朝5時すぎにおきて温泉で足と頭をあらって6時前には出発。新マナーリのバスターミナルには6時半くらいについたが、バスが来たらいっぱいで立ち乗り。一人で行動したが、結局白人といっしょになる。7時出発のバス。ちなみにバスは一日数本ある。
マナーリの北の4000m弱の峠がメインで、これを越えるのに4時間かかっている。トンネルを掘っていたのでそのうちもっと楽に越えられるようになるんだろう。しかし北側はかなり川に近い低いところに穴を掘っていたから水害で破壊されそうな気がする。
こんなとこ自転車で越える人がいるからすごいよな。
峠を越えると湿り気タップリのマナーリ側とは違って木の影もみえなくなり一気に荒涼としてくる。三枚目は氷河から溶けた水が滝になっているところ。
バスはケーロンに着く直前で修理所に入りあちこちガンガン叩いて直していた。客降ろしてからやれよ...
何かカバンから出したり入れたりするとそれをジロジロ見る二人組がいた。あぶないあぶない。
ケーロンに着くと白人御一行様はみな明日のレー行きのバス(朝5時発525Rs)を買っていたが、明日すぐに出るのも微妙な感じがしたので買わずとりあえず宿さがしからはじめた。
しかしなんか部屋が400Rsからしかない。一軒300Rsというのをみつけた(SNOWLAND)が、そこには同じバスで来た白人御一行様が入っていった。安宿さがしをしているうちに街の端にあるラフールスピディ部族博物館のあるところまで来たのでとりあえず入った。
無料だったが中にあるのはほとんど民俗資料だった。
チベットの匂いがするなぁ。
各地の寺を紹介した文章があったが、さしこんである写真の建物が気になったので受付できいてみたところ、Taboにあるという。受付にある地図で確認するとスピディの端だった。遠いのであきらめた。
宿探しを再開すると、レストハウスとかいうのがあり、200Rsだったが、水が出ないという。昨日まで温泉につかり放題だったのにこのホコリっぽいところで体を洗えないのはきつい。旧バススタンドの近くにいってみるとふっかけるところばっかりだったが、その端にあるSUMRILAゲストハウスが250Rsとか言うしなんかマジメっぽいのでそこにした。しかも電熱式で湯が出る。
結構景色いいのでここに二泊してもいいかとすこしおもったが、博物館は見てしまったし、一本ある街のメインストリートも歩いてしまったので、結局またバススタンドにいって明日のレー行きの切符を買った。んでなんか悪い気がするので宿で飯くっておいた。明日も早いのでとっとと寝るのだが、その前に日記を書いておく。
今朝は雨季らしい梅雨みたいな雨。
ATMで20000ルピーくらいおろそうとしたら10000ルピーまでしか降ろせないという表示。うーむ。ちょっと考えて昼過ぎに10000ルピーおろした。
セゾンカードは海外ATMの使用料を10000円未満で100円、10000円以上で200円とる。というわけで20000円以上ひきだすのがいろいろ都合いいのだが、10000ルピーだと16000円余りで微妙な額になる。
今日のオセロは初日のボスに先手をゆずったら二隅とられた。やっぱりなかなか強い。
カジュラホから来ている一味は全員で7人だそうで、宿もやっているらしい。100ルピーだか150ルピーだかでwifiあるとか言ってた。
結局ネットのために目の前のカフェに来ている。もうすこし電波つよかったらノートパソコンからつなげれるのになぁ。
ネットだけしに来ていたせいかインターネットへの接続切られた。まぁしかたないわな。
カジュラホの連中の巣は本屋にも日本語で宿の案内があったりして日本人宿臭を出しているが、そもそも日本人あまりいないらしい。BODHゲストハウス。情報ノートあるかもとおもってきいてみたら結局なかった。100Rsの部屋は路地に面した陰気な部屋で、しかも通りの目線の下にある。実質的に寝るだけの部屋で、確かに誰も選ばなそうだ。眺めのいいところもあるがそこは400Rsとか普通にする。まぁそうだろうな。ここに移るなら部屋では過ごさず屋上とかテラスとかでダラダラすることになるんだろう。
ほかにもフジレストランというところがあったが、ここも日本人数えるほどしかいないらしい。ふーむ。
ちょうど今いる宿で1000Rsくらい使いそうなので、ここは今晩でやめ、明日もうケーロンに行くか、BODHゲストハウスの陰気な部屋にいって、wifiを満喫するかどっちかだ。
寝てN-08Dで本読んでるばかりなのでなんかもうマナーリも十分かなとおもってきたが、温泉に入ってくるともっといてもいい気分になってくる。温泉すごいわ。
Hot Spring | Visit All Famous Hot Spring in Jammu And Kashmir
朝から温泉。ええわー。
昨日写真を貼ったのは寺院内の温泉で、上に貼ったのは寺院の上にある丸見えの温泉。丸見えの具合は写真の通り。浴槽の右からもお湯がでていて、体を洗ったり洗濯したりしている。寺院とこの浴槽の間にも管からお湯がでているところがあり、そこは洗い場になっている。夜の9時から朝の5時まで閉まっている。今朝6時ごろに行ったらもう既にいっぱいだった。
部屋にとどいている無線LANが目の前のカフェだとわかったのでとりあえず入ってパスワードいれてもらったが、部屋から繋げようとするとうまく繋がらない。どうも電波がよわいようだ。なるほどうまくはいかないものだ。
ちなみにそのカフェからは寺院内の温泉が見えるようになっている。せっかくなのでその写真も撮ってきた。
右手の方に浴槽が見えてるのがわかるだろうか。よくみれば男が影の中にいる。そのうしろにあるのが女風呂で、レンガを積み足したのは覗けないようにしたんだろう。男風呂の塀は道から脇くらいの高さなので、塀によっかかれば普通に見える。
あんまりベッドがホコリっぽかったので今朝天気がよいのに乗じて干して叩いた。これでセキっぽくなくなるだろう。新マナーリの方の宿も奥の部屋だったせいかホコリっぽかった。天気がわるいので干したりしづらいんだろうな。
また本屋にオセロをやりにいったら今度は違う人がいた。他の日本人とやって三勝二敗とか言い、自分でも強くないとか言ってたので先手をゆずってみたが、まぁ結構強かった。しかしへぇとおもうような手を打つのになんで詰めが甘いのかな。あと結構ズルをしようとしていたのでその都度裏返したのを戻していた。
でもオセロは最速で真っ黒にする手とかあり、最強プログラムとかつくれるのでこんなんで勝ってよろこんでもしかたないんだろうな。
他にも温泉あるんじゃないかとロンプラをよくよんでみたらマナーリのもうすこし下流にある支流の峡谷の奥にマニカランというところがあり、シク教の聖地らしい。マニカランの下にはカソールというところがあって、旧マナーリやバシストみたいな感じの腐った旅行者の溜まり場になっているらしいが、温泉のあるマニカランはそうでもないらしい。シク教の聖地でグルドワラとかあるんだから人も結構来ているはずで、温泉に行くだけならそっちの方がよかったか。
マナーリの北のインドのチベット方面にも温泉あるかとおもったが、それなりの温泉はラダックで外人の入境証が必要なところだった。ヌブラ方面の外人が行ける限界ギリギリのところにあるパナミクが一番温泉っぽい。ラマユルのゴンパの分院があるワンラの西4kmに温泉があるとロンプラには書いてあるが旅行人の『ラダック』には情報がなかった。まぁ湯治するような規模じゃないんだろう。
旅行人の『ラダック』の地図には、マナーリの北の峠を越えた谷を、ケーロン方面へいかずそのまま下っていってカシミールに入ったあたりにTataPaniという温泉が描いてあるが、そのあたり武装ゲリラがいるそうなのでまぁいけないな。
この宿、Wifiだけ使ってほしくないんだろうな。もっとレストランに金をおとしてほしいっぽいことはわかる。まぁそんなに高い値段設定にしてないからわからんでもない。しかも何がわるいのかしらんがそもそも wifi 経由のインターネットが全然繋らない。
ダルチャーワル40Rsのところみつけた。どうも普通はハーフ25Rsらしく、でかい皿一面にあってとりあえず満腹感だけはあった。でもほとんど米。今までと栄養が違う偏り方をしてきて軟便気味になってきた。タンパク質がたりない。
ロンプラ様の言うところによると、インドにあるチベットはラダック・ラホール・スピティの三つあるが、ラホールが一番栄えているのにみんな素通りすると書いてある。そのラホールの最大の中心がキーロンだという。
キーロンへはローカルバスがあり130Rsであることは初日バススタンドで雨の止むのを待っていたときに確認した。それもロンプラの言うとおりだった。しかしレーのバスの時間を聞くと、キーロン行きにのれと言う。持っているロンプラは去年の状況が前提になっているが、それによるとラダック側の地滑りの影響で公共機関によるバスが走っていなかったらしい。ひょっとしたらその状況が今もつづいているのかもしれん。
旅行人の『チベット』にはケーロンと書いてあるな。ラホールってでかいのかとおもったが『チベット』の地図だとスピティとラダックの繋ぎ目にあり、小さい。交通の要衝だから栄えているだけなんだろう。
ということでバシストの温泉地に移動。温泉から近いところをさがしたらすぐうしろのロンプラにのっているところは250Rsで、反対側にもうすこし上がったところが150RsでWifiもついてたので150Rsの方にした。レストランもやってる。たぶんそっちがメインなんだろう。高め。
しかし温泉はパンツはいたままはいらんといけないらしい。これだけは面倒だ。でもそれ以外は硫黄くさくて温泉らしいしなによりタダだし徒歩一分なのでパンツの問題さえ解決すれば何回でも入れるのでよい。
wifiは部屋から入らない。残念。
昔ケチケチ旅行をしていたのは貧乏性であるということの他に、旅行の期間に比べて金がないからそれをカバーするためにケチケチしていたのが大きいのだが、今回は一ヶ月半で帰るし帰りの手段もあるし金も余裕あるのでそんなにケチケチしなくていいことに気付いた。ということで昨日も今日も100Rsする飯くってみたがやっぱりうまい。100Rsも出せば日本のインド料理屋の安いメニューが食えるわけだ。でも量はすくないな。
バシストで本屋をやっている人は10年くらい前までカジュラホで商売していたそうだ。そのせいで日本語が結構しゃべれた。しかしその一味の人には一見目韓国人とおもわれたらしい。
ということでその人と一発オセロをうつことになったが、どうも腕前に自信があるようで飯をカケろとしつこく言ってくる。やめた方がいいとおもいますよ? 20Rsのケーキにしてもらって開戦。ほぅ。たしかに筋がいい。でも余裕みせてわざと隅の手前に置いたりしてたのでそれが致命傷となり負けてやんの。しかしそこでケーキのことをすっかり忘れて今度はチョーメン(チベット焼きそば)かけてもう一回やろうとか言いだしたので勝ち逃げしてやった。詰め甘いけど結構強かったなぁ。
新マナーリのはずれにあった HOTEL GREEN LAND は広い部屋でやすいし、飯の値段も今からおもうと良心的だった。あこ客が全然入ってなかったわりに従業員がたくさんいたけど大丈夫なんだろうか。シーズンになれば人いっぱいになるんだろうか。
この宿の飯高いとか言って悪かった。試しにくってみたら結構量が多い。うまいぞ!
