今日はなんか忙しかった。午前午後夕方と各地を渡り歩いて土産物をわたしたり絵を描いたりした。絵って描けば描くほどのってくるのな。
明日は泊めてもらってるところでイラン帰りとアメリカ帰りを囲んで大集合だ。大集合になるのかな?
来週のいつ京都に帰るか。早めがいいんだろうな。
引き落とし用の郵便口座に金をいれとくの忘れてた。大変なことになっているようだ。むー。こまったな。次回カード更新時にまた審査されるぞ。めんどくさ。
帰ってきました。日本は蒸す。
これで暑い方なのか。すずしくていいじゃないか。
蒸すと言うよりもいままでこの調子で汗を出していたということだろう。おそるべし乾燥気候。疲れはやはりしらずしらずのうちに流していた汗のせいか。
疲れがひどすぎるので、またぞろなにか肝臓の感染症をひらってきたのかもしれない。うーん。水はその辺のをガブガブ飲んでたし、怪しい屋台も平気で食ってたし、変な虫には食われたし。
金がないので余ってる市バスの回数券を駆使してまっすぐ空港に来て、この少ない金で買えるモノを買ってみてそれでも500リアル余った。四円弱くらいか。
いやー。イランの空港のチェックはいい加減でいいなぁ。成田がどれだけ厳しいかだ。
イランの方が安いので二十ドルを両替して豪勢にいってもよかったが、あいにくラマザンなので、飯で豪華にはできない。そしてなぜかやたら疲れるのでもうあんまり動きたくない。だから両替せずに空港で時間をつぶしてみました。でもなぜか勉強するほどの気力もない。疲れが出すぎ。むーん。
バックパックだけで二十キロあったので、まぁ疲れても仕方ないのかもしれない。
まぁ夏バテみたいなもんとおもえばそんな気がしてきた。
金使いすぎた。イランの金があとわずかしかない。
本屋はテヘラン大学前みたいにいっぱいあるところよりは少ないところに何件かあるところのほうがいいみたいだ。やっとイランの古典の文庫っぽいものをみつけた。でもすこししか買ってない。むーん。
サアダバード宮殿へパフレビー朝の跡を見に行った。
まぁボチボチでしたが、歩き回って疲れ果てた。
ミニアチュールを所蔵したところが閉まってたのががっかりした。そのかわり現在の有名な絵描きの絵は見れた。耽美系の少女漫画みたいな絵。イランを旅行すると土産物屋とかでよく見る絵。
ラマザンということで、ジュース屋とかのミキサーは動いておらず、レストランも閉まっているところが多かった。困った。そのかわりサンドイッチ屋(イランにおけるサンドイッチはホットドッグの具がトマト+ピクルスだったり、ケバブだったりするようなもの)に持ち帰り用の具がおかれていた。
テヘランは大都市なのできっちり守っているわけもなく、歩きながらなにか食ってる人もいたし、サアダバード宮殿では弁当食ってるカップルもいた。まぁ、でも大体の人は「外では」食べないようだ。
ドミトリーに韓国人と二人だけになった。この人が年齢がほとんど同じで仕事も近いせいか、なんとなく親しみがある。そーゆうと、しばらく前に韓国人の二人組が居たけど、その一方とはなんか波長が合わんかったけど、もう一人とはなんか合った。まぁたぶんなんかあるんだろうけどよくわからん。
ちなみに、この宿に来る日本人にはそういう人はいない。いてもこんな宿に来ないと思うな。
サナンダージでスイカを食べるために買ったナイフはステンレスと書いてあるが、錆が浮いてくる。ブラジル製ってそんなもんか?
イランで売ってる量産ナイフはブラジル製が多い。
明日明後日でイランはおしまいなわけですが、きっちりお金使い切れるかな。若干余りそうな予感。
本屋がもっと近ければ‥‥
まぁ今でも本がおおすぎっちゃおおすぎなんですが。
古典もうすこし買いたいけど薄くて軽くて安そうなのがどこにあるのかよくわからん。
今日も買い物の日。
映画のVCDいっぱい買ってきた。
朝六十ドル両替したが、全部使ってきた。新しいサンダルも買った。古いのはほかした。
あんまりいい本なかったなぁ。帰ってきて買った本を見てみたら実技書か絵の本ばっかりで読む本ほとんど買ってない。うーん。いいのかな。
帰ってきたら韓国人がいて、ガイドブック持ってないと言ってたので、持ってたロンプラを10万リアルで売った。
一万円両替した方が良かったのかもしれん。むぅ。
今日か明日からラマザンと言うことで、飯は面倒くさそうです。
メールチェックはなんか絶望的だ。
電信八号を落としてきて動かすと、いろいろメールが来ているらしいことはわかる。文字化けしているがメールのタイトルはみえる。で、メールを落としてきて読んでみようとするとダメ。ユーザー起動のプログラムがファイルを作るのは制限されているらしい。
これは実はどこのネットカフェでもそうだった。たまたまサナンダージのネットカフェが日本語環境を作るためにアドミニで使わせてくれたのでメールが落とせたのだった。むぅ。
落とせたところで英語ウィンドウズ上では文字化けして読めなかったりするのだが。とりあえずスパムっぽいのは削除している。イランであった人とかからメールが来ているらしい事がわかるけど内容も見れず返事もできないのがつらいところ。
まぁ来週には日本にいるのでメールを見ることもできるだろう。うむうむ。
国立美術館行ってきた。国立美術館とはいいながら、近代の名工専門美術館で、ぼちぼちだった。
この宿のドミトリーの面子もどんどん変わっていく・・
まぁテヘランなんかに長居する方がおかしいのか。
アースターラーで洗濯して生乾きだったものを入れっぱなしにしていたので、生乾きのままになっていた。カビくさくなっている。うーむ。出せばすぐ乾いた物を‥‥
テヘランの北の山にロープウェーみたいなのがあって、その名もトーチャル・テレキャビンと言う。とりあえず行ってみた。
バスで適当に行ってみて、降りる地点を地図で探していると、ちょうどよいところに映画博物館を発見。はいってみたらこれがわりとよかった。まぁ映画の中身はわかんないから何とも言えないですが、ポスターとか展示品とかセンス良かった。
肝心のテレキャビンの方はさんざん迷って荒れ山に登ったあげく、午後は登りのチケット売ってないということに。ロンプラを見るとたしかに時間が限られていると書いてある。むぅ。
まぁしょうがないので降りていった。帰りは都合良く市バスを見つけて安くで帰れたけど、接続が悪くて帰るのが予想以上に遅くなって、夜の八時すぎとかになってしまった。むぅ。こんなに探検するはずじゃなかったのに。
ちなみにイラン人的には夜の八時とかはまだまだ序の口で、家族連れが公園で遊んでたりする。昼間暑いからなぁ。
今日は歩き回ったあげくCDを買った。
イランは中国並みにコピーCDがあふれていて、安くで買える。
こないだ音楽本屋で買ったVCDもコピー商品が出ててちょっとくやしかった。というより中身を見てみるともとのVCD自体もテレビを録画したものっぽい。どうかとおもう。
CDといってもCD屋もいろんなジャンルを揃えており、映画・音楽・ゲーム・教習・ソフトという具合だった。そのうち教習ジャンルを主に見て回った。
ペ英・英ペ辞書のソフトがあったので、それを買ってインストールしようとしたらシリアルが必要だった。コピー商品を売るならそれくらい書いておいてほしい。でもロガトナーメのひとつ前のバージョンは大丈夫だった。ただ、ペルシア語ウィンドウズか、ローカライズをペルシア語にするかしないとつかえないっぽい。むーん。
日本人宿に来たのはまずい選択だったかもしれない。日本語の会話ばかりしてる。宿の従業員が前より減ってるし。岡村似の人もいなくなってしまった。ラマザン対策か?もしくは安値を維持するためのリストラか?ペルシア語話す相手が減ると意味がない。どうするか。
テヘランの安宿街はエマームホメイニ広場のバスターミナルが移動してから、以前よりも不便になって使いづらい。もっと広場の近くにほしいところ。
テヘランに来ました。結局駆け足でカスピ海沿岸は通り抜けてしまった。
カスピ海沿岸は先週ずっと雨だったらしい。道理でアルダビルが曇ってたわけだ。そんなに悪くない選択をしていたわけか。
テヘランで音楽関係で欲しい本は全部買った。ほかは何買おうかな。
昨日は移動しすぎた。やっぱり疲れた。
メールチェックできん。この調子だとできるのは帰国してからかな。
晴れてる。やはり今日移動するべきだったのだろう。。
まぁでも移動したモノはしかたない。
しかも午後になると山の方からどんよりと曇り出すし。
カスピ海で泳いできました。朝のうちは晴れてたのに午後曇って寒かった。まぁ、そもそももう九月だしなぁ。水はつめたい、風はつよい、波もたかい、曇って寒いと、悪い条件を乗り越えて、心底体を冷やして帰ってきた。
カスピ海の水はうすい塩味。
もうテヘラン行こうかなぁ。テヘランでがっつり本とかCDとか土産とか買って、あとはケチケチ生活。よさげだ。。
昼に食ったディジーのおまけのザムザムオレンジがおかしい味していた。飲まなければよかったのに全部飲んでしまった。後味が変で、唾が湧いてしかたないので、あとで指つっこんではいてしまった。もったいない。。
まぁせっかくだからラシュト、サーリーとカスピ海南岸をまわってからテヘラン行こう。
なんか寝苦しく夜目が覚めた。
雨が降っていた。
珍しく夢を見たけど、こういう旅行とかに行くようになったきっかけの人が変わり果てた姿で出てきた。大丈夫かな。
アルダビルを発ってアスタラに来ました。雨が降ってるのに出発したので、アルダビルの高地からカスピ海沿岸のアスタラへ降りてくるときの眺めがあんまり楽しめなかった。
しかもバスはテヘラン行きしかないので、それにのったら高い目に金取られるし、結構高級っぽいバスなのにいきなり煙を出してたびたび停車して修理したり。
まぁでもここんとこアルダビルはずっと曇りだったから、どっちにせよアスタラへの道はガスっていたんだろう。それに、テヘランまで行く人はもっとたくさん取られていたのでまぁしかたない。そもそも乗り合いタクシーが相場の倍くらいの値段をふっかけてくるのが悪いんだ。アスタラへの道は霧が出て結構きびしかったので、まぁしょうがないかなぁと思ったり。
アスタラの宿は結構いいところを見つけた。アスタラの街は小さいけれど、バザールがかなり大きかった。
アスタラで残念なことは飯がアルダビルに比べるとどうしても貧弱なことだ。もっとも、いま宿が集中してる辺りは昔の中心で、今のアスタラの熱気あふれる場所は移ってしまっているから飯が貧弱なのはしかたないかもしれない。
ひまわりの種をひまわりごと売っていたので、買ってみた。生ひまわりの種。いけます。でもやっぱり炒ってある方がおいしいです。
ロシアの香りはあんまりしないことがわかった。キリル文字で書いてあっても、アゼルバイジャン語だったり。ロシアンバザールについても場所が確認できなかった。
女の人がスカーフしなれてない人がいたり、ガタイがいい人がまじってたり、「ロシアのおばちゃん」になりかけっぽい化粧の濃い人がいたりするくらいかなぁ。
当然のことだがここにはいいネット屋が見つからなかった。しばらくネットは無理そうだなぁ
まだ帰りの飛行機ブッキングしてないけど大丈夫かのう。素直にビザ切れ直前に帰るとすればあと十日あまりだ。閑散期だし、しばらく敬遠されてた(ている?)イランから日本へ行くのだから大丈夫だとは思うけど。
