郵便局で預金残高を見てみると結構あった。「三ヶ月くらいは地味に遊んで暮らせます」
電話してみるとフレッツADSLなら一週間で、Bフレッツは不確定だが一ヶ月で敷設可能だとか。
結構ちかくまで光ファイバーが来てるらしい。
「サーバーが見つかりません」
仕事辞めるにしても、とりあえずいる場所が無く、引っぱってきた人んとこでダラダラとネット使ってるわけですが、連休中にISPを変えてみたとかで格安のところになったけどとにかくすぐ切られる。頻繁に。五分間隔で。もう腹立たしいことこの上ない。404がでるのはあきらめもつくけど「サーバーが見つかりません」というのはなんとも。とりあえず使えないことがわかったのでよかった。
明日不動産屋と契約して金はらって入居可能になる。あぁ長かった。
次ネットにつながるのはいつだろう。
マジメに計算してみたらADSLの方が安いと出ました。そうします。
SARS細菌兵器説は二種。 1中国製 2アメリカ製
わたくし新居のインターネット環境をどうしてやろうと思って調べていて恐ろしい事実に気付きました。今ならISP各社のキャンペーン中でBフレッツの初期工事代が無料。無料です。ちなみに電話なんか引く予定ないのでADSL引こうとするとタイプ2となります。タイプ2に比べるとBフレッツのほうが月々かかる費用が若干お安くなります。Bフレッツのネックは初期費用です。
まぁ浮かれる前にもっと調べてみよう。開通までどれくらいかかるものなのか・・。
どうもNTT自体が工事代を半額にしているらしい。むぅん。
各社のBフレッツキャンペーン例
ぷらら BIGLOBE nifty
覚え書き
ザルマイ・ハリルザードはネオコン一派にとても近い。
参考
いやーよくない。とにかくよくない。
吉田寮にいた頃は、何か字を書いてくれとか絵を描いてくれとか頼まれたとき、お安い御用とばかりその辺の物を片づけて作業する場所を作れた。今はそんなこともできん。カモーンおれの部屋。
「イラク人道復興支援室」が室長ガーナー以下総入れ替えになるというニュース。
うまくいかないから総とっかえかぁ。あいかわらず大雑把だなぁ。
七日
夜も七時前になって出発。しかも北千住まで歩いていく。真っ暗だ。
最寄りの駅新鹿沼に着いたのが十時過ぎ、ちょうど最終電車だった。駅前には安旅館とおぼしき物があるがはいらず、野宿できそうなところを探す。しかし箱のような家が目立つ。古い家が少ないと言うことですが。
なんとも寂れたところで、大丈夫かと思ったが、富士山公園というのがあるのでのぼってみるとカナリ広い範囲に街が広がっている。どうも旧市街地を見て寂れたところだと思ったようだ。富士山公園のてっぺんで寝てみた。
するとヤンキー車が多数上ってくる。こりゃかなわん。ということで森の奥の方で寝た。まぁかくれんぼの要領だが、見つからないように隠れている反面見つけてほしいという所もある。ヤンキーが明るいところしかあつまらず森の奥まで入ってこなかったことを残念に思った。よくねむれず。
八日
八時頃まで寝て古峰ヶ原向けて出発。その辺のコンビニで飯を食う。道路標識に26kmとある。また、六里半という標識もある。まぁ六時間半くらいか。古峰ヶ原で一泊かな。神社の周辺に何か宿泊施設あるだろう。昨日はよく眠れなかったからお金出してもいい。
古峰ヶ原まで行けば何か飯をくうところがあるとしても問題は途中だった。おそらく田舎道、コンビニすらないかもしれない。
そこで何か準備をするわけでもなく、チョコレートを一枚買い、昨日そのために買ったお茶のペットボトルに牛乳を詰めて田舎道に突入した。
・・・実際途中に飯を食うところはあんまりなかった。逆に奥の方に行くと、手打ちそばとかの店があったが、そういうところは高いに決まっているのではいらなかった。ということで選択肢は自販機と、生ものがない田舎雑貨屋しかなかった。そういうところでアイスクリームとかピーナッツを買った。
雨が降ることはわかってたのでカッパをかぶったりしていたがうっとおしい。途中、神社や薬師堂で雨宿りした。薬師堂の周辺においてある物がおもしろかった。使えるデジカメがほしい。今持っているデジカメはフロッピーに記録できるのですこし撮ってすこし使うという時に便利な反面、フロッピーが壊れやすいという致命的な弱点がある。前に旅行に持っていってフロッピーが壊れたのでこういうときには持っていかないことにしている。
用水施設、古い郵便局、庄屋屋敷、神社の奥、旧小学校、黒字に白のキリスト教?のおどし文句、馬頭観音、十九夜、女人講、石がごろごろした川。
古峰ヶ原についたのが三時半くらい。微妙に早い。十分休憩してから古峯神社にはいってみるとなんか見るところがない。すぐおわった。神社の周辺には土産物屋ばかりでよさげな所もない。こんなところで泊まるのか。泊まれるのか?こまっていると登山客の初老の夫婦者が通行禁止の道を下ってきた。聞くとどこかからのぼっておりてきたところだとか。この道の途中から日光に行く道があるという。日光までは六七時間だという。
足尾へおりずに中禅寺湖方面に行く道も考えられる。日光開山の勝通上人は古峰ヶ原を開き、中禅寺湖を開き、男体山を開いたとか。ということは日光修験のルートがその辺を通っていたはずである。
ということでどうするかは決めずとりあえず野宿場所を探すことにした。通行禁止の道は工事中らしい。その道の方にすこしのぼると、神社の無料駐車場があって、除雪用の車が止めてある。ドアは開いている。野宿場所一つ発見。すると、その道から作業員らしき人を乗せた車が下りてきた。工事を早く切り上げたらしい。つまり工事現場は無人かもしれないと言うことだ。工事現場向かって野宿場所をあさりにいくと山歩き用の地図を載せた看板があった。その地図には古峰ヶ原峠にバンガローがあるとかいてある。バンガロー。バンガローに泊まればよいではないか。まだ日が沈むまで時間がある。ということで、重たい足を引きずって山を登っていった。
日が沈むかという頃に、峠に着いた。急な道を上っていくと視界が広がったので驚いた。湿原だ。ここには修験者の基地、「巴の宿」なるものがあったそうである。そりゃそうだろう。これだけ水があれば。
ということでその基地跡地を見物したあと、バンガローに入った。バンガローは十分広く、かつ布団がおいてあった。ありがたや・・。ということで日も暮れてきたし、明かりもないし速攻寝た。
(実は神社自体に宿泊施設があって、朝にはお祓いを受けれるとか。)
九日
夜中目が覚めたらその辺で鹿が鳴きながら走り回っていた。まぁよくあることだ。
布団が気持ちいいのでグズグズしていたが、七時過ぎ起きて考える。足尾に下りてもまた上る気力はないし、今晩どうするか案がない。ここまできたんだからとりあえず中禅寺湖方面にいくか。途中細尾峠というのがあるから、そこまでは行こう。細尾峠は足尾と日光を結ぶ道。そこから中禅寺湖まではまた山を越えなければならない。まぁ最初の思いつきの段階では古峰ヶ原→中禅寺湖だったので、その通りになる方がよい。ということでまず細尾峠、もし足が許せば中禅寺湖まで。
という読みで登りだしたが、もうその時点で足がしんどい。残っている食糧はピーナツ半袋、チョコレート三分の二ほど。牛乳は飲んでしまって、かわりにバンガローの脇を通って湿原に流れこむ川の水を入れた。それだけ。これだけで無人の地を行くのは大丈夫かなぁ。
登るのがつらい。つかれる。大変。ということで、登り道ではすこし登ってきりのいいところで倒れるようにして休んだ。ときにはすこしまどろむほどだった。天気はよく、朝のうちは霧がかかっていたが、昼前から晴れだし、男体山もよく見えてきた。ただ、連峰なので登ったりくだったりがつらい。坂をにらんで一歩づつ着実にのぼらされるというのはまるで精神修養だ。
金剛童子、龍の宿、薬師岳、前鬼。
細尾峠についたのは一時半頃。わりと早かった。ただ、ここを目当てにしてきたので、飲み物も食い物も何も残っていない。細尾峠には何もない。自販機もない。疲れはてていたし、水がほしかったが、せっかくここまできたのでもう一がんばりすることにした。
しかし、登っていくと非常につらい。水がないのでふらふら。まわりに水を探したが、尾根筋なので見つからない。まわりにはクマザサばかり。あんまりつらいのでまだ葉を広げていないわかいクマザサを見つけ、その茎を噛んで汁を吸ってみたところすこし元気が出てきた。
よかったのは登り一本調子だったこと。尾根筋をたどっていくので、てっぺんだとおぼしきところへたどり着くと実は新しい尾根筋だったという繰り返しになり、その点あんまりよくなかった。
てっぺん近くに窪地があり、水がわいていた。あぁぁぁよかったぁぁ(涙)。
茶ノ木平というところがあって、ケーブルカーの駅があり、そこになら自販機もあるだろうと思って行ったわけですが、ついたところ、「長期休業中」の張り紙があり、何もない。そこで工事してた人にポカリスエットを一杯分けてもらったが、粉っぽくても何でもとにかくうまかった。
中禅寺湖が見える。あっという間に下って、土産物屋の間にあったラーメン屋で高いラーメンを食った。二荒山神社も見て華厳の滝も見た。
いろは坂を下って日光に着くと九時頃だった。途中の神社で野宿してみたが寒くて目が覚め、場所を変えた。段ボールを確保して今度は公園のようなところで寝てみたがやっぱり寒かった。その上、携帯に京都から電話がかかってきた。なんか宴会中ですごく楽しそうだった。あぁー。
寒くて外に出たらもっと寒かった。しかたないのでそこで我慢した。それほど寒くない空間を保つため足を縮めていたが、どうにも眠れないので足をのばすと寒いけど一時間ほど眠れた。
十日
日光杉並木を見物しつつ今市まで歩く。
日光自体はだれかと見に行こうとか言ってた気がするので見なかった。
途中の薬師堂の裏でリンガが祀ってあるのを発見。日本国内の陳列棚以外の場所で見るのはこれが初めて。
とにかくあちこちで水がごぼごぼ流れているのが印象的だった。
その足で北千住に行って不動産屋に行ってきた。実のところ、二万五千円物件は二つあったうち一つがうまり、もう一つがあいているのだが、これが窓の外に建物が来ていて日当たり悪い。日当たり悪くて駅から少し遠いとなるともう考慮のそとなわけだが、もうどうでもよくなってきて、契約を進めてしまった。
二万三千円物件のほうは連休中に「社長の友達」とか言う人が見ててその人に優先権みたいなのが行っているという。十五日くらいまでは社長が休みなのでなんともいえないとか。
なんというか、おそらく自分の部屋を持つと言うだけで他の不満点は消えると思われる。ということで十五日から入居予定だ。わーい。どうにでもなれぃ。
ちょっくら奥日光の方へ散歩に行ってきます。古峯原とか足尾とか二荒山神社とか。お金もないのでそのうち帰ってくると思います。
日が暮れてからの出発でも大丈夫でしょう。たぶん。
再び北千住の不動産屋巡り。なぜか、こないだの物件はすべてのこっていた。
ほかに、千住のど真ん中、至便の地に二万八千円の貸間があった。見に行くと、なんと旧本陣跡だという看板があった。ところが、あたりは繁華すぎる。入り口のあたりは猫ション臭い。そして、うえにあがると、三畳の部屋を三つつなげた部屋があった。ひとつが台所だ。壁はベニヤ張り、押入の奥行きは半分しかなく、西日で暑そう。広かったけど一目でイヤになった。
あとから旧本陣跡の看板を見に行くと、明治以降、そのあたりに女郎屋があったらしい。不動産屋は賄い付きの下宿だったとか言ってたけど、たぶんあの三畳はチョンの間だ。ということで、女郎屋→下宿屋→貸間という遍歴をたどっているんだろうと勝手に思ったり。
