昼までだらだらしてた。昼からうごきだし、学生相談所でバイト登録して一つバイトを押さえ、飯をすこしかいこんで、まただらだらした。
だらだらしてる暇があったら、書庫にもぐってきたらいい、ということに気づき、もぐってきた。もっとはよいったらよかった。一時間で閉まった。
そして研究室に行って予習をはじめたらこれがおわらん。大意をとるだけならすぐ終わるのにこまかいところが終わりません。ぜんぜん。典拠しらべとか。
日付がかわってから研究室出ました。まだ終わりません。漢語大詞典は部屋にもあるので、調べれるんですねぇ。はい。
あぁ。なんて無駄な時間のつかいかたをしてるのだ。
太平天国の資料はかなりあった。羅爾綱が太平天国研究の第一人者だったとはじめて知った。だから水滸伝なんかに手をのばしてるわけだ。
●jVIMの不慣れな点
iにはいるときにいちいちIMEをたちあげないといけない。
削除するときいちいちiからでないといけない。
こうゆうしょうもないものをチョロチョロっと書くのには向いてないかもしれない。
ふぁぁぁ!
『中国史籍解題辞典』というのにこういうことがかいてあった。
「おまえが訳そうとか思ってる『石達開全集』は偽書だ!」
ふぁぁぁぁ!
なんか変だという感触は当たってた。
秀丸がおかしくなったのでVIMをいれてみた。ふむ。わるくない。
研究室いいですね。ここ最近相当腐りだしてたので、これからしばらく、なんかするときは研究室でします。特に夜。
ほら、この部屋には魔の四角い箱があるから。
太平天国の資料といえば、岩波の世界歴史講座(だっけ?)の中のある巻に、太平天国の論文が入ってた。客家客家してた。太平軍の構成員のおおくが客家で、洪秀全も客家なのは事実としても、孫文も客家だとかいいだして、あんまり客家にこだわっておおきくみない方が・・・。
毛沢東が太平天国を大いに見習ったのは事実としても、毛沢東はまた一方で曾国藩と同郷なわけですな。
太平天国から文化大革命までを一つの時代とみるのは可能かね。つまり太平天国によってまかれた種が文革で結実するというわけよ。
うちでやろうとしていたのはただの日記の翻訳であって、研究ではありません。で、今はやる気がかなりうせてます。まぁもうすこししらべてもいいかな。
あいかわらず、文学部書庫にはいりそこねたけど、総人のほうでなんと古典体系のなかの一冊に太平天国の資料がすこし翻訳されているのをみつけた。ふむぅん。で、かりてきた。・・かりるなコラ
今日は予習がいろいろおっつかなかった日でした。だから、先週、太平天国にかまけてたせいだって。
そういうわけで卒論向けて、基本的でふるい研究かりてきた。あぁ。でも読むのかな。
そういえば、ひさしぶりにBBCのニュースサイトをみてみたら、日本ニュースが珍しく上の方にあった。いつもは下の方でどうでもいいような記事しか並んでおらず、あぁ平和だなぁと思うわけですが。なんか富山の方で、パキスタン人たちのモスクからコーランを盗み出してきて破ってパキ人の店につっこんだやつがいるそうで。それでパキ人たちが怒って東京でデモをしたとか。
へぇとおもって、朝日.comを見に行ったらムスリムということになってて国籍は指定してなかった。はぁ。
まぁ、BBCのトップニュースで、イギリス国内のどっかの町でアジア系が白人締め出し地域を作ろうとしたので警察ともめている、というのがあったんですが、そこでアジア系というのが具体的に何人か書かれていないようなもんですな。
そういうわがままなことをするのは中国人だとおもったけどちがうのかな。
まず締め出し区画を設定できるほどたくさんいなければならず、共同に何かをおこなえるつながりがないといけない。となると、ムスリムか中国人か。あー、でも、旧植民地つながりで来てんのかもしれんなぁ。まぁいいや。
スピリッツでヒラマツミノルの新連載。モーニングからスピリッツかぁ。
Windows98をもっとかるくすべくいじったらTCP/IPがおかしくなって、結局再インストールした。つかれた。もういい。
疲れてやる気がでないなぁヤバイなぁダメ人間やなぁ
と、おもてたけど、飯くったら回復した。そういうたら朝から飯くうてへんだ。
よる
ああ、そういやぁ、金曜のことですが。
先生「そのころの科挙では四書が必須科目で、五経は選択科目、どれか一つを選べばよかったわけです。で、五経の中では、易と書が人気だったんですが。
はい、野尻くん。それはなぜだとおもいますか?」
へ・・・
う・・・わからん!四書五経なんかさわったことねー!