タブリースで仕入れた数少ない情報によると、国境の町アスターラーでロシアンバザールが開かれるのが金曜・火曜らしい。だから動くのは月曜かな。ロシアの香り~
イランの新聞を見ると、イラクの面倒見てやる的なニュースがのってる。ヒズボラの勝利以来イラン調子いいみたい。
サファヴィー朝のころってチムール系王朝の後だからイラクが版図に入ってて、だからイラクにシーア派が多いのだ。まぁその後オスマントルコが成長してイラクを押さえるわけだけど。
そういうと、ロシアが中国を牽制するために上海協力機構へ日本を誘ったが、日本が断ったとかいうネタをネットで見た。ほんと?そんな機会滅多にないのに。イラン・中央アジア・ロシアのこれからの資源大国がずらりと並んでいるのに。そこまでしてアメリカのプロキシを演じたいのか?あーもうダメ。
ネット屋で他のソースをさがしてみたけど、むーん。がせネタ?まぁいいや。そんなにじっくり探せないし。
それより死に体の北朝鮮とセットになるのはイラン的にもまずいとおもうな。こっちの新聞見てるとそういうニュース無いけど。むー。
日本がアザデガン油田の話し合いをつづけるというのがこっちでは大々的に扱われていて、日本がアメリカから油田は停止するよう圧力を受けていることまで書かれていて、随分好意的だけれども、ネットの日本のニュースを見ると、アメリカのテロ指定に同調してイランの国営銀行の取引を自粛するとか、イランが北朝鮮とセットになってなんかしてるのとかいろいろある。日本的にはもうアザデガン油田のことはあきらめてるのかな。
北朝鮮のことばかりに必死になって気がついたらおいしいとこは中国が持って行ったとかいうことにならないかな。
アルダビルのイランエアーのオフィスを発見して、帰りの飛行機決めてきました。27日夕テヘラン発28日昼東京着。
ということで森田さんにはしばらくお世話になるということで。
クルディスタンとアフガニスタンはともに歴史的にイランの強い影響下にあり、また、イランの隣の勢力との境界上にあった。アフガニスタンが成立したのとおなじようにクルディスタンが成立してもよさそうなものだが、なぜできなかったのだろうか。
アフガンでは十八世紀、サファヴィー朝の末期にはじめて部族を統一する勢力が出て、イランに攻め入りサファヴィー朝にとどめを刺した。その後の大征服者ナーディルシャーの版図から独立した勢力になったのが近代アフガンのはじまりである。ムガル朝が元気な頃にはサファヴィー朝とムガル朝の境界争いの場となっていたが、両方が衰えたころに部族の中から元気なモノが出たから今のアフガニスタンがある。さらに、イギリスインド軍との三回の戦争を通じて、分立的だったアフガニスタンに統一王権が確立したというのもある。
クルディスタンはオスマントルコとイランの境にあった。実は十九世紀までクルディスタンには独立勢力が分立していた。連邦的だったのが、中央集権的な動きがすすむなかでお取りつぶしにあったのである。まぁしかし連邦的だったのは当時の国の形がそうだったからで、アフガニスタンもさほどかわらない。一番の違いはトルコがしっかりしていたことだろう。現に二十世紀、第一次世界大戦の敗戦でオスマントルコが分割されたとき、クルディスタンは出現しそうになっていた。また、第二次世界大戦の後、ソ連がイランに軍事駐屯した跡地にアゼルバイジャンとクルディスタンを作っていったこともある。トルコにアタチュルクが出現しなければ、クルディスタンはなんらかのかたちで成立していたのだろう。今、オスマントルコの跡地のひとつ、イラクの北部にクルド人の国が事実上出現しているのもその証左である。
ただし、クルディスタンが成立していたところで、幸せな状態になっていたとは限らない。ソ連の影響下に入って冷戦の主戦場の一つになっていた可能性が非常に高い。トルコ・バーレビイラン・パキスタンとアメリカと仲の良い国が並び、アフガンの北にはソ連のトルキスタン、クルディスタンの北にはソ連のコーカサスがある。トルコからパキスタンにつながる親アメリカ国家のくさびになる形であり、当然ソ連の工作の対象になっただろう。その場合、山地であり、分立的であることはアフガンと同じような条件であり、最悪、アフガンのような状態になっていたかもしれない。
麦粥屋発見した。ここはドゥーグ粥屋ばっかりかと思っていたら、近くにドゥーグ粥といっしょに麦粥を売っているところを見つけた。うまいうまい。
粥屋が多いのはここが水が豊富なことを示しているが、粥屋の分布はどこが多いんだろう。ギーラーンとかか?
脱力脱力。
午前中、セタールをポロンポロンと練習してたら、「サントゥール?」とか言いながらノックもせずに戸を開けた変なおっさんがいた。午後部屋にいるとき、何回か誰かがノックも無しに戸を開けようとしている。むー。めんどくさいのー。というより夜が怖い。ちゃんと鍵かけとけばよかった。
セタールの調弦は今、複弦がdd'になってます。 شول (シュール)という دستگاه (ダストガー)の中に دشتي (ダシュティー)という نغمه (ナグメ)があり、そこではe,bにフラットがついて、aが四分の一音下がる音階を使う。で、そこではdgcの調弦をつかう。自分でも何言っているのかよくわからないが、そういうことらしい。
まぁ詳しくはテヘランで本買ってから勉強する。なんで دشتي だとdgcになるのかよくわからない。
セタールのフレットはナイロン線が巻いてあるだけだが、三回巻いてあるところと四回巻いてあるところがある。ちなみにbとaは三回巻いてあるだけだが、b♭とaの四分の一音下は四回巻いてある。むー。ついでにeはeとe♭の両方とも四回巻いてある。だから最初買いに行ったとき、適当にさわって音出してみたけどよくわからなかった。
カバン買った。日本円にして千円弱。ふむ。
宿代にしても五百円弱なわけで。ふむ。
サンダルは適当な店を見つけられなかった。(高級品or安物すぎる)サナンダージとか手頃なのがいっぱいあったのにな。まぁ寒い土地だからか。
ネット屋、あたったマシンの調子がわるく、フロッピーが読めなかった。
古本屋街をみつけたので小学三年生のペルシア語の教科書を買ってきた。イランで教科書の古本を見るとみな熱心な書きこみがある。あと、シールもベタベタ貼ってある。
しかし古本屋自体、タブリーズとここでしか見てない。この辺のアゼルバイジャン人は本好きなんだろうか。
シーラーズの後はしばらくのテヘラン滞在の後、クルディスタンとアゼルバイジャンに居たわけで、比較するほど見ておらずなんともいえぬ。
すっかり忘れてたけど遊びに来たんじゃなくて勉強しに来たんだった。
あと半月勉強するか。
そういう意味ではやっぱりテヘランの方がいいのかなぁ。空気汚いし物価高いけど便利だし。
イランは歴史的には、アラブの征服以後はトルコ人、モンゴル人の王朝がつづいてペルシア人の王朝ってほとんど無いのな。近代ペルシア語が九世紀頃成立してからあんまり変化してないのも共通語として使われていて、変化への抑止力がはたらいていたからなのかもな。
中国もそういう意味では似たようなもんか。
温泉街サレインに行ってきた。なんか一番高いところに行ってみたら、日本の健康ランドとかとシステムが一緒だった。たぶん高いところだからだろう。
まぁ温泉は好きだけど長湯する方ではないし、何度も入るほど好きではないので、一カ所入ったら満足してそのまま帰ってきた。
サファヴィー朝期の橋めぐりをしていたら、ある橋の道の先にあった修復中のモスクに入れてもらった。
修復ってあんまりよくないのが多いわな。サファヴィー朝の聖地にも修復(増築?)した部分があったが、タイルのできが悪く、もう表面がひび割れしてはがれてしまっているモノとかあった。技術が進歩しているとは言っても、使えるリソースに違いがあるわな。
アルダビルの地図を買って眺めていると図書館が何個かある。行ってみた。
ひとつめは閉架式だったが、ふたつめは入れそうだったので、とりあえず美術の本を見せろと言って入ってみたが、やっぱり何しに来たか怪しまれている模様。そこで絵を見せて、なんか絵を描いてくれと言われたので、ひとりの似顔絵を描いたらみな納得した模様だ。本見ていいかというとひとだかりが消えた上に、お菓子やらお茶が出てきた。よしよし。本自体は数が少なくてあんまりよくなかった。
宿が一人部屋に移動してちょっと値段が安くなった。そのかわり道側なのでうるさくなった。うーむ。まぁ窓が大きいのはかわらず採光がよいのでその点はいい。
ネット屋のマシンがシステムいじり放題でしかも安かった。ただ、USBメモリは使えなかった。今度はサナンダージで買ったフロッピーを持って行こう。
温泉入って帰ってきてから昼寝したら数時間眠れた。まだ疲れてるか。
このあとギーラーン州とかマーザンダーラン州とか行くつもりだったけどなんか行かなくてもいいような気がしてきた。アゼルバイジャンとの国境の町のアスターラーは行く。その後テヘラン行く。もし行けたらテヘランの宿で荷物を預けて、砂漠の真ん中にあるタバスとかビールジャンドとか行きたい。うーん。でもその場合は新しいカバンを買ってそれに最低限のモノだけ詰め込んで行くという方法をとりたい。サンダルは壊れかけなので新しいのを買おう。
というよりイランでカバンもサンダルも新しいのを買うつもりで来たけど、こわれかけたものをずーっと使っている。外見を大事にする見栄っ張りのイラン人の間ではやっぱり浮いてしまうので買った方がいいとはおもいつつ、また用をなさなくなりつつあるので実用上の点から言っても買わないといけないのだが、ケチケチ根性が身に付いてしまっていてなかなか買えない。ここアルダビルでは日本円も両替できるみたいなので(レートは悪くない)両替して金持ち気分になって買ってしまうか。
しかし、本だと結構高くてもあんまり躊躇せず買うのだが、サンダルとかカバンとかがそういう高い本より安く買えるのに躊躇してしまうのはいかがなものだろう。カバンはテヘランで調査したところでは、けっこういいものでも千円未満で買える。
この、けっこういいというのは自分基準なので、人とはちがうとおもう。
カバンの中に入れやすく出しやすく、きっちり閉じることができて、過度に修飾されてなく地味な色あいで、入れるところは実用的な程度に多く、ファスナーがしっかりしてて使いやすいデザインで、かつ壊れにくいデザインで、できれば綿がいいのだが、今回は強度を重視して合繊でもいいことにして、とか。
でもこの基準はかなり適当なのでその場その場ですぐかわって変なモノを買ってしまったり。
アルダビルがいいところだと思ってしまうのは間違いなく寒いからです。
長袖のカッターシャツ着てても肌寒く感じてしまうから寒いです。
時計出てきた。バックパックの下にあった。むむむ。これで時計がふたつに。
アルダビル来たんですがかなりよい。今日はなぜか人に連れられてモスクの夕方の礼拝なんかしてきました。
アルダビル、日本に来たことある人が異様に多い。いままでほとんど遭遇しなかったのが、タブリーズで数人、そしてここでたくさん。むー。やはりトルコ系(アゼリー、アゼルバイジャン人)は日本語おぼえやすいからか?