とにかく猫ション臭いのだけは妥協できないと言うことだ。あと安くても落ち着かないのはかなわん。
最終候補は
●二万五千円、六畳+押入二畳分+台所+便所+玄関の土間、ただし駅よりすこしとおい。川と線路には近い。
●二万三千円、六畳+押入一畳分、台所便所共同、引き戸に鍵なし(自分でつける)、入り口は家と家の隙間をくぐりぬけたその先、ただし駅のすぐそば。
まぁとりあえず二万五千円の方の敷金礼金を値切って値切れたらそっちにするという方針で。
三万四千円出す能力があればもっといいところに行けるんだな。見せてもらった中ではそこが場所的にも一番良かった。
結局運転交替などしたので疲れた。
いろいろつかれてたので一日寝てた。
四日夜出発の車に便乗して東京へ戻る所存。
世間は黄金週間だというのに、ここ二週間休みなしで仕事という。休日だと思って友達の携帯にメールをうってみたらそんな返事がかえってきた。
ということで、ミヤサカと国立博物館の高野山展に行ってきた。脇侍の童子像が生き生きしててよかった。ほかは知識がないからわからんかった。高野山の宝物殿にあるイってる高僧の像とかはなかった。やっぱり宝物殿のほうがおどろおどろしくていい。展示を見終わってから男二人で抹茶を飲んだ。きのうの峠越えがひびいて足がだるい。
スーパーで肉買ってきてみんなで焼き肉をした。あぁ。まるで寮生のような生活だ。
狡猾なフセインがアメリカ相手にうまくたちまわりパウエル一派は有効な手を打てずグズグズしている、そこへネオコン一派が根本的解決策をもってあらわれた!とでもいいたげなろくでもない番組をBSでみた。
田舎のイベントも無事終了したので、とりあえず京都に向かった。
せっかくなので、祖父谷峠越えという古道ルートを歩いていった。
京都盆地と山の交わるところのあたりまであるいたところでつかれてバスに乗った。都合五時間。たしかに一日でいける。
すくなくとも二日までは京都の予定。
一緒に仕事してる人が海外旅行に行ってて五日までは帰ってこないので、それまでどっかでブラブラ。
21日
朝、東京駅に行ったらあっさり切符がとれた。
友達んとこに行って仕事がイヤだイヤだとワガママを言ってきた。聞いてくれてありがたかった。三年後の誓いをたてた。
その後、電車に乗ったが電車から見える丘が気になり、一駅で降りた。飛鳥山といって暴れん坊将軍が開いたところらしい。佐久間象山の碑があったが、線刻が西安にあった李自成の碑のようにしょぼかった。桜の名所らしく、桜だらけだった。おりから風も強く花吹雪でたのしかった。以後、尾根筋をつたってところどころ寄り道しつつ上野まで歩いた。その後、浅草で適当におみやげを買った。
22日
夜行バスで京都に着いた後すぐに田舎に向かわず、寮へ行ってすこし寝た。寝といてよかった。
うちで高校の時の作文をみつけた。そのあとにこう評してあった。
「他人に理解される書き方をするよう心がけてください。人間として、共同生活をしている以上、理解し、理解される人格を自分で開拓することが大事なことは言うまでもありません。目的を持つ、その目的追求の為に努力することです。」
まだ Linux に完全に対応してないキャプチャカードを買ってきてそれで録画できるよう設定してるわけですが、音が出ません。ぜんぜんわかりません。かずかに音が聞こえてるのがむかつきます。
カードからはLINE入力を使って音を出力しているが、今の状態ではその出力レベルが調整できてないらしい。わからん。
明日の夜行バスで京都に帰るつもりなのにそれまでにできないとなるとつらいな。
というよりは、今日チケット取りに行かなかったから明日は夜行バス(5000円)取れないと思う。あさってか。
今度の戦争の意味は実は「政治に対する軍事の優勢」ではなかろーか。
とりあえず煮詰まってます。
とにかくダメです。こんなハメになるとは思ってなかった。ハァ
息抜きにやってることも全然うまくいかず本当にイヤになってきた。外に出たときしか楽しくないこの状況をなんとかしたい。
とりあえず来週京都に帰ります。
あぁ。東京に来た頃の高揚感が懐かしい。とにかく、仮住まいはイヤだ。そして自分の基盤を持てない給料なしの仕事なんかイヤだ。というか、そんな選択をしたオレがバカだった。
疑似ひきこもりがその状態を打開するために外に出たらホントの引きこもり状態になってしまってパニック状態というのが今の状態です。はい。
そういう分析をするオレとパニック状態になってるオレは別人なんだな。
戦争ふっかけて国をぐちゃぐちゃにして、おあつらえむけの傀儡政権を用意して、金は日本とかにださせてちゃっかり賠償金は取って、復興事業は手前の会社にやらせるアメリカ。
NHKのサイトにのってたニュースにこんなのがあった。「反フセイン勢力の1つで、ブッシュ政権の一部の後押しを受けているイラク国民会議のチャラビ議長」。「一部」ってのがいい。
まぁあれだな。手兵に戦わせる→傭兵(戦争専門家)に戦わせる→国民に戦わせる→皆殺し合戦でへたれた方が負け、という今までの戦争とは違って、今度の戦争は「兵隊+政府を皆殺し」という方向とゆうふうにも言えるなぁ。
今日は北千住の不動産屋をめぐった。条件は三万前後の六畳。
その結果、三つの候補を得ることができた。どれも木造風呂なし。いづれもよしあし。六畳で共同台所トイレ、静かで駅にちかく至便だが家に囲まれ入り口わかりづらく隠れ家のようなところ(23000)、六畳で台所トイレ付き押し入れも広く九畳くらいの広さを感じるが一階で目の前に車庫があり駅よりややとおく敷礼がすこしおおめ(25000)、六畳で台所・空調付き、共同トイレ、二階で眺めよいが炎熱地獄駅より遠し生活感はあふれる(28000)
イヤァいいね。はじめて部屋探ししたけど実に楽しかった。十件くらい巡ったけどみんな愛想いいし。
ということですが、仕事の方はようやく路線の違いが明白になって、離脱したければいつでもどうぞという状況になっております。はい。とりあえず中国へは行きません。ということで、結局基地はもたずに京都に帰ってしまうかも知れません。もしくは東京にいすわって何か探すかも知れません。場当たり的ですがまぁ仕方ありませんな。
なんか、大事な時期にこういう事をするという癖があるのかな。アカン。弱い。繰り返してる。
イラク国内のイラン反体制派ムジャヒディンハルクがプロフセインということでアメリカに攻撃されているそうです。なんというか皮肉ですな。敵の敵だけど敵の味方だから敵。
今日は何もせず、荒川沿いに散歩して考えた。
すると、北千住というところにでた。歴史ありそうなところだ。その後泪橋というところをとおった。橋はなかった。浅草まで出たので地下鉄にのった。
ということで、北千住のあたりで基地をさがします。仕事?をやめてかえるのはやめます。基地ができたら、やめて帰るとかいうヘタレなことは言わないでしょう。やめても何かつかむまで帰らないと言う意気で。
勝手にアメリカについてプンスカしている間に、アメリカはパレスチナ問題の解決に乗り出したらしい。それもイスラエルに不利な形で。シリアを脅しているのも実はイスラエルの占領地撤退を引き出すための前準備「らしい」。(ソースは田中宇)
これやり遂げれたらすばらしいことだ。フセイン政権打倒が過去二十年のアメリカの対イラク政策の暴力的な清算であれば、それは過去五十年のアメリカの対イスラエル政策の清算になる。(1967年の第三次中東戦争の状態まで引き戻すらしいから過去三十五年か。)
さすがにイスラエルに対しては破壊と混乱でもって対処することはしないらしい。
フセイン像引き倒し遠景
テレビ向けの「バグダッド解放」。
イラク開戦前なんぞはシリアは非常任理事国のひとつで、1441号をとおすためにアメリカはシリアのご機嫌伺ってみたりしてシリアも賛成に回ってたのに、イラクの戦争が始まると、まず、イラクに武器を密輸してる(政府レベルではやってないし、密輸だけなら周辺国はみんなしてる)だとかイラクの人間をかくまうな(三月末の時点で。)とか特にシリアに向けて言いがかりをつけていた。
オレも開戦前は次はイランかなとおもってた。(もっと前、アフガン戦のころはアフガンの次はイラクでその次北朝鮮だと思ってた。) でも、戦争が始まるとそのようにアメリカはシリアに対して敵意のサインを明確におくりつづけていた。
あーーーーもう。説明する必要もない。露骨すぎる。
露骨すぎるから逆に何かを隠すためにシリア攻撃のポーズを取っているのか?
1 イラク戦が一段落ついて、米国民にたのしい娯楽を提供するため/イラクの「戦後」の悲惨な状況が見えないようにするために今度はシリアと駆け引きをする。
2 イスラエルにとっての脅威を取り除くためにシリアを除去しリビアを除去しイランを除去する。
3 うーん。
アメリカがイラクと同じ調子でイスラエルを攻撃して核武装をなくさせ右派政権をつぶしアラブと宥和する政権をつくるというなら、おれもアメリカはすばらしい国だ世界の王者だ連邦政府は世界の連邦政府だ、と褒め称えてやる。
アメリカはイスラエルにラジコンで操縦されてるんだろう。きっと。
宮崎市定『アジア史概説』(第八章現代アジア史 第四節近代化後の日本)より引用
「富国強兵は新興民族がかならず一度は通過しなければならない民族主義の一つの現われである。日本の場合、それは明治・大正の間にいちおう成就されたのであったが、同時にそれは危険な後遺症を伴った。これも世界的に見て、戦勝の後に必ず起る現象であるが、軍人崇拝、軍事優先、そして絶対不敗の信念の普遍化である。この信仰は一度成立すると、現実に戦争に敗けてみるまでは続くから厄介なのである」
「いったい軍人は時代遅れのものであるが、とくに日本の陸軍は内地の各界にくらべても、また世界の軍部にくらべても頭が古かった。だからその芝居の筋書はいつも現代ばなれがしていた。しかし、陸軍がそこまで腹をきめてしたことだとわかると、国民は否応なくそれについていったのである。」
「軍部の独走にいくらかでも抵抗を示したのは、政界と実業界であった。それは軍部右翼のテロの犠牲者の顔ぶれを見ればわかる。(一文略)これに反し、官僚、言論界は猫のように従順であった。ことに新聞界がまったく軍部の手先のように働いたことが注意されるべきである。」
アメリカの場合、タカ派と言われる人たちはみな軍人ではないわけですが。
もう仕事やめてかえります、とヘタレたことを言うと、もう一日考えよう、と言われた。
なぜたったの一週間でヘタレたかというと、自分の領分がないからだ。好き勝手できるのに領分がない。不思議だなぁ
どうも五月のあたまに中国行くことになるようだ。
基地をみつけるのはそのあとになりそうだ。
というか、基地がないのがなんかつらくなってきた。どっか逃げてしまおうかとも思うけど、また一面、はじめたことを何の成果もなしにやめるのは精神の枠をつくるうえでよろしくない。
このまま行くとまた耽溺コースに入りそう。とりあえず中国に持っていけるようにするまではがんばるか。そこまで行けばまた道が開けるだろ。
むぅーん。イラク。中心がなくなるとここまで悲惨なのか。もっと抵抗すると思ってたけどなぁ。蜂起も抵抗もせず略奪三昧か。
イラクが今まで築いていた政府組織がなくなってしまった。「フセイン政権」が無くなるとともに政府組織も崩壊してしまった。フセインは政府組織の通常経路を登って大統領になったのだから正統性を有していた。フセインとともに「そういったもの」が消えてしまった。玉石共にやかれてしまった。
イラクは都会だからこうなるのもなるほどとおもうところはあるけどここまで鮮やかだとは思わなかった。本当にイラク軍はどこへ行った?