これで110ルピー。あ、チャパティー10Rsで別だった。そこはちょっと高い。まぁ実際ちょっと高いんだけど。
aircrack-ng が入ってなかったのでいれた。
バシストの温泉は洗い場の上にあるところ以外に下の寺の中にあるとロンプラに書いてあった。昨日入ったのはたぶん洗うための水槽なんだろうな。
あと6週間くらいある。一日500Rsくらい使うと仮定すると500x42=21000ルピーくらいはつかう事になる。約35000円か.. まぁそんなもんか。
ここの寺院をまわってきたが、あまりの神社っぷりにびっくりした。
説明板をみるとこの神社は1553年に建てられたものだということだ。インドの建築というと石造物ばかり目につくけど、昔はこういう木造のものが結構あったんだろうか。それともこの山の中独自なんだろうか。
まぁヴァラナシにもネパール王が寄進したこういう木造寺院があるそうだからこの山奥特有のものかもしれん。角が聖なるものあつかいなのはフンザとかといっしょだな。
さらに旧マナーリの上にあるマヌ神社もみてきた。
旧マナーリのある山の頂上にその神社はあるらしいんだが、なんか峰がふたつあり、その両方に神社があった。
旧マナーリの集落が、高い方の峰の近くまでのびていてその上にある方が敷地がひろく神社っぽい。しかし裏の方が川の源流の方に近く、巨岩なんかもあって聖地っぽい。どっちがどっちか案内などつけてないのでわからん。まぁ両方なんだろう。ちなみに集落の中をまっすぐ山のてっぺんまで歩いていっても到達できるのだが、道なりに山を巻いていった方が古い建物など眺められておもしろい。
こんな風に色が塗ってあるのが本来かどうかわからん。何も塗ってないところもあるのでそれをみると、石と木を交互に積んでつくっているのがわかる。
新マナーリの周辺にも似たようなのがあったけどこんなのだ。
米軍地図をみると新マナーリは跡形もないので、新マナーリは20世紀後半になって外来人口中心でできた街なんだろう。インドも人口多いから昔は少数民族しか居なかったところへどんどん平地のインド人が入りこんできているということだろうな。リンゴとか生えてたりするあたりはフンザっぽい。たぶんこっちの方がフンザよりも入りこみやすいんだろうな。
あとマナーリはどこにいっても大麻草生えまくり。
このへんってグルカ戦争でイギリスとネパールが取ったり取られたりしたところなんだろうか。ちょっとネットがないとこういうのが調べづらい。
旧マナリは行ってみたけど腐った旅行者の溜まり場っぽい感じはバシストとかわらんかった。これなら温泉がある分バシストの方がいいな。
インドの物価が昔とちがいすぎるので動揺しているが、10年くらい前よりも4倍くらいになっているようにおもう。60ルピーがだいたい100円なので、ものすごくおおざっぱにいえば中国の人民元1元が10ルピーくらいになる。そうおもって10で割って元で考えれば中国よりも安い。
まぁもっとも昔もインドの物価は階層的で、外人は気にせず極貧層にアクセスできたからバカみたいに安かっただけかもしれない。その極貧層ゾーンがなくなったような気もする。観光地みたいなとこしか行っていないせいだからだろうが、インド人だけのドミトリーみたいなのをまだ見かけない。そういうところにいったら今でも100Rs以下で泊まれたりするんだろうな。
マナーリには早朝着いたが、雨だった。雨がやむまでバスターミナルに待機していたが厚着している人がいるくらい涼しかった。
マナーリには温泉があるということでそれを期待していたが、その温泉があるのはマナーリの街のなかからすこしはなれたバシストというところだった。で、雨がやんだらそこまで歩いていくつもりだったのだが、すこし歩いたところで片言の日本語をつかう客引きにつかまってしまった。どうせ怪しいんだろうとおもっていたが、値段を聞くと200Rsと安い。ついていったらたしかにすこし離れたところだったが、ダブルベッドでトイレつきでお湯もでて広くてその値段だった。まぁ一般家庭に面しているので窓をあけづらいしテレビの音がうるさいが、200Rsは一応これからの宿選択の水準にしようとしていた値段だ。もういいやとそこにしてしまった。
で、朝飯。ダルチャーワルで40Rs。なんかそれ系の飯屋でそういうのをくうとどこも40Rsなんだが、昔の4倍とすればそんなもんなんだろう。うーむ。
腹がいっぱいになって元気がでてきたので、宿にもどって寝ずにバシストの温泉をみにいった。そんなに遠くないので歩いていった。その途中の景色がまた絵にかいたようにキレイで、写真もとったが消えたので乗せれない。すこし登ったところにバシストはあり、ものすごくツーリスティックなところだったが、それはつまり便利だということで、Wifiつきの宿やレストランがいっぱいある。
温泉の前には寺院があるのだが、長い柱が三本立っていたりしてなんとなく神社っぽい感じもあった。そもそも建物が木造で形がおもしろい。マナーリのバスターミナルの横にも木造の寺院があったが、カトマンズとかにあるのと似ているので、山ならびで似たような文化だということなんだろうか。
肝心の温泉だが、浴槽一つでまわりに洗い場があり、おばちゃんらが洗濯をしている。浴槽には男がいっぱい来て体をゴシゴシあらっている。朝だからかかなりこんでいたが、日本とちがうのは風呂はパンツはいたままだった。うーむ。せっかく来たから入っていこうかとおもったがパンツはいたままだとパンツがめんどくさいことになってしまう。一度はやめようかとおもったが、せっかく来たのでパンツはいたまま入ってきた。
いやー温泉いいわ。ここが腐れ旅行者の巣であったとしても、ただでいつでも入れる温泉があるのでその失点をカバーしている。これ湯治場として考えればかなりいいんじゃないか。
そんなことを考えながらもうだいぶ疲れたのでズボンをそのままはいて帰ってきたが、写真の名前をつけかえるスクリプトをはしらせているときに一時停電があり、シムラーの途中からの写真が消えてしまった。ということで今日の写真はない。昼まえに帰ってきて昼寝したりしながら昨日からここまでの日記を書いた。
ということで、「安倍さんはきっと憲法改正をやってくれるだろう」と期待する保守派と、「安倍さんは憲法改正をやりそうだから怖い」と考えるリベラル派は、どっちもロマン派なんだろうなあ、と思います。
かんべえの不規則発言 7/24
写真名前変換スクリプトは最悪消えてしまわないように書きかえた。Pythonでまとめて名前変換させてる途中に停電するとデータが電子の海の彼方に消えてしまうとはおもわなんだ。
カルカ → シムラー 山岳鉄道 40Rs
シムラー → マナーリ HRTCのバス 455Rs
カルカ発の山岳鉄道は一日四本あるが、5時半のが高い。たしかにそれが一番早く着くのだが、その後の6時のが郵便列車で一番安い。何がそんなに違うのか確かめるために5時すぎに駅にいったが、車両が豪華なだけで牽引するのもディーゼルでなにか古い感じにしているわけでもなかったので6時の遅いのにした。時刻表によると5時間半くらいかかる。ちなみに開通間もない状態を紹介しているマレーのインドガイドブック1911年版によると登りに7時間かけていたそうなのでさすがにちょっと速くついている。
1911年のころには電化の話があったらしい。電化はされず今まで残って世界遺産にも登録されることになったわけが、既に車両も鉄の箱になって木造でもないし、乗ることもなかったような気がしないでもない。まぁ景色はよかった。
途中の駅舎は昔のままで、中には廃棄された建物に人が住みついているのもあった。シムラー駅には機関車がのこしてあった。シムラー駅の駅舎も世界遺産の対象であるらしい。
シムラーの街は尾根沿いに発展したが、鉄道の駅の上のあたりが行政とかの中心になり、写真で街があるようにみえるあたりは市街地として発展したところになる。
