらに寝ながらPDFを漁ると、ローヒラーのような新参ではなくもっと古い時期から来ていることになっているらしい。行ってもなにもなさそうだが、おもしろそうではある。
 宿を出てバスターミナルと鉄道の駅へわかれるところの手前に駅への無料送迎バスが止まっていてちょうど出るところだった。そこでバティンダまでバスで行くのはやめて、マレルコトラへ行くことにした。ただ、急行だったのでケチって窓口で買わず、自販機で普通切符を買ったのだがそれがまずかった。
 珍しくまっさきに二等座席の車両に検札がやってきた。自分の持ってる普通切符をみると、罰金として280払えと言ってくる。外人の自分に説明するのは目の前にいたにーちゃんにまかせて他のゴネてる客と揉めてる間に、次のビアスジャンクション駅についたので、罰金とられる前にとっとと降りた。ちなみにその駅まで正規で買ったら30Rs。マレルコトラまで70Rsしかしないので、短距離ほど高いことになる。ケチらす窓口で買っておけばよかった。


 ビアス川の西側にあるこの駅はインドらしくなくやたらきれいにしてあった。駅舎のつくりもあまりインドらしくない。まぁ途中下車しなければこんなとこに来ることはなかったのでよしとしよう。一応近くを国道が走っており、そこまで行くとバスが止まって客をひらっていた。とりあえずその辺の青年に聞くとジャランダルまで40Rsということだった。戻って駅でジャランダルまで聞くと30Rsだったので鉄道で行くことにした。

 ジャランダルからバティンダまでの鉄道を探してみると、昼下りにでて日没ごろに着くのがあるので、それに乗ることにした。ジャランダルについて駅前でダルチャーワルのようなターリーを頼むとなんと30Rs。うーむ。安い。今までダラムサラで高い飯くってたのが何だったんだろうとおもってしまう。しかしやはりインド飯でスパイスのバランスが過剰であった。安いから当然か。
 しかしジャランダルからの列車は一時間半くらい遅れて到着した。ジャランダルからバティンダへ行く列車はビアス川からサトレジ川沿いに走り、第一次シク戦争の舞台の近くを通る。ということで期待したが、サトレジ川は灌漑で水をとられてしまい、昔の本をみるとサトレジ川は急すぎて歩いて渡河できないのが常識ということだったが、今ならどこかに浅瀬がありそうな水量。とてもインダス川から船がのぼっていたとは思えない。また、第一次シク戦争の舞台のあたりはただの平野で特に地形がおもしろいわけではない。川と都市からの距離で戦場がきまっているので見てなにかがわかるわけでもないということがわかった。古戦場を見にいくことも前検討していたがまぁいかずともよかったか。

 ↑サトレジ川と古戦場の近く。

 バティンダに着いたころには夜になっていた。さてそこから宿探しだが、やはりこれが大変だった。最初に300Rsの宿をみつけたものの、そこ以下の宿をみつけることができず、2時間くらい探しまわって結局バススタンド近くのところの300Rsで妥協した。まぁしかし駅前よりは静かなのでよいか。しかし夜の二時間は重要だ。日記を書いているうちにちょっと寝てしまってそろそろ日付が変わりそうになってしまった。300Rsでもなかなかないので見付け次第泊まっていたらよかったか。
 ちなみにその二時間の中にグルドワラで飯を食った時間も入っている。


2016/03/02 水 アムリトサル

 昨日の日記は今日書いてる。

 さてまず1日の日付が変わる前ごろにゴールデンテンプルに来たのはいいが、もう皆寝る時間。飯くってきたらドミトリーの電気が消えていた。しかし隣のやつが泥棒で、寝ついたとみたらなんか指でごそごそ探ってくるようなやつだった。そいつがドミトリーの一番隅で、自分がその隣に配置されたのでその注目が全部こっちに来る。そのせいでかしらんがよく眠れんかった。一言も交わしてないので何人かは知らないが東洋系だった。スマホで照らして探るなんてことをする。中国人っぽい感じがしたがなんともいえん。しかも丸坊主で顔の感じも似てるところがあるから、自分のようなのが怪しまれてもしかたない。案外日本人の泥棒かもしれんな。
 こんなことならパタンコートのリタイヤリングルームに泊まればよかったかともおもったが、昨日日本人のいる部屋があってそこは満員で入れなかったのだが、スマホを充電させてもらっていた。ということでその日本人ご一行様が出ていったあとに入った。よしよし。ドネーションで泊まれるところだから運次第だ。


 今日はランジートシンパノラマ館に行ってきた。ジオラマを円形に展開して全景を眺めれるような感じにするやつで、ロシアだと大祖国戦争、中国だと抗日戦争の様子を再現するために使ってたりするやつだが、ここはランジートシンの戦争をジオラマで再現していた。国威発揚のためのジオラマ利用はソ連が起源なんだろうか。その円周ジオラマ以外に、普通の箱ジオラマもあり、そっちは戦争以外の出来事が中心だった。もっともここの円周ジオラマは全景つかって一つの戦争を説明するのではなく、いくつかの戦争を横に並べているので、ランジートシンのどの戦争が今のシクからみて重要なのかわかってよい。
 それよりもここは一番下にランジートシン博物館がついているのが一番の収穫だった。当時の武器や本のコピーなどが箱に入れて並べてあった。残念なことに写真は不可。たぶん写真不可なのはコヒヌールの王冠のレプリカのことなんだとおもうが、全部不可になっていた。んなもん置くなよ...
 ラクダにのせる回転砲がその鞍まで再現して置いてあった。いやいやいやこの展示を作った人はわかってる。写真がとれないなら、ということでスケッチしてたらそれも注意された。スケッチも不可で見るだけ。ぐぬぬ。本の展示のなかには軍事調練教本があった。見たことあるページなのでここに展示してあるものの写真なんだろうとおもう。ランジートシンの玉座はイギリスのヴィクトリアアンドアルバート博物館にあるらしい。あったのか。
 他に博物館にあった重要なものはこの絵↓の人物比定図。
August Schoefft painting Golden Temple Amritsar Sikh Museum History Heritage
 しかしパノラマの一部がこの絵の再現にあてられていて、その説明に一応比定がしてあった。
 シクによるそのころ書かれたシク史の本も何種類か置いてあった。ペルシア語とかウルドゥーで書かれていた。これのメモはいいといわれたので全部メモしてきたがシクによるこういう史書が数種類あるのが意外だった。


 このパノラマ館は公園のごく一部なのだが、その公園の中にある建物もランジートシンがのこしたものらしかった。

 他にヴァーチャル動物園とでもいえるようなものがあった。なんでこんなものつくったんだろうか。


 その後、ゴビンドガルフの城に行ってみたが、入れなかった。とりあえず入口から遠くにみえるゴビンドガルフの入口らしきものは撮ってきた。
Gobindgarh Fort - Wikipedia
 これをみると軍の管理下にあったが「資金危機と管理不行き届き」でパンジャブ州に引き渡されたとある。画像検索すると結構出てくる。どうも整備中らしい。

 しかし暑い。昨日の夜アムリトサル駅前の電光掲示板が20度と表示していた。勘弁してほしい。

 朝の8時過ぎに飯に行くと揃ったものが食えることがわかった。他の時間だと品数が減る。


2016/03/01 火 ダラムサラ → カングラ → パタンコート → アムリトサル

 マクロードガンジ → ダラムサラ バグス発のバス 15Rs
 ダラムサラ → カングラ バス 25Rs
 カングラ → パタンコート カングラ鉄道 25Rs
 パタンコート → アムリトサル 鉄道 無座 25Rs

 さてアーナントプル・サーヒブに行くと言っていたが行かずカングラ鉄道にのってしまった。Kangra Valley Trains が正式名称なので直訳するとカングラ峡谷鉄道なんだろうがあんまり峡谷という感じでもない。カングラのあたりは峡谷っぽいのでおそらくここより奥はより峡谷っぽいんだろう。
 カングラ行きのバスがカングラのバスターミナルで止まらず、旧バスターミナルっぽいところまで行ったのでバスにのらず、とりあえず駅を見にいくことにした。

 カングラ・マンディル駅はカングラのヒンドゥー寺院への駅ということで、駅前の吊り橋の近くにガートがあり、魚が橋の下にたくさん泳いでいたりいた。駅前のあたりも狭い道があるだけのところに飯屋とかが並んでいるだけでなかなか風情があってよい。

 カングラ・マンディル駅に行くとそろそろ奥に行くのが来るということで待っていたが時間を過ぎても来ない。駅の全景をとってからせっかくここまで来たのでカングラ駅まで行って対岸からカングラ城の写真でも撮ることにした。ということでカングラ駅の方まで歩いていると、一時間遅れで列車がやってきた。そんなもんなのか。

 カングラの旧市街は川の断崖の上にあって、この通り自然の要塞という感じになっているが、このあたり台地が削れているので断崖は結構みかけた。カングラは川の合流地点でさらに山になってるから城が置かれたんだろう。ということでカングラ駅につくとパタンコート行きの時間だったのでパタンコート行きにのった。


 最初に書いたようにあんまり峡谷っぽくはないが一応雄大な景色ではあった。まぁ平地に降りていくところなのでしょうがないか。カングラから峠を越すと、あとはヒマラヤ山脈の皺に平行していくのでそのあたりから先はそれほどでもないのはしかたない。そのあたり巨大なダム湖になっていて、地平線が見えていた。あとは地層がよくわかる地形があるくらいか。そこの写真はとってない。
 パタンコートにつくと、18時前だった。途中一時間くらい遅れていたが、平野部で一気にとりかえして結局10分弱程度の遅れだった。パタンコート駅のリタイヤリングルームを利用してみるという手もあったが使わずアムリトサルに向かうという暴挙に出る。
 窓口で最安の25Rsだから遅い列車がさらに遅くなり、アムリトサルについたのは23時前。そこから歩いてゴールデンテンプルまで行って宿泊。


2016/02/29 月 ダラムサラ

 明日まず行く予定地はアーナンドプル・サヒーブ。以後未定。

 天気がくずれて雨になってきた。雷鳴。やはり三月は雨か。明日無事下山できるかな。
 アムリトサルも三月第二週は雨っぽい。デリーは大丈夫だ。うーむむ。
 雨で停電。単純に雨だと外にでにくいという事の他にこれがあるからやっぱりよくないな。


2016/02/28 日 ダラムサラ

 最近マクロードガンジから見えるダオラダルの山並の高い頂が曇るようになった。うーむ。雨の季節が近づいてるんだな。下山もやむなし。

 やっぱり7月ごろに書いたのはいろいろ調べ足りてないな。足りてないから勢いで書けなかったのか。

 ドゥランドラインの方の H.M.Durand (要するに子の方)が書いたナーディルシャーの本があったのでDLIで落としてみたら小説だった。うーむ。19世紀末だからそういうのもありなのか。

 変な札が財布の中にあったので偽札かとおもってググってみたら2005年以前の旧札だった。

 書くとかいいながら全然はじめられないのでベランダのあるカフェに来てそこで電池の足りないV713の時限付きで優雅に甘いケーキ70Rsと無糖の紅茶20Rsをすすりながらパソコンいじったらやっと進み出した。

 3GB無制限プラン買っておいてなんだがまたラホールに行くという手もあったな。ダブルエントリーだし。あぁでもV713での作業を考えると停電時間が長いから問題か。

 清原和博容疑者の現役時代”シャブホームラン”は何本あったのか? 元中毒者2名+1が語る525本完全チェック | 裏モノJAPANオンライン

 抗生物質を口にいれておいたら歯の痛いのがなくなって腫れも消えた件について、「levofloxacin 虫歯」でググってみたら、なんと虫歯で抗生物質を使うときの選択肢として一二に上げられるものだった。なんだ。それであれば、中途半端に使うと耐性菌をつくってしまう可能性があるのでもうすこしちゃんと投与するべきだったか。しかし今からもう一錠カジるのもなぁ。

 夜になってからやはり恒例の謎の大音量の音楽が鳴り出したが、外に出て確認するとやはりこの建物ではなく、向かいの遠いところから響いている。ということはこのあたり一帯の宿がこの轟音の被害にあっているということか。こんなに響くということは屋外なんだろうか。謎だ。すくなくともこの辺に宿をとるとうるさいということは確かだ。


2016/02/27 土 ダラムサラ

 Jalandhar と Ambala の Gazetteer をDLIから落としてみたら、歴史の部の Sikh のあたりが落ちたり白紙になったりしていた。こんなことがあるから電子化がかならずしもいいとはかぎらない。

 今日で調べるのは終わりにしてとりあえずまとめにかかろう。そんでまた小旅行しながらどうするか考えるという方向で。

 そういうと総督オークランドがラホールに行ったとき、ジャハンギールの墓と有名なヌールマハルを見にいったとか当時の日記に書いてあったので、え?あれそんなたいそうなもんだっけと思ってググってみたらヌールマハルはジャランダールにあるらしい。混同したのか。この日記書いた人ラホールにはいたけど、オークランドに同行はしてないんだろうな。しかしオークランドに見せれるような状態だったんだろうか。ランジートシン死後パンジャブ併合までの間の混乱の時期に略奪されたのが案外多いんだろうか。

 オーストリア外交の鬼門、それは米国
 しかしこの人がコツコツまとめていたオーストリア史こぼればなしおもしろい。今は投資日記だけコツコツ更新しているのもまた。
 史上最悪だった19世紀・ウィーンの病院
 19世紀のウィーンには「自然治癒力」というどっかで聞いたような用語が横行していたらしい。そういうやシュタイナー教育のシュタイナーもオーストリア人だな。

そして、「トホホあるところにオーストリアの影あり」は中欧史の鉄則のようなもの。
スイスの中にドイツ領がある謎
 そうかー。トホホな国なのか...

 hostelworldでダラムサラの宿検索してみたら、目の前にあるバックパッカーインというとこが一泊175Rs。ぐぬぬ。

 ひたすら Gazetteer をダウンロードして読んでたらもっと速く済んでた気がしないでもない。


2016/02/26 金 ダラムサラ

 とりあえず3/1にここを出ることにして、それまでの分清算しといた。200Rsx20日の4000Rs。ついでに vodafone がそろそろ切れるので 655Rs いれてきた。3GBプラン。28日縛りはキツい。3GB以上は64kbpsで通信できるという無制限プランなのだがどれだけ使ったかしか表示されず、残っていた分がどうなったのかわからない。普通に1GB255Rsで我慢しとけばよかったかも。

 外人が安くで長い目に滞在しやすいところという基準で考えると、やはりものすごくベタだがヨガの町リシケシという手もあるな。とおもって accuwether で長期予報をみてみると、どうも暑いらしい。うーむ。
 安くいれるところがあればデリーでいいんだけどな。まぁ空気が汚ないせいで毎日鼻の奥から黄色いものが出てくるようになるけど。


2016/02/25 木 ダラムサラ


 Naturo というのがありたったの5Rsなのだがこれがなかなかうまい。くだもののジュースに砂糖をたっぷりいれてペクチンで固めたもので、ゼリーよりも固いシート状のものになっている。いわばフルーツ羊羹か。マクロードガンジの雑貨屋もたくさんあるが、ある一軒でしか扱っていない。もっとでかいのを売っているところはあるがこんな濃厚なものをたらふく食いたくない。旅先で食うのに羊羹一本まるごと買うかという話だ。この5Rsのは小さくてよい。ジュースを固めたものと簡単に言うが、たとえばグアバだとグアバのザラザラまで残っているので本当に使っているんだとおもう。

 写真はもう SH-08E を使うことにした。やはりときどき色を強調しすぎるきらいがあるが、まぁ見た感じに近い写真になるし細部もそれなりだしいい。N-08D は画面が全体に黄色くなってきたのがちょっと嫌だった。言わば尿画質か。まぁおそらくセンサー受光部のプラスチックが黄ばんでいるのがそのままモロにでてるんだとはおもう。アプリの距離計測とかで使いまくってプラスチックが劣化して黄色くなったとかならちょっとシャレにならんが。
 ただし SH-08E は近くの写真をとると歪んで見える。まぁしかたないということで様子見るか。たぶん帰ったら XperiaZ1f の中古でも買うのでまたカメラ役が交代するかもしれん。わからん。

 旅行前に京都で比較写真とったあたりで勝負はついてたんだけどな。N-08D の実績があったので荷物が増えるにもかかわらずついつい持ってきてしまった。

 全然目処がついていないが3月になったら転地する。天気が崩れるのにいてもしかたない。ただ安くで滞在できるところはなかなかないよな。ネットは3Gの方が実のところ速いからいい。下界におりてインドのサンダルでも買ってカンフーシューズにしか見えない靴を捨てるというのも手だ。未だに中国語で挨拶されたりするのはこの靴が原因だとおもう。

