2016/10-12
2016/12/31 土 東京

 昨日はすごくよく眠れた。

 誰もいない森田邸に到着。いきなり着てるものを脱いで洗濯するスタイル。

 うーむ。結局今日は openSUSE 入れてみながらひたすら寝てただけだった。

 杉林氏にもらったカレーのレトルトを消費するべく、森田邸のスパゲティを拝借してカレースパゲティにしようとしたが、カレーを温めてみるとなんというか高級カレーでそのまま食べてもいけそうな感じだったので拝借しなくてもよかったかとすこし後悔したがまぁうまいものはうまい。

 そういうと昨日神保町の銭湯に行ったらやたら狭くほそながい浴室の奥に浴槽があるタイプだったが、ホモらしき人間が浴槽に待ち構えていた。まぁ近づいてきたら避ければよいだけだが、前後して入ってきた奴もどうもホモだったようで、こいつは浴槽につかって、人が体を洗っているのを必死に見ていた。まぁあれだ、混浴露天に出現するいわゆる「ワニ」状態だ。まぁスーパー銭湯とかにはよくいるんだが、こんな狭いとこにいるのはなんかやな感じだ。ハッテン場とかいうやつなんだろうかここ。


2016/12/30 金 東京

 都内ならラジオ体操やってるだろうと今朝さがしてみたがやっていなかった。靖国神社まで行けばやってるか。
 農協関係の本をこないだ借りてたのを今朝図書館が開くまでマクドナルドでコーヒーすすりながら読んでたのだが、2015年の改革で全中から監査権限がなくなったのか。ふむ。


 図書館行ったが座るところなかったので適当に本を立ち読みして清水門みてきた。さらに武道館の横を通って田安門もみた。江戸城の遺構は結構保存されていてよい。ついでに靖国神社も見てきた。

 遊就館は閉まってた。


 近くに馬琴の家の跡があるというのでちょっと探していたがどうもその井戸跡には直接ちかづけなくなっているようで、こんな石しかなかった。まぁ武士だけに武家地に家があったということで。


2016/12/29 木 東京

 昨日は仕事おさめの納会ということで帰りに焼き肉食ってスナックらしきところでお茶すすってきた。ただメシ最高。帰りが遅かったのでとっとと寝た。ベッドもゴミ袋でダニの発生源らしいとなりのベッドの方向を封鎖してしまうと特に不自由もなく寝れるようになった。となりのベッドのうるさいやつも慣れたらどうということもなく、この程度の嫌がらせしかできないのかと哀れにおもうくらい。シェアハウスのすぐ近くにマルエツがあるのだが、22時以降に行くと弁当惣菜類が半額になるのだが、昨日行ったら半額以下の80円とかで売ってた。それを今朝食って満腹になってからマクドナルドに来てこれ書いた。

 森田夫婦が年末年始帰省するらしいということで森田邸が使えることになった。さて。

 18切符を処分するべく売買掲示板で募集したらすぐ応募があったので東京駅で渡してきた。ついでに常盤橋を見にいったらなんと東日本大震災の被害をなんとかするため掛替え中で完全になくなっていて敷地内に入れなかった。都内で現存最古の石橋(庭園内の橋を除く)だったらしい。
 そして秋葉原をひやかしたのだがthinkpad X220とかX230のタブレットがゴロゴロしていたのでこれは何物だと調べている。うーむ。液晶が微妙だな... 性能的にはV713と似たようなもので、Thinkpad的な拡張性はなかなかよいとこだが解像度が低い。

 しかし秋葉原でOFFICE2007が落ちてるのを期待したのになかった。

 森田邸使えるからといって行ったら北の方に行動半径が移ってしまうので大晦日までこっちでできることをしてから行くことにする。


2016/12/27 火 東京

 二日目もあまり進展もなく。ただしシェアハウスでよく寝れず常に眠たい状態なのでちょうどよい。初日はベッドがキシキシ言うのが気になったのだが、昨日はそれもクリアしてよく眠れるかとおもったところ、ふと目がさめると隣のベッドのやつが来て寝ていて布団や足をこっちのベッドに押しよせようとしている。隣のベッドの住人はたまにしか来ないという話なので気にしていなかったのだが、その布団はくさいうえにおそらくダニの巣になっている。そのせいか頭がやたらかゆかった。となりのやつが気になってよく寝れず。

 昨日ExcelVBAの逆引き辞典みたいなのを借りてきたので頭からゴリゴリ読むつもりだったがそういう調子で本を読もうとすると眠くなる状態なのであまり読めてない。図書館に行こうかとおもったが、そのすぐ近くにマクドナルドがあるので入ってみた。つかえるな。ここ。
 とにかく付け焼刃でも何でもいいからでっちあげてそれなりの成果物を収めねばならぬ。今はヘラヘラ笑っていれるが期限がせまるとやばいだろう。

 そういうと毎日大手町まで神保町をよこぎり小学館の横を通って一ツ橋を渡っていくのだが、この一ツ橋の北側は明治初年に東京大学とか東京外国語大学とかあったようだ。しかしそのころ国立大学は一つしかないから大学としかいわないということだったはずだが地図には東京大学とはっきり書いてある。とおもったのだが、Wikipediaの沿革をみていると明治19年の帝国大学令で帝国大学と改称したと書いてあった。こっちのことか。
 この皇居の北東の日本橋川にかかる橋は一ツ橋、神田橋、常盤橋とあるのだが、常盤橋だけは江戸時代からあまりかわらない場所にあるようだ。今度行ってみる。

 さて今晩は眠れるかどうか。


2016/12/26 月 東京

 初日は特に何もなく。帰りに千代田区立図書館に来た。何事もなくカードがつくれた。しかしこれだけ近いんだから一度帰ってスーツぬいでから来た方が楽だな。

 東京にグルドワラがあるのだが、次の集まりは1月1日らしい。そりゃ是非行かねば。


2016/12/25 日 京都 → 東京

 よしまず朝起きれた。(目覚ましのおかげ)

 結局、神保町近くのところにその安い値段で入れた。結構普通の人ばかりでまだおかしい人にはあっていない。問題はどうも海外の人も受けいれてるせいか南京虫が湧いてしまっているらしい。やばい。同室の台湾人に言われて一通り対策を施してみた。どうなるやら。

 ちょっと職場に近すぎるかもしれんが図書館で選んだという面もある。

 しかしこんなとこでもシェアハウスができるようになっているのはなかなか興味深い事だ。どう考えるべきか。商店街の住宅街化がここでも進行しているだけなのか、人口の縮小と生活スタイルの変化によって空家化があらゆるところで進行中なのか。

 18切符が2回余った。まぁ年末年始に家に帰ればちょうど使い切っていいのかもしれないが、もうきついので往復したくない。正月はここで寝て本読んでる。
 まぁ本も読みきれんほどあるけどな。メモリがいっぱいいっぱいになったので欧文論文を削除しようとしてちょっとみたら結局そのまま電車の中で読んでしまったのがある。終わらん。

 このシェアハウス実は安い値段で人をおびきだして、一日くらいで追いだして金を稼ぐというところかと疑っておりまだその可能性は排除できない。


2016/12/24 土 京都

 ゲストハウスに36000出すことを最低ライン(この文脈では最高額の意味)と考えたら随分探しやすくなった。
 tenten系ゲストハウス初月32000 なぜ最初の月が安いのか謎だが、バカみたいに安いところでも最初にけっこう取るので一ヶ月だけで考えると同じくらいになる。

 いかん。宿さがしばかりしてたら午後になった。

 コート回収してから図書館に来た。しかしこれでもこんだけ暑いとなるといらんかもな。もともと野宿対応で持ってきたもんだし...

 結局図書館でも半分くらい物件さがしをしていたが、入谷周辺の15000の物件をみつけた。たぶん正月特価。で、しかもそのシェアハウス専門不動産屋が持ってる物件の中に神保町近くの物件もみつけた。そこでもゲストハウス並の値段なのでできればここがいいのだがもう夜も夜なのでとりあえず明日移動中に交渉しよう。よくよく考えてみれば今日はクリスマスイブとかいうやつだし土曜日だ。夜まで仕事してるやつの方が珍しいよな。たまたまそんな日に物件さがしをしてしまう方もしてしまう方だが、それでもそれなりの物件がみつかったからいいや。
 神保町近くだと国会図書館も確実に徒歩圏に入るし夜10時までやってる千代田区立図書館も近いしいいんよな。安いスーパーがなさそうだが。古本街で立ち読みするのにも便利だ。


2016/12/23 金 (東京)→京都

 そういうわけで東京まで往復してきた。 昨日朝一で出発し15時すぎなんとか到着。その後話を聞いて飯食って19時前に電車にのる。雨のなかなんとか最終で豊橋までたどり着くと、火災で新幹線が遅れたおかげで岡崎行きの臨時便があり、岡崎始発に乗れたのですこし早い目に帰ってこれたのだが、岡崎のように何もないところで駅で寝ることになったせいで、通りがかりの酔客かなんかにコンビニうどんっぽいものをかけられる。投げつけたような形なのでしぶきを浴びただけだが、豚骨スープなのでコートがくさい。コートをクリーニングに出さねばならぬ。まぁもらいもんだしそのまま捨ててもいいが。
 仕事の方だが、なんというかゆるゆるの仕事だがそもそもエクセルVBAで何かをつくったこともないのにお金に目がくらんで手を出してしまったのは失敗だったかもしれない。仕事的にもいつまでも決まらなくて最後に一気に仕上げるという形になりそう。内容的には大したことないのだが、なにせエクセルVBAでどうすればいいかまだわかっていないのでラストスパートでなんとかできるところまで持っていけるのかどうか。

 あと、目の鍛錬で積んだ功夫もこの無理矢理な往復で消えてしまった感じだ。そして仕事なので片目を遮蔽してどうこうというような中途半端なことはしてられない。それにそもそも東京に拠点にできるところが今はない。過去に泊めてもらったことがあって、今でも独身でいそうな寮生がいることはいるがちょっと遠い。遠いのは読書にはいいのだが、当然ながらお堅い所での仕事なので支払いが遅く、交通費はしばらく持ち出しになるので結構な額になるのがつらい。年末年始を挟んでいるので休みが多く、作業日数もかせげない。こう挙げていくとなんで受けたのかという気しかしないがお金の力というのは偉大だと言うしかないな。東京に住んでたらほとんど問題ないのだが。

 ねむい。帰ってくるならあわてて食材を片づけることもなく本をわざわざ返すこともなかった。何も考えていない。

 つーことで Oradano 明朝の人の報告を聞いてきた。簡単に言うとJIS規格に至るまでの日本の活字史をざっとさらえて知られてなかったことの提示や新解釈ということで、まぁほとんど知らなかったことばかりで質問すらできなかったが英米の活字会社の活字の大きさが規格化されるの自体がわりと遅いことだったらしく、しかもたとえばアメリカのポイント制が決まっても昔のままの活字を出していたりしたらしい。ということで新説がでてくるのだがなんかそういう業界の雑誌とかで発表してないらしいので詳しいことは書かない方がいいんだろう。
 明治のころに小さい本で左の画像のような細い線の文字があり、やけに現代的だったのが気になっていたので、そういう本があるが何なんでしょうみたいな質問をあとでしてみたら、そういう豆本は活字ではなくエッチングしてあるのもあるという話だった。なるほど。

 しかし Oradano 明朝に漢字を提出しようと思ってもどれが築地印刷所の活字なのかわからんのだから無理だな。

 もう今日は日が暮れたらとっとと帰って寝ようかとおもっていたが、明日は土曜で図書館開くのも朝10時からだし、その朝の時間がもったいないということで、VBAの本を3冊借りてきた。しかも帰りにライフのフードコートで一冊だいたい読破してしまった。VBAで何がわからんのかというのを車の運転で比喩すると、どこにハンドルがあってどこにアクセルブレーキがあるのかよくわからん状態だったが、ハンドルはここブレーキはここと懇切丁寧に書いてあったのでだいたい様子がわかった。古い本だがなにぶん持ってるエクセルが古いし、概要さえわかれば細かいところはどうでもいいのでちょうどよい。おそらくエクセル2007以降は大差ないだろう。

 なんか仕事もそれなりにこなせそうな見通しがたったので、とりあえず明後日までに42歳のおっさんを飛び込み短期で受けいれてくれる月二万以下のシェアハウス・ゲストハウス探すぞ。まぁダメもとだ。
 一ヶ月36000円程度の長期滞在前提のバックパッカーとか相手のゲストハウスが何箇所かあるがあやしいルームシェアよりはまともでいいかもしれん。
 どうせ遅くて連絡できないのでリンクを貼っておく。
TenTenゲストハウスin東京 (一覧できるが情報古そう)
ゲストハウス東京(神楽坂 / 中野)
日暮里バックパッカーズゲストハウス
ゲストハウス エスプラナード


2016/12/22 木 京都→東京→(京都)

 遅刻しないようにとおもうとどうも眠れず夜中に眼がさめたのでそのままおきた。


2016/12/21 水 京都 ←→ 山奥

 毎朝同じラインなのを確認する視力検査。うーむ。やはり視力の可塑性なくなっているのか。とはいいつつも効果はすぐ出ないというのが視力関係では普通のようなので数ヶ月はやりつづけねばならぬ。

 どうも左目を遮蔽しつづけると左目の視力が落ちてくるし右目も慣れてしまってなんともおもわなくなるので頻繁に眼帯を交代することにした。今まで放置して使わなくなりつつあった右目にスイッチをいれるという第一段階はクリアしたということだ。

 図書館に行くことを考えれば、昼をミューズリーにした方がよさそうだな。

 あ。全てをひっくりかえす決定が。来年とかいう話だったのだが急に仕事の顔合わせということでとりあえず明日お金に釣られて東京に行く。

 ということでスーツを取りに田舎に帰ってきたが、食材を処分しないといけないので、今日中に東京に行くというのは無理がありすぎる。それに23日の明治大正文化研究会にも行ってみたいので18切符をフル活用することにする。雨ごときでカシミールの発表を聞きにいかなかった人間ができるのかどうか疑問なとこだがつらかったらやめればいいだけのことだ。
 ムーンライトながらって23日からか。ぐぬぬ。明日は雨か。うむむ。
 よくよく調べてみると早朝出発するプランでも一本二本遅れたところでダイヤ的に余裕があることがわかった。しかも京都駅始発に山陰線の始発がギリギリ接続するので京都駅まで無理して行かなくてもいい。なら行けるか。焦らなくともよかった。立命の図書館行ってればよかったか。

 山奥からの戻り眼鏡をかけてきたがものすごくくっきり見えた。立体感もさることながら、両眼の入力というものは足されるものらしく、色が倍になり輪郭がはっきりみえる。うーむ。効果のほども知れない眼帯にたよるよりはメガネにしたほうがいいんだろうか。

 ということで18切符も無事入手したので明日早起きの準備して寝る

 うーむでも寝る前にある程度のことがわかるまで予習してから行くか。


2016/12/20 火 京都

 今朝の右目視力は前とおなじラインだった。昨日は睡眠不足だったということか。

 つい昔とおなじ調子で人の日記とか読んで、かなりどうでもいい日常的な些事について思ったことを適当に書いたりしてしまうがそういうことはもうやめることにする。twitterとおなじで自分の趣味自分の興味に特化したほうがよいんだろう。
 とはいってもやめるとかやるとか書いてることは喫煙者の禁煙宣言みたいなもので実行できてないことも多い。7月頃 Ankiroid とかいうので英単語を詰めこんでいたが、仙台行きでやめると再開しなかった。あれも作業を増やしすぎて手においきれなくなった面はある。
 それもあって逆に日記に書くとやらなくなるのではないかと恐れて書かなかったが、結局今で二ヶ月続いているのが5分程度のスケッチだ。自然を取りこむという趣旨でつまり天然自然の結果になるものを狙っていて、たとえば人工物であっても経年劣化したものや、自然地形にそって作られたものなどは天然自然の結果を反映しているのでそんなものもOKというつもりだったが、結果的に主に葉っぱばかり書いている。ただ百均で売ってたA5のリングノートで書いてるがこれだとポケットに入りづらいので愛宕山とかに行ってもできない。とはいってもB6のそういうのがそのとき見当らなかったのでしかたない。まぁこれが習い性になるなら外国行ったときにもなんか適当に書けるだろう。気合いれすぎてハードルを上げすぎるとやらなくなる。そういえば旅行に筆ペンとか持っていってたが内陸気候だと乾燥していて穂先がすぐ乾くので筆ペンに頼っていてはダメだということがわかっただけだった。

 史籍集覧本とあったので底本の選定をまちがえたかと焦って確認したが大丈夫だった。なぜか漏れたようだ。

 結局修正とかでもう一日かかった。うーむ。しかもmobiファイルが300Mもある。まぁ1000ページあるもんな。マクドナルドでコーヒーでものみながら悠長にアップロードするか。

 うーむ。御所西南のマクドまで来たけどやっぱり最近流量を絞られてるな。Kyoto-wifi はすぐ切られるので mobilepoint にしてるけどやっぱり遅い。

 ネットで落とした簡易視力表のPDFでちゃんと右目の視力測ってみたら普通に1.0以下だった。1.0以下は歩いて歩み寄ってその比で適当に決めるのだが、0.05くらいか。うーむ。最初に測っといたらよかった。左も遮蔽しすぎて視力若干落ちてきたのでどうかとおもったがこっちはよくみれば1.5も見れてた。しかし放置すると右目のようになるんだろうな。おそらく目の本来の性能としてはあんまりよくない方、つまり歪みやすい眼窩をしていて、毎日見ることによってそこそこ見えるように調整しているんではなかろうか。遮蔽法をつづけることで結果がでなければ右目が悪いまま左目も悪くなるという最悪の展開になるかもしれぬ。

 む。立命館明治大正文化研究会なんてのがあってそこで Oradano 明朝の人が研究報告するらしい。ほとんど毎日行ってるとこだしおもしろそうだから行ってみよう。


2016/12/19 月 京都

 右目視力、今朝は停滞どころか退化していた。うーむ。

 最近昼頃に立命に行っていたが今日はそれなりの時間についたぞ。しかし昼頃に立命の図書館に行くメリットは昼飯の心配をしなくていいことだが、この時間に来ると昼飯を食わねばならないことになる。

 隣りにインド系の留学生とおぼしき人間が座ったのだが、慣れてるとはいうものの、体臭がきつくて日本の図書館ではつらい。靴下ぬいでるせいで自分が発生源とおもわれるのもいやで窓際から移動してしまった。

 この本の目次入力一日で終わりそうにないな..
 一応終わった。ほっ

 うーむ。なぜ今になって今古実録に入っていることに気付いたのか。
 みたけどたいしたことなかった。なんだ。この程度のシリーズもあったのか。可能性としては改撰本が元かなこれ。

 やはりはっきりベースで視力を測ると一日の中でも変動が大きいようだ。一日酷使して帰ってきたらなぜか成績よい。朝一がいちばん悪いかも。
 夜の町がきれいに見えると書いたりしてるけどこれは単に光の乱反射成分が減って風景の濁りがなくなった程度の事であって確かに状態はよくなってはいるが視力的に大きく改善したわけではない。

 今ちょっと2012年ごろの自分の満洲旅行の日記をみていたが、同一人物が書いてるとおもえないくらいいろんなことを知ってる。なんで忘れてしまっているだろうか。まぁその後発掘とかインド西北部とかいろいろ全然関係ないことをやってるので新しい知識で上書きされているという面もあるんだろう。除染で高い放射線を浴びたせいで記憶が飛んだとかおもわないことにする。


2016/12/18 日 京都

 右目視力の測定方法変えてから朝一のラインはほぼおなじなので実はそのあたりが物理的限界なんだろうか。

 今は水で洗眼しない方がいいらしい。ほこりとか薬品とかなにか目に入ったというのでないかぎり、洗う事によるデメリットの方が大きいとか。
 涙を出した方がよいらしい。

 うーむ。金曜に借りた本を読んだら16時になった。ソ連に抑留されたまま残留してソ連籍になった人でソ連崩壊後に書いてるのだが、強制労働のころまでがおもしろく、あとは一共産主義者の回想という感じであまりおもしろいものでもなかった。ただしソ連侵攻のころの下りはあまりおぼえてないと書いてあってそのあたり正直なのか意図的なのかはわからないが、まぁ若い頃のことなんて正確におぼえてる方が珍しいのかもしれぬ。

 うーむ? twitterで見てる古い本関係の人が立命に集結するらしい。何かイベントでもあるのか? twitterで大量にツイートする人が数人まざっただけでもう追いきれんようになる細い回線。

 ジョーシンに行ったら XPeria z1f が1万数千円になってた。なんでこんなに早く値段が落ちたのかとおもったのだがたぶんSIM形状のせいだろうな。そろそろ買うか? まぁ来年でもいいか。
 z1f だとFOMA運用できるらしいな.... お?