中国の場合日本が驚くべきスピード(たったの五ヶ月)で南京を落としてもまだ武漢があったし、さらに重慶があった。イラクにはそういった逃げ道がない。.
アフガンではいまもタリバンが活動し、アメリカと戦闘をつづけている。アフガンは 1山がちな地形 2各地各村レベルの共同体が強固 で、タリバンはそういった各地各村レベルにルーツがあるからなかなか掃討できない。そして現在の軍閥支配もそこにルーツがあるから払底できない。
反省点 自分がアメリカの手段が嫌いなことを状況判断に混ぜていた。
人間のやることは積んでは崩し積んでは崩しなんやなぁ。
バグダッド陥落のはやいことよ。
イラク軍がこんなに早く首都を放棄するとはおもわなかった。バグダッドは所詮都会、各地出身者と動産で生きる人たちの寄りあつまるところではあるけれど。しかし。
イラク軍はどこへ行った?フセインは?ティクリットの部族の星フセインは結局故郷に戻ったのか?
しかしイラク軍弱すぎる。
1 空爆で殲滅されて機能していない
2 真っ向からでは勝てないのを見越してゲリラ戦用に組み替えられ市街地などで待機している
1のパターンなら徹底的な限定的空爆でフセイン政権の上部構造が破壊されもう何も機能していない。アメリカが傀儡政権をつくるのを待つのみ。
2のパターンなら、今のアメリカの進撃は開戦当初と同じ状態で、敵のいないもしくは抵抗の弱いところを進んでいるだけということになる。
情報相かフセインが日曜六日にだした命令ではたしか各部隊は「文書で」指示したとおりに動け、とかだった。空爆されにくい市街地に紛れこんでるのだろうか。
まぁしかしイラク軍最大の兵力「国際輿論」もあんまりあてにならないようで。悲惨ですな。
四月三日夜七時に出発し、翌四日朝九時ごろ目的地に到着。都合14時間。首都圏に入ってから渋滞に巻きこまれて三時間、眠くて死にそうだった。
京都→途中越→琵琶湖大橋→1号線→名古屋を23号線で迂回→1号線→御殿場→そのまま246号線で厚木→都心。
昼間よく寝てもう少し早い目に出たらもっと快適だったと思う。
246号線でだらだら渋谷付近まで来るとぜんぜん進まない。渋谷の交差点まで来ると警察がいた。事故があった模様。不思議なことに、それが見えてるにもかかわらず、車の列は事故によって狭くなった道の入り口目指して突っこんでいく。よくわからんのでその流れに任せていたが、気づいて北にそれたらなんと車が全然ないところに出て、そのまま適当に東の方を向いていくとガラガラになった246号線にでた。わからないならともかく地元住民らしき人たちがみんなあんなところに突っこんでいくのはどうしてだろう。
実は東京近辺の人も道があんまりにも複雑なので決まった道しか覚えてないのではないか。
ということでしばらく人の家に仮住まい。部屋さがさんとなぁ。
(03/31)がんばって実家で保存しておく荷物を選定し、実家に運びこみ、実家全体がゴミ置き場と化しかけているので片づけを少しして、翌日(04/01)免許更新時の一般者講習なるものを受け、午後京都にまいもどる。それから金券屋を数カ所回って二回分残った18切符を買い、その日の大垣夜行で東京に行き、(04/02)着いてからの判断で車で京都向けて早朝六時に東京出発。途中何回か寝て京都に着いたのが真夜中の十二時。それからしばらく憩ったあと、部屋の外に放置していたPCゴミをゴニョゴニョして今四月三日早朝三時。これから寝て起きて京都でできることを終えて、車に荷物を積んで再び東京へ向かうという算段。
ここで、1 もう八千円ほど足して新幹線に乗ると一晩要らない。 2 一万円払って高速に乗ると京都まで十八時間もかからない。
つまり二万円弱払うと一日分の時間を買えたうえ、こんなに疲れなかったわけですな。
ムジャヒディン=ハルクはSCIRI(イラクイスラム革命評議会)とは対極的な位置にある。SCIRIはイランにいるイラクの反体制派。ムジャヒディン=ハルクはイラクにいるイランの反体制派である。イランイスラム革命のとき、ムジャヒディン=ハルクは他の諸派とともにシャーを追い出したが、その後ホメイニ師らとの権力闘争にやぶれイラクに逃れた。
アメリカがイラクに傀儡政権をつくるとき、こういう勢力を引っぱってきてシーア派の代表とすれば、アメリカにとってのシーア派の問題は解決する。実際にはかれらはペルシア語話者だからそんなことはありえないが。
SCIRIは越境したのだろうか。SCIRIがイラクに乗りこんで米英軍が包囲している南部の町を蜂起させてしまえばイランがアメリカの上前をはねることになる。
アメリカの『衝撃と恐怖』戦略はその理想的な形から普通の戦争にシフトしていっているがまだそのラインは残っている。包囲して相手が折れるのをまつ。しかし既に敵軍に対しては空爆で殲滅する方向にかわった。市民に対しても「誤爆」などでゆすりをかけるようになるだろう。ただしそういったやり方は敵愾心をあおるだけで市民の歓迎を受けるものではない。そこにSCIRIの乗ずる隙はあるというわけだ。イラク人がイラン流の宗教支配を好むとも思えないが、アメリカのやり口があまりにひどいから、よりマシ選択で親イランの宗教政権を選ぶかもしれない。
米軍支配が確立すればSCIRIはテロリスト指定されて排除されるんだろうけど。
ということでこれが吉田寮からの最後の更新となります。
3月37日、アメリカ国防政策委員会委員長リチャードパール辞任とのこと。ひどいなぁ。戦争起こしといて、うまいこといかんから逃げるとは。文字どおり国賊だ。このやろう。
昼夜転倒するとろくな事がない。
米軍が、市場に落ちたミサイルはイラク軍のものだと発表。その真偽は知らず。
国際社会の合意形成を軽んじて強引に戦争を始めた米軍、圧倒的な情報操作の力で敵をコントロールし屈服させるつもりの米軍が、国際社会に対して敵の情報はウソだと弁解しなければならなくなっている。『衝撃と恐怖』戦略は失敗し、普通の戦争になっていく。
東京行くのが決まってきました。来週の後半くらい。んで、東京に持ってく以外のものを片づけるのが日曜。
本を実家の蔵にしまったせいで調べたいことがあっても調べられない。こんなんで東京行っても生きていけるのかな、と思った。
コンピュータからすこし高音が出る。なぜ音が出るのか突き止めてみたら、ハードディスクだった。いやはや。何ともしようがない。
いやいやこりゃイカンよ。毎日イラクのことを書いているというのはつまり他のことをしていないと言うことだ。こりゃいかん。
イラクの軍隊構成
http://www2.odn.ne.jp/~cae02800/iraq/
シーア派組織の関与について
●シーア派反政府組織、イラク内で蜂起の準備完了イラクイスラム革命最高評議会SCIRIについて。
http://www3.nikkei.co.jp/kensaku/kekka.cfm?id=2003032202695
日経NET バーレーン発 2003/03/22
テヘランからの報道によると、イスラム教シーア派のイラク反体制組織であるイラク・イスラム革命最高評議会に所属する武装グループは、同国国内で蜂起する準備を完了した。
●バスラの住民蜂起、反体制派も確認
http://www3.nikkei.co.jp/kensaku/kekka.cfm?id=2003032601218
日経NET アンマン発 2003/03/26
SCIRIの指導者ハキム師は同日、テヘランで会見し「米英軍がサダム独裁政権打倒のためにイラク人民を助けることは歓迎する。しかし占領しようとすればイラク人は抵抗する」と述べた。
もう一つすこし古い(三日前の)ニュースを紹介
●イラクのシーア派はアメリカに背くだろう -SCIRI
http://www.alertnet.org/thenews/newsdesk/L24277541.htm
"Iraqi Shi'ites might turn against U.S.-SCIRI " Reuters2003/03/24
この記事にあるSCIRI代表モハンマド=ハリリの発言
「いままでわれわれは合衆国と(イラク)政権との戦争を権益をめぐる戦争だと見なしていた。この戦争は誇れるようなものでもなく、民主主義のためのものでもない」
「もし、この戦争にイラク人民を代表する勢力(SCIRIとクルド人勢力)の関わるところがないのなら、これは占領行動であり、覇権主義の行動であり、いろんな勢力と政治的軍事的に衝突するだろう」
SCIRIはこの戦争に参加するかどうか決めていないと言う。
「何が起こるかまだハッキリしないので、国内および隣国にいる勢力にとって気がかりだ。」
合衆国がイラクの各勢力を過小評価しているのが不満だという。
「イラクの人々はサダム=フセイン追放を熱望しているが、サダムの政権を追い払う準備ができていないので、結局ほかの困った状態・・軍事政権に落ち着くだけだ。」
そのあいまいさのため、イラクの人々は蜂起するのを控えているのだという。
「イラクの人々は政権をたやすく転覆できる。われわれに武器や金や訓練などは要らない。イラクの人々が行動し、政権を追い払うことはできるんだよ。」
彼はまた、国連決議なしに戦争を始めたワシントンの決定を非難した。そうした行動がイラク介入の意図について疑問をおこさせるのだという。
「アメリカが戦争への国際的協力を得るのに失敗したせいで政権の転覆と交代が遅れる。」
にちゃんにかきこみしようとしたらプロキシ規制とか言いやがる。
ルータマシンにログインしてw3mから書きこもうとしたけどやっぱりプロキシ規制にかかった。
しかたないので、こっちに貼る。
90で紹介されている『Shock and Awe』原文はCCRPのサイトに紹介されているのですが、同時に以下の記事も紹介されています。
●『衝撃と恐怖』の原典
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A5948-2003Mar21.html
"The Origins of 'Shock and Awe'" WashingtonPost2003/03/21
●「『衝撃と恐怖』の著者名を得ておちつかず --ウルマン博士は論旨が誤解されているのではないかとおそれている--」
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A7837-2003Mar21.html
"'Shock and Awe' Author Uneasy With New Fame Ullman Fears Thesis May Be Misconstrued" WashingtonPost2003/03/22
さて、3/21の記事によれば、「衝撃と恐怖」は以下の七つの原理に要約されるという。
○目的 「敵の意志・知覚・理解をコントロール下に置く」
○兵力行使 「敵の意志・知覚・理解をコントロールし、事実上敵が行動・対応できないようにする。」
○兵力規模 「おそらく敵よりも少なくなるだろうが、しかし、装備・練度・技術においては決定的に優位に。」
○範囲 「全方向からの包囲」
○速度 「最重要」
○被害 「敵も味方も比較的少なくなるだろう」
○技術 「麻痺・衝撃・不安・拒絶・破壊」
そして、「最終目標は核兵器使用がまきおこすのと同じような精神的効果を達成すること」だとまとめている。
次は3/22の記事より、ウルマン博士の発言を中心に要約。
「『衝撃と恐怖』は合衆国のよくない宣伝になったようだ。」
「明らかに、『衝撃と恐怖』の内容を違うものにし、”われわれがイラクの人々にテロを行なおうとしている”と言いたい人たちがいる。」
「われわれが広島でやったようなことをイラク人にもするぞといって脅している、というのだ」
ウルマン博士らが効果を説明するのに引き合いに出したのが原因であろう。
「”理論的には”、非核兵器をもちいて、極端な例を挙げれば広島・長崎の原爆が日本人に及ぼしたようなインパクトを得たい」