ということで、「全然わかりません」という、へたれで最低最悪な回答をしました。即答です。
「易と書がうすいから」というのはちょっとでもいじったことがあったらわかるわけで、好き嫌いの激しい自分は漢語大詩典の引用文くらいでしか実際の文をみたことがなかったのです。ここんとこ四書五経関係のものが頻出してまして、何度か悔しい思いもしてるので、結局さけて通れるものではなく、「こりゃ最低でもさわっておかなきゃなぁ」という次第で、土曜はちょっといじってました。
春秋に左伝・穀梁・公羊と、みっつあったり、礼がつくのがみっつもあってなんでかよくわかってなかったり、初心者丸出しでみてました。十三経注疏。
やっぱり解説を読むのとさわるのでは大違いですわ。はぁ。
そんなことより、だらだらしてたせいで、あしたの予習が全然終わりそうにないんですが、どうしたもんでしょうね。
太平天国の資料集が文学部図書館の書庫にあるのを知った。がっかりした。その時間ではもう書庫に入れない。土日は休みなのでどっちにしても見れない。むぅーん。
つかえない資料をかりてきて一日つぶすよりは、きっちりした仕事をかりてきてやったほうがはやいし間違いがすくないわけで。
でも、附属図書館の書庫の状況から言って、何もない可能性はある。
そんなことに時間を費やすよりは卒論にむけて材料をあつめる方がいいことに気づいた。
太平天国でやってしまうというのも手ではあるが。
この日記の体裁も整頓のしようはあるな。
まえに、つっこみやすいようにアンカーを打て、といわれたけど、内容はそんなにひとうけするものでなし。最近は更に対象が狭まってきてるし。あぁでもそのほうがおもしろいのか。
最近文章としてリズムも内容もずれてきつつあるので、もうすこし気を引き締めてかかなあかんなぁ。
木曜はガッコも行かずにメモとりつつ本読んでたり、年表つくってみたりしたけどどうも成果が上がらない。
君山稲葉先生(稲葉岩吉)の支那近世史講話、かなりよめます。昭和十三年のものだから、時代の空気もあるし、資料の制限もあるのに、おもしろい。近代と現代の界限は太平天国始末にあるとし、なんとなれば、1漢人によりおこり漢人により解決2外国の介入の重要性3伝統思想の強固さ、この三点が示されたこと、そしてそれは「現代的要素」を暗示している、ということだ。近代なり現代なりの境目をどこにおくかというのは、全然重要な話でないけど、その人がどこに重点を置いて歴史を眺めているか、というのがでてくるところだ。この人はかなり内在的に歴史を見ているわけです。
それから、いまんとここの本だけです。太平天国軍が南京を攻め落としたときに二万人くらい満族をぶっ殺したことが書いてあるの。マルクス(同時代!)もほめた太平天国がそんなことしてたらカッコつかんもんねー。それともあれはうそか?概説書しかよんでないのでなんともいえん。
まぁそれはいいとして、この石達開の日記と黄剣華『石達開』軍事科学出版社の記述があわない。一日やってわかったのは、この『石達開』が今のところ一番役に立つ、というむなしい結果におわったんやけど、この本は全面的に西暦を採用している。一応年表もあるし、本の記述を追ってもう少し詳しい年表を作ることもできる。
一方日記をよく読んでみると、天京落ちしてから縛につくまでの七年弱のことがすべて備わってるわけでなく、かなり缺けてる。いちおう全部で六つの断片でできあがっている。それぞれに対し、「按ずるにこれは何年の何月」と一応は考証がつけてあるけどホンマかどうか調べたら、あわない。(そのために年表を作ったわけで。)年があわないのはまぁいいけど、陳垣の二十史朔閏表で西暦と清朝の暦をあわせてもうまくいかん。おかしいなぁ。
太平天国は自前の暦(天暦)をもっているが、それは一年が366日(奇数月31日偶数月30日)のもので、石達開の日記には29日で終わる月があるから、天暦ではなく、従来式の太陰太陽暦である。おかしいなぁ。
そして、日記の冒頭は「太平天国龍飛八年、春王三月、予由天京渡江、……」(太平天国龍飛より八年、春王の三月、わたしは天京より長江を渡り、……)とある。まず第一に石達開が天京から逃げ出したのは太平天国七年で、『石達開』では1857年5月、暦を直せば、咸豊七年四もしくは五月。三月ってのは何だ?誤植?それに、春王は正月のことだ。よくわからずに春秋のまねをしたのか?
なにぶん、二次三次資料ばかりなのでかっちり確かめようがない。うぅー。つきとめたいよぅ。この「日記」の正体は何だ?それとも『石達開』が杜撰なだけか?
せめて日本人の専著はほしい。二冊以上。
ちゅうか、そんなことにこだわっとったらいつまでたってもはじまらへんやんけ。鼻くそほじりつつ片手間にやるつもりやのに。
講義がおわったあと、附属図書館へ太平天国の概説書をさがしにいった。これだけ有名な事件だから開架にいくらでもあるやろ、と思てなめてたらみつからへん。開架図書も知らん間に入れ替えが進んで、かなりが地下の書庫に行ってしもとる。陳舜臣の小説はあった。いくらなんでもそれはかなわんなぁ。しかたないので、入庫終了ぎりぎりの時間に書庫へ。コンピュータでいちおう目安をつけてはいってみたが、あるべきところにない。何カ所か回ったけど、あるはずのところにことごとくないので、たぶん誰かが系統的にごっそり借り出しているんだろう。しかたないので、近代史の概説書を借りてきた。稲葉君山のと復旦大学の教科書もの。あと、開架にあった講談社世界の歴史の一本。そのあと寮に帰ってきて飯くってすぐ寝て今起きたとこなので、まだ全然目を通してないけど、とりあえず復旦大学のは赤いにおいがぷんぷんする。教科書のくせに。
だいたい、民国の頃は太平天国は民族英雄ってことになってるし、中共は農民戦争の先輩として扱っているから、太平天国についてかかれた中国の出版物がまともなものなわけがない。
もともと持ってた本で太平天国についてかいてあったのは、高島俊男『中国の大盗賊』と宮崎市定『中国史』、あと、中国出版物のうすっぺらい『石達開』。『中国の大盗賊』で用が足るといえば足るけど、やはりもう一歩くわしいデータがほしい。
鼻くそほじりながら適当にやるわけやけど、わからんことがすくないよりはおおいほうに越したことはないので。
刊本をあつかえるのがつよいところだが、ブツを知らないのがよわいところだ、という話だった。
案外いろんな人がホームページ巡りをしてるので、このページもうえの人の目に触れてたりするのかなぁとふと思ったり。
帰ってきたら部屋が猫ション臭かった。ちょっとみじめ。
石達開日記は始めるまでにまだ手間がいることがわかった。あたりまえか。手元に太平天国関係の資料が全然ないのにいきなりできるわけないもんな。