 古本夜話520 蘆田伊人と『大日本地誌大系』 - 出版・読書メモランダム


2016/12/17 土 京都

 アンパンマン無限ループに耐えかねたお母さんがインド映画を流したら2歳児が大興奮してしまった - Togetterまとめ

 工場に行こうかとすこしおもっていたが、もっとわりのいい仕事が落ちてくるかもしれないのでやめておこう。
 あーでもあんまりあてにならんなぁ。

 右目の測定方式を変えたとたん視力回復の伸びがなくなった。今までの回復が幻想だったのか。はっきりくっきりではなく分解能だけで測定していた前の方がよかったのかもしれない。前の方式でも記録しとくか。どうせ紙に線をひくだけだ。
 とおもったが今測りなおしてみたら伸びてた。今朝はなんか目が濁ってたのか?

 Chrome OS とかいうのがあったがそれを Android と統合させ Android アプリがOS上でつかえるように Google は目論んでいるらしい。そうするとたしかに便利だな。

 コーナンでたび靴を買った。780円。これで冬も大丈夫だ。


2016/12/16 金 京都

 右目の見え方はボケているといっても何重かにボケており、その中に比較的よく見えてる像が何個かあるのでそれに注目すればよりよくなっているように見える。毎朝どこまで見えるかの線を引いているが、最初にかろうじてボケないところで線を引いたので、その境目がどこかわかりづらくなってきた。まぁそれでもその遠めのところで測りつづけて今朝でようやく最初の距離の1.5倍弱といったところ。

 近藤瓶城って史籍集覧の他に普通の軍記物も出版してたのか。奥付みて気付いた。

 携帯の電池が切れてた。いつから充電してないのかおぼえてない。
 →ん?13日に着信があった模様。非通知だからわからん。知らん。

 g07 というスマホはLTEと3Gの同時待受けができるらしい。docomoの制限でできないのだとおもってた。
 ニュース - (2/3)新gooのスマホ「g07」、LTEと3Gの同時待ち受けで「業界最安」:ITpro
 しかもその同時待ち受けのDSDSに対応してる機械は他に

  1. Moto G4 Plus (Motorola)
  2. ZenFone3 (ASUS)
  3. FREETEL RAIJIN (FREETEL)
 があるらしい。

 カケホーダイライトプラン(ケータイ)なんてのができてたのか。Xi契約に戻してSH-08Eを電話端末にするかな。
 今どういうからくりで携帯端末でデータ通信させてないのか忘れていたが、FOMA契約なのにXi契約のときのspモードのまま放置していたからデータ通信できないという裏技みたいな形で実現していたのだった。
 いろいろ調べると別にお得でもない。

 しかし今日は寒かった。自転車のサドルが凍ってた。
 愛宕山も雪が積ってるらしい。さすがに雪の山の中へサンダルで行くのは無謀なのでもう山登りも中止か。

 視力測定方法をもうすこしマシなものに買えた。箱の商品説明をみてそれがくっきり見えるところに線を引く方式。


2016/12/15 木 京都

 昨日の夜は流石に寒く、そろそろ靴でもはかないといけないかとおもったが、愛宕神社は雪らしい。うかつに山奥に帰れん。

 北方領土をロシアが返すわけないだろ。

 寒い方が好きではあるが最近は本格的に寒くなってきているのに前と変わらない薄着なので行動開始が遅れどんどん夜更しになっているというだけか。

 BatteryReport を出してみたところ、容量は11月ごろが最低だったが今はその倍くらいになっているらしい。とはいっても最初からくらべると1割以下なのでどうしようもないのは同じだが。

 今日の帰りは夜道がわりと綺麗にみえた。といってもあいかわらずボヤけているのだが、多重に見えてるその重なりがすこし減った感じがある。

 今ごろ知ったが、シャープの7インチIGZO液晶が市中に流れているらしく、秋月通商なんかでそれと接続モジュールをセットで売っているらしい。それとくみあわせていろいろしている人がいるらしい。全然知らんかった。まぁ買っても使いみちないけどな。wacomタブレットと組みあわせてお手軽液晶タブレットにしてる人もみつけた。液タブにするには狭いけど小さい板タブに組み合わせるのはアイデアか。すごいな。
 そもそもMonotaroでシャープが売ってる。16900円らしい。


2016/12/14 水 京都

 うーむ。どんどん夜更かしになってくるな。それはともかく今日は明治35年ころの鉄道について調べまくっていた。鉄道国有法というのが明治39年にできるのだがその前なので私鉄がはびこっていた時代だ。そのころの外人向けの時刻表をみつけたので出すべくとりあえず駅名の比定にやっきになっていた。日本中でブームが湧くほどなのでそれなりに儲けがでていたとおもうのだが、本数は以外とすくなく一日に数本だったりする。インドの田舎の路線みたいなもんか。それだと輸送力は限られるので貨物列車としての利用の方が重要だったんだろうか。
 電車もかなり早い時期にできるのだが大正になってから発電の方の整備がすすんでようやく普及するらしい。本の印刷のきれいさも大正初期と後期で雲泥の差があるのだが、やっぱりそこは電気の力なんだろうか。
 とりあえず出せたのでよしとする。まぁ昨日の夜に着手するからよけい生活時間がおかしくなってくるわけで。

 鉄道の歴史については国交省に日本鉄道史というPDFがなぜか置いてあって、それが法律の方からの整備については詳しく書いてあった。まぁしかしこのPDFは戦後に重点があって、明治のころのことは官僚が適当に本をまとめた感じになっている。NDLに鉄道発達史というのがあったが画像が壊れていたのでなんでこうなってるのか昨日の夜メール出してみたがまだ調べがつかないらしく返事がない。中途半端な返事を出したらはてなの日記の方でわけのわからん因縁をつける恐しいクレーマーなのでちゃんと調べてから返事でも出すんだろう。

 目は脳の一部ということで右目をつかうようになってからなんか影響が出ているような感じがある。悪くない。今日などは人目も気にせずほとんど眼帯して暮した。そのせいか右目に風邪の引きかけのときのような違和感がある。とにかくなんでもいいから劇的によくなってほしいと虫のいいことを書いておく。


2016/12/13 火 京都

 昨日はV713を放電させたまま愛宕山に登って帰って飯食って極力寝るか目の鍛錬するかしていたのだがやっぱり24時間放電したくらいでは電池は復活しないようだ。

 今日は雨ということで部屋にいたが、雨なら人もあんまりこないだろうと外大前のマクドナルドに行った。それほどいなかった。
 それはともかくV713の電池がなくなってきたので最近のペンPCがどんなんか探していたら huion とかいうのがあったがどうも微妙らしい。んで surface pro 4 の値段設定がwacomのcc2とかmobilestudioproとかと似たようなものだというとこまではわかって、高いからV713使うのがよいなとそれは放置して後は作業していたが、セルシスの宣伝メールでコミケで最近のそういうタブレットを展示するらしい。まぁ金もないし用もないからわざわざ東京まで行ったりしないが、どういうのが今出てるのかわかった。

 PCをその使った年で割ると年四万という数字はCF-W5を24万で買って6年くらいつかってからV713を買ったからだが、そのV713も年四万でいくとそろそろ満額になるわけで新しいのを買ってもよいかもしれないがそこまで金をつかえないな。たぶんこれでもメモリが8Gあればもっと快適に使えるはずで新しいのを買ったとしても安いのしか買えないから結局4Gのに当たり、そのうちまた新しいのを買わされるハメになるのであれば買わなくてもいいかもとおもいつつ、最近の高解像度化は魅力的にみえる。
 一応全部見たがドスパラの出そうとしてるデジノスに安いメモリ8Gモデルあるな.... なんなんだこれ。もちろんメモリだけで言えばレッツノートの中古買ってきてメモリ増設したらはるかに安い値段でメモリ16Gとかふざけたことができるが画像をあれこれいじるにはちょっと向いてない。
 CPUは貧弱でペンもNtrigの256段階のやつだがメモリ8Gのものがこの値段で買えるのか。貧弱といっても Skylake 世代で、V713は Haswell の前のやつだからたぶん性能的には勝ってるんだろうな。うむむ。しかしNtrigか。

 うーむ最近夜更しになっている。よくない。もう2時だ。それはそうと今日はwindows10の使い方で知るところがあった。まずタスクバーに年月が出ないのが気にくわず(Linuxのfluxboxなら年号まで出せてたから)いろいろと調べた結果、タスクバーを太くすれば出ることがわかった。普段からただでさえ横長の縦の狭い画面を強いられているのになにが悲しくてそんなことをしなければならないのか、とそのときおもったのだが、同時に縦が狭いなら画面の右側に移動すればいいと気付いてそのようにした。
 そうしてつかっているとタスクが増えたときに二列になるのでアイコンを減らすべく吟味していたところ、Windows Ink の存在に気付いた。今まで全く使っていなかったが、付箋をためしにつかったところ、非常にいい。今まで紙にちょっと書いていたような本当にどうでもいいメモ(たとえばPDFの何ページにこういう汚れがあるというメモ)が付箋で済むようになった。ペンでも書けるしタイプもできるがどっちかになる。断然ペン派。うむむ。しかしペンは消せない。
 ならペイントでも立ちあげておけばよいのかとおもって立ててみたがなぜか筆圧感知しないのでちょっとおもしろくない。付箋でいいや。


2016/12/12 月 京都

 うーむ。出来た。朝の四時だ。寝て起きて区役所でアップロードしたらちょうどいいだろ。寝る。それが済んだら愛宕山に登りにいく。天気が悪かったらやめる。せっかく目の訓練してもこんな風に酷使したらおわりだな。とはいいつつも、遮蔽しながらやるとあんまり疲れなかった。ひょっとしてこの30年弱不同視を放置して無駄に疲れてたのだろうか。

 朝の4時まで目を酷使してたので今朝はさすがに視力の方も後退してるだろうとおもったところ、なんと昨日の朝とおなじようにやはりどこが区切りかよくわからんくらいの見え方をしていてとりあえず後退はしていない。閾値を越えるほどの酷使ではなかったようだ。

 アップロードしにきたがようやく Debian unstable の gtk3 のバグが直ったようでつかえるようになった。


2016/12/11 日 京都

 今日の右目だが、いつかは回復ののびが悪くなる時がくると思っているもののまだ来ないようで、今日は机の上に貼った紙の切れ目がよくみえた。しかしそこまで見えてることにすると今までよりも視力の回復具合が多いことになる。ちょっと基準があやふやになってきた。いつも基準につかっていたボールペンの芯をにらんでそのモヤモヤがよくみえなくなるところに設定すると似たような伸びになった。

 今日も愛宕山行かずに立命の図書館に来た。今日中に出せるかな。

 図書館が17時で閉まったので帰ってきて飯食ったがダラダラしてしまう。うーむ。マクドナルドで作業続行しておけばよかった。いやしかし金閣寺のマクドナルドで自分の席だけ空調から冷たい風を浴びせられながらパソコンをいじるなんて苦行はもういやだ。


2016/12/10 土 京都

 確実に日一日と右目がよくなっている実感がある。遮蔽法すごい。費用は百均の眼帯100円。今週前半やる気がなかったのは右目で見ることに脳が対応中で他の処理に脳がまわらなかっただけかも。
 普通に目の悪い人が応用するのは簡単で、眼鏡をはずして生活すればよい。しかしそうなると仕事がなりたたなくなるのでそんなことはできないのだが、自分も同じ理屈で不同視を放置していたわけで、自由業(ほぼ無職)のよいところではある。

 工場派遣を探してたときの派遣屋から冬の間だけの工場夜勤の案内メールが来た。明石あたりから淡路島まで通勤という形らしい。時給1400円。うーむ。しかし2030-0530と完全な夜勤なので観光とかちっともできなさそうだ。しかし短期限定なのはよい。仕事の内容はリチウムイオン電池パックの製造か。うーむ。
淡路市の工場求人 | 工場ワークス
 これでみるとどうもパナっぽいな。完全夜勤は面倒だがうーむ。

 まぁあーだこーだ言って結局行かないのがオチでは。

 今日は珍しくグミを買ってムシャムシャなめながら作業してたら珍しくちゃんと指摘された。こんな図書館でもちゃんとしてる人もいるんだな。とおもったが、あとでトイレいくときに見てみると机に日中関係の本をズラーっとならべて書斎みたいにしてるやつだった。しかし辞書とか資料ならわかるんだが研究書というかそれ以下の本を並べてるのでなにやってるのかよくわからん。

 またXがおかしくなった。unstableで使う理由ないのでstableにバージョン下げる。

 立命の図書館の自動書庫の使い方ようやく知った。本当に自動なんだな。便利だ。本の受取もいちいち顔をあわせることもなく、それ用の棚に置かれ、返却も専用の棚がある。まぁもっとも自動なのは出庫指示だけかもしれないが。返す棚も遠いとこに置いてあるので紛失のもとだろうな。


2016/12/09 金 京都

 せっかく右目の鍛錬しているのでなにか目安でもあった方がいいかと机に紙を貼って、毎朝起きてすぐどこまではっきり見えるのかを記録してみたところ、今日でようやく30cmくらいだった。7→8と8→9で1cmくらいづつはよくなっているらしい。とはいってもパソコンの画面からの距離でいうと20cmくらいでボケだして、30cmくらいから読みづらくなるからかなりあやしい数値ではある。とはいえパソコンからの画面は1cm程度の差は誤差の範囲なので正確には記録しづらいのでこの方法でいくしかないだろう。一日1cmづつよくなるならあと一ヶ月つづければ実用範囲になるということか。
 実感としてはかなりよくなってきている感じがあるのだがなにせ何重にも乱視になっているのだからたとえば30重が28重になったとしても視力的には大差ないとおもわれる。やはりあるときパっとよくなることに期待したい。

 乱視はどこにも焦点が合わないとか書いてあるな。その一方で近視に乱視がまじるとかなんとか書いてあったりするからどうもおかしい。

 また。アップロードしようとしたらスマホが落ちた。


2016/12/08 木 京都

 右目だがやはり若干濁ってきているようで左目と比較するとなんか白みがかってみえる。白内障の前触れだな。

 今日は結局図書館に行かず、ダウンロードのために四条のマクドナルドに来た。まぁそのうち田舎の光が開通するらしいからそうなったら山奥に戻ることになるな。なにせ常時太い回線があるとないとでは大違いだ。その場合運動をどうするかだが、うちの親もだいぶヨボヨボになってきたのでちょっとサンダルで山に登るくらいで文句言えなくなるだろう。問題は飯をしつこく食わされることだがまぁいやになったらまた山奥から出ればいいからどうでもいい。

 右目だけで自転車に乗るのに慣れてしまった。視力回復は持久戦の構えが必要なようで、劇的にはよくならないのでおもしろくない。とにかく姿勢のよい状態でパソコンの画面が見える状態までは持って行きたいのだが。今のままだと左目が右目にひっぱられて悪くなるだけだ。
 しかし不同視の治療法の中にはよい方の目に点眼して視力を落としてバランスをとるというものもあるらしい。一時的に視力がわるくなるのはやむなしか。そもそも右目が今よりよくなる可能性があるのかどうかわからない。もう40越えて老眼が気になるような年齢だからまったくない可能性が高い。片方づつで遠近分担すればいいとか思ってた10代がバカだった。

 国会図書館デジコレのダウンロードスクリプトの調子がわるい。間隔が長い。なんだろうか。

 priori3 も液晶割れてるし、Zperia の z1f も大量に中古市場に流れてて一万ちょいで買えるようになってるし、ということでちょっとSIMロック解除について調べたら SH-08E も N-08D も今やドコモで金払えばできるようになってるらしい。うーむ。しかしこれはテザリングの問題があるか。やはりドコモ系MVNOSIMだとAPNで詰まるらしい。海外では使える。うーむむ。

 今日の帰りもいい方の目(つまり左目)を遮蔽して自転車で帰ったのだが、比較的よく見えてる瞬間があったりするので劇的によくなる可能性はあるとおもっている。たぶん乱視成分がミソだとおもうな。左目は遮蔽しているので徐々に悪くなっているようだが、これも乱視ぎみに悪くなっているからつかわないでいると乱視気味になるものなのかもしれん。右目の公式な視力は0.1以下なのだが、乱視成分をのぞけば0.8くらいなんじゃないかと睨んでいる。


2016/12/07 水 京都

 Genthe Collection (LoC)

 除染の戦友が今は岡山の山の中の工場にかわったらしいが女性がおおい現場らしい。いいな。いこうかな。
 しかし仕事するなら半導体製造装置の方が海外行きまくりで趣味も兼ねててよさそうではある。うーむ。

 Kyoto-wifi がちょっとダウンロードするだけで接続を切ってくるようになった。うーむ。もう無理か。

 カレーのルーが余っていたので具無しカレーをつくってみたら非常にうまかったのでまたつくった。このルーはちょっと香料くさいので次はもっとマイルドなカレーで試してみたい。

 世俗は昔からある熟語


2016/12/06 火 京都

 早朝に目がさめて寝れないので起きて朝飯くってる。

 家から持ってきた上着だが、洗濯はしたものの一抹のカビくささがのこる。インドで買った韓国製の分厚いのをもってきてもよかったかもしれんがあれも相当カビてるんよな。あれならふとんの代わりにもなるので旅行には向いている。
 とはいえまだそんなに使ってない。昨日は暖かったので結局使わなかった。

 中国もついにビザ申請センターができたらしい。旅行か。金がないからなぁ。やっぱり半導体製造機の仕事で海外をとびまわるしかないのか。

 なんかやる気がないので愛宕山に登ってきた。まぁすこし汗かいた程度か。行き表参道。帰り大杉谷。大杉谷は歩きやすいし人もいないので帰りによい。あと山の腹を歩くので風が強い時にもいい。ということで午前中潰れた。

 今17.3インチのノートパソコンてあんのな。


2016/12/05 月 京都

 午前中年金の免除の手続に行ったが雇用保険がどうのこうのという証明書が必要ということで職安にも行った。うーむ。今になって日記を検索したらちゃんと除染の分申告してたな。しわすれたかとおもっていた。

 KC2にCtrl+Nで新規作成とかいうショートカットがあるらしく、うっかりおしてしまうとその前に保存はさせてくれるのだが、目次の項目は一度出力してからでないと保存できないクソ仕様で、そのクソ仕様にはまって二時間くらいの成果をパーにした。

 うーむ。結局復刻本をぼこぼこ作ってるなぁ。

 左目を遮蔽して自転車に乗ることをおぼえた。右目を活用しようと体が動いている感じがある。でも劇的にはよくならないんだよな。とはいえいままでこれを何回かやろうとして結局仕事とかのからみでできなかったのだが今ならできる。


2016/12/04 日 京都

 BashOnWindows の mupdf のバージョンをあげるために適当な deb を拾ってきたらうっかり Debian の sid のものを拾ってしまったが、要求されるライブラリを適当に入れたら動いた。Ubuntu と Debian でこういうところに差があるとは知らんかった。

撃沈艦船、あった場所にない!…金属盗む目的か : 読売新聞
 えぇぇ

 そういうと今朝は布団の間から入ってきそうな細い蜂をフーフー吹いて飛ばそうとしてるんだが何回も来て終わらないという夢をみた。なんでこんなスケールの小さい夢ばかり見るのか。もっとおもしろい夢はないのか。

 右目のトレーニングのつもりで八の字を目の前で書いてみたら、左目の鼻の影になっているところから急に追いづらくなったので、これが右目の退嬰の証拠かとおもったが、左目でやってもそうだった。片方の視野の鼻の影になるところから急に追いづらくなる。まぁ構造的に追えないだけかもしれないが。
 右目鍛えてもたいして回復しないかもなぁ。まぁ放置するとどんどん左目に機能が集約されていき右目は細胞死に向かって白内障になりそうな気がするからそれよりはましか。背筋をのばしてパソコンの画面がみれる程度になればいいのだが。そこまで見えたらたいていのものは見えるはずなので高望みしすぎか。

 京都の食べ放題というとまず死ぬほど安いMKバイキングがあるしもうすこしよいところではイオンモールの中に全国画一にあるバイキングがある。平日行けば安い。まあ金も家族もない浮浪者としてはそれで十分で。といいつつ入ったことがない。

 次のWindows10の大型アップデートは Creators update という名前なのか。Bash on Windows のせいでアップデートが気になって気になってしかたない。はやく安定してつかえるようになってほしい。具体的にはディレクトリの mv で固まるのやめてほしい。先行して試せる Insider Program つーのがあるがあれはネット環境のよい人でないとつかえない。

 あー。レッツノートの新品を躊躇なく買えるくらいの収入にならんかな。

 アウラングゼーブの時代でもティムールのヤサがイスラム法に優越していたとか。

 呉座勇一『応仁の乱』中公新書 を堺に行く前に立命で借りて一昨日昨日と読んでたのだが、たとえば細川政元を織田信長のさきがけみたいに持ち上げる論についてそれはいいすぎみたいに書いてあった。応仁の乱の始まりについては大和の興福寺のことからくどくどと書いてあるが、河内の畠山の分裂が原因で、その結果として将軍の筋が分裂し、諸大名が国に帰ってしまった点が重要ということで応仁の乱が時代の画期としての意味があるようには書いてある。具体的には河内守護の畠山氏の分裂が意味するのは実力が中央の指示を上まわることになったということであり、それにふりまわされて将軍家の家督が分裂する原因ができてしまい、さらに諸大名も応仁の乱がおわると自分の守護国を確保するために帰ったわけで、たとえば細川政元の明応の政変で勝手に将軍をすげかえたのが将軍権力を破壊した論はいちおう紹介はしてあるが、全体を読めばそれもこれも応仁の乱が元ということで、応仁の乱の評価についてはあんまり以前とかわらない。
 なるほどこの時代のあれこれがかなりすっきりした。
 諸国に帰った守護の館というのはほとんど同じような規格でつくられていたそうだ。それも花の御所を模したもので、以前の京都を懐しむものらしい。

 旅するフォトグラファー 有賀正博 : キュレーションメディアに写真をパクられたら請求書を送ることにした
 そういえばうちも鉄道遊撃隊とかは著作権切れてないのを勝手につかってるんよな。時代が時代ならこれも請求される事案だろうな。まぁこれはいいか。


2016/12/03 土 京都

 今日は土曜だが昨日さんざん歩いたので愛宕山には行かない。昨日も山奥から直接堺まで行けば、堺→大阪くらいは歩けたはずだ。西院までと梅田なんば間程度。しかし寒くなってきた。昨日は夜ついに上着をきた。

ls | vim -
 これでよかったのか...