該書の他の部分では第一次世界大戦当時の塹壕戦をたたかう兵士たちの目線をイメージしている。
『衝撃と恐怖』は90年代、軍事費削減の冷戦後の世界で、米軍の強さを保つにはどうしたらよいかという問題に対する答えとして生まれた。
「元のアイデアは、敵の意志をいかに早く挫くかだった。」
その意図はいろんな方法を電撃的に行なってはじめて達成できるだろう。
たとえば、詐欺・宣伝・ウソ情報による精神戦術であり、また、「きわめて選択的、完全に残虐かつ無慈悲、迅速な兵力行使でおそれさせる」ような暴力的な精神戦術である。
そのような意味で、開戦当日フセインその人をねらった空爆は「『衝撃と恐怖』の古典的な例となっていただろう。うまくいってれば。」
この理論では、市民の抵抗意志をくだくために電気・水道を圧倒的に破壊することも意図している。"いまのところ"そのような手段をとっていないようだが。
「うまくいけば、『衝撃と恐怖』は人命を助けるだろう。」
「彼らが死ぬ前にかれらをやめさせるのである」
そしてウルマン博士は二月には既にこのような署名記事を書いています。
●まやかしの戦争を避けよ
http://www.washtimes.com/commentary/20030211-27079269.htm
"Avoiding a phony war" WashingtonPost2003/02/11
(ヒトラーのドイツとフランスが1939/09に宣戦布告をしたまま1940/05まで大規模な軍事衝突をしなかったことを指してまやかしの戦争という。)
オレが甘かった。アメリカは本気だ。
既に失敗している。最初から下策。どんどん下々策にうつる。力まかせのひどい作戦だ。もっと死ぬぞ。
卒業式に出てきた。その後、卒業証書と卒業記念の餡入り落雁をもらった。
ペルシア語表示のテスト。順番にうちこんでいく。
پيشروی نيروهای امريكايی به سوی بغداد
エディタ
秀丸 メモ帳 |
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NHKの戦争報道はいい。江畑を筆頭に専門家をそろえてきっちり情報を分析解説してくれるし、今回はとくに偏った報道をしようとしない。アメリカからの情報はどうせ情報戦の一部だろという態度で扱っている。いい。NHKには金払ってもいい。
ほかのところは印象報道しかしていない。どうせ民放なんかコマーシャルのオマケなんだから見なくていい。
カルバラまでアメリカ軍到達。カルバラ(ケルバラ)はアリーとファーティマの息子ムハンマドの孫フセインが殺されたところ。シーア派最大の聖地である。シーア派をシーア派たらしめる最大の殉教伝説が作られた土地である。
アリーを殺してカリフになったムアーウィアの死後、ムアーウィアの息子ヤジドがカリフを継いだ。カリフ位の正統継承者を主張するシーア派の星フセインはクーファの町の招きに応じ、メディナから砂漠を横断してイラクに到着したが、ヤジドの手の者によってころされた・・・。これでモハンマドの直系の血統のものはほとんど殺された。イスラム暦61年、西暦680年のことである。
どうもアメリカ軍は極力戦わず長駆バグダッドを衝いて包囲する方針らしい。その際各地で勝った降伏させたと宣伝し、意気を挙げ、高速で移動し、敵を威圧し、降伏させる。まるでモンゴル人のような戦い方だが、モンゴル人と違うところがひとつある。実際に殺せないところだ。悪いのは政権でイラク人は悪くない、われわれは解放軍である、という夢のようなことを言い実行しているのだから、すくなくとも東京大空襲のようなアメリカ得意の虐殺はできないし、インフラも破壊できない。
普通に考えたらアメリカが勝つんだが、弱点がある。政権の自壊を望んでいる点。さっき挙げた大攻勢をかけることができない点。そして世界の支持を得ていない点である。
予防戦争という超積極的な挙に出ているのに、勝利は相手待ちという不思議な状態なのだ。この総力戦の時代に。
アメリカは宣伝戦では必ずしも強くない。アフガンのときもザイーフたんがタリバンのスポークスマンとして大活躍、閉口したアメリカはパキスタンに圧力をかけアフガン大使館を閉鎖させてだまらせた。結局アメリカには腕っぷししか能がない。
今回は報道管制をひいてしょっぱなからウソ情報を流しているがつぎからつぎからウソとばれる情報ばかりである。アメリカのあしもとはほんとうに腐っているんだと思う。
フセイン機関説。
Yahooのニュースのあつまりがわるい。おかげでいちいち巡回しなければならない。
うーん。どっかでイランからイラクにシーア派の活動家がおくりこまれるという記事を見たけど今探しても見つからん。
キターーーーー!
トルコ軍越境!トルコが米軍の空域通過承認と一緒に議会を通した案件だ。
クルド関係三カ国のなかで一番クルド人に自由を与えていたのはなんだかんだ言ってイラクであり、イラクのクルド人がクローズアップされ続けていたのはイラクをいじめる為なのだ。
既にイランイラク戦争の前、イランとイラクの間でクルド人は諍いのもととなっていた。イランがイラクのクルド人をあおって反乱をそそのかしていたからだ。ほとほとこまりはてたイラクは1975年、イランとの争点となっていた国境の河の航行権について譲歩し、かわりにイランはクルド人に介入しないというアルジェ協定を結んだ。そのときフセインは副大統領として交渉に臨んだ。
そのときの背景を整理すれば、1970年代初頭、リビアを皮切りに、イランやイラクが石油国有化に着手、1973年の第四次中東戦争を契機に石油の価格決定権をアラブ諸国が握り、石油ショックがおこった。
つまり、それまで欧米資本が握っていた石油利権が産油国に戻りつつあった時代である。
当時のシリア・イラクはバース党政権であった。バース党というのはアラブの復興Ba'thをねらう社会主義政党である。第二次大戦後、イスラエル建国に対し、これを認められない中東諸国は戦争を仕掛けたが敗北、それをうけて各国で近代化を目指す改革運動が始まった。そのひとつである。イランでの革命運動は中東諸国の中でも最もはやかったが、そのモサデクの革命をアメリカがつぶし、王政に戻して以来、イランは中東におけるアメリカの番頭となっていた。一方のイラクはソ連の援助を受ける社会主義政権の国である。こういった背景であるから、イランによるクルド人工作には当然アメリカ・イスラエルがうしろにいた。
イラクはこうした圧力に屈し、アルジェ協定を結んだわけだが、徐々にアメリカ寄りに転換することになった。その象徴といえるのが1979年である。この年、イランで革命が成就し、国王が亡命、ホメイニ師が凱旋した。そして、フセインは副大統領から第二代イラク大統領になり、イランで米大使館占拠事件が発生、アフガンではソ連が侵攻した。
イランが孤立無援のイスラム革命を起こし、アメリカを敵に回したのを見て、フセイン大統領は今までの失地を回復すべくイランに戦争をふっかけた。革命間もなく、国内にいろんな勢力がいて統制の取れないイランでは戦争で国内を引き締める方向になり、戦争は長期化。イランを仇敵視するアメリカはイラクにてこ入れする。今アメリカが問題にしているBC兵器はアメリカがイラクに渡したものである。
クルド人にたいして1970年イラクは大幅な自治権を認めた。ただし不十分でもあったのでそこをイラン・アメリカに利用されたが、アルジェ協定が結ばれると使い捨てられ、クルド人は弾圧された。
イランイラク戦争末期、イラク軍は独立運動がおこるクルド人地区に対し、毒ガス攻撃などもした。イランとの戦争が終われば、兵力をクルド人地区に向かわせ、徹底的に弾圧した。湾岸戦争ではその点もフセイン政権の悪い点に数え上げられた。
しかし、トルコもクルド人弾圧では相当なものである。湾岸戦争後の90年代前半には軍が活発に活動し、3000程の町村を無人化させている。クルド人勢力の一派の指導者オジャランがトルコを逃亡し、ヨーロッパで捕まって、トルコに送り返された一件ではマスコミに取り上げられた。もっとも、90年代のトルコ軍の活動の結果、クルド人は武力闘争はやめ、政治闘争に移ることになった。武力闘争をしていたクルド人はイラクに引き揚げた。
イランの石油省が誤爆された。わざとだろうなぁ。
フランスかっこわるー。
国連というのは第二次世界大戦の戦勝国によって構成されるものであり、敗戦国日独伊はいかに強大になろうとも常任理事国になれなかった。911以降のアメリカの理不尽な軍事行動は一方で、そういった旧世界の枠組みをかえ、あらたな連合軍をつくる可能性がある。その場合、日本は重要な地位を占めることができるだろう。
とはいっても、二次大戦当時のアメリカにはまだ「信義と公正」があった。第二次大戦が始まった当初、大陸の戦争には「不介入」を貫き、真珠湾攻撃をうけて輿論沸騰、全面参戦となった。今回のアメリカは理不尽と言うほかない。911はテロであり、「犯罪」の範疇に入る。しかも国家犯罪ではない。911を口実に前々から敵視していた超貧乏国家タリバンをたたきつぶしたが、911主犯とアメリカが名指ししていたオサマ=ビン=ラディンは捕まっていない。イラクに対しても、査察を受け入れさせ、ミサイルの廃棄などもしばらくさせてからいきなり開戦だ。このような状態で誰が国連のような調停機関のいうことをきくようになるのだろうか。きくだけ損である。
アメリカが国連の機能を果たすことができるか。端的に、果たすことはできない。国連は機能していないかも知れないが、とはいえ、今のアメリカが代わりになることはできない。経済の分野を見渡せば、アメリカと日本が鋭く対立しているところはいくつもある。自分の意見が通るときは会議をフル活用し、意見が通らないときは会議から離れるようなところを誰が信用するのだろうか。力による支配を公言している国がやることは「イエスかノーか」だろう。
日米同盟を理由にアメリカに従うのは最終的にはしかたのないことかも知れない。しかし、手続きは大事だ。手続きは物語である。信義や公正も物語の産物であるから、手続きを無視するものは信義や公正も失う。
イラクにはアメリカの汚い過去が隠されている。査察がすすめばそれも暴露されていたはずだ。ちなみにイラク提出の膨大な報告書が非常任理事国に公表されたときには、国連安保理常任理事五ヶ国の承認を得てイラクの軍備に関連した企業などの記事が削除され、分量は三分の一になっていたそうだ。
軍事的な観点から言って砂漠の嵐が始まる前に開戦しないといけないというのは一面の理由である。第一、今時点でさえ輿論がまとまっているとはいいがたいが、力を振りかざすブッシュ政権がそんなことを気にしてるとは思えない。イラクは既に無抵抗路線で世界の同情を引こうとしていたのだから、外堀から内堀まで完璧にうめてしまえばよかった。それができないのはまさに裏があるからである。
アメリカは猟官制である。大統領の交代に伴い、政府の各部署の局長級以上がゴッソリと入れ替わる。ブッシュとかラムズフェルドとかがあんなに脳天気にフセイン政権について、トップを追い出せばいいとか言えるのは、実は自分とこのシステムと同じように他の国の政治システムをとらえているからではないか。
それから、なにか、犯罪者をおっかける警察のような安直な雰囲気を感じる。犯罪犯罪言ってるからその程度にしか考えてないのではないか。
大阪のアメリカ領事館に千人くらい反戦左翼も愛国右翼も集まってデモという話だったが、夜十時くらいに見物しにいったら十数人くらいだった。ふたりが大声上げてノーワーノーワーわめいていた。さびしかったので、とっとと帰った。
九時が境目だったらしい。それから、たぶん千人は言い過ぎ。主催者発表並み。
学校に行ってみると、学士授与者の一覧が掲示してあった。なぜか、自分の名前だけ、別欄になっていた。しかも用紙の真ん中の列の一番上に。晒されている?