 今日は Lady Sale の邦題をつけるならアフガン虜囚記とでもいえるのを読んでみたらあんまり読みやすいのでずーっと読んでしまった。J.D.Cunninngham の英語は非常に読みにくかった。しかも、文章がくどいだけならまだしも、そのことを知っていないとわからないような遠回しな表現が多すぎる。たしかにシク関係では一番まとまっているものではあるが、いきなりこれから読まなくてよかった。時代のせいか自分の無能のせいかとおもったけどアフガン・北西インド関係の同時代の文章でこんなに読みにくいものは他にない。まぁおかげで他のが読みやすくなったからいいか。


2016/02/24 水 ダラムサラ

 長期天気予報をみていると、ダラムサラのあたりは3月から天気が崩れるらしい。まぁ2月は長期天気予報よりも一定して暑くなっているのであんまり信用できないが、毎日雨だといても楽しくないのは確かだ。

 ドゥランドラインのドゥランドの父親がアフガン戦争に両方従軍していて、第一次アフガン戦争については本も出していて前の方をある程度読んでみたがこれがかなりよくまとまっていた。これも最初のころに読んでれば。しかし親子両方とも H.M.Durand でまぎらわしい。


 今日はなぜかチベット料理屋がのきなみ休みだったので、下の図書館まで行くのもやめ、200段の階段の上で飯をくってみた。そしたらノンベジのテントゥクしかないということでそれでも食ってみたらこれはうまかった。70Rs。前食ったトゥクパは何だったんだろう。ここはインド料理が高いがそういうベーシックなのが意外とやすい。何なんだろう。景色はすこぶるよい。お茶だけ飲んで帰るのを数回くりかえしたら、ものすごくぬるい茶を出してきたのでそれから行ってなかった。

 毎日同じところをブラブラ歩いているせいであやしまれたのか、今日は尾行が宿までついてきた。宿に入るとはおもってなかったのか、屋上に机を出してPDFでも読んでみると尾行もどうしていいかわからず宿を望む向い側で右往左往してやがんの。お試しの尾行かよ。まぁもしくはわざと露骨に尾行してたのかもしれない。インドもやっぱり面倒くさい国だ。長くいるべきではない。グルグルあくせく動き回るようないつも通りの旅行をしてたらよかった。
Manali February Weather 2016 - AccuWeather
 マナリの天気予報をときどきみてるとやたら寒いのだが、実績をみるとなんとダラムサラよりも暖かいようにみえる。なんだ。もっと早く気付いてたらよかった。マナリまで行って温泉三昧しようかな。
 とおもった気温はともかくやはり三月に入ってから天気が崩れるようにみえるので今から行ってもろくなことはないだろう。

 まぁ部屋でじっとしてたらいいんだろうけど、最初に書いたとおりこの部屋は寒いしじっとしてると眠たくなってくる。

 なんか腹が減ったので晩飯を食ってきた。TibetanCafe の向いにあるのがレストランであることに気付き、表の看板に sozimen とあったのでまた臊子麺食えるかと期待してしまったが、全然違った。

 似て非なるもので、まず麺が中途半端、具が辛い。素の麺(おそらくチョーメン用)をほぐしたものの上に肉野菜炒めをのせたものだった。そしてこれはよいのかわるいのか思っていたよりも量が多かった。昼にこれがでてたら晩飯食いたくなかったとおもうとなんか悔しい。ここはおそらくネパール人の店だな、と聞かずに推量する。チベット料理屋の sozimen とやらをこんなもんだろとマネしたらこうなったんだろう。辛いの以外はよい。そういうと肉は羊じゃないのをつかってるようにおもう。最近チベット飯屋で羊ばっかり食ってるのでちょっと意表をつかれた。


2016/02/23 火 ダラムサラ

 もう2月も23日か...

 英国のEU離脱は大事件ではない 英国はとっくの昔に国際社会での影響力を失っている - Market Hack
 ちょっと話が盛ってあるけどおもしろい。

 座ってると気が散るようになってきたので今日もひたすら歩いてPDFを読んできた。

 マクロードガンジからほぼ水平に走っている道があったのでそこをたどってフォーサイスガンジの上の軍事地域のところまで歩いた。そこからさらに歩けばダル湖というのに行くのだがそれに気付かず帰ってきた。


 昼飯はジョギワラ通りの並びの一番下の方にある RewaCafe に行った。ロサル直前に入ってタントゥク食ったところで、ロサルに突入してから開いてなくて入ってなかった。昼はモモ80Rs。夜もなんか腹減ったので行ってトゥクパ食ってきた。70Rs。家庭の味という感じ。シンプルだが安いからいい。分量はマクロードガンジでは平均的。つまりちょっとものたりないのだが最近歩きすぎているので運動過多かもしれない。


2016/02/22 月 ダラムサラ


 今日はPDFを読みながらダラムコットよりさらに上にある祠に行ってきた。グルデビとかいう名前がついてるらしいがまぁ神社だな。単に歩きながら読みたかっただけなのでそこまで行って帰ってきた。ここからさらに上にいくとトリウンドに行く。ダラムサラでは有名なハイキングスポットだがそこまでPDF読みながら行けるともおもえない。この祠のすこし上にも滝があるようで、参拝客が結構いた。この祠までタクシーで来て、あとは歩いていくという感じのようだ。

 下山したあと TibetanCafe に行ってトゥクパくってみたら上にのってる肉がモツばかりになってた。麺ばっかり食ってもしかたないし胃が拡張するだけなのでもう行かないようにする。

 いわゆる200段の階段の真ん中あたりに雑貨屋があり、そこで毎日チョコレートかけフレークバー (Munch)とかバナナ買ってるのだが、昨日ヨーグルト買ってきてるのをみて、うちにもあるとか言ってたので今日買おうとしたら昨夜は450gのやつが一つしかなかったのが今日は大量に仕入れてやがった。ぐぬぬ。

 歯が痛いのは抗生物質の投与でなんとかなったっぽい。まぁ神経が死んだからもう痛くないという可能性もある。膿が溜っているとおもわれるところは残っていて腫れてる。
 うちの母親も30代で入れ歯になったらしいし、肉体的には母方の血が濃く反映しているようなので、もう入れ歯になってもおかしくないんだろう。


2016/02/21 日 ダラムサラ

 昨日の夜あんまり歯が痛かったので、子供だましで例の幻覚をみる抗生物質をちょっと齧って歯のそばにとどめておいて寝たらちょっとマシになって寝れた。
 朝方目が覚めたとき、せっかくなので歯の内側にも抗生物質置いてみようともうすこし齧ってクスリを歯の内側にとめておこうとしたが、よだれがものすごいいきおいで出てくるのでなかなか難しかった。
 幻覚だが、一錠が500mgでデリーでの体験からすると一日二回飲んで二日目で夢で幻覚がでてきて寝づらくなるが一日一回にするとでなくなるので一日半分なら問題ないだろう。

 そういうことを書いておいて何だが、朝方夢をみた。
 どっかにこもっていたがボロい家に宿替えすると、その家の前の形だけのこっている家が果物屋の実家のようで、果物が山積みにしてあり一部ダメになりかけていたようだが熟してうまそう。古くなった果物を軽トラに載せて大量に持ってくるようで、ほしかったらどうぞと、まだ食べれるミカンを注ぎ込まれるように渡された。パイナップルの芯なんかも大量にあった。例によってその前にもなんかあったはずだが果物の印象が強すぎておぼえていない。

 結局抗生物質の効果はあんまりないようで飯を食うと歯が痛くなった。飯食いすぎの気はあったので今日から食事の構成を変えて減らす。朝はヨーグルトとバナナ。昼はチベット飯。夜はピーナツ。だいたい高いんよな。


 バグスへ行く通りの家の並びの終わりのあたりにあるチベット飯屋に行ってみた。モモが売りらしく製法が壁に貼ってあって強気の110Rs。うーむ。とりあえずためしに食ってみた。なんか春雨がすこし入ってて凝ってる感じはある。以上。
 ここのモモの形が TibetanCafe で出てきて冷凍食品かとおもったものに似ているのだが、こういう形の方がモモらしいんだろうか。わからん。

 メモとらずにとりあえずPDFを斜め読みするだけなら適当に山道あるきながらでもできることがわかった。


2016/02/20 土 ダラムサラ

 昨日からひきつづき雨。ドボドボの雨になっている。今日は部屋から出ない日になりそう。
 午前中に晴れて、あとは夕方降っただけだった。

 昼 DhasangCafe の水餃子を食べにいった。昨日相席だったおばはんが食ってたのはやはり二人分くらいだったようで、ちょっと少ないくらいのものがでてきた。うーむ。夜は TibetanCafe に行ってトゥクパをたのんでみたが、麺は乾麺かとおもわせるような形状をしていた。そういうわけで最初の観察はまちがっておらず、ポタメンはポタメンの、トゥクパはトゥクパで麺をつくりわけているんだろう。ちなみに、マクロードガンジのはずれの方で今まで開いてなかった店があったので夜はまずそこに行ってみたらやはりちょっと高かったし人がいっぱいだったのでやめて TibetanCafe にしたのだった。

 パキスタンのアッタバード湖って2015年の9月に迂回トンネル開通してたのか。検索したらMUFGの海外レポートに西遊旅行の人が詳しく書いててそれはそれでおどろいた。

 虫歯菌に抗生物質効くのか調べたら、虫歯菌はグラム陽性らしい。デリーで余った薬のうち例の幻覚をひきおこすやつが効くな... つかうのはやめとこう。
 中国で買ったことのあるアジスロマイシンは何にでも効くという位置付けらしい。


2016/02/19 金 ダラムサラ

 今日は天気が悪く、午前は曇りで夕方から雨。

 
 ドライトゥクパ。100Rs。
【ダラムサラ】ここでしか食べられない?ドライトゥクパが絶品なDhasang restaurant
 まぁつまりこれを見て行った。この店もなかなか開かなかったが今日ようやく戸が全開になっていた。たしかに細い麺にコシがある。うーむ。中国から輸入してる麺なんだろうか。そして昼に行ったのだがチベット人がどんどん入ってきていた。ただしこの記事では担々麺みたいな味があると書いてあるが、そこまでの味付けはなく、下に落ちてる濃いつゆで味がつけてあった。この記事はTibetanCafeの料理と混同してるんじゃないかとおもわないでもないが、一年もたつと違うのかもしれない。ルンタとかいう日本料理屋といわれているところは未だに人影もないし。
 ただしこの店、メニューをよくみると、チャオズ、つまり餃子がある。カンチャオツみたいに書いてあった。むかいに座ったおばはんがそれを食っていたが、水餃子。丼いっぱいに入っていてうまそうだった。あれで一人前ならあれの方がいい。ということで夜に行ったらしまっていた。
 このブログで言うところの朝飯メニューの「お粥とモモ(モモと言うよりは肉まんに近い)」だが、メニューをみるとパオツみたいに書いてある。粥と包子ということでおそらく中国の朝飯だろう。

 晩飯、DhasangCafe が閉まってたので TibetanCafe に行ってみるとトゥクパ終了。しょうがないのでこないだドライトゥクパという名前の干拌麺を食ったカイラスホテルのレストランで普通にトゥクパ110Rsを食ってみたらドライトゥクパの汁を捨てないのがでてきた。まぁうまかったが、TibetanCafe と DhasangCafe の麺のコシを味わうとあっちの方がいいな。

 昼飯食ったあとなんか物たりない感がしてバナナとヨーグルト食って部屋に帰ったらなぜか目が痛くなって15時すぎまで寝ていた。わからん。

 こういうおやつも買ってしまったせいだろうか。横に10と書いてあるので10Rsかとおもったら6Rsだった。本格的に子供のおかしだ。前から気になっていたので買ってみたら中はただのハッカ味の白い棒状のアメの片方の端に赤く色をつけてあるのが入っていた。まぁ思っていたほど体に悪そうなものではなかった。
 もっとも甘いものを毎日毎日食ってたせいか、歯が痛くなってきた。そのせいで目が痛くなったりしたのかもしれん。ハッカアメを口にいれながら書くことではないな。


2016/02/18 木 ダラムサラ

 世界最古の茶葉発掘、人類はいつからお茶を飲んでいたのか? - GIGAZINE
 最初にそれまでの最古の茶葉は宋代と書いておきながら最後に西チベットで発見された紀元2-3世紀の茶葉を出してくるのはどういうことかね。「はるか以前にまで更新」されてないだろ。
 それはともかく当時の茶がバター茶だというのはおもしろい。当時は何とよばれていたのか、どれくらい普及していたのか、中国本土でのバター茶の時代はいつまでつづいたのか。
 中研院の漢籍電子文献資料庫で検索すると「茶」で魏晋ころの例がある。ふーむ。円仁の入唐求法巡礼行記もはいってるがこのころだと喫茶で普通にでてくる。
 中国茶筆記 陸羽以前の茶
 既に茶経にでてるのか。ここで三国志の例をひいて、酒と茶が似ているということでいろいろ書いているが、どぶろくとバター茶ならたしかに見た目は似ている。


 さて引き続いてまた Tibetan Cafe に行って今日はポタメン食ってみた。90Rs。たしかに焼きうどんだ。しかし麺にコシがあってうまい。そして花椒のかおり。中国人じゃねーのとおもわないでもない。金を払うときに厨房のぞいたら、手で回す製麺機で麺をつくっていた。ということはこないだの麺も乾麺ではなくて、この製麺機でつくっていたんだろう。日本でも家庭用製麺機として普及していたことがあるスタイルのものだ。

 そして調子に乗って夜も行って今度はモモをたのんだら、こんなのがでてきた。しかも100Rs。まぁ具は肉肉しているがそれでも高い。しかもこれ手作りなんだろうか。冷凍食品にもみえる。うーむ。
 帰りに何が作れるのか聞いてみたら、トゥクパ、テントゥク、モモ、ポタメン、そしてチャオズときたもんだ。餃子か。中国人にしかみえなくなってきた。まぁコシのある麺が食いたくなったら来ることにしよう。トゥクパはどうせそれくらいの値段だ。

 今日は暖かかった。日が照ってきて外に出た時点で上着がいらなかった。そしてマクロードガンジのあちこちが臭かった。くさい雑巾のにおい。寒いときは問題なかったが暖かくなって汚い布が発酵してきたんだろう。うーむ。明日は雨らしい。気候の変わり目ならまた寒くなるのでよいのだが雨が通るだけならよけいくさくなる。

 バレイリーのサイイドアハマドをシャヒードとしてる本がDLIにあって落とそうとおもったらなぜかやたらでかくて全然落ちてこなかったのだが、タイトルと作者で検索したらPDFが置いてあった。どうも1950年代に書かれたもので、置いてあった本は2008年発行のもの。パキスタン建国後のナショナリズムの産物か。しかし最近になってまた出てるのがまた。ちなみにウルドゥーなので読めない。


2016/02/17 水 ダラムサラ

 早朝DLIからダウンロードしてたらまたインターネットにつながらなくなった。あとすこしだったのでvodafoneの方に切りかえたらvodafoneのネットワークの方もおかしい。よくわからん。9時ちかくになったら復活した。

 今日の昼は昨日の飯屋でポタメンを食うつもりだったが閉まっていた。そんで他のところで行ったことないところに行ってみたら、ベジしかないという。ドライトゥクパというのがあったので頼んでみたらうまかったがこれはあれだ。中国の西北料理の干拌麺だ。

 まぁうまかったからいい。あとから来た人が花卷(ホアチュアン)と春雨スープをたのんでいた。メンツィカンの食堂で食ったのと同じなので定番の料理っぽい。名前を聞いたらそれぞれチュモ、アルピといっていた。モか。チベット餃子がモモで、チベット包子がチュモか。まぁ包子をなんとかモという地方が中国でもあるのでそれが入ったんだろうか。

 晩飯はいわゆる200段の階段の上のレストランに入ってみたらインド料理屋が中華とかチベット料理とかやってるところだった。トゥクパがそんなに高くなかったので頼んでみたがここもベジしかないという。なんか今日はそういう日なのか。そしてトゥクパはやっぱりインド人がトゥクパってこんなもんだろという感じで野菜を選んでる感じのものだった。まぁいい。ちなみにこのレストラン誰もいなかったのでチャイをたのんで日が沈むまでいてそれから飯を頼んだ。インド料理はダルマカーニーが100Rs越えるようなとこだった。シャーヒパニールは150Rsだったかな。うーむ。

 そういうとうちの田舎の山奥から京都市内まで往復70kmとして、燃費が20km/Lとすると3.5Lだからガソリン代が150円だとしても525円、今は100円前後らしいから350円程度になる。まぁ大雑把に500円として、今回インドに行った飛行機代57000円程度は114往復分になる。うーむ。ただ単に机に向かうだけなら府立資料館を往復してる方が安いのかもしれない。しかしガソリン代がこんなに安くなってるとは....