ペルシア語にたいする嫌悪感のようなものはやっぱりあるようだが、でもここはひさしぶりにつたないペルシア語をつかわせてもらってる感じがする。へんな英語使いがすくない。そして日本語使いがおおい。
ドゥーグ粥屋があった。うまい。
ピロシキと名乗る棒状のケーキ揚げ菓子があった。なかに謎の白い餡が入っている。餡は味がよくわからない。これもうまい。本場のピロシキっぽい形をしたものも見かけたがこっちは食べてないのでわからない。
サファヴィー朝の聖地も見た。内部のあかりが凝ってていい。
いままでとちがって曇っていて肌寒い。宿の窓が厳重で、室内にガスストーブがある。街全体の持つ雰囲気が、ロシアや中国北方のそれを彷彿させるのはなんでだろう。やっぱり寒いとそうなるのか。
ザンジャンで買った時計を昨日なくした。毎日なにかなくしている気がする。
ということでまた買った。二百五十円くらいか。二万リアル。同じ値段。しかも同じモノ。カシオの電子腕時計。
ザンジャンで買ったのはマレーシア製(たぶんマレーシア工場製ということだとおもう)だったが、今度買ったのは同じ値段で日本製だ。ふむ。
ちなみにこのカシオの腕時計、自分が以前持ってたのと同じで、操作しやすい。前持ってたのはパキスタンで人にせがまれてあげたような気がする。小さいときに持ってたような記憶もあり、いまからではよくわからん。まぁストップウオッチとか嬉々としていじってた記憶があるから、やっぱり小さいときに持ってたんだろう。でもパキスタンで人にあげたころまで長く持ってたようには思えないのでその辺のつながりがよくわからない。
町の中で東洋人の女性を見かけた。すらっとした感じじゃなくてべたっとした感じの人で、Mrブー系とでもいいましょうか、南中国や台湾あたりにもいそうな顔で、イラン人の中では見るからに異質だった。自分の風貌もあんなふうに異質に見えるんだろうか。だろうなぁ。
ここタブリーズで何人か日本で働いていた人にあったが、中にロシア経由で利尻島から密入国したと言ってた人がいた。一年で強制送還されたそうだが、レストランとちゅうとかいうところで働いていたそうだ。とちゅうといわれてもわからん。しかも日本語全然しゃべれないし。今はタブリーズでジュース屋をしている。
今日は疲れが出て日中のくそ暑い時間は寝てた。おかげで夕方とか朝とかだけ歩いてたので快適に歩けた。うむ。まぁイラン人をみならって日射しの強い時間は寝てた方がいいんだろうな。
夕方になると涼しくなり、夜には気持ちいい空気になる。
タブリーズまで来ました。
久しぶりの大都会のせいか、いろいろと新鮮な感じがある。
街路樹が多くて陰が多く、モノが多いのが原因であるようだ。
あと、いままで田舎の方をまわっていたせいか、街中を男女が手を繋いで歩いているのが物珍しく見えた。女の人のチャードルが黒一色で包む形になって体の線が見えにくくなったのもそういうと久しぶりだ。
黒一色のチャードルって実はファッショナブルなのかもしれない。田舎だともっと民族衣装っぽいちゃらちゃらしたのかもんぺみたいなものを着ていた。黒づくめでポイントに色を置くというやりかたはたぶん都会的なんだろう。
宿は情報ノートが置いてあるので有名なところを選んだ。来てみてわかったが、屋上からの眺めがかなりいい。部屋もなぜか一番上の部屋をあてがってくれた。いいところだ。明日アルダビルに行くつもりだったけどもうすこし居てもいいかも。
情報ノートが置いてあると言うことは日本語環境の整ったところを労せず見つけることができると言うことだ。ふぅ。
一番上の部屋は屋上にいく階段の踊り場にある。長旅の人とか煙好きは喜びそうだ。眺めがいいので自分もかなりうれしい。夜景がきれいです。
日本語のできるネット屋に行ってみたけど、厳重なネット屋だったので、コマンドプロンプトの開き方がわからず、日記の更新ができなかった。ただ、USBメモリは使えたので、メールソフトの全ファイルを移動して別ウィンドウ上で動かしてみるという方法でメールの受信のテストをしてみた。その結果日本語ディレクトリが破壊され、かつ、メールの振り分けができてなかったが、まぁ仕方ないだろう。振り分けされていないから、バックアップからもどせばディレクトリは復元できる「はず」。
メールの送受信も手間暇かかるが無理ではないことがわかった。いそぎのメールはきてないのでよかった。イラン人がメールよこしてたらどうしようとか思っていたが、杞憂だったらしい。
日本語ディレクトリ復元できなかった。むぅ。長年蓄えてたメールともおさらばか‥‥
ホイ->マクー->シュート->カレ・キリサ->チャルドラン->ホイ
と大きく一周してまたホイに戻ってきてしまった。予定では最初チャルドランに行ってマクーあたりで夜を過ごすつもりだったのに。
カレ・キリサのあたりではケチケチ路線の追求の結果、往復十キロほど歩くことになった。まぁ、徒歩で行く方が見るモノが増えるし楽しいのでいいのだが、欠点が一つある。今とにかく荷物が重すぎて楽しさときつさが拮抗してしまうところである。
マハバードのサハワラン洞窟のときは片道四キロほどだったが、途中で一回休憩したり、右腕がしびれてきたりした。今回は延々片道を歩き通し、カレ・キリサでもろくに休憩せず帰り道でも何回も休憩するつもりで結局休憩しなかった。人間はどんな状態でもすぐ慣れるんだなぁ。まぁサハワランは登りだったからそれがきつかったか。
カレキリサで苦難の十キロを制覇したあとはなぜかすいすいと車に乗せてもらってチャルドランの古戦場まで行けた。歩きも行きは日射しもきつくて暑かったけど、帰りの道は雲が陰になって気持ちよく歩けた。天佑とか思ってしまった。
がんばってタブリーズまで行く選択肢もあったけど、そこまでやると疲れすぎと体が言っていたので、ホイに投宿した。ちなみにアドレスくれた人に電話してみたら連絡ついたけど、タクシーがふっかけてくるのがイヤだったので、結局昨日泊まった宿まで二キロほど歩いていってシャワー浴びて寝た。
トルコ系の人たちはクルド系ペルシャ系にくらべてちゃっかりしてて、よそ者を警戒する傾向があるように感じた。
あと、チャルドランは楽器が全然普及してないのか、みんなセタールに興味津々で、いじりまくっていた。たどたどしい曲を披露するとなんか感心ムードであった。まぁたどたどしかったから、楽器を扱えると言うこと自体に感心してたんじゃないかと思う。
鏡にうつる自分の顔を見ると、清の肖像画とか中国の古装片とかによくありそうな顔で、なんかイヤだ。もういっそのこと全部剃ってしまおうか。
マハバードの交通警察の人の家で布団が暑くて、絨毯の上で寝てたらなにかの虫にさんざん噛まれてしまった。いまでも斑点が残っていてかゆい。ダニ? 南京虫?
しばらくクルディスタンに世話になっていた。
サナンダージの後、サッケズ、マハバードと人の家に泊めてもらった。
そしてクルディスタンは自由がないとかなんとかそういう話をうんざりするほど聞かされた。
人をもてなすのは儀礼の一種なので、何日でも居てくれというのではないようだ。だから、面倒な面もあり、気楽な面もあり。
おかげで家庭料理をたらふく食べることができた。うまかった。野菜の角切り大盛りをサラダと称してどこでも出していた。
クルド人の押しつけがましさと独立志向は通底していると思う。そして、だからバラバラなんだとおもう。
世話になったおかげでサッケズからは滅多に行けない田舎の村の学校に行くことができた。そのかわり、サナンダージで勧められたズィーヴィーエというところへはいきそびれた。
マハバードではマハバードへの道中いっしょになったおっちゃんの誘いを蹴って交通警察のにーちゃんの家に行った。おっちゃんの方が濃そうではあったが、交通警察の人というのに興味があったからだ。まぁそのおかげで夜、マハバードをバイクの後ろに乗って一周した。ソ連の後押しで一年ほどマハバードにあったクルド人の共和国の大統領の墓なんてのはこの人の案内でないと見れなかったと思う。
マハバードはなぜか自分を見てジャパニという人が多かった。チニなりアフガニなり言って下に見る人が少なかった。ということでマハバードはそれだけで散歩のしがいがあった。
クルド人がサヨナラをするときの仕草がやけにかわいい。片目をかくして「サルチャオ」という。いい年したおじさんおばさんがにこにこして片目を隠したり出したりしてる様がすごくかわいい。
幼児と遊ぶときの手段の一つに目を隠したり出したりするのがあるがそれに似ているのでかわいくみえるのかもしれない。
いないいないばぁはバァするのが主眼なのではなくて目線を隠したり見せたりするのがいいんだとおもう。それだけでも幼児はよろこぶからだ。
ちなみにあごひげを剃ってもアフガニと言われる事には違いがないことがわかった。
ついでに、イランにおけるアフガン人は東京におけるイラン人のような存在である。東京ではイラン人の印象が悪い。それは個別のイラン人に対するものではなく、漠然とイラン人という存在に対しての印象である。イランでも同じである。イランに難民としてきていたアフガン人はシーア派のハザラ人であり、ハザラ人はモンゴル系と言われていて、東洋人顔をしている。見た目が違うので目立つし、パスポートを持っていないことが多いので警察に連れて行かれることがある。まぁその辺のことはどっか他のサイトにでも詳しいことが書いてあるだろう。
今日はホイで久しぶりに宿に泊まった。やっと一人になれた。ということで日記書いたりしてる。やれやれ。
実はここにはザンジャンへのバスで一緒だった人が住んでいて、頼りにしてきたのだが、電話しても人がいない模様だったのでしかたなく、宿を探したと言うところ。うむ。今日も家庭料理が食べたかったのだが。金曜の昼間にいきなり電話する方が非常識なんだろう。イラン人は土曜から金曜にかけてどっかにでかけることが多いからだ。
そういうと、クルディスタンで世話になった人たちの家には当然のようにパラボラアンテナが設置してあって、四百以上のチャンネルを享受していた。
ついでにエロチャンネルもいっぱいあって、チャンネルを順番にかえていくとちょっと困ることもあった。うむ。こういう制限の多い国では血気盛んな若者にあんまり良くないと思うが。
荷物が相当重く、一時間連続して歩けそうにないことがわかった。荷物の重みで肩が圧迫され続けた結果腕がしびれてくる。まぁ足腰は全然平気だからその辺は大丈夫だ。
歯槽膿漏で脱落しそうになっていた歯がついに脱落しました。それも第二門歯と目立つところ。これで自分も歯抜けの仲間入り。ハゲで歯抜けだ!やったね!