 昼飯を大量に作ったら午後はまるまる寝てすごしてしまった。

 ネットをさまよっていたらコードギアス10周年とか書いてあるのをみて衝撃をうけている。もう10年たってるのか... あのころに勢いで結婚しておけば小学生くらいの子供がいてもおかしくないということで後悔しかないな。

もうどうにでもな~れ

   *゚゚・*+。
   |   ゚*。
  。∩∧∧  *
  + (・ω・`) *+゚
  *。ヽ  つ*゚*
  ゙・+。*・゚⊃ +゚
   ☆ ∪  。*゚
   ゙・+。*・゚


2016/12/02 金 山奥 → 京都 → 堺 → 京都

 夢。
 自分で心臓を刺す。
 しかもなんかその前に槍か金属板状の刺すものに返しをつけたらどうのこうのというわけのわからん前フリがついていた。

 京都に降りてきた。でも今朝うっかり信号無視していた。あぶない。

 結局遅くなってから電車で行ったのだが、最初に場所を確認しておらず、堺駅の観光案内所で聞くと清学院というところは堺の一駅前にあり、堺市博物館は大仙古墳の方にあるということで遠すぎて完全に失敗した。ビビらず車で来ればよかった。

 しかも、着いたのが昼過ぎであまり時間もないのにまず港に行って明治のときに作られた灯台なるものを見物に行ったのはいいものの、方向をまちがえて反対側に行ってしまい、遠くから見るしかできない。


 次、南宗寺。ここも行ったのはいいものの400円の拝観料がなんかいやで中をみなかった。ということで三好一族の墓を見ず。もっとも堺は大坂夏の陣で焼き払われ、その後江戸時代に新たに堺の町自体が作りなおされ、そのとき南宗寺も移動したということで、まぁそれ以前のものはないはずなのであまり期待もしてなかったというのもある。ここには三好長慶の像があった。大阪付近には確実に三好長慶を顕彰する動きがみられるのでそのうち何らかの形でメディアに登場するのではなかろうか。

 次、堺市博物館。ここに着いた時点で1530前後。もうここで終わりなのが確定なのでじっくりみた。なんか来たおぼえがないのだが、確かに過去日記を検索しても記録がない。実は堺をちゃんと見物したことないようだ。

 実に割り切った展示で、基本的に古墳と環壕都市の二つだけだった。あと企画の特別展示数個と祭りの山車。もうすこしその中間の時代とか扱わんのかね。空襲とか街道とか交通とかそういう展示あってもいいんじゃないの。古墳については淡々とデータを並べてあって今となってはそれを見て特に書くこともない。
 そういうとここでは堺と種子島は遣明船の寄港地つながりということになっているな。阿波や土佐などの物産はここに集まるはずなんだがそういうことはちっとも書いてなかった。まぁ堺は中世商人の自治都市という命題が既にあるからなんでそうなったのか調べたりする必要もないのかもしれない。

 これは大坂の陣のときに長距離攻撃のために試作された大火縄銃だそうな。
 そういうと堺の鍛冶だが、室町時代初に和泉国守護を兼ねていた大内氏が島根の安来から鉄を運びこんで鉄製品がつくられるようになったとか書いてあった。
 茶人を生んだ町のわりに発掘成果から知られるところによると、茶の湯関係の遺物遺構が出てくるのは慶長年間以降らしい。

 さて特別展示の河口慧海であるが、新発見の明治35年分の日記が全部公開されていた。つまりラサからインドに脱出した年のが全部読めるようにしてあった。写真とれないので全部その場で読んできたのだが、意外なことに要点しか書いてなかった。もっとクドクド書いてあるもんだとおもってた。

 帰りは日本橋に寄ってパソコンひやかしてきたが、いつ行ってもレッツノートの中古しか見ないので、最近のパソコンの動向がよくわからん。レッツノートはもうSX2の世代が5万弱程度で中古に流れるようになってた。S9S10のあたりが旬(二万弱)か。まぁ見ただけだった。


2016/12/01 木 京都 → 山奥

 最近寒いせいか、夜寝る前に腹がへるのとスーパーの半額の時間とのかねあいで、買ってきた安物を寝る前にむしゃむしゃ食うようになった。そうすると起きたときにあんまり腹減らないので飯をくわなくなり、ますます夜に比重がくる。うーむ。そもそも朝に腹が重くてあんまり気分がよくないのでやめた方がいいんだろうがどうしたものか。金の減りが早いのはそのせいな気もしてきた。

 いまだにカッターシャツで自転車とかのってるが12月になったので寒くなったら上着つかうことにする。まだ寒くない。

 堺に行くつもりだが土日を避けるとすると今日明日しかないな。うーむ。

 “ATMだけ”で高収益、「勝ち組」セブン銀行:日経ビジネスオンライン
 ふぇー。ATMのアウトソースか...

 年金事務所から特別催告状が来たというので帰ってみたら、免除の申請用紙を送付してくれただけだった。なんだ。まぁ来週でも行こう。

 右目だが、目が悪くなるのは結局目の筋肉の問題だというので、それでは筋トレするかと、図書館で比叡山と手前をみくらべたりしていたらすこしはよくなってきた気がする。おそらく放置していると左目が全機能を担当するようになって、右目が細胞死してしまうじゃなかろうか。やばい。
 高校のときに作った眼鏡をひっぱりだしてかけてみたら、今度はよく見えすぎるので、高校で我慢できなくなったときよりはよくなっているらしい。
 調べつづけてみると、大人になってから改善するのは無理という意見がみつかるな。しかし筋肉で改善する範囲もあるのでやればすこしはよくなるらしい。まぁ飽きるまでやってみることとするか。あと片方閉じて悪い方の目を鍛える遮蔽法というのは不動視のばあい基本らしい。明日百均で眼帯でも探そう。とにかく背筋をのばしてパソコンの画面をみれるくらいまでは回復したい。

 パリコミューンについてはほとんど知らなかったのだが、普仏戦争の経緯を調べてだいたい外形はつかんだ。(たいていのことは外形から攻めていくタイプ) 共産主義系の人がああなったのはあんな非常時の短期政権を理想にするからなんだろうな。

 やっぱり山奥は静かでいいな。


2016/11/30 水 京都

 うーむ。有意に右目の視力がおちている。そのため今まで遠目担当だった左目が近いところを見るのに動員されて左目も影響をうけている。眼鏡人間にならねばならないときがきたんだろうか。
 片方だけ視力がわるいというのは不同視というらしく、ググっていると同じ状態の人をみつけたが、やはりそのままでも不便が少ないので眼鏡をつくっても使わないことになるらしい。とはいえそのまま放置して数十年たってやはりつかうようになるのは目が弱くなってくるということか。
乱視 | さくら眼科 院長&スタッフblog
 ここにある放射状の線が均一にみえないから右目は乱視なんだろうな。

 自転車の前カゴの底が一部抜けて、走ってる最中にワイヤーロックが落ちそうになるのをなんとかしていたりしたが、コーナンで100円の針金買ってきて抜けてるところを編んだら小一時間でだいたい直った。前輪カバーが外れかけてるのも針金で固定したら問題なくなった。工具不要。針金はクネクネしたら折れる。もっと早くやっておけばよかった。

 png で入れても kindlegen が gif に変換することがわかった。

 キーボードごときの音で遠慮しなくなった。むしろ響けおれのキーボードみたいな調子で叩いてる。

 昨日書いた文章だが今日書きなおしたらもっと短かく書けた。無駄な文章だったということだな。


2016/11/29 火 京都

 見たい雑誌が国会図書館関西館にあるので行こうということで早起きしたが、仏大京大にもあることもわかった。うーむ。関西館に車でいくついでに堺まで行こうともおもったが二重毛布はうちに置いたままだな... うーむ。

 結局仏大ですませた。だいたいわかった。

 今日半日かけて書いた文章が消えてしまった。書きなおそうかとおもったけど疲れたのでやめる。フォームを投げようとしたときにテザリング元のスマホの電池が切れ、あわてて電気をつなげて回復したときについリロードを押してしまいデータは電子の海へ消えていった。しかもその前にエディタに下書きしていた分は消してしまっていた。バカだ。


2016/11/28 月 京都

 惰眠→寝るのが遅くなる→起きるのが遅くなる
 そういうサイクルに陥ってきたので明日から早起きする。

 半額で買ってきた豚肉をなんとかするため「豚麺」というのを開発した。豚をうどん状に切って適当な野菜と茹でる。豚だけだと味がキツそうなので細スパゲティもまぜる。まぁ当然だがうまい。

 set t_Co=256
 これをせずに長年 Vim をつかってた。xtermはこんなもんだとおもっていた。何をしていたのやら。

 今月は言海を出したおかげで新しい客層にリーチしてる感じがある。3万円台は確保したがそれでも4万円台にはいかなそう。やっぱり何でも挑戦だな。

 しかし今月はなんか出費が早い。マクドナルドなんかに頻繁に行ってるせいだろう。もう行かないことにしよう。ネットについては区役所に行けばなんとかなる。もちろんV713の電池がもてばそれが一番よいのだが、もう無理だ。今となってはCF-W5の電池の持ちが一番よいという皮肉なことになっているので、CF-W5を活用する方向でなんとかしたい。京都の部屋に持って降りてきてるのはそれしかない。


2016/11/27 日 京都

 昨日の夜にひきつづき雨だ。外出したくない。
 昨日程度の運動でも足腰のまわりがなんかだるいのだから一週間に一回では少ないということがわかった。比高800mの愛宕山登るのなら一週間に一回でもいいがちょろっとした山にちょろっと登るだけなら週に二回くらいはやるべきなんだろう。
 というか、階段があるとこなら何回も往復すればそれなりの効果が得られる気がする。踏み台昇降という手もある。踏み台昇降で累積比高1000m獲得とかただの拷問だが。

 遠藤周作の『沈黙』とかいうのがアメリカで台湾ロケで映画化されたらしい。江戸初のキリシタン弾圧を背景として宣教師が棄教を迫られ、神の意思を感じて棄教するというものだが、意思の感じ方がキリストに直接語りかけられる形らしく、そういうのはキリスト教的には異端に近いものらしい。『沈黙』は世界中に翻訳されているらしいが、異端的として禁止されているところもあるそうだ。

 昨日の朝は非常にやる気がなかったが、外に出て冷たい空気に触れたとたん愛宕山にでもどこにでも行けるような気分になったので、外出するというのがいかに重要かわかる。それとは関係なく今日は雨ふってるので出たくない。


2016/11/26 土 京都

 どうも最近やる気の減衰がはげしく愛宕山に行くつもりだったが朝起きたのが早すぎて二度寝したら10時くらいまで寝てしまった。うーむ。四条畷あたりまでどうにか電車で行って基本歩きで行動して飯盛山登ってすませるか。阪急をどう駆使するかだな..

 結局阪急はつかわず、京阪でとりあえず私市まで行った。地図だけ見て適当にそうしたのだが、事前にちゃんと調べずに行ったのはよろしくなかった。芥川山城のときはちゃんと西国街道を意識して行ったのだが、飯盛山も街道を意識するのを忘れていた。東高野街道がキーになる城なので、せめて東高野街道が分岐するあたりで降りればよかった。というわけで私市から東高野街道に行くまではっきりしない道を適当に行くことになるが、それなりに私市→星田→東高野街道(ほぼ府道20号)とたどれたっぽい。

 東高野街道は交野の方からゆるやかに峠を越えて大阪の平野部の縁に入っていくのだが、その峠のてっぺんのあたりにこのあたりの古墳の石らしいものがあつめてあった。まぁ古墳って破壊されたものがかなりおおいんだろうな。あと途中で通った星田神社は星田寺とならんでいてなかなかよい。

 峠を越えるとしばらくまっすぐ行って直角に南に下り、山の縁をたどっていくのだが、そのまがり角のあたりから飯盛山の方をみると、飯盛山のある尾根がちょうどその方向を向いているので飯盛山が孤立峰のようにみえ、飯盛山の重要性がよくわかる。地図だけでみててもこういうのはわからんな。
 こうみるとこの山の尾根をまっすぐ登りたくなるのは人情。ということで、東高野街道から清滝街道にはいり、さらに戦前の地図にあるに山の方へ行く道をたどって尾根のさきにいくと、式内社の御机神社があった。やはり古代からなんらかの重要さを認められていたのか。登れるだろうとおもっていたが、ここから登りやすいようにかなり激しく整備されていた。

 あんまり登山道を整備されると昔の姿が消えてくのでやってほしくないのだが、登山する人はそんなこと考えないのでしかたないのだろう。それにこの山これだけ孤立して見えるだけあって斜面がきつく結構崩落しやすいようだ。


 まぁこんな感じだが、山中に石がゴロゴロしていた。石垣らしいところもこんな感じ。しかし山頂には楠木正行を顕彰するための整備が戦前になされていて、そのときに作った道や石垣もまじっている。帰りは西側斜面をショートカットする道を降りていったのだが、そこにも随所に石垣らしいものがあった。地山が花崗岩らしいのでそれもあるんだろう。

 これなんかは掘割に地山の岩が露出しているようにみえる。各所にある石垣はどうも置いてあるだけの施工のようで、崩れやすいようだ。その辺は織豊政権期以降の発達した城の石垣との違いか。登山者か誰かが勝手に抜いてしまう他にも自然に落ちてしまっているところもあった。まぁ登山道整備の過程でもかなり崩されているようにみえる。ただ、この山険しいために埋もれている石垣も結構ありそうだ。

 という感じで帰りは四条畷神社の方に降りたが、その時点で17時前で、寝屋川まで歩いているうちに暗くなった。今日はこれを見にいっただけに終わった。四条畷歴史民俗資料館はまた今度行くことにする。
 寝屋川まで行く途中に砂というところを通ったが、ここは三好長慶期の河内キリシタンの拠点のひとつだったらしい。どうも帰りに通った道の一部が河内街道になるようだ。


2016/11/25 金 京都

 今日も惰眠を貪ってみたが夢はみなかった。

 コンソール画面で日本語表示をなんとかしようとしているとそのうち固まってしまう。fbterm も kon もだめ。うーむ。

 巴里籠城日誌

 マクドナルドのコーヒーが泥水っぽく感じるようになるのはおそらくカフェイン中毒なんだろう。だから最近寝付きがわるく昼眠いのかもしれない。ということでコーヒーはのまないことにした。いまさらか。

 今のKindleアーカイブ 12661点


2016/11/24 木 京都

 昨日はとりあえずがんばって一冊でっちあげた。崩し字のやつは来週だな。

 夢。
 パソコン?をいじろうとしたら発熱したかなにかで急にゆがみだし電気を抜く。
 まぁしかし半分寝てるような状態で見る夢が続いている。夢はそういうもんか。

 うーむ。やはり有意に視力落ちてきてるなぁ。やばいな。そのうちメガネ人間の仲間入りしないといけなくなるかも。

 しばらく尿液晶でやってみたが、どうもはっきり見えず、かえって目にわるいような気がしてきたので戻した。

 Debian の apt upgrade でなんか残ってるものがあるのでとりあえず apt dist-upgrade してみたら、どうも時期尚早だったようでXサーバが死んでしまった。まぁほとんどのデータは外に出してるのでいいがこの日記のファイルとかは中に入れたままだ。とはいいつつもコンソールログインして vmtools のサービス走らせたら windows 側みえたのでとりあえず日記はなんとかなってる。そのうち apt のツリーの方もなおるだろうしどうでもいいか。unstable だからこういうこともあるということだな。

 まぁしかしあんまり予知夢とか見たくないものだ。

 Panasonic Eluga Arc とかいうスマホが低価格帯では必要十分な感じでよい。のだが、インドで売っているらしい。ぐぬぬ。パナ...
Panasonic smart phone
 しかもこんなにインドで出してる。インドにいたときに気付けばよかった。


2016/11/23 水 京都

 やや元気になったので図書館。

戸川安宅 - Wikipedia
 戸川残花ってキリスト教徒だったのか


2016/11/22 火 京都

 なんか昨日の延長で惰眠をむさぼっていたのだが、夢の中で財布を出したら札がまったくなかった。そこでつい最近金をおろしたのにないのはおかしいと気付き、たぶん夢の中だからあとで財布を確認しようとおもっていた。うーむ。そこで夢の中だと気付いたのだからやりたい放題しようとおもえばよいのにそんなことにチッとも気付かないのは結局そういうことがしなくないからだろうか。

 ん?6時ごろ地震があったのか。
 twitter は津波の最新映像を個人がアップしたりしてて非常に便利だな。

 関西で地震がおこったら津波がくるんだろうかという疑問については南海地震クラスなら大坂湾に来るらしい。六甲山とかにいけば高見の見物ができるというこどだな。とはいっても実際には避難車両による渋滞で車では行けないから見物は困難だろう。
 大阪は上町台地は比較的安全だそうで、大阪は上町台地の上だけが栄えているようにみえるのは何回も津波に洗われているからかもしれん。
大阪市 浪速区 「安政大津波」の碑
 こんなんもあるようだ。

 なんか目が痛いのだが同時に微熱もあるのでひょっとしてなにかウイルス拾ったんだろうか。そのせいで昨日寝てたとすればまぁわかる。だとすれば寝てれば治るな。まぁ明らかな症状がないかぎり寝るしか処方箋ないのだが。昨日が山だったとすればもうあとは治る方向だしぶりかえしてもまた寝ればよい。自由業はお気楽だな。

 うーむ。BashOnWindows の Vim に大量のテキストをコピペするのと vmwarePlayer 上の Debian にコピペするのとでは Debian の方が早い。そのうえ BashOnWindows の方はデータがこわれてる。やっぱりこれ信用して使えるものではないのかも。さんざんダウンロードしてるけど壊れてたら意味ないな。


2016/11/21 月 京都

 昨日は高槻まで自転車でチンタラ往復してゆるい運動したという程度の認識しかなかったが、体的にはけっこう負荷があったようで、早く起きれなかった。足腰がだるい。このまま一日寝てようかな... スーパー銭湯でも行くか。
 ついでに夜遅くまでがんばって作業すると視力が覿面に落ちるということもわかってきた。そのうち復活するのだがそのうちしなくなるんだろうな。

 左ひざのスリ傷はまだ湿潤状態なので風呂には行かない方がよさそうだ。寝てよう。

 ふーむ。丹波の内藤如安も三好政権つながりのキリシタンか。

 本当に夕方まで寝てしまったが、昨日事故しておいてなんでもないということはないか。

 twitterみてたらCaplioG4wideをつい最近になって壊した人がいてびびる。10年以上壊さず使ってたということになる。自分の持ってたCaplioG3なんかは3年くらいでピントがおかしくなってきて最終的にイタリアで落として壊してしまった。よくもつもんだな。まぁ自分の物のあつかいかたが総じて雑なのかもしれない。