2016/02/16 火 ダラムサラ

 今日は昼飯を食いに亡命政府政庁の一角にある図書館の食堂に行ってきた。60Rs。セルフでバイキング方式。

 メンツィカンの食堂よりも上品だし汁がただのダルなのだがうまい。もっとも全体に上品だしダル・サブジー・チャーワルでインド的なので中国的なのがよければメンツィカンかもしれない。しかし花卷はいつからチベットで食うようになったのか。もっともチベットの飯は基本的にツァンパとバター茶のはずだからこういうのは坊主や王侯貴族だけが食う特別な料理でつまりチベットの中華料理なのかもしれない。

【ダラムサラ】絶品ポタメン(Photumen)が食べられるTibetan Cafe
 さて上記ブログで紹介されていたとこがようやく開いていたので夜に行ってとりあえずトゥクパをたのんでみた。

 90Rsときいてちょっと高いなとおもったが量が多かった。ダラムサラのチベット料理屋ででてくる器は上品なちいさい丼だが、これは大きい丼。そして中国料理系の味で花椒が効いていて四川風だった。麺が日本の乾麺のうどんのようだったが、まぁ中国にも同様の乾麺はあるので中国の乾麺をつかってるのかもしれない。上記ブログだとこのへんでよくみる細い麺なので別物なのだろう。というかこのブログを今みて次はポタメンを食わねばとおもった。

 最近生活が固定していて、昼の間は本を読み合間に散歩し、夜になったらパソコンいじって日記とか書く感じだが、21時くらいに書きあげると日本では日付が変わってしまっている。まぁ最近は飯のことと自分の人生の後悔くらいしか書いてないのでどうでもいいか。

 そういうとガッカルの眉唾の先祖の事が書いてあったのは Panjab Chiefs だった。初版ではRaja Karm dad khan ghakkarの項、改版ではRaja Karamdad Khan, gakharの項。Gazetteer に書いてあったとか言ったがあれはまちがいだった。


2016/02/15 月 ダラムサラ ←→ カングラ

 マクロードガンジ → ダラムサラ ジープ 15Rs
 ダラムサラ → カングラ バス 25Rs
 今日はカングラフォートを見に行った。難攻不落で有名な城であるが政治的に数回落とされている。まずはその威容をば。

 カングラ城は二つの川の合流地点にある山にあるのだが、難攻不落な所以はその地形にあって、城壁とかはそれほど意味のあるものでもない。この写真はその城につながっている山から撮っているのですごさがわからない。対岸にちょうどいい寺院があるのでそこから撮るのが一番いいのだがそこまで行かなかった。ということでパノラマ合成写真をつくってみた。


 上下とも180度を合成している。上は対岸をちゃんと撮ってなかったのでうまく合成できなかった。対岸が案外近い。そういうわけでイギリスが作った地誌なんかでは近代の大砲なら届いてしまうので難攻不落でもないと書いている。

 カングラフォートに行くためにまずカングラのバススタンドへ行きそこからオールドカングラまで行かないといけないのだが、そんなに遠くないので歩いていった。この山の中にオールドカングラがある。つまり旧市街ということだが、道路の案内にそって歩くとこの旧市街を通らず高いところを水平に通る道でバイパスする。そして最初の写真のようなものが見えてくる。外人料金100Rsだが、普段からネパール人にまちがえられるような人なら何も言わず5Rsだせばそのまま入れるとおもう。

 城に登っていくと最初にあるのがシク時代につくられたランジートシン門。そこから斜めに登っていくのだが案外単純な道で一度折り返して山をまわり城へ入ることになっている。途中の門にジャハーンギール門というのがある。ムガル朝のジャハーンギールのときこの城を包囲すること14ヶ月で降伏させたのだが、そのときに作られたものらしい。地誌の方ではアクバルが降伏させたことになっている。そしてジャハーンギールはカングラを気にいって避暑地にしようとしたがその後カシミールに行ってカシミールが避暑地になったとか書いてあるが眉唾だな。

 この最初のがジャハーンギール門だが1905年の地震で壊れて1907年に修復したと書いてあった。地震の痕跡は随所にみえる。

 城内は地震で壊されたのでどうしようもない。ムガル朝期にモスクとかつくられてるはずだがサンサールチャンドの短かい支配期にヒンドゥー寺院とかに置きかえられてるとおもうのだが何分地震で壊れてるのでよくわからない。
 その後一番高いところまで行き、パノラマ写真のもとをとって降り、巨大な貯水池なんかをみつけたりしたのはいいのだが、この城の南側の堅固な絶壁を撮ろうとして南側の林の中をうろちょろしたが低い木がいい感じに邪魔して撮れない。そのうち変なトゲのある植物に左手の人差し指が当たり、痛い上にやたら痺れるので撤退。今も痺れているが見た目は大丈夫なので放置している。

 その後、カングラの山の中にある旧市街を歩いて帰ったが、なかなか風情のあるところだった。英領になってまもなくこの地方の中心がダラムサラに移されたので、ここは昔の規模がそのまま残されている。

 三枚目なんか暗くてよくわからないが雑貨屋みたいなところが郵便局になっている。まぁ昔のままなんだろう。
 オールドカングラから降りていく道も旧道らしきところを通っていったら昔からあるような賑やかな商店街に出てこっちもおもしろかった。昼飯をその辺で食べたがダルチャーワルというとちゃんとしたターリーがでてきた。50Rs。うまい。この旧市街っぽいところで宿さがせばそれなりに楽しくくらせるのでは、とおもわなくもなかった。帰りは同じ道をそのまま帰った。


2016/02/14 日 ダラムサラ

 夢。
 大学かなにかに入ったが、紙をもらってよくみると70万台の金が必要のよう。入学金か。その分は計算にいれてなかったらしく金の工面しないといけないと焦ったところで目がさめた。たぶん金額の微妙なリアルさに我にかえったんだろう。
 2時台ごろこれをみて、6時すぎには珍しくスケベ系の夢をみた。夢の中でも女性の前では蛇に睨まれた蛙のごとく動けなくなり、まわりがいきなりやりはじめたのでなんとかやりだそうとしたところで目がさめるという情けない夢だった。しかしこの、女性を目の前にするとガチガチになって動けなくなるのはいつごろそうなったのかよくわからぬ。随分マシになったがおっさんになってもまだその呪縛が解けないようでどうも自由に動けない。下らぬ女性問題をおこさないからいいがもうハゲてるおっさんなんだからいいかげんこの呪縛も解けてほしい。
 まぁたぶん女性の前で緊張する系の人たちも嫁いじりの過程をへて女性に心底慣れて普通のエロオヤジになっていくんだろうけどな。


 今日は昼に足をのばしてフォーサイスガンジまで行ってみた。バスで登ってくるとき途中通るところだ。マクロードガンジとの間に教会があり1905年の地震を耐えた数すくない建物らしい。
 縦向きのはインド総督ジェームスブルースの墓。第二代と書いてあるがそれはセポイの乱のあとイギリス本国が直接インド経営にのりだして総督を派遣してからの二代目。
ジェイムズ・ブルース (第8代エルギン伯爵) - Wikipedia
 なかなか赫々たる経歴でアロー戦争の最中に日本に来て日英修好条約を結んだらしい。しかしエルギン伯爵の本名がこんな地味だとは知らんかった。エルギンが名前の一部だとおもってた。爵位は地名で薩摩守みたいなもんか。

 近くに墓がある。これは1905年の地震で死んだ人の墓。まぁ壊されてるのが多い。しかしそんな風に壊されるのに最近になってこの墓地内に墓を作ってる人もいるので不思議だ。


 フォーサイスガンジの道沿いのところはこんな感じ。小さい。ここでモモ食ってみたらちょっと安かった。そらそうだわな。マクロードガンジはインド離れした凝ったもん食えるけど高いわ。


2016/02/13 土 ダラムサラ

 accuweatherのダラムサラの天気をみると実績が2月にはいってから20度を越えている。うーむ。おかしい。マクロードガンジは高い所にある狭い場所だからここだけピンポイントで測ってくれたりはしないんだろうな。


 開いている飯屋を探してメインの通りからはずれた道を入っていったらこんなのみつけた。マナリのあたりでみた山岳民の家に近い。そういえばあのあたりとおなじような民族衣装みたいなのをつけてる人達をみかけるとおもっていたが、そもそもこのあたりにもともとそういう人達が住んでいたとおもう方が妥当か。

 こないだ臊子麺食ってみてうまかった中国料理屋にまた行ってみてメニューを開いてどれ食うか悩んでいると、トゥクパがあるとかいって普通の麺を指すのでそんなら食ってみるかとおもってそれをたのんでみたら、普通の中国内陸の麺だった。中国内陸の普通の麺はダシという概念がなく、醤油と油で味がつけてあり、さらに別に作った具がのせてあるというもので、正直うまくない。まぁ醤油と油の混合調味料を凝っているとか味の素をいれるとかすればマシな味になるのだがここはそこがいまいちだった。素直に臊子麺食ってればよかった。
 とおもっていたが、夜になって KalSang の近くにあったチベット飯屋が開いていたので行ってトゥクパをくってみたらなんか味が薄く、昼の中国料理屋の中国麺をおもいだしてしまった。しかしこっちは野菜がいろいろのっているのでそれなりにうまい。帰りながらおもいだしてしまったのが、ここに前来たときも味薄かったので塩を自分で塩梅したら非常にうまかったということだ。チベット飯屋は机の上に唐辛子をすった赤い調味料や塩などが置いてあることがおおいのでそれで自分で味を調整する。塩入れて自分好みの味にしておけばよかったか。

 まぁしかしこれみると塩入れたらそれなりになったような気がしないでもない。

 ネットが回復したのでさっそくDLIでウムダットウッタワーリーフを落としてみたらやっぱりそれだった。書誌が全然違ってる。しかし読めない... まぁペルシア語なんだから今英語の本を読んでるしつこさで数年がんばればそれなりに読めるようになるんだろうけど。英訳がPDFで落ちてたらなぁ。PDLで公開されてるけど。→ Panjab Digital Library - Digitization of Umdat-ut-Tawarikh


2016/02/12 金 ダラムサラ

 うーむ。今朝からwifiのネットがつながらない。なんか宿替えする度にネットが切れるんだが。
 とはいっても vodafone の3G回線があるので連絡程度は問題ないがちょっとネットを見たりするのがしづらい。節約のため画像表示を切るのでSNSとか見れたものではない。あとDLIとかNDLからダウンロードしたくてもできたい。まぁ無駄にネットしないのでいいということにしよう。

 チベット飯屋が数軒開いたので入ってるが、トゥクパとかの麺類ばっかり食ってるしおやつにチョコレートをたらふく食ってるので炭水化物の取りすぎで太りそう。そういう観点からいえばインド飯で下痢気味にしている方がよかったのかもしれない。うーむ。中国旅行で麺ばっかりくってたら腹まわりが太ったしな。

 そういうとこの宿のオーナーというのがいて "Tokyo House" とかいうのも他に持っているらしい。そして日本人の女性との間に子供まで作っているのだが日本に帰って連絡がないので日本語に訳して手紙を書いてほしいとのことだった。なるほど。ダラムサラの宿を検索したらTokyo Houseについて、日本人女性が経営していたが、今は運営者が変わって掃除が行き届いていないとかいう情報がでてくる。この人のことかな。
 → ホテルトウキョウの経営者の日本人女性のブログ発見。名前ちがうから別人だな。オーナーとか言ってるけどたぶん一度ひっかけた女性に連絡とろうとしてるだけだな。

 シンド方面も複雑だな。

 いわゆる「つなぐカフェ下の200段の階段」だが運動にちょうどいい。
 ところでこの階段だが、その下から水平に走っている道をずっとたどっていくとジョギワラ通りに繋がり、同時に斜面がそのあたりでおわって山の尾根になり、その先はしばらく崖沿いに道がある。この水平の道のある斜面だが、この写真のような場所がある。

 宅地造成して建物が建たず最近になって作られている感じだが、いつごろのものだろうか。石積とかあるし家一軒一軒のスペースを取ってあるので英領時代に冬の首都をダラムサラに置く計画があったころのものだとおもうんだが、鉄柵が新しいので案外新しいのかもしれない。新しいといってもチベット亡命政府ができたころに整備したのか。その頃のインドにこんなに丁寧な仕事ができるのか。わからん。見覚えがあるのですくなくとも20年前には既にこんな感じだった。200段の階段というのも、この宅地造成の計画の一部で、隙間なくギチギチに建物をたてているから元の宅地造成の計画がよく見えなくなっているんだろう。


2016/02/11 木 ダラムサラ

覚醒剤が怖いのは「使ったが最後脳が破壊されるから」ではない! - Togetterまとめ
 そうかーやる気がでるのかー

 財布の都合しか考えてなかったとはいえ円が強くなり出した瞬間にこれから先帰国まで使えるくらいの分をカードで出したので、FXで稼くセンスがまったくないことがわかる。むしろマイナス金利でこれから円が弱くなるんじゃないか程度におもっていた。

 今日が三が日でようやく明日からチベット飯屋が開く。今日は昼はインド飯くって晩は中華料理食ってきた。中国料理は四川料理だったのでカムの人間が来てやってるのか。なぜか西北料理の臊子麺があって120Rsしたが大皿だったので満足した。他の料理もあれくらいでかい皿なら食いに行ってもいいかも。
 しかしマクロードガンジは中国語で話しかけてくるやつが多い。なまじ中国語話せるだけあってうっかり中国語で話したら面倒くさいことになりそうなのでひたすら話せないふりをしているが、それでも応答が口を半開きにして「アァ?」みたいになってしまう。ここは中国料理屋だけあってこれはなにかとカマトトぶって聞いてみたらバリバリの中国語で説明してきやがる。しかしsozimianの読みかたがわかるあたりバレバレではある。

 10Rsで売ってるチョコレートがけウエハースといえばネスレの munch だが、それの模倣品っぽいのが DailyMilk で有名なキャドブリから peak として出ていたので両方買って食べくらべてみた。見た目は peak の方が長いが、味はやはり munch に軍配があがる。このチョコレートがけウエハースはウエハースの表面にチョコレートを薄く塗るものだが、チョコレートを周りに塗ることによってウエハースが湿気にくくなっている。ということでウエハースのサクサク感を際だたせるような香ばしいウエハースにした方がよい。キャドブリはウエハースもいまいちでチョコレートもケチってちょっとロウソクに近いのを使ってる。よろしくない。

 この宿のネット回線早朝だと1Mbpsでる。ケーブルテレビ引いてるのでそのおまけでついてるんだろう。最下層に住んでるわけだが、その上の層からテレビがつくことが今日わかった。なるほど200Rsでは上にいかせてくれないわけだ。ところで携帯用のケーブルを充電用に差しっぱなしにしてるのだが、これがどうもwifiの電波の中継アンテナのようになっているようで、近づけると電波状況がよい。最初は最下層で電波が遮蔽されて弱いとおもっていたが、これで問題ない。
 まぁしかしこの宿、地形的にダラムサラの本来の本尊であるところの山の頂がよく見え、隣になにか建てられることもないので、実はかなりいい宿なのではないかという気がしてきた。そのかわり目の前の小さい谷のゴミ川からくさいにおいがただよってくる。夏の最下層はつらいとおもう。まぁケチらずに300Rsなり400Rsなり払って上の方に住めばよいだけのことだが...


