ノドを覗けば腫れている。赤いおおきなふくらみがいくつもノドチンコの奥にみえる。すこし動くとしんどくなる。こりゃぁ病気だ。ただのカゼか? 24日以来具合が悪い。いままで超健康だったのでとにかく、病気という現象にたえきれん。どう対処していいのかもわからん。とりあえずロクにものを食わずに寝てるがこんなんでいいんだろうか。
気分が重くともバイトには行く。自転車で。がんばってこぐとキツイのでゆるゆるでこいでいく。綱渡りをしてるみたいだ。バイト先では昼飯を食わずに寝る。休憩があるときはとにかく寝る。肉体労働でなくてよかった。さいわい、今日はやすみだ。よかった。完全週休二日で。(社員の人は残業して休日出勤もしてはたらいてるけど。)
北部同盟のファヒム国防相、実は秘密警察の長官でもありつづけているそうだ。マスードしんで、でてきたのが秘密警察。おもしろいなぁ。
カルザイ大統領はムジャヒディン政権時代、ファヒムの秘密警察につかまり、危うく殺されかけたとのこと。だから、国防相が出している警備員は信用できないらしい。
秘密警察の長官が属する組織の長になったのは、ソ連侵攻時代、アフガン秘密警察の長官だったナジブッラーが大統領になった先例がある。ちなみに秘密警察はソ連がきたあと、KGBをまねて作られた。
今日はちょっとショックなことを留学生から聞いた。中国では中央電視台の水滸伝は一番人気がないそうなのだ。中国で水滸伝といえば反抗の物語なのに、投降して政府軍になるところまでやってるのは「政府に従え」という宣伝意図がみえるかららしい。あと、裸が結構出てたのがかえってポイントおとしたらしい。
そうかー。ひょっとすると、最近中国では百回本ないし百二十回本の末尾まで備わった水滸伝がでまわってるけど、そう言う意図があるのか? むぅーん。
最近いきなり落ちることがある。そのたびにプリンタの設定をドライバのインストールからやり直さないといけなく、面倒なことこの上ない。
イスラエル人も空中浮遊できるらしい。
h学部図書館に本を借りに行ったら書庫にもなく、貸し出し記録もないとか。どうなってんだ。英語の本のくせになまいきだ。なによりせっかく読む気になってるのに読む気がそがれるではないか。
今日はうまれてはじめて早退した。行くのもダルかった。きのうカナリ活動したのと、裸で寝たのとが相乗したのだろう。昼時間寝てすこしよくなったけど結局早退した。
結局そのバイトはぽしゃった。瀬戸際過ぎて、事前検査を受けれなかった。しかたあるめぇ。
タリ板の彼が自分の意見の根拠となる本をひっぱってきたので、その本の内容を推測して書いたら、そんなことどこにかいてあるんだ?とつっこまれた。まぁ、文明論といういいかげんなところで、一つのテキストに依拠した意見を自分で学問的とか言ってる時点で終わってるが、まぁ、そういうつっこみは奥の手にとっといて、とりあえず読んでないことを認めて、こういう本だと推測したがそうじゃないのか、と三つほど箇条書きで並べたうえいろいろ攻めてみたところ、いままで24時間以上沈黙だった。今頃一生懸命本読んでるのかな。
こんな事に時間かけてもなぁ。
28万のバイトが転がってきたが、そのためにはいまのバイトを犠牲にして臨まなければならない。その欠損11万。また、ルーティンを埋めるために誰かに犠牲になってもらわなければならない。その手配がうまくいくかどうかも微妙だ。とりあえず明日いろんな方面に連絡して、可能性を打診しなければ。