2016/11/20 日 京都 ←→ 高槻

 今日は自転車で西国街道をたどって高槻の芥川山城まで行ってきた。

 御前通りをくだっていくとここに出て、ここから171と西国街道がわかれる。あとは地図をみながらチンタラチンタラこいでいっただけだが、今回で向日市の中心のあたりが高台になってるのを実感した。

 こういうのみると山崎というのが山の先だということがよくわかる。
 しかし大学んときなんか時間たくさんあったんだから、こういうところをずっと自転車でまわって行き尽すくらいのことしてもよかったのにしてなかったということはよほど無駄に時間をすごしていたということだな。そのころから怠惰だったのか。
 大坂方面は車か電車でしか行っておらずこのあたりは常にスルーするところだったので印象が薄かった。実にもったいないことをした。山崎のあたりから西国街道は線路の内側の山際を通っていて明治大正の街道の感じがよくのこっていた。

 これは進駐軍いたころの標識。

 まぁしかし高槻の芥川宿までそんなに時間はかからなかった。で、とりあえずそこから芥川沿いに芥川山城に行くことも考えたがそうせずとりあえず今城塚古墳を見にいったらなにやらイベントをやっていて家族づれがいっぱいだった。
 で今城塚古代歴史館。ここが継体天皇の墓だという前提で展示が組みたててあるがそれはともかく、地震でくずれたりしたおかげで内部がかなりわかっているのがいい。内部に石組みがあって排水できるようになっていたり、土嚢のような土のかたまりがあるのがわかっているそうだ。

 ここはとにかく埴輪がおもしろかった。


 展示をひととおり見てから古墳本体に行った。松永久秀に要塞化されたり、慶長大地震で崩れたりしたせいで形はいびつだがそのおかげで陵墓の比定から免れたというのもあるんだろう。中をグルグル歩いてまわっていると土の塊が露出しているところがあった。これが土嚢のあとなんだろうか。

 埴輪はこの時代には大量生産されていたらしく、埴輪工場のあとが近くでみつかっているということでそこも行ってみた。

 まぁこんな感じで5-6世紀ごろの100年間程度、登り窯でボコボコ焼いて今城塚古墳のような大量の埴輪を各地に供給していたらしい。


 そしてこれが本日のメインの芥川山城。北西南を芥川でかこまれ東南の方から近づくと、北の方へ抜ける道があり、そこから歩いていける。大手道なる狭くて険しい道が城から南についているのだが、昔の大手道ではなくただの山道だろう。眺めは非常によく摂津河内をみわたせた。天気がもうすこしよければ海なんかも見えたんだろうか。

 一番上には小さな祠があってこれが三好長慶社らしい。ちょっと下には石垣なるものがあるのだが行ってみたら崩れていた。これいつ崩れたんだろうか。
 城というものは三好長慶のちょっと前までは土城だったのだが、織田信長のころには石垣が出現している。でまぁ城の石垣は織田政権とともに語られることが多いのだが、三好長慶のころに鉄砲が普及してその対策のために土壁に石の芯をいれたりすることがあったらしいから、そこから寺社などの石垣を城にもめぐらすようにするのはすぐのことだろう。もっともこの城の石垣が三好長慶の時代のものかどうかは議論のあるところらしい。

 ということで山城をみて降りたら暗くなってきたのでもう帰ることにしたが、高槻の交差点で気付かぬうちに信号無視していたらしく、車に横からぶつけられてしまった。とはいっても前輪がゆがんだくらいで別状はなく左膝をすった程度なので何事もなく再開した。なにしろ気付かなかったとはいえ信号無視していたのはこっちなので大事にならないならこっちから去るのが一番だ。あーよかった。何事もなくて。
 ま、しかし帰ったら疲れが出て、横になったら寝てしまい日記をまとめるのが随分遅くなってしまった。


2016/11/19 土 京都

 雨か。西国街道をたどるのは中止。愛宕山も行かない。どこも行かない。

 これから毎週宝くじでも買おうかな。

 尿液晶状態に慣れてから画面のプロファイルをもとにもどすとやけに青く感じる

 石鎚山の鎖場で岩壁登りおもしろそうだと気付いたが、街中の施設のボルダリングについて調べると結構金がかかる。一回に数千円など自分には無理な出費だ。

 雨も止んだし関西文化の日ということで午後から堂本印象美術館行ってみたが、戦後のものばかりであんまりおもしろくもなかった。ついでに三条の京都文化博物館にも行ってみたら御堂関白日記が置いてあった。ところで鎌倉時代の京都の地図に丹波・若狭方面の道として一条街道なるものが現代の国道162号そのままで描画されていた。京都北西方面の道は古来から千本通延長のいわゆる京見峠の長坂越であるはずなんだが本当に一条街道なんてものがあったのだろうか。
 まぁしかし絵巻物はいいものだな。

 JAXAの治験にはおちたのだが、治験の案内に登録したのでその後案内を送ってくる。しかし40代になると治験の対象からはずれるらしく数がない。直近で福井のがあった。これについてググりまくるとどうも福井総合病院というとこでやるものらしい。さらに体験記がたくさんでてきたのだが、どうも30分に一回の頻度で採血されるらしい。投薬してその薬が血液中にどれだけ入り残存するかをみるのだろう。うーむむ。
 もっとも学生のころ治験に行って不整脈で落とされたので、応募してみたところでそれで落とされる可能性はある。なにせ不整脈は小学校のころから心電図検査のたびに指摘されつづけていたほど筋金入りのものだからそれで落とされるのなら回避できないだろう。

 北陸道青春昼特急なんて高速バスがはしってるのか。

 工場バイトを検索していると、半導体製造装置の取り付けで海外に行くというのがあった。工場で作ってバラし、海外の現地で組み立てるらしい。わるくないな。しかし九州ばかりだ。うーむむ。


2016/11/18 金 京都

 7日に自転車でこけてから体調が低調になり、歯がぬけたために老人への道が早まったかとおもったが、単に低調になっただけのようで最近元気がもどってきた。さすがに歯が抜けるような事故をしておいてなんでもないということはなかったか。
 ちなみに上の前歯がなくなっても生活にたいして支障はない。そもそも咬合がおかしかったのだ。小学校一年のときに先生が奥歯で噛めとしきりにいうのでわけがわからないままとりあえず顎を後ろにずらして噛むようにしたせいで噛み合わせがズレてしまった。正しく噛み合っていたのにそんなことしたから上の前歯は前へ下の前歯は上へ伸び、ズレた歯列の交点になったところには重点的に咬合の圧力がかかり弱くなって虫歯になりやすくなり、そこがヘコむ→前歯が出歯気味になる→その形での固定がすすむ、と歯については最悪の形で状態が進行していた。今さら噛み合わせを元にもどすことはできず、下の前歯を削るか上の前歯を抜くかしかなかった。そのうち虫歯や謎の歯周病などで上の前歯が抜けていったわけだが、そういう構造的欠陥も原因のひとつではあろうとおもう。ということで前歯がなくなって困るような時はすでに通りすぎ、形だけ一本前歯がのこっていた状態なので、ちょっと前歯で噛むということはできないが、実用的には前と大差ない。来るべきときが来ただけである。人がみたらギョっとするかもしれないが話す相手もいないから問題ない。

 言海意外に売れてるのでそうだろうそうだろうとほくそえんでいたが、twitterで検索してみるとアニメで辞書を扱った『舟を編む』というのをやっていることに気付いた。全然うれしくない。
 でもアニメでやったのは今週のことか。ならいいか。

 底本が汚なくて画像処理に失敗したので捨ててやりなおす。ダウンロードからやりなおしだ。底本の選定に失敗するとこうなるという例だな。落書きがいっぱいある時点でやめればよかった。

 BashOnWindows 肝心なところでつかえんな..


2016/11/17 木 京都

 もう木曜か。

 図書館に普通のキーボード持っていったがやっぱりこれはうるさい。うーむ。

 前、論文のPDFいっぱいもらって、これを適当にまとめたら二三本で一冊くらい本かけるんちゃいますかとか言われてたけど、今からおもうと勉強にもなるし謎の分野の本も大量生産できて一石二鳥だな。あー。今ごろ気付いて要領悪いわ。いきなり新しい分野の本出すこと考えずにそういうのをどんどん出していったらよかった。

 山田美妙の日本大辞書 明治25-26

 「慧海と堺」展 堺市
 終わる前に行かねば。


2016/11/16 水 京都

 今朝は夢も見なかった。夢の事ですら意のままにならないのだから何やってもダメだな。

 黙々と作業。まぁこれは今週にはできない。量多い。八冊あるものを二冊づつ合冊するよりは一冊づつ出した方が楽かもしれん。

 どうにも目に来るのでついにディスプレイの設定をいじっていわゆる尿液晶状態にしてみた。目に感じる圧はなくなったが見栄えがよくない。うーむ。まぁ色が気になる作業以外は尿液晶にした方がいいのかもしれない。

 フニャキーボードの2の列が死んだ。ちと早いが携帯してたら結局そうなるか。ということでうるさいキーボードでカチャカチャやるか。


2016/11/15 火 京都

 今朝も変な夢をみたな。しかもかなり覚醒状態に近いところでの夢だった。

 昨日から今日にかけてどうせ雨だからと本を借りてきたのだがおもしろい。
 越水城。芥川山城。河内・飯盛山城
 楠正虎

 ついでに『戦国期三好政権の研究』まで読んでしまった。ところでこの著者の天野忠幸、1976年生まれで、受験のときに神戸の震災にあった人だった。もうすこし上の人だとおもっていたがそれは自分を基準にして物を考えてしまうからで、40ならそんなもんか。しかしこんなに優れた研究してるのに未だに非常勤で定職にありつけていないらしい。大坂市立大学出身だとそうなんだろうか。あぁ学閥。
 ま、とはいっても研究者的には非常勤程度が時間に余裕があっていいのかもしれんけどな。

 堺が繁栄したのは三好氏との関係のためで、いわゆる自治都市の象徴とされる環濠は紀伊方面の根来寺とか一向一揆に襲われるからとか夢のないことが書いてあった。
 それから本能寺は法華宗の中でも日隆の門流とかいうのらしいが、この門流は本山を本能寺におきながら海づたいに種子島までの水運ネットワークをもっていて、海外事情にも通じていたらしい。
 三好氏は最初期のキリスト教徒の家臣を抱えていたらしい。三好長慶が最後に城としていた飯盛山城の周囲はキリスト教徒の家臣で固めていたそうだ。
 それでいうと
永禄10年に東大寺大仏殿に火をつけたのは誰なのか-しばやんの日々
 これにフロイスの記述を引用して、三好三人衆の兵士の中にキリスト教徒がいて、松永久秀の多聞山城を包囲してたときに、東大寺の大仏を偶像だからというので火をつけた、というのがあるらしいのだが、三好軍にそれだけキリスト教が浸透してたのならありうることだとおもった、

 四国からの帰りは神戸から171を通って帰ったがこれが西国街道に近い道らしい。徳島から淡路島、西国街道と三好氏に因縁のあるルートを通って帰ってきたのはよかった。

 次の週末は愛宕山やめて西国街道をたどるのにしようかな。

 明日からはくずし字解読にとりかかる。


2016/11/14 月 京都

 なんか変な夢みたな。

 昨日のうちに和英語林集成をだそうとがんばったが、目次の入力をいそぎすぎたせいで誤入力が多かった。帰ってから無視できないレベルであること気付いて出版はとりやめてとりあえず見直すが日付かわってからしばらくたっても終わりそうになかったので寝た。言海の目次も同じ流儀で作りなおして夜になってからいっしょにアップしよう。
 あと時間あまったらV713の中身を一度整理しなければならぬ。調子にのって国会図書館から材料をダウンロードしてたらもう容量が足りなくなってきた。

SPY, n. Shinobi,kanja,yokome,ommitsu,metsuke,me-akashi,monomi,kanchō
 和英語林集成第五版(1894)
 なるほど...

 図書館まで来たが瞬眠状態になることがあるのでたぶん寝不足なんだろうな。昨日無駄にがんばったし今日は天気悪いしとっとと帰って寝た方がいいんだろうか。いやどっかで本をアップロードしないといけない。しかも今回はバカデカいの二つなので場所を選ぶ。うーむむ。


2016/11/13 日 山奥 → 京都

 昨日の夜山奥に帰って鍵を回収。ところで部屋がやけにカビくさかったのだが、去年の冬に着ていた上着類を洗濯もせずにかけたままにしていたため夏か秋の高温湿気でカビがおもてにでてきていただけのようだ。ということだがインドで買った暑いのはそのまま放置して薄いのを回収して京都に持ってきて洗濯中。干したら清滝まで自転車をとりにいかねばならない。高雄あたりは朝なのに観光客がカメラをもって歩きまわっていた。早めに出てセーフ。まぁうちまで帰ったのでついでに丹後方面に行ってもよかったが行くなら平日に行った方がよかろう。

 清滝から立命に直行してもよかったものの昨日買った賞味期限切れの酒粕があるので帰ってきてまた粕汁つくった。そう毎日肉を投入するような金はないので今日は肉なし。まぁ何をいれても粕汁は粕汁だな。うまい。


2016/11/12 土 京都 → 山奥

 今日も愛宕山に登ってきた。往復二時間。しかし清滝まで降りて自転車に乗ろうとしたとき、鍵をなくしたことに気付く。二つあるうち自転車本体の鍵だけのこる。いつも胸ポケットにいれていたのにズボンからでてきた。スマホを出したり入れたりしたときに落ちたんだろう。まぁスペアがあるので取りにいけばいいのだがとりあえず歩いて帰ってきた。

 昼飯の材料を買うためにフレスコに行ったら酒粕が半額で置いてあったので買ってみた。使い方わからんのでクックパッドで粕汁を検索すると味噌みたいに最後に溶いていれるようで、やってみたらそれなりのものができた。しかしこのドロドロ加減は味噌というよりはシチューとかカレーで、作り方もそのまま応用できそうな感じ。ちなみに最初は豚肉ともやしと細スパゲティでラーメンもどきをつくるつもりで、途中まではそんな感じだったが、酒粕をいれたら粕汁になった。今日は肉食いたかったから買ってきたが、肉がないときも粕だけの味でいけるんだろうか。

 そういうわけで満足したので洗濯物が乾くまで寝る。


2016/11/11 金 京都

 前歯なくなってみると鼻の下の凹んだところのヒゲが剃りづらいことがわかった。たぶん表情もどこかしぼんだ感じに見えるんだろうな。うーむ。歯医者行くべきなんだろうが金ないしなぁ。
 上の歯は相当ひどいことになってるが、うちの母親などは30代で総入れ歯になっていたので歯がやられやすい体質なんだろう。歯の一本一本はでかくてしっかりしているのだが。

 うーむ。


2016/11/10 木 京都

[KDP]パブリックドメインでKDPセレクトに挑戦 - メモ@inudaisho
 昨日出した本だが数時間で審査通ってた。うーむ。こういうのならどんどん出していいということかね。ではそうするか。

 今日は図書館行ってその後マクドナルドでダウンロードすることにした。

 自転車自傷事故の怪我は随分治ってきたけどあと一日かな。早く体洗いたいです。掌怪我してるので顔くらいしか洗えない。

 昨日からロイター通信のアプリが発狂気味で、今日は日経平均爆上げをしつこくプッシュ通知してくる。株買う金があったら仕込んどるわ。


2016/11/09 水 京都

 うーむ。工場に行く以外の方法で収入を安定させれないもんか。

 インドでATMからでてくるあの高額紙幣が新札切り替えで無効になるらしい。ついでに1000ルピーの硬貨も発行されるそうだ。しばらくインドは紙幣の扱いが面倒くさいことになるな。

 とりあえず出した。

 トランプ大統領。おもしろい。そりゃFBIに捜査されるような候補は選ばんよな。

 臺灣華文電子書庫
 日本統治時代の本が公開されたとかいうことでみてみたが中国や台湾の本しかみつからん。それからPDFの特殊な方式で置いてあって格安SIMの回線でいろいろ探すのは無理。
 元のニュースをみるとあれだな。日本時代の本を含む1万4000冊であって日本の本が1万4000冊ではないんだな。


2016/11/08 火 京都

 掌底と顎の傷がまだ残ってるので顔が洗いづらい。
 半袖で生活していたが、昨日の事故でボタンが飛んだのを機に長袖のカッターシャツに変えた。さすがにぬくい。ちょっと涼しすぎるかな程度のことは感じていた。ボタンはすぐに回収していたのでつけなおした。

 図書館まで来たがなんか暑いなとおもったらそれもそのはずアメダスの速報値をみると今日の京都市の最低気温は11度で9時時点ですでに14度くらいまであがっていた。11月2日から昨日まで最低気温は10度を切っていたので今日はわざわざ暖かい日を選んで長袖を着てきたことになる。

 結局終わらんかったが明日にはできるだろ。今日は図書館に夜の9時すぎまでずっといた。あの図書館も置き引きとか発生してるようなのでそのうち一般利用がしめだされるかもしれない。そうなったら有料のとこか。


2016/11/07 月 京都

 さて昨日は寝てばかりであんまり進まんかったが今日は痛いところも引いて足も固くなったので朝から晩までみっちりやって片をつけようかい。

 自転車の前輪が固まって顔から転倒した結果、両手の掌のいわゆる掌底の皮がすこし剥けてしまったが、さらに悪い事に前歯が抜けてしまった。まぁこれで上の前歯が全部なくなってかえってせいせいしたといえなくもない。
 さすがに歯医者行かねばならないか。しかし前歯は高いよなぁ。今まで放置してた分もあるからここをなんとかしようとするとかなりかかる。膝も打ってなんか痛いがまぁこっちはどうでも。他のとこは寝てたらなんとかなるが歯はどうにもならん。
 図書館まで来てしまったが帰って寝てた方がよかったか。

 結構すすんだのでマクドナルドに来てダウンロードしながらやることにした。どうせ作業はまだあるので今日はおわらない。
 うーむ。メモリが足りないということでデータ移動中。なんか今日はいろいろ変なことの起こる日だ。

 いちおう全部できた。明日は見直しをする。今日の事故は気にしない。歯がぬけたことについても何もしない。金ないから。
 アゴ打ってから口を打っているようなのでまぁ打撃的にはアゴが一番効いてるはずだが、そっちはたいしたことないところをみると、たぶん普通に殴られたくらいではどうということもない体なんだろう。


2016/11/06 日 京都

 前、除染を探してたときに平行して工場をさがしてた余韻で、工場派遣屋からのメールがときどきくる。うーむ。今は最高の季節なので本づくりとかしてたいのだが金が逓減しているし出稼ぎに行こうかな。12月くらいからだと雪降り出す頃と重なるのでちょうどいいのだが。

 そういうと自転車の前輪のカバーを固定している金具がなぜか破断していて走るたびにガラガラ言うようになった。まぁ奈良に行って最初にコーナンで買ったものであちこち壊れてきているから新しく買ってもいいのだが。あちこち壊れているのを直すことを考えたら買うのも大差ない。
 前買ったのは2013年1月だからほぼ三年使ったことになるな。値段はたしか7000円くらいかな。とにかく安いのを買ったので変速もついておらずギア比も低かったけどそれで十分だった。うーむ。工場に行って稼ぐのをあてにして今度こそ軽い折り畳み自転車買うのもいい。

 昨日入れそこねたガソリンを入れるためにエネオスのセルフがどこにあるか確認してから入れてきた。実燃費は22km強でまぁあんまりよくはないが、市街地通ってアクセル踏みすぎで徳島から帰ってきたとおもえば気候もあわせてそんなもんかもしれん。ルートの都合上ついでに五条のイオンモールに行ってレストラン街をみて肉食いたいけど高いなぁとおもって帰ってきた。もう昼なのでフレスコに行ってみたら牛肉が半額でいっぱいあったので2パックで400g弱くらい買ってもやしとあわせて炒めて食ってる。塩入れすぎたけどうまい。

 今作業中のこの翻刻結構誤読してるのがわかった。しかも多い。誤植もあるけど校正もしてないんだろう。活字化されたものを気軽に使うのは難しいもんだな。
 それはそれとして今日は肉食ったあと寝てたので図書館にも行かずマクドナルドにも行かず部屋で作業してるがやはり進捗がわるい。うーむ。
 それから作った言海はさっそく使っている。もうすこしきれいにできたらよかったがもとが汚いからしかたない。辞書の電子書籍化も全然行けるから問題ないな。