2016/02/10 水 ダラムサラ

 この部屋寒いんじゃないかとおもっていたが毛布がよいもので全然寒くなかった。長期滞在決定。
 昨日の換算レートが1.74なので200Rsは348円で、30日で10440円なのか。50Rs100円くらいの大雑把な計算していたので気付かなかった。

 どこも開いてないのでついにインド飯を食いにいった。高いダルマカーニー食ったらさすが高いだけあってそれなりにうまかった。やっぱり安い飯屋ばかりで飯くってるとスパイスが過剰とか不潔とかそういう当然のことでケチをつけてしまう。といっても高い飯屋が常にうまいとはかぎらず。


 さて宿はこんな感じで木があってよく見えないが上から二層までが道路の上で三層目から下は斜面に沿っている。一番下はなにかの宗教施設らしい。その一つ上の層の右側、つまり地面に接しているところが200Rsの部屋である。目の前によくわからない谷があり、ときどき臭い匂いがする。まぁ雨の季節とか湿気で悲惨なことになりそうだが今は冬なので問題ない。景色もこういう場所にしては地形的に北側が開けていて、部屋から雪山が望めるので存外よい。
 今日はトイレの電気のスイッチとかいろいろ聞いたが、それよりもよいのは机をもらったことだ。上から三層目に降りる階段の下に汚ない机があったのでもらってよいか聞いたところ他の部屋の机をくれた。この机が軽くて外でも中でもすぐ持っていけるので非常に都合がよい。ということで今日は非常に捗った。

 ネット早いとか書いたけどDLIが全然落ちてこないから早くないか。同じインドなのに。
 ところで Ghulam Qadir の本がDLIにあったので KalSang にいたときに後先考えず落としたらウルドゥ語で書いてあった。あと、なぜかシャーシュジャーの自伝がurduとして置いてあったので落としてみたがペルシア語のようにみえる。みえるだけで全然読めない。ナスタリーク。ぐぬぬ。


2016/02/09 火 ダラムサラ

 うーむ。円が強くなりつつある。昨日金出したころって昨日の変動で一番レートの悪いころじゃないか?ぐぬぬ。まぁ計算はもっと雑にやるだろうけど。しかし強くなるならもっと小分けにして引き出したらよかったか。15000Rsだと余る可能性もある。

 DCMXのサイトに利用詳細来た。SBIの側のATM利用料取られてない。換算レート1.74で15000Rsが26100円。VISAUSAでレートを確認するとまさしくそのレートなのでどのカードでもいっしょだろう。ということで海外キャッシングはこれからドコモで作らされたDCMXカードだな。これなら少額でも躊躇せず出せる。

 チベット正月のロサルということで朝歩いてみたら着飾ったチベット人がうろちょろしている。これはダライラマ寺に参賀する人達にちがいない。ということで荷物を置いてダライラマ寺に行ってみた。

 朝のうちはそれほど人もいなかったが二階の方で音楽がはじまるころから人が増えだした。本堂の大仏の前に椅子があって袈裟だけ置いてあったがおそらく本来はダライラマが臨御するところなんらかの事情で出れないのだろう。音楽の人たちが一階に降りてきたが、読経がおわるたびにパウーとオーボエのようなものを吹いている。あと雅楽の舞踊みたいなのもあった。王の格としてそういうのがついているのか、仏教の方の遺制でそういうのがついているのかわからん。舞踊のあるころには見物の参拝客に紙コップがくばられバター茶とレーズンなどをまぜて炊いた甘いごはんがふるまわれた。バター茶飲んでみたらうまかったので二杯もらった。日本人にはあれがまずいらしくてチベット贔屓でも遠慮するらしいが理解できん。

 で、昨日みつけたところに引越。GURU KIRPA ASHRAM ROHIT HOUSEとかいうとこ。みてわかるようにインド系。毎朝瞑想やってるらしい。あてがわれた部屋は斜面にたっている建物の地面に食いこんでいる部分の隅の北側ということで一番寒い。実際寒い。キッチンというのは流しだけなので火力を用意できない身分としては無駄。バスルームについてるトイレは洋式だが電気がつかない。まぁ南側にほぼ同じ大きさの建物が建っているので日当たりは気にするほどでもないがやはりすこし寒い。夏ならよさそう。うーむ。まぁしかしwifiはいい感じ。椅子とかないが窓にパソコンを置いて地べたに座ればちょうどよい。なんというか微妙だが200Rsだからしょうがないのか。

 あとダラムコットまで歩いてみた。たしかに静かで長期滞在にはいいかもな。バグスまでまわって一周するルートもとれるが、冬季+ロサルでどこも開いてないのでまっすぐ登る道と自動車道とで輪を書いて帰る。


2016/02/08 月 ダラムサラ

 こないだ見付けたバグスのSBIのATMに行ってみてとりあえず15000Rs出してみたら簡単に出てきた。ドコモのクレジットカードがどういうことになるかこれから観察だが、説明通りクレジットカード側の海外ATM手数料がないのならば少額でも気にせず出せるのでこれくらいでいいだろ。あとはSBIのATM手数料がどうなっているか。

 そういうとダラムサラのことをダラムシャーラーと書いてあることがあるんだが、カルカッタをコルカタとするような調子で改名したんだろうか。英領時代のカングラ地方の Gazetteer があったので落としてきたら、Dharmsālaとなっていた。カングラを英直轄領に併合したとき、兵営をおく場所を探してよいところをみつけ、そこにあった "old Hindu sanctuary or dharmsāl" から名前をとったとある。そして案外気候もいいので役所もカングラからこっちに移してカングラ地方の中心になったらしい。しかもそのときからlowerとhigherの違いがあって上の方にはForsythsganjとMcLeodganjの二つのバザールがあったらしい。あとダラムコットもバグスも既に書かれている。
 Dharamsala - Wikipedia, the free encyclopedia
 なんだ。詳しく書いてあるな。でもなんかshaとsaで違うとか書いてあるだけで歯切れがわるい説明になっている。


 明日がロサル(正月)ということで今日は日本でいうおおみそかにあたり、正月を迎える用意であちこちいろいろやっていたが、困るのはチベット飯屋も正月を迎える用意をしてるので営業してないことだ。ということで結局またオシャレっぽいところで飯くったがやはり値段はそんなに高くはなかった。

 あと、ジョギワラ通りの途中から長い階段を降りたあたりに宿が固まっていて、安いらしいことは知っていたが、長い階段がどうもいやで敬遠していた。今日飯屋探しのついでにそのあたりに降りていって、一軒あたってみたら北向きの部屋だがホットシャワーとキッチンが室内について200Rsというのがあった。北向きなのが気にいらんが隣に何も建っていないので景色はわるくない。引っ越すかもしれん。

 KalSangのwifiが完全に消えた。うーむ。ダウンロードできない。引っ越すには十分な理由か。

 毎日飲んでた appyFizz が大量に置いてあった店から消えた。たしかに製造年月日をみると11ヶ月くらい前ではある。うーむ。しょうがないので違う店にいってあったのを買ってきたが蓋をあけてもあまり泡がでない。なんか変なもんつかまされたか。

 晩飯はチキンのフライを持ち帰って食べた。250g 100Rs。まぁそんなもんか。

 【悲報】清原、クスリ欲しさに男と群馬のラブホ宿泊 : 暇人\(^o^)/速報
 ホモというと、男だらけの某所の人間関係にすこし不思議なところがあったのだが、そこにいる男の1/3くらいがホモでペアを組んでいると仮定すれば不思議でなくなることに気がつき、一時は自分とあきらかにホモでなさそうな数人以外ほとんどホモじゃないかとおもったときもあったがさすがにそれはなかろうとおもいなおしたが結局推測だけに全然わからない。そういう性欲つながりでいえば、某所は上長が下の女性に手を出してしかもそこでは神様みたいな存在になってるから好きにできてさらにバレてないとおもって細心の注意をはらっていたりしていたが、まぁああいうエロマンガみたいなシチュエーションが実際に存在しているところをみるともう役所とか研究所とか少人数の事業所とかは不倫天国のドロドロの場所で女の子はみんな御手付きとかにしか見えなくなったりしてしまったりする。まぁそもそも社会の最小単位である夫婦は性欲が根底にあるものだから、性欲があふれてそんなことになるのも別に普通の事で異とするものではなく、単なるコミュニケーションの一つの形で、むしろ自分から飛びこんでいかなければならないのかもしれないが、42を目前にしてそんな子供みたいなことを書いている人間が無駄に頑張っても犯罪になるだけなので何もせずこのまま死ぬのがよいのだろう。


2016/02/07 日 ダラムサラ

 雨。

 チョコレートとかケーキとかここ数日むさぼり食っていたら飽きてきた。そろそろ消費水準を落とそうとおもう。とはいいつつもチョコレートはなんだかんだいいながら食いつづけるだろう。
 DailyMilkがあるのでインドのチョコレート事情はそれなりだが、DailyMilkにも少なくとも二種類のグレードがあり、5Rsの安いものは昔のチョコレートのレベルに落ちている。昔のチョコレートのレベルというのはどういう感じかといえば、「ロウソク食ってる感じ」と言えばわかりやすいか。さすがに砂糖をココア風味にしただけのレベルのものはない。
 ネスレのチョコレートで「クラシック」と銘うっているのがあって安かったが、クラシックというだけあってそのロウソク風味だった。そんなの復元してほしくないのだが、子供のころ食ったロウソク味のチョコレートを食いたいという需要があるんだろう。わからんでもない。安いし。
 パキスタンにstingというジュースがあって韓国人がやたら推していたがその理由が昔飲んでたジュースに似た味というものだった。原色の炭酸水でベタベタに甘いといえばわかるか。暑いときに飲めば元気になりそうと言うとやはり暑いときにガブガブ飲んでいたらしい。それでスリコまれたんだろう。
 人によっては「うまい棒」がそれにあたるのかもしれんが、小さいころ小遣いもらってなかったのでそういうものを食ってた記憶がない。何を食ってたんだろう。


 結局すこし上では雪になっていたようだ。

 ロサルが間近なせいか雨のせいかチベット飯屋で開いているところがすくない。しょうがないのでオシャレなカフェに行ってみてタントゥク食ってみたら100Rsでマクロードガンジ相場的には普通だった。
 ちなみにパスタとかそういうのは200Rs前後でさすがの値段だった。
 そのオシャレなカフェであってもネットが通じてなかったので有線の回線が雨で切れたのか。宿のwifiもネットに通じない。まぁこっちは3g回線持っているので特に問題ない。

 晩飯の時間でも全然開いてないので、ジョギワラ通りのかなり下の方まで行ってみたら、いかにもチベット飯屋というところで通る度に気になっていたところがあいていた。しかもちょっと安めでテントゥク70Rsだった。塩がきいていてうまかった。


2016/02/06 土 ダラムサラ

 現在
 10000円 = 5800Rs = 562元
 ということでほぼ1元=10Rsらしい。うーむ。やはり中国よりは安いか。200Rsの宿を探すのは20元の宿探すのと同じとおもえば難しいのもわかる。中国で10元くらいといえば一皿くらいの飯だからまぁインドの方が安いかもしれん。

 ドコモがその膨大な契約者からさらに金を絞りとるためにクレジットカードをつくっていて意味もなく自分も持っていたりするのだが、このカードの海外キャッシングについて調べると、カード側の海外ATM使用料がなかったり、年間利子18%で15日締め翌10日払いとか結構条件がいい。ちょうどいいので試してみようとおもっている。
 郵貯カードが香港の中国銀行で食われなかったらそれがメインになっていたはずなんだが。

 KalSangのwifi、早朝だと安定しているので昼間頻繁に切れるのは輻輳とかただのりとかで接続が多すぎて安定しないだけなんだろう。

 これこれ。これくらいの朝の涼しさ。

 今日は昼飯を食いにメンツィカンに降りていったが、だいたい30分かかった。インドらしくなく時間厳守で13時に昼飯なので、あまり早く着いても待つことになる。時間には人が並ぶ。

 肝心の飯はこれ。50Rs。包子。飯。野菜と春雨のスープ。なんというか中国の食堂に来たような感じしかしない。米も包子も一応取り放題だが、汁はもらうだけなので取りすぎてももてあます。
 うーむ。こんなものを食べるために降りていくのも微妙な話だが運動にはなるので悪くない。それにマクロードガンジはツーリスト街なのでやはり高い。50Rsで食える定食はないだろう。こっちは毎日開いているらしい。

 ところで尻のあたりに筋肉痛の予感があったので、登るのはやめて更にダラムサラの街まで降りていった。こっちの方が近い。一応博物館があったので見る。カングラ美術を扱っているらしい。100Rs。写真100Rsとか書いてあったので写真はとってない。1905年のカングラ大地震の写真があったが、カングラフォートはみごとに崩壊していた。土器。石像類。カングラミニアチュール。現代美術。金銀細工。という感じで微妙。ジャンムーのアマルマハルにあったミニアチュールが扱っていた題材がカングラミニアチュールではメジャーなものらしい。同じ地域なので似たような感じだったがジャンムーの方が通しで一揃えあるので値打ちがありそう。まぁしかし微妙ではあった。
 ということでバスで帰る。バススタンドではなく表の道でつかまえると14Rs。しかしバスで帰ると運動量が少ない。やはり登っていった方がよかったか。

 マクロードガンジのメインスクエアから西にいく道をずーっと行ってみるとインド人のリゾート地みたいなのがあった。マクロードガンジを車でブイブイ通っていくインド人が多いので不思議だったが、そこに行くようだ。SBIのATMまであった。こっちの方が人が少ないので金を引き出しにいくときつかうといいかもしれない。帰りにチベット系の若造がたくさん入ってるボロい飯屋があったので、てっきりチベット飯屋だとおもってトゥクパをたのんでみたらインド人がやってるチベット飯屋だった。失敗した。おそらくどこかのチベット飯屋で働いて作り方を覚えてすぐ独立したんだろうが、この程度のインド人がスパイスの分量を控えめにできるわけがない。それについ最近まで手で飯を食ってた人たちだから、客の飯を手で整えるのとか普通にやる。まぁ吟味せずに勢いで入ってしまったこっちがわるい。マサラで味付けしてないのだけが救いか。でも腹下すかもしれない。

 日が暮れると寒くなってきた。天気予報では雨で冷えるらしい。


2016/02/05 金 ダラムサラ

 暑い。せっかくダラムサラに来たのに暑い。とおもったらやっぱり今日は特別暑かったようだ。数日したら寒くなるらしい。なってほしい。日本並みに寒いのはいやだが涼しいくらいがよい。

 20年くらい前に来たときは、毎朝チベットのパンを買いにどっかに行ってたのだがその場所がわからない。ということでダライラマ寺の方からジョギワラ通りをぐるっとまわったのだがついにわからなかった。そのパンとおなじものはメインスクエアの角で座って売っているがたぶん高いんだろうな。とはいっても10Rsなのでそんなものかもしれん。

 で、とりあえずチベット博物館。

 一階は中国のチベット占領と統治がメイン。チベット軍はダライラマの亡命のあと、ネパールのムスタンを拠点にして戦っていたらしい。二階は中国の占領以前のチベットと今の中国統治下のチベットとの対比とか亡命政府の民主化とか。対比はもちろん中国による文化的支配がターゲットなので、中国が紹介したがるような農奴とか僧侶・貴族の腐敗とか中国統治下の中国主導の経済発展とかそんなのではない。まぁチベットを通して見ると、中国が日本の戦前の事についてああだこうだいうのは、言えば言うほど自分の首を締めることになるのだがそんな矛盾には気付かないんだろうな。
 しかしこの博物館はもちろんチベット亡命政府の宣伝装置なので中国がひどいことはわかるが、チベットの歴史のツボはおさえられない。まぁチベットは昔から独立国だったのに中国が占領したという文脈に、実はモンゴルに占領されてましたとか、ダライラマ政権はモンゴル系遊牧部族との関係から誕生しました、みたいなことを混ぜてもしかたないのはたしかだ。

 で、20年前は下の方まで降りていってチベット系の公的機関の食堂で飯を食ってたはずなので、降りていってみる。どこかわからない。メンツィカンとかいう医学系施設に食堂があるのをみつけたが13時に開くという。その近くにそれらしい建物があったが改装していたしなんか違う。チベット亡命政府の中に入っていくと奥に図書館があったがそこに付属の食堂があった。記憶をたどるとたしかにこっちの方だが、建物が全然違う。そして食堂はチベット正月のロサルの期間だということで2/15まで閉まっているということだ。あうう。わかったのは昼食券が60Rsということだ。メンツィカンの方が開くまで待つのも何なのでまたマクロードガンジまで登っていった。

 日本食屋のルンタというのがあるのだがここも閉まっている。これはチベット正月のロサルだからなのか単に閉まっているだけなのかわからない。説明がまったくない。まぁしょうがない。
 朝にチベットのパンを買いにいっていたのはKalsangなどがある方の道の奥だったのかもしれないと歩きまわっておもったがそれらしいところを結局見付けられなかったのでなんともいえない。一番奥の方でモモ屋をみつけたのでそこで肉だらけのモモを食った。90Rs。結構高い。

 この調子で飯を食うと結構な速度で金が減っていくようにおもう。とか言いながらケーキを食ったりいろいろ食っていた。ケーキとかうまい。ちょっと節制した方がいいかもしれない。

