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宋江は長じて吏学をまなび、読み書きをおぼえ、熟練してくると、山東の鄆城県役所の押司になった。普段口では忠孝仁義をとなえ、権謀術数によって、反動統治階級のためにすくなからぬ悪事をはたらいた。
※吏学 役所事務。昔の中国の役所は、公務員採用試験(科挙)をくぐりぬけた国家公務員である「官」と、地方雇いの事務員である「吏」(胥吏)とにわかれており、吏はたいていは徒弟制で養成され、無給もしくは低給であった。ここで言う吏学をまなぶとは、つまり役所の胥吏見習いとして働き仕事をおぼえていったということ。