投降派宋江

  投降派宋江  
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 晁蓋の死後、宋江は指導権を盗みとり、梁山泊の第一席に座ることとなった。はじめにやったのは「聚義庁」を「忠義堂」に改めたことだ。この一字の変更の意味するところは、梁山泊が団結して反乱している革命路線を、「腐敗役人にのみたてつき、皇帝にはたてつかない」宋王朝に忠実な投降主義路線に盗みかえたということだ。