 KalSang から宿替えしようかとおもってさがしてみたが、なかなかよいとこがない。結局 KalSang にずっといることになりそう。
 あとこんなに暑いのでマニカランとかバシストとかも行けるのではないかとおもったが、気温を調べると行けるとかいうような状態ではないことがわかった。一日中氷点下とかそんな状態の模様。


2016/02/04 木 ジャンムー → ダラムサラ

 やばい。この臭い宿、受付のテレビの音を深夜の2時か3時くらいまで最大で垂れながしていた。臭いわ宿代をごまかすわ騒音でよく寝れないようにするわこんな宿選んで失敗した。まぁ耳栓でなんとかしたがこんなとこは長居しないにかぎる。そういうわけで明るくなると荷物をまとめてそのまま歩いていった。

 まずはムバラクマンディを目指す。17世紀ごろからジャンムーの王宮があったところらしいのでおそらくはこの丘の町の丘の一番見晴しのよいところであろう。ということはそこへのぼっていく尾根づたいの道があるはずだ。ということで地図をみて見当をつけて歩いていったらどんぴしゃりだった。途中なかなかよい感じの町があった。このあたりに泊まれればジャンムーもたのしそう。
 で、ムバラク・マンディに着くが、朝早いので美術館が開いていない。もっとも美術館のあるところのさらに奥にも建物がつづいているようでかなりの部分が未開放で放置されているのではなかろうか。
 どうでもいいがこのムバラクマンディの装飾がよくよくみると石ころだった。これはマハラジャが引っ越したときにとっていったのだろうか。もともと石ころだったのだろうか。

 そこからアマルマハルというところまで行く。これもパレスロードという道があり、これが尾根道なのだろうと推測するとその通りでムバラクマンディからしばらくは平坦な道が続いていた。

 今も王族が住んでるらしい地域を通りすぎるとアマルマハルがあるがみるからに興味をそそらない。一応博物館になっているので20Rsはらって入ってみたがおもしろいものはなかった。どこでもよくみるおなじみのグラブ・シンの肖像の実物らしいものが掛けてあったくらいか。ちなみに撮影禁止の部屋である。
 あと外にグラブ・シンの銅像があった。

 そこからミニバスでバススタンドまで行く。10Rs。バススタンドからジャンムーの各地へ行くことができる。リアシとかキシュトワルとか興味のあるところはあるのだがなんか行く気にならなかったのでとりあえずパタンコート行きにのる。しかも来たときと同じ車掌だった。

 ジャンムー → パタンコート バス 90Rs
 パタンコート → ダラムサラ バス 137Rs
 ダラムサラ → マクロードガンジ バス 15Rs

 これが早く着けばカングラ鉄道に間に合ったのだが、途中昼飯休憩をはじめ謎の休憩をたくさん挟んだのでちょうど間に合わなかった。次のだとカングラ到着が18時すぎで日が暮れてしまう。それならジャンムーの地方に行っておけばよかったかもしれないがいまさら言ってもはじまらない。ここからチャンバに行く選択肢もあったが、ダラムサラに行くことにした。

 まぁこんな感じの山が見えるがこの低いところにダラムサラがある。何も言うほどのこともなく日が暮れるころ到着。20年くらい前に来ただけなのによくおぼえているのがおもしろい。
 どんどん日が暗くなるので宿探しもできず、Kalsang というのが200Rsらしいとネットで調べていたので行ってみたらあったのでとりあえず入った。しかし便所の前。場所柄、廊下などでしゃべる声が響いてうるさい。というかたまたま大声でしゃべる西洋人がいるだけだが。せめてうちの部屋のまわりではなく遠くでしゃべってくれたらいいのに。明日明るくなったらまた宿探しでもするかもしれない。
 しかし布団は臭くないし清潔だしお湯もでるし。さすがダラムサラというところか。


 そういうわけでとりあえずトゥクパを食った。これで90Rs。うまい。

 西洋人うるさいんだがやっぱりなんか吸ってるらしい。だめだこいつ


2016/02/03 水 アムリトサル → ジャンムー

 アムリトサル → パタンコート 鉄道2等 50Rs
 パタンコート → ジャンムー バス 90Rs

 さて朝あかるくなってからとりあえず無料バスで駅まで行く。今からおもうと無料バスがあるのだから朝7:50のジャンムー行きに乗るのもたやすいことなのだが無料バスに気付かなかった。
 インド鉄道は時間をさぐるアプリが各種あるがIRTTTというのがよい。これで調べたアムリトサルとパタンコートを結ぶ予約なしのPassengerにのった。切符は小銭がなかったので自販機で25Rsのが買えず窓口で買ったら50Rsした。この差は普通列車か急行かによるのだがしかたあるまい。まぁそもそも買わずに乗るという技がなくもないがそれはしないことにしている。
 パタンコートに昼前に着いて窓口で聞くとIRTTTの時刻表のごとく次のジャンムー行きは14:40との事なので、駅からすぐのバススタンドに行く。これも事前に地図で確かめてある。ネットがあると大抵のことに困らんな。
 バスの切符を買って乗って待っていたが13:00ごろ出発した。途中ラヴィ川を越えてジャンムー・カシミール州に入ってから丘がちの地形になる。それだけで景色もたいしておもしろくなかったのでジャンムーから出るときは夜行とかでもいいかもしれない。

 ジャンムーに着いたのが16時前。さてそこでとりあえずロンプラに載ってた安宿を目指してみるが断わられる。ぐぬぬ。安宿探しからスタートか... 宿探しするのが面倒くさくなったからロンプラに頼ったのに。結局なんとか一泊250Rsの宿をみつける。200と言ったくせに金を払う段になって250だったがもうどうでもいい。部屋はものすごく臭いがしかたあるまい。

 まだ寝るには早いのでバススタンドに行ったりバフ要塞を撮りにタウィ川まで行ったりした。ジャンムー・カシミール州の特殊事情で携帯が使えないのでネットに繋がらないのだが気にせず日記だけ書いておく。しかし臭いな...


2016/02/02 火 ラホール → アムリトサル

 とりあえず朝リーガルインターネットインを出て、向かいの電気街の道を抜けた大通りで105をつかまえる。駅まで15Rs。駅前でワガ行きの4番のバスを探すが結局4番というのもミニバスだった。

 で、ワガまで40Rsとか吹いていたが結局途中のジャロ・モルまでしか行かず、規定額25Rsのところ30Rsとられて乗合オートリキシャの中に放り出される。
 しかしここまで来れば国境までは歩いてもいけるので乗合オートリキシャ(昔はスズキとよんでいたが今はチンチーとよぶ)に強気の20Rsで交渉すると乗れた。20Rsというのも実は聞いていた額だった。さらにいうと、ラホールの市内から国境までそのチンチーで乗合して40Rsらしい。これは駅前では見付けられなかった。バススタンドにはいた。
 国境までしばらくチェックポイントが何個もあるところを通るがここに一人荷物チェックで不必要にカバンを探る奴がいるので要注意。所詮はパキスタンか。
 朝飯もいれて結局今朝は95Rsしかつかわなかった。パキスタン入りしたときはゴーカートの終点に飲み物など売っている連中がいたが、その場所を素通りしてしまい、パキスタンルピーを69Rs余らせてしまった。しょうがない。

 インド側でまた素直に4000ルピーほど持っているとカスタムで申告すると、それをパキスタンルピーと上書きさせられた。いちいちバカ正直に申告しない方がいいのか。
 アタリまでたいした距離でもないので歩いてバスに乗る。30Rsとわかっていたので30Rsを出したら、くれた切符には35と書いてあった。よくわからない。

 ということでゴールデンテンプルでタダ飯を食う。なんでこんなにうまいのか。その後市内を歩いて vodafone ショップにいって1GB分の255RSをリチャージしてきた。ここでダラダラしてもしかたないので明日はジャンムーに行こうとおもう。


2016/02/01 月 ラホール

 朝から Nau Nihal Singh の haveli を撮りにいったが、現在女子高として使われているので登校時間は警備が厳しく午後3時以降また来いとのことだった。そういうわけでとりあえずGeneral Bus Standの場所を確認しにいってきた。ペシャーワル行きとかラーワルピンディー行きなんかがゴロゴロしているが我慢我慢。ところでワガ行きはここから出ていないらしい。駅に行けということだったので明日行くときは駅に行って探そう。
 その後 Wazir Khan のモスク。

 このへんは手描き。手描きは華美にできるが汚れるし退色する。タイルだけで作ったところの方が発色がきれいでいい。

 こんなんとか。

 まぁまわりもわりと風情があったが再開発中という感じが強かった。終始腹の具合を気にして歩きまわっていたが、Wazir Khanのモスクに入ったあたりから腹の具合がおさまった。

 さて一度帰って昼飯食ったりゼリー作って食ったりしてから夕方再度 Nau Nihal Singh の Haveli まで行った。

 撮ってきといて何だが電線が邪魔でよくみえない。あと日差しが強すぎる。朝くらいの光がよかった。まぁ女子高で自由に撮れないからしかたない。
 そういうことで帰りは106のミニバンにのって帰ってきた。ロハリ門前からリーガルチョークまで15Rsだった。

 もう金がないので明日順調にインドに戻れそう。他にも城内のシク時代の建築物はあったが、女子の学校に転用されたりしてると警備が厳しくて写真も撮れない。あとヒンドゥー寺院もあったが建物の塔の先しかみえなかった。


2016/01/31 日 ラホール

 リーガルインターネットインも人が全然おらず上のドミトリーを一人で広くつかっているのでまったく居心地はよいのだが、パキスタンに突入してから腹がゆるくなってなおらない。原因はわからない。デリーで抗生物質飲んで腸内細菌のバランスを崩してしまって変化に弱くなってしまったのか。ここは一発納豆などをぶちこみたいところだが近くに納豆などあるところもない。そういうのもあってパキスタンルピーがなくなり次第インドに戻ろうとおもっている。ダラムサラだな。いい感じに寒そう。

 郵貯の口座確認。旅行してるのにどんどん増えてる。そのように見えるのは厚生年金に一時入っていたので国民年金の分が還付されたのと、旅行の支払いがまだ引かれていないからでそれらが引かれだすとすぐ元に戻る。生活費でいうとKDPの収入より少ないけど飛行機代が入るので微減程度か。それを収入に変えれるような旅行をできていないのがなんとも。

 相当汚れていたので洗濯した。昨日の夜すればよかった。ズボンが乾くまで外出できない。

 まぁしかし最低気温10度弱最高気温20度程度なので今のインド平原が最高なんじゃなかろうかとおもわないでもない。ただしもう暑いのでデリーで買った上着はインド平原にいるかぎり不要になる。まぁあの寒い日の野宿に耐えたからもう用済みといえば用済みだが。

 明日の分まで払ってきたが今の所持金からみてそれで終わりだな。カスールも行かずグジランワーラーも行かずか。

 Havelis Of The Walled City Lahore - Locally Lahore
 ランジート・シンの孫にしてシク帝国の後継者であったナウ・ニハル・シンの住んでた建物がまだ残ってるらしい。

 「囲碁の謎」を解いたグーグルの超知能は、人工知能の進化を10年早めた « WIRED.jp

 日銀のマイナス金利をリークしたのは誰か


2016/01/30 土 ラホール

 今日は激流さんの予定が余ったということでラホールの対岸にあるジャハンギール廟の見物に行った。シャハダラまでとりあえずメトロという名前のBRT(バス高速輸送システム)に乗って行ったがその後入口がよくわからず1km弱余計に歩いた。
 廟についてみると外人料金500Rsとある。ちょっとのぞいてみても大したものにみえなかったので、一人で来ていたらそのまま引き返しているところだが、そこは激流さんが払ってくれたので入ることができた。

 ジャハーンギール廟周辺はランジートシンの時代に荒されてあまりよい状態ではのこっていない。まぁしかしジャハーンギール廟自体はまだそれでも他の墓よりはよい状態でのこっている。残っているのだが、写真の通りの地味さ渋さであまり人目を引くようなものではない。だからわりときれいに残っているのかもしれない。
 上部構造物のドームとかないのだが、もともとないのかもしれない。ムーアクロフトなどは建築の途中で放棄されたと推測している。まぁもっとも装飾の抑制された渋さから考えると上部構造物ももともと構想にないものなのか。とはいえ四本の塔だけ建っているのもなんかアンバランスだ。

 外見が渋くても中はこの通り華美なのでそういうものとして計算されたものなのか。もっともランジートシンが荒らしているのでどこまで原形が保たれているのかはわからん。

 ジャハンギールの大臣で、ジャハンギールの嫁のヌールジャハンの兄弟でかつタージマハルの主の父親のアシフハンの墓はこんな感じ。残っているタイルからみるとよほど華美なものだったのだろうがランジートシンによって徹底的に剥がされて見る影もない。ヌールジャハンの墓に至っては現在再建中といった風情で見るほどのものもなかった。

 これだけ見物して帰ってとりあえず解散。晩飯は最後ということでガワルマンディーの謎のうまい肉を食いに行った。どういう製法で鶏肉があんなにやわらかくおいしくなるのか謎なのだが、味や肉の色から考えるとあるいは燻製してあるのかもしれない。
 ということで激流さんの滞在中ゆえもなく惰性のようにおごりつづけてもらっていた。写本一ページで50Rsとられたりするらしいのでその費用に比べると飯代など大した額ではないからおごってもらっているようなものだとおもうが、まぁそれでももうこんなにおごってもらうことはないだろう。そもそもインド亜大陸もう来ないとおもう。あと一ヶ月半はいるけど。

 インドは地誌としてイギリスが整備したGazetteerがあるのでそういうのを読むとどんどん泥沼にはまっていく。


2016/01/29 金 ラホール

 珍しく雨。どこも行かないからいっしょか。

 このままATMで金を出さず来週頭にインドにもどるのもいいような気がしてきた。そしてダラムサラにひきこもると。

 物価高騰で貧困に陥る移住高齢者  WEDGE
 自分のようにインドの物価の安さをあてにして来てみたら案外高くなっていてゲッソリしたりするのと同じかな。
 まぁでもよく読んでみるとバンコクで日本並みの生活をすると日本並み以上に金がかかるとかいう程度のことなのでそらそうだろとしか言いようがない。そういうのは貧困じゃないだろ。

 「インド 納豆」で検索すると北東インドのあたりは納豆文化圏にかすっているらしく、納豆が食えるらしい。ふぅむ。

 昨日Gujranwalaのランジートシン関係の遺跡を探したブログをみつけたが詳細に検討してみるとCharat Singhの墓なるものはどうもジャイナ教関係の人の記念の寺らしい。そうなると他のもどこまで裏付けあるのかあやしくなってきる。
 ジャイナ教の人の墓と書いていたが激流さんにジャイナ教徒は墓をつくらないと指摘され、再度確認すると "Memonal Temple of Jain Monk Atma Ramji" と書いてあるので「記念の寺」とした。

 今日の晩飯は雨降っていたので近場で適当に(激流さんのおごりで)食べたが、シャシリクなるものとフライドライスをたのんだらシャシリクはフライドライスの上にのっていた。つまり二皿のフライドライスの一方にシャシリクなる名前のチキンのトマト煮が乗っていた。そしてその量がものすごく多い。昼飯食ってないからいけるとおもっていたが、食べてみると腹のたまり具合がすごい。帰った今もちょっと気分悪い。

 衝撃のシミュレーション「中国は5日で日本に勝利」 米ランド研が警告、米国は尖閣に関わるな | JBpress


2016/01/28 木 ラホール

 ATMでちょっとお金を出そうとしたが、アルファラ銀行のATMはなんか作業していて使えなかった。

 天気もよいのでランジートシンの墓を見にいくことにする。適当に歩くが、2011年に来たとき暇にまかせて散々歩いたところなので、あまり新味がない。さてバードシャーヒーモスクとラホールフォートの間の空間(ハズリ・バーグ)は南側から入れなくなっていた。しょうがないのでぐるっとまわって北側にまわるとランジートシンの墓が塀に囲まれているのが見える。

 しかしこの区画内にはシク教徒しか入れないらしい。しょうがないのでラホールフォートでも見ようかとおもったが、500Rsしたのでやめる。しかし入口のあたりのタイルの装飾はハゲかけているのがのこっていておそらく修復したのだろうがなかなかきれいだった。バードシャーヒーモスクに行ってみたらこちらの装飾も見事なものだった。とくに絵でかかれた模様がかなり精巧にできている。あれはパキスタンになってから修復したものかそれとももとからそうだったのか。