博物館が尾根の一番高いところにあったが、これは総督の建物だった。ヒマーチャル州の博物館ということで、外人料金100Rsにカメラ代100Rs。
やたらたくさん物が置いてあったが、石像木彫コイン壁画ミニアチュール仏像武器民族資料みたいな感じ。5世紀前後の墓の発掘品があったのが珍しいくらいか。あとシク教のミニアチュールなんかも貴重なのかもしれない。壁画が剥して展示してあるのは説明も少なく出来もわるく落書きみたいなのもあってなんか妙な具合だった。
ラダックの仏像とか展示してあるのは貴重だったのかもしれないがなんかもうお腹いっぱいだったし今までにみたことあるようなものばっかりなのでもうあんまりちゃんとみなかった。写真をみてもなにがなにかよくわからない。そういうときのための写真なんだが。
ガンジーがシムラーに来たときの写真とかも展示してあったな。
その後、街の方にいってブラブラあるきまわったが中心部にバスのチケット売り場があったのでそこでマナーリ行きをきくと455Rs。まぁそんなもんだ。シムラーも涼しいしイギリス時代の建物がいっぱい残っていておもしろい。宿もいっぱいあるからさがせばそれなりに安い宿もあるような気がするが、ついつい夜に出発する切符を買ってしまった。夜の8時20分発ということで夕方いっぱいまで歩きまわった。
1911年のガイドブックにものっていた U.S.Club の建物が今は観光関係の役所として使われていた。ということでまぁイギリス時代の街の範囲の端から端まで歩いたのだが、U.S.Clubのあたりからの写真が、写真の整理のときに一瞬停電したせいで消えてしまったのでのこっていない。
U.S.Club というのはガイドブックを読む限りでは何かよくわかっていなかったが、まぁここに来る金持ち連中の社交場みたいなもんとして機能していたようだ。今観光関係の役所が入っているというのはそれをうけついでいるということになるんだろう。そういう役所なので入り放題だった。
バスは新バスターミナルからでているらしいが、新バスターミナルは5kmくらい離れたところにある。新バスターミナルへは旧バスターミナルから行くのが便利だと、博物館の前にいたドイツ人に教わったので市街地から旧バスターミナルの方へ歩いていったが、その途中はまさしく「下町」で、バザールが坂道にそって延々とつづいていた。上のイギリス時代の町並みとこのインド人だらけの下町のくみあわせに冷涼な気候、実は結構いいところな気がしてきたが、まぁ切符を買ってしまったからしかたない。
降りたところに旧バスターミナル(Old I.S.B.T)があり、そこから5Rsで新バスターミナルまでいくバスがいっぱいでている。なんというかこんなところにも詐欺師がいておもしろかった。そういえばシムラーの市街地の方ではみかけなかったが、見掛けがみすぼらしいので近寄ってこなかっただけだとおもう。バスターミナルとかには移動する外人専門の詐欺師がいるんだろう。
新バスターミナルについたころから天気がかわって大雨になった。20時20分のバスなので外も見えず、寝てるだけなので特に書くこともない。隣になったのがラダック人(自称)だったが、チケットに指定してある窓際の席に座っていたので言うとなんかゴネる。ゴネ方がああいえばこういう式で、なんとかしてそこから離れようとしないのでむかついた。車掌にいわれたら席を移動するとか言うので車掌がきたときに言わせたら、ヒンディー語で、切符買ったときに言われた、とこっちに言ったことを繰り返す。(単語聞いてたらある程度わかる) どうも車掌が言っている事によると奇数偶数で窓際かそうでないかわかるから、切符を売っている時点で窓際かどうかわからない事はないらしい。やりとりを聞いてきてムカついてきたのが顔にでてきたのがきいたのか、ようやく席をゆずってくれた。
どうも内側の席のリクライニングがこわれているのでそれが原因なのかとおもったが、ゴネ方が変すぎる。とりあえず荷物は抱いて寝たが、夜中に気付いたら右足の太股のポケットのチャックが開いていた。そこに小銭をいれてたような気がするが片付けたような気もするのでよくわからない。とりあえず小銭はなかった。とられたとしても大した額ではないのでよしとしよう。
デリー → カルカ 鉄道2等切符 105Rs
デリー到着は日付がかわってから。上海 → デリー で隣にニュージーランド人の巨乳の美女が座ってビール飲みましょ♪みたいな感じになったので飲んでしまい、気分わるくなった。空港で巨乳白人美女はアライバルビザをとるとかいうことでどっかに行った。イミグレの前で日本人がだんごになって、結局SEやっているという男といっしょに行動することになり、まずはATM。どれくらい必要になるか見当がつかなかったのでとりあえず約1万円弱の5500ルピーひきだした。そこから朝まで待つ手もあるが、とりあえずエアポートバスでニューデリー駅まで行った。75ルピー。空港を出ると湿気と土というかホコリというかそういうにおいがムっとして、インドってそういえばこんなにおいのするところだったとおもいだす。なんかあやしい人をみるとあれは泥棒かとか疑心暗鬼になったりしたが、全然そんなことはなかった。しかしニューデリー駅のまわりは怪しい人間がいっぱいいた。切符を買おうとしたがなんか変なのがいて普通に切符買えない。SE氏は外国人窓口がひらいたらそこで一気に買うらしい。しかたないので他のインド人が寝てるところの隅で二人で寝転がり朝を待った。蒸し暑いので硬い床が冷たくて気持ちよかった。
明るくなってからとりあえずもう一回窓口に行ってみるとカルカまでの二等切符は買えた。105ルピー。しかしおつりをごまかされるところだった。SE氏と外人窓口のツーリストビューローの位置を確認したあと、朝飯でもくいにパハルガンジの飯屋街を歩いてみたが、マサラドーサを食ってみたらこれがやたら辛くて食えたもんでなかった。失敗した。あんな辛かったっけ。ラッシーはうまかった。
ツーリストビューローで涼んでからSE氏とわかれ、駅の構内でカルカ行きの列車を待つが疲れがでてうつらうつら寝る。カルカ行きが来たので乗ってみたら二等はすごかった。まず二等の車両がすくない。アムリトサルまで行く車両に連結されているのだが、カルカ行きの二等は貨車に併設されているごく狭い区画しかない。そこに人が寿司詰めになっていてそもそも入れない。アムリトサル行きの方にのればいいのだろうがどこで連結を切りはなすのかよくわからなかったのでそれはやめ、反対側から無理にのったらタラップに立ちながら手摺りにつかまって風で吹きとばされないようになる状態で景色もよくみえない。二時間くらい耐えたがそれでもつらかったので人がすこしおりたスキに中に入った。
すこしおりてもまた人が入ってきて阿鼻叫喚になるわけで、それがいやになって中にはいったが、中は足の踏み場もないくらい人がつまっていて、体をもたらせる場所のないまま立ちっぱなしになった。何の拷問かわからない。アンバラというところで大量におりたのでなんとか網棚に座れた。まぁしかしすぐ人が入ってきたのであこで切り離したんだろう。チャンディガーで本当に人が減ってようやく下で座れた。
カルカについてグルっとひとまわり。大きいまちではないが寺がある。あと軍隊の駐屯地でもあるらしい。
その後宿さがしをしたが、結局窓なしトイレシャワーつきで350ルピー。トイレなしで250というのがあったが窓にガラスがはいっていなかったのでやめた。いずれにしてもなんか高い。まだ相場がわからん。
そういうと列車の中ではシクのおっさん(たぶん兵隊ご一行様)から「兵隊か?」と聞かれ、カルカでは、あとから飯屋にはいってきて様子を伺っていた人間がいろいろ聞いてくるので受け答えしてると「おれは駐屯地の人間で..」みたいな話になってた。中国でもインドでもこの格好って兵隊にみえるらしいな。丸坊主のせいか?