まぁ日本にいて接着剤での固定の継続を続けていたら、あるいは復活する目もあったのでしょう。歯の骨だけ見ればなかなかりっぱなモノですが、仕方のないことです。
てゆうか虫歯にもなっていない数少ない健康な歯をこんなことでなくすハメになったのが情けない。
デジカメのAFがいかれたようでぼけた写真になる。強烈な日射しのところだと大丈夫だが、日陰とか夕方になると全然ダメ。なぜか接写モードのほうが良い写真が撮れるが、ピント合わせのためによけいにモーターが動くので電池の消耗が早くなってしまうことがわかった。電子部品のよわいところだろうなぁ。
∞にして写真を撮ってもぼけるので、既にその辺に問題があるんだと思う。あと、写真の一点にかげりができるようになった。
このカメラ、日本に帰るまでもってくれるといいなぁ。
セタール持ってると、弾いてくれと言われることがある。うまくないと言いながら、カームカールで最後やりかけてた難しい曲をやろうとするから当然うまく弾けない。すぐ解放されるのでいいが、なんかくやしい。
もっとサナンダージに居てセタール練習してたら良かったかなぁ。
まぁでも毎日セタールばっかりだったしな。たまには旅行しないと。
この先の予定は明日チャルドランに行ってその周辺見て回って、タブリーズで旅行情報を収集して、アルダビル行った後カスピ海沿岸。その後テヘラン。それでも時間があるようならビージャールとかタバスとかの砂漠方面。アルダビルは水がうまいらしいので、ちょっと期待している。今ケチケチ路線を突っ走っているから金は全然大丈夫だ。
ネット屋に行っても日本語環境のあるところなんか無い。htmlのftpアップくらいならできるからどっかでしとくかな。つぎの期待はタブリーズだ。
明日サナンダージを発つことにしてカームカールとおわかれした。
いちおう教本の難しいところの説明は一通り受けた。
カルバスチーさんにお礼の話をすると、いらないという。じゃぁというので絵を贈ろうと思ったが、いいのがないので、日本から送ることにした。実は昼間に一枚、宿の近くの古そうな建物を墨ってみたが、あんまりよくなかった。まぁでもこれから先、絵を描く準備にはなった。見物人がうざい。あと、みんなやたら感心する。そんなんしてちょっと絵を描ける程度の人間をほめそやすからつけあがるんだ。
合唱とかバヨリンの経験とか、四分の一音とか変な前知識のおかげでイラン音楽の記譜法でとまどうことはなかった。楽譜が完全に読めていないのは前からなので条件的に困難というわけでもない。テンポを読みづらいのは前からなので、これも悪条件ではない。逆に、イラン音楽の多様なリズムをこなせばこれから先、リズムを読むのが楽になると思う。それよりも、撥弦楽器をまともにやるのが初めてなので、そのへんで技術的におっつかないところがあった。フレットを読むのも難しい。四分の一音のところがたくさんあるが、そのせいで読みにくいのではなくて、フレットを読むこと自体に慣れていない。長いネックにたくさんのフレット。それだけで迷ってしまう。まぁよくわかってない人間でも何とか弾くことができるのがフレットの良さなんだろう。
今から思えばあさって出発とかでもよかったなぁ。まぁいいや。
ディーワーンの先生と少し話した。ディーワーンはクルドの楽器で、七弦、セタールを大きくしたような形。詳しくはよく見てないのでわからん。トルコやイラクなどでもクルディスタンにはあるという。トルコで今クルド関係で問題が起こってるとか言う話をうっかりしたら、イランでも二十六年前にここで似たようなことがあったと言われた。クルディスタン問題の一面を見たような気がした。ちなみに最初はがんばってペルシア語で話してたが、そのうち英語になった。まぁしかたない。
今日カームカールに行くと、カルバスチーさんが紙にト音記号と五線と音符をデザインしたモノを出してきた。描いていたのか、描かせたのかその辺は知らんが、こう言うのを描けという。ポスター? とりあえずト音記号から渦をかいて五線譜がまわっていき、そこからさらに音符が飛び出している絵を適当に描いたら非常に喜んでくれて日付とか書いてた。
カルバスチーさんはそんなに喜怒哀楽を表に出す方ではないが、うれしいのかうれしくないのかはわかる。上出来だとうれしそうな目をしているが、不出来だとどう言おうか困った顔をする。
やっぱり今やっている箇所は難しいらしい。最後までやってからここに戻れとの指示があった。実際そろそろ指が追いつかなくなってきた。指位置確認でつっかかってとてもじゃないけどスラスラ弾けません
まぁ最初に言ってた一週間が過ぎたのでもう切り上げモードだ。ここから後の部分はこの三つのレッスンが重要で、それ以外は応用で難しくないから後で自分でやれとのこと。
教習本の第二冊をもらった。それから、明日この教習本に付属しているテープもあげるとのこと。日本に帰ってから聞いて練習しろと。うーんうれしいな。
でもなんかただで終わってしまいそうな予感がしてきた。それはそれで申し訳ない。絵でも描いて贈ると喜びそうだから、なんか描きたいな。
全然関係ないが、カルバスチーさんの娘はかわいい。小学五年生らしい。ちなみにイランの小学校は五年までだ。
カルバスチーさんは実は高校の美術の先生でもあるらしい。教科書を貸してくれた。
ここから北に行くともっと涼しくなると勝手に思っていたが、新聞を眺めているとそうでもないらしい。タブリーズでも最低気温が二十数度である。テヘランはもっと暑い。ここサナンダージは実は涼しい方らしい。最低気温が十六度だった。ちなみに最高気温はどこも似たり寄ったりで三十度を超えている。暑そうなヤズドが意外と涼しかった。むーん。砂漠はよく冷えるということか。
歯槽膿漏だが、イラン出発前に行った歯医者の薬を飲んでから一向に快方に進んでいる。しかし、一番進行していた歯を固定していた接着剤が取れてしまって今その歯が泳いだ状態になっている。はっきり言って邪魔。しかも痛い。
脳天気に一番近い歯医者なんかに行かずに、ネットで見つけた歯医者に行って薬を飲んでおけば良かった。そしたらこの今泳いでいる歯は泳いでいなかったし、前歯の状態ももうすこしよかっただろう。うーん。まぁ自業自得だ。
楽曲がきびしくてネット屋に行けなかった。
セタールを習っているところはカームカールという。固有名詞。
今日もカームカールに行ったが全然進まなかった。次の楽曲が変なテンポで、いままでの練習曲とは違って行進曲らしくちょっと変化が多い。指とテンポが追いつかず、その次に進めなかった。
応接室でやってるから、しょっちゅう人が来る。電話もかかってくるし、偉い人の知り合いも来るし、先生も生徒もやってくる。ひとりの先生が絵を描いてやるから何か描いてくれと言われたので、墨と筆を取り出して描いてみた。イランでの初墨。まぁそれなりに描けた。室内だからか。ちなみに彼が描いてくれたのは漫画サンデーとかに載ってるような女の人の漫画っぽい絵だった。
それをみたカルバスチーさん(セタールを教えてくれてる偉い人、たぶん経営者)が奥に連れていった。やっぱり美術教室です。
先週とは曜日が違うので先生が違ってた。とりあえず女生徒を一人描いて、先生も描いてくれとせがまれて描いた。微妙だった。
まぁイランでも室内ならなんとか描けそうだということがわかったのでよしとしよう。まぁ屋外で描けないと意味がないけど。日本とは比べものにならないくらい乾燥しているので筆先がすぐぱさぱさになる。屋外だと風があるのでよけいに乾きやすい。やばい。まぁせっかく持って行ったんだから使わないと。
すぐ近くのスイカ屋がいつも人がいっぱいだ。その二件くらい隣にもスイカ屋があるのにそっちは閑散としている。なぜだろう。
ということで、今日はその人がいっぱいのスイカ屋で買ってみた。四五個指で叩いてみて、小さいのを一つ選んだら、こっちの方がいいと言われた。たしかにそっちのほうが叩いたときの反動がいい。水でピチピチだということだ。ちなみにスイカを叩くのは意味がある。スイカのイキがいいかどうかわかるからだ。
それを買ってきて、例のごとく半分切って食べてみたらこれが甘くてうまい。日本の甘いスイカと同じような味がする。うーむ。だから人がいっぱいなのか。
ちなみにその二件くらい隣のスイカ屋で買ったスイカは味が薄くて真ん中くらいしか味がなかった。まぁ水分補給としては悪くはない。
昨日買ったブドウは巨峰の小さいモノだった。皮が分厚く、種がでかいところまで一緒だった。それでちいさいからタチが悪い。まぁしかし、イランでも巨峰を育ていているんだなぁ、と感心した。
もらった絵に書いてある字をよく見たら、「べ」マサヒロとなっていた。イランでも「マサヒロさんへ」のへを書くものらしい。そらそうか。
複雑な曲が多くてその場でしのぐことができなくなってきた。一週間でこれだけ弾けるようになっているから上出来かもしれない。まぁ毎日練習しかしてないのだからそれくらいはなってもいいんだけど。進みたい分は予習をしておこう。もしくはそろそろ去り時ということだろうか。まぁ今週中に離れるとは言ったけど。
基本的に楽譜がすらすら読めず、指に覚えてもらっている状態。よくないね。前からそうだけど。いままでからも歌はとりあえずその刹那刹那で出てくる記憶に頼っていたし、楽器はその刹那刹那でうごく指に頼っていた。よくないんだとは思うが、頭の中がそういうロジカルでない粘土ブロックのようなモノでできているから仕方ない。楽譜はそのブロックの部品のなかに含まれていないのだ。まぁ今からがんばって楽譜ブロックを作ればすらすら読めるようになるのだが。いつできる事やら。
そういう意味では子供のうちにいろいろ仕込むのは重要だなぁ。たぶん子供のうちはそういう部品を作りやすいんだと思う。
まだ先のことはわからんがたぶん9/27夜テヘラン発9/28昼東京着の飛行機とかで帰るんじゃないかな。イラン-日本は今や旅客の減少のために直通便はなく、韓国か北京を経由することになる。そして週二本。オープンチケットなのでまだ決めてない。早めに帰るかもしれないし、違うルート取りをするかもしれない。トルコ行ってトルコ語も勉強しようかと虫のいいことを考えてたけど、無理。
中国も行きたいなぁ。このオープンチケット、北京で降りたりできないのかなぁ。たしか短期間なら中国はビザが要らなくなったはずだ。
このファイルのアップロードの仕方
コマンドプロンプトを起動 -> ファイルのあるところまで移動 -> ftp -> login -> cd -> put -> quit
セタールいよいよ楽曲がいっぱいあるところに入ってきた。きびしー
しかも教え方が「ここは自分でやっとけ」式になってきた。まぁ、時間をあまり長く見ていないのと、意欲を買われてのことだろうが、速すぎる(汗
イランの音楽にも長調と同じ音階があって、楽曲はその音階から入っていく。でも次の曲にはすでに旗のような印が。コロンと言って、四分の一音下げるそうです。セタールにはそこにちゃんとフレットが巻いてあります‥‥まだまだ修行が足りないので結構間違えて押さえてしまう。
偉い人とふたりで話のまねごとのような片言のコミュニケーション(内容はイランの金銭関係の話)をしてたら、なんか飛び込みでバヨリンの調律をしてくれという母娘がやってきた。他に誰もいない。おっさんは調律笛をもってきて、Eからピーとかふいてたが、いきなり、おまえできるだろとわたされた。うーむ。まぁなんとかやってみました。できるもんですね。
それでひさしぶりにさわってみてわかったのが、バヨリンの指をすでに忘れてしまっていること。セタール!おまえのせいか!