それだけ収入があれば、後期の学費は弁済できるし、アマリで遊ぶこともできる。貯金するためにバイトにいそしむ必要もない。ただ、多方面に迷惑をかける。特に病院バイト。だれかにムリヤリ仕事を覚えさせて代わりに入ってもらうという手もある。
むぅん。
まぁ、粘着したおかげで、タリ板の彼の性格がひろく認識されたようだ。まぁ、もう飽きてきたので、そろそろやめよう。
ねむい。なぜかねむい。2chにカキコミしただけで寝てしまう
タリ板の彼がまた揚げ足をあげてくれたので、とってやった。
ボケにはツッコミをいれてやらないとな。
おもうに、人のスレにエラそうな反論かきこんでるだけでは満足できなくなり、攻撃的なスレを二つもぶちあげて感情的な敵が一人しかいなかったから、ついついいらんこと言ってしまうんだろな。まぁ、いままで他人にしてたことが跳ね返ってるだけだ。もうしばらく叩かせてもらう。
人の振り見てわが振りなおせ、だ。こわいこわい。
ひとりぐらしがさみしくてついつい日記を更新してしまう罠
タリ板で、帰還難民数をあげてタリバンダメだったと言う事を主張する奴が居てあまりに目に付いたので、退治ることにした。
まずは難民の数についてはわざと触れずに自分の現状分析を述べてみた。それでも帰還難民数をタテにして跳ね上がるので、国連の難民数データを並べ、その背景を説明して、言っている事が根拠薄である事を一目瞭然になるようにしてみた。
そしたら、その名でのカキコミが消え、タリバンを非難するカキコミの論点が変わった。
人の鼻をへし折るのがこんなに気持ちいいとは。愉快愉快。
ということをそのスレに書くと荒れるのでここに書いて気休めとする。
しばらく遠のいていた2chに最近調子こいてかきこみしてたりする。しかも相離れた専門板の専門スレに。
あぁ。同好の人がいると調べる手もはかどるなぁ。
日曜昼間ぐっすり寝てみたら頭が痛くなり体が重くなるという罠。
当たり前ながらサーバが消えてた。
むーん。そうか。そんなにいやだったのか。まぁそらそうだろうなぁ。
もっと手を抜いてだれか次世代のモノに押しつければ良かったのに。自分でかかえこみすぎたんやなぁ。
腎陰虚である。
急にハゲてきたのも何か疲れやすいのも虫歯が激しくなったのも腎虚のせいだ。
放置しておくと骨が弱くなるらしい。
ということで、今日から行いを改める。
早寝早起き。よく眠る。あたたかいものを食べる。冷えるものは食わない。果物も食べない。コーヒーもお茶も飲まない。
あと、接して漏らさず。(相手いないから心配無用か)
はぁ。
まぁ、李さんもやっとこさ引っ越すから夜は静かに眠れるだろう。
死ぬとか殺されるとか言われました。サイコーです。
何を目途にして生きているのやら。
今日のヒット
山歩きのコツ
『「徘徊老人は疲れを知らない。」とよく言うが裏を返せば「徘徊速度で歩けば疲れない。」 』
いきなり息がくさくなった。はらわたも腐ってきたようだ。
なんか、もう、脳ミソがくさってきている。
何も入れてないので何も出てこない。
振っても音もしないだろう。
そろそろ新しい言葉の勉強にも倦んできた。
けど、前にくらべてすこしは読めるようになっていることにきづき、この年でもまだ物事が脳みそに入るんだと少し感動。
iname.com の転送メールが五月末から使えなくなってた。
結局まだ geocities のメールは使えてるので、どうもこうも。
アゼルバイジャンはバクーのhttp://www.mzrecords.com/のWeb放送はいい。トルコ語中心。
今日は頭を丸坊主にした。
IRCイイ!