2016/11/05 土 京都

 うーむ。出遅れたな。目さめたのが6時。飯食って6時半。まぁ毎度愛宕山いくのもあれだし行ってみるか。葛川修験の地へ。


 たくさん人がのぼっているだけあってサンダルでも簡単にのぼれる山だった。葛川の坊村の方から登ったが、こっちから登る人はわざわざこんなとこまでくるくらいなのでみんないかにも山登りという格好をしている人ばかりだった。まぁもっとも滋賀県側からの道は結構厳しいらしくそういう格好でないと行けなさそうではある。

 山頂はこんな感じだが、山頂に短パンで魚肉ソーセージを食ってるおっさんがいた。山頂の写真の右端に写っている。マラソンかなんかだろうか。只者ではなさそう。
 帰り急いで降りたのだが、登山客のピークがそのあたりで来ていたため、あせって道でないところをショートカットしようとして滑ってしまい、登山家の嫌味を受けてしまった。まぁしかたない。滑落して人をまきこむ事故などをおこしたら大変なのは確かだ。いくら山道でのバランス感覚がよいとはいっても実際に滑ってしまったらお話にならない。そのせいか、別子鉱山の温泉で買ったタオルをなくしてしまった。
 明王院 0758 → 御殿山 0856 → 山頂 0918 → 明王院 1014 というところ。登り1時間20分下り一時間。お茶もペットボトルに移して持って行ったのだが、200ml程度しか飲まなかった。うーむ。
 登山客がたくさん登り出すのは9時ごろからの模様。
 車で行っても京都市内への往復に時間がかかるし車で行くので大した運動ではない。やっぱり近くにある愛宕山の方がいいな。
 車は葛川市民センターにとめた。なんであんなとこに大駐車場があるのか不思議だったが今回でわかった。中には地主神社の前に停めてるやつがいたが、これから山に登ろうというのに橋を渡るくらいの距離を惜しんでどうするんだろう。まぁ山のぼる奴にろくなのはいないということか。

 帰ってから洗濯して立命の図書館で作業するものの17時までだったのでやりきれずマクドナルドでがんばってようやく1/2程度まで進めた。あと二日でできるかな。


2016/11/04 金 京都

 vmware player アップデートをしてからネットが繋らなくなるというエラーがなくなった。そのかわりサスペンドのときや復活させたときに警告がでるようになった。まぁ押すだけだから再起動さすしか方法がないのよりはマシ。

 BashOnWindows mvがうまくいかない。開発は進んでるようだから早く反映してほしい。

 明日は比良山の武奈ヶ岳に登ろうかな。登山道が整備されていてサンダルで行けそう。ただし休日は人がいっぱいおしよせてくるらしいので早い目に行かねばならぬ。

 切って貼ってだからそんなに時間かからないだろうとおもっていたが予想以上に進まない。今日の作業量から行ってあと三日かかりそう。もう日付がかわった。寝よう。比良山間に合わなければ愛宕山でまにあわす案もある。なにせ愛宕山は比高800m程度もあるのがよい。武奈ヶ岳は1200m級だが登山口が標高300mだから比高900m程度しかない。


2016/11/03 木 京都

 西条真二が近代麻雀で『鉄牌のジャン!』というのをやってる事を別のことでググっている過程でみつけた。しかも三巻まで出ている。よくやるなぁ。しかも完全なパロディになっているようで紹介をみていると設定も筋も二次創作の趣きがある。まぁベタながらよくできた設定だしな。
近代麻雀漫画生活:「鉄牌のジャン! 前編」ジャンが鍋を牌に持ち替えて別の世界線へ
「鉄牌のジャン!」第3巻 サンバンチ潰しのライバル店、その店主はアイドルにしてあいつの娘!! : 3階の者だ!!
 三巻の紹介をみるとなぜか料理漫画になりつつあるようだ。しかし絵に険がなくなったな。勢いしかないのに絵がまるくなってどうする。

 続日本紀の国史大系大正版の初版の方を作業してたら「私」の字に鉛筆で「神」と書きなおしてある。そんなことあるのかとためしに欠落のある再版の方を見たらそうなおされていたので即刻やめた。うーむ。

 府立図書館にある新修丸亀市史をみたら丸亀の藤田書店のことがわかるかとおもってちょっと行ってみたがわからんかった。ただし丸亀の藤田書店と高松の藤田書店はなんらかの関係があることがわかった。

 辞書をつくったので、つぎは江戸文学の翻字のくみあわせでどうにかパブリックドメインの制限をはずれるのを狙うことにした。

 今日が祝日であることに夜まで気付かなかった。なんか損した気分だ。


2016/11/02 水 京都

 普段は車を使わない生活なのでガソリンを入れに行くのが面倒。ということで昨日は入れに行かなかった。まぁ今やってるのができたら嶺北方面のおろしそばでも食いにいくか。

 江戸 → 江関 という漢語表現があることを知った。なかなかうまい訳だ。

 ぐぬぬ。入力した目次が全部消えてる..... たしかにちょっと手順を違えたところがある。しょうないので再入力するしかない。まぁ今までの史書の目次づけと違って調べることはなくひたすら全ページ入力するだけだからいいか。いいのか?

 とりあえずマクドナルドで再入力してアップしてきたった。23時すぎまでかかった。
 徹夜しても得られる賃金はほとんどないんだからバカらしいことしてるよな。まぁがんばったのは遠出するために時間をつくろうとしたつもりだが遠出してもガソリン使って金が減るだけなのでやっぱりやめよう。とかいいながら名田庄の道の駅でそばくってお茶をにごすかもしれない。いちおう福井だ。


2016/11/01 火 京都

 出版社がご丁寧にメールで写真使用許可のおねがいをしてきたので断わった。これで写真にスカシで名前などいれておくことの重要性がわかる。もっとでかくしてもいいな.. もしくは真ん中にも入れるか。

 昨日の夜の雨で比叡山が見えなかったがだんだんと見えてきた。こんなに眺めよいところで作業できて最高だな。まぁ自分のようのなのが潜りこめるだけあって、結構いろんな人がいる。

 エネオスか日石か出光でハイオクをいれると洗浄剤とか添加剤がはいっててエンジンルームなどが綺麗になるらしい。実際そうかはともかく、坂道などで差がでるらしい。そういう情報を除染の戦友におしえてもらったので今日のうちにガソリンでもいれにいこうとおもう。
 Dr.Drive はエネオス系列

 もう夜だしいいか。


2016/10/31 月 山奥 → 京都

 朝飯食って下界に降りる。途中道路の温度掲示が5度をさしていた。

 徳島で入れた117円のガソリンのせいか知らんがなんか臭い。妙に力がでないがガソリンの混ぜ物の量が多いんだろうか。燃費も落ちてる気がするが、とはいえまだ次のガソリン入れてないので実際に計算してみないとわからん。燃費が落ちてるのは気温のせいかもしれない。なるべく使い切ってから次のガソリン入れることにする。

 wmware player をアップデートした。これでスリープがらみでネットが切れてしまう件がなくなるかな。

 しまった。マクドナルドにいる間にinviteに気付けばよかった。ネットが重くて開かない...
 いや、ちがうな、academia.eduが重い。


2016/10/30 日 京都 → 山奥

 ちょっと愛宕山登りにいってきたら登り一時間ちょい下り一時間弱合計二時間だった。昨日夜中に目がさめてから眠れず、朝になってようやく眠くなってきたが、とはいえ今寝てもしょうがないのでとりあえず愛宕山に行ってみたらそんな感じで早く登れた。四国に行ってからなんか体が元気になった気がするぞ。

 いかん飯食いすぎて寝てたらもう夕方だ。

 山奥に一度帰った。年金の通知をやっと確認。免除延長不許可とか。よくわからん。やはり金の工面をしないといけないのか。


2016/10/29 土 京都

 今朝は雨の余韻があるので山のぼりにいかないことにする。

 Windows10はスリープがからむと動作がおかしくなることが多くなった。Vmware Player もサスペンド→スリープ→再開でネットが繋がらない事が多い。何かを連続処理させてる最中にスリープに入るとその瞬間の処理が死んでることがあるので処理させたままうっかり寝てしまうということができない。

 英彦山 望雲台

 日本大蔵経というのに修験道の本が集められている巻があったので復刻しようかと中身をみていたら欠落していた。ぐぬぬ。


2016/10/28 金 京都

 うーむ。今朝は寝てるのが心地よくて気付いたら九時前だった。ぐぬぬ。

 涼しい。最高の季節になってきた。昨日の夜そう感じた。

 Windows上のターミナルの設定でフォントの効果を無しにいたらいい感じになった。目に負担がかかったのはそのせいか。

 次は辞書だ。

 Windows Update するのはいいけど時限強制再起動とかやめてほしい。


2016/10/27 木 京都

 昨日必死のパッチ(死語)で目次を作成してファイルアップロードまで漕ぎつけたが、それ以上はやらずに帰って寝た。内容案内とかは今日書く。

 とりあえず三国史記出した。

 ついでに今までの規模の本も作ってみたら一日でできた。うーむ。

 あとwindows上で動くモダンなターミナルでテキストいじりをやってみたが、あれはどうも目に来る。普通にxtermを動かした方がいいんだろうな。ということでとりあえず長時間いじるときはDebian内でやることにする。
 とおもったが、これACアダプタ刺しっぱなしにしてるせいで何かでてるのかもな。

 古語拾遺ってこんだけしかないのか。古事記と一緒にしておけばよかった。今から付けるか?


2016/10/26 水 京都

 うーむ。朝早く起きれなくなった。そんなに疲れてるのか? まぁいいや。いい時間なので飯食ったらとっとと立命の図書館に行こう。今日は目次付けだ。

 なんかおかしいとおもったが三国史記の白村江の記述って新羅本紀と百済本紀で一年ズレてるのか。


2016/10/25 火 京都

 昨日激流さんにもらったレトルトゆで落花生が気になってついつい袋を開けてしまった。なかなかうまいが食いつくすまで移動できない。実家からの補給品のあまりらしく他にもいくつかもらったがこれが一番郷土色が強かった。千葉名産とあり、「優秀ふるさと作品コンクール 会長賞受賞」とある。
新豆でました!レトルトゆで落花生 一覧 - 千葉県八街市 落花生問屋 フクヤ商店
 これだな..

 Xサーバに表示されない件は辛抱強く待ってたら出てきた。一度出たら速い。

 今日はなんか朝から眠く起きるのも遅かったのだが、さて外に出ようとしてみると雨が降っている。ということで戻ってきたらまた寝てしまい、今午後一時になったので出ようとしたらやっぱりまだ雨が降っている。レーダーをみると昼前とおなじく雨の境界線上に京都がある。なんだこの天気。ひょっとしてこのまま雨が続くんだろうか。

 マクドナルドを使うためにコーヒーに慣れてしまうとなぜマクドナルドのコーヒーが一部の人から泥水と評されるのかわかるような気がしてきた。もっとも最近は他でコーヒーを飲んでいないのででは泥水ではないコーヒーがあるのかどうか知らないのだが、たぶんマクドナルドの安いコーヒーはカフェインは入っているが、香りが飛んでしまってるということなんだろうな。

 どうもねぼけていかんので御所西南のマクドナルドに来た。マクドナルドのコーヒーの中毒かもしれんな。
 やっぱり外に出なくてはダメだ。出ればはかどる。家の中を外のようにする一番の方法は家庭を作ることなんだろうがまぁ収入が伴なわないから無理だな。とか言ってるが別に収入なくてもヒモになってる人もいるわけでつまり自分に問題があるんだろう。
 ちなみに四国旅行中に観光名所でなんかしらんが妙齢の女性と二人きりになるような具合になったことがある。佐田岬は交通制限していたせいで一時間に一度車がたまるので一斉に佐田岬に向かうことになるが、その関係で、なんか女性と一緒に行動できそうな気配もあったが一人で車に戻って準備するなどの無駄な行動をくりかえしてそういう機会を自ら棒にふった。高知城ではブラブラ入っていったらガイドのおじいさんが、ちょっとだけ案内させてとか言いだして無理にある所へ連れていったのだがそのあたりに一人でブラブラしてる女性がいた。たぶんガイドのじいさんは気をきかせてそういうことをしたんだろうが自分は完全に無視して戻って最初から見直した。二人とも話しかけてほしいオーラがすこし出ていた。そういうときに別に下心とか考えずにとりあえずその観光名所を楽しく見物するという目的で話しかければよかったんだろうがそういうことができず自分の計画を優先するからダメなんだろうな。レディファーストとかいう概念があるが、あれはあらゆる局面で女性にサービスせよということなんだろう。おれもおまえも一人の人間、勝手にせよ、という感じでいるなら女性と仲良くなる事もない。42にもなってそういったことができない自分は男として生きてる資格がないのかもしれん。

 戸次川の戦い - Wikipedia
 仙石秀久 - Wikipedia
 戸次川の戦いで元親は戦闘に参加できず敗走、仙石は敗北の責任をとって改易・高野山追放にされてたのか。

 「孤独死は独居老人より独身40代のほうが多い」特殊清掃人が断言 | 日刊SPA!
 健康な男が座って仕事しつつ三食きっちり食うから糖尿病になったり鬱になったりするだけなのでみんな運動したらよい。全て解決する。(筋肉脳) 一番いいのは山に登ることだな。(山脳) 普段の交通手段を自転車にしてしまうのもお手軽だ。(自転車脳) 徒歩は時間がかかって現代の生活にあわないのでお勧めしない。

 JAXAが宇宙での生活について治験参加者募集 13泊14日間で協力費38万円 - ねとらぼ
 今みつけたので応募してみた


2016/10/24 月 京都

 旅行のおかげで時間を有効に使おうとする傾向がある。
 といいつつも朝一に区役所でダウンロードしわすれて立命まできてしまった。しかたないのでSIMで落とす。Xサーバが表示されなくなってるのでアップデートしてみる。→変わらんな...

 室戸岬を通らなかったのは空海の修行したという洞窟が落石で行けなくなったのが一番の理由。それから室戸岬経由になると途中に見るところが増えてまた時間がかかるというのも理由。
安芸氏の繁栄-中世~戦国時代-
 安芸氏というのが高知県の東部にいて長宗我部元親にやぶれたのだが、この安芸氏は壬申の乱で土佐へ追放された蘇我赤兄の子孫ということになっているらしい。蘇我氏が土佐で貴種あつかいされていたのなら長宗我部氏や香宗我部氏も蘇我に因んだ名前もしくは元の地名が蘇我由来なのかもしれない。
 この安芸は岩崎弥太郎の出身地でもあるので三菱カーで乗りつけるのもおもしろいかとはおもったが、上記理由でやめた。

 明日引っ越す激流さんからスチール本棚をもらい、うちにもって帰ったらなぜか土蔵の二階の自分の部屋が開いていた。うーむ。誰かが入ってるていうことだが何をされたのかよくわからん。しかしあけっぱなしにしてほしくないな。獣が入る。とりあえず本棚を置いてまた京都に下りてきた。
 その後なぜかお好み焼きをおごってもらった。

 旅行中に「宿泊予約ご本人様確認手続き」というスパムが来ていた。こういういかにも特定個人を狙ったようにみえるスパムを標的型スパムというらしい。e8xhkeczh24.netというサイトをクリックさせようとしているようなのでとりあえずwhoisしてみると、意外なことに住所とか丸見えだった。

Registrant Name: Natuko Kuroda
Registrant Organization: Natuko Kuroda
Registrant Street: 11-1 Motoyoyogicho
Registrant Street: Tanakabiru301
Registrant City: Shibuya-ku
Registrant State/Province: Tokyo
Registrant Postal Code: 151-0062
Registrant Country: JP
Registrant Phone: +81.354578103
Registrant Phone Ext:
Registrant Fax:
Registrant Fax Ext:
Registrant Email: u8hrhzptscs@yahoo.co.jp
Registry Admin ID: Not Available From Registry
Admin Name: Natuko Kuroda
Admin Organization: Natuko Kuroda
 この「東京都渋谷区元代々木町11-1 田中ビル301」という住所をググると、送金詐欺とか特殊詐欺とかの送金先に使われている住所だという。詐欺って巣がわかっててもどうにもできないもんなんだな。こわいこわい。
2016/10/23 日 京都

 今日は朝から日記を書こうとしたが疲れがとれないのか午前中も寝てしまい、午後になってようやく元気がでてきてどうにか昨日の日記を書いた。もう夜か.. 朝から立命の図書館行っとけばもうすこし他のこともできたかな。


2016/10/22 土 徳島 → 淡路島 → 京都


 徳島の眉山公園で寝た。最初はつきあたりの広い駐車場で寝ていたが、ヤンキーがバイクの練習をしだしたので頂上の狭い駐車場で寝た。他に車があってもカップルが夜景を見にきてるだけだから静かなもんだ。ところが夜中にすぐ近くにエンジンかけたままの車が停まってなかなか去らない。あんまり長時間エンジンの音を聞かされて目がさめてしまったので起きて様子をみると、この駐車場には自分のも含めて二台しか車がとまっていないのにすぐ近くにとめてやがる。中では男女がイチャイチャしてるようだがよく見えない。車の真ん中あたりで頭が動いているところをみると、後ろから抱きかかえてさわりまくってる感じだろうか。よくわからないのでボーっと観察していたら、5時くらいになってようやく気付いたようで、とっととどっかへ下りていった。てか車を離すくらいの気遣いしてくれたら夜中に起きなかったのに。


 勝瑞城跡。戦国時代京都を握った細川氏・三好氏の阿波での本拠地。行ってみたら平野の中の小さな城で、館程度の規模で意外だった。三好氏の菩提寺の見性寺があとでこの城跡に入ったらしく、今もそこにある。中途半端に史跡整備した様子で、何やら付帯施設もあったが蟻の駆除中らしく閉鎖されていた。寺をのこしたまま史跡整備しようとするのが間違っていたのではなかろうか。

 さてこれからどうするかだが、地図をよくよく見ると姫路にだけ行くなら淡路島経由もそっちの方が近いので淡路島経由で帰ることにした。で、後何を見るかだが、どうでもよくなってきたのでまっすぐ帰ることにした。一応高島さんに連絡してみたのだが返事がなく、結局姫路には寄らず淡路島をみたあとまっすぐ帰ったのでこうして京都で日記を書いている。


 ということでとりあえず鳴門大橋。渦の原因となる海峡間の潮流がみえる。

 洲本市立淡路文化史料館 200円だったかな?
 ここは写真禁止だったが展示物も多かった。淡路島の古代はどうも製塩で始終したらしい。弥生時代に山間地集落ができたのが急速に消滅して海岸部の製塩遺跡ばかりになるというのだから尋常ではない。しかも土器製塩の技術が急速に進化していく様がわかるという。若狭なんかが製塩に力が入るのはもっと後なのでさすがに瀬戸内と近畿の間にある島だけのことはある。しかし意外なことに前方後円墳はないらしい。
 日本遺産とかいうので神話の国産み神話で最初にできた島ということで登録されているらしいが、その関係で製塩のことを極端に表現してただけかもしれん。
 縄文時代の西日本最大の遺跡なんてものもあるらしいんだがこれはあんまり強調されてなかった。今ググってもあんまり情報でてこないんだが縄文時代をありがたがるのは東日本だけなんだろうか。
 戦国時代は細川-三好の下だったらしく国人衆の中で最大だったのが洲本の安宅氏ということだが、これがまた紀伊の熊野水軍の系列らしい。ここでも紀伊か..
 本能寺の後、山崎の合戦の前に洲本が長宗我部氏系にとられたので秀吉はこれを一掃してから山崎の合戦に臨んだらしい。もちろん秀吉本軍が淡路島に行ったわけではなく、味方に指示して長宗我部方を排除したわけだが、これとか本能寺の変の原因四国説を補強するような事件だな。四国征伐でも淡路島をまず押さえて淡路島の将を四国に配置してておもしろい。
 江戸時代は阿波の支配地だったのだが、蜂須賀家の筆頭家老の稲田氏がほとんど大名のような扱いで淡路にはいっていたらしい。
 直原玉青という南画の巨匠が洲本に作品などを寄贈したのでこの史料館ができたらしく、最上階はその記念美術館となっていた。南画が中国の絵の模倣から出発したということは押さえてあるが、現代南画については特にそういうことが書いてない。中国画も民国以降淡彩のように色を使う方向へ発展していって、ここでいういわゆる「現代南画」に似ているのだが、たぶん近代中国の動向とからめて近代日本の絵の動向を研究した人って誰もいないんだろうな。この場合は日本→中国ということになったら分がわるいから西洋→中国、西洋→日本ということになってるんだろうけど。
 まぁ展示物のおおいところでよかったが、歴史展示は記述が分散してて何度か同じことを読まされた。もうちょっとまとめてあった方がいい。