今日はインドへ向けて出発する。なぜ小学生の夏休みとかぶっているのかという問題があるがそれは飛行機のチケットが夏休みにあわせて高くなっていることの反映だな。
よく寝ようとおもいつつ寝れてない気がしないでもない。中途半端に夢をみたということは眠りが浅い事を意味する。
インドのマフディー軍とでもタイトルをつけれるような夢をみた。たぶん昨日寝る前にインドの危険情報をみていて、マオイストが中国との国境に近いところだけではなく、真ん中の辺鄙なところにも出没していて、これは根拠地建設を忠実に実効してるんだろうかとおもっていたのが中途半端に反映してるんだろう。ちなみに夢の中にマフディー軍とやらがでてくるわけではなく、どっかで日本人と雑談をしつづけるという夢だった。というわけで夢を作りながら夢をみているような状態だった。
近鉄難波から関空までくるのに南海ごときでのりまちがえ、天下茶屋までもどったり慌てておりたりしたがまぁ時間に余裕があったのでなんということもなかった。上海での乗り換えは普通に外にでなくてもいいらしい。気にするほどのことでもなかったな。そもそも発券も関空でデリーまでやってもらえた。こういうふうにするのか。
関空での荷物検査でゼリー状のものがひっかかるらしい。朝トライアルでゼリーとわらびもちを買ってみたが、ゼリーは荷物チェックでひっかかった。その一方でわらびもちは大丈夫だった。アホな検査だ。
上海についた。乗換の手順は関空で発券してもらった搭乗券にハンコをおしてもらい簡単な荷物検査をうけて出発の方にいくだけだった。こんな簡単なのか。
上海浦東空港のfreeWifiは携帯が必要だった。携帯にショートメッセージを送る → 携帯番号のパスワードを取得 という手順。ぐぬぬ。
ということはこれから先接続できるのはインドに期待するしかないな。
おいおい中核派の山本太郎とおってるやん。
朝から暑い... 汗がダラダラ流れる朝
とりあえず荷物をつくってみよう。
つくった。まぁリュックにしてもうすこしいろいろ持って行ってもいいのだが、今回はリュックなしの旅行に挑戦ということにする。そもそもあれだ。前は野宿生活を一時していたせいで、全荷物をリュックにつめこんでいて無駄なものが多かった。まぁリュックにしてスカスカにした方が楽かもしれんが、大峯奥駈と同じ格好ということで。
明日の飛行機の時間は
なんか今日はやる気がでない。気分がよくない。たぶんレンズ豆をたべるために炊飯器にいれっぱなしにしていてちょっといたんでいたんだろう。まぁもう明日出発だしボチボチやる。N-08Dのソ連軍用地図アプリでインド北部をダウンロードしておこう。これ持って外国にいくのははじめてなのでどれだけ使えるかよくわからん。
中印军队“帐篷对峙”画面曝光_图集_雅虎博客_雅虎军事
うーむ。ABCDの位置がおかしいんだが。
金峰と書いて「みたけ」とよむのは修験道関係の地名。
インドの犯罪といえば詐欺とかスリとかだとおもっていたが、最近は睡眠薬強盗とか身ぐるみはいで道路に捨てていくようなのも起こっているらしい。デリーはナメるとやばいな。
よし今月の通信量7G越えたった。
今ごろ気付いたが、今月末に払う家賃は来月の分なわけだ。ということは二ヶ月分ふりこんでみたが、これは8月9月分なわけだ。9月分は帰ってから振りこんでもよかったかな。
V713が12万切れから12万以上に上がってきたな... 買っちゃおうかな...
ちなみに店頭で比べたら感触は Cintiq といっしょだった。でもインドに持ってくのはなぁ。もう明後日出発だし。
レーでツァンパくってたらやる気もでてきそうだな。
とりあえず図書館に来て本を返した。しかしさすがに日曜なので電源のつかえる席はなくなっている。でもコンセントが随所にあるのでそこに電気さしてノートパソコンつかえばいいことに気付いた。
インドの空港の情報はネットに溢れすぎている。やはり税関をすぎるとすぐインド人がまちかまえているらしく、荷物のターンテーブルの前で座って朝を待つという方法があるらしいが、その一方で空港の中へは金をはらわないとはいれないようになっており、そんなに変な人はいないという情報もある。また待合室みたいなのがあるらしい。税関を出ずに朝を待つのが一番間違いないが、その一方で、出口でまちかまえている有象無象をかわして空港内でまつのもいいような気もする。まぁ着いてから考えよう。金については税関出たところにATMがあるらしい。なら問題ない。この件については図書館で地球の歩き方をみたらそれで解決した。調べまくるようなことではなかった。
今までインドに飛行機で入ったことないな。そういうと。
マレーのインドのガイドブックの1898年版にのっているデリー地図を抽出するとこんなかんじ。Google様のデジタル化はさすがに雑で、折込地図は折りこんだ状態でデジタル化されている。archive.org直々にデジタル化した1911年版は地図をちゃんと広げてくれているが、スキャンが荒くて読めない。この1898年版と1911年版の見えている範囲での大きな違いは、Paharganj と城壁の間に細い線路が引かれていることで、この1898年版の地図上にみえる「運河」の東側にそうように鉄道がひかれていた。
これからインドにいってダルを毎日たべれるのに、今からなぜかレンズ豆のものばかりくっている。開けた食材は全部食べないと。
いつも早朝この世のものともおもえないような獣の声が聞こえていた。豚のような息づかいでハァハァ言っている感じ。まぁロバとかでも大概な声だすもんだが、日本では滅多に聞けそうにないような声だ。どうもだれかがそれを散歩させているらしい。いつも5時前後のかなり早い時間なので意識があっても起きあがれず、何なのかわからなかったのだが今朝もその声に気付いたのでがんばって起きあがり、全開のベランダから下をのぞいたところ小さい犬だった。白くて長い毛がフサフサはえていて、あんまりそんな声を出すようにもみえないが、その顔をみれば犬と言っても豚犬系でちょっと縦につぶしたような感じ。のどの声を響かせる部分がデカいんだろうか。
パンドラウイルス、第4のドメインに? (ナショナルジオグラフィック)
クルーグマン:中国、壁にぶつかる - P.E.S.