夜はちゃんと寝るようにしよう。
日本の南禅寺は亀山天皇勅建の寺たり。列して天下第一山となし、五山の上に位するは、これ元制にならうなり。(元の文宗金陵にありてはじめて大龍翔集慶寺をたて、五山の上に列する。)余又◇(くさかんむりに孫)『宋元中日関係史』よりオレ訓読。
あのころの日本は現代と一緒で懸命に外国の流行をおってたんですねぇ。五山めぐりでもしてみようか。
後醍醐天皇のさだめた五山
天下第一山 南禅寺・大徳寺
五山 建仁、東福、建長、万寿、円覚
足利義満のさだめた五山
天下第一山 南禅寺
京都五山 天龍、相国、建仁、東福、万寿
鎌倉五山 建長、円覚、寿福、浄智、浄妙
うーん。毎日更新コンテンツかつ自分の勉強になるものとして、石達開の日記でも訳していこうか。なぜか前コピーしてもってて今本棚の目に付くところにあるし。時代的には全然違うけどまぁいいか。って水滸伝の文簡本は?もっと勉強してからデッス。実は石達開の隣にあったりして。
やるとして、かけれる時間は一時間以下な。一時間以内にすまして点検してアップして。なんか全然すすまなそう。しかも時代背景とか考証とかしそうにないし。そんなんで大丈夫か?むむーん。なんか途中で放棄しそう。まぁそんときはそんときでいいか。
むぅ。でも、こんな日もあるぞな。
「十四日。満兵(清軍)と大いに戦う。互いに死傷者が出た。城はなお固く守っている。そこで趙軍抄に背後をおそわせた。たがいに一昼夜もちこたえる。」
4分だ。これなら毎日できそう。新コーナー決定。水滸伝と関係ないけどまぁよかろう。
ちょっとしらべたら連載中のマンガの太平天国演義ネタが目立つくらいでほかにあるまい。しばらくこれで行こう。
誰かあのマンガくれんかな。買う気はまったくないからどこかゴミ捨て場に落ちててくれ。
今日一限目のあと、生協の食堂で納豆飯を食ってたら、すぐちかくに見たことあるような人がいたが、おもいちがいかもしれんとおもって声をかけなかった。眼鏡かけてなかったしちがうのかもしれん。いつまでたっても人の顔をおぼえない。
豆乳うまい。ジャスコで一リットル二百円弱。
東大の図書館て、関東大震災で焼けおちたあと、国際連盟から援助うけたんやてなぁ。へぇ。
大漢和は佩文韻府から言葉を抜き出してならべなおしてつくったから佩文韻府を見ればだいたい事足りるらしい。(金曜日)
附属図書館に吉川英治全集があってびっくりしてたら、その横に横溝正史の選集があった。どうも寄贈図書らしい。(しばらく前)
テレビのアンテナを導入した。あんまりきれいにうつったので感動した。
や、やおい穴……ふぁぁぁぁぁっぁぁぁ!
文革の回想録をすこし読んで男塾をおもいだした。
中日辞典を一日中めくってピンインをしらべてもまだ終わらない。意味をとるだけなら一時間で終わるのに。
ピンイン覚えろちゅうことなんやけど。
ala!中国とかいうのがyahooの掲示板にいろんな名前で宣伝をかねた書き込みをしていたので、ある人がしつこく追いかけて注意したら、はらをたてて2chにさらしにいった。そしたら逆にみんなからたしなめられてやんの。
金曜五限目。五経は何だと問われてすぐに答えられなかった。この程度の男だ。
ちなみに易・書・詩・礼・春秋の順があるという。順番があることも知らなかった。『漢書』の藝文志にでてくる順番だという。
ということで五経なんかほっといても読まないので特殊講義(その実演習)で無理矢理やらされるのを機会に一通りおぼえとこう。
それでまぁ、ついでに藝文志をながめてんにゃけど、案外書目少ないもんやなぁ。
おぼえがき:講義録
「東南アジア」の枠組みは意外にあたらしく、世界的につかわれだしたのは第二次世界大戦で連合軍が「東南アジア司令部」をつくったのがおおきい。それまでは中国圏・インド圏・オセアニアの一部としてしかみられないあやふやな地域だった。いまでも、島嶼部をわける見方がある。一国一民族観がアフリカなみに通用しない地域であるが、冷戦のせいで、ナショナリズムがはびこる。現代の国境の枠は19世紀に植民地の取り合いで決まったものがそのまま続いている。もし西欧植民地がなかったら、カンボジア・ラオスはタイとペトナムに吸収分割されていただろう。
梁啓超は日本亡命中、日本の本を読んで西欧思想などをまなんだが、日本語は完全には読めなかった。漢文訓読の逆、和文漢読法というのを発案してゴリゴリ読んだという。
今日は講義をぶっちしてバイトに行って来た。お金だお金だワーイ。
しかし大変ねむかったせいか、赤の線と白の線をまちがえてかましてしまうというバカミスをくりかえしていた。
回線の反応がかなりわるい。pingなぞをプロキシむけて撃ちつづけるとすこしは改善されるところからみると、経路情報が混乱してんのかなぁ。(たとえば更新されないとこがあるとか)
おお。ねむいぞ。
おぼえがき: 講義録
14世紀の危機。17世紀の危機。寒冷化による農業の崩壊。当時の技術の限界ぎりぎりまでやってたから少しの変動でくずれてしまう。
日本は鎖国のおかげで17世紀の中国の混乱から免れた?
16.17世紀 ポルトガル・スペイン・オランダ人は西アジアから東南アジアにかけての商圏で勢力を張ることができず、主に中国と日本の中継貿易をして利益を上げた。
オランダがヨーロッパの香辛料市場を独占した頃に危機到来。人口過剰と銀の過剰流通。海上交易は一時衰退。東南アジア島嶼部国家は交易に依存していたため、植民地化してしまう。
18世紀、東南アジアは景気を回復するが、その主人公はヨーロッパ人組織と中国人。
北ベトナムは人口過剰におちいる。これといった輸出品もない。国家組織は弱い。社会は閉鎖的になる。
日本は全国各地に中心のある寄り合い所帯だった。鎖国をしていなかったら、17世紀の危機をまともに受け、そこへ中国人やヨーロッパ人にはいりこまれ、東南アジアのようになっていたかも。
最近、日の当たるとこにそんなに出てへんし顔色が白なってきた。
相互リンクの表示を全廃してつきあいにくさをアップした。
BugBrouserのいいところ
貸出期限後一週間までは何も制裁がない。だからまだ持ってる。こんな分厚い本すぐに読めるかぁ。
貸出期間の過ぎた本を貸し出し延長したいといったらダメといわれた。えーん。
生協で牛丼200円だ。わーい。
卒論は漢人世侯でいこうとおもってるけどしんどそうだ。あたりまえか。江南はやってる人がうじゃうじゃいるしなぁ。あぁ。
木三、あれだけ知ってることばかりいわれるとでてるのもつらい
ところで今日は朝から晩までぶっ続けじゃよ。
あぁ、でも、会社に行ってる人は毎日そうなんか。すごいなぁ。日本中にいるおなじくらいの年の人はだいたいがみんな朝から晩まではたらいてるのか。すごいなぁ。
そんなに仕事あるのか?