 しかし2011年にくらべるとちょっと浅ましくなっている気がする。金刺繍のコーランを展示した一室に無理に呼びいれられ、入ってみると善男善女がそのケースの影にあるドネーション箱に誘導されて金を入れさせられているところだったので知らんぷりして出ていった。また入口の上にある博物館も前はなんかあやしい信仰上のことを熱心に説いている人がいたが、今回はそういう人はおらず、やはり寄付箱に入れろ入れろとうるさい。うーむ。

 しかし自分も2011年とまったく同じところを巡っているだけというのにあきれつつ適当に歩いて帰るとニューアナルカリ通りの商店街がそのまま博物館横の食堂街に繋がっていることがわかる。しかもこの通り2011年にも通った記憶がある。うーむ。
 今日は暑かった。どうしたもんか。

 ガワルマンディーの食堂街と博物館の横の食堂街が実は距離的にかわらないことが地図上で比較してわかったのでガワルマンディーの食堂街に行って激流さんのおごりで魚を食ってきた。グジのような魚で焼き具合はちょうどよかったが、惜しいことに味付けが辛い。辛いものを塗って焼いてあるので表面が辛い。そして辛いソースがついてきた。どっか東南アジアか中国でこういう感じのソースを味わったことがある。魚はわるくなかっただけにそこだけが惜しい。
 スーパーで買い物して散会したのだが、Shezanの100%りんごジュース250mlパックがあったので買ってきたがよくよくみるとストローがなかった。今まで買ってたパックのストローを再利用。

 Pakistan Geotagging: Gujranwala: Birthplace of Maharaja Ranjit Singh & Samadhi of Mahan Singh and Samadhi of Charat Singh


2016/01/27 水 ラホール

 天井がただの波板なのだが、朝の8時ごろになると鳩が飛んできて波板の上を歩きまわるのでうるさい。寒くて当然ではある。まぁでも昨日くらいから天気がよくなってきて日中の温度が上がるようになってきたようにおもう。

 Afrāsiyāb Khān なんてのがでてくるんだがこれもペルシャ系なんだろうな。

 ようやくデリーで買った Ruhela の本が読めたので、スーパーマーケットに行ってゼリーの粉末を買ってきて作って食ったら午後は寝てしまった。
 ローヒラー戦争の後 ZabitaKhan の死の前くらいで終わるので、ZabitaKhanの息子で悪名高い GhulamQadirKhan とか、1804年のHolkar北走のときに同行してのちにTonkの領主となった人とかの事が抜けてるが、ローヒラーという集団が政治的に重要だった時代のことはだいたいわかる。しかしナーディルシャーやアハマドシャードゥッラーニーが来たときの関係がはっきりしない。他のものでそのときにローヒラーが数を増やしたとか書いてあるのは関係ないことをさも関係あるように書いてるだけなんだろうか。あと、前に書いてないことを「前に書いたように誰それは人質となってカーブルに連行されていたが」みたいに書いてあることがある。
 ナーディルシャーが来たときに騎兵も歩兵もマスケット銃をもってたのでローヒラーも倣ってマスカット銃を揃えるようになったとか書いてあってホマンズが概述してるのとはまた違ったことになっている。

 Rampur の領主はローヒラー戦争のとき最後まで頑張った人で、地理的に遠いところにいたのとアワドのシュジャーウッダウラがガンを発症したおかげで最後まで追求されずに英軍の仲介で生きのびることができて Rampur をもらったらしい。シュジャーウッダウラはローヒラー戦争の最中にガンを発症したのだが不義の戦争をふっかけた報いが覿面にあらわれたのだとしかおもえない。もっともサフダルジャング以来の因縁があるのでそう簡単に言うのもあれだがそう簡単に言うことにしておく。

 今日もまた激流さんのおごりで晩飯を食いにいったのだが、前に行った博物館の横の通りで今度は焼き物を食べた。アフガンとかなんとか書いてあった。何がアフガンなのかよくわからないが、肉がなにか白いものに漬けてあった。昨日の謎のやわらかさとは比べものにならないが、しかし普通にやわらかく仕上がっていてうまかった。あと注文が焼き物+米という構成で腹にもやさしかった。パキスタンは油に注意したほうがいいのかもしれない。朝から謎の油ギトギトの煮込み料理(ショルパ)を食っておいてなんだが。

 今日も夜の停電は21時14分から。定時の停電か。しかし夜が遅い人達なのになんでそんな時間に停電するんだろうか。早く寝るようにという親心か?


2016/01/26 火 ラホール

 まずはこれでも。
 
 今日も激流さんの晩飯についていって、昨日とは違う通りで焼き物食ってみたわけだが、この鶏の焼き物がものすごくうまかった。とにかくやわらかい。デリーでこういうの食っても固いのばかりだったがこれは全然違う。焼き方だけではなく、肉の処理になにか工夫をこらしているにちがいない。まぁ案外味の素とかかもしれないが、何であってもうまかった。


 あと朝飯だがリーガルインターネットインの周りで朝から開いている飯屋がほとんどなく、丼でヨーグルト食えるところで食っていたが、昨日これをみつけた。羊の脚かなんかの筋肉を煮込んだもの。新疆をおもいだす。そしてうまい。ここまでくると中央アジアも近いのが感じられていい。ということで今朝もこれを食った。たぶんここにいる間ずっとこれを食ってるとおもう。

 体調の方は完全に回復の坂をのぼっている感じ。本復も近い。


2016/01/25 月 ラホール

 昨日よりはよくなったかな。咳の回数が減った。しかし微熱はある。消化器のあたりがなんか重い。まぁ回復傾向か。

 結局今日も昼間すこし寝たりしていた。日が暮れてから今日一日の作業を終えた激流さんが来たので晩飯についていった。博物館脇の通りでここも食堂街として有名なところらしい。普通の買い物もできる程度にはいろいろ売っていておもしろそうではあった。飯屋はものすごい客引きをしているところに結局入ったわけだが、その客の引き方に反して良心的な値段設定だった。メインがケバブなどの焼き物でビリヤーニとかはおまけなのかもしれない。ちょっと味は落ちたが量は多く何より値段が普通という点で良心的だった。消化器が重いと言いつつビリヤーニを頼んでしまったので香りの強さに負けてしまいかなり残してしまった。今日もおごってくれるつもりだったらしいが残したのに気がひけてビリヤーニの分は払った。

 まぁ着々と元気になっている気はする。デリーにいたときの謎の不調とはちがってアムリトサルでひらったただの(広義の)風邪だろうから寝てれば治るだろう。

 そういうとこの食堂街でホモが歩いているのを見掛けた。インドには列車が駅にとまると乗り込んできて客に金を要求したりするヒジュラという人達がいて、宗教的社会的にはいろいろあるかもしれないが有り体に言うとホモなのだが、外見的にそれに近いのが夜の道の向かいから歩いてくるもんだから最初は何かわからず凝視してしまい、「ハニー」とかなんとか挨拶されてしまった。こわいこわい。ホモに好かれてもな...

 ちなみに机があるので寝たりしてる合間に着々と本は読めてる。机大事だわ。

 帰っても停電しておらず、最初は本でも読みかけていたが、せっかく停電してないということで日記を書いていると結局停電した。寝る。


2016/01/24 日 ラホール

 昨日は午後からずっと寝ていた。そしたらだいぶよくなったようにおもう。

 昨日くらいからリーガルインターネットインの客が増えだした。

 激流さんラホールに来る。リーガルインターネットインに泊まるもんだとおもっていたが公式な訪問なので領収書のでるホテルに泊まったらしい。晩飯を高い飯屋でおごってくれた。パードシャーヒーモスクを一望できるレストランでパキスタンの数寄者が集めた古物があちこちに置いてあるようなところだった。一人では絶対行かないところだが、値段も相当なもので、日本で飯を食うくらいの値段だった。
 散会して帰ったら停電していたので日記も書かずに寝た。そういうと写真くらい撮っておけばよかったか。

 咳のしすぎで横隔膜が痛い。全体に体調が本調子ではない。


2016/01/23 土 ラホール

 風邪で微熱が出てきた。うーむ。夜は変な咳が出るし。

 まぁしかし机があると作業がはかどるな。

 近くのスーパーで Shezan の100%リンゴジュースを買っているが、250mlが25Rsなのに1Lが120Rsくらいするので小さいパックを買った方が安い。風邪のせいか全体に栄養が悪いのか甘い物がほしくてしかたない。行く度にチョコレートも買っている。しかし咳をするときものすごく長い咳(ゴホゴホではなくてゴホゥゥゥゥゥゥンみたいな咳)をするのは何だろう。案外虫でも入ってるんじゃなかろうか。


2016/01/22 金 ラホール

 朝一発目のATMで金がでてきた。アルファラとかいう銀行。とりあえず8500ルピー出してみた。このままラホールに長居してもいいな。問題はリーガルインターネットインがよく停電することか...

 部屋の隅にあった机のまわりに堆積していたタバコの箱を片付けて、ベッドの横につけた。これで作業体制が完成。あとは電気次第か。ここはいい。名目的にはドミトリーでベッドがこの部屋の中に二つあるが、現実的に誰も来ないだろう。寒いし。机とそのまわりのタバコはその昔この部屋を法律やってる人が借りてたらしい。いろいろ見ているとマリクの息子の友達が一室借りてたので従業員がちゃんと仕事しているという時代があったらしいがその部屋がこれなんだろう。

 sir の問題でもうひとつ傍証。1844年にでたアフガン・パンジャブ・シンドの Gazetteer には Amritsar を Amritsir と表記している。

 ゴールデンテンプルの無料宿でもらった風邪が顕在化してきた。抗生物質やめたとたんこれだ。今晩もとっとと寝よう。まぁ手の方がなおってきたからいい。


2016/01/21 木 アムリトサル → ラホール

 アムリトサル → アタリ バス 30Rs
 アタリ → 国境 徒歩
 国境 → 最寄りのミニバスのある町 徒歩
 ミニバスでラホール駅まで 25Rs

 朝早くからタダ飯食いにいったらさすがに早朝は紅茶とラスクだけだった。残念。で、ISBTに向かい、ギュウギュウのアタリ行きのバスにのる。途中学生がいっぱい降りてなんとか座れた。
 アタリから国境まで歩いていたら空のタクシーのおっさんがタダで国境までのせてくれた。昔の国境の建物は粗末な小屋だったが、今は立派な建物がたっていた。しかし国境を越えようとするローカルがいっぱいいて、イミグレもインドの駅の窓口のような具合になっていた。無事越える。税関で素直にインドルピー4000Rsくらいと書いたら1000Rs以上持ち出すのは禁止という杓子定規な反応だが、すぐ帰ってくると言って見逃してもらった。そのためにドルに両替するのはバカらしい。

 自由の門とか書いてあるな...
 パキスタン側もかなりいいかげんだった。どこに泊まるのかとかそのへんがしつこかったが決まってるから問題ない。インド側の国境間移動の乗り物はバスだったが、パキスタン側は連結したゴーカートでなかなかおもしろい。ただしそこでつれられたところにはリキシャとかオートの運転手がいてしつこい。しつこいのはいやなのでさっさと歩いていった。なかなか遠い。途中店があったのでそこでインドの100Rsをパキスタンの150Rsに両替した。バスに乗るつもりだからそれで十分のはず。
 ただしバスが走ってるところまで相当歩いた。ミニバスというかワゴンというかそういうのがあり、ラホールの駅前まで25Rs。やっと楽できたが、どうもラホールはメトロシステムの構築で道路工事の最中のため渋滞がつづく。今どこ走っているのか気になったので、SH-08DでGPSと地図をあわせてみると駅から南の方を走っている。ちょうどリーガルインターネットインのあるところに一番近いところで曲がっていたので降りて歩いた。google地図は事前にエリアを決めてダウンロードできるからすばらしい。
 途中飯くってなんとかリーガルインターネットインについた。なるほどほとんど誰もいない。下のドミも案内されたが、上のドミに行ってもいいか聞いたらいいらしい。ということで上のドミをほとんどシングルのようにして使っている。

 それはいいのだが、ATMで金をおろそうとしたらなんか使えない。おかしい。とりあえず今日中にはおろせる所を見付けられなかった。ということで手持ちの金がまったくない。明日にはなんとか見付けられるとおもう。そう願いたい。


2016/01/20 水 アムリトサル

 ドミトリーにもかかわらずよく寝れた。カバン開けたまま寝てた。静かなのが大きいとおもう。デリーはうるさかった。


 今日は三食無料飯くって寝てた。朝のうち城門を見にいったが帰ったら異常に疲れてすぐ寝てしまった。
 ランジートシンの作ったものとしては他に要塞もあるのだが、結局見に行かなかった。
 まぁしかしここの飯はうまい。しかし最大三日という縛りがあるのでしかたあるまい。


2016/01/19 火 スィルヒンド → ルディアナ → アムリトサル

 どうも安心できず5時くらいには起きてフラフラ。ところでスィルヒンディー廟の近くに、Fatehgarh sahib駅があるが、たまたまそこに行く列車と時間があったのでほんの一駅分だが乗って楽をした。

 駅はグルドワラの名前がついているだけあって、スィルヒンドの街を壊して建てたという曰くつきのグルドワラへまっすぐ道がつながっているが、スィルヒンディ廟はその線路を挟んで北側にあった。中に入っていくと管理しているらしい人になにかいわれたが、「写真撮りに来ました!」みたいなノリで通した。駅で寝たというと非常に同情されたのか、泊まっていくのか、みたいなこともきかれた。ここは宿泊できるらしい。しかしザマンシャーのことは話が全然通じなかった。そこでつけられた下働きっぽい男に案内されて一通りグルっとまわってみたが、どれがザマンシャーの墓かもわからない。案内されてるのでネチっこく調べたりもしづらい。しょうがないのでそこはあきらめた。

 最後にモスクなんかに案内されてそんなの見ても..とおもったが、天井になかなかキレイな模様が描かれていた。

 さて見るもんも見た。グルドワラの方にはグルゴビンド(最後のグル)の息子二人関係の遺跡が保存してあるらしいのだが、あんまり見る気もしなかったのでとりあえず近くのFatehgarh Sahib駅に行ってみるとちょうどSiuhind方面行きが通ったところだった。一日に5本くらいしかないのに... しょうがないので歩くが数キロしかないのですぐ着く。Patiala行こうかとおもっていたがあんまり気がのらないのですぐルディアナへ。


 なんでルディアナなんて名前なのかと思っていたが、駅の解説をみると、ロディー朝のロディーらしい。ではローディーヤーナーみたいな名前であるべきということか。
 なかなかにぎやかでいい感じの街だった。そして肝心の郵便局もすぐみつけた。2000年代に建て替えで破壊されるまでは、シャーシュジャーが使っていた邸宅を再利用してそれとわかるようにしてあったらしい。まぁしかし過ぎたことはしかたあるまい。

 で、アムリトサル。日が暮れる前に着いた。ちなみにスィルヒンド→ルディアナが15Rs、ルディアナ→アムリトサルが30Rs。general の ordinary という一番安い切符なのでものすごく安い。鉄道をうまく使えばほとんど金つかわずに済むな..