セタールを間違えて押さえるのは二胡とかバヨリンの感覚でやりかけたりするからだと思う。それ非常にまずい。感覚が上書きされてしまう。把持のしかたがちがうから違う感覚でおぼえてほしい。第三の感覚がほしいんですが。うーん。
バヨリンのイラン音楽メソッド本を見せてもらった。他にも、イラン音楽の基本理論書を二冊おしえてもらった。まぁこのあとテヘランで買うことにします。
とりあえず、イランに来た甲斐はありそうだ。
親に電話してみたら元気そうで何よりだった。なんか電話のタイミングもよかった。
今日はイランの日曜なのでいろいろと休みなのです。
イラン暦はイスラム暦とはまた違い、春分の日が正月の太陽暦。ただし元年はイスラム暦と同じ。イスラム暦は単純な太陰暦なので一年が短く(29.5x12 = 354日)、今はイスラム暦では1427年だが、イラン暦では1385年ということになる。イラン暦は春分の日が起点なので、123月が春、456月が夏、789月が秋、101112月が冬ということになる。春分・夏至・秋分・冬至と合っているので自然にあっている。
ちなみに日本も昔は太陰太陽暦(いわゆる旧暦)のほかに春分とかと歩調を合わせた二十四節気をもっていたから、今のイランと状態が同じといえる。
そういうと、こないだメシ食ったときにイラン人の月収はだいたい400ドルとか言ってた。だいたいおおざっぱに4000000リアルか。ふむ。
親に一回ここらで電話でもしてみようと思っていたけど、今日は電話屋も休みだった。むぅ。
おとといくらいから午後に雲が出ることが多く、西向きの我が部屋がすごしやすい。
今日もスイカを買った。買いすぎ?
最近よく行く串焼き屋も休みだ。
ネットしに行く気がおこらない。ので、クルディスタン州博物館とかそのへんの建物を観光してセタールした。
スイカ食べた。うまかった。
ハマームにも行った。個室浴場の銭湯。時間課金制っぽい。洗濯もできる。いいとこだ。
セタール。今日で把位の移動に突入した。大変だ。
しかしこの教習本はいい。イラン人が書いたモノで、五線譜があるからペルシア語がわかんない人でも楽譜が読める人ならとりあえずは読める。練習もよくできてる。ちょっとづつ工夫が必要なところがまぜてあって、いい勉強になる。
第50レッスンに短い歌がついている。
「簡単じゃなくても問題じゃない 男はおそれちゃいけないよ」
前半は簡単で(ポジション移動も移弦もない)、後半が一音のポジション移動の直後に16分音符が二個あって裏表で弾かせるようになっている。きびしい‥‥
まぁしかしみんなが弾いているのを見ると、ポジション移動しまくりなのでこれくらいはお茶の子さいさいということらしい。むぅ。
セタールばっかりやっててペルシア語の教科書とか全然進んでないなぁ。
セタール。今日は昼飯のついでにネットしにいったのと、バリカンで散髪した他はセタール。
でも、学校ではあんまりすすまなかった。教習本ですぐ合奏の曲になったからだ。そこでしばらく練習してろと放置されたのでひたすら弾く練習をしていた。数時間ひたすら弾いていたせいか、なんとかサマになったような気がする。まぁ撥弦楽器ってはじめてだしなぁ。
そのあと、偉い人じゃなくてセタールの先生ともうひとりの人といっしょにメシ食って、練習‥‥のはずが、伝統音楽グループの練習会に連れて行かれた。ただ、かなり時間が遅くなってしまったので、宿に連絡しないといけないが連絡先がわからず、結局宿まで確認に行ったが、このまま宿で寝ろと宿の親父に言われてしまい、ちょっと聞いただけでおわってしまった。タール、ウード、サントゥール、トンバク、ケマンチェ、タールの構成。ウードの人が指揮してた。なかなかかっこいい曲で今でも頭の中で鳴っている。うーん。初ライブですよ。すげー。
ウードはフレットがなかった‥‥てことは知ってたけど、演奏しているところを見れるとは思わなかった。フレットが無い撥弦楽器ですよ。えぇ。
全然関係ないが、自分は歴史をあまりしらなくて、英語もあんまりできない人間と言うことになっている。まぁ、下手くそな英語で話しかけられるよりはわからなくてもペルシア語で話された方がこっちもいいのでそれでいいことにしとく。
それに芸術の歴史の質問とか、むずかしいんよな。向こうは日本が歴史が長くて独自の文化があると勝手に思ってる。日本って国は外国から来るものが権威的なもので、日本独自のものはあんまりありがたがられない。とかいうことを説明するのがまず面倒で、さらに、日本の芸術家は職人とおんなじで、職人はみな芸術家と言える、とか言うような話になるととうてい今の語学力では説明できない。
そういう意味では日本は昔から工業の国だったのかねぇ。
あーでも、こういうときに目くらましになるような教科書的な知識がほしい。
サナンダージの人はみななにかしら芸術をやってる‥‥と、セタールの先生と一緒にメシ食った人が言ってた。
こないだ絵を描いたときの先生から絵の展示会の案内状をもらってたのでセタールの時間の前に見に行った。六人くらいの展覧会で、その絵の先生も出してた。微妙な抽象画を出してて、あんまりうまく言えなかった。神経質でか弱そうと言えようか。まぁこの場合、細かい説明ができなくてよかったとおもう。結構面白い絵があった。でも、自分にとってはセタールの方が大事なのでさっさと去ったが、まぁいいだろう。
具象な絵と抽象な絵をいっしょに出している人がいて、まぁ具象はそれなりにうまかったが、それより抽象の方がおもしろかった。抽象も具象並みに力をいれて描いたらたぶんもっとよくなるのに。
セタール。すすみ具合が速すぎてきつい‥‥。あしたはもうハイポジションに突入とか言ってるし。ちょっと速すぎ。まだ満足に音を出すのもできないんですが。この教習本が終わってもまだ二冊くらいあるとか言ってるし。きびしー
まる一日セタールばかりやってないとおっつかなさそう。
サナンダージでも日本円両替できそうなことがわかった。問題なし。
なんて無駄なことをしてるんだろう。
メールチェックできてないなぁ。どうしたもんかな。
暑い暑いと思ってたけど、単純に宿の部屋が西向きで、そのせいで暑いんだとわかった。日本の安アパートの二階が暑いのと同じ理屈だ。むぅ。
ここしばらく水ばっかり飲んでたせいで、塩分が低下していたらしい。なるべく塩をとるよう気をつけよう。とりあえず水ばかり飲むのをやめて、ドゥーグをよく飲むようにする。
ドゥーグはヨーグルトと塩と水を混ぜた飲み物で、さっぱりしていい。
セタール。買いました。160000リアル。日本円にして二千円ちょい。まぁ初心者用はどこでも安いらしい。でももうすこし本格的なものでもその二倍程度の模様。こんなもの買ってこのさきどうやって旅行する?という話もある。
調弦はcgc(151)でした。四本弦があり、一番下が複弦でcc'、次がg、一番上がc'。
ところでセタール買ったところで教習本ももらって持って帰って見てたら、本ではフレットが28あるのに、実物では25しかない。次の日つまり今日クレームを付けにいったらわざわざフレットを指定の場所に張ってくれてしかもセタールを教えてくれるところを教えてくれた。
行ってみてわかったのがどうもそこは芸術私塾らしい。音楽のほかに絵も描いていた。セタールの教習は正課ではない模様で、五時にまた来いと言われて行ってみたら一番偉いおっさんが一番偉い人の部屋兼応接室でマンツーマンでみっちり教えてくれた。きりのいいところでここまで練習してこいと言われて終わったが、そこで持って行った墨絵を見せたら、奥に連れて行かれた。そこでは女の子が六七人で交代交代でモデルを務めてデッサンやってた。なんつーの、クロッキーですか。そういう正規の教育うけたこと無いんで詳しくはわからないですがどこでもやることは同じらしい。
つーことでデッサンしてきました。久しぶりな絵の上に対象がイランの女の子で、なかなか滅多にない体験でした。
ちなみに、「なかった三つのフレットは滅多に使わないから今は張らない」と言うことを私塾のおっさんに教えてもらった。楽器屋には申し訳ない事をした。確かに張ってもらってる間に他のセタールを見てみたらやっぱり25個しかなかった。
でもc''のちょっと上とかそういう微妙なのはともかく、g#が二カ所無かったんですが。んー。
ということでしばらくペルシア語の練習がてらセタールを教わってきます。
これからしばらくは昼にネット屋・観光・ペルシア語の勉強で、夕方セタールというスケジュールになりそう。
暑い。常に三十度以上ある。もうすこし涼しい地方に行くつもりだったのですが、クルディスタンのセタールに捕まってしまいました。もうここでほとんどの日程をつかってもいいような気分になってきた。あとはウルミエとホイとアルダビルとカスピ海沿岸のどこかに行くだけでいいや。
やっぱりテヘランでもう一万円両替しとけばよかった。楽器買ったのが大出費になった。この先の宿代メシ代のことを考えたりすると楽器おそわるのにチト足りない。だれか一万円買いに来てくれないかなぁ。
ちなみに絵を見せると受けがいいので結構見せまくってる。これはシーラーズにいたときに覚えた。描いといてよかった。芸は身をたすくってやつだ。
サナンダージ。
クルディスタン州の中心。
ビージャール->サナンダージ ミニバス 6900IR
バザール横の中心地で道路に面したところに宿を取ったので夜でもうるさかったり。
日本語でネットできるところ見つけた。ほかにも何軒かあったけど、そこは対応が柔軟だった。ロンプラに載っているだけのことはある。とりあえずフロッピー持って行ったらアップはできるみたいだがメールのチェックが‥‥。どうしたもんかな。メール。十中八九くずメールしか来てないはずだが。
ウェブメールのチェックはできるようにしてないし、できるようになったとしてもこういうコンピュータの管理知識が足りなさそうなネットカフェではやりたくない。
ここの次はウルミエに夜行バスで行きます。
宿のおやじにアフガン顔のことを聞いてみたらヒゲがやっぱり悪いらしい。鼻の下の口ひげ以外は全部剃った方がいいということなので従ってみた。それで街中をあるくと効果覿面。アフガニとささやく声がほとんど無くなった。でも今度はチニ(中国人)率が非常に高くなった。むー。
セタール。むむむ。
タフテスレイマンまで行ってオランダ人と別れた。ビージャール泊。夜の十時くらいに着いたせいか、アフガン人と間違えられて警察まで連行されて、ついでに安宿まで送ってもらった。
かのオランダ人は幸運の持ち主らしい。白人と旅行するともっと楽しいらしいことがわかった。