 正真正銘の閉店セールだろうなこれ。


 その後伊弉諾神宮なるところを見にいったが、なんか変なとこだった。本殿の裏にも拝所があったのだが、そこにかたまってなにかをしきりに拝んでる集団がいた。神道系の宗教団体なんだろうな。パワースポットとかそういう気配が全体にあって気持わるかった。

 国道28号をそれて伊弉諾神宮を見にいったのでそのまま淡路島の西岸を北上し、北淡歴史民俗資料館に行く。

 北淡歴史民俗資料館 300円
 ここはひたすら民具が置いてあるところだったが、ものすごい量置いてあったのでいちいち見ていたら結構時間がかかった。よくある民具の他にも寄贈されたカメラのコレクションという特殊なものもあった。これがまた銀塩時代から最近のまでものすごい量だった。さらに移築民家として原健三郎の生家があった。これも生活できそうな具合に保存されていた。放置状態の阿波公方民俗資料館を見たあとだったのでとにかく保存状態がよく見えた。民具の管理って大変だろうな。


 その後も淡路島の西岸まわりで岩屋まで行き、下の道の駅でたこざく200円を食べて一眠りしたあと橋を渡った。淡路島の西岸は山勝ちだったので明石の方が見えたときには対岸との差が鮮明だった。

 さてその後だが、高島さんとの連絡もとれないしためしに最短ルートの2号線→171で帰ってみることにしたらやっぱり渋滞で全然進まない。まぁ運転してない時間の方が長かったので休憩しながら進んでいるようなものだからそれほど疲れなかったが、よけい長時間運転しつづけることになった。途中でマクドナルドに寄ってまずいコーヒーでも飲みながら日記でも書いて道がすくまで待つのが正解だったのだろうが、みつけてもなんか入る気がしなかったのでそのまま京都まで走ってしまった。そのせいか帰って日記を書いている途中で寝てしまいこのザマである。


2016/10/21 金 (高知) 高知 → (徳島)徳島

 種崎千松公園で寝たが、夜中に一度目がさめたときにはキャンピングカー以外消えていた。朝にはまた車が増えていた。海岸というのはいろんな利用者がいるようだ。


 桂浜には坂本龍馬記念館があるが、それは無視して、その後背の浦戸の山は長宗我部元親が最後に城を築いている。秀吉の朝鮮出兵への資材供給に対応するためらしい。ということでその近くに長宗我部元親の墓があったので朝の間に見てきた。元親の死の直後に長宗我部氏が没落したので質素なもんだ。

 そして今日は一日かけて徳島方面まで行くつもりだったが、山をつきぬけて阿南市へ出る国道195号ルート約200kmを選んだらなんと午前中に阿南市に着いてしまった。

 道は高知側がよく県境まで二車線あったがその反面高知側は谷がものすごく深い。しかもその深い谷の中腹にへばりつくように住んでいるのだが、深すぎるために途中で人家もみあたらなくなる。高知徳島間の山間に街道が通っていなかったのもよくわかる。2車線の道もよく通したものだ。
 徳島側になると日当たりがよくなって谷も広くなり人も住みやすくなるようだが、そのかわり道が細い。しかも途中崩落したのか迂回路を通るところがあった。
 途中にある道の駅がどれもこれもしょぼくて車を寄せても休憩とかできない。工事中のところが多くやたら停止させられるが、そうかといって店もないのでなにかを買うという名目で停まることもない。最初あんぱんまんミュージアムのある道の駅があったのだがそこからしてそうだった。そもそも道の駅を積極的に置くというわけでもなく、既存施設を道の駅に転用してるだけのようだった。


 阿南市の那賀川北岸の那賀川町にある阿波公方・民俗資料館にとりあえず行く。200円。
 入るとすぐ「当町には天文三年より文化二年まで約270年間にわたり阿波公方が居住した経緯があり」云々と書いている。文化二年? 公方とはいいつつも十四代将軍の義栄を出しただけなので足利将軍家の枝の血筋という家というだけらしい。ともかくも秀吉の四国征伐後の阿波の蜂須賀家の元でなんとか文化二年まで家を保っていたが、自分から京に出ていったらしい。
 「阿州足利家」と書いてあるマムシよけ札を出してたりするあたりのスケールの小ささがなんともいえない。
 一階に民具室があって雑然と民具が置いてあったが案外おもしろいものがその間にあった。これだけ集めてあるとさすがに珍しいものも混るようで、石油を浮べた水で殺す誘蛾灯なんてはじめてみた。ただし状態はよくない。物がありすぎて管理しきれないんだろう。

 さてここを見てもまだ昼くらいなのでその勢いで徳島県立博物館に乗りこんだ。
 文化の森という総合施設になっていて、県立図書館や美術館なども一箇所に集めてある。ということでとりあえず博物館。200円。JAF割で160円。

 ここの博物館は自然と歴史が一体となったもので展示も丁寧、説明は簡にして要を得ており博物館としてはすぐれているとおもうが、歴史博物館の説明としてはちょっとあっさりしていた。たとえば近代は戦争被害と部落関係しかないので活動家の展示のようにもみえる。それだけテーマを絞ってしまっているということだろう。
 この後、図書館でちょっと三好氏関係の本を見てたが、そのころから木材と藍が主要輸出品であったらしい。博物館だけみてると江戸時代からなのかと錯覚してしまう。そして貿易港の堺はその木材と藍で富を蓄積していたので阿波勢力とのつながりが強く、堺幕府なるものが成立したのもその反映であるという。
 室町時代を通じて四国というのは中央へ進出する足掛かりになっていたようだ。そのルートが戦国時代になると阿波守護細川氏・守護代三好氏の中央進出となったということだろう。織田信長が上京してからの戦いは三好氏勢力の残党を京・畿内から追い出す戦いにも見える。となれば四国は中央に干渉する勢力の伝統的な地盤なわけだから、三好氏にとってかわった長宗我部氏の勢力をなるべく制限する方向で織豊政権が動くのは当然のことなんだろう。


 鳥居龍蔵記念館。200円。JAF割で160円。
 鳥居龍蔵が訪問したとこの紹介と鳥居龍蔵の一生の紹介なんだがそれで収集した遼の文物なんかも見れる。そういうと生涯の方では鳥居龍蔵の肉声の録音を繰り返し流していた。

 というわけでその後図書館に行ったらもう夕方になったのでマクドナルドに来て充電しながら日記を書いている。
 激流さんがドイツ留学で京都撤退するので本棚とか貰えるようという話は聞いていたのだがそれが24日らしい。うーむ。それに合わせるために帰るとするともう明日は帰る方向で移動するしかない。どちらにしても三県の県立博物館を見るという目的は達成できてしまったので帰る方向なのだが問題はルートだな。うーむ。姫路を飛ばすなら淡路島経由ですぐ帰れるのだが。

 なんかLibreOfficeが立ちあがらない。Windows10がマルウェアを削除したとか報告してたがもしかしてそれか? 再インストールしてやる。→なんとかなった。


2016/10/20 木 (高知) 高知

 結局道の駅で寝た。今朝はすこし涼しかったが昼はやはり暑い。もうすこし涼しいといいのだが。昨日百均でバケツ買ったので洗濯してると若狭の大飯から田舎に来てるという年寄りに声かけられて話をダラダラしたが、細部の説明が曖昧なのでいろいろゴマかして生きてるように感じた。どうもこの駐車場常連がいるらしい。おっさんも雪が降りだすまでここにいるとか言ってた。

 今日は午前中高知県立歴史民俗資料館に行き午後高知城まで歩いて行った。それでいい時間になったのとそこそこ疲れたのでやる気がなくなりマクドナルド高知インター店に来たところ。電源つかえるパソコン席が4席ある。意外なことにくたびれた感じのおっさんしかいない。となりに来た作業服姿のおっさんが何してるのかのぞいてみるとDVDみてた。サボりに来てるのかな。


 資料館が開くまで時間があったので岡豊城に行ってみた。長宗我部氏の本拠地だったところということでそれから放置されていた程度には石垣がよく残っていた。眺めはよく南国市の盆地が一望できる。

 ということで、高知県歴史民俗資料館。JAF会員割が効いて360円。
 ここは写真禁止でいちいちメモをとったので時間がかかって疲れた。
 まずは長宗我部展示室。もとは秦氏で鎌倉時代に信濃から来て長岡郡の宗部郷だから長宗我部ということになっている。あたりまえだが地方のことで資料などないので文書類の一次資料とか使う以外は軍記物にたよることになるらしい。その由来にしてもそれだと隣の香美郡にいた香宗我部氏を説明できないとおもうんだが、どうなんだろう。
長宗我部氏 - Wikipedia
 近くに「そがべ」みたいな名前のものがいたので長・香をつけて区別したという説もあるのか。
 当然のことながら本能寺の変の四国原因説はとりいれていて、林原美術館の資料を展示してもいた。信長には四国制覇の許可を反故にされ、秀吉には九州征伐で息子を殺され朝鮮征伐で資材供出を申しつけられ、と天下人に翻弄された元親という像を描いているのだが、まぁ中央からみると四国に覇を唱えるような勢力は潰そうとするのが普通だし、信長の死の原因をつくり光秀と縁があるということなら狙われて当然ではあるよな。しかも秀吉の四国征伐のときは阿波讃岐伊予の勢力に戦わせて土佐勢は温存していたのだから、土佐一国にされても当然な面はある。そういうと川之江のあたりを秀吉は狙えと特に指名していたと川之江の方では書いてあったが、ここで土佐勢の配置図をみると、総大将の元親もその近くの阿波の三好地方の城にいた。やはりそのあたりは四国の要所ということなんだろう。
 息子の信親にしても九州征伐の戸次川合戦で阿波の十河氏とともに島津軍に敗れて戦死してしまったわけだが、これもむしろ狙って潰しあいされたのではないかとおもわないでもない。
 元親の後をついだ盛親はどうも世間の波に乗りきれず、関ヶ原・大坂では、厚遇されていたわけでもないのに豊臣方について没落して死ぬわけでこちらはなんとも言いようがない。関ヶ原の布陣なんかみてると戦場から遠く離れた隅にいてやる気がないのがわかるのに徳川方についてないあたりやはりこの時代についていけてない感がある。しかも幽閉中の兄を殺したために土佐没収となったので要は器量がなかったんだな。

 さて総合展示だが、土佐に期待していた独自性みたいなのがあんまり感じられなかったことを最初に告げておく。南の方で暖かいので氷河期の旧石器時代とかはイケイケのはずだが、そんな感じでもない。ここはなんというかよそから来たものをそのまま通用させてるようなところなんだろう。弥生時代にしても九州の銅矛・近畿の銅鐸をそのまま入れてる。弥生時代の銅矛を今でも神社の祭礼につかっている所が一箇所あるあたりはすごいがよそからきたものをありがたがるということで微妙な感じもする。
 捕鯨・鰹漁の技術も尾張・紀伊から輸入したものらしい。幕末の志士にしても、徳弘考蔵が高島秋帆の弟子に西洋砲術を学び、それをもちかえって伝授した弟子らの中から輩出したということで、外来のものをありがたがってるだけな気もする。
 そういうと前方後円墳について高知内にはないとか書いてたが、そのくせ宿毛の平田曽我山古墳は名前だけ紹介してそれが何なのかはっきりと書いてなかった。そのころは宿毛あたりの方が中央と近かったというような事実は書きたくないんだろうか。
 その一方で民俗展示は古い形を保存してるっぽいのが多かった。オサバイ様とか。なにせ銅矛を今も神社の祭礼に持ち出すようなとこだからな。


 土佐神社。歴史民俗資料館を出たあと、その北の山の上にある岡豊八幡宮を見にいこうとしたがやめてとりあえずイオンモール向けて車を走らせると途中にあったので寄った。長宗我部元親が寄進した建物がのこっているということだ。まぁたしかにいい感じだった。

 イオンモールに車をとめてとりあえず高知駅まで歩き、そこからはりまや橋とか見にいったが、はりまや橋に何の思い入れもないので見ても何ともおもわない。
純信 - Wikipedia
 はりまや橋をみてがっかりするのはどういう人なのかよくわからぬ。


 高知城。現存する12天守のうち、本丸の建物が全部のこってるのはここだけという。ということで来てみたが、宇和島みたいな感動はなかった。まぁよく整備されて放置されてないからかもしれん。建物についても建ってたのはこういうよくある御殿ということがわかって逆にこんなもんかとおもってしまった。そりゃこんなのならなんかあればすぐ燃えるわな。

 天守の上からのながめはなかなかよかった。しかしここは追手門と天守の距離が近いな。

 だいたい満足したのでイオンまで歩いて帰ることにしたのだが、そのとき通った商店街は昔の街道筋の江之口だったようだ。

 イオンをぐるっとまわったがスマホの電気がなくなりそうだったのでとりあえずマクドナルドに来て充電しつつ日記を書いているのだが書いてるうちにもう日が暮れて暗い。うーむ。毎日毎日日記を書いてまとめてるのはいいのだが、そういうことを毎日やってると疲れてしまう。明日もうすこし高知県内を見ていくか、一気に徳島まで行くか、徳島飛ばして川之江から瀬戸大橋を越えるか考えどころ。まぁ疲れてるので寝てから考えた方がいいかもな。この調子だとやはり結局二週間コースなんだろうか。ちょっと考えていたのが帰り今治から尾道方面に抜けるというコースだがそれだと金と時間が余計にかかるのでやめた方がよさそう。

 もう今日は疲れたので桂浜の対岸の種崎千松公園で寝る。まだ行ってもいないが無料らしいし昨日に比べたら静かに寝れるだろう。

 戦前の1/5万図をみていたら高知の河口に弘化台というのがあったのでググってみるとやはり砲台だった。今は拡張されて魚市場になっているらしい。


2016/10/19 水 (高知)四万十市(中村)→久礼→須崎→高知

 今日も暑い。そろそろ洗濯しないといけない。自分でも不快なのだからかなりくさいかもしれぬ。暑い→汗→暑い→汗のサイクルがつづくと汗が暑さで発酵してくさくなる。とりあえず早く季節なりに涼しくなってほしい。

 四万十市では結局マクドナルドのあるフジグランの駐車場に停めたまま寝た。四万十川の河口に公園があってそこが静かという情報は得ていたが、そこまで行く気力がなかった。朝になってうるさい車が来たので河口の方に行ったらこっちは本当に静かで車中泊向きだった。しかし朝には近所の人らしき人が見回りに来ていた。まぁ年寄りはヒマなんだろう。

 朝とりあえず郷土資料館に行く。320円。城跡なのだが狭い道が上までつづいていて、軽自動車なら楽に行くことができる。箱は鉄筋コンクリの模造天守閣。定年間近の雰囲気のあるおっさんと土佐牛みたいなネーチャンがいたが、ネーチャンが妙な薄着をしていたので印象がわるい。それで展示がしっかりしてたらどうでもいいことなのだが、順番が雑すぎる。おなじ幡多郡の宿毛がしっかりしてただけによけいだらしなく感じた。展示物はそれなりに多いのにもったいない。
 宿毛の資料館にあったが、幡多の中心ははじめ宿毛と中村の間の宿毛寄りのところにあり、それがだんだん中村の方に移動したらしい。ということで中村唯一の古墳なるものがあったが、横穴式積石墓ということで時代も遅くそんなにおもしろいもんでもなかった。

 一宮神社なるところに七星剣なるものが伝わっていて古墳時代後半〜奈良時代のあたりらしいが、これは非常に珍しいものということで復元品がポンと置いてあった。
 中村に本拠のあった公家大名の一条氏についての展示も分散している。長宗我部氏に敗れたあと栗本城なるところに立て籠って再起しようとしたが失敗したらしいのだが、その栗本城の発掘成果が並べてあった。
 宿毛とおなじようにここ中村にも山内氏の一族が置かれ、こっちは独立した藩として成立していたが、若年寄就任を固辞したため取り潰されたとか。そんな理由で潰されることあるんだな。城の発掘成果で瓦を復元してみたのが上の二枚目の写真。
 宿毛とおなじで幕末から明治にかけていろんな人物を輩出しているようで、幸徳秋水もここの出身らしく、若いときに奉納した絵馬なんて珍品が展示してあった。

 最上階は展望台で中村を一望できるのだが、ライオンズクラブ寄贈の望遠鏡が置いてあってそれをのぞいたら遠くもはっきりみえてびっくりした。


 中村の町もみてまわるような感じではなかったのでとりあえず昨日夜中に通ったのでよく見えなかった四万十川橋を見にいった。大正13年らしい。ググったとこでは赤鉄橋の名前で通っているようだ。


 今日はその後ひたすら走って道の駅によって安いものをつまむという単純作業になってしまった。道の駅で目につくのが鰹のたたき。海沿いの国道を走ったのでそればかり目につく。


 久礼によってみたが、ここは大正町市場というのが売りらしく寄ってみるとかつおの丼が500円とかでよさそうだったが今日はちょくちょくつまんでいるのでそんなに食う気がしない。歩いてまわるほどでもなかったのだが、ここに「天正十九年の遍路板碑」なるものがあると観光案内の看板にあったので探しにいったら板碑というよりは石碑だろというような石があったがよく読めない。説明板によると

四国中遍路■七度成就也 敬白
 南無大師遍照金剛
為美作國住円心逆修也 天正一九卯辛年
           六月廿一日
 とあるらしい。四国霊場八十八ヶ所がいつごろ成立したかははっきりしてないとここでも明示してあるが、それがわかる重要な資料ということだ。これをみると1591年の時点で四国遍路をしている人がいることがわかる。ただ円心という名前なので僧侶のようでもあり一般の人とは言いがたいのだが複数回まわっていることからして三十三ヶ所のようなルートがあったのだろう。なるほど。


 それから宇和島でも砲台に寄ったので、須崎にある土佐藩の砲台跡を見にいった。こっちは一応全体の形がのこっていたが土台の幅を歩数で比較すると宇和島よりちょっと狭いか。砲弾が置いてあったようにみえるコンクリートの台座のようなものがあったが、なくなっているところをみると、盗まれたんだろうか。

 その後ここまでチンタラチンタラ走った疲れがでてきて昼寝した。そして高知に着いたら16時過ぎ。高知城のまわりを一周したが無料で停めれる場所がない。もうこんな時間なので金を払って停めてもしかたない。ということでマクドナルドに来て日記を書いた。これから明日どうするか調べる。たぶん最初南国市の方に行って見れるものを見てから高知のイオンに車を置いて歩いて高知城を見にいくくらいかな。さてそれができるかどうか。高知市内はとばしてもいいかもな..