不思議なことに、うちの学科の卒業生が自分も含めて五人しかいなかった。十人以上いるはずなんですが・・・・。みんなモラトリアム?
まぁ、浮世離れした学科やしな。でも、来年卒論の審査大変やろな。全然関係ないけど。
もしくは四人が院に進学決めてのこりは落ちたので留年なのか?なんか研究室に行きづらいので全然わからん。
というかなんというか、ダラダラしすぎています。こりゃいかん。とにかくいかん。なにか処置を。
お金は持つからと、ミヤサカをたきつけてオーバーマンキングゲイナーのビデオを借りてこさせた(17日)。
五話まで見た感想。微妙。大枠はおもしろいのに小ネタに困った物が多い。小ネタは(自分のわかる限り)二系統ある。ロシアっぽいものと萌え文化に属するものだ。困った小ネタはもちろん後者だ。オタクにサービスしないと商品として成り立たないのはわかるけど、でも、めざわりだ。なんといいますか、厳しい気候厳しい生存環境の結果としてあらわれるロシア的な小ネタとなまぬるーーーーーーーーい萌え文化の小ネタが併存しているのが気持ち悪い。それからちょっと説明不足。
まぁでもオレとしてはエクソダスと旧教徒の白水境とかと重ね合わせておもしろがったりするわけです。
八話まで見た感想。うーん。キジナンが生きてるのが納得いかん。
日本の賛成表明って役人ぽいな。
フセイン政権崩壊後、もし多数決がおこなわれるならシーア派の国ができる。もしくはシーア派、クルド人、中央のアラブ人の三つに分かれる。実際にはアメリカはアフガンとおなじように、アメリカに都合のいい勢力を選んで連合政権を作らせるだろうが、アフガンよりもうまくいかず、分裂するだろう。日本がアメリカ支持を表明しているのはこのことを見越してのことだろうか。
アメリカはイランを不倶戴天の敵とみなしているが、日本にとってイランは重要な石油輸入先であり、特別な友好関係をむすんできていた。そのイランはシーア派の国であり、シーア派の重要な聖地のほとんどはイラク南部、シーア派が多いところにある。また、イランイラク戦争の直接の原因のひとつはイランイラク国境の河の航行権にある。シーア派はイラク人口の六割。イラク南部にシーア派の国ができれば、イランにとっては好都合なことがおおい。
まぁ日本がアメリカ支持なのは北朝鮮対策なんだろうけど。北朝鮮については小泉訪朝など、独自の外交努力がみえていたわけだが、拉致された人の件がさんざん大騒ぎになって、成果も台無しになっている。ということであれば、あの被害者の会とやらがしつこくしつこく北朝鮮のことを言い、活動するのは裏でアメリカが糸を引いているのかも知れない。彼らが放置され無視されていたのは事実で、拉致で身内をなくした上に世間からは冷遇され、二重の意味で被害者だったわけだから、利用されやすい存在ではある。
もっとも北朝鮮ネタについては、便乗してもうけようとしている人がたくさんいるだろう。二束三文もしくはウソの情報を高くで売りつけるのである。また、それをウソネタとわかって使う人もいる。
全然関係ないけど最近なぜかどもる。もとから舌は回らん方やったけど。なんでやろ。
ほんとにおもわぬところに罠が仕掛けてある。しかも堂々と。わかるところに。
看板に偽りはない。ただ、裏にある物をみたくないために看板を置いたことを忘れていた。
いや、ホントに情けない。
ついでに言うと、そんなもののためにいろんな機会を逃していたのがもったいない。
ホンマに今頃・・やわ。
どうも中小規模事業者のおっさんおばはん相手にコンピュータの初歩的な相手をするというだけで二三年は食っていける。
というのは今日そういうバイトで行った人から、そういうことを熱心に勧められたからだ。しかし、もっと早くにこういうバイト始めてたらなぁ。
それはいいとして、今日は国際電話エロサイト業者のテクニックのひとつを知ることになった。
起動時に読みこむレジストリがある。HKLM\Software\Microsoft\Windows\CurrentVersion\Run というところがあって(Windows98)、そこに起動時に読みこませるスクリプトを指定させる。スクリプトはフォントフォルダに隠しておく。フォントフォルダは特殊で、拡張子が フォント以外の物は見えないようになっている。そこに、Arial.vbs という、実在するフォント名をつかった名前にして隠しておくと、紛らわしく、余計削除しづらい。そのスクリプトにはエクスプローラのレジストリをいじってスタートページを目的のエロサイトに書きかえるようなものを書いておく。乱数をつかって、時々書きかわるようにしてある凝ったものもある。起動と書き換えの因果関係を紛らわしくするためだ。
あと、お気に入りをすりかえるのもある。00 何何、1 なにがし、2 どこそこ、というエロサイトリストにかえてしまう。ただし、あたらしく Favorites に 2 をつけた Favorites2 フォルダをつくり、レジストリを書きかえてそちらをお気に入りフォルダにするので、もとのお気に入りは残される。その人のフォルダは実に Favorites22222222222222 という長大な物になっていた。ちなみに、google でそれについての情報を検索したら、知った人の日記がでてきた。こんなとこで出会うとは。てゆうかあんた。
そんな感じで今日はレジストリを探検しておもしろかった。
昨日は二往復して本を実家の蔵におしこんだ。今日はパソコンパーツのかたづけ。ほとんどゴミ。SIMMやら無印Pentiumやら謎のケーブルやら。あーぁ。まぁ今日でNECの98君ともおさらばと言うことで。はい。
実家の南には自家用の小さなお稲荷さんがある。どうせ江戸時代の流行なんだろう。その祠の前の石灯籠には天保年間の年号がはいっている。隣の家にも昔はあったらしい。うちの東、山があるので上になるが、今は竹林になっているあたりになにやら建物があったような跡があり、隣の家の下からそこへ登る道などあるので、その辺がそれらしい。
ところで、隣の家は今は誰も継ぐ人がいない。債権の抵当になり、今は裁判所の競売をまつのみとなっている。それを指して言う、お稲荷さんをつぶしたからあそこは家がつぶれた、と。
その評価について云々する前にその家のだいたいのことを言っておこう。隣家の明治の頃の当主は京都府議会議長や国会議員になっている人である。うちの家は弟分(?)で、一緒に政治活動なんかやってたし、実際に義弟であった。家業は何か。よくわからんが、ちかくの製材所はもと隣家経営だったらしいから、材木を扱っていたのだろう。あるいは山林地主だったのかもしれない。
うちの家の祖父はいない。親が二歳くらいの頃に死んだとかで、顔も知らないらしい。隣家でそれくらいの世代に当たる人はいろんな事業をして、京都にでて屋敷を構えた。のこった隣の家には何か、「寮」を建ててた。白人が住んでたこともある。そして最近、多大な借金を残して死んだ。その息子は京都の北の方、花園橋の手前のあたりで自動車関係のことをして食っているらしいが、借金を背負うのがいやで、相続放棄したらしい。
江戸時代の流行の自家用神社のことなんかどうでもいい事かも知れない。「迷信」だし。しかし、そういったものは不合理なりとしてつぶす考えと、仕事のしやすい京都に出てしまう考えというのは割と近いものではないか。
「家」と「土地」をつなげ執着するのもまぁ言ってしまえば迷信だ。逆に言えばそういった愛着の表象が当時の流行である自家用の神社なんかになってあらわれているのではないか。
おまけ。迷信というのは正統な信仰が前提となる。だから「迷信」という考え方は別に近代のものでもない。たとえば、淫祠邪教というとらえ方が中国にあるが、それは儒学にたいしてのことである。“「正統な信仰」があるのが近代的」”という意味なら「迷信」という考え方は近代的である。
言葉遊びは終わりにして、迷信を排する考えというのは、理論の世界のなんにもない荒野を粗雑に現象面に適用しただけ。
遅すぎるお礼の品を投函。
さすがに整理の遅いオレでもここまで時間をかければ一段落付くと言うもの。
イヤァ長い道のりだった。
明日は裏技で荷物を運ぶ。二往復?
あと一回分くらいは残しとくのがポイント。
なんかようやく終わりがみえてきた。
きちんと片づいている人は毎日こういう事をしているのか。
そやな。「作業をする」ことをむさぼってたな。
もしくは「そこに物が置かれていったこと」の意義を強く感じすぎた?