ザンジャン->タカブ ミニバス 12000IR
タカブ->タフテスレイマン ミニバス 5000IR
タフテスレイマン->タカブ ユネスコ系の人の車にただ乗り
タカブ->ビージャール テヘラン行きのバス 5000IR
アフガン人と思われて怪訝な顔をされることが多いのだが、ヒゲが悪いのだろうか。それともサンダルだろうか。まぁ顔がアフガン人(アフガンの中のハザラ人)に似ててしかも日焼けしてるのが一番の原因なんだろうが、避ける方法があるのなら避けたい。ヒゲ剃ってみようか。
タフテスレイマンで会った大家族のところに泊めてもらったらよかったなぁ。
今のレベルだと子供と話するのがちょうどいいらしい。
いつネットに接続できるのだろう‥‥
一回親元に電話して情勢を探らないといけないな。
どっかにしばらく滞在してペルシア語じっくりやるつもりでしたが、もう移動モードになってます。でも英語会話率が高いのでそれがちょっと不満。あと、トルコ語圏(アゼルバイジャン人)なので、地元民がトルコ系の言葉をしゃべるのもちょっと不満。まぁでも移動しているほうが会話することがおおいので移動しっぱなしでもいいかもしれない。外人と会わないようにしないとなぁ。
結構金つかうことがわかった。まぁあと持ってるドルを両替しとけばなんとかなるだろ。
ザンジャンまでやってきました。
昨日のドミトリーの相部屋はポーランド人でした。三十路のおっさんでIT関連の仕事をしたことのある人間同士ということで話が通じるらしく適当に話ができました。九月から仕事だとか平日は通常勤務で休日はコンピュータの先生してるとか、借金がおおくてクレジットカードの枠が千ドル以上にならないとかなんとか。
しかしポーランド人は自国のことをヨーロッパBとかいってたな。
ザンジャンまできたけど、この辺りより西はトルコ系のアゼルバイジャン人の地域なのでペルシア語ネイティブ少ないと。むー。
むかし、真夜中にザンジャンでバスから降りたとき泊まったところは道沿いの狭くてうるさいところが三万リアルで、裏の二人部屋が四万リアル。今回パスした。でも結局ロンプラにのっているところで光の入らない部屋で三万三千リアル。まぁいいさ。
メフマンハネのたぐいには四人部屋しかないというところもあるようだ。そこそこの部屋の相場が四万リアルっぽい。
まだ時計買ってない。
結局本は全部担いでいます。ノートパソコンが邪魔で邪魔でしかたない。最悪筐体は捨ててしまってハードディスクだけ持っていってもいいと思ってしまうほど。
日本でも人によっては忌避するA4ノートの重たいのを持ち歩くバカです。
ザンジャンでナイフ買おうかな。
ザンジャンでもウィンドウズプログラマに出会った。こっちはだいたい同じ年齢だった。
イランと日本の時差は五時間半。こちらの夜七時は日本の夜0時半。
歯が。ちょっと痛くなってきた。たぶんシーラーズを離れてやはり栄養状態が悪くなっているらしい。むぅ。
ザンジャンでネットをしようとおもったができなかった。ネット屋のコンピュータには日本語フォントが入っておらず、持って行ったノートパソコンはネットの制限が厳しくて(おそらくマックアドレスを管理している)外部に出ることができない。だめだ。なんかいろいろとおもったようにいってないし、長居無用だ。
というのも隣の部屋にきたオランダ人があしたタフテスレイマンに行くというので、いっしょに行くことにしたのだ。で、帰ってくるつもりだったけど、まぁせっかくだからついでに移動してしまうことにする。重い本と邪魔なノートパソコンを担いで。むぅ。
まぁ、遺跡まで行けば入り口であずけられるからいい。問題はそこまでたどりつけるかどうか。オランダ人と協議したがうまくいくのだろうか。
昨日も今日も英語でばかり話している。なんかちがうぞ。
そのオランダ人は笑い方がただ者ではないからおもしろそうだ。明日が楽しみだ。
テヘランです。昨日日本帰国組を見送って一人になりました。でもドミトリー生活なので人がうじゃうじゃいたけど、今日みんな出て行きました。これから人が入ってこなければ一人の生活ですね。でもたぶん明日移動するし。
日本円が両替できるのは両替商のみ。レートは悪くなく、100JPY=7800IR。ただし、日本円を扱っていると明示しているところのレートはよいが、明示していないところはかなり悪くなる。ちなみに日本円の売りレートは8000IRになる。ドルよりも幅がおおきい。希少価値か?
シーラーズでは自分で両替しにいってないので、結局両替商で一番レートのよいところをみつけられなかった。シーラーズのレートは7500IRだった。テヘランでレートの悪いところもそれくらい。もっと地方都市になるともっとわるくなるんだろうな。というよりも交換してくれないだろうな。
前イランに来たときに比べて物価がかなり上がっているので、二万円でのこり一ヶ月位を生活するのは厳しそうだ。もう一万円両替しておくか。しかしそうすると携帯できるレベルを超えた札束を持って歩くことになる。いまでもう150枚あまりの一万リアル札を持っている。。。まぁそのためにドル買ったんだからそのために使うか。テヘランにまた戻ってきたときに一万円使えばいいんだし。
ちなみに一万リアル札は日本の一万円札とサイズがほぼ同じ。価値的には130円程度ですが。
ヒゲのばしたけど、のばす必要なかったかもしれない。無精ヒゲ程度の人がおおいから、ふつうにしとけばよかった。
これからどうするかな。
今日で授業終わりだった。明日はインターネットにつなげれないと言うことか。
明後日にはテヘランらしい。むぅ。
すっかり忘れてた。
明日もクラスがあるらしい。よくわからんけど、とりあえず明日が最後だ。
まぁ、アップできるみたいなのでめでたしめでたしということで。
次更新できるまでさようなら。
もうテヘラン以後のことを考えたり。
あと四日でシーラーズも終わりだ。
結局たいして身に付いてないなぁ。
金曜は学校が休み。ということでビシャプールに連れて行かれた。先週のフィールーズアーバードにはアルデシール一世の建物があったが、こっちにはシャープールの宮殿があった。こっちのほうが保存状態は悪かった。発掘は進んでないようだった。
昨日アホが集合時間守れなかったせいで今日はカゼルーンに行って一直線で帰ってきて以後外出の予定は無し。まぁ勉強できるからそっちの方がいいんだけど。
今日もメシがうまい。
テレビで謎のSFやってるんですが悪役には六芒星がついています。
怒り役。もーやだ。ツアーはもうやだ。
しかし人を怒るというのはなかなか頭を使うもんだということがわかった。むぅ。あと、怒る人の気分もなんとなくわかった。
もう水曜か。
あおられるように勉強勉強。小学生の教科書がすごく手頃でおもしろい。
殉教者の墓見てきた。要するに戦死者の墓地。飛行機のパイロットで、四年前に遺体がイラクから帰ってきたという墓もあった。
レジームチェンジとはそういうことらしい。
今度の金曜はカーゼルーンに行くらしい。
まぁ観光先の選定なんかどうでもいい。勉強がこの程度しか進まなかった事に悔悟。まぁ今度こういうのに参加することがあれば、どういうメンバーなのか確認してから行くことにしよう。まぁでもこんな機会もうないだろうなぁ。
最近テレビでよくながれてるレバノン関係の映像(MTVといえばよいのだろうか‥‥)が景気よくなってきた。前は悲しいのが多かったが、最近は勇ましいのが多い。
ひたすら「ナスララーナスララー」と繰り返してるのとか、ヒズボラをたたえる歌とか。あいかわらずよくわからないが。
あと一週間ちょいか‥‥。
なんともかんとも。
メシがうまい。何食ってもうまい。
体調がおかしくなって休む人が出てきた。ふぅむ。メシはこんなにうまいのにな。
レバノンは停戦だそうで。でも詳細がわかんないです。
ペルシア語まだまだ蹉跌が多い。むぅ
この大使館主催ペルシア語勉強ツアーご一行様、基本的にやる気のない人間がちょっと多い。プログラム自体はあと十日あまりしかないので、この間にできることをきっちりこなしておかないと金がもったいない。むむむ
まぁ、こういうのは同行者の質も重要ですな。まぁまじめにやる人が少しはいるのでそれはよかった。ただ、逆にできすぎてこっちが全然追いつかないという‥‥。
実地の前の座学は非常に重要です。
小学五年生向けの「ペルシア語 文学と初等文法」とでも訳すようなタイトルの本を買った。さすがにこの程度でもむずかしい(汗)。語彙が全然おっつかん。辞書と友達状態だ。
シャー・チェラグというところに行ってきた。シーア派のイマーム関係の廟だ。こういう聖地に似た雰囲気のところといえば、知っているところで言えば天理教の本山だな。まぁたぶん、アクティブな世俗宗教の聖地は似たような雰囲気を持っているんじゃないかとおもう。
その近くのバザールの店でなぜかアフマディネジャドのカードをもらった。ネジなんかの工具を売りつつ、店先にコーランとお参りグッズを置いていたりするような店だった。
朝早起きしてフィールーズアーバード。ササン朝のころの建物が残っているとか。ササン朝の建物といわれているものよりも、そのまえにあった泉がきれいでよかった。ササン朝の建物はわかりやすいドーム建築で、四角の建物に丸いドームをのせるという教科書的な建物だった。
この一週間弱、オープンキャンパスとやらで、宿泊施設の前のホールがいつもにぎわっていたが、やっと今日で終わりのようで静かになった。オープンキャンパスってのは知らんが、日本でも同じ感じでやってるらしい。春の新入生歓迎みたいな雰囲気で、ビラも大量に配ってた。
でも掃除するのは掃除する人。学生は掃除しない。
山の上の城に上ったので意味もなく疲れた。しかし、この一行、まだ観光気分が抜けてないのがなんとも。
ひさしぶりにちょっとバヨった。
今日の夕方はペルシア歴史博物館というところに連れて行かれた。いろんなシーラーズ出身の人たちの蝋人形が並べてあった。
ハーフェズだけはなぜか蝋人形ではなく、例の麗々しい絵だった。むぅ。
今日は早い目に午後の観光が終わったがみんな疲れ気味のようだ。明日は朝早くからシーラーズの近くのフィールーズアーバードというところに行くらしいが、大丈夫だろうか。ちなみに明日は金曜日で、イスラム教の安息日だ。
フィースロー空港でなんかあったらしいが、あいかわらずよくわからん。
大学へ行くミニバスの中にノートパソコンを入れた風呂敷包みを忘れてインターネットできなかった。
だんだんネット欲が薄れてきて、熱心に更新したくなくなってきた。むむむ。
最初の週が終わろうとしているが、あんまり進んでいないぞ。大丈夫か?
