投降派宋江
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投降派宋江
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晁蓋と呉用は宋江が頑として従わなかったのを見て、下山させるしかなかった。宋江は江州についたあと、牢城営(※1)の大小の頭目に賄賂した。管営(※2)は宋江が県吏の出身だったので、営房のなかで文書作成にあたらせた。
※1牢城営 宋の軍隊には正規軍(中央軍)の他に労役部隊である地方軍があり、流刑人はその部隊(営)に配属された。その部隊(営)の建物を牢城営という。
※2管営 営の管理者。いうならば流刑者収容所の所長。