StreamBox VCR 。いままでうちの環境ではつかえないと思ってたけど、今日ひさしぶりに試したらつかえた。
コンピュータを隣の部屋に移した。コンピュータでかい。うるさい。レーザープリンターでかい。じゃま。
NHKのクローズアップ現代で北朝鮮の難民のことをやっていた。
えーっと。
アフガニスタンではあいかわらずアメリカ軍によるタリバン掃討が続いている。
先日もカンダハル西方の「基地」を襲撃、59人を「拘束」した。タリバン・アル=カイダ幹部がいるとの情報だったが、大量の武器を没収したものの、肝心の幹部とやらはわからず。
日本軍による匪賊討伐のような様相を呈してきた。良民と匪賊の区別がつかない。日本軍も冀東政府とか汪兆銘の南京政府とかつくってたしなぁ。
どうも楽しいことがあると、更新欲が無くなるようで。
バイトが終わり、なぜか、歩きたい気分。で、西大路九条から京都駅まで歩いた。はじめて羅城門跡を見た。公園に明治の石碑がたってるだけだった。おもてにある神社の方が気になった。
バスを待ってるうちにもう少し歩いてもいい気分になり、四条のあたりまで行った。はじめて木屋町を端から端まで歩いた。五條楽園から三条まで。
そして、ジャスコを通って寮まで帰った。
警官領事館侵入→国際法違反だ→非難しろ
っていう反応はまるで脊髄反射のようでおもしろかった。
ただねぇ。分がないときにはシュンとして黙り、分があるときには居丈高に声を上げるというのは、「いかがなモノか」と思う次第であります。
てゆうかみんな踊りすぎだ。正確には「だった」。
5/15の分の末尾に
ちなみに、『辞源増修版』の理想項を訓読すると「ただ事理によりて空想を構成し、以て事の究境を推定する、之を理想という。事実に対して言うなり。」とか。つまり、犯罪捜査もしくは裁判において、事情を推し量ることらしい。というのをつけたけど、犯罪捜査云々は余計だった。曲解です。
マルチ商法をやってる人と話をする機会があった。40過ぎの人やけど、考え方が自分以上に甘くて驚いた。さすがマルチに手を出すだけの事はある。
マルチって何ときいてみたら、いきなり、可能性を広げるのがどうのと言い出す。そこを詰めていったら、最後には「うさんくさいことはおもしろい」ということになった。
途中自分が何回かうさんくさいというキーワードを使ったら、うさんくさい、といってもそれは相対的なモノで云々、といういいわけみたいな反応がでてきて、すこし怖かった。
論理のすり替えに使われているこの「相対的」のわな、他人事ではない。
相対的なモノで、絶対基準はない→だからオッケー
あぁ独善。
・・・まぁいいや。
あかんなぁ。なにがいいたくてここまで話を置いてきたのか説明しなさい。
イヤ眠いのです。寝ます。
は。どうせそんなこった。
同期入寮の元寮生と五人で山登りのまねごとをしてきた。
なんかひさしぶりにたのしかった。
もうハゲですよハゲ。
ここでよくハゲになったハゲになった、と書きつつ、なんの対策も施してないところがネタにしたくて仕方ないのをうかがわせる。て自分で書くな。
ちなみに、母方の遺伝かと思ったが、母方のじいさんも、これくらいの年齢ではふさふさだったそうだ。
だから、ハゲる素質があるのは間違いないが、それが加速したのは、
16日、わざわざ大阪まで行って「鬼が来た(鬼子来了)」という映画を見てきた。
以下感想。
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この映画、ただの残酷映画とおもったほうがいい。
そう思うのがイヤなら、「戦争の狂気を描ききった作品」とか思っておくのも一法だ。要するに見た人がイヤな感じになって帰る映画だ。