この翻訳記事で中国の問題点としてあげられている「通貨の切り上げを渋って利益の再配分を怠った」というのは矢吹晋が前から言ってたことといっしょだな。まぁ人民元のレートについてはいろいろ言われてきたので、常識に属することではあるが、ちゃんと理由を説明できるあたりはやはりただの継続革命の人ではない。
京都にいってきた。
インドにいく激流さんからインド情報をもらうためだが、話をしてみて後でかなり反省した点がある。というのも今回の旅行はかなり受動的に決めてしまったのだが、それがやっぱりよくなかったということだ。そもそも前回中央アジアに行ったのも激流さんに、インドに留学するのでパキスタンの北部で落ち合いましょうみたいにいわれ、それはおもしろいとノリノリで行ったそのついでで行ったという事もあり、そのころから受動的であったといえなくもない。しかし今回なんぞは他になにもないのに激流さんがインドへ行く用があるからというのでそれにつられてインドへわざわざ行ってしまうんだから受動的にもほどがある。そういうところが自分など何も達成できずあとは老いて死ぬだけの存在である所以かもしれんがそれはさておき、このままではまずい。旅行をすこしでも能動的にするようにせねばならぬ。そうでないと向こうにいって不快な事になりそうな気がする。
そうはいってもインドに入れば旅行スイッチが入り、「受動的な旅行」というのが杞憂に終わるかもしれない。要するに「言われたから行った」みたいなつまらん旅行にならなければよいのだ。飛行機の日程を前に二週間後に一週間くらい足したのも安い飛行機を選んだだけという面もあるが少しでも能動的にしようという意識のあらわれでもあるかもしれない。受動的であっても行ったことない所へ行くので能動的な旅行になる種子がある。それをどう育てるか殺すかは自分次第だ。今からここに書いておいて戒めとしよう。
ただし頭が回っていないのはもうどうしようもなさそうだ。
京都のものなど今までそれほど気にしてはいなかったものの、今から京都の建物をみると、明治-昭和のものが結構のこっていておもしろい。自分にとっての京都は最初の都会であって、こんなもんかとおもっていたけれども、そんなもんではないことに気付いた。江戸が発達するまで日本一の大都市であり、20世紀になるまでは日本有数の大都会でありつづけたという事実は歴然とのこっている。その辺が奈良のような田舎とは違うところだ。一枚目の写真のでっかい道標など、この大きさにこの深いはっきりした字で幕末の慶應年間というからたいしたもんだ。明治大正くらいのもんだとおもっていた。
あと烏丸上立売をあがったところにある京菓子資料館というのに行ってきたら、垂仁天皇のために非時香菓をとってきた田道間守が菓子の祖みたいなおもしろいことが書いてあった。そういうヨタ話はいいとして、唐代の菓子が日本に入ったものの見本として小麦粉かなにかを練って揚げたものがあった。展示室にあった異国風の壺と布はベトナム物だろうか。
この店の本店は烏丸通の方ではなくその反対側の室町通だった。それもそうだろう。室町通りの方はそういう古い建物が若干のこっていておもしろい。ただし写真を撮ろうとしたところへクロネコヤマトがやってきて荷物をおろしだしたので写真はやめた。間がわるい。
帰りにアバンティの本屋によって立ち読みしてきた。その昔はJRバスが京都駅からでる関係上ここによく行ったもんだ。
ついにN-08DのEBookDroidがバージョンアップして2.0になった。目次がつかいやすくなった。しかしちょっと重くなって電気を食うようになった気がする。ちょっと重いのはいいが電気を食うようになるのはよくないな。
そういうと今日は選挙戦最終日のせいか、もしくは京都はもともとそうなのか、共産党があちこちで小さいメガホンで宣伝しているのをみかけた。たぶんあれ党員を総動員して草の根運動を演出しているつもりなんだろうが、ハタから見てなんらかの宗教的な活動にしかみえない。あの状態で「ものみの塔」を配ったり「主の再臨」を訴えていたとしてもおかしくない、そんな感じだった。都議選で躍進してよほどうかれているんだな共産党の指導部。まぁ世界が滅びるが信じれば救われるというのは宗教の常套句だから共産党が宗教団体だといっても間違いではあるまい。
朝トライアルに行ったら肉半額だったのでまた買ってしまった。
ちょっとしたphpを書くのに一時間もかけてしまった。
国会図書館関西館
満洲共産匪の研究 1 567コマ 2 280コマ
この後最後の歯医者だ。どうせこの歯やってもらっても抜けるとおもうんだが。
昨日も涼しかったけど今日も涼しいな。しかし水風呂の温度がもう冷たく感じなくなっているのでまだ涼しくはならないんだろう。
明日出町柳の方に行くけどついでに行きたいところが思いつかない。
なるほど、一本とかではなくたくさん出てきたので発掘資金捻出のためまずは話題つくりとしてニュースになったと。
なんか朝からあやしい雲行きなので降雨レーダーで時間をさかのぼってみると近畿に日本海側から雨の帯がおりてきているようだ。今は帯が山岳地帯に当って散り散りになりつつ京滋方面では湖南方面に集中して南下しているようにみえる。ということは奈良には来ないか。→ 来た。
県立図書情報館。
草薙素子とはどんな人間だったのか─原作素子とSAC素子の差異 : 戦争だ。90年代に戻してやる。
SACもARISEも見たおぼえないしこれから先見ることもないだろうが、なんで何回もしつこくアニメ化なんかするんだろうな。
奈良附近のプール
青山プール 今年は07/20-09/01 09-12 300 13-17 400 平日午後半額 ロッカー代50
ならやま屋内プール 600
西部屋内プール 10-20/平日は-2030 水休 800
大和郡山九条公園 78月 13-17 480 10-12,18-20 240
コスパ西大寺 登録手数料3150 レギュラー会員月9500 プール&スパ会員月7200
YMCA 入会金3000 YMCA年会費3600 レギュラー会員(スイム)5780
こうして調べると西大寺周辺には銭湯ないけどスポーツクラブという形で風呂に入れるな。月7200でも銭湯に毎日入るより安い。寒い間に気付いていればよかった。もうしかたないか。
マンガで分かる心療内科・精神科 第68回「振り込めサギが、いまだに続く理由 ~ウソの見抜き方」
しかし上海デリー便がちゃんと飛ぶのかどうかそれが心配だ。
本一冊写しきれなかった。
帰りに懐中電灯買うのわすれた。
モンゴル東部で突厥碑文発見 - 47NEWS
朝日新聞:モンゴルで遊牧民の巨大碑文発見
同じものなのか?共同通信の方は同じパターンがくりかえされているのでなんか違うものをのせてるんじゃないか。
日差しはきついながらも空気は爽やかな感じがするがついつい図書情報館に来てしまった。意外に人がすくないのはなぜか。
インドはもう大峯山に行ったときとほとんどかわらない装備...つまり今の格好+シーツで行くことにした。かなり荷物が楽になる。まぁしかし8月1日出発にしてもよかったなぁ。一週間余計だった。
北朝鮮に丹東から普通に観光入国してる人いるみたいだ。もちろん旅行社の手配付きではあるけれど。ふーむ。
朝から夜まで図書館にいたせいで金をおろすのを忘れていた。もう100円程度しか残っていないので買物もできなかった。
最近部屋中にトイレ臭がする。可能性としては
ちょっと田舎に帰るだけで超朝型に。
暑いときは早起きに意味がある。
アメダスで気温の分布をみていると東北までいけばそれなりに涼しい。くそ暑い大阪とか東京を捨てて東北に人が流れこんだりしそうなもんだが、そうならないのはなぜだろう。
SMS(ショートメール、Cメール)って今は会社の壁を越えて送れるようになったのか。
ハローワークインターネットサービス - 求人情報詳細 海外:社内SE
なんかすごい仕事をみつけてしまった。
マメ知識
上海-那覇と上海-長崎はだいたいおなじ距離。上海-五島列島はもっと短かい。
歯医者。前歯に土台いれて3010円。次最後に歯をいれて5000円くらい取られるとか。高。わざわざこんなとこの歯医者まで来て失敗したか。
真崎勝次
半沢玉城
国会図書館関西館のモニタだが高さを変えれることがわかった。角度も変えれる。いつのまに。
client app/
高島俊男「中国の「盗賊」」『學鐙』88(丸善1988/2)
前にもお話しした通り、生蕃は、元と臺灣島全體の所有者であつたのであるがそれを丁度二百何十年前から支那人が入り込んで、段々生蕃を山の中へ追込んだと云ふことでありますから、それで生蕃は己の子々孫々に己の一家族の生ける限りは支那人の首を取らねばならぬと云ふ遺訓を與へた。それで此首を取ることは、日本の版圖となつた時でも、ちやんちやん坊主の首だけ取つた、尻尾のない首は値打がないから取らなかつた。所が此頃は少し形勢が變つて來て、日本人の首さへも中々珍重さるる樣になつた、
郭廷獻「臺灣土俗の話」『慶應義塾學報』第120號 明治39年4月15日
帰りに図国会図書館関西館の目の前にあるくら寿司にはいってみたが、歯医者に金をまきあげられていたのを忘れていたのであとすこし食っていたら払い切れなくなっていたところだった。6皿でとめておいてよかった。
参院選キチガイ連中が本格的に発狂してきたな...