mixiの方にイランの写真をすこしづつあげてるので、暇な人は見てください。
夕方に強制的に連行されて街中とかみどころ( ديدني )とかを見て回るんですが正直もっと勉強に時間をかけたいところ。
昨日は小学生二年生三年生の国語(ペルシア語)の練習帳を買った。がんばるぞー
なんか自由時間が少ない。
午前中授業で午後はやすみで夕方バスで適当なところに連れて行かれるのだが、宿題をやる時間があんまりない。まぁ全体のレベルにあわせてだんだん宿題が簡単になっているので余裕ができそうだけれども。
早寝早起き。
明日は第四代カリフで初代イマームのアリーの誕生日で祝日だ。学校はあるけど。
テレビのニュース見てると、レバノンのことがしょっちゅう出てくる。アメリカはひどいとかなんとか。でもペルシア語だから全部はわからない。だんだんいくつかの単語が聞き取れるようになってきた程度。
最初の授業。なんかまぁ簡単すぎずというところから始まった。だいたいペルシア語での授業で英語を補助的につかう。作文の宿題とか出てなかなかいい感じ。どうなるのか。
教室に端末が二台あるが、ハブにはまだまだ口が余っているのでつなげればなんぼでもつかえる。ということだが、まぁ、教室に用意してある端末は日本語の入力ができないので、いちおう持っていったノートを人も使えるようにした。なんか自分が使える時間も限られてしまうわな。
大学の宿泊施設は三人部屋で、寮生活みたいなもんだ。ドミトリー。まぁそうなるのもしかたないのか。
いい加減なことをついつい言ってしまう癖。まぁいいや。
金曜日はイスラム教では休みの日だ。ということで、今日は朝早くからペルセポリスに行ってきた。暑かった。以上。
前回来たときは写真撮ったけどフィルムが回ってなくて、何も撮れず、さみしいおもいをしたものだ。まぁ今回は自由行動できなかったけど、それなりに写真も撮れた。
自由行動できなくてなんともかんとも。
明日からやっと本格的に授業が始まる。どうなるのか。
そういうと、昨日本屋に連れていってもらって、ルーミーのぶあつい本を二冊買った。『シャムス・タブリージー詩集』と『精神的マスナヴィー』。これが自由に読めるようになれればいいな。
イラン。
そろそろ慣れてきた。
あぁ。全然ペルシア語できてない。
かなり軟禁状態で不便。今のところ、大学の宿泊施設からブラリ一人旅みたいなことができない。
全員の中では年の高い方になるので、ミーティングのときに言いたくもない小言を言ってみたりしてみたり。あぁ柄にもない。
気温は三十数度をキープしているが、全然暑く感じない。まぁムァッとするけど。日射しは痛いくらいに暑い。
大学に連行されたときに余ったわずかな時間だけネットに接続できる。しかも端末が二台しかなく、全員やるだけでも難しい。街中にはネット屋があるけど、街中に自由に出かけられないのでなんともかんとも。
シーラーズのテレビのチャンネル数は五つだ。
テレビでナスララの説教やってる。
今日イラン出発です。飛行機ですよ飛行機。なんか頭が追いついてない気がする。
靴買い忘れた。
現存する楔形文字の下限は紀元後75年だそうだ。
シュメール人が楔形文字を発明したわけではなく、それまでに記号としての楔形文字が使われていて、それを言語記述用に使用しだしたのがシュメール人と言うことらしい。
楔形文字の本をこの期になって借りてきて読んだりしちゃったけど、何語は言語系統不明というのがよくでてくる。だが、言語系統なんて不明なのが普通なんじゃなかろうか。セム語系みたいに三語根で構成される言語で、系統がすぐわかって発音まで推定できるという方が特殊だろう。
シュメール人が膠着語を使う人たちで、音節文字として楔形文字を構成したために、その後の人たちも音節文字性を残したままつかいまわしているとか。古代メソポタミアの人名地名ってやたらとカタカナっぽい発音が多いけど、そのせいなんだろうか。アケメネスとハカーマーシュとでは全然感じが違うし。
シュメール語とドラヴィダ語をつなげようとする考えは、日本語とドラヴィダ語をつなげようとする話と同じなんじゃないか。膠着語だから一緒だろうというような。
北朝鮮、韓国が飲み込むのが一番よいのだが、今の韓国の政権にそんな器量なし。随分北朝鮮に浸透されてるみたいだしな。結局は中国が飲み込んで終わりか。
それっぽい材料をそろえて、自分でそう判断するようし向ける、というのが輿論操作の基本らしい。あえて結論は与えず、結論の一歩手前をお膳立て。お膳立てされたことでも自分で判断したというのが一番利く。
なんか特別な事しているような気がするけど、なんてことはない、陪審員制のもとで、陪審員をその気にさせる手口じゃないか。手慣れているわけだ。
なんか疲れる。
安いレートで商っている両替屋には古いドル札しかない。
退去。
退去するまでに予想以上に日を費やしてしまった。
ふとんとかガスコンロとか人にあげることを考えずにスパッとすてたらよかったのかもしれん。もしくは全部実家待避とか。むぅ。
一度京都に帰るつもりだったが‥‥
両替。銀行レートは+3円。大黒屋の安い店舗は+2円。東京三菱系は+2.8円。みずほの新宿の外貨両替ショップは+2.7円。大体がぼりすぎだ。でも、むこうでの支払いがドルキャッシュなのでとりあえずその分だけはドルを買わなければならない。
ペルシアの詩人で有名なのがハーフェズだ。
ペルシア文学の中心は詩である。
イスラム征服後のペルシアではアラビア語が公用語となっていたが、十世紀頃からペルシア語で著作することが始まった。それがペルシア文学のはじまり。
モンゴルの征服がペルシア文学の劃期となる。それまでは各地の宮廷が文学の中心であり、そういった宮廷の主人に捧げる頌詩や英雄叙事詩がメインだったが、モンゴルの征服によってそういった宮廷を維持した階層が弱まったこと、またその時期に商人などの中間層が拡大したために、もっと身近な文学が好まれるようになり、広い意味での叙情詩がつくられるようになった。恋愛詩と神秘主義思想詩である。
神秘主義思想詩はわれらがルーミーが大成者だ。まぁそれはおいといて。
ハーフェズの叙情詩は恋愛詩と神秘主義思想詩を綜合したものだとされる。つまりどちらの文脈でも意味が通じる。そのような解釈の余地をのこすような文章のつくりをしているということだ。
だから今でも「ハーフェズ占い」というのがあったりする。ハーフェズの詩集の適当なページを開いて、出た詩で願い事のなりゆきを解釈するというものだ。
この日記もそういうわかったようなわからんような文章を目指したいな。
ちなみに現代ペルシア語の発音だとハーフェズ、古典での発音はハーフィズ。
a -> a , i -> e , u -> o の関係がある。
つまづいて歩く人はつまづいて歩くことに気を取られてしまい、ますますつまづいてしまう。
ちなみに今日は北千住で足立区の花火大会だそうだが、まぁ一人で見に行ってもしかたないので行かない。
イランの銀行レート。
これから考えると、日本円を持っていって両替した方が安いのかもしれぬ。日本の銀行の両替の手数料は高い。
外貨両替レートリンク
みずほ
/ 三井住友(PDF)
/ 大黒屋
/ チケットキング
/ ワールドカレンシーショップ(東京三菱UFJ)
/ トラベレックス
/ ブルートラストグループ
都内の外貨両替専門店
郵便局のレートはワールドカレンシーショップと同じ
京都信用金庫は若干レートがよい
インド産マンゴウ輸入解禁
インド産マンゴウの生果実の輸入解禁について
これでいままでのフィリピンとかの低品位マンゴーや日本産の高いマンゴーは駆逐されるだろう。日本がまた一歩天国に近づいたようだ。
今日居なくなるのは無理だったようだ。作業の量は京都往復に比べれば全然たいしたこと無いのに疲れた。
‥‥暑さのせいか?実は。
最近雨ばかりで松脂れてなかったり。
ひさしぶりに英語話してきた。話せるもんだ。
どんどん残っていた荷物が減っていくよ。明日にはいなくなれるかも。
ヤフオクでもらい先探すのやめた。
大家のいうところでは敷金返してくれるそうだ。
畳がやばいかもなぁ。本棚入れるときに傷つけたところがある。
最近の事件の裏側にイランがいることになっている。イスラエルもそれを狙ってやっているのだろう。ヒズボラのバックがイランなんてのは昔から知られている話である。ここしばらく以前ほどの係争にはなっていなかったのに、兵士二人が捕虜にされた程度のことでわざわざ侵攻したのはアメリカが黙認するのを見越してのことだろう。おそらくはガザ侵攻の方が主目的なのかもしれない。レバノンの陰に隠れてガザの方はとんと噂を聞かない。レバノンでさんざん騒ぎを起こして、かつ恩をアメリカに売り、ガザの方での主目的を果たすということか。ハマスがイスラエルを事実上承認しようとしたことを無視して侵攻したのだから、非はイスラエルにあると判断されてしまう。レバノン侵攻でやりすごしてしまいたい事実はこれか。だから耳目を引くような空爆などを続けるだろう。復興しつつあったベイルートはまた破壊されるのだろう。
だいたい、北朝鮮のミサイルの発射現場にイラン高官がいたという情報の出所はどこだ?それに最初は技術者とかいう話を聞いたが。
まぁ、アメリカがイランに仕掛けている情報での戦争はここまで来ているということだろう。
それを考えると、イランのガソリン不足は、実は軍用に貯蔵しているために、民用が不足しつつあるということなのかもしれない。精油所のレベルが低いのは事実だろう。
虚々実々?