わるいくせ:なにかやりだすと、ほかのことを後回しにする。(時間配分できてない。)
退屈で地道なことは後回ししやすい。(あとからジワジワきいてくる。)
あぁでも今度のオフ行かないことにしといてよかった。時間ない。今週は時間をムダにしすぎた。土日でとりかえさねば。
学校というのは行けば行くほど行く気になるもんですねぇ。
水滸伝リンク集をすこしいじる。
「みずのほとり」が更新停止。うーん。すんません気づかなくて。
おぼえがき:
サーチエンジン 100件表示させるquery_string
はい、梁啓超についていろいろ知ったあとにとりあえず前からもってたネタを水滸伝雑文に追加。二日続けて更新なんて水滸伝サイトにあるまじきスピードだ。
あぁ。一面本棚。むちゃくちゃ便利・・・。部屋のまんなかにはコタツ布団。寝るときはひろげてくるまり、おきてるときにはたたんでクッションに。あぁ・・・夢のような快適な部屋。もう、秋に新入寮生なんか入ってきてほしくないです。とか言っても、真っ先に割り振られるんやろけど。
まぁ相部屋になったらちらかさへんようになるしいいのはいいか。
寝坊だ。まぁいいや。ついでだから水滸伝袋更新だぁ。てゆうか、がんばって書いたせいで寝坊したんですが。
きのう岡山まで行ってきた。あーつかれた。金も減ったし。いちおう目的は達成した。
それで、部屋の中の現金袋をのぞいてみると、金があと6万しかない。むぅーん。コンピュータなんか買ってるばあいちゃうなぁ。
これから学校がいそがしくなってくるので、バイトするひまがなくなる。あぅぅ。どうしよう。この二ヶ月。十分行ける額なんやけど、あれとかこれとか未払いやし。あわせて四万くらいか。集金にこられたらむちゃくちゃイタイ。さすがに二万で二ヶ月行けというのはできん。インドやあるまいし。
神尾バイトの口がちょこちょこあることはわかってるのに行けないのがくやしい。(丸一日はつぶせないから)
大切なことを忘れてた。オレそれしかないのに、それがなかったらなんにもなしになるやん、というくらいのことをきれいすっぱり忘れてた。といったところで、こんな土壇場でわかってもこまったもんだ。
ある程度自覚症状はあったんやなぁ。考えがあさいとか。集中できんとか。文章言葉で書いてもなんとも思わんようになってたとか。それでもきづかずに他に原因があると思ってた。むぅ~ん。
指摘してくれる人がいてよかった。
ノリがなくなったので壁紙はりはやめ、本棚をいれた。本をすこしいれて半日たったら、部屋が本のにおいをだすようになった。
前の部屋より使い勝手よくするぞ。というか、おそらく、本棚とコンピュータしかないだだっぴろい部屋になるでしょう。まぁ、いまは個室状態でいけるけど、おそくとも秋には新入寮生がくるしな。隙間あけとかな。
そろそろ自炊にうつらないと金が持たないので、一年ぶりくらいに二条のジャスコにいったら、1kg158円のスパゲティがあった。地域最安。コレから、ラーメンはジャスコラーメン、スパゲティはジャスコスパにする。米をくうには計画が必要だから・・めんどくさい。
「イタイ」というのがあんまり実感できない。あるところでよく聞いた。自分もイタイ言動をしているのかもしれない。わからない。ただ、「イタイ」規定された人のその行動を見る限りでは、「目立ちたがりだが、人がついていっていない」「人がついていけるかどうかをかんがえていない節がある」「でも人にかまってほしい」。むぅ~ん。自分にもそうゆうとこある。
ただ、「にぶい」とか「薄情」とかの「こころのありよう」をいいあらわす言葉とちがうのは、その人の「つきあいかた」をいいあらわしているところだ。だから、つきあいに慣れていない人ほどイタイ言動をおこしやすいのかもしれない。自分のように、人づきあいのうすい人間は可能性十分じゃなかろうか。あー、でも、うすいという時点でイタイを通りこしちゃってるのかな。
それから、女の人のほうがイタイのに敏感だ。さすが、あれだけ始終べらべらしゃぺってるだけあって、人との距離のとり方に気を配っている人が男よりもおおいんだろう。そういやぁ、小中学校のときに女が小集団をつくっていがみあったりいじめたりなかよくしたりして、とにかく男連中よりもはげしく人づきあいしていたのは、そういう距離をとる訓練だったのか。
あぁ。それで変なこと思い出した。こないだ、男子校出身のやつはダメだ、ということをきいた。というのは、女の子とつきあうと、すぐやらせろというかららしい。自分も男子校出身だというと、じゃぁダメだ、と断定された。
性衝動のさかんなときに相手がいなければ、つきあいかたもわからないままになるんでしょうな。うーん。というより、自分の場合、人間とたのしくつきあうにはどうしたらいいか、まだいまいちよくわかってないんですな。
三十年ちかく生きてきてまだそんなこといってるから相当あまチャンなんやろなぁ。
2日は現場のバイトへひさしぶりに行ってきた。番頭さんが昭和14年生まれとはじめて知った。昔話を聞かされた。
それはいいとして、「女の子でいっぱいの朝の喫茶店に集合」のところ、寝坊したせいで行けなかったのが残念。
先日の温泉はたのしすぎた。たのしすぎて、なんか、すっきりしてしまった。未練もなんもなくなった感じ。
あーたのしかった。温泉。こんな時間に帰ってきた。ねむい。
かえってきたら、隣の留学生があたらしいへやにうつって、あたらしく人がひっこし中だった。うるさい。「中島みゆきを大音量で掛ける」系だ。ここ数年しずかな人の隣近所やったしこーゆうのはきついなぁ。
それから、気づきたくないことに気づかされた。この部屋、やっぱり猫ションくさい。
日常の些事を書き綴ってる。
ようこんなことおもいつくわ。
温泉でオフ会というのにいく。こんなことしてるから金がなくなる。あぁ。素直にがっこいこ。
きのうの日記はネタがかぶってたので、ついでに全部けづった。むん。
講義であいました。うーん。どうかね。
旅行で行ったところですごかったところはどこか、と聞かれて答えられなかった。そのへんか。
水滸伝チャットでこんなものがあることをおしえてもらった。・・・・・・