まぁでももう少し考えてみる。
この映画を考える上で鍵となるのは
1「我」とは誰か
2馬達三の評価
だろう。
日本軍が非道いことはここでは論点にならない。なぜなら、中国においては、日本軍は常に悪逆非道であることが要求される存在だからである。悪逆非道な侵略者日本軍という存在が政権の正当性に必要な条件だから、どんなに悪くえがいても許されるし、また、悪くえがかねばならない。この映画は逆に日本軍の人間性をえがいたというので、中国国内公開禁止となった。日本軍の非道をあげつらうためのモノとはおもえず、非道いことをする装置として用意されたモノだろう。
「我」が馬達三のうちへ麻袋をふたつ預けるところから話が始まる。中には日本兵と通訳が入っていた。「我」は銃を突きつけていう。五日間預かってくれ、日本軍の砲台のふもとのこの村は盲点だ、供述書を取っておけ・・・・・。
馬達三は眉間に突きつけられた銃がおそろしくて目も開けられなかった。冒頭のこのシーン自体がカナリ象徴的だろう。馬は映画の最後に目を開ける。そのときだけ、白黒の世界がカラーになる。
日本兵花屋と馬達三の対比もおもしろい。
うーん。なんか書きすぎては消し書きすぎては消し。で、オレは人に自分の解釈を読ませたいのか、読ませたくないのか全然わからん。とりあえず、かかない。
中文行ってる留学生に発表見てくれといわれて見た。
オレみたいなモンで参考になるのかと思ったけど、なる程度のことだったのでよかった。演習の発表の下調べの日本語訳がきちんとできないからそこだけ見てくれるだけでいいと言うことだ。
でもまぁ結局その場でイロイロしらべた。意味がわからないと訳できない。そんな風にちまちま調べるのも参考になったそうだ。まぁ終わりよければ全てよしだ。
見えないモノ。
脚下とか。展望とか。
『言海』より
あこが・る 一 思ヒアマリ心落チツカズシテ浮カル。魂、身ニソワズ。アクガル。 二 思ヒコガル。胸ヲモヤス。
『机上辞典』昭和26
あこがれ[憧れ] 心をひかれること。思いこがれること。
『広辞苑第三版』
あこがれる 文語あこがる 1 さまよいでる 太平記 2 物事に心が奪われる 太平記 3 気をもむ 浄瑠璃 4 思いこがれる。理想として思いを寄せる。
何をやってるかというと、近代以前の日本に「理想」の下支えとなる概念があったかということを手元の工具書で中途半端に調べてるのだ。
たぶんダラダラと中途半端に続けると思う。
『世界大百科事典』「理想」(茅野良男担当)によれば理想は明治十年代のidealの訳語で、idealism は明治40年代には理想論、大正には理想主義と訳されていたという。
ちなみに、『辞源増修版』の理想項を訓読すると「ただ事理によりて空想を構成し、以て事の究境を推定する、之を理想という。事実に対して言うなり。」とか。
蛍光灯の圧力。
を避けて縁側で寝たら何か心地よかった。これからしばらく縁側で生活しよう。
ちなみに蛍光灯を消すととたんに蚊が寄ってくる。
背中を踏まれるとヒジョーに気持ちよかった。
メールの転送に使ってる iname.com が転送し続けて欲しかったら金を払えといっている。とりあえず放置。
ちょっと賃貸物件屋に行ってみたら、一万五千円くらいの六畳炊事場共同とかあった。うーん。これくらいなら引越可能という現実に打ちひしがれるオレ。
あぁどうしよう。引っ越ししちゃうぞ。
いつ寮出たくなってもいいように、LAN 関係のことを自分から完全に切り離しとくか?
メディアを最大限利用しようとする人権団体。すべては劇のようなものだが、現代のreasonはその放置を許さない。
クズルバシュ・・赤い頭、赤い帽子。・・紅巾?
