投降派宋江
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はたして、徽宗皇帝は招安がうまくいかなかったので、また兵をだして鎮圧にむかわせた。しかし、枢密使(※)童貫の二度の梁山泊「掃討」もみな惨敗でおわりをつげた。宋江は招安をかちとるため、わざとそのまま敵を帰りたいように帰らせた。『水滸』では、これを美化して、「仁徳なことに、もともと帰順の心をもっていたので、とことん追撃して殺していこうというのをゆるさなかった。」
※枢密使は軍事行政を牛耳る役職で、宰相とともに国家政策を決定する会議の一員。ふつうは軍隊の指揮権はない。