教科書のせいで金がへる。あたらしいコンピュータなんか買えるのか心配になってきた。足りなきゃ買わんだけのことですが。
靴の底におおきなあながあいているのでぐちょぐちょになる。
専門は、実習でもなんでも、作業をするのが一番楽しいけど、今年はそれとってないようで。むーん。未練がある。
これから1600枚ものファイルをぼちぼちおとさんとする。バカです。
おもいつき: 契丹は五代の華北平原を三ヶ月で放棄した。金は華北平原をおさえたが、抵抗はなお激しかった。モンゴルはじわじわと河北、河南、江南ととっていったが、江南にいたってはほとんど抵抗がなかった。五代から宋にかけては地方の軍閥が皇帝の軍隊に一本化されていく歴史でもある。じゃぁ宋金の軍隊は?宋の地方の軍備は?金のそれは?元のそれは?明のそれは?地方の権限と自由度の範囲。科挙で製造された士大夫。軍隊の冷遇。
治める/治められる。上部構造/下部構造。皇帝。官僚。税。軍隊。地方のよりあつまり。天下。交通。
地方制度かぁ。
むかしのひとは人体のハードは同じでもソフトが違うので、宇宙人だと思ってやったほうがいいのかな。
Windowsいれなおしてから、ねすけをいれるのがめんどくさいのでIEにBugBrowserをかぶせてつかってるけどいいもんですな。
あぁ。なんでこんなにでなアカンのやろ。あぁ。単位そろえてへんせいか。あぁ。
研究室に行ったら知ってる人が結構いた。おととしの三回生は今年のM1。むーん。で、おととしのM1で実は同い年という人にも会った。まだ四回というとこまった顔してた。むむーん。
またWindowsをいれなおすハメに。で、しかもTCP/IPの設定まちがえて、しばらくつかえず。むむむーん。
あぁ。脳みそまわらなくなってきてる。こうやって人間になっていくのかな。
旅行まえのバイト先から壁紙をもらってきた。はしっこばっかりやけど、業務用。
毛沢東ド チェック。やってみたら1140毛沢東だった。
最近、いらない説明をつける癖がついてきた。むむむ。
ダイヤルアップしてるサーバの都合上、じかにftpできない。そこで、学内のとあるサーバにftpしてファイルを送りつけ、そこにtelnetではいってさらに目標までftpする。
infoseekで高島俊男検索をしてみると、犬大将表紙が一番うえにでてきた。99%らしい。むぅ。それのせいか?
なんだかんだいって、よそで寝るのは一日ですんだ。
でもまっさらな部屋にコンピュータだけというのは気持ちのいいもんで、廊下にならべている大量の本をそのままおいときたくなってくる。
「小さいときに美しい思い出をたくさんつくっておくことだ。それが生きる力になる。学校を出てどこかへ勤めるようになるともうこんなに歩いたりあそんだりできなくなる。いそがしく働いてひと息入れるとき、ふっと、青い空や夕日のあたった山が心にうかんでくると、それが元気を出させるもとになる。」宮本常一が教員時代、小学生にかたった言葉(宮本常一『民俗学の旅』)
あさってくらいまでには荷物をうつしおえるでしょう。でも、しばらく畳の上でねむれなさそう。さらにいうと、部屋替えが完全に終わるまで今度こそ、しばらくネットにはいれなさそう。
控えるとかいっときながら、お絵かき掲示板を作った。ここ。
アホなことに時間をかけてるものよ。
てゆうかあと十日くらいだ。うわー。月日のたつのは早いもので。はよフェリーのチケット押さえとかな。
ひる
今までの掲示板はやめてお絵かきでいくことにした。どうせそんなに人こないし。
普段画像非表示にしてるので、カウンタの数がどれくらいなのか、そもそも今いくらなのか、よくわからなかった。そこで、カウンタの数をいちいち記録していったところ、どうもだいたい週百アクセスくらいあるらしい。一日十人あまり。ほとんど日記しか更新してないのでそういう人たちは日記を読みにせっせと通ってきてるのか?(そう考えると、しょんぼりしたときにしょんぼりしたことをそのまま書くのもなんか恥ずかしいな)
で、めあたらしいことはあんまり書いてなく、あったとしてもまぁ読書感想文くらいだから、内容を見にきてるわけでなく、様子を見にきてるんだろう。
でも、つきあいの範囲はせまいし、愛想はいいけどかなり薄情なので、しょっちゅう様子を見にくるといえば、今現在しょっちゅう会ってる人間か、まえによほどしょっちゅう会ってた人間くらいだろう。ネット上のしりあいもリアルワールドにまけずおとらず少なく、様子を見にくるほどのつきあいでないので、誤差の範囲におさまるくらいだろう。
とゆうことからすれば、やっぱりこの数は多すぎる。みんなが週五でチェックしてると仮定すれば、二十人もいることになる。そんなにしりあいいない。なにか不思議な作用のためにカウンタが倍増しくらいでまわってるのではなかろうか。サーチエンジンが巡回してもまわるとか。更新追跡ソフトが調べにきてもまわるとか。
あ、そういえば、Yahoo!に登録してたっけ。それか? もしくは水滸サイトから伝ってくるのかな。水滸伝(-幻想)で検索しても大海にうもれてまず見えんからサーチエンジン伝わりはない。まぁでも水滸伝のことを調べにウチにきてもなんもわからんし。ねぇ。
さー部屋替えだ。がんばって荷物運ぶぞぉ
数日前、一晩、部屋をあけてかえってきたら、98君がおかしくなってた。pingもとおるし、Lan内の共有フォルダも見えるのに、ブラウザとメールがうごかない。TCP-IPを設定しろとか言ってくる。再起動したけどどうにもならず、おもいきってWindows98をいれなおしてみたけど、どうにもならない。しかたないので、電気を落として放置した。
おかげで部屋のかたづけが進む進む。
で、さっき眠れないのでためしに電気を入れてみたらこのとおり、きちんと動いてる。むーん。どういうことか。それより、いろいろ設定消してしまったのが面倒。
そういうわけでMS-IMEとメモ帳つこてかいてます。いろいろ気になる。
「集団システム論」というのをきいてきた
ひる
うぁぁぁっぁぁぁぁっぁっぁぁぁぁあぁぁぁぁっぁっぁぁぁっぁっ!