2016/10/18 火 (愛媛)宇和島→愛南→(高知)宿毛→土佐清水→足摺岬→四万十市(中村)

 今日も蒸し蒸しする。寒くて乾燥しているといい点のひとつが風呂に入らなくても平気だということだが、これだけ蒸すと当然毎日風呂に入らないといけなくなる。頭が痒かったのだが、これは洗ってないからだと気付いた。やばい。

 昨日はとりあえず九島に行ったら当然静かでよく寝れた。しかしここは監視カメラ付きでなにか異常を認めたらすぐ車がやってくるということもわかった。

 早朝道の駅に行って昨日買っておいたヨーグルトにミューズリーをつっこんで食べ、とりあえず朝のうちに宇和島城まで行ってみる。

 ちょっと散歩して宇和島城は見納めにするかもなぁとおもっていたが、登ってみるとまず石垣や石段の残存状況がものすごく自然な事にコロリと参ってしまった。雰囲気ある。すごい。しかも天守閣は明治以後壊されなかった十二天守の一つであるという。実際のところ、こういうとこは必ずどこかで近年の修復の手が入っているのだが、その修復も不自然さを感じさせないところがすごい。うーむ。これは是非じっくり見なければ、ということでひととおり外部の構造物を見た後、展示系施設がひらく9時まで寝て待っていた。

 といいつつ最初に見に行ったのは宇和島市歴史資料館。

 高畠華宵も宇和島出身ということでここの目玉は高畠華宵らしく通年で華宵展の部屋を置いているらしいがちょっと展示室をのぞいたところ華宵の絵もそれほどなかったのであんまり見なかった。この建物自体が文化財で明治の警察署らしい。その後地方の役場として移築転用されていたが、平成元年に取り壊すことになったが宇和島に戻されることになったそうだ。
 他の展示は宇和島平野の変化とか宇和島出身者など。そもそも展示向け施設ではないのでパネル展になったり雑然と展示物が置いてある感じになってしまうのはしかたない。外に砲台の跡があった。昔はここに模造砲が置いてあったようでその案内が建物の裏に隠してあった。模造砲どこに行ったのか。このあたり埋め立てが進んで陸の中になってしまっているのはもったいないが場所がないからしかたないか。
 漢学者による砲台竣工の記念碑があったのだが折れた跡がある上に摩滅して読めなかった。

 そしてまた宇和島城に行く。天守閣200円。

 まぁ中身はこんなもんか。
 歴史資料館に宇和島の平野部の変遷の図があったが、宇和島城は最初湾内の海城として設計されたらしい。それがどんどん平野部がひろがって今のようになったらしい。道理で周りが険しい崖になっているわけだ。絶海の孤島みたいな感じがあったが昔はまさしくそんな感じだったんだろう。

 天守閣から湾の入口の方を眺めればこの城が昔もっていた重要性というのがわかる。湾の出口と相対しているので船の出入りがよく把握できる。戦争のときはここに司令部置いて伝令をとばしたり報告が集まったりしたんだろうなと妄想した。

 城内に城山郷土館というのがあったが、宇和島出身人物の案内だった。中でおもしろかったのが油屋熊八だな。別府の観光開発をやったので有名らしい。「生きてるだけで丸もうけ」はこの人の口癖だったらしい。中野逍遥の本は国会図書館デジコレにあるのでちょっと落として読んでみる。
 城のすぐ近くに消防署があるのだが、帰りに幼稚園児に対してはしご車のデモンストレーションやってた。先生を籠にいれてはしごをのばして回転させていたのだが、あれ先生を籠に入れる必要あったんだろうか。

 伊達博物館というのがあるのだが500円するのでパスした。秀吉像はここにあるのが一番でかいらしい。というわけで宇和島は終わりにして移動。もう宇和島はガソリンの値段が一層高い地域に入ってしまっているのだが、高知に入るともっと高くなるようなのでとりあえずここで満タンにした。これで高知脱出まで持つかどうか。

 宿毛まで行く途中、愛媛最南の愛南町で資料館があるかどうかさがしてみたら、一本松というところにあるという。行ってみたら民俗資料が並べてあるところで、しかも常時は開いておらず、目の前の温泉施設の人にたのんで開けてもらう形式だった。入るときに名簿に記名するのだが、一ヶ月に一集団程度のペースでしか人が来ていないようだった。展示自体はしっかりしていた。
 蒸すための長い桶があったので麻用のものかとおもったが製紙用だった。発想はおなじのようだ。版木があったがお遍路物だったのでここでも遍路向けに印刷物を売りつける商売があったということだろう。

 宿毛歴史館 200円
 そして高知に入る。宿毛。意外なことに弥生時代の稲作がかなり早期に入ってきているらしい。そういう感じでその昔は土佐の入口だったことを誇っているようである。国造などが置かれていたころはハタ国だったようで、高知平野のトサ国とは別ということだったようだ。官道も宿毛を経由して土佐に入っていたのに、奈良時代から違うルートが土佐への経路となり、その昔は先進地域だったのが辺境になってしまったと書いている。ちなみに愛媛県立歴史文化博物館の展示では、変更する前も宿毛経由ではないのだが、宿毛にとってはそこが大事なとこらしい。
 辺境になってしまってからは戦国時代の公家大名一条氏に話がとぶ。あとは江戸時代の土佐藩家老の山内家の支配となってだいたいその系統の話になる。野中兼山とか。宿毛藩の城下町の模型が歴史展示の真ん中にあったのだが、それをみてると宿毛の武家って小さい社会だったんだろうなとおもう。歴史館の展示は歴史と人物にわかれているが、歴史は半分は武家の話だし人物も武家出身者が多いしそのあたりどうなんだろうとおもった。
 ところで大江卓って西南戦争に呼応した挙兵計画をたてて捕まってるんだな。意外だった。

 ジョン万次郎資料館 400円
 土佐清水の足摺港にある展示施設。ここに400円払うなら宇和島の伊達博物館にも行っておけばよかったかとおもわないでもない。ジョン万次郎の一生をおもにパネル展示で追うものだった。これ見てておもったんだが、ジョン万次郎が日本に帰ってきたことについて

「帰国した万次郎は、新しい知識や技術にとどまらず、日本の開国や対米関係について臆することなく意見を述べるとともに、自らの体験を通じて学んだ人道主義や民主主義を伝えたことが、近代化の黎明期にある日本で、新しい道を求めて模索していた多くの若者たちに大きな影響を与えました。」
 みたいに万次郎が西洋文化の伝道師みたいになったように書いてあるが、ここはちがうだろう。ジョン万次郎の存在は衝撃的だったんだとおもうが、それは一介の漁師を一端の文明人に仕立てあげた西洋文明がすごいというところだろう。


 そして足摺岬に行った。四国霊場のひとつが近くにありその巡礼の人がうじゃうじゃいて佐田岬とは大違いだった。ということでとっとと切りあげて四万十市の方に来る。

 で、マクドナルドに来たのだが、その前にあんまり蒸し暑いのでとりあえず市内の銭湯である中村温泉に行った。400円。週間天気予報をみるかぎりでは明後日ようやく元にもどるようである。はやく涼しくなってほしい。


2016/10/17 月 (愛媛)宇和島→八幡浜→佐田岬→宇和→宇和島

 暑い。今日は本当は日記など書かずにとっとと寝るつもりだったが、暑さのあまりうろうろして涼みがてら書くことにした。


 朝宇和島の道の駅の地図をみていると、九島というのがあって橋で繋がっているのでとりあえず行ってみたが島の中までは車で入らないようにということになっていたので橋を渡っただけだった。さて今日は月曜なので展示施設は全部休み。さらに図書館も休みということで、なにか見にいくしかないのだが、宇和島城とか見ても時間があまるに決まっている。ということでこのあたりの図書館を全部調べてみた結果、どうも海岸にある図書館の分館にはいくつか開いているものがあり、中でも八幡浜の分館は結構大きいようなので行くことにした。せっかく行くなら海岸沿いに行ってついでに佐田岬も行ってとよくばってみた。その昔海岸道路を行ったときはものすごく狭い道があったのだが、今回行ってみたらそこまで狭いところはなく道路工事の進展を知る。しかし離合できない程度に狭いところは数カ所あった。特に狭い村があって神社があったのだが、車も結構流れていて写真も撮れなかった。

 八幡浜の道の駅でひさしぶりにまともな昼飯(ちゃんぽん)を食ってみたがそれも言うほどのこともなく、その後ひたすら佐田岬まで休憩せずに走った。休憩しない方が燃費がよい。

 佐田岬の手前で工事をやっていて、一時間に10分だけ通すという交通制限をやっていた。まぁ駐車場から灯台まで行って帰ったら一時間弱なのでちょうどよいくらいだった。そんな次第で車をためているので観光客も団子になってしまい、なぜかひげのおっさんと話したらその後帰りの道の駅でもひげのおっさんと会ってすこし話をした。
 足が痛かったのであんまり速度がでなかったがまぁ一時間以内で済ませることができた。

 行きはほとんど休憩しなかったが帰りは道の駅にいちいち寄っていった。

 そのうちの一つが伊方原発の付属施設で案内施設もあったのだがほとんど人がいなかった。まぁ原発の展示施設とか変な人が押しよせてくるだろうから大変だろうな。

 昨日気がつかなかった宇和の道の駅にとりあえず行ってみたのだが、さっさと寝ようとしたのだがとにかく暑い。寝苦しいので無料の高速で行ける三間の道の駅に行ってみた。そしたらこっちも暑さはかわらない上にトラックがとまっていてうるさい。うーむむ。どうせ今日は一日ドライブしただけで日記に書くようなこともなかったので書く気がなかったのだが、暑いし寝場所も確保できてないのでもう宇和島に行くことにしてとりあえずマクドナルドで涼みながら日記を書いている。
 明日は宇和島→宿毛→中村というところか。今日走りすぎたのでガソリンが随分減ってしまった。あとちょくちょくつまんでいるせいで金の減りが早い。もう二三日中には降ろさないといけない。旅行なんかしてる場合じゃないんだろな。


 宇和の道の駅に書いてあったが、古代の南予の中心は宇和盆地で、古墳の八割が宇和盆地に集中しているとか。今も水田七割越えとか書いてあった。江戸時代でも宇和島藩最大の穀倉地帯であったらしい。
西予市の原始古代と古代ロマンの里構想 | 西予市
 しかし西予市のこれをみるかぎりでは古墳はあまり保全されておらず観光資源としても機能していないようだ。まぁしょうがないか。
 戦国時代の南予で勢力をもっていた西園寺氏もこの宇和盆地を基盤にしていたようだ。
データベース『えひめの記憶』|愛媛県史 古代Ⅱ・中世(昭和59年3月31日発行) 第四章 戦国の乱世第二節 諸地域の状勢 二 西園寺氏と宇和郡 |生涯学習情報提供システム
 まぁしかしこれ見るかぎりでは西園寺氏の最後は理不尽だな。

 暑い。どうもアメダスで過去の記録をしらべると15日から暑くなっているようだが、それ以外に石鎚山登山で体が活性化したのもあるようで、今日はいろいろ食ったからそれで体自体が熱いというのもあるんだろう。せめて静かなところで寝なければならぬ。


2016/10/16 日 (愛媛)西条→松山→内子→宇和→宇和島

 さて明日が月曜でたいがいの展示施設は休みなのでどこに行くかを慎重に選ばねばならぬ。ここ西条は藩があったので博物館などもあり、さらに白村江の後に西日本につくられた山城のひとつの永納山城もある。のだが、石鎚山強行登山の影響で足が痛くて動きづらいので山城には行けない。とかいろいろ考えて、西条はとばして松山に行くことにした。

 松山市考古館。
 考古館というだけあって、律令制のあたりで展示がおわっていた。速報展示で松山城の発掘成果を展示していたのだがそこだけ近世のものを置いていて違和感があった。

 弥生時代後期には九州の銅矛圏と近畿の銅鐸圏にはさまれ瀬戸内は銅剣圏になっていたという事で銅剣の展示があった。あと子持ちの須恵器が目立ったくらい。特別展示は廃寺があったのにちなんで奈良の寺院の遺物なんかも展示していた。

 その後すぐ近くの愛媛県の埋蔵文化財センターに行ってみたがなんか開いてなかったのであきらめた。道後温泉の近くに湯築城跡があり、それを見にいくという手もあったのだが、温泉の近くだけあって車の始末がめんどうくさい。足が大丈夫ならどうとでもなるのだが、痛いのでなるべく歩きまわるところは行きたくない。ということで、時間もあるので一気に愛媛県歴史文化博物館へ行くことにした。松山にはなくて南の宇和というところにあってすこし遠いがまだ午前中なので午後には着いてなんとか見ることもできるだろう。

 ということで内子の道の駅まで一気に行ってもち麦のうどんなるものを食った。なんか高かったのでミニかなにかを食ったがそれで十分だった。

 愛媛県歴史文化博物館
 自転車の特別展示とそれに絡んでか弱虫ペダルの原画展というのをやっていたが無視。常設展示だけを見る。510円。しかしここは写真は基本的に不可で、模型だけは写真とってもいいという形。ということで積極的に写真をとっていないので今からみるとよけいにおもしろいものがない。

 これは民俗展示のコーナーにあったもので、それぞれだんじり・太鼓台・牛鬼で祭のときの山車のような感じで出てくる。太鼓台・だんじりはここまで来る途中で見たが、南の宇和郡のあたりには牛鬼が分布しているそうだ。
 愛媛県は遺跡的にはかなり豊富で、縄文草創期の代表的遺跡や、弥生時代後期の高地性集落、古代山城などある。西条で飛ばしたのがそれで、ここの展示をみてちょっと失敗したかとおもったが、こんなとこまで来てしまったらしかたない。古い方も姶良火山灰の下から出てきた石器なんてのがある。特に穴になりやすい平安時代も官衙遺跡があり、藤原純友があり、そして河野氏が来るので万全。そういう調子で日本の歴史の最初の方から最近まで満遍なく展示のある珍しいところだった。まぁつまり各地方に行けばそれだけ特色のある歴史があるということで奈良時代には国府が置かれていた今治の方も行っておけばよかったかもしれん。
 しかしここで四国の古代の駅路の変遷をみたが、基本的に変化してるのは土佐へのルートで、のこりの阿波・讃岐・伊予については変化がなかった。やはり四国で特異そうなのは高知ということだな。ここでみていると弥生時代後期も瀬戸内の銅剣ではなく、近畿の銅鐸と九州の銅矛が混在している形だったらしい。どういうことなんだろう。
 地下に考古展示というのがあったがそこに「舶載鉄器」という珍しいものがあった。中国の戦国時代の燕で作られた鉄斧が渡ってきて再加工されて斧やノミとして再利用されていたという。遼河地方→朝鮮→瀬戸内というような物流のルートがあったんだろうな。

 遍路の展示もあったのだが、その起源についてはごまかしてあった。僧侶が空海の跡をたどって四国をめぐるというのは10世紀にはあったように書いてあるのだが、巡礼なるものが確立した最初が西国三十三ヶ所で12世紀頃、民衆化したのが15世紀後半とも示してある。また四国遍路が盛んになるのは元禄のころとしてあるのでつまりは大衆化された四国遍路というのは江戸時代に入ってからのものなんだろう。
国立国会図書館デジタルコレクション - 四国霊場名勝記
 展示で↑が四国霊場の最古級の写真で、お遍路などが写りこんでいて明治の四国遍路の様子が伺えると紹介されていた。よし売ってやろうとおもったが見てのとおりの白黒画質でよく見えない。ギギギ。

 それから最後文書展示があったのだが、最近岡山の方で発見された「石谷家文書」にまつわる文書を紹介していた。教科書的な日本史では、足利幕府最後の将軍足利義昭について、織田信長に京都を追い出されてからはもう無視されたような存在になっているが、実は毛利家の庇護のもと鞆に亡命幕府をひらいていた。で、信長死後、秀吉が四国征伐を発動する寸前、長宗我部が伊予に侵攻しつつあり、伊予の河野氏に毛利が手を貸そうとしている状況で、毛利・長宗我部の間で活動していたということが伺える文書が紹介されていた。
 石谷家文書の石谷父子がまたおもしろい人たちで義輝の奉公衆だったが義輝暗殺後、娘の嫁ぎ先の長宗我部に逃げていたらしい。そして子というのは養子で、実の弟である斎藤利三とともに明智光秀に仕えていたとか。
石谷光政 - Wikipedia
林原美術館所蔵の古文書研究における新知見について ―本能寺の変・四国説と関連する書簡を含むー - 株式会社 林原
古文書から読み解く「四国説」 光秀と長宗我部氏の緊密な関係
 そういうわけで本能寺の変の原因のひとつの四国説に急に光が当たるようになったのはこの文書の発見が原因であるようだ。
 まぁしかし信長は近世を開いた英雄というよりは中世最後の英雄という方が正しいという見方は足利義昭の幕府に止めを刺せていないところからも正しいんだろうな。

 えー。ところでその博物館をみたあと、ついうっかり宇和島まで来てしまったのだが、後で博物館の近くに道の駅があるのに気付いた。わざわざ暗いなか宇和島まで来たのは無駄だった。ということでしかたなく宇和島のマクドナルドで日記を書いているが夜はうるさいんだろうな。明日どうすっかな。


2016/10/15 土 (愛媛)新居浜→石鎚山→西条

 昨日書き足りなかった分は昨日の日記に書き足しておいた。まぁつまり友達んとこ行くので時間なくてまとめきれなかったということだ。
 そして今朝はうどんおごってもらって別れ、一路西条に向かって石鎚山に行ったがその前にガソリンを入れるために右往左往してちょうど祭ということで山車らしきものにあちこちで出くわした。

 まぁそれはいいのだがそのせいで登り出すのがおくれた。人がのぼらない河口というところからのぼりだしたのだから余計に時間をみておくべきで、翌日にする案もあったがついついよくばってのぼってしまった。

 昔の参道であるがそのうちの今宮道の方を通ったが、途中の参道集落である今宮は完全に廃れていた。

 登り口はこんな感じだし、道自体も一応遍路道ということで整備はしてあったが山道をきれいにする程度の整備しかなく、そのうち崩壊していくようにもみえる。

 2時間余かけてロープウェイ終点がある成就社まで登り、さらに休みなしで石鎚山の頂上を目指した。

 鎖場はすべて登り、頂上までほぼ2時間。さらにそこからオプションとして最高点の天狗岳まで行くというのがありそれをやろうとしたのだがみての通りの狭いところで多数の人間は歩けず人を制限することになるが、ツアーの登山客がチンタラチンタラ登り降りするのでなかなか行けない。まぁしかしここまでほとんど休みなしで登ってきたのでいい休憩になった。最後の鎖場のところでもうバテかけていたが、天狗岳に行くころには元気満々になっていた。


 河口から頂上まで合計4時間でのぼったのでならば下りは3時間程度かと見積ったがもっとかかった。天狗岳往復でだいたい40分つぶしそこから下山して3時間20分で河口。結局サンダルのせいで足の皮に負担がかかってめくれかけ、水膨れになったので歩きづらかったのと日が暮れて暗くなったので足元不如意でよけいに時間がかかってしまった。下り成就社まで一時間だったからそこから下は下りの方が時間かかっている。やっぱりこのサンダルはしかたないな。とはいえ河口から成就社まで約6km、成就社から頂上まで約4kmということでその数字を信じるなら往復で20km歩いたことになり、足が痛くなってもしかたないだろう。しかしこのサンダルだからこそ鎖場をスルスル登れたり天狗岳への往復で踏み外さなかったので、よしあしか。

 西条の400円の温泉に行って一休みしたあとマクドナルドに行こうとしたが、途中マルナカで明日の朝飯のヨーグルトを仕込もうとおもったらマルナカにコンセントのつかえるイートインがある。ということでそれで日記書いた。マクドナルドはコンセントとwifiつかえるから行ってるだけで電源があるところが他にあればそっちでもいい。今日は西条市小松の道の駅で寝るかな。


2016/10/14 金 (愛媛)川之江→土居→新居浜

 川之江でためしに城に行ってみたところ夜でも入れたので駐車場で寝た。静かでよく寝れた。上には模造天守閣があるがそもそも天守閣とかなかったので見る価値なし。ラジオ体操してたので参加してから出発した。


 朝のうちに山中にある真鍋家住宅をみにいく。壁が土壁塗り込めというので興味津々だったが中にはいったら他の民家とそう変わるもんでもなかった。ここは炉などに火をいれて常に煙が出るようになっているようで煙たい匂いがしたが昔はこんなもんだったのかもしれん。いぶして虫よけとか消毒とかにしてたとおもえばわからんでもない。うちも家の中は黒くなっている。とすれば日本人煙にはかなり強いんじゃなかろうか。
 あと蓙がしいてあって竹の床になっているあたりも興味深い。竹か。
 遠景はこんな感じで、山の峠の近くにある。まぁ車が登るので自分は何も苦労しなかったが。


 川之江高原ふるさと館→紙の資料館
 川之江の資料があつめてあるという高原ふるさと館にいったが写真は雰囲気で撮るだけにしてほしいらしいのであんまり撮ってない。明治維新のときに土佐の板垣退助が川之江に進軍して占領ししばらく土佐藩のものにしていたらしい。また秀吉の四国征伐ではここを重要拠点としておさえるよう指示を出していたらしい。土佐方面からの主要な出口ということで重要な拠点だったんだろう。考古資料館は珍しいことに金曜休みだった。
 紙の資料館は四国中央市に入ってる三島のためのものかとおもったがそもそもこのあたりは紙の生産が盛んであるようだ。事前に一通り四国についてザっと調べたが、徳島の奥のあたりに紙生産のはじまりがあってその近隣地域だからなんだろう。今日も中学生らしき集団が紙漉き体験をやっていた。
 今日はまつりらしく朝からあちこちで神輿のようなものがうろうろしていたが、これはどうも太鼓台というもののようでこのあたり祭になるとこういうのを出すらしい。

 暁雨館

 四国中央市のはしの土居にある資料館ということで行ってみたが建物は新しいが展示が儒学者と当地の有名人でちょっと寂しかった。安藤正楽という人がなかなか激しかったようで日露戦争の慰霊碑に「忠君愛国の四字を滅す」と書いたらしいのでそっち系の人かとおもったが、いろいろみてみると社会主義が流行する前の人で久米邦武などの弟子筋らしくどうもまともな人のようだ。その碑文も要約すれば「こんな田舎の人が死ぬような戦争なんてなくなればよい」という感じでまぁどローカルな人だったんだろう。
 あと永隆院のシンデレラストーリーとか山中時風の町おこし的な運動とかおもしろかったが略す。