一度思い付きでアイスコーヒーを買ってから、なんかコーヒーがのみたくなってよくカップコーヒーとか飲んでいるような気がするんだが暑いときにコーヒーが飲みたくなるのはおっさんなんだろうか。
『安禄山』は昨日立ちよみした。
今日は奈良にもどる。途中どこに寄ろうか。祇園祭って行ったことないような気がするので八坂神社でもみてこようかな。
八坂神社はまぁ前行ったことあるので行ってどうするんだという感じだった。しかもそこから京都駅をめざすのに寺町の電気街を通っていったからさらに道の選択肢が狭まって、行ったことあるところをまた進むというどうしようもない状態に。そもそも祇園祭っぽいのは観光客だけで、それらしいところも入っていかなかった。何をしにいったんだろう。
清水寺には入ったことないのでそういうところに行った方がよかったのかもしれない。
明治30年組織された公同組合という自治組織が昭和15年町内会に組みかえられたとき、記念にのこされたもの。これがあるのを知っていて来ているから意味ないんよね... ググると北野天満宮にも同じものがあるらしい。国会図書館で軽く検索すると、こういう名前のものは京都にしかなかったらしい。
ついでに八坂神社から四条通りをながめた写真をとってみた。
まぁでも京都はこういうの残ってたりするからなかなかいいな。奈良はこういうのはすくない。
京都駅がなんか野暮ったく見えた。
で、奈良につくと涼しい。集中豪雨が昨日は京都を通っていたが、今日は奈良の番だったようで、京都より気温が低い。うむむ。まぁいいか。
そういうと実家に折り畳み自転車が放置してあった。インドに行かないならあれを持って帰ってきたところだが、行くので置いてきた。インドから帰ってきたらあれを持ってきて電車と自転車でウマウマ。もう一日に80kmとか走りたくない。
今朝の奈良の温度は21度台とものすごい下り方をしており、涼むために田舎に帰るのは正直無駄なことだったといえる。参考までに美山の観測記録をみるとやはり21度台。今日も天気はあまりよくないので気温はここ最近の暑さほどには上がらないだろう。ぐぬぬ。
気象庁の降水レーダー
気象庁 | レーダー・ナウキャスト(降水・雷・竜巻)
その日の毎正時観測データ速報リンク
奈良/
五條
京都/
美山/
京田辺
大阪/
生駒山/
堺
東京/
羽田/
練馬/
江戸川臨海/
府中/
さいたま
アメダス
気象庁 | アメダス
気温:近畿/関東
京都にまた集中豪雨がきたようで、市内の気温がグンと下がっている。なんか微妙に暑い感じがするのはこの山奥でも30度まぢかになっているからなんだろうな。市内の分際で山奥より涼しいとは!奈良の昼の気温は30度すぎで、ここ数日の猛暑のころには正午に33度に到達していたことを考えると、避暑で山奥に来た意味はなかったな。まぁでも静かでよく寝れたからいい。
神仏分離と廃仏毀釈って徳川家康を祀った東照大権現がターゲットな気がしてきた。
NTTドコモ値引き拡大 競争激しく NHKニュース
ツートップみたいなクズな作戦してるからだろ。なんでauが実家で入らないんだろう。
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2ch気象板の住民が『今日の最高気温』で毎日ケンカしてる件wwwww:僕なんJ
図書館に来た。すずしいなぁ。
例の御嶽行者皇居乱入事件だが、『日本近代思想大系5 宗教と国家』をみてきたら、英国外務省の通信文書の翻訳から入っていた。解題がふるっている。
しかし在日外交団は、廃藩置県直後の日本政局に重大な関心を寄せており、この事件も政治がらみの天皇暗殺未遂事件だと直感的にとらえ、その原因を知ろうと努めた。と書いてある。しかし引用されている文書は、事態があきらかになり、暴力をも辞さない直訴であったと書いてあるだけなので、「直感的にとらえ」のところを具体的に説明するものはない。皇居侵入 → 天皇暗殺と左翼脳で変換されたのか。まぁもっとも調書の方には
主上ヘ奏聞ニ及ビ、と書いてあるので、これを暗殺の意図の婉曲的表現と解釈してもしかたのないことではある。若 御聞済無之候ハゞ、終 ニ玉体ヘ可奉迫 不容易企 説示有之、
近鉄週末フリーパスは前売り制で当日買えないということでこれに乗る機会はなさそう。
今日の奈良の気象観測をみていると14:00 の33.9度から15:00の28.9度と急激にさがっているので外をみると路面が濡れている。レーダーをみると奈良の東に集中豪雨の赤い塊があるので図書館にいるあいだに雨の塊が通りすぎたのだろう。今日はこれから田舎に帰るつもりなのでそろそろ出た方がいいか。
京都に着くまですごい雨だった。山奥までバスで帰ったが涼しい。涼しいんだがやっぱり今日は雨のせいで涼しいらしい。田舎に帰らなくても涼しかったのかも。
青蔵鉄道はなだらかな高原を通っているから、地形的には何も問題がない。高いところでの作業とか永久凍土をどうするかとかそういう種類の問題があるだけ。パキスタンに鉄道を通すのも、カシュガルから中国国境までは簡単にできる。なだらかな高原だから。問題はパキスタン側だ... 無理を通して作っても十数年のあいだに崩落の危機がくるだろうな..
昨日山登りしたおかげでよくねむれた。水風呂に今頃気付いたことは大変よかった。というか暑くてしかたないときじゃんじゃん水風呂に入ればいいんじゃなかろうか。そうしよう。
よく寝れたのはいいとして虫にかまれまくりだったようで足がかゆい。
EBookdroid が全然アップデートされないのでページをみてみたら、バージョンを2に上げ、閲覧を専門にやってデコード部分を外に出すようになったらしい。
木に穴開け枯らす 山林の数十本、毒物注入か 南房総 | 千葉日報ウェブ
国会図書館関西館に来たぞ。
国会図書館デジタル化資料のWebアプリ、→ で次のページにすすめるが、Firefoxだとうまくいかず縮小とか拡大になったりすることがある。
ねむくなってきたので4階で休憩。漫然と本を読んでいたからか。
歯医者にいったあと、御嶽教の大和本宮を見にいってきた。御嶽山信仰が中心の御嶽教にとって大和本宮なんてナンセンス以外の何物でもないとおもうが、まぁあるもんはしかたない。
感応石とかいう子供騙しがあって手をかざせば水がでるという。うーん。今の世にだれがありがたがるんだろうとおもうが、まぁみんなわかってありがたがるんだろうなぁ。もう日の暮れでだれもおらず、一万円で販売する白い石が放置してあった。
こういう宗教で本山の建設というのはなかなか難しいのかもしれない。というか、いらんよな。大和本宮。御嶽山の麓にひとつつくっとけばいいのに。
御嶽行者の皇居襲撃 - メモ@inudaisho
こういうの書いたった。尻切れトンボ
やっぱりまた目がさめた。暑いのはしかたないとして炎熱で水蒸気放出→夜になって 気温がさがり湿度上昇のループは勘弁してほしい。しょーがないので今日はクーラーのお世話になる。
India Meteorological Department,Regional Meteorological centre, NewDelhi
今回行く範囲に関してはこっちが見やすいか。
単純に避暑なら青森とか北海道とか高いところに行けばそれで十分涼しい。
もう昼なんだが、これから金剛山へのぼりにいく。荷物は極力軽くするためカバンももっていかない。
とか書きながら結局カバンをもっていってしまった。近鉄の無人駅の薬水でおりて金剛山まで往復するルート。もっとも往復になったのは山がやたら虫だらけでシーツすらもっていなかったから野宿もできないと判断し、暗いなかを下っていったためで、なんというか愚かな結末をむかえたのだった。
汗をかくという目的はある程度達成された。薬水から金剛山の麓まで歩くだけで暑さでまいりそうだった。高鴨神社の横の葛城の道歴史文化館(という名の蕎麦屋)で水をのんだときに水が足りないのかと誤解したが、あれは水が足りないのではなくて要は熱かったのだろう。このあたり一帯は和歌山の紀の川(吉野川)流域と大和盆地の分水嶺で、南も北も眺めれるようなところだった。高天原伝承地というのもあってアホなもんあるなぁと来るまえはおもっていたが、来てみてなるほどとおもった。その分水嶺的な筋のところに八幡神社があり、その尾根筋に沿って金剛山にのぼっていく道があるようだった。それは来てわかったことなので、のぼるときはおとなしく、高天彦神社の奥の滝からのぼる一番近い道をのぼっていった。この滝の水の冷たいこと。
まぁしかし登りみちはそれほどでもなく、適当にのぼっていったら順調に頂上の葛木神社までたどりつけるようなところだった。滝1700。鳥居1815。神社1825。
転法輪寺までおりて休憩し、日没をながめたのが1910。そこから神社の前をとおって鳥居のあたりを通過したのが1920。だんだん暗くなる中を慎重におりて高天彦神社についたのが2010。
降りるときに50分くらいで降りれたのでルートの標準時間より速くおりれたとおもっていたがそもそも登るときも速かったな。ダイヤモンドトレイルの案内地図によると、滝→鳥居が一時間45分(高天彦神社→鳥居だと一時間57分)、鳥居→高天彦神社が68分ということなので登りの方が圧縮率が若干高い。やっぱり夜になって足元がよく見えずそれなりに慎重におりたからか。
そこからさらに薬水までいくわけだが、暗い峠を一人であるいていたら通りすがりの人がのせてくれたのでラクにいけた。しかしこの時間一時間に一本しか普通にのれるのがないわけで。のせてもらっても足は楽になったが時間の短縮にはならなかった。
例の雄略天皇の神社が葛木神社の前にあった。
暑いから水ブロとか気持ちいい可能性があるわけで、帰って暑かったら水ブロやってみよう。
水風呂 最 高
暑さで目がさめた。しかも0時すぎ。で、寝れない。最悪だ。
これは山登りでもして汗をおもいきりかいてきた方がいいのかもなぁ。あついのに汗をかくのを避けていたら体調がおかしくなってもしかたない。
麦茶のんだらおちついてきた。水分不足だったのか。
今日はうすい雲がかかって風もすずしく、昨日よりだいぶ涼しいような気がしたけど9時10時の気温は昨日より1度低いだけ。
御嶽行者はその昔伊多道者という女性の道者がいたらしい。イタコのイタか?