この魔の箱め!意味もなく寝坊してしまったではないか!
意志薄弱な弱脳人間ではこの箱のもつ力に勝てないようだ。しかたないので、しばらく控えることにする。
・・・ある面、本がコンピュータにとってかわっただけで、状況はずっと変わってないのか。だらだらと変な本を読んでいた日々。だらだらと何のためでもなくHPをあるきまわる日々。だらだらと大学に在籍して単位をとりにいかない日々。いろいろ顔をつっこんでるけど、ふかくは知らない。
ようするに「目の前にあるものを食べてしまう」くせはなおってないのです。
留学生のよくわからない会誌むけに書いたコルガスボーダー。何でもいいといわれたので書いたけど、こんなんでいいのかな。
留学生の会誌になんか書いてくれと言われてたので、締め切りも近づいたことだし、掃除もせず、学校も行かず、半日かけてカザフ→中国国境越えの話を書いた。おちなし。
のこりの半日で河合隼雄と中沢新一の対話集を読んだ。箱庭療法の話がおもしろかった。
コンピュータ購入方針:二三年つかえる。
CPUはDuron(買いにいったときに手頃なヤツ)。マザーはDDR対応音源・ビデオ付き。LAN付きならなおよい。でもメモリはSDRAM(将来DDR)。ビデオは別に買ってもよい。金があればテレビも。HDDは60Gくらい。CDははやいのか今ある6倍速。キーボードFDDある。はこ。全部で五六万くらいか
旅行前、Winchip2が死んだ時点でAT互換機に乗り換えるつもりだったが諸事情で頓挫。旅行に行くことは決めていたのでそのまま我慢した。いまかえってきて旅行資金もあまっているので買い換え時。引っ越しがすんだらうごく。
現状:NECPC9821Xa7e(Pentium133、EDORAM80M、HDD4.3G、チューナー付きのビデオカード、CバスのLANカード)にWindows98。mp3をかけながらテキストを打つだけでも苦痛。今やってるけど。NEC98だからよけいに、というのもある。おなじ構成のAT互換機ならなんとかなるんだろぅな。たぶんWin3.1のほうがむちゃくちゃはやいとおもう。でも、Win3.1はけっきょくTCP/IPがよくわからなかったので、だめ。あ。それにかたづけの過程で、SCSIHDD全部ほかしちゃった。
部屋のかたづけしてると漫研にいた頃のモノがでてきた。とおい昔のモノのようでなつかしかった。
自分のマンガはわりとまともで、絵もそこそこうまい。これがおなじ自分のかいたモノか~と感心した。でも、いいかげんで、ひねりもない。なんというか、エネルギーは高いけど、散っていくに任せてあるので長続きせず、せっかくの活性化エネルギーも十分いかされず消えていく、というなさけなさ。ふんばれず、まとめられず。
金属のようなかたさ。もうすこし遊びがないと。
遊びしかないマンガはどうしようもないが、遊びのないマンガはもっとどうしようもない。だから続けれなかったんだな。
そういえば、花輪和一が刑務所の中のことを書いたマンガを読んだ。この人の、人の悪いところ全開。刑務所の日常を淡々と描いているのがすごい、という論調は他の刑務所モノがそうでないから目立つだけで、刑務所モノ評論家以外には関係ないことだ。もちろん刑務所モノに限らず、こういうふうに日常が描かれているモノは数がすくないし、資料性も高く、読み物としてもレベルが高いことがおおい。もちろんこのマンガもそのへんは押さえてるけど、でも、人が悪いで。
何年か前、「月刊百科」を購読してた頃、荒俣なんとかという人が、プロレタリアート小説はとんでもないエログロ小説だ、ということをかいてた。悲惨な状況を強調するためにこれでもかこれでもか、とえがいてゆけば、できあがったものはグロテスクなモノになる。小説だからなおさらだ。
ことさらに日常を直叙するのは。
まぁいいや。
最近コンビニのぶどうパンばっかりたべてます。もうチョットまともなモノを食いたいですね。あたたかくて湿気のあるモノが。
単位が足りません。あと七十くらい必要です。ちなみに英語はあと三つ必要です。般教もたりてるとおもいきや、謎の単位操作によって、足りなくなってしまった模様。これで今年卒業できるのかな。・・・・イヤ、肩に力を入れず要領よくやれば出来るのは目に見えてるんですが、これを機に般教をいろいろのぞいてみようかと思いまして。それで困ったふりをしてみたり。ただ、二年計画にすると、29で卒業というイヤーンな結果になるので、かんがえどころです。28も29もかわらんと言えばかわらんのですが。あぁ。金も問題。
そういえば、研究室に行って、掲示を見たとき、あの人と同学になるとわかってびっくりした。むーん。しかし。おととしよくみたあの人かな。いつかは会って話をするのだろうか。
今年卒業すると会う人ごとに言えば、そんなのできない、といわれてばっかりだった。客観的に見てどうしようもなくわがままでダメな人間なんでしょうか。むーん。・・・・・そうであることはそれはそれでいいか。
水滸伝オフ。あぁ。ひさしぶりに日本人らしいことをした。でもアニソンしかうたえへん。うたいまくり。
『既知街』というのをみてきた。とてもおもしろいね。出来いい。あなた中国人よくわかてるよ。
Emacsかぁ。
あ~。チョットづつ部屋がかたづいてゆく。きもちいい。
でもダラダラ部屋で過ごしていると、まったく自分がどうしようもない何もできないダメ人間だとおもえてくる。ほら、そんなこと考えるヒマがあるのにそんなことしかしてないのが証拠だ。って、自分をいじめてるのはなに?マゾ?