 その後新居浜の別子鉱山関連施設を順番に見学。住友設置の別子銅山の記念館→東平資料館→マイントピア別子。佐渡金山とか台湾の九份の鉱山系展示施設のゲスさに比べると非常に趣味はよかったが地味なのは避けられない。最初に住友の記念館に行き、そこで東平なるところが採掘区であることを知って歴史資料館もあるので見にいったのだが、離合しづらい狭い山道をクネクネのぼっていくところだった。本来は道の駅でもあるマイントピア別子からマイクロバスにのって訪問するところのようだった。マイントピアと東平の間にダムとループ橋のあるところがあってなかなかよい景色であった。東平が東洋のマチュピチュとかいう誇大なのを売り文句にしているのよりはよかったかもしれない。

 まぁしかし別子銅山自体は同じ鉱脈で別の銅山があり、そこの鉱夫が新しい露頭をみつけて住友の知るところとなって別子銅山の開山となったわけだが、だからといって鉱脈全部のっとってもいいんだろうか。そのへんはひょっとしたら江戸から明治の切り替わりのときに秘密があるのかもしれない。

 で、マイントピアの温泉にはいって新居浜のイオンモールで日記を書いて、除染の戦友んとこで話とかして泊めてもらった。そういう次第で時間なかったので別子銅山以後は翌日書いた。


2016/10/13 木 (香川)坂出→府中→琴平→観音寺→(愛媛)川之江

 やっぱりこの車車中泊には微妙かもな。水平になるのはいいが、背中にヘッドレストの器具があたって痛い。あと坂出のマクドナルドがあるショッピングセンターで泊まったが、知恵遅れというかそっち系の人が24時間営業のラ・ムーの外に座ってて一晩中おもいだしたようにわめいていた。あれは車中泊とか暴走族よけで設置してあるんだろうかとおもうくらいうるさかった。


 飯野山。記紀神話の国産みの中にでてくるらしい。朝のうちに見にいこうかとしたが結局横を通っただけだった。飯神社というのがあったらしいので行っておけばよかった。

 香川県埋蔵文化財センター。無料

 まぁ、畿内に近いせいであんまり目新しいものがなかった。四国の戦国時代という巡回展やってて戦国前の館→戦国→長宗我部氏の制覇→織豊時代という感じで城の紹介をしてた。しかしこうしてみると織豊時代というのはやっぱり特殊な時代なんだな。石垣の異常な発達とか。まぁ桃山文化の枠で一括して語れることなのかもしれんが。

 木で作った導水管というのがあって薄く削った丸太のようなものがあったが、昔田原本で発掘してたときにそれっぽいものをみつけてとろうとしたが腐朽してほとんど土に返っていたのでほとんどとれなかったことがあった。あれはたぶんこれみたいなもんだったんだろうな。


 この埋文センターのあたりは昔国府があったところでつまり古代讃岐の中心だったとこだが、国府跡は今も発掘している。それから崇徳天皇を祀った神社があった。

 さてそこからこんぴらさんへ行った。ここはやはり有数の観光地だけあって駐車場を探すのに難儀するが昨日夜ググりまくったおかげでタダで停めれた。最初はマルナカに停めて歩いていくつもりだった。500円程度の金でも惜しまねばならぬ。

 琴平町歴史民俗資料館。200円。
 小さいところだった。金毘羅大権現の使いが天狗と信じられていて、金毘羅行人は天狗の面を背中に担いで全国をまわっていたらしい。あとは江戸時代末期の金毘羅信仰全盛のころを懐しむような展示がいくつか。


 下の参道にある酒蔵の展示とか見てから石段にとりかかった。まぁボチボチのぼるだけなのでどうということもなく。

 上の本社まで到達した。下の民俗資料館に天狗との関係が示されていたように絵馬殿には烏天狗の面がついた絵馬が残っている。たぶんこれ横のスペースには鼻の高い天狗の面があったんだろうな。境内には「金毘羅大権現」と書いたものが普通に残っているあたりはなかなかよい。

 ついでに奥社まで登ってきた。しかしここは木が茂っていてあんまり眺めはよくない。本社からの方が見晴らしがよい分いいかもしれない。こんぴらさんからはこのように讃岐富士たる飯野山がよくみえる。


 その後下山してマルナカの駐車場の近くにあるうどん屋に行ってみたが小150円にしようとしたところ券売機で押し間違えて大230円を買ってしまう。多い。そこから丸亀城に行こうとしたが、満濃池に行くつもりだったのを思いだして満濃池に行ったが特に書くこともなく、堤防で地図みてたらうどんの満腹感と山のぼりの疲れがでて小一時間寝てしまった。
 しかし平安時代末から江戸時代初まで満濃池は機能してなかったらしいがその間水はどうしてたんだろうか。
 今ググってて気付いたんだが、満濃池の横にかりん会館というのがあってその一部に満濃池の展示があったようだ。うーむ。その下にあるかりん亭までは見にいったんだが。どうして案内板の一つもなかったのか理解にくるしむ。

 昼寝してたのはそこから丸亀多度津と見ていくには時間が足らず、観音寺に行くには時間があまりそうだったので余裕をこいていたのだが、寝てしまって観音寺に向い、途中の道の駅でまたうどんを食ったり柿食ったりしてたら時間がなくなってしまった。

 観音寺についたが結局この砂絵しかみてない。近づいても見ようがないのでおかしいとおもったがすぐ近くに山があって展望できた。

 その後川之江のマクドナルドまで来てこのように日記を書いている。さて今晩はどこで車中泊するか。今日は静かなところで寝たいものだ。


2016/10/12 水 京都 → 岡山 → 坂出

 渋滞が異様に嫌いなので早起きして飯食った。といいつつ姫路まではとりあえずまた372通っていくのであんまり関係ないかも。

 とりあえず姫路に寄るのは帰りということになった。うーむ。これでルートに制約ができてしまった。


 そしてなんとか岡山に昼すぎついて、吉備津彦神社と吉備津神社に行く。しかし来てみてここに来たことあるのを思いだした。そのときは電車で降りて歩いてきたような。吉備津神社の回廊と吉備津彦神社の座れるところが記憶にあるから、電車から吉備津神社の回廊をみて見にいき、歩いて吉備津彦神社まで行ってそこから電車にのったということではなかろうか。ひょっとしたら紙の写真がのこっているかもしれない。
 そういうとこのあたり吉備に遠征しにきたのは吉備津彦ではなく孝霊天皇だということになっていて孝霊天皇を祀っている神社もあるということだが、亀岡の穴太に開化天皇が祀ってあるのとおなじで、先祖をまつってるだけなんだろうな。


 造山古墳。すこし削られて民家が建っているが、道路が昔の外周を巡っているのがおもしろい。どうもこの近くに近代の山陽道が通っていたようだ。たぶん2号線も最初はこっち通ってたんだろう。古代の山陽道もここ通ってたんだろうか。そうだとしたらおもしろい。
 でかいのはでかいんだが山とあんまりかわらんので実感があんまり湧かない。まぁそらそうか。後円部から吉備津神社が遠望できた。


 それから備中高松城。この蓮池は歴史公園をつくるときに堀を復活させたら蓮が勝手に咲いたらしい。最後の写真が本丸だがなんというか平らなところの真ん中にある城だった。低湿地の中にあるから攻めにくいということだが、この通り城自体も低いので水攻めは地獄の様相だったろうな。
 このときに造山古墳は毛利方の陣地になったということでその跡ものこっているらしいが畑になっていた痕跡にしかみえなかった。

 高田馬治というひとが昭和5年に昭和天皇に水攻めのことを講義して清水宗治のことで感動させたらしくその碑が建っている。目の前に菓子屋があって宗治まんじゅうというのを売っていたが特に珍しいところもなかった。

 その後国分寺とかに行ったがもう夕方になったのでとりあえず瀬戸大橋に向かった。

 日没を見にいくつもりで行けば見れたんだろうが最初はそこまで考えていなかったのでちょっと遅れてしまった。まぁ完全に暗くなる前に与島SAについたからいいか。もちろん費用を最小限にするため児島から入って坂出北から出た。与島SAで寝てもよかったがこの通り坂出のマクドナルドまで来て日記を書いている。充電のために。今日はナビとして使ったのでpriori3の電池の減りが速かった。

 充電器いつも二セット携帯してるのに一つ忘れてきたので一つしかない。まぁひたすらスマホを充電するだけでいいか。


2016/10/11 火 京都

 小便が近くなったので秋になったと感じる。

 もう一冊よくばって出そうとしたけどよくばりすぎて前処理が雑だった。ボツ。

 谷秦山の谷家って岡豊八幡の宮司か。なんだ。

 アマノヒボコとかタジマモリとかなんで日本書紀に書いてあるのかわからんかったけどアマノヒボコ→タジマモリ→神功皇后という系譜があるからなんだな。

 当分の予定
 12 京都→姫路→岡山
 13 岡山→丸亀
 14 観音寺→新居浜
 15 西条 石鎚山
 ちうところか。しかしこの調子で回ってたら2週間くらいかかりそうなので飽きたころに切りあげて一周もせずに帰ってくるかもしれない。除染の戦友んとこで一泊っせてもらう以外は車中泊だが涼しくなってきたので安眠できそう。石鎚山で疲弊して道後温泉入って帰ってくるくらいでいいのかもしれない。

 続修はないけど存目と文津閣が裏側にあるのに今ごろ気付いた。


2016/10/10 月 京都

 世間では祝日っぽいのだが立命の図書館のカレンダーは平日。謎だ。

 よし出せた。あと一日でもう一冊出すのは無理だから明日は観光情報を収集するか。


2016/10/09 日 京都

 四国で石鎚山のぼる予定なので愛宕山は今週やめとくか。

 原谷を仁和寺の方から登り金閣寺の裏から降りて立命の図書館。

 なんとかゴミ取り終了

 石鎚山→英彦山とはしごしようかな。
 とおもったけど四国から九州に渡るのに一番安い航路でも7000円くらいかかるのか。うーむ。
 愛媛高知徳島は県立博物館未踏のままか。行かねばならぬ。九州に行くのはやめとくか。
 そうやって書き出してみると四国一周して帰るというごく常識的なところにおさまってしまう。そしてフェリーは高いので橋を活用することになる。うーむ。

 この本の目次は明日図書館で本を見ながら入力することにして、次の本に着手しようとして画像のチェックしてたら著作権切れてないことが発覚した。腹癒せに国会図書館に連絡して公開を停止さしてやる。うーむ。今の本は半分偽書だから、次は完璧な偽書でも出すか。


2016/10/08 土 京都

 さーて今日は愛宕山に登らずに一度家に帰ることにする。ついにインドで買ったサンダルに穴があいた。フニャフニャのインド製で山に登ったりしていたのに半年持ったので上出来だろう。しかし暑い夏にこそ日本製の強すぎるゴムサンダルはいておけばよかったな。そうすれば軟化したゴムに足がなれたあと冬に向かって硬化するサンダルに足が慣れて鉄の足の裏になっていたはずなのに。今までフニャフニャのインドサンダルにあまやかされていた足の裏は日本のゴムサンダルに耐えれるのだろうか。

 サンダル・1/20万日本道路地図帳・毛布。さてこれで四国で野宿できるはずだ。

 午後立命に行ってある程度進めたあと布団をしまうためにとっとと帰ってきた。そして外大前のマクドナルド。荷物いっぱいもってて新聞読むか寝るかしてるるホームレススレスレのおっさんが居座っていたりして、おれもこの側なんだろうなとおもう。
 毎日マクドナルドに行ってチキンクリスプ食ってたせいかあちこちに小さいできものみたいなものができたのでチキンクリスプやめてパイ系にしたら小さくなっている。やっぱりチキンクリスプでもダメか...


2016/10/07 金 京都

 もう金曜か。

 そういうと自分も気付けば溜息ばかりついていた。年か。

 ひたすらゴミを消していたが終わらん。それでも一応ゴミ取りスクリプトのおかげで手間は減っているはずだ。

GitHub - goreliu/wsl-terminal: Terminal emulator for Windows Subsystem for Linux (WSL)  日本語の入ったファイルをつかうとやっぱりおかしくなるのでどうにかならんかとおもって探したらこういうのがあった。コマンドラインでの表示がよくなった。軽いのでしばらくこれ使ってみるか。
 中国語も化けずなかなかよい。ペルシア語のファイルをひらいてみたら文字が表示されないのでフォントをいろいろいじっていたら落ちた。まぁ普段から使ってないからいいか。


2016/10/06 木 京都

 なんか朝から腹をくだしたが愛宕山のぼったあとで買った198円のキリカスを昨日貪り食ったせいにちがいない。今朝も食ってなくなった。

 立命にもうすこし広い食堂があるのを知った。某大学で比較すると正門に近いところにあるのは中央食堂で西の方にあるもうすこし広いのはルネか。今日はそこで食ってみよう。まぁキリカスなんか買って食うくらいなら普通に飯食った方が金の使い方としてマシなのは確かだ。

 徳川時代の華文は寛文に京都に發し、元禄中大坂に榮え、享保中二たび京都に榮えたりしが、寶暦の末より明和安永の間たとへ江戸には江戸文學の起源ありとするも、風來山人の媒介によりて京坂の文學趣味は少からず、江戸に移されき。風來山人より少しく後れて天明を盛時としては、戀川春町、朋誠堂喜三次等の諸才子出でゝ頻に戯文壇に筆を弄びしが、未だ江戸華文の花は雪を帶びたる梅蕾の如く、花唇堅く結んで綻びざりき。
 さる程に山東京傳、芝全交いでゝ、戯文を弄ぶもの年に月に其の數を加へき。(略)
デジコレ - 水谷不倒他『列傳躰小説史 : 近世』「山東京傳」
 馬琴に夢想兵衛胡蝶物語というのがあるが、山東京伝のものをあさってたら和荘兵衛後日話というよく似たものがあった。これが下敷になっているのか。

 造山古墳 (岡山市) - Wikipedia
 全国四位の前方後円墳。Wikipedia では考古学的古墳名をつかってるのでよくわからんが、
岡山に謎の巨大古墳 墳長350メートル、出入り自由|NIKKEI STYLE
 これをみると履中天皇陵と同時期らしい。北九州を避けて南九州を介して朝鮮と交易していたとかなんか怪しいことが書いてあるがまぁあの時代はよくわからんからそれはそれでしょうがない。


2016/10/05 水 京都

 昨日やまやでスパゲティを買ったがトルコ製を安値で売りイタリア製をちょっと高めで売るようになっていた。トルコ製パスタは結構あちこちでみかける。やまやがイオングループに入っているせいか、イオンで売ってるプライベートブランドの安いパスタもトルコ製だ。気候風土に大差ないからこういう乾麺の出来も大差ないはずで、国のブランドイメージで安く買えるというのはありがたいことだ。

 急にV713のペンがおかしくなったので困ったが、どうも芯を深く差しすぎていたのが原因のようで抜いて差しなおすのを何回かくりかえしたらなんとかなった。

 今日はちかくに資格の勉強らしいおっさんが座ってるがずっと集中できないのか溜息ついたり、んーとか言ったりする。黙ってやれんのか。

 よし国史大系の日本書紀のもうすこしマシな版をアップした。実に無駄なことをしている。


2016/10/04 火 京都

 最近夜中に謎のLINEの登録の通知が来るのだが、目の前の三次元の美女でも勘ぐって様子をうかがって何もしない人間が、チャラい風俗嬢みたいな二次元画像で釣られるとおもってるのか? 明らかに知り合いであるアカウントのLINEの登録通知ですら面倒くさがって放置しているのに。

 愛宕山に読書登山してきた。夜中に目がさめてなかなか寝れなかったので今日はヘバるかなとおもったが、普通にスイスイ登れた。しかも終始本を読んでたせいか、登りも下りも1時間15分程度で差がなかった。
 帰ってから金おろしたり買い物したりしたが、結局疲れで寝てしまった。昼下がりになってるのでもうマクドナルドにでも行こうかとおもったがおもいなおして立命の図書館まで来た。ちなみに登山の3時間では読みきれなかったので、結局立命まで自転車を押しながら読んでも終わらずなんとかそのへんで読み通した。

 区役所で血圧を測ってみたら66/118みたいな感じに落ちてきた。昔は70/120で安定してたのでちょっと低いかもしれんが、ここ最近の80/130↑からこのレベルまで落ちてこれたのはよかった。血液検査せんとわからんがメタボ予備群からは離脱できたのではなかろうか。


2016/10/03 月 京都

 如何にも雨が来そう。レーダーを見るかぎりでは薄い雨の帯が今京都を通っているが本番の帯が紀伊半島の南にありこれが上がってくるということなんだろうな。見るかぎりでは愛宕山のぼりきれるかちと心配だ。
 今日はやめた。

 立命の図書館まで歩いてきたが本読みながら歩いていくのにちょうどよい距離かもしれん。雨さえなければ。

 今日うっかり立命でまともに一汁一菜の昼飯食ったばっかりに金がなくなりマクドナルドでコーヒーしかのめない。腹減ったが30円程度しかないので帰るまで何も食えんな。


2016/10/02 日 京都

 目がさめたらもう10時前か。なんか暑い。
 昨日金つかいすぎて一気に財布の中が空になった。うーむ。

 飯をくってから図書館に来たぞ。涼しい〜。その前に区役所に行ってみたけど昼にもかかわらず勉強してる奴で占領されていたので撤退した。

 ゾロアスター教の救世主文書というのがあるらしく、ゾロアスター死後一千年に登場する救世主について書かれたものらしいのだが、ササン朝崩壊後のササン朝残存勢力の存在をうかがい知る貴重な資料の面もあるらしい。もっともその論文というか報告書をみると、まず中国への「波斯」の使者の例を冊府元亀などから拾いあげ、次にその救世主文書の中で言及されている残党の活動の例を出し、最期にアフガン方面におけるササン朝残党についての最近の研究の例を出してきたりとサンドイッチ構造になっているように、これ単体でなにかを証明するのは難しいような文章だった。物的証拠から伺い知れることを補強するのに使うようなものなんだろう。

 知らぬ間に爱问共享が復活していた。

 mutool が画像を抽出できるようなのでやってみたが png に出力するので中身が jpg だとでかくなる。ただ pdfimages よりは小さいし適切に解析出力されているのでわるくない。

 明日愛宕山に登るべく新書を2冊借りてきた。とおもったんだが明日の天気予報の具合があんまりよくない。読書登山は雨がすこしでも降ると本は濡れるし、それを傘でなんとかしても足元不如意で不可能になる。登るなら今日だったんだろうな。

 やっと国史大系の日本書紀の改訂増補版をダウンロードできたけど内容をみるかぎりではやりなおさねばならぬ。画像をきれいにしてたのは無駄な努力だったな。


2016/10/01 土 京都 ↑→ 姫路

 四国の除染友達から連絡があり、二週間くらい後なら都合がいいということだったので四国まで行くのはやめた。そういうわけで本来の予定では激流さんを姫路まで連れていって見物などして駅に落としたあと四国めがけて移動して車中泊というつもりだったが、結局今日は激流さんと車で姫路に行って姫路城を見、高島さんと合流して書写山を見てそのまま帰ってきた。運転→見物→運転なのでものすごくハードな一日になってしまい帰ってすぐバタンキューで寝てしまった。計画に無理があったということだ。


 姫路城の天守閣は何回か行ってるので言うこともない。西の丸の千姫の展示がやたら多いような気がしたが観光客のおばはん連中にはうけがいいんだろうか。

 姫路城の石垣は安土城と同時代の比較的素朴な石積みから江戸の緻密な石積みへの急激な発展はもちろんのことその後の修復の明治・現代の石積みも見ることのできるところであるらしい。


 その後高島さんと合流して書写山円教寺に行ってきたが高島さん前にも増して足腰弱っている感じで、随分久しぶりに会ったのにいきなりこんなところに連れてきたのはまずかったかもしれない。
 この摩尼殿がここの本堂らしいが大正に焼けたのを昭和8年復元したもののようだった。なんだ。チベットの旗とかチベット文字の書かれたお経のようなのが下がっていたがチベット学の会議かなにかが日本で行なわれたときにチベット人学者をここまで連れてきたことがあるそうだ。

 こっちの三堂はWikipediaによると室町時代の15世紀ごろの建築ということで、だいたいの見当からそんなにズレてなかった。まだ古代の巨大伽藍の空気がのこっていてよい。この円教寺中の建物で最古のものでも14世紀ということだ。どちらにしても古い。
 姫路城で見た人をこっちでもみかけたのでまぁ姫路の観光地としてつづけて行く人が多いんだろう。


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