木曽福島 → 王滝/黒沢/黒沢里宮 200円
木曽福島 → 田の原/御岳ロープウェイ 1500円
木曽福島 → 濁河温泉 2260円
金のことだけ考えれば王滝なり黒沢なりの一合目からのぼって一合目におりるのがやすい。
明治以後の教派神道化によってできた御嶽教の大本庁が奈良にあるらしい。
修験道の憑り祈祷 / 寄加持
憑り祈祷というのは障りの原因の生霊死霊を依代となった人間にとりつかせて伺いをたてるものらしい。御嶽行者の御座はとりつかせるものが神仏になったのが発明であるようだ。
高坏モデル
尾張藩 - 護摩堂 - 山村代官 - 黒沢の武居家 - 御嶽講
明治初の黒沢口の御嶽神社の神官今井弘 - 山村家の旧臣で御嶽講を黒沢口の御嶽神社に結集させることをたくらむ
→明治8年王滝頂上の社殿を破壊した王宮事件で免職
歯医者なければ明日にでも御嶽山にのぼりにいくのだが。
近畿日本鉄道|近鉄週末フリーパス
すっかり忘れていたがこんなもんあるのなら近鉄でいけるとこ隅から隅まで行ってみるのもいいな。しかし金曜は歯医者が。
最終鬼畜菅直人「吉田元所長は私の指示に適切に従った親友だった:Birth of Blues
御岳行者皇居侵入事件(史料Ⅱ―9)
ということで、肉食解禁一ヶ月後に「地が穢れた」といって御嶽行者が皇居に乱入したというのは完全に正しい。
朝はそれなりに涼しいのに!
といっても最低気温23.5度か。
とにかく木造二階建てアパートの二階が暑すぎる。ここまでとは。今まで避けていたのをすっかりわすれていた。まぁとにかく安いからなぁ。一日400円とおもえば腹もたたない。さて今日はどこへ避暑にいこう。
昨日国会図書館にいく途中で道端の石に小指をひっかけてちょっと痛かったが今もなんか変なかんじだ。自転車だしな。
どうもクーラーを自分の部屋でつけるのに抵抗がある。
いっそ山登りをして汗をかくのもアリだなとおもったがおもいついたのが遅すぎたのでやめた。
県立図書情報館。
岡田哲『明治洋食事始め――とんかつの誕生』 (講談社学術文庫)
に御嶽行者の件として供述書が引用されていた。
当今夷人渡来以後、日本人専 肉食ヲ致ス故、地位相穢レ、神ノ居所コレ無キニ付キ(中略)夷人相討シ、且神仏領・諸侯ノ領地等、故 ノ如ク封ニ致シ度
あんパンってパンの発酵に酒の麹をつかったのが工夫なのか。
御嶽信仰は18世紀中頃の覚明行者が軽精進でも御嶽にのぼれるようにする→大衆信仰への道をひらく(それまでは100日間の重潔斎を経ないと入れなかったとか)
普寛行者が託宣の理論を構築
託宣というのが不思議だったのだが、御嶽講では「御座」での託宣が重要な要素となるらしい。なるほどなるほど。
託宣の際は中座と前座にわかれ中座が依代になり、前座がその憑依を制御する役目らしい。中座前座ともにだれでもなれるわけではなく、厳しい修行を経てなるのだという。トランス状態になって生き神様になるのが中座で、その世話するのが前座といえるか。行者といっても普通に仕事をもっているのだとか。
御嶽山おもしろそうだな。こういう神懸かりが今でも生きているらしい。登りにいきたい。
奈良 → 木曽福島 JR 4620
大和西大寺 → 近鉄名古屋 近鉄 2190
名古屋 → 木曽福島 JR 2210
近鉄使っても200円くらいしか違わないならJRで途中下車しながら行った方がよさそう。といいつつも歯医者のせいでそういう余裕がない。
前からおもっていたんだが、逸平とかひらしょーのサイトのトップページのLastModifiedってどこみてんだ?
今日も暑い。
避暑しに田舎に帰ってもいいんだが歯医者があるしなぁ。
昨日の夜は24時まで25度をさがらず、今朝の5時前後に24度をすこし割っただけですぐ気温があがり10時には30度に到達。あづい
国会図書館関西館に来た。すこしは涼しい。
OEDによると、クーリーの Coolie の由来はもともとグジャラートの一部族クリーで、盗賊として名をはせたが労働者としておちついたところからだという。16世紀にはポルトガル人に知られ、それが南インドではタミル語で雇うを意味する「クーリ」と重なるのでつかわれ、中国にも及んだという。
なるほど、クーリーが大々的に出現したのは19世紀以降で、黒人奴隷解放後のその労働力を補うためか。
うーむ。この歯医者、造りものの造形がへたっぴだな。なんか一番奥の土台だけになってたところにいれたのが前の歯を圧迫して横に押しだしている。大丈夫か。心配になってきた。
岩田専太郎って現代戦争もの(当時の)の挿絵もかいてたのか。芥川龍之介の中国ものの挿絵なんかもやってる。器用だなぁ。さすが小説挿絵の黎明期から昭和40年代まで第一線で描きつづけていただけのことはある。
twitterで「明治に肉食が解禁されてから1カ月ほど後の1872年2月18日に、白装束に身を固めた御嶽行者10名が皇居に乱入し、4名が射殺され、1名が重傷、5名が逮捕されるという事件が発生する。精進潔斎を信条とする山岳信仰の徒である彼らは、肉食は許しがたい行為であるとし、旧秩序の復活を願っていた」というのが流れてきたが、これは岡田哲『明治洋食事始め――とんかつの誕生』 (講談社学術文庫)からの引用であるようだ。
とりあえず新聞集成明治編年史で調べてみたがすこしちがっていた。神の託宣があり「外国人追討又は諸寺諸侯領地回復」の奏聞のため皇居におしよせたのだという。たしかに「旧秩序の復活」ではあるが肉食と直接の関係なさそう。しかしもっと詳細があるのかもしれない。
あと他には世界が水につかるみたいな予言があったらしいがこれも御嶽行者と関連づけられていた。うーむ。
たしかにこの年は外国からみて不都合な物などを一斉に禁止したりいろいろしていたようだ。混浴禁止とか人身売買禁止(娼妓解放)とか。次の年から太陽暦を採用している。
東芝のV713。壊れそうだけど気になるなー。ノートパソコンとしてはちょっといただけないらしいが、デジタイザーつきタブレットとしては優秀らしい。しかもノートパソコンとして売りだしたので値段が絶賛暴落中らしい。
うーむいかんいかん。こんなもの今買ってはいけない。買ってインドに持って行くとか妄想してはいけない。買うとしても Windows8.1 とやらに対応した次のモデルがでて型落ちになったときに、難波のジョーシンで買うべきだ。そうおもっていれば次出たものに心ひかれて永遠に買うこともないだろう。
インドにいくのは、大峯奥駈けとおなじ格好でいいんじゃないかとおもう気がある反面、それをすると飛行機にのるときに取りあげられそうなものをどうするかでちょっと悩む。やっぱりリュックもっていった方がいろいろ楽かな。
そういうとレッツノートのディスプレイって色再現性とかから一番縁遠いところにあるんよな。写真の具合をこれであわせてるのはよくないかも。
豆腐二丁食ったせいか暑いのに水分欲しいとおもわなくなってしまった。このぬるい野菜ジュース.. はやくのんでしまいたいんだが。
画面の隅に swisswatch という xclock に毛のはえた程度の時計ツールをうごかしてるけどやっぱり針はわかりやすい。今何時何分かはもちろん数字の方がわかるが、一日の中の時間の位置、つまり時間を定量的に知るなら断然針だ。
はてなの日記にどうでもいいことを書いてたら昼になってしまった。その上書いたものがアホらしくなって消してしまった。。。
暑い暑いとか言いながらその暑いなかで寝て本を読んでるおれ。なんでこんなことをするんだろう。
涼しさだけなら奈良ファミリーの地下のフードコートに行くのがいちばんいい。
それよりもこの三日間奈良の最高気温が連続して34度台らしい。しかも一日の平均気温がどんどん30度にちかづいている。なんとかならんのか。
Murrayのインドガイドブックをよんでいると各都市にCityとCantonmentの二つの駅があるが、Cantonmentの方で降りるように、と書いてあった。
スリナガルとジャンムーを繋ぐルートはマハラジャのプライベートルートなので旅行者は通れなかったらしい。
ベランダをあけていると斜めむかいの方向から話し声がきこえているのだが、そこのおばぁがよく海外旅行の話をしている。主にヨーロッパの方だが。うーむ。
India Meteorogical Department
これでみていると、ニューデリーは今の暑さよりさらに一段階暑いが、パンジャブのあたりはおなじくらいで、スリナガルは一段階涼しい程度。シムラは20度前後と涼しすぎるくらいなのでレーは寒いくらいかも。ただやっぱり雨季で雨つづきなので今山岳地帯にいくのはあまりよい選択ではなかったかも。
RADAR INFORMATION - IMD NEW DELHI
これは便利だ。PCAPPIが降雨レーダーらしい。
googlemapsAPIになんか新しいことが書いてあったのでやってみた。地図がすこし新しくなったようだ。
夜になってもあつい。→ クーラーいれてみた。今度はリモコンがあるので効いてる。でも室外機うるさいな。まぁ10年間放置されていたクーラーだし。電気代どれくらいになるんだろう。