今月のアフタヌーンの黒田硫黄のマンガなんか耳にいたい。
特に何をしたいわけでないけど、いい環境にめぐまれそれにあまえてとりあえずダラダラ生きてるわけで。
と、ぐずぐず言い出すのはつまり心に行動がみあってないのだ。はたらけはたらけ!こんな部屋なんか一日でかたづけてしまえ!
こうゆうときに、しつけがなってないなぁとみづからをかえりみるのです。
かたづけのあいだに、いつか古本市で買った『キルギスの青い空』という新書版の、見た目児童文庫っぽい本をみつけ、あーキルギスお久しゅう、とおもってよみだしたら、これが全然子供向けじゃなく、大祖国戦争当時のキルギスを舞台に、旦那が戦場にいる女と、負傷して田舎にかえった男がかけおちするあつい話で、いちおう女の義理の弟が一人称になってるけど、これ子供に理解できるのかなぁ。
まぁ、オレはいまだに恋もしらぬ27歳のクソ男だから、オレが「人」を、そして「子供」を、理解していないだけかもしれん。
しかし。 「自由奔放なうつくしい女」が「貧乏で理知的だが内面豊かな男」のいいところに気づき、惚れちゃう、というのは、文学青年の自慰文学じゃないか。濡れ場がないだけで。
いわばハーレクインロマンス。・・・・だからなんだというわけちゃうけど
きのう、研究室に一年ぶりに行ってみたら、知ってる人がいてよかった。でも、その人くらいしかおぼえてくれてないんだろうなぁたぶん。
今、日記を書いたり消したりしてるんやけど、それよりも、今うちの部屋のまえの中庭にラジオをイヤホンで聴きつついすにすわっているヤツがいる。春になると、ふらふらまよいこんで、部屋から(/が)まるみえなのに気づき、決まり悪そうにどこかへ行くヤツがいるもんだが、そういうのと雰囲気がちがう。じーっと観察してみよう。
ひとりでうなづいたり、「よしっ」とかいってる。何をきいてんだか。・・・目があったけど、動じず、目線を目が合わない方向に戻した。そしてまたうなづいたりためいきついたりしている。なかなか強敵だ。・・・持ってるラジオはバリコンをぐりぐり回す式の安物ではなく、直接周波数を指定できるヤツだ。その上、イヤホンは白くてすこしごつくて片耳の安物。結構頻繁に寮の方・・こっちと反対の建物の方を見ている。さすがにこっちはみれんか。
あー。もうあきてきた。さっきからずーっとおんなじことやってる。かってにしろぃ。
西部のゴミ捨て場が消えた。
なんかつぶやきだしたよ・・・あいかわらずすわりながら。それから、あのラジオ、テンキーはついてないようなので、直接入力するヤツではなさそう。とかいってるうちに、どっかいっちゃった。
しばらく相生・姫路方面にいってきた。
麻雀を横で見てるのはやや退屈だった。むぅ。もすこしかんがえて行ったらよかった。
「読んだり聞いたりしたことを一字一句に至るまで議論し、すべてを疑い、いつも知識を求めながら決して得ることができないままに、子供っぽい遊びのうちに老い朽ちていく。そしてついには、もはや何をしゃべっているのかさえ自分でもわからず、たんなるたわごとに終わってしまう。」ガレン『ヨーロッパの教育』
「彼らがすべての問題に途方もなく無知である上に、あらゆる知識についてこじつけの意見を持ち、それによって彼らが仲間うちの議論をして、自分たちだけが正解者でありうると考えている」トマス・モア(両条とも中村雄二郎『共通感覚論』に引用)
むぅ。
備忘 阪急河原町-山陽姫路1540 京都-姫路2210 姫路-相生400
備忘http://hp.vector.co.jp/authors/VA001484/search/
またでかけます。すぐもどります。うーん。でも今日中につくには出発時間がチョット遅いかなぁ。
まぁいいや。つかなくても。そのときはそのときだ。
でも今日中につかないときはつかないままひっかえすことになるのかな。
よる
とかいいつつ、雨がふってきたので遠征は急遽とりやめ、京都駅の観光案内所で、宇治の平等院に附属博物館ができたという情報を得、とりあえず見に行った・・・・
というわけですみませんごめんなさい。こっちから一方的に行くと言っておきながら行けませんでした。
温泉いってったんやわ。京都市内の。そやけど、9号線のあんな混むとこに温泉があるてしらんかったわ。寮生もしらん人ばっかりやったし。
日本語て文の途中で主語が入れ替わったりするんやけどな。こないだコンビニで週間文春の「お言葉ですが・・」をよんでたら、意味のとれんとこがあったんやわ。よう考えたら、それなんやな。途中で主語が変わっとる。うーん。
ああ。マネして、「語りかけ口調」で文かこうとしたけど、アカン。できひんわそんなもん。「ひとりごと口調」が性におうとる。
帰ってきてから二三日、ダラダラして疲れもとれたと思ったけど、こないだ中学んときのともだちとあそんだらおもいっきり疲れがでてきた。うー。
『三重構造の日本人』望月清文、NHK出版、1700円。帰ってきて本屋に行ってまず買った本。人間の意識の根底には「共通感覚」なるものがあり、外界からの入力を受け取り、意識を形成するのに重要な役割を果たしているという。「あかるい」「かなしい」「さわやかな」といった感性用語と五感+気分の関わりをしらべると、主要なモノについては人類共通だが、それ以外については民族・集団によって違いがでてくる。しかし、それはてんでバラバラにちがうのではなく、あるまとまりをもっている。それは過去の環境を反映した心の遺跡であり、遺伝する。そして、日本人のそれを検すれば三つの集団にわけられるという。
「共通感覚」という精神の鋳型の存在についてはなんともおもわんかったけど、それが幼児期に形成されるモノでなく、もともと遺伝的に決まっているものであるという結果が自分にとっては、衝撃だった。精神の奥底はソフトウェアではなく、ハードウェアとゆうことになる。感性の鋳型と文化というのは密接につながってるはずなので、そういうことになると、根本的に理解不能(実感できない)文化というのがあることになる。心の奥底のどういうところで感じているかがわかれば、おなじように実感できるとおもってたのでそれは痛い。
たとえば、プニプニとかホエホエとか萌えというのは、そういう微妙なところの組み合わせであるから、そういうのがわかるのは実は遺伝できまっている?ということになりかねぬ。マジか?