まぁいいや。
あと、話をするときに、「意味」の最低ラインで説明しようとする癖はよろしくない。
もう少し上に持っていって、実が少なくてもいいから、言葉を使わな。
旅行だよ。旅行。
まだダラダラ片づけをしたり、出てきた物を整理したりしている今日この頃。
暖房器具を発掘、電気を入れると、部屋が南国に。というか、もっとはやく導入したら良かった。こんな、ひっこしのための片づけの最中に・・・。アホだ。
まだダラダラこっちにいます。どうなることやら。
これやめて他の仕事探した方がいいかなぁとちょっと思ったり。
実験ノートが出てきた。
赤でいろいろかきこんである。
「標題と一致しない実験記録をこの頁にすることは混乱と誤まりの元である。」
「記述があちこちに散らばっていてどの滴定値、秤量値、ファクターとどうつながるのか判り難い。」
「肝心の結果がどこに記録されているのか判り難い。記録方法を工夫して、もっと内容が整理されて判り易く記録されるべきです。迷路の中をさまよった気分です。」
あぁ。今に至るもまだなおらず。
昔かいたマンガがでてきた。
はずかしー。
まぁでも自分ではそこそこおもしろいとおもってたりする。
いやでもこの話の進め方はダメだな。もうすこしねばって話を組み立てないと。
そもそも話になってへんけど。
まぁでもなんだね。漫研なんかはいんなきゃよかった。
まだ寮にいてダラダラ片づけをしているのですが。
物をほかすのが何か気持ちいい。
あれもこれも全部ほかすと気持ちいいし楽だな。
右腕だけで生きてけるようなら一番楽でいいな。物がないし。
でもどっちにしても本は残るな。辞書とか。資料とか。持っていきたいけど、持っていかんとこう。東京に持っていくのはなるだけバックパックに収まる程度にしておこう。はっきりいって東京の方行くのは旅行のつもりやし。
ということで、ここにある本は全部実家送りの刑だ。
しかし、そろそろ自分の整理能力の限界に近づいてきたのか、なんか煮詰まってきた。
最近全身がカユいので、昨日何年かぶりに銭湯行ってきたらとても気持ちよかった。前は銭湯とか暑苦しいて入れへんだんやけどなぁ。昨日はよかった。また行こう。
実家で「インターネット」できたら引きこもるんやけどなぁ。
国土交通省の光ファイバーは実家のあたりを通っていない。農林水産省の光ファイバーは平成16年度より公開ということでろくな情報がない。
光ファイバーの値段 うーん。30kmくらい引こうとすると、二千万くらい要るわけだ。
いかんいかん。あんまりダラダラしてて荷物がひとつも片づいていない。
今週末にまた東京に行くつもりやったけど、これではいけん。
ちなみに。東京に行っても今のところ自分のすみかがあるわけではないので、「プライベート」な時間はまず無いと言ってよい。うーん。まずはその辺からか。
ttp://members.tripod.co.jp/euro2002/orita/orita_where.html 折田
ともだちに卒業祝いをせびって回転寿司とかおごってもらった。ついでにすこしドライブした。
そしたら警察の点数稼ぎにひっかかってしまった。なんかもうしわけない。
とはいってもかわりに罰金払うような人間ではありません。
去年の今頃始めてオゴトに行ってからこの一年ちょくちょく風俗に行って遊んでいたということは知ってる人は知ってる事なのですが、もう、こういう遊びはしないことにしました。
理由は 1金がない 2この金でできる他のことを考えるととてもそんなことにつかえない 3まぁ一通りはまわってきたのでちょっと飽きてきた。
この遊びで得た物は、1感覚 2金を使うおもいきり 3「こんなもんか」
失った物は、制限。
まぁしかし、これからは東京で違う遊びを始めるわけですが。
というか、これだけダラダラしていると。なぁ。
東京に行ってセレロン1.8Gのマシンを四万弱で買って、OSを五ついれてきた。
で、そのマシンを夜行バスで持って帰ってきた。部屋片づけつつやれと。
ボーナスは中国出張だとか。イイね。サイコー。
でもVMwareとかつかったら問題ないんやな。無かったしアカンけど。
東京行きの夜行バスで隣だった人がベッピンさんで萌え~だったなんて事は内緒だ。
オレは当然のごとく一言も発せず素知らぬふりをしたつもりだが、心中萌え~だったから顔にも出ていた事であろう。あぁ、オレのバカ。
なんか毎夜毎夜メッセンジャーで会議してるとなんかずいぶん仕事をした気分になるけど、実のところたいしてやっていない。でも、前のバイト先の社員がしょっちゅう会議してたのがどういう事かわかった。
また今晩から東京へいくんだなぁこれが。
学割を取りに行ったらあと15枚も残ってたんだなぁこれが。
マシン相手だから一日二枚までであっても何枚でも取れるんだなぁこれが。
移動に新幹線を使えるようになりましょうと言われると具体的でわかりやすい目標なんだなぁこれが。
でもまた今度の日曜は病院バイトの引き継ぎのために京都に戻ってないと行けないんだなぁこれが。
やることは寮内LAN構築並みのことだと思ってたりするが、そんなんじゃすまないかもしれない。
でもやっぱり客にVPNの設定させるのは無謀かな。
ケコーンなさるそうで。めでたいですな。
ちょっと名古屋東京方面にいってきた。あやしい事業の立ち上げに参加することになった。ということで近々東京都民になるやもしれぬ。
しかし、江戸川区の区立図書館はすごいな。
ひさしぶり。ひさしぶり。
リンク集を大々的にいじった。つかれた。
もう来週か。ダラダラしてると速いなぁ。
水滸伝袋修繕するヒマないなこりゃ。
旧知からの仕事のさそいがあった。のるべきかのらざるべきか。
うちに帰ってた。さむかった。雪。水。
ひさしぶりの友達と携帯で話してたら、いきなり切れた。通話時間をみると29分52秒とある。タイマー?携帯はよくわからん。
Manifest Destinyだって。
携帯電話手に入れた。写真撮れておもしろい。
w3m-m17nをつかえば、うにくすでもみえるようだ。安心安心。それにしても ports って便利だな。ふつーに日本語使うならうにくすで十分だ。ふつーに使うなら。
易の手順を読む機会があった。中根さんのすすめを無視して申しわけない。と今更ながら思った。結局あってたから余計悪い。
「オレがオレが」
携帯電話をもとうとしてるけど結局どれにするか決めれない。
あったあった。『小窓自紀』。コピーしてきた。
ひさしぶりに Ruby をいじって UTF-8 化のスクリプトを書いてみたけどうまくいかない。むぅーん。新しいディレクトリをつくってそこにバイナリも一緒にほうりこむ。テキストは UTF-8 にして、バイナリはそのまま。バイナリをコピーするのがうまく書けない。と思ってたけど、手順かえたらできた。もう、バカかと。アホかと。
で、寮内プロキシサーバにはいって w3m でみてみると文字化けしてやんの。
二年前、水滸伝袋のテキストのために用意したけどめんどくさくなって放棄したネタがある。呉従先『小窗自記』に「読水滸伝」というのがあり、現行水滸伝とはちがうものが紹介されているというけど、『小窗自記』自体がなかなか見あたらない。引用の孫引きでイイかなぁとおもってたけど、なんと電子テキスト化されてた。中国人はそういうところがむちゃでいいなぁ。国学網とここ。ただ、これをみるとどうも・・・・・箴言集で、どこにも「読水滸伝」なんてものがない。いまのところ、手元にあるソースはみんな孫引きばっかりらしく、同じことが書いてある。入力が中途半端なのかもしれん。どこにあるのかもうすこしきっちり調べてからでないとあつかえんよな。
覚え書き
大型叢書
「続修四庫全書」「四庫全書存目叢書」「四庫禁毀書叢書」「四庫未収書輯刊」
金券屋で京阪の株主優待券を買ったら近鉄の沿線観光施設招待乗車券が来た。その場で気が付かなかったのでしかたなく駅で通常料金の券を買った。さらに後でわかったが、近鉄の券は1500円で京阪の券は370円だった。
ルールが行為を規定し、行為から概念が抽象され、抽象された概念が行為を再規定し、さらにルールを再規定する、ということを卒論に適当に書いた。もっと練るべし。
いやー。卒論出してきた。めでたいめでたい。あとは試問受けたら終わりじゃよ。いやったー。これで大学生活終わりだー。あぁ。ながかった。
しかし今日もバイト。勘弁して欲しい。
眠いんじゃコラ
あしたは卒論の締め切りらしい。
そういう自分は昨日宿直の代打ちで眠い。
半分くらいできてるけど、この調子で行くと、50枚超過する。うーん。もうすこしほしい。
でも一回くらい見てもらった方がいいんだろうな。そんな気も時間もないけど。
遅筆と集中力の低さがが真綿のように首を絞めていく・・・
こんな部分けずってしまえばいいんだ。
昨日は酔っぱらって人の部屋に行ってクダ巻いてた。つまらないことを鼻にかけるのは良くない癖だと思う。こんなクソ論文をしあげたところで何だ。将来何するというつもりもないのに。
まぁでもひさしぶりによっぱらってキツかった。とくにバスを乗り越して高野の辺で目を覚ましたときにはもう、凍死するかと思った。気を強く持って歩いて帰ったけど。
終わらへん。今日は少林サッカーをみた。これから宿直バイト行ってくる。のんきに注をつけながら整形して・・・。
しかし、明日図書館に行って微妙な論文を見てこなければ行けない。あぁ。
それから、明日から提出が始まるらしい。あぁ。
絶好調。矢でも鉄砲でもかかってこーい!