うめだがフランスにいってtwitterで何くったとか書いてるので昔ヨーロッパにいったころの日記みてたらおもしろくてよみふけってしまった。
このサイトに来る検索用語で人気なのは「全画面地図」らしい。
あんまり蒸すのでついにクーラーにスイッチをいれてみた。すごい... 天国だ... でもリモコンの電池がきれてるのでスイッチのオンオフしかできない。
多聞山城 - Wikipedia
「天守閣」の先駆は松永久秀の多聞山城説。
松永久秀が最後に信長に謀反したのは多聞山城が破却されてからというのもロマンだなぁ。
しかしWikipedia、記述が長く長くなる一方だな。
クーラーをうごかしたまま朝をむかえてみたが、寒くなったり、湿気がなくなってカラカラになったりしていなかった。クーラーとして機能しているんだろうか。まぁそもそも昨夜から今朝にかけての奈良の湿度は一昨日までよりも低かったりする。蒸し蒸しした気分になるのは単純に温度の差だったんだろうか。
Msxml2.XMLHTTP
この部屋、二階アパートの二階なので夏は炎熱だが、地形的に微高地の尾根筋なので風もよく吹くんよな。いいのかわるいのか。
昨晩-今朝は最低気温25度以上の熱帯夜。今日は最高気温30度以上の真夏日。湿度は逆に低い。暑いだけで蒸していたわけではないようだ。
Railway_network_schematic_map.png (PNG Image, 2282 × 2500 pixels)
これみて知ったんだが、ダラムサラって線路通ってるんだな。
China to reconnect Kashmir with Kashghar : GreaterKashmir.com
200kmのトンネルってすごいな。どこからどこまでのトンネルなんだろう。ちなみにタシュクルガンとギルギットの間は直線距離で210km程度あるが高度差が1500mくらいある。どこにトンネル通すのかしらんが、できても怖いだろうな。
図書館の閉館時間の8時に出るとすこし走ってから土砂降りの雨が降りだしてきた。南の柏木交差点ルートをとっていたので、すぐにスーパー銭湯に入ったからいいものの、北の三条ルートをとっていたら雨宿りするところもすぐになく、酷い目にあっていたところだ。ということでスーパー銭湯で二時間くらい時間をつぶしていたら雨も通りすぎたので帰ってきた。
冷たい空気が雨をもたらしたようで、それほど暑くない。せっかくクーラーのリモコンの電池買ってきたのに。まぁでもクーラーのモードは「自動」であるらしいことがわかった。それであの温度ということはクーラー死んでるんだろうか。
しかし木造二階建てアパートの二階の部屋というのは夏には暑くなるのが自然な構造をしているので、そこに冷房をいれて無理に冷やすのはエネルギーの無駄な気がするんだが、今度やってみるか。まぁでも暑くてよく寝れないとき(つまり昨日のような夜)にクーラーつけて寝るのが一番効果的だとおもう。
今日は夕方歯医者。ということで国会図書館関西館にいくぞ。
シャツパンツは100円のしか買わないことにしている。問題は100円で売ってるところがあんまりないことくらいしかない。それを手でゴシゴシ洗濯しているからパンツなんかヨレヨレで見た目ひどいもんだが誰も見ないからな。
1956/6、ラヂオプレスニュースに
◎最初の貨物輸送自動車隊到着 ラサからラダックにとある。他のニュースをみるとこの公路はチベットの東から西まで横断する道であるようだ。記事の内容からすると、このラダックと言ってるところが西チベットのンガリなのかインドのラダックなのかよくわからんのだが、印中友好時代の賜物なのか。
(北京放送二十日 - RP)黒河-阿里公路が開通してからラサからラダツクに向つた貨物輸送自動車隊が一日ラダツクに到着した。この自動車隊は十五輛で編成されており十数トンの茶、日用品、文化・体育用品などこのほか二トンあまりの医療機器薬品および中共チベツト工作委員会人民解放軍チベツト軍区が駐阿里部隊工作人員に贈つた慰問品なども輸送した
国会図書館関西館の館内端末でインターネットできるな... 「館内限定」も穴だらけ。
紅頭嶼 - メモ@inudaisho
こういうのも書いてみた。なにか見付けたらなにかがわかる。まぁ寝てる場合じゃないということか。
国会図書館関西館って目の前にアピタがあるから食堂とかいらない気がするんだが。
Port Haddington 石垣島の港
Pa-tchung-san 八重山
Y-nah-koo 与那国
「尖閣」は中国語 - メモ@inudaisho
こんなん書いた。こんなん書いても一銭にもならないのに何やってんだろね。
やっぱり県立図書情報館のネットはいいな。国会図書館からダウンロードするのがものすごく早い。
ついつい移動がめんどくさくてデリーインデリーアウトにしてしまったけど、エアアジアでコーチにいったりしてれば5万を切っていたようだ。食い物はまちがいなく北インドよりもケララ州の方がうまいし人もスレてないよな。失敗した。
あとバンコクを経由してコルカタ行きとかも6万弱なのでバンコクでタイ飯くっていってもよかったなぁ。失敗した。
と書いているが暑いところに長居するとすぐにヘバってうごけなくなるだろうからこれでよかったのかもしれない。
今100円60ルピー程度なのか。想像もつかん。もうインドルピーの感覚がない。
はてなの記事、オチがよわいので書きなおした。
「尖閣」は中国語くさい。香港の清人が Pinnacle に尖閣の字をあてていたか、日本人が英華辞書をみてその字をあてたか、どっちかだろう。
中国東方航空の関空デリー便の値段は往復の片道分の最安が13500(諸税別)だが、これが片道の片道分の最安になると19000(諸税別)となる。往復にしたときの差額は11000。うーむ。往復の帰りを後で変更するときかかる手数料が13100で、片道づつ買ったときの差額とそれほど差がないのできめれるなら決めておいた方がよい。
もっと不思議なのは関空-上海の値段はもっと高く15900する。まぁこっちは諸税が低いので単純には比較できないが、その運賃分だけで値段の上限をみるとこっちは低いので、デリー便がガラガラだから最安が余りやすいのかもしれない。あと、日本の旅行会社のサイトでデリー便をしらべるととにかくわかりづらく、どこが空いているのかすぐにわからなかった。そのせいで偏っているのかもしれない。
なんか今日もダルく寝てたんだが。ひょっとして歯医者に行ったのが悪かったのか?暑さのせいか?
w8benもあっというまにおわった。
朝鮮水路誌には竹島がのっていてその筋の人に日本が竹島とおもっていた証拠としてあげられることがあるらしいが、冒頭に朝鮮の範囲がのっていてその範囲外であるらしい。というのでみてみた。
冒頭の朝鮮の範囲は北緯33度15分より42度25分、東経124度30分より130度35分。リアンコールト列岩は北緯37度14分東経131度55分。たしかに範囲外だな。
もっとも鬱陵島(一名松島)も北緯37度30分東経130度53分で微妙に範囲外だったりする。あとワイオダ岩というのものってるが、これは北海道と沿海州の間くらいにあるものなので、やっぱり「水路」関係の情報しかのせてないものとみてよさそう。
水路誌 | 海図ネットショップ | 日本水路協会
今年までシベリア東海岸とかペルシア海湾の水路誌を作っていたことにおどろいた。
どうも今日はやる気のでない一日だった。
国立国会図書館デジタル化資料 - 和訳英辞林 pinnacle 塔。屋根の棟。頂上
中国東方航空って遅延するのがデフォルトなのか。乗り継ぎうまくいくだろうか。
富士山山開きとな。
弾丸登山とかいうのがあるらしい。御来光にあわせて夜どおし徹夜でのぼるのだとか。
富士登山のルート・コース情報 - はじめての富士登山
富士登山ルート
うーむ。富士山は遠いな。
歯医者にいくのでついでに国会図書館関西館。結局あんまり来てないのでコンセントの所在を今頃知った。
雑誌『揚子江』第二期第三号(1939/3)に陸軍省報道部歩兵少佐山本兼久「支那新聞はこんなに戰爭記事を創作する」という記事がある。
歯医者にいったら上の奥歯の被せがとれて土台がみえてるのでそこに歯をいれましょうとのこと。うーん。そこって歯とれたんだっけ?過去の日記を検索しても歯の記事多いわりにわからない。そういうと歯の被せがとれたことあったようななかったような... まぁどうでもいいや。
巨文島事件
明治22年の『寰瀛水路誌』ではピンナックルス(Pinacle group.)をすでに尖閣群島と訳している。当時鶏龍(基隆)の北東にある小島をおなじくピンナックル(Pinacle island.)とし、尖閣嶋と訳していた。
明治中頃の日本水路誌にはそのピンナックルスをいれてあるが、リアンコールトは朝鮮水路誌に入っていたりする。これは日清戦争のあとだからか。