だろうだろう。
だろう大夫でございます
谷垣さんが対抗馬か。
むむ。田中宇によると、イスラエルの右派が勢力巻き返しのためにおこなった事ではないか、とか。
ちと自分の推測に構造化が足りなかった。
合唱の発表みたいなの。
人前で歌うのはコレで当分無いなぁ
いきなりマイクを渡されてあいかわらずオタオタした事しか言えなかった。もっと人にアピールする人間だったら全然ちがった人生歩んでるんだろうなぁ。まぁできないからありえないんだけど。
場慣れをさせようと急にマイクを渡したり、おもいつきで一人でマイクをつかわさせたりするからクサハラ先生は教育者として優れた人なのだろう。ただ、ムラがあるから、万人向きではない。
京都から帰るとき、ライトつけっぱなしにしてて、バッテリーを上げてしまった。いままでバッテリーを上げたことはなかったので、かなりあせった。しかもレンタカーでこれから帰ろうというときに。時間は深夜の十一時過ぎ。
しばらく待てばセルが回るので、待ってりゃ電圧が恢復するかもと思っていたが、そんなバカげたことをやってたら夜が明けてしまう事に気づき、吉田寮へ。ありがたや。ケンタにバッテリーを直結してもらってなんとか起動。ふー(冷汗
この時点で深夜の一時を過ぎていて、帰りも多難なんだろうなと感じたことを思い出す。
京都往復。
不手際のせいで48時間のなかに荷造り時間が入ったり、最後は時計見ながら焦ってたり、いろいろしんどかった。
部屋に帰ってきたらものすごくカビくさい。こんな部屋に長居したくないなぁ‥‥
こっちでの用事が済んだら完全にひきあげてもいいような気がしてきた。それくらいカビくさい。
引き上げにかかった費用
レンタカー 18165円
ガソリン 117.34リットル 15545円
有料道路
蒲郡->八日市 3800円
琵琶湖大橋 200円
箱根新道 250円
小田原厚木道路 二宮->厚木 350円
東名厚木->用賀 1250円
首都高速 700円
合計 40260円
走行距離 1140km 燃費は10km/lを切ってます‥‥
おもにNHKラジオをずーっと聞いてた。AMしかついてない車でした‥‥。FMとかCDとかほしかったw
朝までかかった。結局スキャナ借りてパソコン借りて一晩作業したけどありがとう。
えーと今日荷物出発しないと土曜に戻ってこれないんですが。何この雨。
結局寝不足状態でしかも雨の中出発することになるのは大変つらいです。泣きながら西へ向かうしか。
某ミーティングの日程、あんまり連絡がないので電話したけどまだ決まってないとのこと。さっさと決めてほしいんですが‥‥。パスポートとか航空券とか人質ですかそうですか。
昨日は時間のできたついでに、歯医者にも行ってきた。謎の歯槽膿漏になったとわかった時点でネットで検索してたところだ。最初からあそこにしとけばよかった。本当にバカだな。
ただ、話をした感じだと、療法自体はオーソドックスな気がした。薬をつかうところだけがちがうかと。
どんなことでも後手後手だ。
ベイルート、せっかく復興してたのになぁ。こんなことになってしまって‥‥
レバノンは内戦前は地中海交易で栄えていた。そもそもベイルートは位置から言ってもダマスクスの外港的位置なのに、レバノンだけシリアから別置されているのは、イラクに対するクェートのようなもんだろう。
地中海交易におけるレバノンの地位の復活をおそれたイスラエルという文脈はないのかな?メシの種がそれだけうばわれるとか。調べてないから何ともいえんけど。最近レバノンはシリアの圧迫に耐えかねて属国化しかけていたのでそれを牽制する意味もあるのかもしれん。まぁしかしひどい話だ。
イランに月内制裁をめざすってそんなことしないでほしい。たのむから。イラン行けなくなると一番困る。
戦時動員令か。北朝鮮の断末魔は見ていておもしろい。次はなにが起こるんだろう。わくわく。
元気出てきました。単純ですんません
ドルがどんどん高くなっていく‥‥
せっかく日を延ばしたのに頼まれた絵はすすまない。
日を延ばしたのによけいにやけくそになってる。うーん。
日曜・月曜とガックリしてたけど、今日はなんとか動けそう。勝手にガックリしてるんだからしょうがない。
時間ができたからとまたよけいに用事を増やしたから結局おなじか‥‥
つかまぁ昨日の夕方スーツをクリーニングに出したからそれが戻ってくるのが水曜で、したがって水曜出発になる。
大学入ってから作ったスーツが三十代になっても着れてるんだから安スーツにしてはお買い得だったのかもしれん。まぁ穴とかあいてて、見る人が見たら穴あいてますよと注意されるけどな。
天気予報的にも今週は雨ばっかか。あぁ。雨中のレンタカーで長距離か。最悪だ。
ま、暑くないからいいか。
やっぱりこんなときにチラシ描き引き受けるのは無謀だったか。時間がどんどん経っていく‥‥
これ仕上がるにしても明日の出発がまずいよな
イランの人口は七千万人でした。
ちなみに中東国家のなかでは一番の人口でした。
イランが原子力に熱心な理由
イランは産油国ではあるが、同時にガソリンの輸入国である。なぜかというと、イラン国内に精油所が足りず、原油は売るほどあるけど、ガソリンの入手できる量が少ないから。しかもイラン国内ではガソリンの値段を低く抑える政策をつづけており、ガソリンの消費量は多い。そのため、原油で得た国家収入をガソリンの輸入にあてるというバカバカしい事態が続いている。
石油がいずれ枯渇すること、石油燃料の燃焼が大気汚染などをもたらすことは知られたことであり、石油にかわる代替エネルギー源の確保はいまやイランの最重要課題となっている。
ガソリンの値段を上げれば当面はしのげるかもしれないが、今イランはインフレで、そんなことはとてもできないらしい。
去年は国会でガソリンの補助金の予算の減額が決まり、配給制をしいたほど。ガソリンの輸入元は西欧・インドだそうだ。
若冲展 東京7/4-8/27 京都9/23-11/5 九州1/1-2/25 愛知県美術館4/13-6/10
京都で見てもいいかもな。期間中に日本に帰ってきそうだし。逃したとしても九州まで行ってもいいし。東京は夏休みにはいってしまってますますこみそうな予感。
でっきるかな、でっきるかな、はてはてうふ~
安直に頼まれ事を受けたりするから、結局レンタカーで無理する羽目になる。
ま、しかし、無理して予定前倒しにして京都に行こうとしなければ、割と気楽になりました。
元寮生の会で壮行会のようなもの。ごちそうさまでした。ありがとうございました。
うーん。来週は月曜夜出て京都に行き金曜の朝戻るくらいのペースで行けるかな。
本棚捨ててクロネコヤマトの二立方メータパックを使うのが一番よさげ。
しんどいのを避けるのならばコレが一番だ。段ボール段ボール‥‥
外国的には旬の過ぎた北朝鮮の事よりも、いままっさかりのレバノン封鎖のほうが大ニュースだ。
えぇー、空爆ぅぅ
冷蔵庫の落札者は宇都宮の人だった。送料いれると高いよ?いいの?
いいらしい。しょうがないから冷蔵庫の掃除。
中国が説得したのは北朝鮮じゃなくてロシアとかアフリカ三カ国だったというオチ
イスラエルがやんちゃしてるからアメリカもあんまり強気に出れないということなのかな。
どう落ち着くのがいいのだろう。
そういえば、韓国で親日派の子孫の財産没収が動き出しているけど、あれって北朝鮮と同じ事してることになるねぇ。それもいまごろ。北朝鮮では建国後、党への貢献度で人間のレベル分けが行われ、日本統治時代にいい目をしてた人は最下層においやられた。北朝鮮の国家配給制度のもとではいちばんうすく配給されることになり、支援の届かない層として、飢饉の時などにはまっさきに被害が出た。
この国に経済支援したところで、それは北朝鮮の国家組織のルートを流れて上に厚く下に薄く回る。この国を締め上げれば、国家組織に遠いところから死んでいき、国家組織に近いところが生き延びる。まぁ何やっても国家組織への忠誠度がたかまる仕組みだ。
体制変革のキーとなる軍隊だが、軍隊の構成員がたとえば下層民出身が多いというようなことがあれば軍隊による革命がありうるが、北朝鮮は軍隊の層は上の方になるから、国と仲良しこよしである。体制変化など望めない。あるとすれば、クーデターによる権力の中心の移転。中国の王朝史でいうところの禅譲スタイルだろう。
もっとも90年代の飢饉の頃には、国家配給制度は崩壊して、地位にある人間がその権力を利用して内職にはげむような状態になっていたそうだが、権力構造が国家に依存するのは変わらない。それにその後北朝鮮の生産力も持ち直したはずだ。
いまだに冷戦構造ののこる南北朝鮮。双方共に末期症状を呈してきているのかもねぇ。まぁまだ韓国の方が可能性がありそうだけど。だけど脆そうにも見える。
プールしてきた。
風邪状態を治すために基礎代謝力のアップだ。
なんかよくなったような気がする。
冷蔵庫を外に出して掃除したので自炊がしづらくなってきた。
冷蔵庫が五百十円に!
三千六百円で落札!こえー。どんな人が来るんだろう‥‥
わざわざ都立の中央図書館まで行って本読んできた。高いけどおもしろそうやったし。
B.E.ベリー『シンドバードの書の起源』。
風邪で声がおかしくなった。
実は結核だったとかいうオチだったら困る
しかも今日から二ヶ月隔離とか言われたら絶対逃亡する
一円に入札者がついた。
また野菜とか買ってきちゃったんですが‥‥
やっぱり韓国政府の反応っておかしかったのね。国内紙から総たたき食らうとは。
溜池通信によると北朝鮮のミサイルで一番こまってるのは中国らしい。ふむ。
韓国の五月末の選挙で野党のハンナラ党が圧勝したために今回のミサイルとなったという分析はおもしろいな。韓国の事情なんか全然しらんかった。
金正日はすでにロシアに逃げており、今北朝鮮を握っているのは軍部で、軍部とつながりが深いのが中国とかいう話もある。
中国としては今のままだと拒否権使わないといけないから、北朝鮮に中国の面子がつぶされるような状況がほしいんじゃなかろうか。
今週中にかたづけて来週中に引っ越してしまうのも手かも。今週中は無理。
すっかり忘れてたけど電話が来た。むぅ? でもイラン行っちゃうんだけどなぁ‥‥
風邪気味。
歯医者に新しい穴を掘られた。むぅ。この期に及んで。
焼き肉。
盛大に邪魔にしに行った気がした。
こう思う度にあんまり行かんとこうと思う。
のどの奥が腫れている。風邪?確かに週末からだるい。
昨日の夜、アメリカ人のゲームの話を聞いた。聞く限りでは同じ人間という気があまりしない。虫?
まぁそもそも自分自身ゲームをほとんどしないので、どうこう言える立場でもないが。
韓国の反応ってわかりやすくておもしろい。日本とアメリカに対する反応が違いすぎ。目下にはきつい口聞いて目上には甘い事言うって人間はまぁ現実に存在するから国家レベルでそういう国があっても不思議じゃないんだろう。‥‥と言っていいのかな?
まぁしかし、騒ぎすぎなのは確かだ。
国際ブックフェア行ってきた。イランの出版社が参加すると言うことだったが二社ほど「ビザの問題」で参加できてなかったようだ。なんだったんだ?
新刊が値引き価格で買えるとか、洋書の古本市があるとかが目玉らしい。まぁ見本市的な部分では本のスキャニングする機械とか、本の入稿のデータのやりとりのためにつかうサーバシステムとか、いろんなデジタル出版とか見るところはあった。
PHPのリファレンスの新しい版をこの機会に買った。二割引だし。
部屋の掃除。きれいになった。
冷蔵庫を一円でヤフオクに出してみた。
北朝鮮の中はいったいどうなってるんだ?軍部と外交関係の連絡取れてるのか?
youtubeでmusashiを検索して噴いたw
ガンダムのプラモデルで実写アニメしてるのがすごい。その無駄な労力のかけ方が‥‥
あとビバップとまぜてるのも。
Gyaoのレビューもみんな斜めから書いてておもしろい
そうか。今年春のアニメって68本もあるのか。多すぎるわな
『OS自作入門』、森田さんとこで見て買ったけどイヤ本当にいい本だこれ。
北千住のBLDY(ビルディ)、ランチドリンクバーとやらで、150円だった。消費税いれて157円。安い。昼過ぎに入って、人があんまりいなかったので、六時過ぎまで居た。いろいろはかどった。涼しいし通ってもいいかも。
まぁでも、三河島の方がいいのはたしかだ。ある程度距離あるし、電源取れるし。がんばって飲んだりしないし。
はやくゼロ金利解除してくんないかなぁ。
どうせやるならオレがイランに行く前にやってほしい。イランに行くためにドルキャッシュを作らないといけない。はやくやってもらえればそれだけドルが安く買える。帰ってきてからの損が減る。やるならはやくしろー
かえってくるころはポスト小泉がきまってるころで、上がるのか下がるのかよくわかんない。どっちにせよ、ドルが安くで買えるのがよい。
自転車で国会図書館に行きがてら、自転車に乗りながら本を読むという荒技に挑戦した。歩きながら読むより距離が稼げるし、疲れない。飽きたときの移動が速いという利点がある。難点は危ないことだが、警察は無灯火や防犯登録のチェックには厳しいが、読書運転にはあまく、声をかけられなかった。
ロンリープラネットと地球の歩き方を見比べたくて、洋書が置いてあるところ=池袋のジュンク堂と短絡的に思っていたが、八重洲ブックセンターにもおいてあるのを思い出して行ってみた。こっちなら国会図書館の帰りに寄れる。霞ヶ関から池袋に行って北千住に帰るのは普段使っていない道なので、おちおち読書運転できない。
イラン編だが、地球の歩き方のイラン編は東大の先生が関わっているのでやけに記述が充実してるんよな。まぁでもロンプラのほうがガイドブックとしては詳細だった。
洋書は日本の本屋で買わない。アマゾンで買う。断然安いから。店頭に置いてあると、手にとって確かめられるから商売としては有利なんだけれど、その場で買う気にならないほど値段がちがいすぎる。日本の本の場合は再販制度のおかげでアマゾンでも本屋でも同じ値段だから、見れる店頭でも買う気になるが。洋書商売って本当に商売あがったりなんだろうなぁと思った。京都の丸善がつぶれるのもしかたあるまい。
どこかに入っている間に雨が降っていたようだが、移動中には雨に降られなかった。よかったよかった。
わすれていた。ひげのばさないと。