今日は事実をひとつ発見してしまった。またネタを増やしてしまった。
一年の計は元旦にアリとか。
いつもなら鼻で笑って相手にしないところ、今年は転機なので、立ててみる。
まだ卒論おわってません。昨日は餅つきで一日つぶれました。アホタレ。
実のところ「どうせまともに読まれない」「そのかわりネタはイイつもり」「だから短い方がいいだろう」とかおもってたりする。
ttp://www.people.com.cn/BIG5/shizheng/252/5580/5581/20010611/486482.html
1975年8月14日、毛沢東はある教師との談話中にこう言いおよんだ。“《水滸》這部書,好就好在投降。做反面教材,使人民都知道投降派。”「この水滸伝にかいてあるのはつまり投降することだ。反面教材として、人民に投降派を知らしめよ!」
四人組はこれを利用し、「文化大革命をゆがめる」周恩来や鄧小平を攻撃した。
さすが毛沢東はちがう。このネタ卒論でつかうことにした。使うかもしれんと思って水滸批判の本借りといて良かった。
ただなぁ。中国の道端の古本屋で水滸批判の本みつけてたんやなぁ。こんな図書館にある北京大学がつくった上質なものでなくてもっと劣悪なもの。買うといたらよかった。
というわけで、この二十四時間の病院バイト中に卒論のまえふりに一応ケリをつけた。これから本論に入る。まぁちょっと入ったけど。その前に寝る。
しかし、20kBしか書いてないのに「そんなに」進んでんのとか言われても困る。「たったの」「こんだけしか」進んでないの。
しかも、やっぱりムダだったところがあるしあとから削る必要があんの。半分くらいになんの。
・・・注にしてしまうという手もあり。本文より長い注。
ケチつけなくても紹介だけして必要な事だけ指摘すればいいんだ。イエーイ。解決。
よくよく考えると、結論が先にあり、それに味付けするだけなのに、こんなにダラダラ時間をかけて、締め切り間際にあせっているオレはなんて無能な男なんだろう。
天の与うるをとらざれば災いその身に帰すとか。あぁ。
Big5 で入力した文章を閉じ、もう一度開くと、Windows 様の偉大な力でフォントが日本語フォントで見えたり。ゴルァ
まぁでもそういうカラクリのおかげで難なく見れるんだけど。
自分が天下の中心で、その他の物は全て背景であるとしよう。内面の事象と外面の事象がともにおなじようにあつかえる「情報」であるとし、位置を中心からの距離ではかるとして、内外境界を相対距離1としよう。そして中心が情報を扱うとき、相対距離によって強度がつけられ、その強度は相対距離の二乗くらいに反比例するとしよう。その場合、情報の外界での関係は無視できるようになり、全ての外面の情報は入出力するときの姿しか見えなくなる。
そのような「自己中」な感覚であれば、全ての入出力は等しく「刺激」であるとか言える。しかし、このような強度の付け方は、内面事象だけを扱うためのやりかたである。外面の事象から切り離された内面の事象が浮かび上がってくるからである。しかし、外面の事象をこの強度で扱うとすると、すでに外面の事象の関係性を捨象しているため、イロイロ不都合がおこるのは当然である。
自分がこういうモデルで事象をとらえていると言いたいのではなく、こういう説明がしたいがためにこんなモデルをこしらえた。
である調だよ。やだねー。これだから卒論野郎は。
三歩進んで三歩下がる。書いては消し書いては消し。あぁいつになったら終わるのか。
でやっぱり人にケチつけるとよけい進まない。全部消して骨子だけにするか。十枚くらいの。やっぱりダメか。
年内に終わらすつもりやったけどなぁ。
寝てる道具を干して、敷物を増やして、こたつを導入したら体調もすこしよくなった。
しかし、書く材料が少ないからといって、人の論文にけちをつけて中身を増やす、そのために論文を読むというのもアホみたいな話だ。
やってんだけど。まぁ御大だからイイか。
カゼ悪化。ゼーゼー。
寒い寒いと思ってたけどカゼのせいか。
今日で図書館終わりらしい。あぁ。でもカゼで寝てた。
あかん。遅筆や。このままではおっつかん。やばい。こうゆう、どうでもいい文章でも書くのに時間がかかるのに、カタい文章となると、もう。あかん。ぜんぜんあかん。どっか閉じこもらなラチあかんで。
しばらく寝込んでたけど、これからしばらく病院勤務に行かねばならぬ。しかも、予定外の代打ちのせいで二泊三日になってしまった。しかも雨が降っている。あぁ。紙に雨はダメだ。
いらねーいらねー。無駄だ無駄だ。考えるだけ無駄だ。さっさと書いてしまえ。少なくても知らない。おわりおわり。
腹の具合がわるい。わるい。だるい。だるい。
あと三週間か。もう一ヶ月余計にほしい。
もう一ヶ月あったら、四つか五つの小説をある程度把握して解釈することができる。このままではネタ不足だ。
しばらくコピーにうんざりして本読んでたけど、明日もコピーだ。やっぱりコピーして書きこみつつ読むのがいい。
い・・・・。いたい。
いま歯医者に行くと大変なことになりそうだから行きたくない。
何かやる気ない。寝たりん。結局8時間きっちり寝るの無理。
これで50枚埋まるのかなぁと思えてきた。ネタ自体は単純明快で一枚でもおさまるし。なんかで水増しせな。
「茲」をコレコノ。「渠」をカレカノ。常識ですナ。百年前なら。
今やるのはカタカナ語をフリクエントリィにユーズするのとセイムね。
つまり、これくらいバカげたことです。
今日、本を四冊コピーしながら思いました。
だいぶん前(数年前)にビデオをダビングしておくってもらってお礼すると言ってたけど、何もしてないや。コピーで返そう!
ダビングをコピーでかえすのだからとてもいいアイデアだと思いました。
明治33~34年。第十五回帝国議会。席次 239番田中正造 240番あの人 241番星亨。 この議会の間に、星亨は暗殺され、田中正造は辞職して天皇直訴に及んでいる。こりゃ大変だ・・・。わかった。だからあの人は次やめたんだな。
卒論関係で、関係ありそうなのを適当に読んでるんですが、こんないいかげんな論文でも論文は論文、やっぱり形を出してなんぼなんだなぁと思いました。
サッサと書いてしまおう。
非がないのと原因でないのとは別だ。
ニュースですヨ!
中国の人民日報解説委員が至極まともなことを言った。つまり中国はもう日本をスケープゴートにする時代は終わったと。余裕です。
野菜どっちゃり。 これでもか!これでもか! | |
こんなに縮みました。 |
同じ方向の人は絶無ではなく、一人発見した。しかし、中途半端だったので注目されなかったようだ。影響もほとんど見られない。
とはいえ、最近の研究動向が急展開のようなので、明日はそれをおさえにいく。
なんか鼻づまり気味。
だいたい、やめるときは、自分がマジメでないことを引け目に感じて、やめるのです。
いい言葉をおぼえたので、このページのタイトルにしてみた。『自己完結』。
門番には、「とりつがない」という切り札がある。営業は、それに打ち勝つため、虚勢をはってみせるが、所詮は虚勢。相手を特定しない電話はとりつがなくてよい。ということに気付いたとき、営業電話にでるのがすごくたのしくなった。
何が違うのか。
前提が違う。経験が違う。判断が違う。存在が違う。
今、タスクバーの時計を見たら 20:20:20 だった。ちょっとしあわせ。
最近、外食やめてもりもり飯を食うようにしたらちょっと元気になった。ちょっとしあわせ。
そしてついでにたくさん寝るようにした。8時間くらい。ちょっとしあわせ。
ニュージーランド。いかがなものか。
高雄に周山街道をとおしたとき、聖地高雄を土足で踏みにじるような事をするとは何事か、と、暗殺の脅しがあったとのこと。
山国から京都へ出るときは、周山、細野、小野、中川を通らず、大森から直接京見峠の方に出ていたのではないか、とのこと。なるほど。
わったくっしはー。卒論。書きまーす。
あぁ。なんていい響きだ。
わったくっしはー。卒論書きまーす。
いやいいねぇ。イイ。イイ!
先月は前半なぜかいろいろと運がよくて楽しかった。後半はレポートのせいで楽しくなかった。今月はおそらく卒論で楽しい。イイ! 今がこれだけ楽しかったらそれだけで イ・イ・!
まぁでもたぶんレポートがあったから、活字脳が復活してこれだけ楽しいんだろネ。
まぁ、いい。なんでも。とりあえず今がイイからイイ。
わったくっしはー。齢二十八にして。卒論。書き。まーす。
たのしい。でぇーす。
いやぁ。あと一ヶ月か。きょうちょっと卒論関係の本のコピーをアフガンの本の合間にちょろっと読んだけど、やばい。ネタはあるし、それに飾りをつけるだけなんやけど、その飾り、ヘタしたら底なし沼になる。やばいやばい。
しばらくコピーし通しになるのか?
人に歴史あり
The Road to "HAGE"
2000/04/17 26歳 大旅行前の写真。ハゲる気配もなし。 | |
2001/08/21 27歳 大旅行後の夏の写真。きてます。 実は旅行中に徴候がありました。 | |
2001/10/17 27歳 毛を伸ばしてみました。去年の写真。 やっぱりうすい。 | |
2002/12/02 28歳 今。かなりダメです。広がってます。 てゆうかこれくらいが一番みにくい。 |
軍人将棋おもしろい。
自分が物覚え悪いのがよくわかった。どういう風に悪いかというと、今自分の手番かどうかわからない。
しかし、今日は一日遊んでた。のびたらすぐこれだ。
関電のK-OPTIのサイトでは地域別に提供できるサービスの検索ができる。実家のあたりをしらべてみると、eoホームファイバーなら行ける模様。ところが。
「申し訳ございませんが、お客様のご選択いただいたご住所につきましては、弊社設備状況からして、当面の間エリア化することは困難な状況にあります。」
最初から書いといてクレヨ。とりあえずリクエストしといた。
檀紀 = 西暦 + 2333
主体 = 西暦 - 1911
1960年、韓国は、公式には西暦をつかう旨の法律を出した。ということはそれまでは皇紀のパッチモンみたいな檀紀をつかっていたのか。パッチモンだから数が大きい(加上説)。
参考
皇紀 = 西暦 + 660
首の皮一枚つながった。もともと恩典だから。
壁にあたれば乗りこえればよい。
失敗したらもう一度やればよい。
あー。つくづくダメ人間だ。今の調子だと、わかりきったレポートすら期間内に書けない。本当に生産性の低いダメ人間だ。はやいとこ住所不定無職になりたい。
とか言ってる以上にもっとやばいことに気づいた。あぁ。バイトに寝坊した上すっかり忘れてる。今からじゃ遅いので明日電話するかぁ・・。あぁ。もうしわけない。あぁ。
きのうも約束に寝坊したしなぁ。もうアカン。アカン。
ながらく「ウル」がどこにあんのかわからへんだけど、本人から、とりあえず「ある」と聞いたので、さがしてみた。詳しいことおしえてくれへんだけど、なんか日記で反論をもらって大騒ぎらしい。
どんなにすごいんやろ、と、おもたけどたいしたことなかった。アホらし。
まぁ、ネタ元の発言は強気だし、イペーの反応は皮相的だし、闇黒はとにかく今の日本人が嫌いらしいし、釣瓶は言葉遊びしてるだけやし、ええんちゃうけ。石原タン以外はだれも北朝鮮に言及してないし。逆にアメリカとか出てくる。不思議だ。
戦争は損得でするもんだろ。まず損得計算で、つぎに大義名分。一神教徒は損得計算せずに戦争するらしい。不思議だ。ゲーム理論って何なんだろうか。
しかし、正字正かな論者は、なぜ、戦後の国語改革のしっぽをひきずっているJIS漢字を平気でつかえるのか不思議だ。やっぱり正字というからには、台湾の文字表をつかってもらいたいもんだ。Big5とかCNSとか。ひらがなも入ってるし。
あぁ。でも、かなづかいに重点があるようで、漢字はオマケ、それっぽかったらいいみたいやしいいんか。つまり「旧字正かな」で妥協。まぁ、Big5で日本語入力て現実的ちゃうもんな。しゃあないか。
おれは「新字新かなに似たもの」で妥協。
新紀元社の『オスマントルコの軍隊』というのを買った。本体価格1000円。これはイギリスの Osprey 社の Men-At-Arms シリーズの翻訳だ。ちなみに原著は9ポンド弱で、1800円くらい。不思議だ。ついでに、amazon.co.jp では大量に仕入れすぎたのか、9割引きで売ってた。クレジットカードほすぃ。
(11/20 9割引というのは間違いでした。一割引でした。あぁ。アホや。)
いやぁ。卒業できそう。
通年単位は半年休学してると取れないらしいねぇ。今日はじめて知った。
というわけで足りない専門二個に対して温情処置発動だ。今月中にレポート20枚。ええ、書きます。書かせてもらいます。ありがとうございます。