ということでサファヴィー朝はイランの紅巾。
白蓮教ならぬサファヴィー神秘主義教団だし。
(つづき)
さて、手元のshorter O.E.D.で happiness 周辺をみてみよう。もともと中英語(12c-14c)に hap という言葉があり、運・機会などの意味があった。その派生形 happy も17c後半までは同様の意味が残っていたが、一方で、16c前半に「環境や状態に対する満足からわき起こる感情をもっていること」の意味が生まれる。同時期に幸運をしめす happiness がうまれ、16c末には happiness にも「成功やいいと思われることの獲得に起因する精神が満ち足りた状態」という意味がついてくる。そして単なる幸運・運という意味は17cには消えていくのである。
16-17cというのはイギリスのルネサンス期であり、happy のあたらしい意味もあるいは外来の発想かもしれない。16c初頭にはトマス=モアが『ユートピア』を書いた。特にちょうどそのころ、ヨーロッパ全域で宗教改革が起こった。そう言う時代である。
シェークスピアなどがあらわれたのが16c末から17c初頭であり、近代英語にははじめから「満足して満ち足りた状態」の happiness が存在していたのだ。
すこしもどって『広辞苑』にある「幸福主義」をみてみよう。「幸福が人生の目的であり、善であるとする倫理説。快楽主義が感覚的な快楽を求めるのに対し、持続的な精神的な喜びを求める。」
『世界大百科事典』で幸福を検索すれば、20世紀初頭にアランとヒルティという人たちが『幸福論』を書いている。ヒルティのほうは「富や栄誉ではなく、魂の内奥の静かな真理愛こそが人間の真の幸福を生むことを説いて、多くの人々の魂の慰めとなった」そうだ。アランは20世紀初頭の代表的フランス知識人の一人らしいが、一番よく読まれているのがそれで、「欲望、怖れ、悔恨などの情念からどうしたら自由になれるかが説かれている。」そうだ。
そのころには幸福が一つのテーマになっていたようだ。
19世紀末にはオスカー=ワイルドが「幸福の王子」を書いている。幸福の王子像からツバメが金箔をはがして貧乏人に運んでいくうち情がうつって離れられなくなり冬が来て死ぬ話だ。金品が幸福を保証する物でないことを示している。そして同時にここでいう幸福が現世で得られないことも同時に示している。
飽きた。
手元の工具書だけでこれくらいはわかるモンなんやな。
やっぱり車があると機動力が違う。
観光は足だよ足。
しかし。写真撮ったらよかったな。
今日まで24時間バイトだったけど、ボーっとNHKをみてると、インドの安宿でダラダラしてたときにたまたま一緒だったひとがでてた。今も絵をかいてブラブラしてるそうだ。
バイト連絡ノートというのがあって、暇な人が所感とか書くんやけど、自称クリスチャンが幸せ幸せととりつかれたように書いていた。
要するに結婚のことらしいが、それを普通の幸せとかいう風に表現して、抽象的なレベルで把握するから、いくらおいかけてもおいつかない理想のようになってしまい、でもそれを即物的に手に入れたくてくるしむんだろうな。
ちなみに、手元の『広辞苑』第三版の「しあわせ【仕合】」の項を要約すると、1 めぐりあわせ、運 2 なりゆき 3(幸) 幸福 というふうにある。
明治37年完成の『言海』の「しあはせ(仕合)」項には「爲合ハセタル時ニ、運ニ當リ、不運ニ當ルコト」とあるから、めぐりあわせの意味しかない。ちなみに、「幸福」は「サイハヒ。運命(シアハセ)好キコト」、「さいはひ」は「サキハフコト。吉事ニ逢フコト。シアハセヨキコト。幸福。」とあるから、巡り合わせがいいことを幸福といったり幸いといったようだ。つまり運がいいというだけのことだ。
最大の中中辞典『漢語大詞典』の「幸」にある幸福を要約する。「【幸福】1 福を得ることを祈望することをいう 2 ここちよい境遇や生活 3 境遇や生活が思い通りになること」1の例文が『新唐書』である以外は近現代の用例をひっばってきており、2のような使い方は欧米からの輸入品だろうと目星をつけることができる。
もどって、『広辞苑』では「幸福」は、「みちたりた状態にあって、しあわせだと感ずること。」とあり、小項目として「幸福主義」(幸福が人生の目的)と「幸福追求権」(憲法13条にふくまれる)がある。
さて、『世界大百科事典』で「幸福追求権」を見ると、日本国憲法の「生命、自由及び幸福の追求」という文言は1776のアメリカ独立宣言までさかのぼれるそうだ。
"We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty and the pursuit of Happiness"ソース
「われわれは,自明の真理として,すべての人は平等に造られ,造物主によって,一定の奪いがたい天賦の権利を付与され,そのなかに生命,自由及び幸福の追求が含まれると信ずる。」つまりここでいうところの幸福は "Happiness" である。
(つづく)
米原駅めざして夜の八号線をあるいているうち、交通量にイヤになって、脇道にそれた。すると、川と、堤防の道と、その堤防に沿うふるい住宅地をみつけた。米原には何度も来たことあるけどたいてい車や電車で通り過ぎるだけ、米原にこういう生活臭あふれる空間があるとは、おもってもいなかった。何より川があることに驚いた。
いままで文字セットと文字コードの違いをはっきり認識してなかった。
ユニコードがどうとかs-jisがどうとかいうのもよくわかっていなかった。
s-jisのかっこよさとうっとおしさがすこしだけわかった。
Big5のテキストの検索のため。
http://www.newiran.de/cinema/
昔の映画が見れておもしろい。
特にWW2。はじめにでてくる各国の紹介映像がおもしろい。
no.13の「know your enemy : Japan」では神国日本が見れるよ。
HAKKO ICHIU!