とりあえず、中村雄二郎という人がどのようにえらいのか、すこししらべてわかった。『共通感覚論』を買ってきて読もう。
今回の旅行で自分のための買い物はいっぱいしたけど、おみやげのたぐいはなんもない。まぁ、つきあいすくないし。
ガタガタ片づけだしたけど、すこしで中止。寝るだけのスキマがあったらいいや、という腐った気分です。
これではいかんとおもい、水滸伝袋更新。
でも、今、水滸伝袋とか、去年の日記をダラダラよんでみると、案外しっかりして(るようにみえ)ますな。あぁ。オレもまだまだイケル。
今回の旅行では全然かわってないどころかすこし若返ったんじゃない(by若井さん)という評判。はい、飯は一応きちんと食うようにしてました。でも、すぐ元に戻ります。日本にいるから。飯一膳四ドルというのはなめてんのかコラ。自炊自炊
文庫本より一回りちいさいA6くらいの豆本で水滸伝があったので、人にも勧め、自分でもこうてきた。ただ、底本はカナリうさんくさい。華夏出版社の『中国古典小説名著 水滸全伝 上・下』は脚注までついてるしっかりした本・・のようにみえるけど、たぶんこれは人民文学出版社のものの海賊版だとおもう(きっちりたしかめていない)。中国はそういう人件費がべらぼうに安いので、本を丸ごとコンピュータにうちこませるくらいのことはすぐできるだろう。まぁ、こっちとしてはやすくてちいさくて字がぎっちり詰まった本が好きなのでありがたいんですが。百二十回本です。巻頭に杜菫の梁山一百単八将図があるけど、ちいさいうえにドットが荒くてよくみえない・・ コンピュータ印刷の悪い点。
もうひとつがもっとうさんくさい。吉林文史出版社の『中国古典文学名著 水滸伝 上・下』。こっちもみかけは百二十回本やけど、よぉくみると、田虎王慶のあたりの回目がおかしい。きちんと点検してみれば、これ、金聖嘆本に征四冦(文簡本の梁山泊勢揃い以降)をくっつけたもの。道理で薄いわけだ。水滸書録とかあったら底本の素性がある程度わかるけど、ないのでわかりまへん。
それから、これは上海の文廟であった日曜古本市で見つけた掘り出し物、容与堂水滸伝影印本(洋装四冊本)。120元もとられた。でも現存する一番いい本(by高島俊男)だからいい。
まだまだ山ほど買ったけど、買い足りん気もする。なにいってんだ。
今年の新入寮生はやたら多い。おかげで、個室は無理そうだ。でもいまのままだと、となりの荷物持ちと相部屋をすることになる。向こうは音楽関係、こっちは本とがらくた。そんな相部屋はイヤだーーーっっっっ!というより現実問題、無理なので、どっちかが引っ越しを余儀なくされるのであろう。こまったな。
帰ってきました日本。右を見ても左を見ても日本人ばっかりだ。すげー。
寮の部屋の中がグチャグチャになってた。よくよくおもいだせば、地震があったはず。それで崩れたに違いない。この部屋どうにかせねばならぬ。いろいろほかすしかない。
コンピュータは電気入れっぱなしのままだった。Windows98は死んでたけど、タブレットのドライバが壊れてただけなのでそれをはずしたら旅行前のまま動き出した。寮内LANは旅行に出る前の約二倍にふくれあがっていた。60Gもするハードディスクを寮生が持っていてびっくりした。それに800MHzが普通てゆうのはなんだ?
コンピュータ遅い。中国で買ったVCDがちゃんとみれない。ちなみにVCDをリアルプレーヤ形式に圧縮して焼いたものもあるけど、そっちはますます見れない。旅行のかねがあまってるので、新しいのに変えてWin2000をつっこんだら文字コードの問題も消えていいかなぁと思うけどどうか。むーん。
上海からはフェリーで帰ってきた。問題はたくさん買った本をどうやってもって帰るか。がらがらと引っ張るやつをかってきたけど、本の重みに耐えきれず、港に着く前にぶっこわれてしまった。そのときはしかたなくむりやりひっぱっていった。フェリーの中でたまたま一緒になった人の教示を受け、ひっぱるやつをしょいこに仕立て直した。大阪南港からかついでいったが、おもすぎる。地下鉄の駅まで一キロ弱歩いたが何度も休憩する有様。ずいぶん疲れた。その後二回乗り換えて最寄りの京阪の駅までなんとかたどりついたけど、もうそれいじょうすすめない。あるいて十分ほどのところを迎えにきてもらった。おかげでいま背中や腰が痛い。
40x40x30くらいの箱がふたつ。普通人がかつげる範囲をこえているのはたしかで、かつぎにくいのもてつだって、一度おろすとなかなかかつぎあげれない。地べたではいまわり、よつんばいになってゆるゆるたちあがり、ようやくあるきだせる、というありさま。何回かひとにたすけてもらった。日本は地面がきれいに保たれているからそんなことしても気にならない。
偶然か必然か、かえってきてから、ひさしぶりな人にたくさん会う。こっちはさっそく寮でごろごろくさりだしてるというのに。まぁ、そのかわり寮つながりばかりやけど。
中国で見つけた『漫説水滸』はすごい本だ。水滸伝に興味があり、かつ中国語が読める人は是非読むべきだ。中国人が書いたとはとても思えないくらい考え方が軟らかく、率直な物言い。香港人かもしらないけど、あるいは文革後の改革解放が産んだ子供かもしれない。だとしたら中国の今後はすごい。これからこういうすごい学者(おたく?)がぼんぼん出てくるわけだから。
この本を書いた人は宋江の資質から考え出し、水滸伝についてある解釈に達したわけだが、おれが水滸伝の大枠から考え出してこじつけた解釈といっしょで、びびった。「孝義黒三郎」の「孝義」につけた解釈とオレの「忠義水滸伝」の「忠義」の解釈なんかまるまる一緒。そして、向こうの方がこまかいところから考え出してる分、解釈もこまかい。
世の中ひろい。