投降派宋江

  投降派宋江  
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 高廉は高俅の兄弟である(※1)。この高俅はもともと街のならずもので、たまたま蹴鞠でうまく蹴りかえしたために、宋徽宗趙佶(※2)の褒めるところとなり、出世街道をあゆんで、殿帥府太尉(※3)となった。高俅は高廉が殺されたと聞いて、徽宗におねがいし、三路(※4)の大軍を集め、呼延灼に率いさせて、梁山泊を「掃討」させた。

※1 水滸伝では高廉は高俅のいとこだが、中国ではいとこを一族のなかの同世代ということで兄弟扱いすることもある。
※2 趙佶は宋の徽宗の姓名。
※3 殿帥府は近衛軍をあつかう役所。職名としては殿帥府都指揮使とかそんなので、ようするに近衛軍(政府正規軍)の総司令官。太尉は最高の官位である三公のひとつ。
※4 三路とは三つのコースでせめこむことで、それだけの大規模な編成の軍隊であるという決まり文句。