 ただの宿に入ってゴールデンテンプルのまわりをぐるぐるまわって、ただ飯食って昨日からの日記を書いてる。

 これからの予定だが、アムリトサルに二泊したあとラホールへ突入する予定。国境の具合がわからん。


2016/01/18 月 ニューデリー → スィルヒンド(Sirhind)

 朝出発の前に、ちょうどデリーに出てきた清水さんと雑談。ちょうど寒くなったが昨日買った上着が役立つ。スィルヒンドに行く列車は何本でもあるとナメていたら、片端から遅延とリスケジュールでなかなかのれず、結局午後3時ごろになってようやく乗れた。この調子だと夜になって着く。インド鉄道のサイトをみているとどうもスィルヒンドにはリタイヤリングルームがない。それでは手前のアンバラで一泊しようと降りてみた。

 しかし駅にあるのは500Rsの個室だけだった。しょうがないのでとりあえずスィルヒンドに行く。寒い。霧。どうしようもない。しかも駅前には何もない。裏側に街があったりするが、もう夜なのでフラフラするのはよろしくない。駅の切符売り場が広くてやや暖かく、寝ている人がいたのでそれにならって寝た。サイズがデカいのも気にせず買った上着はここでも効力を発揮し、そのまま寝ても全然冷たくならなかった。

 ところでスィルヒンドだが、サルヒンドと言わないと通じない。パンジャビ・ヒンディー表記でもサルヒンド。どうせペルシア語のsarとおなじなんだろうからそっちの方がいいとはおもうが、なんでSirになっているのだろう。昔の英語の本をみているとたとえば sardār を sirdār と表記してたりするんだが、なにかそういうルールでもあったんだろうか。


2016/01/17 日 ニューデリー

 抗生物質の副作用で夜中なんかの向精神薬をやったような感覚になった。そもそも最初の夜も死体が転がってる変な夢をみたので最初から効いていたんだろう。これで白昼幻覚がでてくるようになったらやばい。
 まぁせっかくなので体内各所に意識を集中させて遊んでいたが、尻の方のある一点に集中すると何かが抜けていく感じがしたのでおもいっきり抜いてみた。気がつくとイチモツがものすごく縮んでいたので、大変なことをしてしまった血がめぐらないまま腐敗したらやばい、と焦ってしまった。やばいもクソもない。他にも思考がとりとめなく止まらなかったりしてあんまりよく眠れなかった。
 病院ではくれず、最後に薬局でくれた薬は、日本ではクラビットという名前で売っていて、特効薬みたいな扱い( レボフロキサシン - Wikipedia
)だが、副作用として幻覚、譫妄もある。白日夢をみだしたらやばいのでこれはやめとくか。
 → やはり量を減らして継続。


 こんな感じ。いやー。適当な処置をすると大変だね。自業自得ではある。肝心の一番ひどいとおもったときの写真を撮ってないのがなんとも。

 抗生物質のおかげで随分体が元気になっているようなので、明日からの移動もあんまり心配なくなってきたが、上着が必要なので買ってきた。韓国の古着っぽいジャンパーのようなもの。サイズがでかすぎたが気にしない。250Rs。暑いかもしれんが夜朝対策なのでいい。

 上の写真の人差し指の付け根にある傷のカサブタがきれいにはがれて右足の裏の現在とおなじようになったので同じものに感染していたことが確定。靴下の手洗いが原因だとおもうので靴下は捨てた。しかしこのあたり今度は妙にかゆくなってきた。そこで病院の処方箋で病院ではもらえず薬局で買わなかった軟膏を買ってきて調べてみたらこれも抗生物質だった。なんだ。買っておけばよかった。抗生物質の軟膏なんだから傷も気にすることなくぬれる。愚かさの代償で治癒を遅くしてしまった。
 まぁしかし何だったのか。水虫とかなったことないからわからんのだがこれ水虫なんだろうか。


2016/01/16 土 ニューデリー

 うーむ。あんまりよくならんな。まぁ少なくとも疥癬として治療してもよくなってないのはたしかだし抗生物質をいっぱいもらったのでよしとする。
 後からできてラップでひどくしてしまった方の腫れが大分引いた。抗生物質投与しただけの意味はあるかな。
 ハンセン病の増殖速度は13日に一度らしいのでこれでないこと確定。そらそうか。こんなに早くわかるなら業病とかいわれる訳がないということか。

 せっかく1G追加したのにまだ最初の1G分がなくならない。最初の減りは何だったのか。

 傷の方だが、夜になってわかったことは、要するに今まで不清潔だったから傷の回復が遅かっただけで、ちゃんと消毒などしておけばここまでひどくならなかったんだろうということだ。遅くとも一歩一歩着々と回復していっているようである。
 抗生物質ドバドバを選択した代償として腹がゆるくなりつつあるようにおもうがしかたない。今回一度も下してないのに...


2016/01/15 金 ニューデリー

 今度は右手の傷が重要課題。

 下のチャイ屋でどうも普通に二重払いしていたようだ。昨日チャイを飲もうとして金を払ったときに気付いた。発熱して頭がすっきりしたのかしらん。しかし、最初に金払ったことも忘れて受けとったときにまた払ったりしてたようで、やっぱりどっか抜けてしまってるのかも。

 持ってるクレジットカードには海外旅行保険ついていない。残念。

 この本もともとアリーガル大学の博論らしい。

 ノディが医者に案内してやるとかいうので我慢して待って行ってみたがとんでもないヤブで、英語でもっともらしく言うからよくわからず、そのときは見てすぐわかるような病気なのかと驚いたが金額で難色示したりまた行ったりしたあとでちゃんと調べてみると疥癬だとかいう見立て。アホか。おかげで昼下がりまで時間とられてしまった。

 さてここで思案もできず困ってしまったが、このSIMたしか90Rsほどよくわからんとこに入ってたから電話できるのではないかとおもい清水さんにかけてみるとつながった。歩ける距離(二三キロ)に RML という政府系の無料の病院があると教えてもらい、もう16時すぎだったがとりあえず行ってみるとやってた。どうも英語が全然出てこず説明にもなってなかったが、医者もバカらしくなったらしく、抗生物質だらけの処方を書いてくれた。で、薬をもらって、ないのは薬局で買えということであった。暗くなる前に帰ることができた。
 たまたまだが前行ったシク教のグルドワラの近くだったので迷いなく歩いて行けたのが大きい。

 帰ってそのへんの薬局に行ってとりあえず揃え、薬を一々調べてとりあえず抗生物質であることを確認し、薬局がくれたのが代替薬としては違っていたのでまた買いなおしたりしてるとノディが家に帰るところに会いすこし話した。案内した医者に納得しなかったことで機嫌がわるい感じだったが、部屋にもどるとまたノディがきて部屋を変えてくれとのこと。それで最初の有機溶剤臭かった部屋に戻ってみた。全然臭くない。
 そういうわけで何もない日ならとっとと寝るところだが寝ずに日記でもつけているところ。


2016/01/14 木 ニューデリー

 ほぼ本復。夜中に布団が暑くてはねのけ、水をガブガブのんだ。朝に便通。頭痛は若干残るしちょっとだるいところもあるがろくに飯くってなかったから当然だろう。
 浪江町の現場で胸がジワジワ感じていたのが胸腺らしくその胸腺が免疫のT細胞の選別に一役買っていると知って、免疫系やられてないかとおもったが、そんなことないようだ。まぁでもちょっとした傷がすぐになおらんからなぁ。
 単なる風邪か?汚れた服を洗濯して傷口からインド菌でもはいったか?わからん。

 今日はちょっとオールドデリーのダリヤガンジに行ってきた。バス753でデリー門まで5Rs。ちなみに城内に入るとブロックが変わるので10Rsになることを帰りに知った。まず vodafone のオフィスに行って値段のプランを聞くと255Rs1GB,297GB1.25GBらしい。297Rs1.024GBだったのだが...。できるんならためしに255GB1GBやってみてと美人の受付の人におねがいすると、すぐやってくれた。あとプランの写真も取ってきてくれたのでチャージするときもこれ見せたらおわり。これで655Rs3.5GB/越えたら65kbpsの道が開かれた。つーか最初からvodafoneオフィスに行ったらよかったが知らなかった。なんか変なプランんにされてたようだ。おそらく4GとかLTEとかか。オフィス自体は日本の携帯キャリアのオフィスと同じ仕組み。ちなみに字を書いて説明しました。

 あと出版社の並ぶ通りに行ってみた。立派な本屋あるわ。とりあえず出版社がわかってる本を当の本屋に行ってみたらたまたまそこにいたおやじを紹介された。Oxfordの古い本と自社の本を並べて売ってる模様。でそこで紙に書いて探してみたらなんとでてきた。しかし995Rs。日本並みか.... ちょっと躊躇して激流さんにLINEで相談してみるとそんなもんという話なのでじゃぁいいかと買ったが、そのとき周りの本を手にとってみたら実際そんな価格だった。いやいや、最初からそうしたらよかった。なんかこういう思いこみが多くて対応できてないな。

 いい気分で帰ってきたら宿の「ママ」が買ってきた本をみせろという。どういう本かには興味をもたずにいくらかとしつこくきく。こわくなったのでちょっととりあげると「もっと金をムシれる..」みたいなことをつぶやいたのでとっとと部屋にひきあげた。
 やばい。エバーグリーンゲストハウスの真の顔が露わになるときか。取れそうだから相手の都合を斟酌せずに取るって端的に泥棒宿だよな。
 あとから来たノディは金は追加で取らない保証する老婆の妄言は気にするなとか言ってるのでまぁとりあえずは大丈夫か。ただしそこは終わりまでいいところを見せてよい評価を得たいという気持があるらしいが... でもやっぱり金が欲しいのは欲しいらしい。とられた土地の裁判中進行中でまた問題発生だもんな。

 しかし右手の傷、一向に治る様子がない。それどころか新しくできた引っ掻き傷の方も治るかとおもいきや腫れてきた。うーむむ。右手だけに十分に使えないと旅行を中止せざるを得なくなるかもしれぬ。右足の裏の傷がまだなんか膿のかたまったものを排出してるのも気になる。左足はキレイに治ったのに。
 針でほじってみたら膿ではなく皮膚組織の死んだものだ... ちょっと色が濃くなったところが何の感覚もなくほじれる。えーと。これは。癩病とか拾ってたらやだな。ラクナウとかササラムとかの汚なそうなところを痛い足をひきづりながらサンダルで歩いたのでそういう可能性は十分にあるんよな。バレイリーを出るときにはなぜか叩かれたし。バレイリーでやめておけばよかったな。
 まぁ今まで消毒とかまったく考えずに旅行していたのでそれが悪いのか。


2016/01/13 水 ニューデリー

 昨日一日寝ていたらさらによくなった。昨日で悪寒が消えて今日で頭痛がかなり減ったというとこか。がんばれ免疫。まだ腹が減ってこないので本復ではない。

 昨日は寝ながら本読める程度には回復していたので読みちらせるものを読みちらしていたが、ロンプラ16版をみているとのきなみ高い宿しかのせていない中に安いのをみつけた。アムリトサルに150Rsのドミ、ジャンムーに200Rsのドミ。
 あとはダラムサラとかの辺りはオフシーズンなので安そうではある。世界一空気のきたないデリーに来てからずっと痰がでたり咳がでたり鼻がおかしいので空気のきれいなとこに行った方がいいのかもしれない。
 まぁパキスタン行って帰ってきてからだな。

 ちょっとネットをみただけで100MBとかすぐ消えていく。Windows が裏で勝手にダウンロードしてるのもあるだろうが基本的には画像が多すぎるせいだ。これからOFFにしてどうなるかためしてみる。
 しばらくためしてみたが WindowsUpdate の無慈悲なダウンロードに涙した。画像OFFにしても意味ない。V713ではなく Debian ぶちこんだレッツノート持ってきたらよかった。

 右手の小指の第一関節の外側および人差し指と親指の間にできた小さい傷がなかなかなおらず、シャワーつかったり洗濯したりしてるうちにその傷から円状に皮一枚くらいで薄く膿のひろがるような状態になってなんかおかしいのでテープを買ってきて湿潤療法的にやってみた。小指の方はまだ小さいのとあんまりうごかないので外から見えるようにしているが、親指と人差し指の間の方は結構大きくなっているのとよく動くところなのでテープでグルグルまきにして塞いでしまった。小指の方が小さくて寝ている間にいい感じになおりそうな感じだったが、傷が塞がっていないので、これはなんかおかしいとそこまでやってみた次第。しかし治るんだろうか。なんかインドの変な風土病拾ってるような気がしないでもない。

 WindowsUpdate をとりあえず満足行くまでやらせてみてこれで大丈夫だろとおもっているとやはり次から謎のダウンロードが発生している。ホストを調べたらマイクロソフト。しかも30M程度も。おまえか。おまえが毎回なにかをダウンロードしてるのか。無駄なプログラムつくりやがって...
 さすがに接続の度ではないらしい。

 湿潤療法の実験だが、ちょうどよく階段の手摺りでひっかき傷をつくったので対照としてこっちもラップ的湿潤でやってみた。こっちはすぐにやっただけあって夜にはだいたいくっついているようにみえたが、親指の股と小指の方は浮いてしまっている皮が水気で膨れるというわかりやすい失敗例になったので、最初の手当をまちがえたものに湿潤やってはいけないということらしい。
 ノディにどういう薬があるのか相談すると、インドの水は危険というわかりやすい話で、そういう傷は抗菌のシファーパウダーを吹きつけるといいといわれ早速買ってきて吹きつけておいた。子供のときに使ってたようなやつだな。今朝できた方はラップ的湿潤ではりかえて放置。


2016/01/12 火 ニューデリー

 昨日洗濯したのだが、そのころから急に体が寒くなり、寝こんでしまった。昨日一日寝ていたが今朝になってようやくマシになった。


2016/01/11 月 ニューデリー

 India - Prepaid Data SIM Card Wiki - Wikia
 これをみるとSIMの相場は50-100Rs程度だが店によるともある。外人相手の手続で200Rsくらいは妥当なとこだろう。400Rsはやっぱりボッタクリだな。
 しかしもっと重要なこととして、他社とローミングしてるけどデータ通信はしてないとも書いてある。その3Gネットワークの地図はこのリンクの通り。
 3G Network Map of India
 vodafoneは大都市周辺を押さえただけ。狭い。効率よく押さえてるとはいえるが一番肝心なのはパンジャブが範囲外だということだ。今回の範囲に関してはideaがよいようにみえる。
 もっともこの情報古そうにみえるので今はどうなっていることやら。

 『インドの3Gインターネット事情 』 by 世界攻略者さん
 これでも2年前。うーむ。わかりやすい。

 円高の時代再び
 まぁ海外にいる身分としてはありがたいのだが。

 エバーグリーンに韓国人が大量にやってきた。まぁもうかるならいいのでは。


2016/01/10 日 ニューデリー

 このプリペイドSIMのプランが謎だ。よくわからん。vodafoneインドのサイトをみてもよくわからん。297で1G28日間というプランはどこにあるんだ?
 1Gはちょっと少ないのでもっと使いたいのだがそのプランの詳細がわからん。

 
 ダリヤガンジの日曜古書市に行ってみたがあんまりたいした本はなかった。学参・教科書類か小説とかそんなのが多い。一人だけムスリム関係の本を扱っていた人がいて、たとえばランプールの図書館の写本を写真入りで紹介したような本があったが買わず。市はダリヤガンジの通り沿いに展開しているはずだが、メトロの工事中の都合で服の行商なんかが道の片側から追いだされたようで、古書を売る場所が服の行商に追いだされ、城外の通りに溢れていた。そっちの方に英領インド軍の騎兵の歴史というのがあって安かったがこれも買わず。本の質量に恐れをなしてしまった。本は重い。結局買わないかもしれない。


 ついでにデリー城内のカランモスクも見てきた。外観が中央アジアっぽい。中は改装中で工事のおやじが金をせびるが無視しろと外に座ってた人が言っていた。その通りだった。

 右足はだいぶよくなってきたが、昼間歩くと暑い。靴もなんか崩壊気味。やっぱりインドの安物は本当にダメか。靴がダメになったらとっとと捨てて今度はやわらかそうなサンダルでも買うかもしれない。

 ところでN-08Dで撮る写真がどうも黄色がかってるんよな。色だけでいうとSH-08Eの方が素直なのでもうSH-08Eにしてしまうかもしれない。

 デリーの1月の天気 2016 - AccuWeather
 感覚的にこの宿に来るまで非常に寒かったのだが、このサイトでみると12月インドに着いたころの最低気温は一桁台だったのが、この宿に来てから10度前後で推移していて、実際に暖かかった模様。このサイトの天気予報が信用できるとすると、デリーを離れるころからまた若干寒くなり、2月第二週くらいに今くらいに戻るらしい。
ラホールの1月の天気 2016 - AccuWeather  ということでそのころ行くラホールの天気をみてみると、あに図らんや、2月末から雨になるらしい。まぁ雨の用意はしてきたからいいか。そういう感じでアムリトサルなんかも見てみるとどうももっと寒いようだ。もうこれ以上服買う必要ないかとおもっていたが買わないといけないかもしれない。


2016/01/09 土 ニューデリー

 ついにvodafoneのSIMを買ったのだがSIM1枚だけに400Rsも払ったことを告白せねばならぬ。端的にボッタクリで、なぜ最初に値段を確認するというあたりまえのことができなかったのか。あー。バカすぎる。

 どうも今回の旅行、そういう普通の注意で防げるマヌケ罠にハマることが多いようにおもう。もう注意力が散漫になってマヌケ罠を華麗にクリアできなくなっているのか。なんかの能力が落ちているような気がする。

 いろいろあってこのとおりモバイル通信でアップロードできることができました。とりあえず一ヶ月1Gのものを買った。もっと使うのはわかっているが半月後にはパキスタンに入っていて半月くらいはパキスタンにいるとおもうのであんまり買ってもしかたない。
 中国のデータ通信が1G100元だったのにくらべると安いがまぁあれから数年たってるので中国も安くなってるかもしれない。