ついでに題目も、学科から微妙にはずれたテーマに換えさせてもらった。水滸伝。
いやいや。今日は何というか、かなりいい日だった。いいかげんな学部でほんとうによかった。
ここしばらくささやかに運がよかった。こういう目先の事で運をつかいはたすんだろか。
とりあえずつかえるノートが手に入った。大学生活最後の余沢か。ありがたや。
あと一ヶ月しかないつもりで卒論を書いたらいい、といわれた。そういうことを言ってくれる人がいるあいだが華だ。やろう。
とかいいつつ、どうも教務から呼び出しをうけていたらしい。来週出頭せよとのことだ。何なのかわからない。おまえみたいなふざけた奴は卒業させない、とでも言われるんだろうか。そんときはそんときでおとなしく退学しよう。そして、「どっか」に行くだけのことだ。
実験してみてひとつわかったことがあった。
smbfs でマウントした他の Windows マシンの共有ファイルを Apache で公開してみると、一覧表示できるけど実体が見えない。ただし、ファイルサイズが255バイト以下だと見える。
うーん。なにかある。
tcsh はわるくない。
最後のご奉公に行って来た。おみやげに裏紙をたくさんもらってきた。
期限より遅れて卒論の題目を出しに行った。何も調べてないので題目はとりあえずその場で決めた。直接主任教授のハンコをもらいに行けと言うことだった。まぁ、怒られたけど、受け取ってもらえた。題目出したらやる気が出てきた。
これ書いたら卒業できる。
zsh にかえてみたら LANG を設定しなくても skkinput がうごいて、つかえた。tcsh がわるい。
おぼえがき (雑誌記事のまとめ)
1991 | ISO10646 (Unicode1.0) 2バイト固定長 |
1993 | ISO10646-1 (Unicode1.0 + CJK-JRK) 漢字に難があったのを漢字使用国があつまって整理 |
1996 | Unicode2.0 →Windows2000 17面に拡大 2バイト固定長を捨てる |
1999.9 | Unicode3.0 →WindowsXP →ISO10646-1:2000 一万字追加 バイトオーダ整理 |
2001.3 | Unicode3.1 →ISO10646-2 四万五千字追加 はじめて2バイトの範囲(第一面)を超える |
2002.3 | Unicode3.2 |
Unicode は文字セット。
寮をでることをかんがえたらわくわくしてきた。
FreeBSDマシンにWindows2000マシンからTeraTermではいったら、これが見やすいこと見やすいこと。日本語もとおるし。さっさとプロキシ化してすみっこにかたづけてしまおう。
不健康情報はもう書かない。
だいぶ楽になった。
AZIKの拡張キーはまんま漢語対策やな。特殊拡張はどうかとおもう。AIUEOの下のキーをつかうのはいい考え。
app-defaultにないアプリケーションクラス名があいかわらずわからん。
JISかな入力をおぼえかけなので、ローマ字入力でもたつくようになった。
skkは親指でかな漢字の切り替えをできるようにした方がいい。
しかし、結局落としてきて展開して./Configureしてmakeさせられるんやし容量不足がうらめしい。
動くとしんどい、横になってもしんどい、ということでろくに眠れず、FreeBSDの設定ばかりやってた。
体調はたいしたことないのに呼吸がつらいだけでこんなにしんどいとはおもわなかった。いきなりチベットに連れてかれたようなもんだ。痰が絡んで窒息死というのだけはさけたい。
飯に関しては、ホントにありがとうございますとしか言いようがない。
もじらがダメだったのは「"」と「'」のちがいのせいだった。
アプリケーションクラス名というのはどこで参照できるのだろう。
lv がおもったよりつかえなかった。でも iconv で十分だった。
/usr/src/ と /usr/ports/ 以下をゴッソリ消すと半分くらいになってすっきりした。でも、カーネルのコンフィグファイルくらいのこしといたらよかった。
中国語のフォントをかたっぱしからいれてみた。wang-ttfというのが80Mあまりの巨大ファイルでおどろいた。まぁおかげで Big5 はみえるようになった。
この調子だと日曜夜の病院バイトもおぼつかない。なんにしても、みてもらうために行くけど。
はじめて保健診療所に行った。
今日は一日ひとのつくったものばかり食べてた。ありがたやありがたや。
skkinput で日本語がつかえるようになったが、同時にもじらが "Segmentation fault" とか言うようになった。ぜんぜんわからん。
どうやらバイトもおわりに近づいてきたようだ。
明日を境にして週一になるらしい。
友達にもらった部品で一台マシンをくみあげて、FreeBSDなどいれてるが、まだまださきはながいようだ。Xで日本語のフォントが見えないのでイロイロいじってたら、Xがたちあがらなくなったので腹をたて、一からいれなおした。
すこし前変な夢を見た。
大陸奥地のほこりっぽい寺院のような薄暗い広間で、一段高いところにすわり、壁にもたれていたところへ、あかい服を着こんだ女の子(栄養のいいガキ)が、コーラの瓶のようなものをなげた。おもたい空気をかきわけるようにゆっくり飛んできて、なかの液体がねっとりとうごいているのがみえた。最後に、壁と頭のあいだにうまくつきささった。
という夢だ。滅多に夢を見ないのでなんかうれしかった。
チィトはよくなったような気がする。
もう十月なのにバイトは終わらない。
咳が出る。ミヤサカ先生の見立てでは『やばい』そうだ。さすが名医は遠くからきこえた咳だけでわかるらしい。
もう疲れた休みたいやめたい、と思うくらいだからだんだん体調がよろしくなくなっているのはまちがいない。
ひさしぶりの休みだというのに、大掃除があって疲れたので予定していたこともできなかった。
肝臓のあたりがまた痛むんですが・・・。
昨日から今朝にかけて、Windows2000 を三回も入れ直すというつかれることをした。
かえって受付周辺でダラダラしたあと、C14にいってみたら野球を見ていた。間がよくて、ちょうどおもしろいところだった。しかし最後、あれだけの見せ場でなんとも間のぬけた終わり方。
しかしみんな行儀がいい。感心した。
いやいや。どうせ成功するとは思ってたけど、さすがは金正日。つまるところ「部下の不手際」でおさめてしまった。「テロ」並みの因縁にもなりうる問題だけに事実をあっさり認め、処分もすませたと責任も回避。イヤァ。見返りが厳しいぞ。
予定
余裕ができたら水滸伝部分の一部をUTF8化する。
あんなに拉致拉致と言うのはなんだろう。話を壊したいのだろうか。
どうせたいした結果は出ないことはわかってる。
それより、会談をしたという事実が重要なのだ。したがって、この会談はもう成功している。
かな入力なんかいい。のうみそがひらがなになっていく。気持ちいい。やっぱりまだ遅いし記号を打ちにくいけど。
物の根拠や原因を知的に定義してみせる人が、必ずしもその物に心から親しんでいる者ではない。「酔っぱらいは、酔っぱらうこととは何ぞやという定義もできはしないし、自分が酔った『根拠』を論理的に把握してもいない。それでも彼はやっぱり酔っぱらっている」
井筒俊彦『イスラーム思想史』ガザーリー。
覚え書き
Ruby1.6.7では、/1604.+?jpg/という正規表現でhtmlにマッチさせたとき、><があると一番近い部分が無視され、なぜかその分だけマッチが伸びてしまう。
もっと表現を厳しくしたらなんとかなった。
スタイルシート導入してみたらなにかすっきりして気持ちいい。
重陽節です。
それはいいとして、バイト先でたまたまみつけたサイトに寮からアクセスしようとしても入れない。なんで?
こことかこことか。
「人(=「我」)が神(=「汝」)に語りかけ、逆に神(=「我」)が人(=「汝」)に語りかける。一問一答。神と人間との間に対話空間が拓ける。・・・・・
勿論、第三者の純客観的立場から見るなら、「対話」とはいっても、本当はバスターミーの独演劇に過ぎない。・・・・」井筒俊彦『イスラーム思想史』「TAT TVAM ASI」
く~~~!イイ!研究対象をそこまで突き放せるあなたが最高!
バイト先でRubyをつかったら、エクセルに計算させるだけで数時間かかった作業が一分あまりで済んだ。バイトいらずだねーこりゃ。
RubyをすこしおぼえたのでC++にも手を出してみた。
字を出すだけの数行のプログラムなのに100kBこえたのには驚いた。
ちょっと付け足したらまたふくらむし。
今日はバスの運賃の話題だ。くだんない銭の計算が入るよ
入院前のバイト先にまたはいることが決定。しかも週五体制。
さて、そうなると、自転車でヘコヘコがんばるよりは、定期でも買って通勤してみようかという気も起こる。
自転車の利点は起点と終点だけ決まっていて途中はどこでも好きなところへ行ける点だ。だから、かえりしなにジャスコ洛南店に寄って、半額の刺身用切り身を買って帰ることもできる。ただし、一時間弱ペダルを踏み続けないといけない。運動量としてはたいしたことないが、八九時間ほど拘束されることを考えると、一日の自由時間のうちかなりな時間を占める。
バスの利点は座ってたら着くところだ。何も運動することはない。バス停まで歩いて待ってればよい。ただ、コースが決まっているので、バス停までは歩かないといけない。本数も決まっていて、待たねばならない。歩くのは簡単なことだが、遅い。実にこれこそが、バイト先まで自転車の方が早い理由だ。それに、バスに乗っても座れるとは限らない。
京都市バスの定期券は経路を指定したのが一ヶ月9240円する。さて、均一区間内なら自由に乗り降りできる定期が存在する。それが全線定期券だ。一ヶ月で12470円する。
一日乗車券が500円なので、普通の定期が19日半分。全線定期券が25日分である。来週月曜からの一ヶ月31日を考えれば、通勤するのは23日。
しかし、実はバイト先まで、余計に歩けば一往復で来れることがわかっている。均一区間一乗りが220円だから、その場合にかかるのは440円である。だから、普通の定期が21日分。全線定期券が28.3日分になる。
さて、一本で来れるとなると回数券も視野に入ってくる。さて、23日分をそろえるには現行の5000円綴り、3000円綴り、1000円綴りを一綴りづつ買えば、9000円でそろう。(3000円綴りを三枚買っても同じ。)したがって、一本路線なら回数券の方が安い。
しかし、日曜日に別のバイトに入っていることを今まで捨象していた。その病院まで自転車で行くと、月曜の朝、今定期購入を考えているバイト先まで自転車で行かないといけない。すると、そこから寮まで自転車で帰ることになる。週に一日定期を使えない日ができるわけだ。したがって、経路指定の定期が使えるのは週に四日となる。来週頭からのことを考えると、定期が使えるのは実に18日間。乗り継ぎ路線でも一日乗車券をいちいち買ってた方が安くつく。
さて、ここで全線定期の復活だ。実は日曜の病院バイトも均一区間バスで行けなくはない。かなり歩かされるが。すると、定期を使用する日が四日増えて27日間となる。病院から今検討しているバイト先まで一本では行けないので、その日は一日乗車券になる。つまり、27日間のうち五日は500円の一日乗車券、残り22日は回数券となる。余った回数券を引けば10950円となる。
金のことだけを言えば、自転車で行くに限る。ただ、バスにのると、時間ができるのだ。ということで、自分としては、ムダに金を払って全線定期券を買いたい。入院中の惰性が残っている間にバスにのりまくって本を読んでおきたい。おわり。
追記:京都の市バスは意外に終わるのが早い。でもまぁ、寮の前を通る206系統は23時まであるので十分だろう。
三週間入院してました。「伝染性単核球症」です。安静にしてたら直るらしく、寝っ転がって本とか読んでた。シャバは暑い。
と、いうことで、気分一新しました。
一週間以上前のメールは消えているようです。もしどなたかメールくれてたらすんません。
入院中よかったのはネットから隔離されてたこと。でもコンピュータから離れたわけでなく、ゴミノートパソコン(フロッピーが読めず、データ出力不能)をもっていって、ヘコヘコいじってなんとかRubyをすこしおぼえた。
ノートパソコンがないと英語の本なんかよめへんもんな。語彙が圧倒的にたりん。
「伝染性単核球症」とは。
「EBウイルスと伝染性単核症について」
「伝染性単核球症」
「伝染性単核球症-EB」
「伝染性単核球症」