| < > |
この年の重陽の節句(※1)、宋江は「菊花会」を開催した。宴たけなわとなったころ、一首の「満江紅」の詞(※2)をつくり、楽和に歌わせた。「望むらくは天王すみやかに招安の詔書をくだし、心まさに足ることを (皇帝陛下、はやく招安の命令をだして、私の心をみたしてください)」この一句に歌い至ったとき、盧俊義、柴進らの一味からの喝采を得た。
※1 旧暦九月九日
※2 詞というのはようするに替え歌で、メロディにあわせて歌詞をあてるもの。満江紅はメロディの名前。宋代にもっとも盛んであったとされる。のちに清代に詩の一形式として復活したが、そのとき厳密な押韻などの作詩ルールが決められた。日本では、面倒くさいし背景である発音もよくわかっていないので江戸後期〜明治大正の漢文文化全盛の時代でも流行らなかった。