2016/01/08 金 ニューデリー

 有機溶剤臭かった部屋だがなぜ臭かったのかわかった。一層目の洗面のガラスの前でスプレーの整髪料などを使うとそのにおいが上がってくる。おそらくこの壁の塗料はそういうにおいを吸着しやすいのではないか。で、部屋の中でスプレーつかった奴がいるのではないか。


 このポップコーン売りが数台いてこのあたりをグルグルまわっているのだが、短いメロディをループさせているので耳につく。すぐ覚えるような簡単な曲だ。やっぱり耳につきすぎるのか、音楽を流していないやつもいる。


 右足の痛いところだが、この丸で囲ったところの真ん中あたりのちょっと色がかわっているところが痛い。まぁ治りかけなのでだいぶ色も目立たなくなっている。結局この足先の部分をつかって歩く傾向があるのがサンダルで強化され中央部に負担がかかりすぎたというところだろうか。
 今日昼歩いてみてほとんど痛くなかったが、これでまた調子にのって長距離歩くとまた痛めてしまうおそれがあるのでニューデリー駅の高架でひきかえしてパハルガンジを大きく一周する程度にとどめた。

 よくわからんがV713から宿のwifiが見えなくなった。SH-08Eなどからは見えているのでないわけではない。明日SIMを買おう。


2016/01/07 木 ニューデリー

 最初に入った有機溶剤臭い部屋だが、おとといドアが開いていたので臭いでみるとなにかいいにおいになっていた。香水でもバラまいたのかとおもったが、その後日本人らしき人が入って全然別状なしでいる模様なので本当ににおいが消えたのかもしれない。

 夜おそくまで元気な客がいると朝でもwifiついたままなのがわかった。

 香具師については和田信義というアナキスト系の人が戦前にやってたりする。
 国立国会図書館デジタルコレクション - 香具師奥義書
 時系列で国会図書館の蔵書を検索してもかなり早期にあるのがわかるとおもう。
 国立国会図書館デジタルコレクション - 検索結果 香具師

 三冊ほどニューデリーの出版社で出てる本があるので足が痛くなくなったら探しにいくか。

 ロンプラによると日曜に本の市があるらしい。

 pdfもらったので早速読んでみた。
 こないだ読んだものとかなり重複するところがあった。やはりこれを下敷にしてふくらませてあれを書いたのか。銃の時代に騎士をどう対応させるかという問題にヨーロッパで考案された解決策の一つにピストルをもたせてグルグルまわって一騎づつ撃って弾幕とするのがあり、結局すぐスタれたのだが、これが一時対戦したオスマンで採用されてペルシャ、アフガンに伝わり、アハマドシャーのパーニーパットの戦いで活躍したという。またラクダ砲兵も活用されたがこれが効くのは重装騎兵の突撃に対してということで、なるほど当時のインドの戦争での決め手に対する切り札があるならメタメタに強かったのもわからんでもない。あとghulamの軍もあったという。これを奴隷とするのはなんか変だとおもうのだが、まぁそれはそれとしてキジルバシュはこれの一部を構成していたということで、第一次アフガン戦争のときにカブールに結構いたのも理解できるな。
 とおもってPanjabChiefのキジルバシュの人の項目をみたけどそういうことは書いてなかった。


2016/01/06 水 ニューデリー

 右足の水膨れが黄色くなっているところへ昨日よりも深く針を刺してみたところ、ちゃんと膿がでてきた。絞れるだけ絞り出してみたところ、水膨れの腹の痛みがなくなった。その後昼飯食いに行ってみたが全然痛くない。深部に膿ができて出口がなくなっていたから痛かったのか。

 いやー。ようやく読めた。Gommans の Mughal Warfare。クソ真面目に要約つくりながら読んだので時間かかった。実質10日くらいしかかかってないけど結局一ヶ月以上かかった。
 まぁしかし18世紀は範囲外で一応おまけ程度に書いてあるのでよくわからん。かなり火器が普及していたがムガルとしてはあくまで主力は騎兵で補助的につかってたとか書いてあってまぁなるほどとおもう。しかし俸給制度であるマンサブ制が好まれなくなり zamindar 指向になって帝国が崩壊し、zamindarレベルでは安価な歩兵化が進んだとか書いてあるがどうなんだ。そもそも18世紀以降のムガル帝国の崩壊を Zamindarisation の進行と書いてるんだが一般的な用語なのだろうか。なんか日本のインド関係だと zamindar は徴税を担っているだけの人で領主ではないのにイギリスが領主的にあつかって固定したのでまったくイギリスはけしからんみたいな文脈でしか出てこないんだがどうなんだ。
 あとこの本はヨーロッパの近世軍事史わかってないとわからんとこある。簡潔にまとめてはあるけど。調べといてよかった。
 ところでこの人1995年に "The Rise of Indo-Afghan Empire, c.1710-1780" というのを書いてるらしいのでかなり興味が一致している模様。英語で書いてあるんだろうか。
R.Joshi,The Afghan Nobillity and the Mughals(1526-1707) (Delhi,1985)
Gommans,'Indian warfare and Afghan innovation during the eighteenth century', Studies in History,11(1995)
Gommans,The Rise of the Indo-Afghan Empire(c.1710-1780),Brill,1994

 フスの教団の銃の箱車戦法がインドまで渡ったみたいなことは書いてないが、その車に載せる機動戦法がインドで独自の発達をして、アウラングゼーブの時代にヒトコブラクダに回転式軽砲 zamburak を載せる戦法が考案され、それが18世紀のアフガンのサファビー朝侵略やドゥッラニー朝の拡大時に盛んに利用されたとか書いてある。その zamburak の実物もどっかにあるはずだから探してみるか。

 ザンブーラキ - Wikipedia
 wikipediaにのってたwww

 National Museum 650Rsもとるのか。ぐぬぬ。


2016/01/05 火 ニューデリー

 昨日wifiでダウンロードするために中腰でパソコンつかっていたために右足の痛いところに負担がかかり、直りかけていたのがまた痛くなった。ぐぬぬ。
 膿がたまっているようにみえたので針を刺してみたがちょっと薄くて臭い汁がでただけで全然膿らしいものがでてこない。これは湿潤療法でいうところの浸出液だとさとり、痛いまま放置することにした。

 ところで昨日電池がのこり3%とか警告しているのを無視して使っていたが無事ファイルをダウンロードすることができた。電池残量残り3%残り1分とかでも全然落ちず30分以上使えるとはおもっていたが、気がつくと満充電のときの残使用時間が1時間を越えていたのでまたBattery-reportを出してみたところ、電池容量が4241mWhから8176mWhに増えていた。しかも満充電といっても、windowsの方で100%と出ていても充電ランプが充電中のままだったので、もっと増えるのではなかろうか。8月まで2万くらいあったのだから今の倍くらいにはもどってほしい。
 とおもったがどうもまた縮んでいるようだ。一瞬だけか。

 入手したロンプラインド16版だがepubファイルで検索しやすい反面見づらい。パハルガンジみたいに安宿が多数あるところは安宿が掲載されていない。ガイドブックによる集中の弊害が大きいせいか。

 目の前にあってよく使ってるチャイ屋が飯もやっているので今度食ってほしいみたいだったが、昼飯食いにいくときくらいしか運動しないのであんまりそこで食いたくない。


2016/01/04 月 ニューデリー

 この宿電気代ケチりだしてwifiのスイッチを頻繁に切るようになった。こっちは早起きなので早朝とかに使いたいのだがそういう時間に使えない。そもそも部屋から繋らない。有機溶媒臭い部屋はwifiの電波が届くのであの部屋が使えればよいのだが。向いのホテルのwifiがビンビンに届くのでこれが使えるとかなりいい。

 えー。サウジがシーア派の一指導者を処刑してイランのサウジ大使館襲撃とかちょっと。やばい。ISISどころじゃない。

 ちょっとSIMをあたってみたらSIM200+1ヶ月1G300Rsとかそんな感じだった。まぁ十分安い。


2016/01/03 日 ニューデリー

 あの有機溶剤臭いシングルにあとから入ったインドネシア人もひどい咳をしているのでやはりあの臭いは有害なんだろう。さてこの宿で無事20日間過ごせるのだろうか。ともかくも5夜は過ごせた。
 足の痛いのについては左足はほぼ直ったが右足はまだ痛む。まぁ調子にのって歩いたりするからだろう。しばらく禁足するか。

 天沼俊一の印度旅行記の前半分くらいを通読してみた。ラクナウのレジデンシーやデリーのカシミア門などについて

だから我國人にとつては先づ平壤の玄武門や北京公使館裏の北清事變のときの戰闘の跡をみる樣なもので、英人には甚だ愉快に違ひないであらう。
 と書いてある。さすが日清戦争を知る世代だけあってその比喩がおもしろい。原田重吉云々と書いてある箇所もあった。
 あと建築史の人だけあって、18世紀くらいの建物には辛辣だ。趣味悪いから仕方ない。
 そういうとこの人がペシャーワルの考古局で勧められた場所にジャウンプルが入っていた。

 今日は万事調子よく本が読めた。これからこの調子でねがいたい。

 靴が早速崩壊して靴底がめくれたので昼飯を食いに出たとき靴の修理屋にいくが、縫わなくていい、接着剤でやってくれ、みたいなことを言ってみると50Rsするという。そんなに高いことはあるまいと、メインバザールを歩いて道端の靴の修理屋を探すがなかなか見当らない。そのうちこないだでくわした窃盗団の片割れとおぼしき人間にぶつかった。浅黒く、趣味の悪い服装をしている。インドでもチンピラは趣味の悪い服装になるようだ。よい機会なのでインドネシア戦法を試してみたところ、ちょっと言葉につまったようだが、「いい国だね」みたいなことをいって立ち去った。インドネシア戦法使える。これから積極的に使っていきたい。
 それはともかく、靴の修理屋はあきらめて接着剤を探す方向に転換。ペンキや金属の部品など並べているシクの狭い店があったので靴底を見せつつグルーがないか聞いてみたら瞬間接着剤がでてきた。20Rs。すばらしい。しかもアロンアルファどころではなく20mlほどもある。ちなみにここでも何人かきかれたがこんなところで嘘ついてもしかたないのでジャパンと答えると、何事か他の客に言っていた。まぁいちいち自分で直すのが珍しかったのか。
 その瞬間接着剤の威力はなかなかすごいもので、片端からくっついていく。めくれたのを全部くっつけて、両方の靴底の隙間に流しこんでもまだ余る。まぁまた靴が崩壊したらこれで弥縫的に修理することとしよう。


2016/01/02 土 ニューデリー

 昨日の夜の一件は旅行の基本を守っておけば防げることだわな。一瞬でも部屋を離れるときは鍵をかける。金の魔力は人を狂わせるので気をつける。まぁスキを見せた方の負けか。
 ただしインドも物価が上がって100Rs程度なんかすぐ消えてしまう。チャイもデリーでは今や一杯10Rsが当然だ。そうして消えているのを人のせいにしている可能性もあるのだが、それにしてもそれほどつかってないとはおもう。まぁポケットにサイフいれてるのが間違いかもしれんが。
 日本円で考えたら微々たる額なのは確かだ。

 V713の電池容量が設計容量38406mWhから4241mWhまで落ちた。といっても8月くらいまでは20000mWh程度はのこっていたのだが、南相馬に行ってる間に週に2000mWh程度おちていき、11月には9000mWh程度になっていた。旅行に出る前に4241mWhまで落ちて今に至る。
 作業服にのこっていた放射線をあびて電池の内部が不可逆に破壊されたという可能性もあるが、8月には windows10 にしたのでその電池管理のせいで電池が過充電状態になったという可能性もある。まぁP-01Dなんかは現場に持っていっていたのに電池のヘタり具合は変わっていないからおそらくは windows10 のせいだろうな。東芝のドライバの対応が遅れたとか入れるのが遅れたとかそんなとこだろう。

 ノディがシクの本売ってるところというのを教えてくれた。最初は案内するつもりだったようだが、案の定ガイド料1000Rsをとるつもりだったようなので場所だけ教えてもらった。しかしこんな安宿でガイド料取ろうとするとか商売相手間違ってるよな。もっと高い宿に泊まってる連中なら余裕で払える額なのに。だから裁判関係で金に困っていた2010-11年前後に悪評を高めてしまったんだろう。

 それはともかく教えられたグルドワラ・バングラサヒーブに行ってきた。中をさがしたら本屋があったがあんまりいい本なかったのでやめてきた。


2016/01/01 金 ニューデリー

 パハルガンジの北側の跨線橋のある通りのバス停でバスの番号をメモしていたら、浅黒系のインド人が話しかけてきた。某所に行けばバスの路線図など手に入るとか言う。バス会社の事務所みたいな事言ってたが、話をつづけてみるとカジュラホとかブッダガヤとか言いだす。浅黒系インド人で英語話して日本人に話しかけてきてブッダガヤとか言うやつはかなりあやしい連中なので話半分に聞いて、それでも路線図とか手に入るなら便利だなとおもってしまい、とりあえずその言うところの最初の交差点まで歩いてみたが、そこで地図を確認するとその道順に従ってたどりつくところはコンノートプレースになる。アホらしくなってもどると、そいつが飯食うとか言ってた飯屋にいない。バス停のあたりにいくと、またちがう浅黒系が「何探してるんだ」とかいきなり話しかけてきた。うーむ。離れてあたりをみると最初話しかけてきてた奴がオート三輪タクシーの後ろにのってこっちをみている。これはやばいとパハルガンジの路地の中に入っていった。
 パハルガンジの北側は一大ホテル街ではあるがバックパッカーとかはあまりうろちょろしていないのでああいうのがまちうけているとはおもわなあった。旅行者が全体に減ってああいう窃盗団も探す範囲を広げているようになっているんだろうか。
 まぁしかし今回の旅行で今までなら狙われたりすることのなかったところで狙われるようになったのはタブレットなんかで地図を確認したりいろいろするようになったからかもしれない。風体が小汚くともそんなものを出しただけでターゲットにされるというだけのことか。
 まぁあれだな。これから通りすがりのインド人からどこの人かという質問をうけたらインドネシアと答える訓練をしとかんといかんな。

 ノディ(宿の息子。日本語使い)に The son of sardaar のことを聞いたら今は敵を客として迎えたりしない、むしろ家に導いて殺すとかいう物騒なことを聞いた。家だと正当防衛で片づけられるかららしい。だから外で殺しても家まで運んだりするそうだ。え? とおもったがパンジャブでは普通だとかなんとか。

 やばいわこの宿。シクの親子は全然関知してなさそうだが泥棒宿になりつつあるような気配がある。デリーに戻ってからこの方三回ほど財布の中身のでかい札が減っているような気がしていたのだが、気ではなくて隙をみて取られていただけかもしれない。一回目はNavrangにいたときで、その日はオールドデリーを歩いてた日だったので、凄腕のスリに高額紙幣だけ抜かれて戻されたのかとおもったが、まぁ使っていたのかもしれないとおもいなおし、とりあえず財布の中をすくなくすることに努めていたが、今日の夜シャワーから上がってきてAppyFizzを飲もうとするとあふれてきたのであわてて拭いたりしにいくと、その間に門番の奴が上がってきて階段の下の電気を灯けたりしていたが、トイレ兼シャワー室で手拭いをしぼったりしていた前と後でうちの部屋の階段の下の位置から動いていなかった。ハっとして部屋に上がって所持金を探すと、サイフの中の高額紙幣がない。ただし財布を軽くする努力が効いて、とられていたとしても100ルピー札一枚程度だとおもう。自分の錯誤かもしれないのでとりあえず前回なんか減ったとおもったときから計算すると180ほど計算があわない。昔とちがって一日毎にきっちり記録していないので正確な計算ができないのはたしかだがやはり微妙に計算が合わない。うーむ。なんかこのまま過ごすのも癪なので降りてみると、門番のやつが客のインド人と話していたがこっちに気付いてなんかうろたえている。二層目にあがっていったので一番上の部屋の階段まで上がると、二層目の西洋人の部屋の方からインド人の女がでてきて外にでていった。それをみとどけて門番のやつ降りていった。うーむむ。
 どーしてくれようか。といっても何も証拠はない。宿の息子のノディは別に家を構えているのでここには住んでいない。宿の女主人たる母親の方は部屋にいてあんまり出てこない。一応部屋から一層目の庭がみわたせるようにはなっているが、入口から二層目、うちの部屋へ連結する階段のあたりは死角になっている。スキだらけなのでそこにつけこまれているという気もするが..
 やはり清水さんが村へ行くのについていった方がよかったのか。まぁしかし金をはらったものはしかたない。あんまり出歩かず本でも読めということか。