今から出かけて日光を見て日曜の夜までに京都に帰ってくる、というのを検討しようと思ったが、検討する以前に、明日LANのあつまりがあるのでダメだと気付いた。
日光日光とオレはアホか。
あー。どっか旅館に泊まるような旅行したい。ぬくい布団と温かいお風呂に熱いご飯・・・。でもお金がないので泊まるときは野宿です。寒風と雨に耐え、官憲と住民の目を避けてコソコソと動き回るドブネズミのような旅行スタイルが金のない人間にはお似合いだ。
こないだ、しまなみ海道の途中、大三島で往生したときも、旅館に泊まるだけの金さえあればまず泊まってた。あー。金がないのは寂しいねぇ。
■アッシャー大司教(99)
1650年に、アイルランドのジェームス・アッシャーは、聖書の記述のみを元にしてこみいった計算をした結果、天地創造が紀元前4004年10月26日に始まったという結論を出した。しかも当時の宗教界はこの結論を信ずべきものとして認めた。
ソース
パーレー氏万国史の年表でも天地創造は紀元前4004年だった。
Yahoo!の為替レート
一アメリカドルに対し
しまなみ海道へ行って来たけど、寝不足に加え、気候の読み間違いと、足の怪我を過小評価したことがかさなって、足を痛め、途中でリタイヤして帰ってきた。大三島までは歩いた。最後には道ばたで少しやすんだら一時間ほどそのまま寝てしまうという有様。危険を感じてまだ日も落ちないのに、その辺の小屋にはいりこみ、たまたまあったブルーシートで仮テントをつくってねてしまうほど。
いまも体中が痛い。足が特にいたい。そして、寒気がする。これが一番怖い。
今までどんな寒いところで野宿した時も、体が冷えることはあっても、寒気がすることはなかった。体力というか、生命エネルギーというかそういうのが根本的に弱ってきてると思います。
でもこれが普通の状態で、いままでがちょっと調子よすぎたのかなぁ。
デジカメで撮ってきた写真を見ようとしたら、大三島の大山祇神社で撮った写真がみれなくなっていた。何かのたたりか?とおもいたくなるくらい、微妙にファイルが見えない。
パウエル長官、火中の栗をひろえるか?
1 パウエルの面子をほどこすため一時的に停戦
2 失敗してパウエル面子没有。パウエルを邪魔に感じる人たちが図に乗ってとどめを刺しにかかる。
ほかに?
総単位152+増加単位20。
でもチョットたりません。何が?必修単位8と卒論。
卒論はいいとして、半年休学の身で通年単位が取れるのか?
まぁやってみよう。とれなきゃやめるまでのことだ。
癖
こだわりすぎて蛸壺にはまりこみ、やがてイヤになる。
いろんなことから逃げる。
白紙に戻したがる。
潔癖なところがある。
すぐうぬぼれる。
とどまれん。
自滅の罠にはまるシカケ満載のイヤな性格だな。しかし、これをうまく操縦していかねばならん。いこう。
あー。すっきりした。
友達来た。一緒にインドネシアへいくことはまずない。あっても建てる予定の家とやらへ遊びに行くかもしれん、というくらいのところだ。